感想一覧
▽感想を書く[良い点]
なろう小説の文章ってそんなにひどいの?
ほらよ日刊1位に輝いた小説やで
http://yomisoku.com/archives/11076027.html
ここで紹介されていました。
[気になる点]
バカ「なろうは低質!読む価値ない!!」 俺「? 素人が書いてるんだから低質なのが多くなるのは当然でしょ」
http://blog.livedoor.jp/isaacalwin1219/archives/27001773.html
[一言]
編集者や第三者が校正していないものを商業化しないでほしいと思いました。
なろう小説の文章ってそんなにひどいの?
ほらよ日刊1位に輝いた小説やで
http://yomisoku.com/archives/11076027.html
ここで紹介されていました。
[気になる点]
バカ「なろうは低質!読む価値ない!!」 俺「? 素人が書いてるんだから低質なのが多くなるのは当然でしょ」
http://blog.livedoor.jp/isaacalwin1219/archives/27001773.html
[一言]
編集者や第三者が校正していないものを商業化しないでほしいと思いました。
- 投稿者: 文法・視覚設計・組版・校正・校閲・品質管理
- 2021年 09月06日 20時29分
[一言]
別にコミュニティのなかに引きこもってる分には文句はないのに、コミュニティから出て我が物顔でのさばってるのが気に食わん。
テンプレだろうがなんだろうが面白ければ文句はないのに、どれもこれも人気作の焼き回しや設定の使い回し、酷い物だとマトモな文章になってなかったり設定が数ページ後には矛盾しだす始末。
中には増長して「息抜きで書いたから設定の矛盾や粗はスルーして」とか抜かす作家サマもいる、誰とは言わんがね。
これがまだコミュニティの中だけなら本当に文句はないよ、読まなけりゃいいだけだし。
だが書籍化までされているのに禄に推敲や校正もせず売りに出すのは流石にどうなの?
一生懸命に書いてる人やプロの作家を馬鹿にしすぎ。
そういったものを全部ひっくるめてなろう作家だって馬鹿にされてるのをいい加減気付こうよ。
どんなに味のいい料理店でも外見から見て取れるほど不衛生なら誰も入らない、むしろ悪評が立つ。
それと同じで看板の作品が内容や作家の人間性も含めて劣悪過ぎる。
あと批評されるのが嫌なら公開すんな、アホくさ。
つまり「ぼくちんの妄想キモいって言わないでー」って?それなら身内だけで仲良しごっこしとけよ。
今じゃこのサイトもプロの編集者が定期的に見に来るくらいのサイトだぞ。
昔より閲覧者が多いんだから増えた人ごとに好みや意見が「多様化」されてる。
書き手の「多様化」された「自由」な作品は認めろと言うに読み手の「多様化」された「自由」な意見はやめろって?
何が「寛容になれ。時代を受け入れろ。」だよ。
寛容になれてないのも時代を受け入れられてないのも自分だろ。
上記で記述した通り、ここはもう素人がのんびり出来る場所じゃなくなって「アマチュアが編集者へアピールする場所」になってんだよ。
だからと言って素人の拙い文章を投稿するなってことじゃない。
投稿するならそれなりの批評を食らう覚悟で投稿しろってこと。
中二病を拗らせたような文章と矛盾だらけの主張をどうも。
主張を受け入れると言いつつ全く受け入れていない点、ごちゃごちゃと御託を並べた癖に見事、ブーメランが頭にぶっ刺さってる点、自分は分かってますよ的な訳知り顔で何もわかっていない厚顔無恥丸出しの蛇足。
全部ひっくるめてテンプレなろう作家の悪い見本でした。
別にコミュニティのなかに引きこもってる分には文句はないのに、コミュニティから出て我が物顔でのさばってるのが気に食わん。
テンプレだろうがなんだろうが面白ければ文句はないのに、どれもこれも人気作の焼き回しや設定の使い回し、酷い物だとマトモな文章になってなかったり設定が数ページ後には矛盾しだす始末。
中には増長して「息抜きで書いたから設定の矛盾や粗はスルーして」とか抜かす作家サマもいる、誰とは言わんがね。
これがまだコミュニティの中だけなら本当に文句はないよ、読まなけりゃいいだけだし。
だが書籍化までされているのに禄に推敲や校正もせず売りに出すのは流石にどうなの?
