感想一覧
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変な感想を送ってしまい、申し訳ありませんでした。本文中の出だしの一文に反応してしまって熱くなってしまったのです。ごめんなさい。
変な感想を送ってしまい、申し訳ありませんでした。本文中の出だしの一文に反応してしまって熱くなってしまったのです。ごめんなさい。
- 投稿者: 退会済み
- 2018年 10月14日 21時50分
管理
感想ありがとうございます。
私も厳しい言葉を書いてしまいました、申し訳ありません。
それだけ、武術に思い入れがあり、一生懸命鍛錬を重ねたと言う事なんでしょうね。
私は指導する側になり、自己鍛錬は最低限の事しかしていないので、ナタラージャ様の様な熱は失われつつあります。
その熱が少し羨ましくもありますね。
私も厳しい言葉を書いてしまいました、申し訳ありません。
それだけ、武術に思い入れがあり、一生懸命鍛錬を重ねたと言う事なんでしょうね。
私は指導する側になり、自己鍛錬は最低限の事しかしていないので、ナタラージャ様の様な熱は失われつつあります。
その熱が少し羨ましくもありますね。
- 野人
- 2018年 10月14日 22時01分
[良い点]
真面目に武術の事を考えている点。
[気になる点]
日本や中国の古武術は、伝統的な練習方法やスタイルにこだわるあまり、イスラエルやロシア、インドネシアの進化していく古武術と比べて時代に取り残されていっていると思います。それは格好良い意味ではなく、遅れているという意味です。実際には役に立たなくなっている。
[一言]
どもども、そこらの喧嘩自慢です。
空手やキックや総合格闘技をかじり、自衛隊も経験し、格闘技を喧嘩で使って来ました。
人生の三分のニくらいを強くなる事に費やしてしまった訳ですが、その経験から、野人さんにそれは違うのではないかと言いたくなりまして、この感想を書いてます。怒らないで頂けるとありがたい。
わたしは武術は人を殺す為のものではなく、〝目的を達する為〟のものであると考えています。
つまり、殺すことが必要な時には殺せ、無傷で取り抑えたい時にはそれができ、痛め付けたい時には焼き加減は自由自在。拐ったりも出来る。それが武術であると思ってます。殺すだけなら別に武術なんていりませんしね。
例えば相手を〝ほどほど〟に痛め付けたい時、手加減をしてほどほどにするのではなく、ほどほどを〝全力〟でやれる。
それが武術ではないでしょうか?
だから武術は、人を殺すにはどうすれば良いかを教わるけれど、練習は相手に痛くないようにおこなう。
相手が痛くないよう、怪我がないように練習する事で、逆にどうすれば相手を怪我させれるか、痛く出来るか、殺せるかが分かる。あと一押しで人を壊せる所がどこかが分かる。
それが分かれば、無闇に強いパンチなどいらないし、気負いや気合もなく静かに人を殺せます。それに殺さなくも出来ます。
武術は殺人術でも活人術でもなく活殺自在なものの事を言うのではないでしょうか?
ちなみにスポーツの格闘技についてですが、あれは練習であると捉えれば、武術の人にも役に立つと思います。
結構合気道や古武術の人とも喧嘩をした経験があるのですが、正直言って強い人に会った事がありません。それは実際にスパーリングや喧嘩なんかの経験がないからだと思います。身体も弱い人が多いです。身体が強くても殴るのを怖がったり、殴られるのを怖がったりします。ロシアの古武術(コサック武術)をやっているロシア人は鬼のように強かった。何故なら古武術とへいこうしてサンボやボクシングもやっていたからです。
レスリングは組技の練習。ボクシングで顔を殴られるのに慣れる。弱いとされているテコンドーは身体能力の強化に最適だし、顔面なしのフルコン空手は近間のガチャガチャした喧嘩の戦いに近い。
練習として格闘技を見れば、武術的に動きがどうとか言って格闘技を避け停滞した武術界に必要なものだという事が分かります。武術の人は格闘技を習いに来ても基本的にスパーリングをするのを嫌う人が多いのですが、その本当の理由は負けるのが嫌だからです。でも格闘技の人から見れば、スパーリングの勝ち負けなんてどうでも良いことでただの練習なのです。そこの意識の差が実際の強さの差になっていると思うのです。
喧嘩をする時、顔を殴ると相手の顔が腫れます。まあ当たり前ですが。
顔が腫れたのを周りの人が見ると、騒ぎます。
それで警察沙汰になったり、そいつの仲間が復讐しに来たりします。
当人同士では納得ずくだったり、相手を徹底的にブチのめしたりしていても、そうなります。
だから喧嘩の際は顔を殴らない方が〝実戦的〟であるとも言えるのです。
目に指を突っ込んだり、金たまを潰したりするのを〝実戦的〟であるとする武術や護身術、軍隊格闘技は多いですが、それが〝危険過ぎて使えない〟というのであれば、それは逆に〝実戦的〟ではありません。
本当の武術とは、その時、その時代、その国、その環境に合った、その状況に相応しい行動が出来る、TPO(でしたっけ?)をわきまえた、自由自在の技術であると思います。それが本当の実戦的です。ただ危険なだけでは実際の役には立たない。
ちなみにこの時に使われる技術は痛め付ける用、殺す用、無傷で取り押さえる用みたいに別れているのではなく、同じ術理が根本にあるのが武術だと思ってます。根本は一緒で掃除機のアタッチメントを変えるみたいな感じで目的に応じていく感じです。
合理的に人を殺すのが武術というのはちょっと違うのではないかなぁ、と思いまして、このように書いてみました。武術とは実際に使うものだと思います。(長くてごめんよ)
( ;∀;) 格闘技大好き!
