感想一覧
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同性愛嫌悪のひと達の掲げる理想の家庭像みたいなやつって、男尊女卑というよりも男卑女卑というか、男性側の権利とか選択の幅もせばめるものだと思うんですよね。
端的にいうと、そんなに他人の人生に口をはさむのが楽しいのかなと不思議でなりません。
この辺は不随意運動で自分の意思でどうしようもないチックや吃音をなじるひと達と似た匂いを感じます。自分の意思で心臓停めてみせてよ!といいたくなる。異性が好きか同性が好きかも自分の意思でなんとかなるんだったら、心臓くらい自在にコントロールできるし、なんだったら羽でもはやして空でも飛べるよね?と。
同性愛嫌悪のひと達の掲げる理想の家庭像みたいなやつって、男尊女卑というよりも男卑女卑というか、男性側の権利とか選択の幅もせばめるものだと思うんですよね。
端的にいうと、そんなに他人の人生に口をはさむのが楽しいのかなと不思議でなりません。
この辺は不随意運動で自分の意思でどうしようもないチックや吃音をなじるひと達と似た匂いを感じます。自分の意思で心臓停めてみせてよ!といいたくなる。異性が好きか同性が好きかも自分の意思でなんとかなるんだったら、心臓くらい自在にコントロールできるし、なんだったら羽でもはやして空でも飛べるよね?と。
- 投稿者: 弓良 十矢 No War
- 2022年 09月16日 17時25分
弓良 十矢 No War 様
感想、ありがとうございます。遅くなりました。
台風14号の全国ツアー(やめて)でそわそわしています。
このエッセイを書いた後もジェンダーやセクシャリティについて考え続けていますが、書きあがらなくて消しまくってます。ごく個人的な問題を大きな主語で語ろうなんてマチガイかもしれないって考えるようになってきました。
だから、言葉の定義を共有するみたいに、最低限の落とし所がみつかればな、と思います。一生添い遂げたい相手が同性だった、って婚姻できない理由にはならないと思うんですよねやっぱり…。異性愛の男女でなければ婚姻はできない理由が子どもの有無なんて言い出したら、病気などで子どもができない人まで差別することに。
同性婚にしろ、夫婦別姓にしろ、選ぶ必要のない人にはなんの不利益もない気がするのです。でも、Bを認めたらAである自分が否定されたように感じる人は結構いるみたい。Bが得するとAである自分が損した気分になるとか(実際はBにもAと同じものが与えられただけ)。自分が損をしてでも他人の得を邪魔する人までいるようですし…。なんの本能なのか…。
『理想の家族像』に拘泥する当人もジェンダーにがんじがらめですよねぇ。男性側の権利や選択の幅も狭まるというご意見に同意します。内面化した規範で当人もつらく苦しいから他人に対して不寛容なのかなと自分を説得するようになりました。自分の心の平穏のために。
わたしは恋心というものがわかりませんけれど、憧れる気持ちもあります。ジェンダーという規範で恋心以前にブレーキをかけるから、つらくても茨の道でも恋心を貫こうとする人たちが彼らも本当はうらやましい…のかもしれません。
とりあえず、賛同しなくていいから否定はしないでほしいものですね。
あきの
感想、ありがとうございます。遅くなりました。
台風14号の全国ツアー(やめて)でそわそわしています。
このエッセイを書いた後もジェンダーやセクシャリティについて考え続けていますが、書きあがらなくて消しまくってます。ごく個人的な問題を大きな主語で語ろうなんてマチガイかもしれないって考えるようになってきました。
だから、言葉の定義を共有するみたいに、最低限の落とし所がみつかればな、と思います。一生添い遂げたい相手が同性だった、って婚姻できない理由にはならないと思うんですよねやっぱり…。異性愛の男女でなければ婚姻はできない理由が子どもの有無なんて言い出したら、病気などで子どもができない人まで差別することに。
同性婚にしろ、夫婦別姓にしろ、選ぶ必要のない人にはなんの不利益もない気がするのです。でも、Bを認めたらAである自分が否定されたように感じる人は結構いるみたい。Bが得するとAである自分が損した気分になるとか(実際はBにもAと同じものが与えられただけ)。自分が損をしてでも他人の得を邪魔する人までいるようですし…。なんの本能なのか…。
『理想の家族像』に拘泥する当人もジェンダーにがんじがらめですよねぇ。男性側の権利や選択の幅も狭まるというご意見に同意します。内面化した規範で当人もつらく苦しいから他人に対して不寛容なのかなと自分を説得するようになりました。自分の心の平穏のために。
わたしは恋心というものがわかりませんけれど、憧れる気持ちもあります。ジェンダーという規範で恋心以前にブレーキをかけるから、つらくても茨の道でも恋心を貫こうとする人たちが彼らも本当はうらやましい…のかもしれません。
とりあえず、賛同しなくていいから否定はしないでほしいものですね。
あきの
- あきの
- 2022年 09月18日 12時12分
[良い点]
指向と嗜好について説明しているのがとてもよくわかりました。
[気になる点]
男性の同性愛嫌悪については触れられているのですが、女性の同性愛嫌悪については考察されていないので是非そちらも考察して頂きたいと思います。
[一言]
繊細な話ですがきちんを考えをまとめられていてとてもよくわかりました。TVなのでは男性の同性愛嫌悪からくる無理解な発言が目立つのでとても同意できます。もっと多様性を許容できる誠実な社会になると暮らしやすいのですけど、なかなか変わらないのが現状ですね。でも一昔前より少しずつ社会に認知されてくるようになってきたのでこれからの変化に期待します。いろいろと言う人もいるとは思いますが、気にしすぎないようにこれからも頑張ってください。私は応援しています。
指向と嗜好について説明しているのがとてもよくわかりました。
[気になる点]
男性の同性愛嫌悪については触れられているのですが、女性の同性愛嫌悪については考察されていないので是非そちらも考察して頂きたいと思います。
[一言]
繊細な話ですがきちんを考えをまとめられていてとてもよくわかりました。TVなのでは男性の同性愛嫌悪からくる無理解な発言が目立つのでとても同意できます。もっと多様性を許容できる誠実な社会になると暮らしやすいのですけど、なかなか変わらないのが現状ですね。でも一昔前より少しずつ社会に認知されてくるようになってきたのでこれからの変化に期待します。いろいろと言う人もいるとは思いますが、気にしすぎないようにこれからも頑張ってください。私は応援しています。
ちがやさま
あたたかい励ましの言葉、ありがとうございます。がんばった部分をほめていただけると、報われた気持ちになります。
ホントにもう嫌がらせかってくらい、返信は相変わらずとても長くなりましたので、お時間のあるときにでもお読みください。ちがやさまの希望されるような考察になっているといいのですが。
>女性の同性愛嫌悪について
男性の同性愛嫌悪を取り上げる以上は、女性のものも…と、思ってはいました。
女性の同性愛嫌悪については、参考になる本人の声がほんと、見つからないんですよ…。わたしの探し方が悪いのかもしれませんが、ご存じの人がいるなら教えてほしいくらいです。数少ない文献に現れた記載は、「女性の同性愛嫌悪についてはジェンダーの問題なので取り上げない」というものでした。(今のところ二か所)
男性であれ、女性であれ、多数派の異性愛者が、同性愛者に恋愛的、性的な関心を向けられることについて「うれしくはない」と思うこと自体は、一般的なことです。恋愛対象でない人から向けられる感情ですから。異性愛者のそういう眼差しだっていやだ、と感じるのと同じことです。
ではなぜホモフォビアと名前がつくほど、男性は同性愛者を拒否することがあるのか? 宗教的にも歴史的にも、日本では同性愛に対して強い拒否反応を示す理由はないじゃないか。というのが一部の「肯定的な」男性の言い分なのですが。
日本人の「空気読み」の文化をして、宗教と同じくらいのレベルで男性の価値観を縛っているのではないかという思想だかルールだかがあるようなんですよ。ホモソーシャル(社会学用語)というんですけれど。ホモは「同一」の意味です。男同士の連帯、男の絆、などとも言われています。アメリカのジェンダー研究者イヴ・セジウィックがフェミではよく引き合いに出されているようですが、日本の男性ホモソーシャルについては前川直哉さんが研究されているようです。(書籍は未読。まだ売ってるかな~…)
セジウィックのいうホモソーシャルは、女性蔑視(ミソジニー)と同性愛嫌悪(ホモフォビア)を基盤にした価値観で、恋愛や性欲ではない友情によって結ばれた固い絆であり、また男性のみで社会を占有するべき、みたいな過激な思想です。過激なフェミが風刺している(風刺が過激になるのは、そもそもこの価値観が過激だったからでは)。(まだ知ったばかりなので解釈が間違っている可能性もあります)同性愛者ではないことを証明するために同性愛を拒絶したり笑いものにしたり、女遊びを肯定、推奨したり。
キャバクラ行くぞとか裸の付き合いとか(女にお茶くみさせるとか、女だけ結婚で「寿」退社とか)。今では男性から男性へのセクハラとして訴訟されておかしくない、と知られるようになりました。しかし医学部の女性受験者の点数が引かれていたとか、いまだに存在している価値観でもあります。
男社会における男性の特権を守るためなので、思考停止して女性や男性同性愛者を悪し様に罵るほうが、都合がいいのです。政治家や会社の上層部、いわゆる上級国民(男性)を指しているのだとマイルドに言い換えているものもありましたが、思考停止するなら一般男性だって多かれ少なかれ…って気はします。ホモソで罵っている人がたくさんいるみたいに。
セクシャリティの問題はジェンダーの問題でもあるんだな~、と痛感する次第です。
(男の絆自体は悪いものではないです。「好きなものを語るときに嫌いなものを引き合いに出すな」って感じかな? それを否定しないと肯定できないの?)
ホモソーシャルを語るときに使われる、伝統的性役割観、性別役割分業意識、という言葉があります。わたしが家制度の名残と認識しているのは、どうやらこれのようです。
男性に男らしさを、女性に女らしさを強要してきた文化、すなわち家制度の負の遺産です。
さて、本題です。女性の同性愛嫌悪については、ジェンダー論である可能性が高いと最初に断りを入れました。どうも具体的に「女性の」で想像はできなかったため、セクシャリティの問題でもっとも影響の大きい親、母親の不寛容、無理解について考えてみました。
今の70~80歳前後の世代、いわゆる団塊の世代ですが、この辺りではまだ普通に、「子どもが出来ないのは畑(女性の胎)が悪い」「子どもの発達障害や身体の障害は母親のせい」「父親に逆らう子どもは母親の育て方が悪い」など、言われています。家父長制における男性は無謬でなければならないからです。家庭をうまく回していくのは女性(専業主婦)の役目だからです。その親の育てた子どもが、いま成人し始めた人たちの親にあたります。
自分はまだ言われたことがなかったとしても、そのように言われていた実例を知っているのです。「自分の子どもが『普通』じゃない」と知って、冷静でいられるでしょうか? 医学・科学の発展により、不妊の原因の半分は男性側、障害の有無は母親のせいでも父親のせいでもない(むやみに決めつけられない)とわかってきました。しかし、嫁、母親に原因を押し付けてきた人々が、冷静に情報をアップデートできているものでしょうか? 残念ながら、それは期待できないと思われます。
「どうして普通(多数派)でいてくれなかったのか」と子どもを責めるのは、母親も抑圧されてきたからかもしれません。
「普通(多数派)だった方がまだ生きやすいのに」という、その時代的には正しい愛情かもしれません。
「女が学問などしなくていい」「もっとやるべきことがあるだろう」と言われてきた無知であるかもしれません。
「好きな人がいたのに、好きでもない人と結婚させられた」恨みかもしれません。
「好きな人と添いたい!」と主張できるようになった時代に対する妬みかもしれません。
これは女性に限らず、男性にも言えることです。同性愛嫌悪とは、そういう側面もあるのではないでしょうか。
えーと、家制度をよく引き合いに出しているのですが、旧華族じゃあるまいし、という突っ込みがありそうですよね? ないかな。
むしろ代々続く名家であった方が、そのように正しく教育、躾を受けているため、まだしも歪みは少ないのではないか、とも思っています。あこがれとともにそれを取り入れようとした成り上がりや中流家庭が、正しくない運用を行ってしまったのではないかと。猿真似、ひそみに倣う、みたいな形だけの模倣です。差別したいわけではありませんが、差別的な表現ですみません。
日本はかつて、一億総中流と言われて(名乗って)いましたからね。(「詳しくは知らないけど存在を知っている」くらいには時代が近い)
『家名を背負う』なんて、そうそうできることじゃないと思うんですよ。幼い頃から、正しく教育を受けているならまだしも。
大抵の男性は、「家名を背負うとはどういうことか?」なんて教育、受けてはいませんよね? いきなりそんな、重くて複雑で形のないものを背負わされても、困りますよね?
今の時代、女だって、行き先を知らずに旗を振っているツアーガイドについていきたくはありません。自分の選んだ相手なら、せめて行き先の相談をしたい。
相手を選ぶ権利がある、と本文で何度も主張しました。男性だけの収入では子どもを育てられない時代になってきました。女性も正社員として働いてもなお、かつかつです。
男が引っ張り、女が黙って従うことでうまくいく社会ではなくなってきたのです。
だからこそ、多様なパートナーの在り方を認めたほうが、社会はうまく回っていくのではないでしょうか。同性婚にしろ、夫婦別姓にしろ。
女性の同性愛嫌悪について、もう一つ語らなければならないことがあります。ほんとに長くて申し訳ありません。
(1970年代に生まれた)ボーイズラブ(少年愛、やおい)がホモフォビア的である、というものです。1990年代やおい論争や、『グインサーガ』栗本薫(中島梓)の発言(あとがき)へ、ゲイ当事者が実名で抗議文を送っていたこととか。(2000年代からは多様な形のBLが増えています。いまも)
「BL愛好者だからわたしはゲイの味方だよ」という、創作と現実の区別がついていない腐女子に対して、同性愛者が嫌悪を覚えている。レイプから始まる恋愛とか、性別を超えた純愛とか、必ず悲恋、悲劇で終わることとか、理想化が極端すぎとか、美少年・美青年しかいないとか、「オレは同性愛者なんかじゃない!」発言などの、BLの内容についても差別的であると。(今はパピエンたくさんあります)
わたし個人としては、「誰の中にもある常識という名の(自覚できない)差別意識」へ繊細に反応している過激な発言のみ残っているようにも思うのですが…。時代背景などを考えると、やおいや少年愛は「男性同性愛者」を指しているのではなく、「伝えたいテーマを描くための表現ツールとして男性同士の恋愛という『設定』にした」女性向け恋愛作品であるように思うのですが…伝えるのが難しそうですよね。「物語や登場人物の魅力を伝えるためには絶対に魔法が必要だから魔法の存在する世界を設定した」と同様。
「BLはファンタジー」であることが、リアルにおける同性愛者への無理解(過度の理想化など)を助長している、なども言われていますが…「ゲームばっかりしているとバカになる」系の意見に思えてしまいます。バカになる人もいるよ、ただ、すべてがそうじゃないでしょう。
セクシャリティは極めてプライベートな情報ですから、デリカシーのない発言には、老若男女が全員、気をつけるべきってことなのではないでしょうか。主語を大きくして叩きに行くんじゃなくて。
あとエロ重視BLは(ほぼ)女性のための性的嗜好品なので、男性のための性的嗜好品(エロ本)がそうなったように、もうちょっと日陰でいいんですよ、とは思っています。
それでも、エロ重視ではないBLについては、人目に触れることで現実の同性愛者に寛容(嫌悪の対義語として)になりうる調査結果もありますので、BL文化自体を叩きに行くのはどうなのかなぁ、という気がします。
(資料を読んでいるとなんとなく納得できるのに、書いていると納得できていないなぁ、BLが同性愛差別だって理論…)
ちなみに腐女子や宝塚ファンやジャニオタを指して、女性のホモソーシャルとも言われています。女性蔑視部分→異性愛者の男性はいらないよ、ってことでしょうか。政治や会社や社会を占有してきた男性に、趣味として楽しんでいる場で「いらないって言うな」って言われてもね…。なんて皮肉な気持ちになりますが。
あたたかい励ましの言葉、ありがとうございます。がんばった部分をほめていただけると、報われた気持ちになります。
ホントにもう嫌がらせかってくらい、返信は相変わらずとても長くなりましたので、お時間のあるときにでもお読みください。ちがやさまの希望されるような考察になっているといいのですが。
>女性の同性愛嫌悪について
男性の同性愛嫌悪を取り上げる以上は、女性のものも…と、思ってはいました。
女性の同性愛嫌悪については、参考になる本人の声がほんと、見つからないんですよ…。わたしの探し方が悪いのかもしれませんが、ご存じの人がいるなら教えてほしいくらいです。数少ない文献に現れた記載は、「女性の同性愛嫌悪についてはジェンダーの問題なので取り上げない」というものでした。(今のところ二か所)
男性であれ、女性であれ、多数派の異性愛者が、同性愛者に恋愛的、性的な関心を向けられることについて「うれしくはない」と思うこと自体は、一般的なことです。恋愛対象でない人から向けられる感情ですから。異性愛者のそういう眼差しだっていやだ、と感じるのと同じことです。
ではなぜホモフォビアと名前がつくほど、男性は同性愛者を拒否することがあるのか? 宗教的にも歴史的にも、日本では同性愛に対して強い拒否反応を示す理由はないじゃないか。というのが一部の「肯定的な」男性の言い分なのですが。
日本人の「空気読み」の文化をして、宗教と同じくらいのレベルで男性の価値観を縛っているのではないかという思想だかルールだかがあるようなんですよ。ホモソーシャル(社会学用語)というんですけれど。ホモは「同一」の意味です。男同士の連帯、男の絆、などとも言われています。アメリカのジェンダー研究者イヴ・セジウィックがフェミではよく引き合いに出されているようですが、日本の男性ホモソーシャルについては前川直哉さんが研究されているようです。(書籍は未読。まだ売ってるかな~…)
セジウィックのいうホモソーシャルは、女性蔑視(ミソジニー)と同性愛嫌悪(ホモフォビア)を基盤にした価値観で、恋愛や性欲ではない友情によって結ばれた固い絆であり、また男性のみで社会を占有するべき、みたいな過激な思想です。過激なフェミが風刺している(風刺が過激になるのは、そもそもこの価値観が過激だったからでは)。(まだ知ったばかりなので解釈が間違っている可能性もあります)同性愛者ではないことを証明するために同性愛を拒絶したり笑いものにしたり、女遊びを肯定、推奨したり。
キャバクラ行くぞとか裸の付き合いとか(女にお茶くみさせるとか、女だけ結婚で「寿」退社とか)。今では男性から男性へのセクハラとして訴訟されておかしくない、と知られるようになりました。しかし医学部の女性受験者の点数が引かれていたとか、いまだに存在している価値観でもあります。
男社会における男性の特権を守るためなので、思考停止して女性や男性同性愛者を悪し様に罵るほうが、都合がいいのです。政治家や会社の上層部、いわゆる上級国民(男性)を指しているのだとマイルドに言い換えているものもありましたが、思考停止するなら一般男性だって多かれ少なかれ…って気はします。ホモソで罵っている人がたくさんいるみたいに。
セクシャリティの問題はジェンダーの問題でもあるんだな~、と痛感する次第です。
(男の絆自体は悪いものではないです。「好きなものを語るときに嫌いなものを引き合いに出すな」って感じかな? それを否定しないと肯定できないの?)