一生懸命に書いてる人やプロの作家を馬鹿にしすぎ。
そういったものを全部ひっくるめてなろう作家だって馬鹿にされてるのをいい加減気付こうよ。
どんなに味のいい料理店でも外見から見て取れるほど不衛生なら誰も入らない、むしろ悪評が立つ。
それと同じで看板の作品が内容や作家の人間性も含めて劣悪過ぎる。
あと批評されるのが嫌なら公開すんな、アホくさ。
つまり「ぼくちんの妄想キモいって言わないでー」って?それなら身内だけで仲良しごっこしとけよ。
今じゃこのサイトもプロの編集者が定期的に見に来るくらいのサイトだぞ。
昔より閲覧者が多いんだから増えた人ごとに好みや意見が「多様化」されてる。
書き手の「多様化」された「自由」な作品は認めろと言うに読み手の「多様化」された「自由」な意見はやめろって?
何が「寛容になれ。時代を受け入れろ。」だよ。
寛容になれてないのも時代を受け入れられてないのも自分だろ。
上記で記述した通り、ここはもう素人がのんびり出来る場所じゃなくなって「アマチュアが編集者へアピールする場所」になってんだよ。
だからと言って素人の拙い文章を投稿するなってことじゃない。
投稿するならそれなりの批評を食らう覚悟で投稿しろってこと。
中二病を拗らせたような文章と矛盾だらけの主張をどうも。
主張を受け入れると言いつつ全く受け入れていない点、ごちゃごちゃと御託を並べた癖に見事、ブーメランが頭にぶっ刺さってる点、自分は分かってますよ的な訳知り顔で何もわかっていない厚顔無恥丸出しの蛇足。
全部ひっくるめてテンプレなろう作家の悪い見本でした。
[一言]
言いたいことは分かる。
ここは素人達の場所だもの。イラストと同じで上手くても下手でも更新止まっても問題は無い。
でも「感想欄」がある以上酷評がくるのは仕方ない。むしろ感想もらえるだけまし、一番悲しいのは頑張った作品が誰の目にも止まらない事だから。
問題はプロ意識の無い作家連中を拾い上げて何も手を付けず売り出した金に目のくらんだ連中。もちろん金が入る以上腐ってもプロになるから釣られて売り出した作家も同罪。成功者もいるけど。
そういった駄作に異世界転生が多かった、それだけだよ。
言いたいことは分かる。
ここは素人達の場所だもの。イラストと同じで上手くても下手でも更新止まっても問題は無い。
でも「感想欄」がある以上酷評がくるのは仕方ない。むしろ感想もらえるだけまし、一番悲しいのは頑張った作品が誰の目にも止まらない事だから。
問題はプロ意識の無い作家連中を拾い上げて何も手を付けず売り出した金に目のくらんだ連中。もちろん金が入る以上腐ってもプロになるから釣られて売り出した作家も同罪。成功者もいるけど。
そういった駄作に異世界転生が多かった、それだけだよ。
[一言]
それっぽく言って格好付けているのが本当に痛々しい
クソみたいな駄作にクソだと言って何が悪い
人の評価が受け入れられないなら投稿しない方が良い
それっぽく言って格好付けているのが本当に痛々しい
クソみたいな駄作にクソだと言って何が悪い
人の評価が受け入れられないなら投稿しない方が良い
[気になる点]
言いたい事は、なんとなく分かります。
しかし、小説投稿サイトの成り立ちなどを持ち出すのであれば、読者の批判的な感想も含めて“なろうの成り立ちの一部”であると思います。
度が過ぎた“誹謗中傷”などは論外ですけど、適度な批評たちが「なろうはワシが育てた!」と言える一面もあると思いますので、それを否定されるような文章では矛盾があると思うからです。
そもそもネット上に作品を晒すということは、とても勇気がいることだと思います。
それでも『批評されない』チラ裏より、多くの作者さんたちが『批評される』のだとしてもネット上に晒すということを選んだからこそ、なろう等の小説投稿サイトが存在するのだと思います。
ゆえに第三者が批評を制限しようというのは、小説投稿サイトの成り立ちを無視しており、作者さんたちの意思を蔑ろにしていると感じました。
そして感想というのは、批評や酷評も含めて『ブレーンストーミング』の一種だと思います。
的外れな感想だったり、誹謗中傷などはダメですけど。
そんな批評や酷評を否定するのは、ブレーンストーミングの原則にも反しますし、批評や酷評が溢れる『現在の』小説投稿サイトに挑戦する作者さんたちへの『侮り』ではないでしょうか?
