感想一覧

▽感想を書く
感想絞り込み
全て表示
1 2 3 Next >> 
[一言]
「そのやり方だと強い不快感を覚える人が出てもおかしくない」ですか、確かに私もそう思いますね。
後何と言うか、特定の嗜好を持つ人に刺さるネタとかエンターテイナーとか自称してますけど、個人的に全く刺さらないと言うか、もう少し広い範囲好かれるやり方はあったんじゃないかなぁとは思います。

だから、不快感を示されたり下品と呼ばれるのも仕方がないかなぁと思います。少なくとも下劣とまでは呼ばれてませんしパワーワードと言うほどの圧は感じませんでした。
自分の言葉が相手にどのように受け取られるのか、相手にどのような印象を与えてしまうのか、私も言葉選びには気を遣ってますが、それでも失敗する事は多々あります。
無礼と冗談のギリギリを攻めるラインを好む方も居ますが、それで失敗して相手を怒らせてしまっても反省するしかないでしょうね。
  • 投稿者: HUNT
  • 2021年 06月24日 20時32分
感想ありがとうございます。

まあ、落ち着いて考えれば「不快感を覚える人は出てもおかしくない」という点には普通は気付けるとは思います。けど、盛り上がってしまうとね、それが見えなくなることもあるのかなと。
全く同じ文章でももう少し穏当な見せ方はあったと思いますし、ああいった見せ方しかできない人をエンターテイナーというか「笑い」を扱う人だとは、あまり思いたくないなあなんて、私は思ったりもします。

言葉がどう受け取られるか、難しいですよね。私も、思ってもみないような受け取られ方をしたことが何度もありますし、そうですね、失敗していることも多々あると思います。……それでも、引けない時は引けなかったりもして、本当にね、難しいとは思います。

まあ、自覚的なもの(自覚的でなくてはいけないもの)にまで共感するつもりはありませんが(笑)

以上です。うん、こんなランキングにも載らない僻地にまで足を運んでいただき、また感想を残していただき、ありがとうございます。
[一言]
>「食べれない料理」みたいな例えをする作品があまり荒れず

そのエッセイの本文読んでないから一般論ですが、普通食べられない料理って言った場合「(自分は)食べられない料理」だと思うって事じゃないですか?
「(誰にも)食べれない料理」だと思うのは流石に穿ち過ぎって気がします。


例えば想定された食べられない料理がシュールスレミングであれば、私としては食べ物とは認めたくないですが熱烈なファンが居るのも事実ですし、一般受けしないが深く刺さるの表現としてはむしろ的確な表現の気もします。

  • 投稿者: たりばん
  • 2021年 04月07日 14時19分
ごめんなさい。その「食べれない料理」のくだり、表現をかなりマイルドに変えています。エッセイ本文にも書きましたが、そのエッセイの作者自体に悪気はないだろうなあと思いますし、それを明らかにしたいわけではないので、具体的な表現は差し控えさせてください。

ただ、そのエッセイの中で、作者自身がはっきりとランキング作品を美味しい料理に、ランキング外の作品を料理とは言えないものに例えています。好き嫌いの分かれるもの、例えば外人に納豆を食べさせるようなレベルの例えではなかったとだけは言っておきます。

というか、私のエッセイの感想にもその類の例えが書き込まれましたし。もう、「底辺作品はそういう例えをしてもいい」というバイアスが一部の人たちにかかってるとしか思えないのですよ。

スコップしようとしている人がこれから読む作品のことを「料理に例えると食べられないもの」なんて公言するなんて、どう考えたっておかしいに決まってます。なのにそれに気付けない。どこかで価値観を歪まされてるとしか思えないのです。

ホント、自分たちが何を何に例えているのか、気付いて欲しいと本気で思います。
[一言]

 自身の起こしたさざ波……。考え込んでしまいそうです、私には、まだまだ難しい、

 ……けれど、こういったことを出来るようになった時の自身の文章は今とは全く違うのだろうなと想像します。

 そのような日が来るような気は……あまり、自信がありませんが……。自らのしてしまったことから生じる影響に対してきちんと対処をする……そういった姿勢を持つという意識は、……きっと、自らが生み出したものに対して真摯に向き合おうとしている結果から生まれる強さなのだろうなとそう、……思いました。