真面目に武術の事を考えている点。
[気になる点]
日本や中国の古武術は、伝統的な練習方法やスタイルにこだわるあまり、イスラエルやロシア、インドネシアの進化していく古武術と比べて時代に取り残されていっていると思います。それは格好良い意味ではなく、遅れているという意味です。実際には役に立たなくなっている。
[一言]
どもども、そこらの喧嘩自慢です。
空手やキックや総合格闘技をかじり、自衛隊も経験し、格闘技を喧嘩で使って来ました。
人生の三分のニくらいを強くなる事に費やしてしまった訳ですが、その経験から、野人さんにそれは違うのではないかと言いたくなりまして、この感想を書いてます。怒らないで頂けるとありがたい。
わたしは武術は人を殺す為のものではなく、〝目的を達する為〟のものであると考えています。
つまり、殺すことが必要な時には殺せ、無傷で取り抑えたい時にはそれができ、痛め付けたい時には焼き加減は自由自在。拐ったりも出来る。それが武術であると思ってます。殺すだけなら別に武術なんていりませんしね。
例えば相手を〝ほどほど〟に痛め付けたい時、手加減をしてほどほどにするのではなく、ほどほどを〝全力〟でやれる。
それが武術ではないでしょうか?
だから武術は、人を殺すにはどうすれば良いかを教わるけれど、練習は相手に痛くないようにおこなう。
相手が痛くないよう、怪我がないように練習する事で、逆にどうすれば相手を怪我させれるか、痛く出来るか、殺せるかが分かる。あと一押しで人を壊せる所がどこかが分かる。
それが分かれば、無闇に強いパンチなどいらないし、気負いや気合もなく静かに人を殺せます。それに殺さなくも出来ます。
武術は殺人術でも活人術でもなく活殺自在なものの事を言うのではないでしょうか?
ちなみにスポーツの格闘技についてですが、あれは練習であると捉えれば、武術の人にも役に立つと思います。
結構合気道や古武術の人とも喧嘩をした経験があるのですが、正直言って強い人に会った事がありません。それは実際にスパーリングや喧嘩なんかの経験がないからだと思います。身体も弱い人が多いです。身体が強くても殴るのを怖がったり、殴られるのを怖がったりします。ロシアの古武術(コサック武術)をやっているロシア人は鬼のように強かった。何故なら古武術とへいこうしてサンボやボクシングもやっていたからです。
レスリングは組技の練習。ボクシングで顔を殴られるのに慣れる。弱いとされているテコンドーは身体能力の強化に最適だし、顔面なしのフルコン空手は近間のガチャガチャした喧嘩の戦いに近い。
練習として格闘技を見れば、武術的に動きがどうとか言って格闘技を避け停滞した武術界に必要なものだという事が分かります。武術の人は格闘技を習いに来ても基本的にスパーリングをするのを嫌う人が多いのですが、その本当の理由は負けるのが嫌だからです。でも格闘技の人から見れば、スパーリングの勝ち負けなんてどうでも良いことでただの練習なのです。そこの意識の差が実際の強さの差になっていると思うのです。
喧嘩をする時、顔を殴ると相手の顔が腫れます。まあ当たり前ですが。
顔が腫れたのを周りの人が見ると、騒ぎます。
それで警察沙汰になったり、そいつの仲間が復讐しに来たりします。
当人同士では納得ずくだったり、相手を徹底的にブチのめしたりしていても、そうなります。
だから喧嘩の際は顔を殴らない方が〝実戦的〟であるとも言えるのです。
目に指を突っ込んだり、金たまを潰したりするのを〝実戦的〟であるとする武術や護身術、軍隊格闘技は多いですが、それが〝危険過ぎて使えない〟というのであれば、それは逆に〝実戦的〟ではありません。
本当の武術とは、その時、その時代、その国、その環境に合った、その状況に相応しい行動が出来る、TPO(でしたっけ?)をわきまえた、自由自在の技術であると思います。それが本当の実戦的です。ただ危険なだけでは実際の役には立たない。
ちなみにこの時に使われる技術は痛め付ける用、殺す用、無傷で取り押さえる用みたいに別れているのではなく、同じ術理が根本にあるのが武術だと思ってます。根本は一緒で掃除機のアタッチメントを変えるみたいな感じで目的に応じていく感じです。
合理的に人を殺すのが武術というのはちょっと違うのではないかなぁ、と思いまして、このように書いてみました。武術とは実際に使うものだと思います。(長くてごめんよ)
( ;∀;) 格闘技大好き!