ホモソーシャルを語るときに使われる、伝統的性役割観、性別役割分業意識、という言葉があります。わたしが家制度の名残と認識しているのは、どうやらこれのようです。
男性に男らしさを、女性に女らしさを強要してきた文化、すなわち家制度の負の遺産です。
さて、本題です。女性の同性愛嫌悪については、ジェンダー論である可能性が高いと最初に断りを入れました。どうも具体的に「女性の」で想像はできなかったため、セクシャリティの問題でもっとも影響の大きい親、母親の不寛容、無理解について考えてみました。
今の70~80歳前後の世代、いわゆる団塊の世代ですが、この辺りではまだ普通に、「子どもが出来ないのは畑(女性の胎)が悪い」「子どもの発達障害や身体の障害は母親のせい」「父親に逆らう子どもは母親の育て方が悪い」など、言われています。家父長制における男性は無謬でなければならないからです。家庭をうまく回していくのは女性(専業主婦)の役目だからです。その親の育てた子どもが、いま成人し始めた人たちの親にあたります。
自分はまだ言われたことがなかったとしても、そのように言われていた実例を知っているのです。「自分の子どもが『普通』じゃない」と知って、冷静でいられるでしょうか? 医学・科学の発展により、不妊の原因の半分は男性側、障害の有無は母親のせいでも父親のせいでもない(むやみに決めつけられない)とわかってきました。しかし、嫁、母親に原因を押し付けてきた人々が、冷静に情報をアップデートできているものでしょうか? 残念ながら、それは期待できないと思われます。
「どうして普通(多数派)でいてくれなかったのか」と子どもを責めるのは、母親も抑圧されてきたからかもしれません。
「普通(多数派)だった方がまだ生きやすいのに」という、その時代的には正しい愛情かもしれません。
「女が学問などしなくていい」「もっとやるべきことがあるだろう」と言われてきた無知であるかもしれません。
「好きな人がいたのに、好きでもない人と結婚させられた」恨みかもしれません。
「好きな人と添いたい!」と主張できるようになった時代に対する妬みかもしれません。
これは女性に限らず、男性にも言えることです。同性愛嫌悪とは、そういう側面もあるのではないでしょうか。
えーと、家制度をよく引き合いに出しているのですが、旧華族じゃあるまいし、という突っ込みがありそうですよね? ないかな。
むしろ代々続く名家であった方が、そのように正しく教育、躾を受けているため、まだしも歪みは少ないのではないか、とも思っています。あこがれとともにそれを取り入れようとした成り上がりや中流家庭が、正しくない運用を行ってしまったのではないかと。猿真似、ひそみに倣う、みたいな形だけの模倣です。差別したいわけではありませんが、差別的な表現ですみません。
日本はかつて、一億総中流と言われて(名乗って)いましたからね。(「詳しくは知らないけど存在を知っている」くらいには時代が近い)
『家名を背負う』なんて、そうそうできることじゃないと思うんですよ。幼い頃から、正しく教育を受けているならまだしも。
大抵の男性は、「家名を背負うとはどういうことか?」なんて教育、受けてはいませんよね? いきなりそんな、重くて複雑で形のないものを背負わされても、困りますよね?
今の時代、女だって、行き先を知らずに旗を振っているツアーガイドについていきたくはありません。自分の選んだ相手なら、せめて行き先の相談をしたい。
相手を選ぶ権利がある、と本文で何度も主張しました。男性だけの収入では子どもを育てられない時代になってきました。女性も正社員として働いてもなお、かつかつです。
男が引っ張り、女が黙って従うことでうまくいく社会ではなくなってきたのです。
だからこそ、多様なパートナーの在り方を認めたほうが、社会はうまく回っていくのではないでしょうか。同性婚にしろ、夫婦別姓にしろ。
女性の同性愛嫌悪について、もう一つ語らなければならないことがあります。ほんとに長くて申し訳ありません。
(1970年代に生まれた)ボーイズラブ(少年愛、やおい)がホモフォビア的である、というものです。1990年代やおい論争や、『グインサーガ』栗本薫(中島梓)の発言(あとがき)へ、ゲイ当事者が実名で抗議文を送っていたこととか。(2000年代からは多様な形のBLが増えています。いまも)
「BL愛好者だからわたしはゲイの味方だよ」という、創作と現実の区別がついていない腐女子に対して、同性愛者が嫌悪を覚えている。レイプから始まる恋愛とか、性別を超えた純愛とか、必ず悲恋、悲劇で終わることとか、理想化が極端すぎとか、美少年・美青年しかいないとか、「オレは同性愛者なんかじゃない!」発言などの、BLの内容についても差別的であると。(今はパピエンたくさんあります)
わたし個人としては、「誰の中にもある常識という名の(自覚できない)差別意識」へ繊細に反応している過激な発言のみ残っているようにも思うのですが…。時代背景などを考えると、やおいや少年愛は「男性同性愛者」を指しているのではなく、「伝えたいテーマを描くための表現ツールとして男性同士の恋愛という『設定』にした」女性向け恋愛作品であるように思うのですが…伝えるのが難しそうですよね。「物語や登場人物の魅力を伝えるためには絶対に魔法が必要だから魔法の存在する世界を設定した」と同様。
「BLはファンタジー」であることが、リアルにおける同性愛者への無理解(過度の理想化など)を助長している、なども言われていますが…「ゲームばっかりしているとバカになる」系の意見に思えてしまいます。バカになる人もいるよ、ただ、すべてがそうじゃないでしょう。
セクシャリティは極めてプライベートな情報ですから、デリカシーのない発言には、老若男女が全員、気をつけるべきってことなのではないでしょうか。主語を大きくして叩きに行くんじゃなくて。
あとエロ重視BLは(ほぼ)女性のための性的嗜好品なので、男性のための性的嗜好品(エロ本)がそうなったように、もうちょっと日陰でいいんですよ、とは思っています。
それでも、エロ重視ではないBLについては、人目に触れることで現実の同性愛者に寛容(嫌悪の対義語として)になりうる調査結果もありますので、BL文化自体を叩きに行くのはどうなのかなぁ、という気がします。
(資料を読んでいるとなんとなく納得できるのに、書いていると納得できていないなぁ、BLが同性愛差別だって理論…)
ちなみに腐女子や宝塚ファンやジャニオタを指して、女性のホモソーシャルとも言われています。女性蔑視部分→異性愛者の男性はいらないよ、ってことでしょうか。政治や会社や社会を占有してきた男性に、趣味として楽しんでいる場で「いらないって言うな」って言われてもね…。なんて皮肉な気持ちになりますが。
- あきの
- 2020年 11月28日 00時33分
ちがや様
あたたかい励ましをありがとうございます。『修行中』を読んでからきてくださいましたか? すごくうれしいです。
現在、返信を書いているのですが、女性の同性愛嫌悪について…ものすごく長くなっています…。嫌がらせか、みたいな長さの文章がそのうち届くと思いますが、お時間のあるときにでもお読みいただければさいわいです。
昨日、感想をいただいてから、改めてもう一度検索しなおしていたのですけれど、女性の同性愛嫌悪ってホントにニュースソースが少なくてですね…。テーマの迷走っぷりがすごいので、時間がかかりそうなのです。
あまりお待たせするのも申し訳ないので、取り急ぎお知らせの返信をお送りします。感想を書いてくださり、ありがとうございます。
あきの
あたたかい励ましをありがとうございます。『修行中』を読んでからきてくださいましたか? すごくうれしいです。
現在、返信を書いているのですが、女性の同性愛嫌悪について…ものすごく長くなっています…。嫌がらせか、みたいな長さの文章がそのうち届くと思いますが、お時間のあるときにでもお読みいただければさいわいです。
昨日、感想をいただいてから、改めてもう一度検索しなおしていたのですけれど、女性の同性愛嫌悪ってホントにニュースソースが少なくてですね…。テーマの迷走っぷりがすごいので、時間がかかりそうなのです。
あまりお待たせするのも申し訳ないので、取り急ぎお知らせの返信をお送りします。感想を書いてくださり、ありがとうございます。
あきの
- あきの
- 2020年 11月25日 22時56分
[一言]
感想を書いたり返信を拝読するに、私自身の情報も全然アップデートできてないなぁ、みたいなかんじもあって、古い知識でうっかり失言する政治家さんを一方的に責める事もできないなぁ、なんて思ったりもしました。
そんなぐだぐだな読み専の長い話に、暖かい言葉(熱量的な意味でも)で応えて頂けたのは、ありがたい事であります。
今回の返信も、じっくり目を通しました、ありがとうございますm(__)m
感想を書いたり返信を拝読するに、私自身の情報も全然アップデートできてないなぁ、みたいなかんじもあって、古い知識でうっかり失言する政治家さんを一方的に責める事もできないなぁ、なんて思ったりもしました。
そんなぐだぐだな読み専の長い話に、暖かい言葉(熱量的な意味でも)で応えて頂けたのは、ありがたい事であります。
今回の返信も、じっくり目を通しました、ありがとうございますm(__)m
いえいえいえ、アホほど長い返信を送りつけてしまい、申し訳ありません(;つД`) お読みいただき、ありがとうございます。
勉強を続けるのは大変なことですから、思い出したときにまたちょっと取り組む、くらいのスタンスがいちばん無理がないかな、と思います。(政治家さんは最新情報アプデしろ、それで金もらってる現役だろ。なのです)
わたしはいま、このテーマにはまっていて調べているので、猛然とインプットしているだけです。熱量高いと冷めるのも早い可能性…( ;∀;)
長い間お付き合いいただき、ありがとうございました。
かわずさまのなろうライフが、これからも楽しいものであることを祈っております。お付き合いいただき、ありがとうございました。
勉強を続けるのは大変なことですから、思い出したときにまたちょっと取り組む、くらいのスタンスがいちばん無理がないかな、と思います。(政治家さんは最新情報アプデしろ、それで金もらってる現役だろ。なのです)
わたしはいま、このテーマにはまっていて調べているので、猛然とインプットしているだけです。熱量高いと冷めるのも早い可能性…( ;∀;)
長い間お付き合いいただき、ありがとうございました。
かわずさまのなろうライフが、これからも楽しいものであることを祈っております。お付き合いいただき、ありがとうございました。
- あきの
- 2020年 11月19日 10時30分
[気になる点]
書いている最中もそうではあったのですが、やっぱりいざ感想を書き込もうという時になっても、何を調子に乗って長文垂れ流しているのかと、後悔の念というか羞恥というか慚愧というかに襲われております……。
書けば書くほどエッセイの内容から遠退いている気もするし……ァ゛ァ゛ァ゛
もっと手短に書き直すべきかと思いつつ、えぇい南無三とそのまま送信します……。
長文、乱文申し訳ないっっっ!!!
[一言]
感想やポイントの推移が落ち着いてきた所だったので、今さら感想書いても遅いかなと、内心びくびくしていたので、タイミング良かったのなら、ほっとしました。
他のユーザーとのやり取りに横槍入れるのもどうかと思って控えていましたが、私も議論がどうにも噛み合わない人とごちゃごちゃした経験はありますので、作者さんの気持ちも多少なり想像できます。そこはお互い精進するしかないですね。
>>だから、同性婚反対派が言う『特別な』保護じゃなくて、男女だったら『当たり前』に手に入ったはずの権利を同性だからもらえない、って差別はよくないんじゃない?
この辺は、まさに他のエッセイでは欠けている事の多い部分かと私は感じていて、同性婚を認めて欲しい側のストラテジー(戦略)の一つは、「異性愛が持っているのと同じように同性愛者も持っているはずの権利を返してくれ」って事なんだと思うんです、たぶん。だから、何か新しい権利を生み出してくれとか、同性愛者の為だけに特別な権利を用意してくれ、とか言っている訳ではない(たぶん)。「愛する人と結婚する権利」は既に持っているはずなのに、行使できない現状になっているから何とかしよう、っていう。でも、それを議論に組み込んで展開しているエッセイって、(特に同性婚否定派だと)ほぼ見ない気がしませんか。いや、だからこそ、このエッセイを書いたんだという事なのでしょうけれども。
指向で差別するなというなら、嗜好でも差別するな、って、別におかしな話ではないですよね。ただそういう意見に対しては、「今は指向の話しているんで、ごちゃ混ぜにしないで、それはそれできちんと議論すべきでは?」とも思います。
指向のついでに嗜好の話ができるほど、嗜好の方も単純じゃないでしょ、って思うんです。ちょっとずるい逃げ方かもしれませんが。
おっしゃる通り、同性愛でも異性愛でも指向でも嗜好でも、「相手がいる」っていうのが肝要で、残念ながら必ずそこに問題の種は潜んでいるんですが(#MeToo運動とかね)、ロリ(マイルドな表現)のような嗜好はそれが特に極端に出てきますね。好意を向ける方も単純には論じられないし、好意を向けられる方だって「愛する人を選ぶ権利」をいつまで制限するのかなんて議論は簡単ではない。
マイノリティだって掘り下げはじめたらどんどん細分化していくのは自明ですし、もう、「誰か得意な人、まとめて! それで一緒に勉強しよ!」と言いたくなるかんじはあります。無責任かもしれませんが。
前説が長くなりましたが。
同性愛関連のエッセイであんまり見ないな、と思う一つは、「ロールモデルの不在」です。
同性婚の可否という部分にも関わってくるのですが、同性愛の(特に)若い子にとって、「自分が将来どうなっていくのか」という不安に対して見本となる大人(ロールモデル)がなかなかいないですよね。たとえば、同性婚が広まって、近所に同性フウフが暮らしていたりすれば、自分もあんな風に家庭を築くのかな、とか考えられもしますが、(マイノリティを取り巻く環境は年々変化しているとはいえ)まだ、「同性愛者である自分」が「将来パートナーと暮らしている」姿って、イメージしにくいんじゃないかと思います。社会で働く同性愛者の情報が入ってこないと、「マイノリティとしての自分」がどんな職業に将来つくのだろう、という事すら、想像しにくいのかもしれません(実際はどんな職種にも同性愛者はいるでしょうけど)。
同性愛に不寛容な人は、同性愛者の例として、マツコ・デラックスさんみたいな、所謂オネェキャラを挙げたりしますけれど、同性愛者がみんなあぁいうタイプかと言われるとそれはない訳で。「同性愛としての自分」の将来に悩む若者にしてみても、見本となるのがメディアに露出するオネェやドラァグクイーンの人達やBL・百合もののフィクションばかりとなると……足りてないよね、と思ってしまいます。
ロールモデルの不在と近いのですが、もう一つ気になるのは、「マイノリティとしてのアイデンティティをまだ確立していない人」の存在があまりなろうのエッセイでは意識されていないように思うという点です。
おそらく(個人差はいろいろあるでしょうけれど)ただでさえ多感な思春期に、一番と言って良いほどプライベートな領域である性について他者との違いに悩みながら、同性愛者は同性愛者としてのアイデンティティを確立していく事になる訳ですよね。しかも前述の通りロールモデルは不在気味、誰に相談して良いのかも分かりにくい、目に付きやすい情報は偏り放題、それなりの立場にいる人でさえ同性愛に不寛容な発言をポロリと溢す、テレビでは同性愛を「笑い」として扱ったりもしてる。身近な大人の分かりやすい例である「両親」だって、同性愛に悩む「子」からすれば、「子どもである自分」が生まれているからには彼らは異性愛者であり自分とは違う、と容易に想像できてしまう訳ですよね(実際は既婚子持ちの同性愛者だっていますけども)。
赤の他人が心配するのも差し出がましいのかもしれませんが、ちょっと想像するだけで大事では、と私は思うんですが、その大変な環境(たぶん)に置かれる人達の事は、なろうエッセイではあんまり考慮されてきてないような気がするのです。
どちらかというと、何かにつけて「同性愛者としての自分というアイデンティティを確立している人達」をベースに議論されている感じが個人的にしてます。
……あんまり書くと、どう考えても面倒臭い事を言う人になってしまうので、そろそろ自重します。自分で読み返しても、コイツめんどくせぇなってなってきましたし。あぁ、書いた文章確認して、恥ずかしい気持ちになってきたァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛すみませんすみません
そもそも、そんなこと今さら言われなくても知ってるって事だったかもしれませんし、あぁもう、何と言うかァ゛ァ゛ァ゛ァ゛
作者様が寛大なお心で読み流して下さる事を期待します……m(__)m
書いている最中もそうではあったのですが、やっぱりいざ感想を書き込もうという時になっても、何を調子に乗って長文垂れ流しているのかと、後悔の念というか羞恥というか慚愧というかに襲われております……。
書けば書くほどエッセイの内容から遠退いている気もするし……ァ゛ァ゛ァ゛
もっと手短に書き直すべきかと思いつつ、えぇい南無三とそのまま送信します……。
長文、乱文申し訳ないっっっ!!!