 不安をもたげないほどしっかりそういった強さをもってらっしゃるのだろうな、って、頭が下がります。

 m(__)m
  • 投稿者:
  • 女性
  • 2020年 06月10日 00時48分
感想ありがとうございます。

うん、これはシンプルに、「有名になりたい」「主張を押し通したい」と思ったのなら、自分の起こす波に流されてはいけない、位で良いと思います。……自分の起こす波に流されるのを避けるために、波を立てないという選択を選んでも良いのですから。

結局ね、有名になりたい人の中には、良いところばかりしか見ていない人も多いと思うのです。実際には、ちょっとした発言が大きな波になって返ってきたりすることもある。それって良いことばかりじゃない、むしろ大変なことなんだよと言いたいのです。
そして、何かを押し通したいのなら、その結果として生まれた波を人のせいにしてはいけない。それは自分の起こした波だと自覚しないと、結局は自分の起こした波にのまれて押し流されてしまうという結果で終わってしまうのかなと。

あまりに波が大きくなりすぎてどうしようも無いこともあるとは思います。無駄に波に飲まれる位なら逃げた方が良い時だってあると思います。それでも、その波は「自分が起こした」ということだけは意識しておいた方が良いのかなと。

自分の起こした波に「立ち向かう」でも「受け止める」でも「逃げない」でもない。それでも、常にその波の方に視線を向けて「向き合う」のは大切かなと、そう思う訳です。

……それにね、例えどんな結果になったとしても、それは自分の選択した結果だと思っていた方が、色々と選択の幅は広がのかなと。まあ、世の中って結構理不尽だとは思いますけどね。だからといってその理不尽を「私は悪くない」と言って片付けてしまうと、次の理不尽にも同じように「私は悪くない」と言う羽目になってしまいます。

理不尽の犠牲者のままでいたくないのであれば、まずは結果を見て、それは自分の行動の結果だと認識した方が良いのかなと。「有名になりたい」「主張を押し通したい」と思ったのなら、それだけは忘れないようにしないと、結局は自分の起こした波に流されてしまうかなと、そんな風に思うのです。

結局は、手の届く範囲、無理のない範囲でいいから、強くあった方が本人にとっても幸せかなと、そんな風に思うのですが、どうでしょう。

……と、うん。短くまとめようとしてるんだけど、なかなかまとまらないなぁと(爆)
懲りずに読んでいただければ嬉しいです。

それでは ノシ
[一言]
痛み……。そうですね。最近、ふと思えてしまったことと重なってしまったので、……少し、失礼します。

**

 確かに物語の展開上、主人公以外のモブの不幸まで痛みを描写してしまえば物語の軸がぶれてしまうように思えてしまうことがあります。私は、そのせいなのかどうなのか、心情を描写出来ないキャラクターを物語に登場させることが苦手で書ききれる自信がないので、なかなか出来ません。たった数行のみ登場して命を落とすようなキャラクターは今の私では生み出せないのです。

 面白げな行為をする人描写なら辛うじて出来るかもしれません。それも数人ですが……。その人物を個として描き出そうとすれば、背景に出来なくなってしまいます。


 ……最近、思うのは、そういった背景にすり込まれるような人々の描写まで出来るようになれば、もう少しだけ
筆力が上がったと言えるのかな……と、ぼんやり思えてきたことです。私は、文章を書くことが本当に下手くそですが、客観的な描写に徹することが特に苦手で……背景や物語の背景となるような名もない人々を描写することも苦手です。

 **

 ……それは、上手く言えないのですが、想像が出来ないのではないのです。想像出来るように頭を客観的な目線に切り替える訓練が下手くそ……というのか、描写が苦手な根本はそこにあるように思えてなりません。

 ……例えば、物事の問題が、目の前に一つあるとします。事象

 目の前のものだけに集中して物事を解決する目線さえあればその物語は進んでいくのですが、それだと、その一つの意識に集中すれば良いから、つい、深く心情描写まで入り込んでしまいがちなのですが……、