批評が嫌なら『感想を受け付けない』という手段があるのに、それをしない作者さんへの批評を心配するなんて、過保護ですし『寛容さと、時代への適応力が不足』していると思います。
[一言]
とはいえ、批評や酷評に全く問題が無いとは言いません。
では何が問題なのでしょうか?
私が思いますに、批評に対する『耐性』と、批評する側の『辛辣さ』に個人差があることでしょう。
全く同じ批評でも、利用歴が長くて投稿作品も多い作者さんは平気かもしれません。
逆に、まだ批評耐性が低い作者さんだと、批評に流されて迷走したり、最悪は作品の放棄や削除、退会まであるかもしれませんね。
読者の利用歴でも、辛辣さの度合いに違いが出るでしょう。
つまり、ネトゲなどにおける『弱者狩り』が(批評する読者の意図さえ無関係に)できてしまうことが、問題であり原因なわけです。
その対策の一つとして『感想を受け付けない』があるわけですが、それだと0か1での対策にしかならず、だから『耐えられないほど批評』≒ 酷評が問題になるのでしょう。
それでも「楽園を取り戻したい!」とおっしゃるのであれば、楽園を維持できるシステムか投稿サイトを創るしかありません。
それこそが、寛容になって時代を受け止めるってことです。
何故なら、文中にある『新しい文化』も『新しい楽園』も含め、全ては変化していくのですから。
言いたい事は、なんとなく分かります。
しかし、小説投稿サイトの成り立ちなどを持ち出すのであれば、読者の批判的な感想も含めて“なろうの成り立ちの一部”であると思います。
度が過ぎた“誹謗中傷”などは論外ですけど、適度な批評たちが「なろうはワシが育てた!」と言える一面もあると思いますので、それを否定されるような文章では矛盾があると思うからです。
そもそもネット上に作品を晒すということは、とても勇気がいることだと思います。
それでも『批評されない』チラ裏より、多くの作者さんたちが『批評される』のだとしてもネット上に晒すということを選んだからこそ、なろう等の小説投稿サイトが存在するのだと思います。
ゆえに第三者が批評を制限しようというのは、小説投稿サイトの成り立ちを無視しており、作者さんたちの意思を蔑ろにしていると感じました。
そして感想というのは、批評や酷評も含めて『ブレーンストーミング』の一種だと思います。
的外れな感想だったり、誹謗中傷などはダメですけど。
そんな批評や酷評を否定するのは、ブレーンストーミングの原則にも反しますし、批評や酷評が溢れる『現在の』小説投稿サイトに挑戦する作者さんたちへの『侮り』ではないでしょうか?
批評が嫌なら『感想を受け付けない』という手段があるのに、それをしない作者さんへの批評を心配するなんて、過保護ですし『寛容さと、時代への適応力が不足』していると思います。
[一言]
とはいえ、批評や酷評に全く問題が無いとは言いません。
では何が問題なのでしょうか?