[一言]
感想やポイントの推移が落ち着いてきた所だったので、今さら感想書いても遅いかなと、内心びくびくしていたので、タイミング良かったのなら、ほっとしました。
他のユーザーとのやり取りに横槍入れるのもどうかと思って控えていましたが、私も議論がどうにも噛み合わない人とごちゃごちゃした経験はありますので、作者さんの気持ちも多少なり想像できます。そこはお互い精進するしかないですね。
>>だから、同性婚反対派が言う『特別な』保護じゃなくて、男女だったら『当たり前』に手に入ったはずの権利を同性だからもらえない、って差別はよくないんじゃない?
この辺は、まさに他のエッセイでは欠けている事の多い部分かと私は感じていて、同性婚を認めて欲しい側のストラテジー(戦略)の一つは、「異性愛が持っているのと同じように同性愛者も持っているはずの権利を返してくれ」って事なんだと思うんです、たぶん。だから、何か新しい権利を生み出してくれとか、同性愛者の為だけに特別な権利を用意してくれ、とか言っている訳ではない(たぶん)。「愛する人と結婚する権利」は既に持っているはずなのに、行使できない現状になっているから何とかしよう、っていう。でも、それを議論に組み込んで展開しているエッセイって、(特に同性婚否定派だと)ほぼ見ない気がしませんか。いや、だからこそ、このエッセイを書いたんだという事なのでしょうけれども。
指向で差別するなというなら、嗜好でも差別するな、って、別におかしな話ではないですよね。ただそういう意見に対しては、「今は指向の話しているんで、ごちゃ混ぜにしないで、それはそれできちんと議論すべきでは?」とも思います。
指向のついでに嗜好の話ができるほど、嗜好の方も単純じゃないでしょ、って思うんです。ちょっとずるい逃げ方かもしれませんが。
おっしゃる通り、同性愛でも異性愛でも指向でも嗜好でも、「相手がいる」っていうのが肝要で、残念ながら必ずそこに問題の種は潜んでいるんですが(#MeToo運動とかね)、ロリ(マイルドな表現)のような嗜好はそれが特に極端に出てきますね。好意を向ける方も単純には論じられないし、好意を向けられる方だって「愛する人を選ぶ権利」をいつまで制限するのかなんて議論は簡単ではない。
マイノリティだって掘り下げはじめたらどんどん細分化していくのは自明ですし、もう、「誰か得意な人、まとめて! それで一緒に勉強しよ!」と言いたくなるかんじはあります。無責任かもしれませんが。
前説が長くなりましたが。
同性愛関連のエッセイであんまり見ないな、と思う一つは、「ロールモデルの不在」です。
同性婚の可否という部分にも関わってくるのですが、同性愛の(特に)若い子にとって、「自分が将来どうなっていくのか」という不安に対して見本となる大人(ロールモデル)がなかなかいないですよね。たとえば、同性婚が広まって、近所に同性フウフが暮らしていたりすれば、自分もあんな風に家庭を築くのかな、とか考えられもしますが、(マイノリティを取り巻く環境は年々変化しているとはいえ)まだ、「同性愛者である自分」が「将来パートナーと暮らしている」姿って、イメージしにくいんじゃないかと思います。社会で働く同性愛者の情報が入ってこないと、「マイノリティとしての自分」がどんな職業に将来つくのだろう、という事すら、想像しにくいのかもしれません(実際はどんな職種にも同性愛者はいるでしょうけど)。
同性愛に不寛容な人は、同性愛者の例として、マツコ・デラックスさんみたいな、所謂オネェキャラを挙げたりしますけれど、同性愛者がみんなあぁいうタイプかと言われるとそれはない訳で。「同性愛としての自分」の将来に悩む若者にしてみても、見本となるのがメディアに露出するオネェやドラァグクイーンの人達やBL・百合もののフィクションばかりとなると……足りてないよね、と思ってしまいます。
ロールモデルの不在と近いのですが、もう一つ気になるのは、「マイノリティとしてのアイデンティティをまだ確立していない人」の存在があまりなろうのエッセイでは意識されていないように思うという点です。
おそらく(個人差はいろいろあるでしょうけれど)ただでさえ多感な思春期に、一番と言って良いほどプライベートな領域である性について他者との違いに悩みながら、同性愛者は同性愛者としてのアイデンティティを確立していく事になる訳ですよね。しかも前述の通りロールモデルは不在気味、誰に相談して良いのかも分かりにくい、目に付きやすい情報は偏り放題、それなりの立場にいる人でさえ同性愛に不寛容な発言をポロリと溢す、テレビでは同性愛を「笑い」として扱ったりもしてる。身近な大人の分かりやすい例である「両親」だって、同性愛に悩む「子」からすれば、「子どもである自分」が生まれているからには彼らは異性愛者であり自分とは違う、と容易に想像できてしまう訳ですよね(実際は既婚子持ちの同性愛者だっていますけども)。
赤の他人が心配するのも差し出がましいのかもしれませんが、ちょっと想像するだけで大事では、と私は思うんですが、その大変な環境(たぶん)に置かれる人達の事は、なろうエッセイではあんまり考慮されてきてないような気がするのです。
どちらかというと、何かにつけて「同性愛者としての自分というアイデンティティを確立している人達」をベースに議論されている感じが個人的にしてます。
……あんまり書くと、どう考えても面倒臭い事を言う人になってしまうので、そろそろ自重します。自分で読み返しても、コイツめんどくせぇなってなってきましたし。あぁ、書いた文章確認して、恥ずかしい気持ちになってきたァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛すみませんすみません
そもそも、そんなこと今さら言われなくても知ってるって事だったかもしれませんし、あぁもう、何と言うかァ゛ァ゛ァ゛ァ゛
作者様が寛大なお心で読み流して下さる事を期待します……m(__)m
かわずさま
返信への丁寧な返信をありがとうございます。今回の返信も2話分投稿レベルでむちゃくちゃ長いです、文字もみっしり。4000文字を軽く超えてしまったので、時間のあるときにでも、少しずつお読みください。なんなら読み流してください。ご意見、ありがたく受け取りました。感謝しております。
教えていただいた部分、むずかしい問題だなぁ、って頭を抱えてしまいました。だが望むところです。がんばって考え続けます。
>ロールモデルの不在
ロールモデルの出現は「同性愛カップル(等)が当たり前になった社会」が前提であるように、わたしには思えます。反対派はもちろんいるものの、大多数はそれを「当たり前」とする社会。つまり、LGBT運動が正しく功を奏して、性による差別があらかた解消された後の社会。
そこにやっと現れるかなぁ? というか。現実世界ではまだリスクが高すぎる(生活、命に関わる)印象です。タレントやオネェなどのキャラ付けをしなければ。ドラァグクイーンなどの派手なメイクで武装しなければ。(BLや百合は嗜好品。生きる糧。他のフィクションと同様、そこから拾えるものもある)
異性愛者も、なんらかの問題がないと、情報は発信しないじゃないですか。
最近は、のろけ紛いの夫婦生活とかを描いたものも読めますけど(いいぞもっとやれ。大好きだ)、これも家制度に縛られていた日本人が恋愛結婚と言う選択肢を勝ち取ったから、70年ほどかけてやっと現れ始めているんじゃないかという気がする。
ごく普通のフウフのリアルな生活とかは、同性婚に限らず、異性婚でもあまり出てこないんですよね…。ただ、日常に見回せば目に入るわけで、それが多数派ってことかな、とか。多種多様な夫婦の在り方については、自分好みを「選り取り見取り」できる。結婚を選ばないことも含めて。
しかし彼らだってわざわざ自分から発信はしないでしょう? 「自分たちなんて普通ですよ」と「普通のフウフの生活なんて、なにもおもしろくないでしょ?」のコラボ。あと、私生活は覗かれたくないとか、恥ずかしいとか。
ってなると、同性婚当事者も同じ人間ですから、ロールモデルとしての現実での出現は…。
――となると、小説やマンガの出番かもしれないんですが…。
いま行われているLGBT運動は、過渡期である証明、象徴でもあるわけですよね、おそらく。ロールモデルって言葉は、理想とする社会が見え始めた証のように思えます。希望があるというか。わたしはまったく考えたこともありませんでした…お恥ずかしい。
よしながふみ先生の『きのう何食べた?』とかはゲイの人の日常生活っぽい気もしますが…まあ、ご存じですよね。2007年に(もうだいぶ長い…)1巻目が出ているんですが、25~40代ごろのサラリーマンが読むマンガ雑誌モーニング掲載ってことで、注目されました。当初、ゲイであることを必死に隠していた主人公が、いまは少しなら見られてもいいかな…みたいな心境の変化を起こしているところが、時代を映しているように思えます。長期連載中の現実を見ると、セッ○ス部分を取り除けば同性愛も、それこそ衆道だ男色は文化だと言っている日本人男性なんで、意外と受け入れているのかなとか思えたりもします。
>「マイノリティとしてのアイデンティティをまだ確立していない人」の存在があまりなろうのエッセイでは意識されていない
これは非常にデリケートな問題かなぁと、エッセイ的なものを書いてみて思います。
仮に、青少年に向けて書くというのは、影響力の大きさに二の足を踏みます。ペンや鉛筆で書かれたものより、活字になっているものを読むって、書籍ほどじゃなくても、真実に見えやすいんですよね。(今は言われていないのかな。昔はそのように言われていました) 現在の、デジタルネイティブな若い人たちは、間違いがあって当然と理解しているかもしれませんが…どうなのかな。耳に心地よい言葉だけ聞いてしまって、詐欺にあったり犯罪に巻き込まれたりするのは、成人していたってひっかかるリスクです。巧妙な詐欺は、ほとんど真実を語っている中にほんの一滴、うそを混ぜるのだとか。
書いている人がどれだけ勉強していても、間違っていることはある。わたしも子どもの頃は、本に書いてあることに間違いがあるかもなんて疑ったことがありません。そしてまだ、並べて比べられるほど量をたくさんは読めない。学校の勉強も、友達付き合いも、部活も、自分のセクシャリティに悩む時間も、ちゃんと眠る時間も必要ですから。
そこで本ばかり読んでいると、おとなになっても会話などでうまくコミュニケーション出来ないなんて苦労が生まれますし。(ただでさえセクシャリティに悩んでいるというのに)
教科書だって精査を重ねて発行されているのに、やはり改訂は行われます。素人が書いて、編集者や校閲者が入るわけでもなく、素人が感想を寄せている『なろう』でそれを扱うのは、ちょっと怖いなぁ、というのが、わたしの意見です。論文ではない以上、情報の発信だけじゃなくて、私見が入るので。
いや、だます気はないけれども。一滴のうそのように間違ったことを信じさせてしまったら取り返しがつかないような気がして怖いです。相手はこれからぐんぐん成長していくのですから、「あいつ間違ってんじゃん(笑)」って受け流せるようになるかもしれませんが。
(素人が投稿して素人が感想をくれることが、この投稿サイトの一番の長所だと思っています。それくらい手軽な場所で、当たり前に語られるのがいちばん説得力もあるんでしょうが…)
アイデンティティ確立済みの方ならば自分の考えをお持ちだろうっていう、甘えですかね。あ、エッセイ投稿自体がやっぱりまずかったんじゃないかという気持ちに…。いやいやしかし当事者じゃないからその話題に触らない、っていうのも…。
全年齢版に書いていることを自覚して、論調には気をつけることにします…。
子どもにとって、両親の影響はたしかに大きいですよね。恋愛結婚が主流となりましたが、『義務』で結婚して子を作っている人だって普通に存在するでしょう。そういう人にとっては、異性愛者である方がまだ社会では生きやすい、と思っているかもしれない。あるいは自分が選ばざるを得なかった現実を肯定するために、あえて同性愛(等)に不寛容な態度をとることもあり得る、のかなとか。パターナリズム的(本人不在)な『子どもの幸せのため』とか。
うーん…。
やっぱり、子どものうちにちゃんとした性教育を行なうのが一番スムーズに進む(でも人間の一生を考えれば長い時間はかかる)気がするのですが…モンペとかが現れるらしいですね。子どもが勉強することを邪魔する親とか、実際いるらしいので(貧困家庭のごく一部とか。女が学問なんて、もまだ言われますし)。まずは同じ内容で親に講演を聞かせたら…理解を拒否する人間もいるか…。2003年七生養護学校事件(たとえ話が伝わらなかったりすることもあるため赤裸々な面はあったのかもしれないが、教育として伝えるための努力は必要だろう)とかも性教育の難しさを示している様子だし…。
(ますます、少子化とは関係ないですよね…。楽しみのための行為という認識だから、子どもに聞かせるのは不適切って思うのでは? とか邪推したくなる…)
なんだか、考えれば考えるほど、「セクシャリティによる」差別ではなく、人権侵害の差別のひとつって気がしてきました…テーマは同性婚問題なのに。
個々人が幸福を追求してもいい「基本的人権」について、日本人はもっとしっかり考えて、議論を交わすべきなのかもしれない。これからの子どもたちの未来のために、「これが正解だから丸呑みにしろ」って教育を、変えなきゃならないのかもしれない。
そしてどのような立場であろうと、人々の中にモンスターは現れる。ペアレントもチルドレンもティーチャーも存在するのだから、対策は考えなければいけない。
現在のところ、わたしにはこれが精いっぱいです。かわずさまのおっしゃるポイントの方向性が間違っていないといいのですが…自信はあまりありません(苦笑い)。
かわずさまがおっしゃる長文の半分はわたしの愚痴に対する返答じゃないですか。なんてありがたいのか。PZNを聞いたときに「(まじめに考えなきゃならない問題なのは理解できるが)うるせぇ」ってイラついた理由がわかりました。それだ。難しい問題なのに別の難しい問題を持ってきてかき回しているのにイラついたんだ…。ありがとうございます、それだわ…。
そして話のかみ合わない人へ不寛容だったのも、それだわ…。難しい問題について考えているのに、論点を『恣意的に』ずらしたような意見ばかり主張するのにイラついたんだ…。「対話する気のない相手と付き合うのはリアルだけで腹いっぱいです、よそでやってくれ」だったんだ…。
許容量の小さい(少ない?)コミュ障なので、精進します。
LGBT法連合会(当事者とアライグループの連合)
性的指向および性自認を理由とするわたしたちが社会で直面する困難のリスト(第2版) (2015年9月)
↑を読んでみたんですが、「セクシャリティによる差別」ではなくない? って項目がけっこうあるんですよね…。それみんな不快に思っているよとか苦労しているよとか言えそうな部分が多い。セクマイ『だったら』保護される、なんて逆差別になりえます。だから『当たり前の権利』について、肯定派自身が洗いなおさないといけないのかもしれない。(わたしは変わらず、同性婚肯定派です)
LGBT当事者の意見は「当たり前の権利を認めて」だけど、LGBT運動当事者の意見は「特別な保護」の可能性が出てきました。運動の方も、一概に否定はできないんですよ? 青少年期の相談先がわからない、ロールモデルがいない、みんなができていることをできない苦しみを経て今があるから、後に続く世代へ少しでも救いになれば、って考えとかかも、だし。
ただ、運動の方は当事者だけじゃない上に、現在追い風の吹いている団体ですから、自分の利益をメインに据えて行動している人がいるかもしれないだけで…。
反対派が叫ぶ「LGBTに対する特別な保護だろ、それ」が間違いじゃなくなるんですよねぇ、すべての人が受け取っていいはずの権利、人権問題だとすると。反対派に多い、声の大きい人の「一緒に苦しもうぜ」って姿勢がどうかとは思いますが。いっしょにしあわせをめざそうぜ…(ため息)。
そしてやっぱり政治の問題に行きつく。
おそらくは、人々の生活に余裕があれば、異物を『過剰に』攻撃する必要はなくなるわけですよ(異物の排除は遺伝子に組み込まれているレベルの生き残り戦術。だがいじめはダメ!)。子どもを産んで育てることに希望を持てる社会なら、少子化問題も解消するし、自分と違う人へも多少寛容になれると思いません?
