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物語を語り、聞くということ

  • 投稿者: 水野 洸也   [2016年 12月 26日 08時 16分]
物語は、ある共通の傾向を多数の人間が携えているということが前提された集団の中でしか成立し得ない、ある意味閉じられた形式のものだ。近代小説はそれを開放したことに意味があり、けれどもそれは、物語へのネグレクトを同時に示し得る。蓮實重彦などその典型で、彼は物語というのは類型化を免れ得ず、これとの不断の闘争を通じてしか真の小説は出てこないと解する。彼の言うことにも一理ある。物語はただ人々を引きずり込むだけで、そこから離反することは罪となり、やがては宗教的熱狂にまで高まりかねないからだ。しかしながら、物語を味わうことは依然として心地良いものであって、この小説の如く、ほとんど淀みなく物語が進行しているのを眺めると殊にそのことを感ずる。この場合、その物語に充てられた執筆時間とは無関係だ。なぜなら物語は執筆される前から既に存在しているのであり、問題はそれがいつ〈一〉として「繋がるか」なのだから。
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