私が思いますに、批評に対する『耐性』と、批評する側の『辛辣さ』に個人差があることでしょう。
全く同じ批評でも、利用歴が長くて投稿作品も多い作者さんは平気かもしれません。
逆に、まだ批評耐性が低い作者さんだと、批評に流されて迷走したり、最悪は作品の放棄や削除、退会まであるかもしれませんね。
読者の利用歴でも、辛辣さの度合いに違いが出るでしょう。
つまり、ネトゲなどにおける『弱者狩り』が(批評する読者の意図さえ無関係に)できてしまうことが、問題であり原因なわけです。
その対策の一つとして『感想を受け付けない』があるわけですが、それだと0か1での対策にしかならず、だから『耐えられないほど批評』≒ 酷評が問題になるのでしょう。
それでも「楽園を取り戻したい!」とおっしゃるのであれば、楽園を維持できるシステムか投稿サイトを創るしかありません。
それこそが、寛容になって時代を受け止めるってことです。
何故なら、文中にある『新しい文化』も『新しい楽園』も含め、全ては変化していくのですから。
[一言]
本当に酷評されているのはなろうテンプレではなく、なろう小説が低品質だという点ではないでしょうか。
なろう作品の低品質化自体は、何年も前からなろう内のエッセイなどでも言われ続けていることですし、私も間違っているとは思いません。
極端な話、なろうではどれだけ人の目に付くかというだけで獲得ポイントが決まりますから仕方の無いことなのかもしれません。
しかし、そういった低品質作品のメディア展開により「なろう系」というレッテルが生まれてしまったことも個人的には非常に問題だと思っています。
これにより、WEB小説原作と言うだけで少なくない消費者を遠ざけてしまっているのです。このことについて作者様はどう思われますか?
本当に、なろうの現状が新しい流行の形なのでしょうか。
素人作家の楽園というのも、最近のなろうを見ていれば遠い昔の出来事のように感じてなりません。
時代を受け入れるべきなのは、果たして本当に一部の批評家だけなのでしょうか。
本当に酷評されているのはなろうテンプレではなく、なろう小説が低品質だという点ではないでしょうか。
なろう作品の低品質化自体は、何年も前からなろう内のエッセイなどでも言われ続けていることですし、私も間違っているとは思いません。
極端な話、なろうではどれだけ人の目に付くかというだけで獲得ポイントが決まりますから仕方の無いことなのかもしれません。
しかし、そういった低品質作品のメディア展開により「なろう系」というレッテルが生まれてしまったことも個人的には非常に問題だと思っています。
これにより、WEB小説原作と言うだけで少なくない消費者を遠ざけてしまっているのです。このことについて作者様はどう思われますか?
本当に、なろうの現状が新しい流行の形なのでしょうか。
素人作家の楽園というのも、最近のなろうを見ていれば遠い昔の出来事のように感じてなりません。
時代を受け入れるべきなのは、果たして本当に一部の批評家だけなのでしょうか。
[一言]
藤子・F・不二雄氏の、「エスパー魔美」のお言葉、台詞を借りるようですが。
公表された作品については見る人全部が自由に批評する権利を持つ。どんなにこきおろされても、画家にはそれを妨げることはできないんだ。それが嫌なら誰にも見せないことだ。
つまり酷評されるのも貶されるのも、読者全員が平等に持つ権利。私の言いたいことは分かりますかね?
藤子・F・不二雄氏の、「エスパー魔美」のお言葉、台詞を借りるようですが。
公表された作品については見る人全部が自由に批評する権利を持つ。どんなにこきおろされても、画家にはそれを妨げることはできないんだ。それが嫌なら誰にも見せないことだ。
つまり酷評されるのも貶されるのも、読者全員が平等に持つ権利。私の言いたいことは分かりますかね?