――人々の生活の余裕…。まずは給料を上げてくれ、とか(笑)。
返信への丁寧な返信をありがとうございます。今回の返信も2話分投稿レベルでむちゃくちゃ長いです、文字もみっしり。4000文字を軽く超えてしまったので、時間のあるときにでも、少しずつお読みください。なんなら読み流してください。ご意見、ありがたく受け取りました。感謝しております。
教えていただいた部分、むずかしい問題だなぁ、って頭を抱えてしまいました。だが望むところです。がんばって考え続けます。
>ロールモデルの不在
ロールモデルの出現は「同性愛カップル(等)が当たり前になった社会」が前提であるように、わたしには思えます。反対派はもちろんいるものの、大多数はそれを「当たり前」とする社会。つまり、LGBT運動が正しく功を奏して、性による差別があらかた解消された後の社会。
そこにやっと現れるかなぁ? というか。現実世界ではまだリスクが高すぎる(生活、命に関わる)印象です。タレントやオネェなどのキャラ付けをしなければ。ドラァグクイーンなどの派手なメイクで武装しなければ。(BLや百合は嗜好品。生きる糧。他のフィクションと同様、そこから拾えるものもある)
異性愛者も、なんらかの問題がないと、情報は発信しないじゃないですか。
最近は、のろけ紛いの夫婦生活とかを描いたものも読めますけど(いいぞもっとやれ。大好きだ)、これも家制度に縛られていた日本人が恋愛結婚と言う選択肢を勝ち取ったから、70年ほどかけてやっと現れ始めているんじゃないかという気がする。
ごく普通のフウフのリアルな生活とかは、同性婚に限らず、異性婚でもあまり出てこないんですよね…。ただ、日常に見回せば目に入るわけで、それが多数派ってことかな、とか。多種多様な夫婦の在り方については、自分好みを「選り取り見取り」できる。結婚を選ばないことも含めて。
しかし彼らだってわざわざ自分から発信はしないでしょう? 「自分たちなんて普通ですよ」と「普通のフウフの生活なんて、なにもおもしろくないでしょ?」のコラボ。あと、私生活は覗かれたくないとか、恥ずかしいとか。
ってなると、同性婚当事者も同じ人間ですから、ロールモデルとしての現実での出現は…。
――となると、小説やマンガの出番かもしれないんですが…。
いま行われているLGBT運動は、過渡期である証明、象徴でもあるわけですよね、おそらく。ロールモデルって言葉は、理想とする社会が見え始めた証のように思えます。希望があるというか。わたしはまったく考えたこともありませんでした…お恥ずかしい。
よしながふみ先生の『きのう何食べた?』とかはゲイの人の日常生活っぽい気もしますが…まあ、ご存じですよね。2007年に(もうだいぶ長い…)1巻目が出ているんですが、25~40代ごろのサラリーマンが読むマンガ雑誌モーニング掲載ってことで、注目されました。当初、ゲイであることを必死に隠していた主人公が、いまは少しなら見られてもいいかな…みたいな心境の変化を起こしているところが、時代を映しているように思えます。長期連載中の現実を見ると、セッ○ス部分を取り除けば同性愛も、それこそ衆道だ男色は文化だと言っている日本人男性なんで、意外と受け入れているのかなとか思えたりもします。
>「マイノリティとしてのアイデンティティをまだ確立していない人」の存在があまりなろうのエッセイでは意識されていない
これは非常にデリケートな問題かなぁと、エッセイ的なものを書いてみて思います。
仮に、青少年に向けて書くというのは、影響力の大きさに二の足を踏みます。ペンや鉛筆で書かれたものより、活字になっているものを読むって、書籍ほどじゃなくても、真実に見えやすいんですよね。(今は言われていないのかな。昔はそのように言われていました) 現在の、デジタルネイティブな若い人たちは、間違いがあって当然と理解しているかもしれませんが…どうなのかな。耳に心地よい言葉だけ聞いてしまって、詐欺にあったり犯罪に巻き込まれたりするのは、成人していたってひっかかるリスクです。巧妙な詐欺は、ほとんど真実を語っている中にほんの一滴、うそを混ぜるのだとか。
書いている人がどれだけ勉強していても、間違っていることはある。わたしも子どもの頃は、本に書いてあることに間違いがあるかもなんて疑ったことがありません。そしてまだ、並べて比べられるほど量をたくさんは読めない。学校の勉強も、友達付き合いも、部活も、自分のセクシャリティに悩む時間も、ちゃんと眠る時間も必要ですから。
そこで本ばかり読んでいると、おとなになっても会話などでうまくコミュニケーション出来ないなんて苦労が生まれますし。(ただでさえセクシャリティに悩んでいるというのに)
教科書だって精査を重ねて発行されているのに、やはり改訂は行われます。素人が書いて、編集者や校閲者が入るわけでもなく、素人が感想を寄せている『なろう』でそれを扱うのは、ちょっと怖いなぁ、というのが、わたしの意見です。論文ではない以上、情報の発信だけじゃなくて、私見が入るので。
いや、だます気はないけれども。一滴のうそのように間違ったことを信じさせてしまったら取り返しがつかないような気がして怖いです。相手はこれからぐんぐん成長していくのですから、「あいつ間違ってんじゃん(笑)」って受け流せるようになるかもしれませんが。
(素人が投稿して素人が感想をくれることが、この投稿サイトの一番の長所だと思っています。それくらい手軽な場所で、当たり前に語られるのがいちばん説得力もあるんでしょうが…)
アイデンティティ確立済みの方ならば自分の考えをお持ちだろうっていう、甘えですかね。あ、エッセイ投稿自体がやっぱりまずかったんじゃないかという気持ちに…。いやいやしかし当事者じゃないからその話題に触らない、っていうのも…。
全年齢版に書いていることを自覚して、論調には気をつけることにします…。
子どもにとって、両親の影響はたしかに大きいですよね。恋愛結婚が主流となりましたが、『義務』で結婚して子を作っている人だって普通に存在するでしょう。そういう人にとっては、異性愛者である方がまだ社会では生きやすい、と思っているかもしれない。あるいは自分が選ばざるを得なかった現実を肯定するために、あえて同性愛(等)に不寛容な態度をとることもあり得る、のかなとか。パターナリズム的(本人不在)な『子どもの幸せのため』とか。
うーん…。
やっぱり、子どものうちにちゃんとした性教育を行なうのが一番スムーズに進む(でも人間の一生を考えれば長い時間はかかる)気がするのですが…モンペとかが現れるらしいですね。子どもが勉強することを邪魔する親とか、実際いるらしいので(貧困家庭のごく一部とか。女が学問なんて、もまだ言われますし)。まずは同じ内容で親に講演を聞かせたら…理解を拒否する人間もいるか…。2003年七生養護学校事件(たとえ話が伝わらなかったりすることもあるため赤裸々な面はあったのかもしれないが、教育として伝えるための努力は必要だろう)とかも性教育の難しさを示している様子だし…。
(ますます、少子化とは関係ないですよね…。楽しみのための行為という認識だから、子どもに聞かせるのは不適切って思うのでは? とか邪推したくなる…)
なんだか、考えれば考えるほど、「セクシャリティによる」差別ではなく、人権侵害の差別のひとつって気がしてきました…テーマは同性婚問題なのに。
個々人が幸福を追求してもいい「基本的人権」について、日本人はもっとしっかり考えて、議論を交わすべきなのかもしれない。これからの子どもたちの未来のために、「これが正解だから丸呑みにしろ」って教育を、変えなきゃならないのかもしれない。
そしてどのような立場であろうと、人々の中にモンスターは現れる。ペアレントもチルドレンもティーチャーも存在するのだから、対策は考えなければいけない。
現在のところ、わたしにはこれが精いっぱいです。かわずさまのおっしゃるポイントの方向性が間違っていないといいのですが…自信はあまりありません(苦笑い)。
かわずさまがおっしゃる長文の半分はわたしの愚痴に対する返答じゃないですか。なんてありがたいのか。PZNを聞いたときに「(まじめに考えなきゃならない問題なのは理解できるが)うるせぇ」ってイラついた理由がわかりました。それだ。難しい問題なのに別の難しい問題を持ってきてかき回しているのにイラついたんだ…。ありがとうございます、それだわ…。
そして話のかみ合わない人へ不寛容だったのも、それだわ…。難しい問題について考えているのに、論点を『恣意的に』ずらしたような意見ばかり主張するのにイラついたんだ…。「対話する気のない相手と付き合うのはリアルだけで腹いっぱいです、よそでやってくれ」だったんだ…。
許容量の小さい(少ない?)コミュ障なので、精進します。
LGBT法連合会(当事者とアライグループの連合)
性的指向および性自認を理由とするわたしたちが社会で直面する困難のリスト(第2版) (2015年9月)
↑を読んでみたんですが、「セクシャリティによる差別」ではなくない? って項目がけっこうあるんですよね…。それみんな不快に思っているよとか苦労しているよとか言えそうな部分が多い。セクマイ『だったら』保護される、なんて逆差別になりえます。だから『当たり前の権利』について、肯定派自身が洗いなおさないといけないのかもしれない。(わたしは変わらず、同性婚肯定派です)
LGBT当事者の意見は「当たり前の権利を認めて」だけど、LGBT運動当事者の意見は「特別な保護」の可能性が出てきました。運動の方も、一概に否定はできないんですよ? 青少年期の相談先がわからない、ロールモデルがいない、みんなができていることをできない苦しみを経て今があるから、後に続く世代へ少しでも救いになれば、って考えとかかも、だし。
ただ、運動の方は当事者だけじゃない上に、現在追い風の吹いている団体ですから、自分の利益をメインに据えて行動している人がいるかもしれないだけで…。
反対派が叫ぶ「LGBTに対する特別な保護だろ、それ」が間違いじゃなくなるんですよねぇ、すべての人が受け取っていいはずの権利、人権問題だとすると。反対派に多い、声の大きい人の「一緒に苦しもうぜ」って姿勢がどうかとは思いますが。いっしょにしあわせをめざそうぜ…(ため息)。
そしてやっぱり政治の問題に行きつく。
おそらくは、人々の生活に余裕があれば、異物を『過剰に』攻撃する必要はなくなるわけですよ(異物の排除は遺伝子に組み込まれているレベルの生き残り戦術。だがいじめはダメ!)。子どもを産んで育てることに希望を持てる社会なら、少子化問題も解消するし、自分と違う人へも多少寛容になれると思いません?
――人々の生活の余裕…。まずは給料を上げてくれ、とか(笑)。
- あきの
- 2020年 11月16日 15時40分
かわずさま
催促したのはわたしですよ! 時間をかけてくださってありがとうございます!文章を読むのは病気レベルで好きなので、長文ぜんぜん大丈夫です!
内容については熟考が必要だと感じたため、取り急ぎ「感想うれしい」って返信だけ致します。無責任に投げた「読みたい」に返事をもらえるなんてしあわせすぎる(^∀^)
あ、もちろん熟考はポジティブな方向ですよ。時間かかりそうなので、しばらくお待ちください。
あきの
催促したのはわたしですよ! 時間をかけてくださってありがとうございます!文章を読むのは病気レベルで好きなので、長文ぜんぜん大丈夫です!
内容については熟考が必要だと感じたため、取り急ぎ「感想うれしい」って返信だけ致します。無責任に投げた「読みたい」に返事をもらえるなんてしあわせすぎる(^∀^)
あ、もちろん熟考はポジティブな方向ですよ。時間かかりそうなので、しばらくお待ちください。
あきの
- あきの
- 2020年 11月13日 13時32分
[良い点]
活動報告でエッセイに向いていないという風におっしゃっていますが、何かしら思うことがあったとして、その気持ちと向き合い言葉にしてその上エッセイという人の目につく場所に公開する、というのは、それだけでも素敵な事だし凄いことなんです、などと読者としては言いたい。
私なんかエッセイを読んだりして何かしら思っても一人でグダグダ考えている内にタイミング逃して、もういいかってなってしまう事がほとんどです(このエッセイの感想に出遅れた言い訳です)。
[気になる点]
同性愛に対するネガティブな偏見だけではなく、どちらかというとポジティブなようにも取れる偏見もあって、たとえば、同性愛者の方がピュアな関係を求めているだとか、同性愛者の人は性別にとらわれずに恋愛している、とか、そういうイメージを持っている人もいるみたいです。
実際、異性愛者が異性を恋愛対象にするように、同性愛者は同性を対象にしているので、性別に囚われないとかそういう事はないわけですが。
でも、そういう、性別に囚われずに恋してる、みたいなイメージがあると、同性愛って(そしてそうであるならば異性愛も)性的嗜好と認識されやすく、指向と嗜好の違いが理解しにくいのではないかなぁ、とか考えました。
私的な印象ですが、ポジティブ寄りの偏見を持っているのは、むしろ、自分は同性愛に寛容と考えている人なのかな、と。
このエッセイでは、どちらかというと同性愛に不寛容な人に対して思う所があるように感じますが、同性愛に寛容なつもりの人でも、学ぶべき所があるテーマですね。
というか、それでいけば、同性愛とかマジでねーわって人の方が、指向と嗜好の差を感覚的に理解できそうなものですよね。あなたが同性愛マジムリって思っているのと同じように同性愛者も異性と恋はないなぁと思ってるんだよ、って事を想像すれば良いんだから。
なんでただそれだけの事ができないのか……。
[一言]
同性愛テーマのエッセイはちょこちょこ見かけますが、あんまり取り上げられないなぁと思うポイントが、指向やホモフォビアの他にも思い浮かんだりもしますが、さすがにそれは自分でエッセイ書けよという話になるのでここに書くのは自重します(笑)
ひとつ自重せずに書くならば、性的指向は自分の意思でどうこうできるものでもありませんが、それでも絶対に不変で確固たるものかと言うと、そうとは言い切れないかもしれません。
それが指向なのか嗜好なのか、先天的なシコウにその時になって気付いたのか後天的にシコウが変わったのか、その辺りはハッキリしたことを言えませんが、中年くらいの年齢になってから「同性に興味が出てきた」と言い出す人もいます。
今、自分は異性愛者だから同性愛の事は他人事と思っている人がいるとすれば、その考えはある日覆るかもしれないのです。
つまり、なろうユーザーよ、このエッセイ読んで勉強しとけよ。
活動報告でエッセイに向いていないという風におっしゃっていますが、何かしら思うことがあったとして、その気持ちと向き合い言葉にしてその上エッセイという人の目につく場所に公開する、というのは、それだけでも素敵な事だし凄いことなんです、などと読者としては言いたい。
私なんかエッセイを読んだりして何かしら思っても一人でグダグダ考えている内にタイミング逃して、もういいかってなってしまう事がほとんどです(このエッセイの感想に出遅れた言い訳です)。
[気になる点]
同性愛に対するネガティブな偏見だけではなく、どちらかというとポジティブなようにも取れる偏見もあって、たとえば、同性愛者の方がピュアな関係を求めているだとか、同性愛者の人は性別にとらわれずに恋愛している、とか、そういうイメージを持っている人もいるみたいです。
実際、異性愛者が異性を恋愛対象にするように、同性愛者は同性を対象にしているので、性別に囚われないとかそういう事はないわけですが。
でも、そういう、性別に囚われずに恋してる、みたいなイメージがあると、同性愛って(そしてそうであるならば異性愛も)性的嗜好と認識されやすく、指向と嗜好の違いが理解しにくいのではないかなぁ、とか考えました。
私的な印象ですが、ポジティブ寄りの偏見を持っているのは、むしろ、自分は同性愛に寛容と考えている人なのかな、と。
このエッセイでは、どちらかというと同性愛に不寛容な人に対して思う所があるように感じますが、同性愛に寛容なつもりの人でも、学ぶべき所があるテーマですね。
というか、それでいけば、同性愛とかマジでねーわって人の方が、指向と嗜好の差を感覚的に理解できそうなものですよね。あなたが同性愛マジムリって思っているのと同じように同性愛者も異性と恋はないなぁと思ってるんだよ、って事を想像すれば良いんだから。
なんでただそれだけの事ができないのか……。
[一言]
同性愛テーマのエッセイはちょこちょこ見かけますが、あんまり取り上げられないなぁと思うポイントが、指向やホモフォビアの他にも思い浮かんだりもしますが、さすがにそれは自分でエッセイ書けよという話になるのでここに書くのは自重します(笑)
ひとつ自重せずに書くならば、性的指向は自分の意思でどうこうできるものでもありませんが、それでも絶対に不変で確固たるものかと言うと、そうとは言い切れないかもしれません。
それが指向なのか嗜好なのか、先天的なシコウにその時になって気付いたのか後天的にシコウが変わったのか、その辺りはハッキリしたことを言えませんが、中年くらいの年齢になってから「同性に興味が出てきた」と言い出す人もいます。
今、自分は異性愛者だから同性愛の事は他人事と思っている人がいるとすれば、その考えはある日覆るかもしれないのです。
つまり、なろうユーザーよ、このエッセイ読んで勉強しとけよ。
かわずさま
感想ありがとうございます。エッセイを公開した点についてぐだぐだとネガティブな気持ちになっていたので、このタイミングでかわずさまにこの感想をいただけたことをうれしく思います。エスパーなのかな? ってくらい、ベストなタイミングです。我が家のネコに「エサ寄越せ、ぜいたくごはん」と文句言われるだけで打撃を受けていたので、救われました。
(これがわたしなんだから仕方ないだろ~! と立て直し図り中です)