- 投稿者: 退会済み
- 2018年 10月14日 20時27分
管理
感想ありがとうございます。
クラヴ・マガ、システマ、シラット、海外の武術は近代化して日本の武術は時代遅れと言う感じは確かにあります。
ただ、空手の部位強化なども捨てた物じゃないと思います。極論を言うと、どこでも思い切り指をぶっ刺せばかなりのダメージを与えられますし。
手っ取り早く強くなるなら、総合格闘技とかを習えば良いとは思いますが。
極論を言えばどの武術も状況や使い方で変わるので、何が良いと言うのは個人の目的や好みでしかないと思います。
武術がTPOに合わせて使用されると言うはおっしゃる通りです。私は作中で殺人技術が武術のすべてだと言っているわけではなく、突き詰めていくとそういう物が本質だと書いただけです。
話の主題が本質であり、武術はこういうものですと言う詳しい説明に文章を書くのではなく、危険な部分が本来ある技術なのにそれが失われていると書いているのです、競技がまったく役に立たないとも書いてありません。
『レスリングは組技の練習。ボクシングで顔を殴られるのに慣れる。弱いとされているテコンドーは身体能力の強化に最適だし、顔面なしのフルコン空手は近間のガチャガチャした喧嘩の戦いに近い。』と書かれていますが、私は競技空手がスポーツ化している事に危機を覚えたと言う話を書いているのであって、まったく別のスポーツがいかに実戦で役に立つかを書かれても、そんな事知っていますし、レスリングもボクシングもフルコン空手も経験してます。
たしかに合気道の武術家とか武術家を名乗っているのに実戦に弱い人もいますし、スパーリングを嫌う人もいますが、すべての人がそうではないし、格闘技経験者ならみんな知っているような話を書かれても、正直こまります。だって私の書いたエッセイと全然関係ない話ですから。
武術が殺人だけでなくPTOに沿って使える技術だと言うのはおっしゃる通りです、それが言いたいことなら、その通りです。ただ、関係のない部分が多すぎて何が言いたいのか非常に分かりにくいです。
格闘技が好きだと言う情熱は伝わってくるのですが、私の書いた文章をちゃんと読み解くと言うより、自分の考えや格闘知識をひけらかしたいと思っているのかな? そう思ってしましました。
『怒らないで頂けるとありがたい。』と書いてありましたが、正直怒るどころか呆れています。ここまで独りよがりの文章を感想として書かれた経験がないので正直戸惑っています。
私の作品の感想ではなく、武術談義や格闘技知識自慢がしたいのなら、ネットの何処かの掲示板にお願いします。
クラヴ・マガ、システマ、シラット、海外の武術は近代化して日本の武術は時代遅れと言う感じは確かにあります。
ただ、空手の部位強化なども捨てた物じゃないと思います。極論を言うと、どこでも思い切り指をぶっ刺せばかなりのダメージを与えられますし。
手っ取り早く強くなるなら、総合格闘技とかを習えば良いとは思いますが。
極論を言えばどの武術も状況や使い方で変わるので、何が良いと言うのは個人の目的や好みでしかないと思います。
武術がTPOに合わせて使用されると言うはおっしゃる通りです。私は作中で殺人技術が武術のすべてだと言っているわけではなく、突き詰めていくとそういう物が本質だと書いただけです。
話の主題が本質であり、武術はこういうものですと言う詳しい説明に文章を書くのではなく、危険な部分が本来ある技術なのにそれが失われていると書いているのです、競技がまったく役に立たないとも書いてありません。
『レスリングは組技の練習。ボクシングで顔を殴られるのに慣れる。弱いとされているテコンドーは身体能力の強化に最適だし、顔面なしのフルコン空手は近間のガチャガチャした喧嘩の戦いに近い。』と書かれていますが、私は競技空手がスポーツ化している事に危機を覚えたと言う話を書いているのであって、まったく別のスポーツがいかに実戦で役に立つかを書かれても、そんな事知っていますし、レスリングもボクシングもフルコン空手も経験してます。
たしかに合気道の武術家とか武術家を名乗っているのに実戦に弱い人もいますし、スパーリングを嫌う人もいますが、すべての人がそうではないし、格闘技経験者ならみんな知っているような話を書かれても、正直こまります。だって私の書いたエッセイと全然関係ない話ですから。
武術が殺人だけでなくPTOに沿って使える技術だと言うのはおっしゃる通りです、それが言いたいことなら、その通りです。ただ、関係のない部分が多すぎて何が言いたいのか非常に分かりにくいです。
格闘技が好きだと言う情熱は伝わってくるのですが、私の書いた文章をちゃんと読み解くと言うより、自分の考えや格闘知識をひけらかしたいと思っているのかな? そう思ってしましました。
『怒らないで頂けるとありがたい。』と書いてありましたが、正直怒るどころか呆れています。ここまで独りよがりの文章を感想として書かれた経験がないので正直戸惑っています。
私の作品の感想ではなく、武術談義や格闘技知識自慢がしたいのなら、ネットの何処かの掲示板にお願いします。
- 野人
- 2018年 10月14日 21時38分
[一言]
私は多少キックをベースに総合を齧っています
これは、そんな半端者の持論なのですが
個人的には武道が競技ベースになるのは普及率や新たな技や要素の開拓という面では非常によいと思うのです
人材が増えるとそのぶん競争性がまし全体的なレベルの向上に繋がりますから
私はこの武道の競技へ移行する際の問題は別にあると思うのです
畑違いといいますか、たかが格闘技オタクのキックやってるやつより作者さんのほうがお詳しいと思いますが
例えば空手を一例に挙げても流派は腐るほどあります作中でも触れていた伝統派とフルコンからどんどん枝分かれし
打ち方や体さばき一つ、投げメインにやってるところがあるなども聞いたことがあります
これに関しては他の武道関しても結構そうで、細分化の文化といいますか日本武術特有のところだと思います
しかし、これが競技ベース国際化した際にルール統合される時が問題で
こう言うのは現役選手より、見た時の分かりやすさが重視になるきらいがあるなと私は常々思っていました
個人的にはパンチでもっとも分かりやすいものはボクシング、キックありならばキックボクシングだと思っています
先鋭化したルールに特化した競技だからそりゃそうだと思います
なので、空手をより簡単に分かりやすいルールで査定するとなるとどんどん先鋭化した他技術に食われてしまうのではないか、そしてそれはもとの競技ですらないのではないかと思うわけです
なので、私は競技ベースでの考え方には賛成ですが、そのベースルールを作るさいには現役のそして緒先輩方の意見を煮詰めて武術の体系に基づいた物をつくってほしいなと思っております
私は多少キックをベースに総合を齧っています
これは、そんな半端者の持論なのですが
個人的には武道が競技ベースになるのは普及率や新たな技や要素の開拓という面では非常によいと思うのです
人材が増えるとそのぶん競争性がまし全体的なレベルの向上に繋がりますから
私はこの武道の競技へ移行する際の問題は別にあると思うのです
畑違いといいますか、たかが格闘技オタクのキックやってるやつより作者さんのほうがお詳しいと思いますが