 それって、客観的描写だけで表現出来る事柄であることだってあるわけではないですか……、私は、そこの書き分けが本当に下手くそで、人を絡ませての間接的な心情表現が出来ないのです、頭がごちゃごちゃになってしまって……余裕がないというのか……。私にとっては、こういったことは高度なことになっていて、頭が三回転ぐらいしないと出来ない芸当なのです、

 ……具体的には、一度、深く心情描写を書いた視点を書いたものを見ながら、その設定に他者を絡ませてもう一度同じ状況を別の書き方で書く案をもう一度書くような感覚です、

 そういった複雑な頭の中の計算が出来ないのは、私が頭が悪いからなのだとも思いますが、それ以上に物語を書くという行為そのものが複雑で難しいからなのではないかとも思えてしまいます。

 仰っているストレス展開だって、試練だって、痛みだって、書き方次第で……練られた展開で……描写力で、甘いも辛いも苦しいも、匙加減を変えるような気がして……。

 ……こういうのって、本当に考えると苦しいですね……。書くことを仕事にされている方に対して、頭が下がります、苦悩の連続にしか思えてならないです、

 ……すみません、弱音と愚痴になってしまいました……、m(__)m

 
  • 投稿者:
  • 女性
  • 2020年 06月10日 00時31分
感想ありがとうございます。

……実は、私の周りには、かなりサクッと登場人物を退場させる人が多くてですね。すぐに命を落とすようなキャラを登場させることができないという意見はちょっと新鮮だな、なんて思いながらこの感想を読ませてもらいました。

でもまあ、物語を面白くするために軽々しくキャラを殺す人とは、私はあまり仲良くできない気がします。第一、私の場合だと、キャラを殺しても、要所要所でキャラがその人のことを思いだしたり心の中で語りかけたりしますからね。死=退場にはなかなかなってくれないのです(笑)

その辺り、自分が満足するように書けないのなら、とりあえず書くのを避けるのもアリだと思います。ただ、書くジャンルやテーマにもよりますが、死を扱えるようになった方が良い話というのは確かにあります。なので、訓練的な意味合いを込めて、短編とかで少し死を扱うことに挑戦しても良いのかな、とも思います。

時間をかけてしっかりと推敲する。書き上げたあと、すぐに公開せずに数日間寝かしておいてから読み返すと、いろんなことが見えたりします。一度公開してしまうと、なんとなく書き上げた気になってしまいますからね。苦手分野に挑戦しながら慎重に、今までよりも頑張ったと自分が思えるところまでは見直してみて、その上で公開すれば、たとえ上手くいかなくても、何か得るところはあるのかな、なんて思います。

  ◇

私の好きななろう作品に「かわいいコックさん」という人気作品があるのですが。作者の霜水無様はこの作品が初投稿作品なのでしょうね。初めて読んだときは私も読み専で、色々と楽しそうに書かれてるなぁなんて思いながら読んでいた記憶があります。……というかまあ、はるか雲の上の人なのですが(笑)

この作品の序盤の見せ場に「糧を得よう」という話があるのですが。この話、同じ話を視点を変えて、計三回も繰り返し書かれています。

・かわいいコックさん(https://ncode.syosetu.com/n7657bb/)
 糧を得よう(ユーリ視点)
 糧を得よう(エリエス視点)

・かわいいコックさん小話部屋(https://ncode.syosetu.com/n0390bd/)
 糧を得よう(ディルナン視点)

……まあ、内一回はおまけ的な扱いだとは思いますが。それでも、この「伝わるまで同じ話を何度も書く」というやり方は、いかにも「なろう作家」らしい書き方かななんて、今でも思っています。

私もね、同じ話を形を変えてみたり別視点で書いてみたりということは何度かしたことがあります。例えば、少年少女の淡い恋愛話を書くのに、まずは少年側の視点で書いて、その後に少女側を書く。そうすると、何か気付きは出てきますからね。それを少年側に反映させて、さらに少女側に反映させてと繰り返す。まあ、最終的に公開したのは少年側の視点だけですが、だからといって少女側の視点で書いた原稿が無駄になった訳じゃないと、今でも思っています。

他に、同じ話を一人称と三人称、さらに客観的な視点で書いてみて見比べたこともあります。色々な書き方を試せば、何がしかの気付きはあると思います。なので、最終的に公開するのが一つだけでも、無駄にはならないのかなと。