わたしも大抵のことについては、一人で考えているうちにタイミングを逃してもういいか今更ってなっているので、おなじです。心臓に毛が生えただけです。この話題より前に小説を書くために調べていて、このエッセイを書きながら調べて、調べた内容をフィードバックして読み直して、って繰り返した末に、せめて同じ月に公開しないと意味ないよな…って(こんなに頑張ったからもったいない)貧乏性な締め切りを設定(予約投稿)したのでした。
だから意見が違うことはともかく、物事を考える姿勢自体が全く違う場合、お互いが「なぜわたしのようにしない?」「なぜわたしの意見を受け入れない?」の押し付け合い、水掛け論で終わる気しかしなくて、しょっぱなからあの感想返信です…。執筆に対する姿勢は十人十色ですけど、ここはわたしの作品に対する感想欄なんだよ! って。だからおそらくわたしは、公開したことと感想返信がへたくそすぎるってことにジタバタ悶えているだけで、エッセイの内容自体には「投稿時点での精一杯」だって自負があるんだろうな。(『感想を書いてくださる方はたいてい感想欄も読んでいらっしゃる』前提で書く感想返信が、ジタバタ悶える原因です。知識マウントっていうのは、知識収集者の業(ごう)の話なんだ~、とか)
読者様の感想は「作品に対するもの」ですから、わたし個人は精進したいと思います。
>同性愛に対するネガティブな偏見だけではなく、どちらかというとポジティブなようにも取れる偏見
→言われてみればそのとおりですね。なにせ元が「(一次創作BL)小説を書くため」だったため、エッセイにおけるわたしの視点もポジティブ寄りだったのかもしれません。あと、ネット世界に転がっているコメントが『不寛容な人』の過激な発言である場合が多かったため、引きずられたようです。気づけないものですよねぇ、自分の認知バイアス(アンカリングかな)…。気づきをありがとうございます。
同性愛に寛容だから自分は差別していない、という人たちがおっしゃる、衆道、稚児、少年愛みたいなものは、仕組みとしてみればほぼ性的嗜好の話に見えるし、当事者曰く(記録)高尚な行為であったそうなので、歴史的背景を盾に取りやすいんですよね…。同性間性交渉と同性愛は違いますよ~…(遠い目)、ってなっちゃいます。(残念ながら何がどう『高尚』なのか理解できなかった)
あともう一歩であるはずの認識をしない思考停止、ってムカついていましたが、認識『したくない』理由はなに、って考えなきゃいけないのかな…。
BLでは理想を詰め込んで物語を作りますが、現実世界の同性愛については、「いや、普通に恋愛してるだけだろ。対象が同性でも異性でも」ってわたしは思っています。キレイも汚いもない。あるいはどっちでもある。(世間様の目がとてつもないハードルであろうとお察ししますが、世間様の目って自分の中にもあるのが厄介)
だから、同性婚反対派が言う『特別な』保護じゃなくて、男女だったら『当たり前』に手に入ったはずの権利を同性だからもらえない、って差別はよくないんじゃない? って意味での、「同性婚の何が問題なのよ?」ってエッセイなのでした。表現能力が足りていない、悔しい。
感想返信のためでもありますが、まだまだ勉強中です。
最近LGBTPZNって言葉を知りまして、調べました。性的指向を差別するなって言うんなら、性的嗜好でも差別するな、って意味で日本では使われているみたいですね(2016~2018年ごろが最盛期)。元々はカトリック宗教圏で差別反対『運動』のアンチが皮肉った言葉みたいですけど(PZNを認めろという意味ではなく、これこそ『特別な保護』を求めるとかふざけんな、っていう『運動へのアンチ』だったように思えますが、リアルタイムでは知らず、現在は元記事がほぼ存在しないため、正確なところはわかりません)。
PZNについては全年齢版R15の場なので自重します。
圧倒的弱者への成人による性的な嗜好、って意味で「ちょっとごめんなさい(遠ざかる感じ)」ではあるのですが、これも表面だけ、字面だけ見てもわからないから、しっかり調べてちゃんと考えなければならないんでしょうね。
「種として次世代を作る義務があるならなおのこと、性的なものは『対等な』人間同士で行なわれるべきである。性行為も、性的なコンテンツの取り扱いも、性的指向も、性的嗜好も、婚姻も」
と、考えます。子どもを作って社会を維持するのが成人男女の役割であるならば、「性的なものは悪である」という論調(過激なフェミニズムとか)も子どもへ聞かせるべきじゃないよね、とか。『双方の正しい合意の下』行なわれるコミュニケーションのひとつなので、自立/自律した大人ではない未成年の君たちにはまだ早い、って形で教えればいいんじゃないかな? 変に隠されるから性的コンテンツに興味を持つし、情報の質が歪むし、自分で調べてトラブルになるんじゃないかな~、とか。酒やたばこと同じような位置づけですね。性にも依存症はあるし。
子どもへの性教育の前に、まずは(教える立場として)おとなへの性教育が必要な日本ですけれど…。性的同意可能年齢が13歳なのもどうかと思うけど。せめて義務教育修了して…。
同性愛云々を調べていると、必ず差別問題にぶつかります。「同性愛キライ」なんじゃなく、「同性愛認めろ『運動』がキライ」なんじゃないの? って意見も見かけます。いろんな立場から「差別されて傷ついている」という気配を感じます。「わたしが傷ついた」だけでなく「わたしの大切な人が傷つけられた」という気配もある。肉体的性も性自認も性的指向も性的嗜好も関わりなく。
正義と正義のぶつかり合いで終わらせないために、議論の前提となる言葉の意味を共有しよう。その上でお互いの意見に耳を傾け合い、考えていこうよ、と思っています。そして理想論を語っている自分に打ちのめされています。自分の差別意識なんて自覚できないんだから難しいに決まってるよ! と投げ出したくなりますね。
>同性愛テーマのエッセイはちょこちょこ見かけますが、あんまり取り上げられないなぁと思うポイントが(後略)
→ かわずさま。ぜひともエッセイで書いてください、読みに行くので! エッセイ発表しないなら単語でいいから教えてください、自力で調べるから(厚かましい)。
よそ様への返信に「語りたいなら自分でページ作れ」って言ったのは、「わたしの作品の感想欄に書いたらエッセイの趣旨を逸れていくからやめてくれないか。反論したくなるでしょ?」って思ったからです(怒ってるからアレな態度で申し訳ない…)。思い付きじゃない自分の考えを語るとき、長くならない人、いるの? 人のエッセイの感想欄で満足するの? わたしはしない。そういう主義なのです、わたしが。決して、異論を聞きたくないからではないのです。(態度が大人げないけれども)
指向も嗜好も当人しかわからない以上、「先天的か後天的か」についてゆらぎがあるのは、おっしゃるとおりです。人間の記憶は不確かなものです。覚えてないだけかもしれないし、考え方が変わったのかもしれない。「完全な異性愛者は存在せず、誰しもが両性愛者の可能性がある」なんて説を最近発表した研究者(アメリカ? だったかな)もいますし、ほんとは断言できないんですよね…。(断定口調に断定して返すのは、聞く気のない人へ説明するのが面倒だから)(ブーメラン…)
かつて「同性愛者は精神病患者であるから治療せねばならない」という思想の下、拷問まがいの治療が行われていた。それは人権の侵害であるとして、戦うために生まれた概念であるのだから、「同性愛は精神病ではない」と変更された現在、意味合いが変わってくるのも時代の流れでしょう。
あと、結局は人間についての話なので、LGBTがLGBTQQIAAPPO2S(覚えられねぇよ…。コピペ)みたいに細分化されていくのと同様、一概に決めつけられるものじゃありませんものねぇ。果てのない道のりです…。
かわずさま
心強い感想をありがとうございました。返信が長くなってしまい、申し訳ありません。エッセイのみならず、感想欄も長文まみれなのに読んでくださってありがとうございます。このエッセイが誰かの勉強の、最初の検索単語拾い先になったらいいなぁと、稚拙でも労力をかけた作者として願うばかりです。
感想ありがとうございます。エッセイを公開した点についてぐだぐだとネガティブな気持ちになっていたので、このタイミングでかわずさまにこの感想をいただけたことをうれしく思います。エスパーなのかな? ってくらい、ベストなタイミングです。我が家のネコに「エサ寄越せ、ぜいたくごはん」と文句言われるだけで打撃を受けていたので、救われました。
(これがわたしなんだから仕方ないだろ~! と立て直し図り中です)
わたしも大抵のことについては、一人で考えているうちにタイミングを逃してもういいか今更ってなっているので、おなじです。心臓に毛が生えただけです。この話題より前に小説を書くために調べていて、このエッセイを書きながら調べて、調べた内容をフィードバックして読み直して、って繰り返した末に、せめて同じ月に公開しないと意味ないよな…って(こんなに頑張ったからもったいない)貧乏性な締め切りを設定(予約投稿)したのでした。
だから意見が違うことはともかく、物事を考える姿勢自体が全く違う場合、お互いが「なぜわたしのようにしない?」「なぜわたしの意見を受け入れない?」の押し付け合い、水掛け論で終わる気しかしなくて、しょっぱなからあの感想返信です…。執筆に対する姿勢は十人十色ですけど、ここはわたしの作品に対する感想欄なんだよ! って。だからおそらくわたしは、公開したことと感想返信がへたくそすぎるってことにジタバタ悶えているだけで、エッセイの内容自体には「投稿時点での精一杯」だって自負があるんだろうな。(『感想を書いてくださる方はたいてい感想欄も読んでいらっしゃる』前提で書く感想返信が、ジタバタ悶える原因です。知識マウントっていうのは、知識収集者の業(ごう)の話なんだ~、とか)
読者様の感想は「作品に対するもの」ですから、わたし個人は精進したいと思います。
>同性愛に対するネガティブな偏見だけではなく、どちらかというとポジティブなようにも取れる偏見
→言われてみればそのとおりですね。なにせ元が「(一次創作BL)小説を書くため」だったため、エッセイにおけるわたしの視点もポジティブ寄りだったのかもしれません。あと、ネット世界に転がっているコメントが『不寛容な人』の過激な発言である場合が多かったため、引きずられたようです。気づけないものですよねぇ、自分の認知バイアス(アンカリングかな)…。気づきをありがとうございます。
同性愛に寛容だから自分は差別していない、という人たちがおっしゃる、衆道、稚児、少年愛みたいなものは、仕組みとしてみればほぼ性的嗜好の話に見えるし、当事者曰く(記録)高尚な行為であったそうなので、歴史的背景を盾に取りやすいんですよね…。同性間性交渉と同性愛は違いますよ~…(遠い目)、ってなっちゃいます。(残念ながら何がどう『高尚』なのか理解できなかった)
あともう一歩であるはずの認識をしない思考停止、ってムカついていましたが、認識『したくない』理由はなに、って考えなきゃいけないのかな…。
BLでは理想を詰め込んで物語を作りますが、現実世界の同性愛については、「いや、普通に恋愛してるだけだろ。対象が同性でも異性でも」ってわたしは思っています。キレイも汚いもない。あるいはどっちでもある。(世間様の目がとてつもないハードルであろうとお察ししますが、世間様の目って自分の中にもあるのが厄介)
だから、同性婚反対派が言う『特別な』保護じゃなくて、男女だったら『当たり前』に手に入ったはずの権利を同性だからもらえない、って差別はよくないんじゃない? って意味での、「同性婚の何が問題なのよ?」ってエッセイなのでした。表現能力が足りていない、悔しい。
感想返信のためでもありますが、まだまだ勉強中です。
最近LGBTPZNって言葉を知りまして、調べました。性的指向を差別するなって言うんなら、性的嗜好でも差別するな、って意味で日本では使われているみたいですね(2016~2018年ごろが最盛期)。元々はカトリック宗教圏で差別反対『運動』のアンチが皮肉った言葉みたいですけど(PZNを認めろという意味ではなく、これこそ『特別な保護』を求めるとかふざけんな、っていう『運動へのアンチ』だったように思えますが、リアルタイムでは知らず、現在は元記事がほぼ存在しないため、正確なところはわかりません)。
PZNについては全年齢版R15の場なので自重します。
圧倒的弱者への成人による性的な嗜好、って意味で「ちょっとごめんなさい(遠ざかる感じ)」ではあるのですが、これも表面だけ、字面だけ見てもわからないから、しっかり調べてちゃんと考えなければならないんでしょうね。
「種として次世代を作る義務があるならなおのこと、性的なものは『対等な』人間同士で行なわれるべきである。性行為も、性的なコンテンツの取り扱いも、性的指向も、性的嗜好も、婚姻も」
と、考えます。子どもを作って社会を維持するのが成人男女の役割であるならば、「性的なものは悪である」という論調(過激なフェミニズムとか)も子どもへ聞かせるべきじゃないよね、とか。『双方の正しい合意の下』行なわれるコミュニケーションのひとつなので、自立/自律した大人ではない未成年の君たちにはまだ早い、って形で教えればいいんじゃないかな? 変に隠されるから性的コンテンツに興味を持つし、情報の質が歪むし、自分で調べてトラブルになるんじゃないかな~、とか。酒やたばこと同じような位置づけですね。性にも依存症はあるし。
子どもへの性教育の前に、まずは(教える立場として)おとなへの性教育が必要な日本ですけれど…。性的同意可能年齢が13歳なのもどうかと思うけど。せめて義務教育修了して…。
同性愛云々を調べていると、必ず差別問題にぶつかります。「同性愛キライ」なんじゃなく、「同性愛認めろ『運動』がキライ」なんじゃないの? って意見も見かけます。いろんな立場から「差別されて傷ついている」という気配を感じます。「わたしが傷ついた」だけでなく「わたしの大切な人が傷つけられた」という気配もある。肉体的性も性自認も性的指向も性的嗜好も関わりなく。
正義と正義のぶつかり合いで終わらせないために、議論の前提となる言葉の意味を共有しよう。その上でお互いの意見に耳を傾け合い、考えていこうよ、と思っています。そして理想論を語っている自分に打ちのめされています。自分の差別意識なんて自覚できないんだから難しいに決まってるよ! と投げ出したくなりますね。
>同性愛テーマのエッセイはちょこちょこ見かけますが、あんまり取り上げられないなぁと思うポイントが(後略)
→ かわずさま。ぜひともエッセイで書いてください、読みに行くので! エッセイ発表しないなら単語でいいから教えてください、自力で調べるから(厚かましい)。
よそ様への返信に「語りたいなら自分でページ作れ」って言ったのは、「わたしの作品の感想欄に書いたらエッセイの趣旨を逸れていくからやめてくれないか。反論したくなるでしょ?」って思ったからです(怒ってるからアレな態度で申し訳ない…)。思い付きじゃない自分の考えを語るとき、長くならない人、いるの? 人のエッセイの感想欄で満足するの? わたしはしない。そういう主義なのです、わたしが。決して、異論を聞きたくないからではないのです。(態度が大人げないけれども)
指向も嗜好も当人しかわからない以上、「先天的か後天的か」についてゆらぎがあるのは、おっしゃるとおりです。人間の記憶は不確かなものです。覚えてないだけかもしれないし、考え方が変わったのかもしれない。「完全な異性愛者は存在せず、誰しもが両性愛者の可能性がある」なんて説を最近発表した研究者(アメリカ? だったかな)もいますし、ほんとは断言できないんですよね…。(断定口調に断定して返すのは、聞く気のない人へ説明するのが面倒だから)(ブーメラン…)
かつて「同性愛者は精神病患者であるから治療せねばならない」という思想の下、拷問まがいの治療が行われていた。それは人権の侵害であるとして、戦うために生まれた概念であるのだから、「同性愛は精神病ではない」と変更された現在、意味合いが変わってくるのも時代の流れでしょう。
あと、結局は人間についての話なので、LGBTがLGBTQQIAAPPO2S(覚えられねぇよ…。コピペ)みたいに細分化されていくのと同様、一概に決めつけられるものじゃありませんものねぇ。果てのない道のりです…。
かわずさま
心強い感想をありがとうございました。返信が長くなってしまい、申し訳ありません。エッセイのみならず、感想欄も長文まみれなのに読んでくださってありがとうございます。このエッセイが誰かの勉強の、最初の検索単語拾い先になったらいいなぁと、稚拙でも労力をかけた作者として願うばかりです。
- あきの
- 2020年 11月09日 21時42分
[一言]
性的指向と性的嗜好が同じ音の言葉で定着してしまったのも厄介ですよね。
そういえば日本人は歴史的にも同性愛に対して寛容だという例に戦国時代の小姓や寺のお稚児とか良く出てきますが、基本的にあれは性的嗜好の話なんですよね。
同性愛を受け入れる(上から目線の言葉ですが)素地のある日本人も性的指向についてまだまだ議論していかなければならないんでしょうね。
ただその間にも自身の存在に価値を見出せず傷ついていくこども達が多くいることを忘れてはいけないと思います。
性的指向と性的嗜好が同じ音の言葉で定着してしまったのも厄介ですよね。
そういえば日本人は歴史的にも同性愛に対して寛容だという例に戦国時代の小姓や寺のお稚児とか良く出てきますが、基本的にあれは性的嗜好の話なんですよね。
同性愛を受け入れる(上から目線の言葉ですが)素地のある日本人も性的指向についてまだまだ議論していかなければならないんでしょうね。
ただその間にも自身の存在に価値を見出せず傷ついていくこども達が多くいることを忘れてはいけないと思います。
幸人さま
感想ありがとうございます。
性的指向と性的嗜好が同じ音で厄介、とは? としばらく考えてしまったわたしは、完全に活字の海で溺れています…。口から出す言語が人間同士のコミュニケーションの基本であり、多数派じゃないか…。