例えば空手を一例に挙げても流派は腐るほどあります作中でも触れていた伝統派とフルコンからどんどん枝分かれし
打ち方や体さばき一つ、投げメインにやってるところがあるなども聞いたことがあります
これに関しては他の武道関しても結構そうで、細分化の文化といいますか日本武術特有のところだと思います
しかし、これが競技ベース国際化した際にルール統合される時が問題で
こう言うのは現役選手より、見た時の分かりやすさが重視になるきらいがあるなと私は常々思っていました
個人的にはパンチでもっとも分かりやすいものはボクシング、キックありならばキックボクシングだと思っています
先鋭化したルールに特化した競技だからそりゃそうだと思います
なので、空手をより簡単に分かりやすいルールで査定するとなるとどんどん先鋭化した他技術に食われてしまうのではないか、そしてそれはもとの競技ですらないのではないかと思うわけです
なので、私は競技ベースでの考え方には賛成ですが、そのベースルールを作るさいには現役のそして緒先輩方の意見を煮詰めて武術の体系に基づいた物をつくってほしいなと思っております
感想ありがとうございます。
確かに、普及すると技術は増えますよね。
総合格闘技も、近年すごいレベルで進化してますし、ブラジリアン柔術も競技が盛んになった事で、モダン柔術の50/50やベリンボロなんて言う、映像を見ても何をやっているのか分からないぐらいの高等技術を多くの選手が使う様になりました。
おっしゃる通り、空手は流派があり過ぎてそもそもひとつの競技としてまとめるのは難しいと思います。
空手競技として分かりやすくするために、空手成分をどんどん抜いて行くと、手わざだけならボクシングに勝てないと言うのは分かります。
シンプルを突き詰めていくと同じような形になるので、空手から空手らしさを抜いたものは最初からシンプルベースの競技に潰されると言うのはおっしゃる通りです。
空手独自の物を残しつつ、競技として分かりやすくする。とても大変な作業ですが、後世に空手と言う物を残すためには必要な事なのかもしれません。
確かに、普及すると技術は増えますよね。
総合格闘技も、近年すごいレベルで進化してますし、ブラジリアン柔術も競技が盛んになった事で、モダン柔術の50/50やベリンボロなんて言う、映像を見ても何をやっているのか分からないぐらいの高等技術を多くの選手が使う様になりました。
おっしゃる通り、空手は流派があり過ぎてそもそもひとつの競技としてまとめるのは難しいと思います。
空手競技として分かりやすくするために、空手成分をどんどん抜いて行くと、手わざだけならボクシングに勝てないと言うのは分かります。
シンプルを突き詰めていくと同じような形になるので、空手から空手らしさを抜いたものは最初からシンプルベースの競技に潰されると言うのはおっしゃる通りです。
空手独自の物を残しつつ、競技として分かりやすくする。とても大変な作業ですが、後世に空手と言う物を残すためには必要な事なのかもしれません。
- 野人
- 2018年 10月14日 08時54分
[一言]
術(わざ)に始まり、道に至り、大衆化と共にスポーツとなるという事なのでしょうね。
殺しの技から始まり、極めた先に道理がある。ここまでが国際化以前なのでしょうね。
国際化、大衆化により得点を得る事で評価するように変わり、道に至らなくなった。
道理がないから、極めが消えたと理解しました。
私が解るのは剣道なので、残心か極めにあたるのかな。
スポーツ化により心がなくなったのは残念です。
極めは一撃必殺を求めたものじゃないかと思いました。
きちんと威力のある打撃でなければ反撃される恐れがあり、道理が通らない。因って空手道では一打と認められないのでしょう。
日本柔道は一本を目指すもので、国際化したJUDOはポイントを評価するものとなった。
なので、空手道とKARATEは別物なのでしょうね。
術(わざ)に始まり、道に至り、大衆化と共にスポーツとなるという事なのでしょうね。
殺しの技から始まり、極めた先に道理がある。ここまでが国際化以前なのでしょうね。
国際化、大衆化により得点を得る事で評価するように変わり、道に至らなくなった。
道理がないから、極めが消えたと理解しました。
私が解るのは剣道なので、残心か極めにあたるのかな。
スポーツ化により心がなくなったのは残念です。
極めは一撃必殺を求めたものじゃないかと思いました。
きちんと威力のある打撃でなければ反撃される恐れがあり、道理が通らない。因って空手道では一打と認められないのでしょう。
日本柔道は一本を目指すもので、国際化したJUDOはポイントを評価するものとなった。
なので、空手道とKARATEは別物なのでしょうね。
感想ありがとうございます。
返信が遅れてしまい、申し訳ありません。
おっしゃる通り、大衆化は素晴らしいのですが大衆うけを狙って本質を見失ったと思います。
伝統を維持するために大衆に受け入れて貰う努力をしたのに、大衆に媚びすぎて伝統が失われかけています。
柔道とJUDO,空手道とKARATEは別物だと、私も思います。悲しいですがこれも時代の流れなのでしょうか。
返信が遅れてしまい、申し訳ありません。
おっしゃる通り、大衆化は素晴らしいのですが大衆うけを狙って本質を見失ったと思います。
伝統を維持するために大衆に受け入れて貰う努力をしたのに、大衆に媚びすぎて伝統が失われかけています。
柔道とJUDO,空手道とKARATEは別物だと、私も思います。悲しいですがこれも時代の流れなのでしょうか。
- 野人
- 2018年 10月14日 08時44分
[気になる点]
「武術」と「武道」と「スポーツ」は、全て別物です。
「武術」と「スポーツ」は、ルールが違い、
「武術」と「武道」は、目指すモノが違います。
「武道」と「スポーツ」は、比較する価値がないほどに別物。
もともと違うもの(核にある「本質」が違う)なのですから、「武術」の本質が「スポーツ」には失われている、という論調は、ちょっと筋が違うと思います。
せめて、その「本質」を捉えてから語りましょうよ。
「武術」と「武道」と「スポーツ」は、全て別物です。
「武術」と「スポーツ」は、ルールが違い、
「武術」と「武道」は、目指すモノが違います。
「武道」と「スポーツ」は、比較する価値がないほどに別物。
もともと違うもの(核にある「本質」が違う)なのですから、「武術」の本質が「スポーツ」には失われている、という論調は、ちょっと筋が違うと思います。
せめて、その「本質」を捉えてから語りましょうよ。
感想ありがとうございます。
返信が遅れて申し訳ありません。
おっしゃる通り武術、武道、スポーツはすべて違います。
ですが、町中にある、空手道場にその違いが明言されている事は少ないです。
そして、一般の人がオリンピックをTVで見て空手を見たらそれが空手なんだと思ってしまいます。
私がすべてを混同しているのではなく、世の中のながれが武術、武道、スポーツを混同している現状で武術である空手がスポーツに駆逐されそうな現状に思う事があり、エッセイを執筆しました。
空手に関心のない人は武術、武道、スポーツなどの違いに興味なんてないんです。
オリンピックの正式競技になり、多くの目に触れる事になる競技空手が一般の人のイメージする空手になる事は目に見えています。