  ◇

結局、自分が弱いところ、自分の苦手なところを何とかしようと思ったら、筆を動かすしかないと思います。人よりも時間がかかるかもしれないし、なお他の人には届かないかも知れない。……というか、私も執筆歴は四年弱かな? 文章力という点ではまだまだ初心者です。なので偉そうなことは言えないのですが。

それでもね、今の自分にできないことをしたいのであれば挑戦しないといけないし、どんな手を使ってでも一度は「自分の手で」生み出さないといけない。そして、一度でも結果を出せれば、それは自身への糧になる。そう信じて、とにかく書くのが、なんだかんだで一番かなと。

……まあ、そのスタンスは人それぞれで良いと思いますが。ただ、書く目的がどうであれ、「上手くなりたい」という意識は持ち続けた方が良いと、そう思います。

それを持ち続ければ、少しずつでも前に進むと思いますし、気が付けば遠くまで来ていた、なんてこともあると思うのですが、どうでしょうか? スマートになんてできなくても、最終的に望む姿に少しでも近づくことができればそれで良いのかなと、そんな風に思います。

……うん、また長文になってしまいました。少しごめんなさいです。
[一言]

今晩は。批判コメントですか……。いいなぁ。日常にストレスが溜まり過ぎて正々堂々とやり取り出来る機会を持てる方が羨ましいです。機会があったら、私とどうですか?話題、何か見つけて。

 冗談抜きにして、ブロックと同時に感想欄が消されるという状況、私されたことがないのですけれど、されても別に良いなぁと思ってしまっていたりします。危うい言葉は全てコピペしてとって置いて何かしらの時に纏めて出す事はよくしているので……(当然自分の意見のみ使う形で)ただ、読んでみたかったですね。それだけ残念で……。論破かどうか解らないけれど、無性にぶつかりたくなる気持ちは解らなくもないなぁ、って思います。

  • 投稿者:
  • 女性
  • 2020年 06月07日 22時38分
感想ありがとうございます。
うん、まあ感想が消されたことは、理屈では構わないかなと自分も思っていたのですが。こう、感情面で消化しきれてなかった部分があったのでしょうね。ついこぼしてしまいました(笑)

まあ、実のところ私も「感想が消されるかもしれない」とは思っていて、なのでそのやり取りのほとんどは保存していたのですが。ただ、何故か最後のとき(ブロックしたとき)だけ、「相手が感想を消してくるかも」ということが綺麗に意識から抜け落ちてしまいまして。その分、ちょっと動揺?しちゃったのかな、なんて気がしています。

もう終わった話ですしね。相手が誰かわからないようにしながら少しだけ愚痴をこぼして消化して、あとは過去の話にしてしまえば良いと思っています。別に私も、相手のことを「絶対に許さん」とか思ってる訳でもないですし。

ぶつかりたくなるのは、確かに私もそんな時がありますし、わかる気もしなくもないのかな? うん、どっちだろう(笑)
ただ、人それぞれにぶつかり方も違うでしょうし、受け止め方やぶつかり返し方にも違いがある。で、その相性みたいなのはある気がします。なので、今回はひたすら相性が悪かったのかな、なんて思うようにしようかなと。

……実際私も、癖はある方なので。少なくとも八方美人には程遠いですからね。ぶつかるときはぶつかる、これもある程度は仕方が無いのかな、なんて思います。

あと、批判はほどほどが良いなぁ、なんて(笑)
批判が来ることも込みで書いてますし、反対意見だけ嫌がるつもりもありませんが。でもやっぱり疲れるのです。うん、やっぱりほどほどが良いです。

……正々堂々と書いていただいたのであれば、こちらも正々堂々でありたいなと思っているので、そのことは忘れないように心がけたいなとは思うのですが。うん、感情というのはなかなかに厄介です。

と、うん、結構な長文になってしまいました。少しごめんなさいです。
頂いた感想を一読して、少しくすりとしてしまいました。うん、素直な感想をありがとうございます。
ストレスをため過ぎないようお気をつけください。

それでは ノシ
[一言]
 