たしかに議論の場でも、いちいち注釈を加えなければならなかったりすると厄介です。
>戦国時代の小姓や寺のお稚児とか良く出てきますが、基本的にあれは性的嗜好の話
→ほんと、そうです。同性『愛』じゃなくて、同性間性交の話じゃん。と思っていますが、意図しない煽り文になったので投稿前本文中では削除しました。そこに一部、愛が生まれていたと言われても、多数は、ストックホルム症候群やリマ症候群みたいな生き残り戦術とか、マインドコントロール的なものとか、異性がいないための機会的同性愛とか、庇護者と愛玩物的なパターナリズムとか…ダメだ、また知識をひけらかそうとしている…。
まあ、「同性婚の議論で取り上げている『性的指向』とは違う話なんですよそれ! 必要なら詳しく説明するから、決めてかからないで勉強しようよいっしょに!」ってイライラしすぎてだめだったんです…。なさけない。
エッセイを書くのって、とても難しいものですね。
寝た子を起こす的な、性教育に難色を示す人たちの意見を聞くにつけ、『性』という文字の業のようなものを感じます。
性行為、性欲、性衝動の『性』ととらえるか、
性別、性情、性質の『性』ととらえるか。
「えっ? なんでそんなえっちな方向へ極振りするの?」って常々思っていたんですが、どうもこの文字に対する印象のせいなのか? とも思いまして。
同じ文字ではあるのですが、言葉や文脈によってニュアンスがありますよね~…。
同音異義語が厄介ってすぐ気づけないくらい活字におぼれている自分に、もっと自覚的であろうと思います。
幸人さま
感想ありがとうございました。性的指向の問題で傷つく人が一人でも減ることを、わたしも願っています。
感想ありがとうございます。
性的指向と性的嗜好が同じ音で厄介、とは? としばらく考えてしまったわたしは、完全に活字の海で溺れています…。口から出す言語が人間同士のコミュニケーションの基本であり、多数派じゃないか…。
たしかに議論の場でも、いちいち注釈を加えなければならなかったりすると厄介です。
>戦国時代の小姓や寺のお稚児とか良く出てきますが、基本的にあれは性的嗜好の話
→ほんと、そうです。同性『愛』じゃなくて、同性間性交の話じゃん。と思っていますが、意図しない煽り文になったので投稿前本文中では削除しました。そこに一部、愛が生まれていたと言われても、多数は、ストックホルム症候群やリマ症候群みたいな生き残り戦術とか、マインドコントロール的なものとか、異性がいないための機会的同性愛とか、庇護者と愛玩物的なパターナリズムとか…ダメだ、また知識をひけらかそうとしている…。
まあ、「同性婚の議論で取り上げている『性的指向』とは違う話なんですよそれ! 必要なら詳しく説明するから、決めてかからないで勉強しようよいっしょに!」ってイライラしすぎてだめだったんです…。なさけない。
エッセイを書くのって、とても難しいものですね。
寝た子を起こす的な、性教育に難色を示す人たちの意見を聞くにつけ、『性』という文字の業のようなものを感じます。
性行為、性欲、性衝動の『性』ととらえるか、
性別、性情、性質の『性』ととらえるか。
「えっ? なんでそんなえっちな方向へ極振りするの?」って常々思っていたんですが、どうもこの文字に対する印象のせいなのか? とも思いまして。
同じ文字ではあるのですが、言葉や文脈によってニュアンスがありますよね~…。
同音異義語が厄介ってすぐ気づけないくらい活字におぼれている自分に、もっと自覚的であろうと思います。
幸人さま
感想ありがとうございました。性的指向の問題で傷つく人が一人でも減ることを、わたしも願っています。
- あきの
- 2020年 11月05日 15時48分
[良い点]
こんにちは、エッセイを読ませて頂きました。基本的な部分や結論部分は私も全くもって同意です。問題になった発言だけでなくその前後関係も調べてるのは基本なようで出来てない人も多いのですごいと思います。また、『指向』と『嗜好』について議論されているいる同性婚における同性愛が性的指向というのは前提条件だと思い込んでましたが作者様の意見を見て新たなに考えることがありました。
[気になる点]
『衆道は文化』という言葉を作者様もお聞きなったことはあるかもしれません。昔は男同士のそういうのは普通だったという話です。しかし、これはお世継ぎを作るという義務を果たす前提で結婚ではなく不倫とも認められない単なる趣味のような遊びというのが暗黙の了解であり、それが世間一般の位置付けだったのだと思います。簡単な話が切実な思いという話ではなくエロい話でした。もちろん隠れ蓑として建前としても使われてたのだと思います。また、昔といっても三島由紀夫は、意訳になりますが『同性愛とか意味わからんわ、男とヤッたけど』みたいなこと言ってます。結構、最近まであったように感じます。それこそ炎上したおじいちゃんが知っててもおかしくないくらいには…
[一言]
ただ一点だけ違うと思うのが男性の同性愛に対する嫌悪が根深いというくだりからおかしいかなと思います。まずですが、ホモフォビアという言葉です。ホモはラテン語で人間を、フォビアはギリシア語で恐怖症みたいな意味があります。男とか女とか関係ありません。例としてはホモ・サピエンス、高所恐怖症のことをアクロフォビアとか言ったりまします。また、見ての通り海外の言葉です。具体的にはキリスト教とかイスラム教という宗教倫理から来ています。この宗教倫理からくる問題は桁違いに根深いものしかありません。差別というのは歴史です。事情も様々です。日本は日本、海外は海外です。
また、男尊女卑なんて全く関係ありません。同性愛差別というのは男性が女性がという問題ではありません。しかし、男というのは世継ぎを作るという義務を求められます。これにより男性の同性愛に対してより厳しい見方をされるという見方はありますが、これを理由に差別する人間は男女問わずです。男性とか女性とか関係ないです。強い言葉になってしまって辛いのですが、女性蔑視のくだりは被害妄想にしか思えなかったです。
最後になりますが、色々言ってしまって本当にごめんなさい。作者様は今回の件を調べるにあたって男性からの発言を見て深く傷つかれたかと思います。怒りや嫌悪感をたくさん感じたかと思います。その状況で男性に対して怒りが湧くのも当然かと思います。
腐女子に対する暴言をするキ○ガイ野郎の気持ちなんてわからないんですが、腐女子といいますかBLコンテンツはとても大きいです。コンテンツという箱が大きければその分アンチも湧きます。今回、炎上したおじいちゃんも男性ですが単純に公的立場に立つ年配の人間が男性が多いというだけの話です。長々とごちゃごちゃと書いてしまい申し訳ありませんでした。
これからも創作活動頑張ってください。モヤモヤしたらゆっくりお風呂に入るのもいいと思います。本当にごめんなさい。
こんにちは、エッセイを読ませて頂きました。基本的な部分や結論部分は私も全くもって同意です。問題になった発言だけでなくその前後関係も調べてるのは基本なようで出来てない人も多いのですごいと思います。また、『指向』と『嗜好』について議論されているいる同性婚における同性愛が性的指向というのは前提条件だと思い込んでましたが作者様の意見を見て新たなに考えることがありました。
[気になる点]
『衆道は文化』という言葉を作者様もお聞きなったことはあるかもしれません。昔は男同士のそういうのは普通だったという話です。しかし、これはお世継ぎを作るという義務を果たす前提で結婚ではなく不倫とも認められない単なる趣味のような遊びというのが暗黙の了解であり、それが世間一般の位置付けだったのだと思います。簡単な話が切実な思いという話ではなくエロい話でした。もちろん隠れ蓑として建前としても使われてたのだと思います。また、昔といっても三島由紀夫は、意訳になりますが『同性愛とか意味わからんわ、男とヤッたけど』みたいなこと言ってます。結構、最近まであったように感じます。それこそ炎上したおじいちゃんが知っててもおかしくないくらいには…
[一言]
ただ一点だけ違うと思うのが男性の同性愛に対する嫌悪が根深いというくだりからおかしいかなと思います。まずですが、ホモフォビアという言葉です。ホモはラテン語で人間を、フォビアはギリシア語で恐怖症みたいな意味があります。男とか女とか関係ありません。例としてはホモ・サピエンス、高所恐怖症のことをアクロフォビアとか言ったりまします。また、見ての通り海外の言葉です。具体的にはキリスト教とかイスラム教という宗教倫理から来ています。この宗教倫理からくる問題は桁違いに根深いものしかありません。差別というのは歴史です。事情も様々です。日本は日本、海外は海外です。
また、男尊女卑なんて全く関係ありません。同性愛差別というのは男性が女性がという問題ではありません。しかし、男というのは世継ぎを作るという義務を求められます。これにより男性の同性愛に対してより厳しい見方をされるという見方はありますが、これを理由に差別する人間は男女問わずです。男性とか女性とか関係ないです。強い言葉になってしまって辛いのですが、女性蔑視のくだりは被害妄想にしか思えなかったです。
最後になりますが、色々言ってしまって本当にごめんなさい。作者様は今回の件を調べるにあたって男性からの発言を見て深く傷つかれたかと思います。怒りや嫌悪感をたくさん感じたかと思います。その状況で男性に対して怒りが湧くのも当然かと思います。
腐女子に対する暴言をするキ○ガイ野郎の気持ちなんてわからないんですが、腐女子といいますかBLコンテンツはとても大きいです。コンテンツという箱が大きければその分アンチも湧きます。今回、炎上したおじいちゃんも男性ですが単純に公的立場に立つ年配の人間が男性が多いというだけの話です。長々とごちゃごちゃと書いてしまい申し訳ありませんでした。
これからも創作活動頑張ってください。モヤモヤしたらゆっくりお風呂に入るのもいいと思います。本当にごめんなさい。
ふぁるさま
返信が遅くなり、申し訳ありません。耳に痛い諫言でした、感謝しております。羞恥で転げまわりながら返信を書き連ねていたため、遅くなりました。わたしの中にある『攻撃性』を少しでも解明することができて、うれしく思います。
返信も長くなってしまいましたが、お時間のあるときに目を通していただければ幸いです。
>被害妄想。
この議題で常に感じる不快感の理由がはっきりしていなかったのですが、ご指摘を受けて少し形が見えてきました。配慮のある言葉で伝えてくださり、ありがたく思います。
わたしの中に、同性愛を嫌悪する方々と同じように、根深くて生理的な嫌悪があるようです。根深いというのは、どうにも変え難い、払拭しづらい、という意味で使いました。文化的、歴史的な根深さという側面を、本文中まったく意識していませんでした。申し訳ありません。
自分語りで恐縮ですが、説明したいのでしばらくお付き合いください。
家父長制(パターナリズム、家制度)というシステムや文化のようなものによって、大事な人が傷つき苦しんでいるのを、横で無力感に苛まれながら見ているしかなかった出来事が、わたしにはありました。誰が悪いと言うわけではなく、システムあるいは文化、常識としてそこに存在する同調圧力のような、目に見えない思想そのものが、あらゆる人の自由を奪い、権利を奪い、苦しめていたように思います。今ならばそう思えます。
家長として、あるいは後継者としての覚悟、とても重たいものであるかと思います。(子どもを作らなければならない。妻と子を守らなければならない。妻子をしあわせにしなければならない。家を絶えさせてはならない。など)自分の価値観として納得し、飲み込んで、そのようにあろうと心掛けていらっしゃるなら、立派なことです。
ただ、その重たすぎる責任を、背負いたいけれども背負いきれない人がいて、不幸の連鎖が起こることもあったのではないかと考えます。わたしが見聞きした、ささやかな事例のように。
家族全員を幸せにするためのシステムであろうとは思います。けれど、一人で家族全員を背負おうなどとは、だいぶ無茶な役割分担ではないかな? と思うのですが、どうでしょうか。優遇された側も、冷遇された側も、負担が大きいというか。
そういう文化のもとで存在した、「男尊女卑」という言葉でした。負の遺産、的な。
男性に負わされる『期待』を女性が理解しづらいように、女性に与えられる『庇護という名の、当人不在の不自由さ』を男性は理解しづらいかもしれない、と思われます。わたしの独りよがりかもしれませんが、まあそういう考えの人間もいる、程度にとらえてください。
――んんん(一日かけて熟考)。同性愛嫌悪云々ではなく、たしかに別の場所で論じなければならない問題ですね。「子どもを生まなければならないから同性婚反対」と声をあげる人の中に、一部、そのような背景を感じられる人がいるため、その背景に反応していたようです。
「女は生涯に渡って男に従うべき」って考え方が、猛烈に嫌いなんですよね……前述の理由により。「女にも幸せを享受する権利があって、それは必ずしも、他人が一揃い整えられるものではないんだが?」と、喧嘩上等の気分になってしまう。この他人とは、老若男女問わず、です。日本で五十年近く続いた家制度による、男性目線『のみ』の『女性のしあわせ』が、『そうじゃない感』がひどいといいますか……。
「対等な関係として『話し合おう』ぜ。男女平等、めざせ女性が輝く社会、なんだろ?」って気持ち。
そして「子どもを作るために異性婚があるんだから、同性婚反対」「生産性のない同性愛なんて気色悪い」みたいなスタンスの言葉を叫ぶ声が、『話し合い』をまるで拒否している雰囲気だったため、見誤りました。ネットで声を上げる人は極少数。胸に刻んで勉強を続けようと思います。
本文では、家父長制の定義を話し始めたらさらに文字数が、……( ;∀;)と諦めたのですが。
あ! 男が悪い、女は被害者なんて言ってませんからね! 誰にでも、女にもそういう文化的な素地がありうるので考え続けないとね、って思っています。答えの出ない問題なんて、気づかない方がむしろ楽ですし。悩むのは疲れるのに、迷路に迷い込んだりしますし。逃げてちゃダメなやつだ……つらい。
「これでもたぶんだいじょうぶ」はたいてい大丈夫じゃない、と、肝に命じようと思います。
ご指摘ありがとうございました。よい言葉が見つかったら、本文に追記しようと思います。
(わたしの物書きとしてのルールで、ひとつでも何らかの評価をいただいたら、その作品は消さない。と決めているため、文章自体は消しません。
お目汚しで申し訳ありませんが、恥ずかしい失敗もさらしたままにしておきます。)
>『衆道は文化』
嗜好とおっしゃる方々がよく主張される言葉ですね。『嗜好』としても存在していたことが、逆に理解を妨げているように思えます。
言葉も文化も知っていましたが、このエッセイを書くに当たって、再度読み直しました。日本は同性愛に寛容。そこだけピックアップして読めば(例えば取り急ぎ知るためにウィキだけ読んだとかの場合)、なるほどと言わざるをえない歴史です。嗜好として存在し続けてきたからこそ、言葉の定義がなかなか共有されないのかもしれません。いじめとかリンチとかに例を見る排除行動は、基本的にはさらっと大きな事件しか書いてありませんし。
かの議員のように昭和を生きた人たちなら、だれでも見聞きした経験はありそうですけれどね~。「おとこおんな~」「オカマ~」的な揶揄。平成は……まだましだったのかな? どうかな。当事者じゃなければわからない部分は多いですね。
>ホモフォビアという言葉です。ホモはラテン語で人間を、フォビアはギリシア語で恐怖症みたいな意味があります。男とか女とか関係ありません。
→【引用】現在の意味では、「ホモ」の部分はラテン語の homo (人間)ではなく、ホモセクシャルの homo- (ギリシア語で「同じ」の意)である。byウィキぺディア
ラテン語とギリシャ語の組み合わせがあったことは把握しております。その上で、現代で使われている言葉の意味を示すため、語源ギリシャ語と書きました。ウィキぺディアの記述によれば、宗教的背景については、頭に『また』とついています。それぞれの国により割合に差があるとしても、「宗教的背景とは?」と自分に問いかける人もまた、存在しているかと思われます。
宗教的背景が強いのは認識していますが、多宗教とも無宗教とも言われる日本です。厳格なキリスト教徒やイスラム教徒のかたなどがそのように教育を受け、それを常識として育ち、自身の中の嫌悪感に苦しんでいることもあるかもしれない? と思っての記述でした。宗教は国境を越えていますし、ネットは世界に開かれています(精度はともかく、翻訳すればかろうじて読めますし)。一概に日本、海外と分けて考えられないのではないかな? というわたしの見解でした。また、世界中で『理解がある』のに『自分の中に同性愛嫌悪がある』ことを悩まれている人はいらっしゃるのですよ~、という、軽い気持ちだったのです。「なんかまだ改稿し足りていない……」という違和感は、ここにもあったのか……。
わたしの表現力不足ですね。申し訳ありません。嫌悪があるのはおかしいことではない。と、まずは安心(?)して、それからゆっくり考えてほしいな、という情報提供のつもりでした。
ふぁるさま
感想ありがとうございます。わたしのエッセイで深く考察してくださって感謝します。ふぁるさまの感想で、新たな側面を知ることができました。
どうもウィキペディアの回し者になってしまった文章で申し訳ありません。単語や関連語を拾い上げてさらに検索するためのツールとしてよく使うため、身近なもので……。
作者の耳に痛い種類の感想を書かれるのも、ストレスがたまったのではないかと思います。また、喧嘩上等な作家による遅い返信も、不安に感じさせていたかもしれないと想像します。大変申し訳ありません。ありがとうございます。
ふぁるさまの感想には、感謝しかありません。