その多くの人が目にする競技空手にも、最低限の武術の要素がないと、武術としての空手は衰退していくと感じたのです。
たかあきらの考える本質と私の考える本質は論点が違うのだと思います。
返信が遅れて申し訳ありません。
おっしゃる通り武術、武道、スポーツはすべて違います。
ですが、町中にある、空手道場にその違いが明言されている事は少ないです。
そして、一般の人がオリンピックをTVで見て空手を見たらそれが空手なんだと思ってしまいます。
私がすべてを混同しているのではなく、世の中のながれが武術、武道、スポーツを混同している現状で武術である空手がスポーツに駆逐されそうな現状に思う事があり、エッセイを執筆しました。
空手に関心のない人は武術、武道、スポーツなどの違いに興味なんてないんです。
オリンピックの正式競技になり、多くの目に触れる事になる競技空手が一般の人のイメージする空手になる事は目に見えています。
その多くの人が目にする競技空手にも、最低限の武術の要素がないと、武術としての空手は衰退していくと感じたのです。
たかあきらの考える本質と私の考える本質は論点が違うのだと思います。
- 野人
- 2018年 10月14日 08時40分
[良い点]
あまり見ない視点での考察かつ丁寧な思考の辿り方
[一言]
私も空手を習っていました。今では古流の抜刀術や柔術を齧っています。
空手は一応伝統だったと思いますが、防具を着けた組手もかなり遣ってましたね。禁じ手なんかもチョロチョロ教えて貰っていたかも……
それが高じて、今では人を切れる事を目指しています。実際に使うかは別ですが。
個人的に「武」の本質に惹かれているのかも知れません。
あまり見ない視点での考察かつ丁寧な思考の辿り方
[一言]
私も空手を習っていました。今では古流の抜刀術や柔術を齧っています。
空手は一応伝統だったと思いますが、防具を着けた組手もかなり遣ってましたね。禁じ手なんかもチョロチョロ教えて貰っていたかも……
それが高じて、今では人を切れる事を目指しています。実際に使うかは別ですが。
個人的に「武」の本質に惹かれているのかも知れません。
感想ありがとうございます。
平和な時代の使えない技術だからこそ、引かれる部分があるのかもしれません。
『武』の本質が効率的な殺人方法なのは取り繕えない事実なので。
危険な物に惹かれる部分や、失われつつある技術を習得する事で、技術が消える事を防いだり、自分だけが知っていると言う優越感に浸れたり、純粋に自分の技量の向上が嬉しかったり。
本質に近い『武』は危険な部分も多いですが、とても魅力的ですよね。
平和な時代の使えない技術だからこそ、引かれる部分があるのかもしれません。
『武』の本質が効率的な殺人方法なのは取り繕えない事実なので。
危険な物に惹かれる部分や、失われつつある技術を習得する事で、技術が消える事を防いだり、自分だけが知っていると言う優越感に浸れたり、純粋に自分の技量の向上が嬉しかったり。
本質に近い『武』は危険な部分も多いですが、とても魅力的ですよね。
- 野人
- 2018年 09月29日 17時44分
[良い点]
面白いです。
こんなにきれいな言葉での考察を経験者がしているのに触れることがあんまりないので新鮮です。
授業で剣道柔道に触れたことがあるくらいのレベルの自分は理解しきれていないかもしれませんが内容にすべて共感します。
[一言]
合理的な動きがきれいに感じると言うのはすごくしっくり来ます。
自然選択説的にも、そう言う合理的動きができる生き物の方が高い能力を有しているので、マッチングなどの際にそう言う所作を行う個体を選ぶ傾向があったと考えると説明がつき、証明は困難だと思いますがそう言う風に脳ができているんだと思います。
面白いです。
こんなにきれいな言葉での考察を経験者がしているのに触れることがあんまりないので新鮮です。
授業で剣道柔道に触れたことがあるくらいのレベルの自分は理解しきれていないかもしれませんが内容にすべて共感します。
[一言]
合理的な動きがきれいに感じると言うのはすごくしっくり来ます。
自然選択説的にも、そう言う合理的動きができる生き物の方が高い能力を有しているので、マッチングなどの際にそう言う所作を行う個体を選ぶ傾向があったと考えると説明がつき、証明は困難だと思いますがそう言う風に脳ができているんだと思います。
感想ありがとうございます。
面白い、きれいな言葉、とても嬉しいです、ありがとうございます。
武道の道場や格闘技のジムに行かないとなかなか戦いに関する考察や理論は触れる機会がないですからね。
授業で触れただけでも十分だと思います。
わずかだけでも体を通して経験した事はしっかりと残っているので、自分が思っている以上に理解出来ていると思います。
共感していただけて嬉しいです。
なるほど、合理的な動きをする方が生き残りやすいし、繁殖相手として魅力的に映るように進化したという事ですね。
非常に合理的で納得できる理由だと思います。
勉強になりました、ありがとうございます。
面白い、きれいな言葉、とても嬉しいです、ありがとうございます。
武道の道場や格闘技のジムに行かないとなかなか戦いに関する考察や理論は触れる機会がないですからね。
授業で触れただけでも十分だと思います。
わずかだけでも体を通して経験した事はしっかりと残っているので、自分が思っている以上に理解出来ていると思います。
共感していただけて嬉しいです。
なるほど、合理的な動きをする方が生き残りやすいし、繁殖相手として魅力的に映るように進化したという事ですね。
非常に合理的で納得できる理由だと思います。
勉強になりました、ありがとうございます。
- 野人
- 2018年 05月27日 07時28分
[一言]
返信ありがとうございました。
さらに考えるキッカケとなり、とても良かったです。
まずは、すみません。
競技化しなくても武道の本質が失われて……という私の書き込みは、武道ではなく“柔術が失われると危惧されて競技化した”という個別の話を混同して書いていたところがあり、不適切な見解であったと思います。
このような思い込みを正すキッカケともなりましたので、とても感謝しております。
そして、機械化したら武道・武術がどうなるのか? なぜ失われてしまうのか? 防ぐ方法は? などを考察する事ができましたので、参考になりました。
たしかに機械化で人の感覚を廃してしまうと武術は困難ですし、自分で書いたVR技術への認識不足を自覚できました。
それは“VR技術で武道・武術、その本質の再現”を模索するとすれば必要な考察になりますので、良かったと思います。
その考察を基に小説を書いてみたいのですが、設定だけ固めてもダメなので難儀しております。
最後に、私が筆者さんの趣旨を理解できていなかったことも思い至りました。大変恐縮です。
まだ勘違いしているかもですが、スポーツ化というブランドで作られた“紛い物の武道”によって、犠牲者が出ないか心配だ。という話だったのでしょうか。
例えるなら、ワイン(武道)の本質よりも手軽さやイメージを重視したブランド(スポーツ化)が持て囃される昨今、そんな“紛い物で本質を失ったワイン”に、多くの人が騙されて被害に合うのが心配……という理解のほうが、最初の書き込みよりはいいかもですね。武道だけに?