 意図が曖昧でも……、そうですね 

 難しいです……、
  • 投稿者:
  • 女性
  • 2020年 05月08日 08時00分
うん、コミュニケーションに明確な答えは無いし、どうやっても簡単にはならないと思います。ただ、私個人としては、そんな器用さを持ち合わせていなくても、それが悪いことだとは思いません。

必要なことは言葉にするし、相手も言葉にしてくれると信じる。そんな前提で、書いてあることを丁寧に読んで、しっかりと返事をする。そんなやり方も、悪くは無いのかなと。まあ、ちょっと大変かも知れませんし、不器用かなとも思いますが。

やり方はね、きっと色々あるのだと思います。自分なりの、自分に恥じないやり方でやれば、それで良いのかなと。

と、ちょっと色々言ってしまいましたが。まあ、こんな考え方もある、そんな程度に読んでくれればと思います。
以上です。言葉を残していただき、ありがとうございます。
[一言]
 
 そうですよね……。少し、反省して……、、私は、書かれている意図を読めないことばかりなのかもしれません……。

 言葉を読み取り適切に伝えるのは、……難しいです、
  • 投稿者:
  • 女性
  • 2020年 05月07日 04時38分
うん、言葉を読み取るのは誰にとっても難しいことだと思います。そのあたりは良い悪いではなく、器用不器用なのかなと。ちゃんと相手の意図を読み取っている人よりも、器用に立ち回って、誤解やすれ違いが問題にならないようにしている、そんな人の方が多いと思います。

ネットは容易に距離を縮めることができる道具ですからね。距離は自分で調整しないといけないのかなと思います。

ちゃんと文章に書かれている意図なら読み取るようにしたいと思います。同時に、書かれていない意図は読み取れなくても仕方のないものだと思います。その書かれていない意図を思い悩むよりは、意図があいまいなままでも付き合っていけるような距離を保つ方が、自分としては健全かな、なんて思います。きっと、「必要なことなら書いてくれる」と思うのも、一つの信頼なのかなと。まあ、これは私の個人的な考えですが。

と、少し微妙なことを言ってしまった気がしますが。なかなかね、上手く言葉がまとまってくれないのです。そこは少しごめんなさいです。

以上です。感想ありがとうございます。
自分も上手く言葉を交わせるようになりたいな、なんて思います。
[一言]
ああ、ネタってこれですね(笑)
どうぞどうぞ(笑)
そう言えば関係ないのですが、新庄剛志選手、プロ野球にまた挑戦すると話題らしいですね。
なんかこう、やりかねないと思わせるところが新庄選手の凄いところと言うか、面白いなあと改めて思いました(笑)
個人的なファンとしては挑戦するその姿勢だけでも十分楽しめます(笑)ではでは\(^_^)/
感想ありがとうございます。

うん、エッセイをちょっと見直したら、なかなかに天然なギャクが自然発生してまして(笑)
思わずネタにしてしまいました。

……でも、間違いなんかじゃないんだからね!

と、言ったところで。
うん、こういったものは天然物ならではの良さがあるとは思いますが。でも、やっぱり狙ってやらないとプロにはなれないですよね。うん、芸人さんは偉大です。

……新庄選手はどっちなんでしょう? 天然ともいえる気がするし、プロともいえる気が。うん、すごいキャラだと思いますが(笑)
ただ、そんなニュースが流れてきて「面白い」と思えるのは何なんでしょうね。うん、もう一つの才能だよねと(笑)

と、以上かな。
ネタの提供、ありがとうございます。

――間違いなんかじゃないんだからね!
[一言]
おはようございます、市境前12アールさん。

文章を書く場というのは、良くも悪くもその場所の特徴が出るようですね。
他の投稿サイトに少し転載を試したりしてみて、そう感じました。

閉鎖的。
独自性で済ませてはいけないような不快な状況が起きることがあるのですね。
ブログ、SNS、小説投稿サイト。それぞれに特徴があり、閉鎖的な部分や、交流によるトラブルが起きるものもある。

初めて文章の投稿や、ネットワークによる交流に接した自分にとっては、どちらもできたなろうはありがたい環境でした。
でも、1年と少し居てみて、
交流するということは、創作活動を支援することも、阻害する事もあるのだと感じています。そういった出来事に出会ったり、耳にしたりしましたので。