寒くなってきましたので、ふぁるさまもあたたかくしておすごしください。お時間をいただき、ありがとうございました。
返信が遅くなり、申し訳ありません。耳に痛い諫言でした、感謝しております。羞恥で転げまわりながら返信を書き連ねていたため、遅くなりました。わたしの中にある『攻撃性』を少しでも解明することができて、うれしく思います。
返信も長くなってしまいましたが、お時間のあるときに目を通していただければ幸いです。
>被害妄想。
この議題で常に感じる不快感の理由がはっきりしていなかったのですが、ご指摘を受けて少し形が見えてきました。配慮のある言葉で伝えてくださり、ありがたく思います。
わたしの中に、同性愛を嫌悪する方々と同じように、根深くて生理的な嫌悪があるようです。根深いというのは、どうにも変え難い、払拭しづらい、という意味で使いました。文化的、歴史的な根深さという側面を、本文中まったく意識していませんでした。申し訳ありません。
自分語りで恐縮ですが、説明したいのでしばらくお付き合いください。
家父長制(パターナリズム、家制度)というシステムや文化のようなものによって、大事な人が傷つき苦しんでいるのを、横で無力感に苛まれながら見ているしかなかった出来事が、わたしにはありました。誰が悪いと言うわけではなく、システムあるいは文化、常識としてそこに存在する同調圧力のような、目に見えない思想そのものが、あらゆる人の自由を奪い、権利を奪い、苦しめていたように思います。今ならばそう思えます。
家長として、あるいは後継者としての覚悟、とても重たいものであるかと思います。(子どもを作らなければならない。妻と子を守らなければならない。妻子をしあわせにしなければならない。家を絶えさせてはならない。など)自分の価値観として納得し、飲み込んで、そのようにあろうと心掛けていらっしゃるなら、立派なことです。
ただ、その重たすぎる責任を、背負いたいけれども背負いきれない人がいて、不幸の連鎖が起こることもあったのではないかと考えます。わたしが見聞きした、ささやかな事例のように。
家族全員を幸せにするためのシステムであろうとは思います。けれど、一人で家族全員を背負おうなどとは、だいぶ無茶な役割分担ではないかな? と思うのですが、どうでしょうか。優遇された側も、冷遇された側も、負担が大きいというか。
そういう文化のもとで存在した、「男尊女卑」という言葉でした。負の遺産、的な。
男性に負わされる『期待』を女性が理解しづらいように、女性に与えられる『庇護という名の、当人不在の不自由さ』を男性は理解しづらいかもしれない、と思われます。わたしの独りよがりかもしれませんが、まあそういう考えの人間もいる、程度にとらえてください。
――んんん(一日かけて熟考)。同性愛嫌悪云々ではなく、たしかに別の場所で論じなければならない問題ですね。「子どもを生まなければならないから同性婚反対」と声をあげる人の中に、一部、そのような背景を感じられる人がいるため、その背景に反応していたようです。
「女は生涯に渡って男に従うべき」って考え方が、猛烈に嫌いなんですよね……前述の理由により。「女にも幸せを享受する権利があって、それは必ずしも、他人が一揃い整えられるものではないんだが?」と、喧嘩上等の気分になってしまう。この他人とは、老若男女問わず、です。日本で五十年近く続いた家制度による、男性目線『のみ』の『女性のしあわせ』が、『そうじゃない感』がひどいといいますか……。
「対等な関係として『話し合おう』ぜ。男女平等、めざせ女性が輝く社会、なんだろ?」って気持ち。
そして「子どもを作るために異性婚があるんだから、同性婚反対」「生産性のない同性愛なんて気色悪い」みたいなスタンスの言葉を叫ぶ声が、『話し合い』をまるで拒否している雰囲気だったため、見誤りました。ネットで声を上げる人は極少数。胸に刻んで勉強を続けようと思います。
本文では、家父長制の定義を話し始めたらさらに文字数が、……( ;∀;)と諦めたのですが。
あ! 男が悪い、女は被害者なんて言ってませんからね! 誰にでも、女にもそういう文化的な素地がありうるので考え続けないとね、って思っています。答えの出ない問題なんて、気づかない方がむしろ楽ですし。悩むのは疲れるのに、迷路に迷い込んだりしますし。逃げてちゃダメなやつだ……つらい。
「これでもたぶんだいじょうぶ」はたいてい大丈夫じゃない、と、肝に命じようと思います。
ご指摘ありがとうございました。よい言葉が見つかったら、本文に追記しようと思います。
(わたしの物書きとしてのルールで、ひとつでも何らかの評価をいただいたら、その作品は消さない。と決めているため、文章自体は消しません。
お目汚しで申し訳ありませんが、恥ずかしい失敗もさらしたままにしておきます。)
>『衆道は文化』
嗜好とおっしゃる方々がよく主張される言葉ですね。『嗜好』としても存在していたことが、逆に理解を妨げているように思えます。
言葉も文化も知っていましたが、このエッセイを書くに当たって、再度読み直しました。日本は同性愛に寛容。そこだけピックアップして読めば(例えば取り急ぎ知るためにウィキだけ読んだとかの場合)、なるほどと言わざるをえない歴史です。嗜好として存在し続けてきたからこそ、言葉の定義がなかなか共有されないのかもしれません。いじめとかリンチとかに例を見る排除行動は、基本的にはさらっと大きな事件しか書いてありませんし。
かの議員のように昭和を生きた人たちなら、だれでも見聞きした経験はありそうですけれどね~。「おとこおんな~」「オカマ~」的な揶揄。平成は……まだましだったのかな? どうかな。当事者じゃなければわからない部分は多いですね。
>ホモフォビアという言葉です。ホモはラテン語で人間を、フォビアはギリシア語で恐怖症みたいな意味があります。男とか女とか関係ありません。
→【引用】現在の意味では、「ホモ」の部分はラテン語の homo (人間)ではなく、ホモセクシャルの homo- (ギリシア語で「同じ」の意)である。byウィキぺディア
ラテン語とギリシャ語の組み合わせがあったことは把握しております。その上で、現代で使われている言葉の意味を示すため、語源ギリシャ語と書きました。ウィキぺディアの記述によれば、宗教的背景については、頭に『また』とついています。それぞれの国により割合に差があるとしても、「宗教的背景とは?」と自分に問いかける人もまた、存在しているかと思われます。
宗教的背景が強いのは認識していますが、多宗教とも無宗教とも言われる日本です。厳格なキリスト教徒やイスラム教徒のかたなどがそのように教育を受け、それを常識として育ち、自身の中の嫌悪感に苦しんでいることもあるかもしれない? と思っての記述でした。宗教は国境を越えていますし、ネットは世界に開かれています(精度はともかく、翻訳すればかろうじて読めますし)。一概に日本、海外と分けて考えられないのではないかな? というわたしの見解でした。また、世界中で『理解がある』のに『自分の中に同性愛嫌悪がある』ことを悩まれている人はいらっしゃるのですよ~、という、軽い気持ちだったのです。「なんかまだ改稿し足りていない……」という違和感は、ここにもあったのか……。
わたしの表現力不足ですね。申し訳ありません。嫌悪があるのはおかしいことではない。と、まずは安心(?)して、それからゆっくり考えてほしいな、という情報提供のつもりでした。
ふぁるさま
感想ありがとうございます。わたしのエッセイで深く考察してくださって感謝します。ふぁるさまの感想で、新たな側面を知ることができました。
どうもウィキペディアの回し者になってしまった文章で申し訳ありません。単語や関連語を拾い上げてさらに検索するためのツールとしてよく使うため、身近なもので……。
作者の耳に痛い種類の感想を書かれるのも、ストレスがたまったのではないかと思います。また、喧嘩上等な作家による遅い返信も、不安に感じさせていたかもしれないと想像します。大変申し訳ありません。ありがとうございます。
ふぁるさまの感想には、感謝しかありません。
寒くなってきましたので、ふぁるさまもあたたかくしておすごしください。お時間をいただき、ありがとうございました。
- あきの
- 2020年 11月05日 14時34分
[一言]
とりあえず、「異性愛でも同性愛でもMtFでもFtMでもXジェンダーでも、好みがあります。選ばない権利があります」それが肝要です。
「あなたと結婚しない理由、子どもを持たない理由」って、「わたしは同性が好きだから」ではないんです。「あなたはわたしの生涯の伴侶として、残念ながら求めるものではないから」なんです。(本文より)
私もそう思います。
私は人をlikeの意味でしか好きになった事は有りませんが
結局それでも「好きな人は男女問わず好き!嫌いな人は嫌い!」なんですよね。
小学生の頃は女と遊ぶなんて、とか思っていましたが実際関係ないんですよ、性別なんて。(とはいえ、結婚とかそういったそういう物とは、また違うのかも知れませんが)
他者との関係なんてそんなものでいいんじゃないですか?好きだから付き合いたい、生産性だとか面倒なことは関係無いんじゃないかなって。
*社会の事を何も理解していない学生の意見です。
間違った解釈をしている可能性があるので、もし間違っていたら教えてください。
皆さんの様な賢い事は言えませんが、私が思ったことを
私なりに言ってみただけですので悪しからず。
とりあえず、「異性愛でも同性愛でもMtFでもFtMでもXジェンダーでも、好みがあります。選ばない権利があります」それが肝要です。
「あなたと結婚しない理由、子どもを持たない理由」って、「わたしは同性が好きだから」ではないんです。「あなたはわたしの生涯の伴侶として、残念ながら求めるものではないから」なんです。(本文より)
私もそう思います。
私は人をlikeの意味でしか好きになった事は有りませんが
結局それでも「好きな人は男女問わず好き!嫌いな人は嫌い!」なんですよね。
小学生の頃は女と遊ぶなんて、とか思っていましたが実際関係ないんですよ、性別なんて。(とはいえ、結婚とかそういったそういう物とは、また違うのかも知れませんが)
他者との関係なんてそんなものでいいんじゃないですか?好きだから付き合いたい、生産性だとか面倒なことは関係無いんじゃないかなって。
*社会の事を何も理解していない学生の意見です。
間違った解釈をしている可能性があるので、もし間違っていたら教えてください。
皆さんの様な賢い事は言えませんが、私が思ったことを
私なりに言ってみただけですので悪しからず。
文字数でまずは読者を振るい落とすエッセイを最後まで読んで、感想まで送ってくださる読者様、みんな神様じゃん……。(拝み拝み)
sterbenさま、感想ありがとうございます。
賢いことを言えないなんておっしゃらないでください。あれは、わたしも含め、ただの知識マウント合戦です。含めって言うか、わたしが筆頭だな、こんなエッセイを放出してる時点で。
喧嘩上等の返信を量産していて、常識的な感想を書いてくださる読者様のお目汚しで、大変申し訳なく思っております(見苦しいのは喧嘩上等のわたしのことです)。
sterbenさまはこんな尖ったおとなにならないでくださいね。生きづらくなります(笑)
>「好きな人は男女問わず好き!嫌いな人は嫌い!」なんですよね。(中略)
他者との関係なんてそんなものでいいんじゃないですか?好きだから付き合いたい、生産性だとか面倒なことは関係無いんじゃないかなって。
その通りです。少なくとも、見知らぬ他人から賢(さか)しらに矯正される理由はありません。「あなた」と「わたし」の同意のもと、二人にとってもっとも心地よい関係を築くのがいちばんだと思います。もちろん、ひとりも複数も、当人が納得できているならそれでいいじゃないですか。loveじゃなくlikeであっても、もちろん。
性自認も性的指向も性的嗜好も、性格の一部分と同じだと思うんですよ。(生理的にムリであることも含めて)
政治的には、個人の幸福の追求ばかりされると困るんだろうな、とは思います。政治についてはまったく語れる知識を持っていませんが、単純に考えて、年収八百万だったのが年収三百万になったら、使える金のやりくりがそりゃもうたいへんだから、働き手が減ったら困るんだろうな、とか。働き手自体の数もそうですね。人手不足で倒産。みたいな。
しかし、生めや増やせを主張する方々の大半が、「両性の合意」という人権を、都合よく曲解、あるいは無視しているように見えてしまうんですよね。(もちろんわたしの個人的な感覚です)
そして差別意識とは、自分のものは気づけないのです。おそらくわたしにもありますが、わかりません。そういうものなんでしょうね。
一生懸命考えていても、それでも人を傷つけることはありますから。
喧嘩上等だとなおさらです。((((;゜Д゜)))
憲法24条1項「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」
これの『両性』を男女の組み合わせであると限定するのが反対派の主だった主張のようです。だから憲法違反で、だから同性婚はダメ。
しかし、戸長(家で一番偉い人。≒家長)の同意がないと結婚できないよ、という立憲当時の法律を、当事者両人の合意だけで結婚できるよとしたのが、憲法24条です。(ざっくり大意)
「当事者両人、ってニュアンスで読めますよね、この『両性』?」っていうのが、最近の趨向(すうこう)なのです。
インターネットは膨大な知の海ですが、漕ぎ出すためには指針がなければなりません。小説家になろうという無料ツールには、指針となるたくさんの星が輝いています。自分の考えを裏付けるためだけにネットを漁ることもできます。自分の知識が正しいかどうか、調べることだってできます。でもそのためには、検索に使う『単語』が必要じゃないですか。
話題になった同性婚ってなに?
その小さな疑問に答えを探す人のために、このエッセイがとっかかりになればな。そう思って投稿しました。言いたいことが多すぎて稚拙なエッセイになってしまいましたが。
わたしの意見に賛同も反対もする必要はないのです。自分の考えを深めるために、単語だけ拾っていって、忘れてくださってかまいません。
ですので、sterbenさま。
思ったことを話してくださってありがとうございます。わたしの分かる範囲では、何も間違った解釈はしておられないと思います。社会のことなんて社会人だってだれも理解しきれていませんよ。ご心配なく。
ところでお名前、とてもクールですね。何語? なんて読むの? って思って、調べてしまいました。ぜったいこの人、(言わないだけで)頭いい人だぞ、という気持ちになったので、長文の返信になってしまいました。お時間を取らせて申し訳ありません。
感想、ありがとうございました。
sterbenさま、感想ありがとうございます。
賢いことを言えないなんておっしゃらないでください。あれは、わたしも含め、ただの知識マウント合戦です。含めって言うか、わたしが筆頭だな、こんなエッセイを放出してる時点で。
喧嘩上等の返信を量産していて、常識的な感想を書いてくださる読者様のお目汚しで、大変申し訳なく思っております(見苦しいのは喧嘩上等のわたしのことです)。
sterbenさまはこんな尖ったおとなにならないでくださいね。生きづらくなります(笑)
>「好きな人は男女問わず好き!嫌いな人は嫌い!」なんですよね。(中略)
他者との関係なんてそんなものでいいんじゃないですか?好きだから付き合いたい、生産性だとか面倒なことは関係無いんじゃないかなって。
その通りです。少なくとも、見知らぬ他人から賢(さか)しらに矯正される理由はありません。「あなた」と「わたし」の同意のもと、二人にとってもっとも心地よい関係を築くのがいちばんだと思います。もちろん、ひとりも複数も、当人が納得できているならそれでいいじゃないですか。loveじゃなくlikeであっても、もちろん。
性自認も性的指向も性的嗜好も、性格の一部分と同じだと思うんですよ。(生理的にムリであることも含めて)
政治的には、個人の幸福の追求ばかりされると困るんだろうな、とは思います。政治についてはまったく語れる知識を持っていませんが、単純に考えて、年収八百万だったのが年収三百万になったら、使える金のやりくりがそりゃもうたいへんだから、働き手が減ったら困るんだろうな、とか。働き手自体の数もそうですね。人手不足で倒産。みたいな。
しかし、生めや増やせを主張する方々の大半が、「両性の合意」という人権を、都合よく曲解、あるいは無視しているように見えてしまうんですよね。(もちろんわたしの個人的な感覚です)
そして差別意識とは、自分のものは気づけないのです。おそらくわたしにもありますが、わかりません。そういうものなんでしょうね。
一生懸命考えていても、それでも人を傷つけることはありますから。
喧嘩上等だとなおさらです。((((;゜Д゜)))
憲法24条1項「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」
これの『両性』を男女の組み合わせであると限定するのが反対派の主だった主張のようです。だから憲法違反で、だから同性婚はダメ。
しかし、戸長(家で一番偉い人。≒家長)の同意がないと結婚できないよ、という立憲当時の法律を、当事者両人の合意だけで結婚できるよとしたのが、憲法24条です。(ざっくり大意)
「当事者両人、ってニュアンスで読めますよね、この『両性』?」っていうのが、最近の趨向(すうこう)なのです。
インターネットは膨大な知の海ですが、漕ぎ出すためには指針がなければなりません。小説家になろうという無料ツールには、指針となるたくさんの星が輝いています。自分の考えを裏付けるためだけにネットを漁ることもできます。自分の知識が正しいかどうか、調べることだってできます。でもそのためには、検索に使う『単語』が必要じゃないですか。
話題になった同性婚ってなに?