返信ありがとうございました。
さらに考えるキッカケとなり、とても良かったです。
まずは、すみません。
競技化しなくても武道の本質が失われて……という私の書き込みは、武道ではなく“柔術が失われると危惧されて競技化した”という個別の話を混同して書いていたところがあり、不適切な見解であったと思います。
このような思い込みを正すキッカケともなりましたので、とても感謝しております。
そして、機械化したら武道・武術がどうなるのか? なぜ失われてしまうのか? 防ぐ方法は? などを考察する事ができましたので、参考になりました。
たしかに機械化で人の感覚を廃してしまうと武術は困難ですし、自分で書いたVR技術への認識不足を自覚できました。
それは“VR技術で武道・武術、その本質の再現”を模索するとすれば必要な考察になりますので、良かったと思います。
その考察を基に小説を書いてみたいのですが、設定だけ固めてもダメなので難儀しております。
最後に、私が筆者さんの趣旨を理解できていなかったことも思い至りました。大変恐縮です。
まだ勘違いしているかもですが、スポーツ化というブランドで作られた“紛い物の武道”によって、犠牲者が出ないか心配だ。という話だったのでしょうか。
例えるなら、ワイン(武道)の本質よりも手軽さやイメージを重視したブランド(スポーツ化)が持て囃される昨今、そんな“紛い物で本質を失ったワイン”に、多くの人が騙されて被害に合うのが心配……という理解のほうが、最初の書き込みよりはいいかもですね。武道だけに?
感想ありがとうございます。
武道としての本質が失われる事も悲しいですが、一番危惧しているのはスポーツ空手と武道としての空手の区別が付かないまま、学んでいる門下生が多いという事です。
私の思い違いかもしれませんが、スポーツ空手より武道「空手」の方が門下生が集まる気がします。
ワインで例えると、武道「空手」のラベルを貼った中身がスポーツ空手のワインが市場に溢れていて、ワインに詳しい人以外は、自分がラベルを偽装されたワインを飲んでいる事に気付かないでいるのが問題かと思います。
ワインの偽装なら味の問題だけなんですが、護身術だと大変危険です。
武道空手が上等でスポーツ空手が下等と考えているわけではなく、同じ空手でも全然違うものだとしっかり理解していないといざと言う時、危険だと思います。
武道の空手は護身術、スポーツ空手は健全な精神と肉体の形成やオリンピックなどの競技で活躍するための物という違いをちゃんと指導している人は少ないです。
スポーツ空手の勢力が増して、ワイン市場に偽装ラベルが溢れ、いつの間にか偽装されたワインが本物だと言われる日がくるのではと危惧しています。
武道だけにブドウ、とんちが利いてますね。
武道としての本質が失われる事も悲しいですが、一番危惧しているのはスポーツ空手と武道としての空手の区別が付かないまま、学んでいる門下生が多いという事です。
私の思い違いかもしれませんが、スポーツ空手より武道「空手」の方が門下生が集まる気がします。
ワインで例えると、武道「空手」のラベルを貼った中身がスポーツ空手のワインが市場に溢れていて、ワインに詳しい人以外は、自分がラベルを偽装されたワインを飲んでいる事に気付かないでいるのが問題かと思います。
ワインの偽装なら味の問題だけなんですが、護身術だと大変危険です。
武道空手が上等でスポーツ空手が下等と考えているわけではなく、同じ空手でも全然違うものだとしっかり理解していないといざと言う時、危険だと思います。
武道の空手は護身術、スポーツ空手は健全な精神と肉体の形成やオリンピックなどの競技で活躍するための物という違いをちゃんと指導している人は少ないです。
スポーツ空手の勢力が増して、ワイン市場に偽装ラベルが溢れ、いつの間にか偽装されたワインが本物だと言われる日がくるのではと危惧しています。
武道だけにブドウ、とんちが利いてますね。
- 野人
- 2018年 03月09日 17時53分
[良い点]
武道や武術の現状、その考え方について、とても参考になり興味深かったです。
[一言]
武道・武術は、競技化しなくても本質が失われていったことでしょう。
その場合は『武道・武術そのものが失われる』という形であり、100が0になるという失われ方だったと思いますが。
そう考えると、なるほど『競技化してでも失伝を遅くしよう』と努力した先達の判断は、偉大だなぁと思います。
嘉納治五郎さんマジ武道の神様。
というわけで、『競技化したから失われている』というよりも、まだ『競技化したから少しでも残っている』という結論に至りました。
必要性がないものは、どうしても失われます。
それは、筆者さんも『必要が無いから技を伝えない』ということで、実践されていることだと思います。
ゆえに、嘆くべきは競技化の弊害ではなく、武道の本質を安全かつ合理的に残す方法が難しいことだと思いました。
まぁもしかしたら、将来はVR技術によって『様々な伝統や技能』が本質ごと残せるかもしれませんが。
なろう的にも、そちらの方が面白そうですし。
ただしスポーツ化、テメーはダメだ。
その目的の多くが、技術の保存などではなく、ルールを決定できる勢力が勝つためのモノになっているからです。
雑魚キャラが負けた時の行動をやっているわけですね。
で、無理が通れば道理が引っ込んでしまうので、元となった本質なんて残りません。
だから柔道やレスリングなどの種目はもちろん、バレーやスケートなどの様々な種目で、歪なルール変更による本質の崩壊が存在するのでしょう。
どちらにしても、古くから伝わる『必要性が滅多にないけど残したくなるもの』を伝承してくれている方々には、とても感謝したいと思いますた。