エッセイは、なろうという環境では少し難しいのかもしれませんね。
内容によって想像もしていなかった影響が出ることがあるようです。
創作活動の場であるなろうは、創作がまず第一です。
自分は交流自体も大事したいと考えていましたが、状況により難しいと感じるようになっています。
今は交流の距離を模索しているところですね。自分は時に近すぎた気がしますので。

一般的なエッセイが難しいのは、やはりなろうという環境によるものだと、少し感じます。
個々の意見ではなく、交流相手同士の集団としての意見になることもあるからでしょうか?
すみません、はっきりした意見ではなく、漠然とした印象ですね。
感想ありがとうございます。

うん、まあ場所による空気の違いはありますよね。
小説投稿サイトで好まれる作品が違うくらいですから、好まれる言動が場所によって変わるのも当然だと思います。

ただ、いろんな人が集まる場所だと、いろんなことも起こる訳で。
これはもう、ある程度は仕方のないことだと思います。

閉鎖性に関しては、悪いところだけじゃない、むしろ良い面として機能することも多いと、個人的には思っていまして。
まずは「小説を書いて発表する」という「同好の士」がたくさんいて、一つの空気を作り上げているのはね、貴重なことだと思います。
その中で、数人の小さな同好会みたいな感じで活動するのも、交流の幅を広く持って活動していくのも、それは各人の好みなのかなと。
ただ、そう言った活動ができるのも、「小説家になろう」を始めとした「小説投稿サイト」という場所があるからかな、なんて思います。

まあ、ある程度は交流の幅を広げないと、そういった同好会的なものもできないし、そのあたりはバランス感覚みたいなものも要求されるとは思いますが。

エッセイに関して、特に「なろうエッセイ」になりがちなのは、実は単に、書く側がそう意識してしまっているだけなのかなとも思うのですが。
だって、何を書くのも自由ですし、ポイントの付く内容や感想の付く内容を書かなくてはいけないなんて決まりは無いですから。

まあ、自分も反感を買うようなエッセイを書いたことがありますし、あまり偉そうなことは言えませんが。でも、普通「自由に書く」なんて言ったところで、そんなことを書きたいなんて思わないはずなんですよ。

もっとも、不慣れな人が書くネタを探すと、未熟な批判に終始してしまうこともあるかと思いますが。何というのか、そういう論調の方が価値が高いんじゃないかと錯覚しがちなのかな。その辺りは難しいですよね。

本当は、単に「人が見ている場所」ということだけを意識して、自由に活動すればいいはずなんですけどね。書いたものが読まれなくたっていいし、なろうっぽくないものを書いたっていい。でも、一つの意見として「読まれることが正義」みたいな意見が聞こえてくると、書く内容も偏ったりもする。
なかなかね、影響されていないようで影響を受けてしまっているわけで。難しいですね。

まあ、たまには他の空気を吸うのも良いし、そういったことを確認できただけでも良かったのかなと、そんな感じでしょうか。

と、あまりまとまっていなくてアレですが、以上です。
感想ありがとうございました。
[良い点]
「伝えたいことはそのまま、柔らかく包み込むように」

良い言葉ですね。
[一言]
…すみません、何かボケたいのですが、
今回、ネタが出て来ないのです(>_<)

スランプです(;´д`)
感想ありがとうございます。

……最近ちょっとね、「なぜ書くのか」「なぜ学ぶのか」に対し、尖ったようでいながらその実、手抜きを推奨するような意見を目にしてしまいまして。「ちゃんと学ばないといけないよね」みたいな気持ちで書き始めたのですが。

――ただ、「伝えたいことはそのまま、柔らかく包み込むように」という答えは、書いている途中で気付いた答えだったりもします。

なので、まだ信念と言えるようなところに届いていないかもしれません。もしかするとこの先、答えが変わってしまうかも(笑)
まあでも、今のところは、自分としてはしっくりときている言葉です。

感想と、あと、共感いただきありがとうございます。
……なお、別にボケは必須ではないと思います(笑)
1 2 3 Next >> 
↑ページトップへ