- 投稿者: 退会済み
- 2018年 02月24日 12時30分
管理
[一言]
引用です。≪小説を読みたい方や、アマチュア作家、オンライン作家、小説サイトを管理の方、プロ作家、出版社、小説業界の方までみんなのための小説サイトです。≫(小説家になろうサイト案内より)揚げ足取りたいわけでは無いですが、別にアマチュア作家のためだけではないはずです。読者だって、ランキングに上がってきたものは面白いんだろうなあって読みますよ。まあ大体面白いです。個性あるので。
個性があるならともかく、薄っぺらく量産型なろうテンプレっぽい何か読まされても「つまんねえよ!」と批判したくもなります。まあ当然ながら私たちはプロの批評家でもないので具体的にどこがともどう改善した方が良いとも言えませんが、それでもわざわざここに出してるわけですから、何かしらの反応は欲しいはずです。良い反応しか欲しくないというのは都合が良すぎます。
面白さにはリアリティが必要なのは一般的に言われてます。説得力が無いのは読んでて困惑しますし。
読者だって読むからには面白い小説が読みたいはずです。酷評だって、作者の支えになるかもしれません。
他の方も言ってらっしゃいましたが、『酷評』『貶め』は違うものではないかと。酷評するなと言われても読者からすれば「なんで面白くないもの面白くないって言っちゃいけないんだよ」って話ですし。自分たちの使ってるサイトに面白くないもの増えても嫌だなあと思います。
なのでアマチュア小説家だけではなく、読者の立場、役割も考えるべきです。
引用です。≪小説を読みたい方や、アマチュア作家、オンライン作家、小説サイトを管理の方、プロ作家、出版社、小説業界の方までみんなのための小説サイトです。≫(小説家になろうサイト案内より)揚げ足取りたいわけでは無いですが、別にアマチュア作家のためだけではないはずです。読者だって、ランキングに上がってきたものは面白いんだろうなあって読みますよ。まあ大体面白いです。個性あるので。
個性があるならともかく、薄っぺらく量産型なろうテンプレっぽい何か読まされても「つまんねえよ!」と批判したくもなります。まあ当然ながら私たちはプロの批評家でもないので具体的にどこがともどう改善した方が良いとも言えませんが、それでもわざわざここに出してるわけですから、何かしらの反応は欲しいはずです。良い反応しか欲しくないというのは都合が良すぎます。
面白さにはリアリティが必要なのは一般的に言われてます。説得力が無いのは読んでて困惑しますし。
読者だって読むからには面白い小説が読みたいはずです。酷評だって、作者の支えになるかもしれません。
他の方も言ってらっしゃいましたが、『酷評』『貶め』は違うものではないかと。酷評するなと言われても読者からすれば「なんで面白くないもの面白くないって言っちゃいけないんだよ」って話ですし。自分たちの使ってるサイトに面白くないもの増えても嫌だなあと思います。
なのでアマチュア小説家だけではなく、読者の立場、役割も考えるべきです。
[一言]
その分け方をするならば、ネット小説とは別の言葉を作らなければならない。そうでなくては、同じ所を歩くだけである。
プロが書いた物が、ネットにある状態であればネット小説とし、素人やアマが書いた物には、ネット素説(しろうせつ)などの言葉を作り、定義し、文化とするべきだと思う。
それであれば、全く別物だと言えるので、変な批判はでないだろう。批判した方が笑われる形になると思う。書きたい物を、とことん書ける場所にするならば、明確な定義と揺るがない地盤が必要だと思う。
文壇ではないが、グループで内々に定義し拡散する事で、新たな書き手と読み手を守る事にもなるだろう。
自由とは頭の中だけであり、実際の行動に反映し過ぎると困難に直面したりする。ネット小説を一括りにせず、分けて考える事でバランスを取る事も必要だ。
数が多くなり、そういうテコ入れが必要な時期なのかもしれないと感じた。
その分け方をするならば、ネット小説とは別の言葉を作らなければならない。そうでなくては、同じ所を歩くだけである。
プロが書いた物が、ネットにある状態であればネット小説とし、素人やアマが書いた物には、ネット素説(しろうせつ)などの言葉を作り、定義し、文化とするべきだと思う。
それであれば、全く別物だと言えるので、変な批判はでないだろう。批判した方が笑われる形になると思う。書きたい物を、とことん書ける場所にするならば、明確な定義と揺るがない地盤が必要だと思う。
文壇ではないが、グループで内々に定義し拡散する事で、新たな書き手と読み手を守る事にもなるだろう。
自由とは頭の中だけであり、実際の行動に反映し過ぎると困難に直面したりする。ネット小説を一括りにせず、分けて考える事でバランスを取る事も必要だ。
数が多くなり、そういうテコ入れが必要な時期なのかもしれないと感じた。
感想を書く場合はログインしてください。