どうもありがとうございます。
武道や武術の現状、その考え方について、とても参考になり興味深かったです。
[一言]
武道・武術は、競技化しなくても本質が失われていったことでしょう。
その場合は『武道・武術そのものが失われる』という形であり、100が0になるという失われ方だったと思いますが。
そう考えると、なるほど『競技化してでも失伝を遅くしよう』と努力した先達の判断は、偉大だなぁと思います。
嘉納治五郎さんマジ武道の神様。
というわけで、『競技化したから失われている』というよりも、まだ『競技化したから少しでも残っている』という結論に至りました。
必要性がないものは、どうしても失われます。
それは、筆者さんも『必要が無いから技を伝えない』ということで、実践されていることだと思います。
ゆえに、嘆くべきは競技化の弊害ではなく、武道の本質を安全かつ合理的に残す方法が難しいことだと思いました。
まぁもしかしたら、将来はVR技術によって『様々な伝統や技能』が本質ごと残せるかもしれませんが。
なろう的にも、そちらの方が面白そうですし。
ただしスポーツ化、テメーはダメだ。
その目的の多くが、技術の保存などではなく、ルールを決定できる勢力が勝つためのモノになっているからです。
雑魚キャラが負けた時の行動をやっているわけですね。
で、無理が通れば道理が引っ込んでしまうので、元となった本質なんて残りません。
だから柔道やレスリングなどの種目はもちろん、バレーやスケートなどの様々な種目で、歪なルール変更による本質の崩壊が存在するのでしょう。
どちらにしても、古くから伝わる『必要性が滅多にないけど残したくなるもの』を伝承してくれている方々には、とても感謝したいと思いますた。
どうもありがとうございます。
感想ありがとうございます。
極端な話ですが、肉体が機械化するなどの大きな変化がない限り、競技化しなくても武術はなくならないと思います。
空手を例に出しますと、競技化しなかった場合、オリンピック競技にもならず、沖縄などの一地方で盛んなマイナー武術として残ったと思います。
必要がないから伝えないのは、私の指導している道場の門下生は、競技が強くなりたい中高生や定年後の趣味やダイエットで始めた人など、武術としての空手を強く求めていない人が多いからです。
ボディーガード、警察官、軍人、指導するかは別にして、暴力を生業にしている人など、危険な技の需要はあるので武術の側面が強い空手はなくならないと思います。
マイナーだけど本質は失われず、純度は高かったと思います。
メジャーになった方がよかったのか、マイナーのままがよかったのか私にはわかりません、もしマイナー武術のままなら私が空手に出会うこともなかったでしょうが本質はしっかり残ったと思います。
もちろん、競技化した先人たちへ尊敬の念を持ってます、嘉納治五郎先生も尊敬しております。
昔は一部の天才と呼ばれている人たちだけが感覚で行っていた、投げる前に重心を崩すと言う、今では小学生でも知っている基本を初めて体系化した人物であり、武道家としても指導者としても非常に優れた人物だったと思います。
自分が愛した武術の発展を望むのは当たり前の事なので競技化へと進んだ是非は私には判断しかねます。
VR技術の発想はすばらしいと思います、目からうろこでした。
かゆい うま様がおっしゃる通り、一番の問題はスポーツ化とスポーツ化した物を武道だと言って指導する指導者に問題があると思います。
私は指導するとき、競技化された空手を指導しているから過信するなと中高生に伝えてます。
ところが多くの道場では競技化されたスポーツ空手を武道として教えています、これは商業的に仕方のない事ではありますが。
うちの道場のように採算無視で館長の空手への恩返しという理念なら別ですが、商業として利益を出さなければいけない状態で。
実戦ではあまり役にたたない競技空手を教えてます! 門下生募集中! と募集文を掲載して商業的に採算が取れるほど人がくるのか? たぶん無理だと思います。
なのでスポーツ空手を指導しておきながらさも武道である空手を教えてます、護身術ですと言った顔をして指導しています。
こういった偽者と本物が乱立し、学ぶ側の区別がつかない状態が危険なんです。
スポーツ空手と武道としての空手、指導者がしっかりとその部分を明確にしないと、交雑が進んで純度が下がり、本質が失われていくのだと思います。
極端な話ですが、肉体が機械化するなどの大きな変化がない限り、競技化しなくても武術はなくならないと思います。
空手を例に出しますと、競技化しなかった場合、オリンピック競技にもならず、沖縄などの一地方で盛んなマイナー武術として残ったと思います。
必要がないから伝えないのは、私の指導している道場の門下生は、競技が強くなりたい中高生や定年後の趣味やダイエットで始めた人など、武術としての空手を強く求めていない人が多いからです。
ボディーガード、警察官、軍人、指導するかは別にして、暴力を生業にしている人など、危険な技の需要はあるので武術の側面が強い空手はなくならないと思います。
マイナーだけど本質は失われず、純度は高かったと思います。
メジャーになった方がよかったのか、マイナーのままがよかったのか私にはわかりません、もしマイナー武術のままなら私が空手に出会うこともなかったでしょうが本質はしっかり残ったと思います。
もちろん、競技化した先人たちへ尊敬の念を持ってます、嘉納治五郎先生も尊敬しております。
昔は一部の天才と呼ばれている人たちだけが感覚で行っていた、投げる前に重心を崩すと言う、今では小学生でも知っている基本を初めて体系化した人物であり、武道家としても指導者としても非常に優れた人物だったと思います。
自分が愛した武術の発展を望むのは当たり前の事なので競技化へと進んだ是非は私には判断しかねます。
VR技術の発想はすばらしいと思います、目からうろこでした。
かゆい うま様がおっしゃる通り、一番の問題はスポーツ化とスポーツ化した物を武道だと言って指導する指導者に問題があると思います。
私は指導するとき、競技化された空手を指導しているから過信するなと中高生に伝えてます。
ところが多くの道場では競技化されたスポーツ空手を武道として教えています、これは商業的に仕方のない事ではありますが。
うちの道場のように採算無視で館長の空手への恩返しという理念なら別ですが、商業として利益を出さなければいけない状態で。
実戦ではあまり役にたたない競技空手を教えてます! 門下生募集中! と募集文を掲載して商業的に採算が取れるほど人がくるのか? たぶん無理だと思います。
なのでスポーツ空手を指導しておきながらさも武道である空手を教えてます、護身術ですと言った顔をして指導しています。
こういった偽者と本物が乱立し、学ぶ側の区別がつかない状態が危険なんです。
スポーツ空手と武道としての空手、指導者がしっかりとその部分を明確にしないと、交雑が進んで純度が下がり、本質が失われていくのだと思います。
- 野人
- 2018年 03月08日 18時15分
[気になる点]
人を合理的に殺す技術が武道の本質であれば、競技という死が前提にない条件になった時にスポーツ化しているのでは?
スポーツはルールの中で最大限にできることを探すのが本質なので、武道から外れていくのは当然の流れですね。
古の武道家は殺し合いに生き残った人が名を残して、その周りには死んでいった沢山の名も無き武道家がいると思います。
社会が成熟して人を殺すことが許されない世の中で、武道で名を残すことが不可能になった今、武道の名を冠したスポーツで名を残すためには仕方ないでしょう。
武道を修めて、武道の技術の中からスポーツのルール外の技術を使わずに勝つのが理想的なのでしょうが、自分は武器も含めたルール外の攻撃も念頭に置いて相手はそうではないのであれば、相当なハンディキャップですよね。でも、それでも勝つのが武道なのでしょう。
[一言]
フェンシングの攻撃権は実際に剣を向けられた時の恐怖心をルール化したものだそうです。
死なないと分かっていれば、剣先を向けられても攻撃を優先することを防ぐためだとか。素人には分かりにくいです。
人を合理的に殺す技術が武道の本質であれば、競技という死が前提にない条件になった時にスポーツ化しているのでは?
スポーツはルールの中で最大限にできることを探すのが本質なので、武道から外れていくのは当然の流れですね。
古の武道家は殺し合いに生き残った人が名を残して、その周りには死んでいった沢山の名も無き武道家がいると思います。
社会が成熟して人を殺すことが許されない世の中で、武道で名を残すことが不可能になった今、武道の名を冠したスポーツで名を残すためには仕方ないでしょう。
武道を修めて、武道の技術の中からスポーツのルール外の技術を使わずに勝つのが理想的なのでしょうが、自分は武器も含めたルール外の攻撃も念頭に置いて相手はそうではないのであれば、相当なハンディキャップですよね。でも、それでも勝つのが武道なのでしょう。
[一言]
フェンシングの攻撃権は実際に剣を向けられた時の恐怖心をルール化したものだそうです。
死なないと分かっていれば、剣先を向けられても攻撃を優先することを防ぐためだとか。素人には分かりにくいです。
感想ありがとうございます。
問題は競技として空手をしている人が武道として空手をやっていると思っている事が多いと言う事です。
空手をスポーツと呼ばれて格闘技だ! と怒る人の多くは競技の練習に多くの時間を割いてます。
武道を練習しているつもりで競技用に最適化された、前につんのめった当てるだけの手打ちの突きが役に立つと思っている人が多いのです。
競技として練習しているのか競技の大会も出るけど武道として練習しているのか、しっかり理解して練習していないと有事の際の判断を誤って危険です。
名を残すために競技をがんばるのも良いと思います、尊敬もしてます、平和な時代で名を残すためには武道ではなく『競技』に最適化された動きが必要な事もわかります。
しかし、名を残すために競技としての空手を学んでいるという自覚が大事だと思います。
うまくまとめられませんでした、長文失礼しました。
問題は競技として空手をしている人が武道として空手をやっていると思っている事が多いと言う事です。
空手をスポーツと呼ばれて格闘技だ! と怒る人の多くは競技の練習に多くの時間を割いてます。
武道を練習しているつもりで競技用に最適化された、前につんのめった当てるだけの手打ちの突きが役に立つと思っている人が多いのです。
競技として練習しているのか競技の大会も出るけど武道として練習しているのか、しっかり理解して練習していないと有事の際の判断を誤って危険です。
名を残すために競技をがんばるのも良いと思います、尊敬もしてます、平和な時代で名を残すためには武道ではなく『競技』に最適化された動きが必要な事もわかります。
しかし、名を残すために競技としての空手を学んでいるという自覚が大事だと思います。
うまくまとめられませんでした、長文失礼しました。
- 野人
- 2018年 02月14日 18時11分
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