その小さな疑問に答えを探す人のために、このエッセイがとっかかりになればな。そう思って投稿しました。言いたいことが多すぎて稚拙なエッセイになってしまいましたが。
わたしの意見に賛同も反対もする必要はないのです。自分の考えを深めるために、単語だけ拾っていって、忘れてくださってかまいません。
ですので、sterbenさま。
思ったことを話してくださってありがとうございます。わたしの分かる範囲では、何も間違った解釈はしておられないと思います。社会のことなんて社会人だってだれも理解しきれていませんよ。ご心配なく。
ところでお名前、とてもクールですね。何語? なんて読むの? って思って、調べてしまいました。ぜったいこの人、(言わないだけで)頭いい人だぞ、という気持ちになったので、長文の返信になってしまいました。お時間を取らせて申し訳ありません。
感想、ありがとうございました。
- あきの
- 2020年 11月04日 00時38分
[良い点]
ちゃんと「性的指向」と「性的嗜好」の区別がついていること。
以外とこの二つの違いを知らずにエッセイを書いてたり感想欄で自説を展開する方多いんですよね。
[気になる点]
性自認についてもさわりだけでも解説してくれたらもっと分かりやすくなったと思います。
例えばストレートの方なら
私は男性で(性自認)
女の人が好きで(性的指向)
若い子がすきです(性的嗜好)
頭を撫でられて興奮します(性的嗜好)
みたいな感じの具体的な例文があると意味を掴みやすいかなと思いました。
建設的な議論には肯定派も否定派も言葉の前提がちゃんと共有できているかが大事ですもんね
[一言]
今回の炎上議員は無知ゆえの恐怖なんじゃないかなと。
教育を受けた時代に同性愛者がいないものとされていたので、いま突然湧いて出てきたみたいに思っちゃうんじゃないのかな~と。
そう考えると、このての発言をする人たちがマ○コ・デラックスとかミッツ・マングロ○ブとかの芸能人の名前を出して「日本は同性愛に寛容」なんて言えるのもその人たち以外見えていない、知らない証拠なんじゃないかなと。
知らないから怖いし、否定という結論ありきの理論を構築しちゃう。暴論になってもおかしいと考えることが出来ない。
そういうアップデートが苦手な人が男尊女卑思考が強いんじゃないかなと。完全に個人の感想ですけど。
ちゃんと「性的指向」と「性的嗜好」の区別がついていること。
以外とこの二つの違いを知らずにエッセイを書いてたり感想欄で自説を展開する方多いんですよね。
[気になる点]
性自認についてもさわりだけでも解説してくれたらもっと分かりやすくなったと思います。
例えばストレートの方なら
私は男性で(性自認)
女の人が好きで(性的指向)
若い子がすきです(性的嗜好)
頭を撫でられて興奮します(性的嗜好)
みたいな感じの具体的な例文があると意味を掴みやすいかなと思いました。
建設的な議論には肯定派も否定派も言葉の前提がちゃんと共有できているかが大事ですもんね
[一言]
今回の炎上議員は無知ゆえの恐怖なんじゃないかなと。
教育を受けた時代に同性愛者がいないものとされていたので、いま突然湧いて出てきたみたいに思っちゃうんじゃないのかな~と。
そう考えると、このての発言をする人たちがマ○コ・デラックスとかミッツ・マングロ○ブとかの芸能人の名前を出して「日本は同性愛に寛容」なんて言えるのもその人たち以外見えていない、知らない証拠なんじゃないかなと。
知らないから怖いし、否定という結論ありきの理論を構築しちゃう。暴論になってもおかしいと考えることが出来ない。
そういうアップデートが苦手な人が男尊女卑思考が強いんじゃないかなと。完全に個人の感想ですけど。
うおおおおお! わたしより短い文章でわたしよりわたしのエッセイの趣旨を理解してくださった読者さまが感想欄に書きこんでくださっている~!!(五体投地) ありがとう、ありがとう、あなたは神様ですか。
(一晩経ちました)
茹で春巻きさま
感想、ありがとうございます! とてもうれしいです! そうなんです! 議論をするからには言葉の前提を共有したい。それです! そう書けばよかったんですね!
一晩経っても興奮は冷めませんでした。やかましくて申し訳ありません。文章が乱れているのも、申し訳ありません。ささくれていた心に沁みます。テーマから覚悟はしていたんですけど、ささくれはしますね。
具体的な例文もとてもわかりやすいです。わたしの脳みそでは考えつきませんでした。ありがとうございます。説明することばかりに、躍起になっておりました。たしかにとてもわかりやすくなります。
感想欄が流されてしまったらもったいないくらいです。青い鳥のSNSみたいに、ピン止めできたらいいのに。
否定という結論ありきの理論構築。
なるほど、考えさせられます。だれにでも起こりえる、思考のゆがみっぽいですね。いろいろな立場の人から、いろいろな意見をうかがうことは大事だと、改めて感じました。
教育を受けた時代に同性愛者がいないものとされていた、とのことで、ウィキでちらっと歴史を勉強してきました(歴史の勉強に苦手意識が強いため、ちらっとしか勉強できませんでした)。最も脳みそが働いていて、性的なものに関心を持つ年ごろ、第二次性徴~三十代くらいの間に起こった出来事を見ると、たしかにそうだな。と思いました。
当事者は自発的に調べ、学ぶでしょうが、そうでなければ、大きな社会的うねりしか認識していないかもしれません。同性愛は精神の病気という認識(現在は撤回)が海外から入ってきたり、青少年の非行の一種だとされたり、ハッテン場という開放的な交流の場があったり、AIDS(エイズ)はホモセクシャルの病気であるとマスコミが世論誘導をしたり、同性愛者いじめがあったり。あと家父長制とか。
そういう時代に全盛期だった、現在老齢の政治家の方々には、たしかに受け入れがたいものなのかもしれません。未知のものが怖い自分を認めるのもまた、むずかしそうです。
それでも『現役』政治家である以上、勉強してアップデートしろと言う意見は、まあ変わりませんよね(笑)
マツコさんやミッツさんはそういうキャラクターの芸能人として自分を演出していらっしゃるでしょうから、例外的ですよね~……。お二方とも、頭の良い方々だと思いますので、タレントとしてけっこう好きです。でも同性愛者の例として出すのは、ほんとに「知らない証拠」っぽいですね。
茹で春巻きさま
肯定的な「良い点」と「気になる点」、「一言」における個人の感想の書き込み、ありがとうございました。建設的な議論のための『言葉の前提』段階で盛大に転んでいる感想欄の膨大な文字数の中、茹で春巻きさまの感想をいただけたことは、大きな救いになりました。まあその膨大な文字数を生産しているのはわたしですけど。(短い言葉だと曲解されそうだったもので)
怒っているときの決断は、例外なくすべて間違い。とわたしの好きなつぶやき主さんが教えてくださっているのになぁ、と常々自戒するばかりです。
(一晩経ちました)
茹で春巻きさま
感想、ありがとうございます! とてもうれしいです! そうなんです! 議論をするからには言葉の前提を共有したい。それです! そう書けばよかったんですね!
一晩経っても興奮は冷めませんでした。やかましくて申し訳ありません。文章が乱れているのも、申し訳ありません。ささくれていた心に沁みます。テーマから覚悟はしていたんですけど、ささくれはしますね。
具体的な例文もとてもわかりやすいです。わたしの脳みそでは考えつきませんでした。ありがとうございます。説明することばかりに、躍起になっておりました。たしかにとてもわかりやすくなります。
感想欄が流されてしまったらもったいないくらいです。青い鳥のSNSみたいに、ピン止めできたらいいのに。
否定という結論ありきの理論構築。
なるほど、考えさせられます。だれにでも起こりえる、思考のゆがみっぽいですね。いろいろな立場の人から、いろいろな意見をうかがうことは大事だと、改めて感じました。
教育を受けた時代に同性愛者がいないものとされていた、とのことで、ウィキでちらっと歴史を勉強してきました(歴史の勉強に苦手意識が強いため、ちらっとしか勉強できませんでした)。最も脳みそが働いていて、性的なものに関心を持つ年ごろ、第二次性徴~三十代くらいの間に起こった出来事を見ると、たしかにそうだな。と思いました。
当事者は自発的に調べ、学ぶでしょうが、そうでなければ、大きな社会的うねりしか認識していないかもしれません。同性愛は精神の病気という認識(現在は撤回)が海外から入ってきたり、青少年の非行の一種だとされたり、ハッテン場という開放的な交流の場があったり、AIDS(エイズ)はホモセクシャルの病気であるとマスコミが世論誘導をしたり、同性愛者いじめがあったり。あと家父長制とか。
そういう時代に全盛期だった、現在老齢の政治家の方々には、たしかに受け入れがたいものなのかもしれません。未知のものが怖い自分を認めるのもまた、むずかしそうです。
それでも『現役』政治家である以上、勉強してアップデートしろと言う意見は、まあ変わりませんよね(笑)
マツコさんやミッツさんはそういうキャラクターの芸能人として自分を演出していらっしゃるでしょうから、例外的ですよね~……。お二方とも、頭の良い方々だと思いますので、タレントとしてけっこう好きです。でも同性愛者の例として出すのは、ほんとに「知らない証拠」っぽいですね。
茹で春巻きさま
肯定的な「良い点」と「気になる点」、「一言」における個人の感想の書き込み、ありがとうございました。建設的な議論のための『言葉の前提』段階で盛大に転んでいる感想欄の膨大な文字数の中、茹で春巻きさまの感想をいただけたことは、大きな救いになりました。まあその膨大な文字数を生産しているのはわたしですけど。(短い言葉だと曲解されそうだったもので)
怒っているときの決断は、例外なくすべて間違い。とわたしの好きなつぶやき主さんが教えてくださっているのになぁ、と常々自戒するばかりです。
- あきの
- 2020年 11月02日 14時45分
[一言]
①>タイトルだけ読んであとはさらっと流し見て、自説開陳しました、という感想ではないことを切に願います。
それはありません。中身もすべて読みました。
ただし、その内容に関して、あなたが求めてるとおりに咀嚼できなかったですが。だからこそ、私はこう考えているという部分で、感想を書きました。
ただ返信を読んで改めて思うのは、本文もそうですけど、非常に攻撃的ですね。
②>ここで使われている『性的指向』とは、自分(の心)は女性である、という意味かと思われます。肉体は男性、心は女性、好きになる相手は女性。という意味のレズビアンという認識であっていますか?
→はいそうです。
③>第三者からどのように見えようとも、この方が女性同性愛者だという分類に異存はありません。クロスオーバーさまが『性的嗜好』としている部分については、やはりわたしは『性的指向』であると考えます。
→私はそう思っていません。
ここが相違部分だと思いますし、故に、私はそこを主張しました。
④>恋愛感情って、コントロールできるんですか? 恋には『落ちる』ものなのではないんですか?
→多くの人は、恋愛感情を抑制的に扱ってますよね?
相手の気持ちも考えて、自分の気持ちを押さえてますよね?
⑤>恋人関係って性的なコミュニケーションと切り離せないものなんじゃないんですか?
→恋人関係を、性的なコミュニケーションと切り離して考えることは可能ですし、性的なコミュニケーションと切り離した愛情表現はあります。
⑥>性行為は悪ですか?
→例えば、小児性愛や、性行為の強要は悪とされていますし、私はその事に同意する立場です。
⑦> そもそもが、恋愛ってどういう気持ちなのかと問われて、明瞭に答えられる人がいるでしょうか?
→それならば、なおさら色々な解釈が成立するわけで、これが正しい、と、なおさら言えないと思います。
⑧>恋愛を語るとき、性愛を切り離せる人はとても少ないんじゃないかと思います。
→それこそ詭弁ですよ。
それならば、身体的性こそが恋愛の全てだ。性衝動こそが恋愛の本質である、となるだけです。
⑨>多数派に『許容』されて存在するセクマイの気持ちって、考えましたか?(差別的意見に見えますよ、対等であるはずの人間に対して)
→普通に考えたこともありますし、そうした友人がいたこともあります。
あなたの主張によれば、民主主義における多数決は、差別ですね。
しかし、マイノリティの主張が、マジョリティの主張を押しのけて決定される場合も、又、差別ですね。それどころか、この場合は少数支配になりますね。
私は賢人政治を否定しませんから、そこに道理があるなら、それでもいいと思う立場です。
が、それには、少数派が多数派を説得できることが前提です。
今回のエッセイにおいては、個人的には共感も同意もできなかったです。
◆
私はまだ、同性愛という存在を肯定する立場ですが、そうでない立場の人に、その理解を求めようとするならば、今回のエッセイって逆効果だと思うんですよね。
あなたの主張する、性的指向の話にしても、本当はね、もっとかみ砕かないと、普通の人には理解されない話です。
それにね、『性的指向』という言葉を定義する根拠としてよく使用される『先天的性』というのは、根拠としては脆弱ですし、もっといえば、例えそうだとしても、『社会を存続させるための制度として考えた場合』、それだけでは異性婚と同等とするには足りない。
しかし、異性婚と同等としなくとも、別制度としてやれば問題ないわけですよね。私はその立場です。
①>タイトルだけ読んであとはさらっと流し見て、自説開陳しました、という感想ではないことを切に願います。
それはありません。中身もすべて読みました。
ただし、その内容に関して、あなたが求めてるとおりに咀嚼できなかったですが。だからこそ、私はこう考えているという部分で、感想を書きました。
ただ返信を読んで改めて思うのは、本文もそうですけど、非常に攻撃的ですね。
②>ここで使われている『性的指向』とは、自分(の心)は女性である、という意味かと思われます。肉体は男性、心は女性、好きになる相手は女性。という意味のレズビアンという認識であっていますか?
→はいそうです。
③>第三者からどのように見えようとも、この方が女性同性愛者だという分類に異存はありません。クロスオーバーさまが『性的嗜好』としている部分については、やはりわたしは『性的指向』であると考えます。
→私はそう思っていません。
ここが相違部分だと思いますし、故に、私はそこを主張しました。
④>恋愛感情って、コントロールできるんですか? 恋には『落ちる』ものなのではないんですか?
→多くの人は、恋愛感情を抑制的に扱ってますよね?
相手の気持ちも考えて、自分の気持ちを押さえてますよね?
⑤>恋人関係って性的なコミュニケーションと切り離せないものなんじゃないんですか?
→恋人関係を、性的なコミュニケーションと切り離して考えることは可能ですし、性的なコミュニケーションと切り離した愛情表現はあります。
⑥>性行為は悪ですか?
→例えば、小児性愛や、性行為の強要は悪とされていますし、私はその事に同意する立場です。
⑦> そもそもが、恋愛ってどういう気持ちなのかと問われて、明瞭に答えられる人がいるでしょうか?
→それならば、なおさら色々な解釈が成立するわけで、これが正しい、と、なおさら言えないと思います。
⑧>恋愛を語るとき、性愛を切り離せる人はとても少ないんじゃないかと思います。
→それこそ詭弁ですよ。
それならば、身体的性こそが恋愛の全てだ。性衝動こそが恋愛の本質である、となるだけです。
⑨>多数派に『許容』されて存在するセクマイの気持ちって、考えましたか?(差別的意見に見えますよ、対等であるはずの人間に対して)
→普通に考えたこともありますし、そうした友人がいたこともあります。
あなたの主張によれば、民主主義における多数決は、差別ですね。
しかし、マイノリティの主張が、マジョリティの主張を押しのけて決定される場合も、又、差別ですね。それどころか、この場合は少数支配になりますね。
私は賢人政治を否定しませんから、そこに道理があるなら、それでもいいと思う立場です。
が、それには、少数派が多数派を説得できることが前提です。
今回のエッセイにおいては、個人的には共感も同意もできなかったです。
◆
私はまだ、同性愛という存在を肯定する立場ですが、そうでない立場の人に、その理解を求めようとするならば、今回のエッセイって逆効果だと思うんですよね。
あなたの主張する、性的指向の話にしても、本当はね、もっとかみ砕かないと、普通の人には理解されない話です。
それにね、『性的指向』という言葉を定義する根拠としてよく使用される『先天的性』というのは、根拠としては脆弱ですし、もっといえば、例えそうだとしても、『社会を存続させるための制度として考えた場合』、それだけでは異性婚と同等とするには足りない。
しかし、異性婚と同等としなくとも、別制度としてやれば問題ないわけですよね。私はその立場です。
【クロスオーバーさまの返信、コピペ】
> 今回のエッセイにおいては、個人的には共感も同意もできなかったです。
◆
私はまだ、同性愛という存在を肯定する立場ですが、そうでない立場の人に、その理解を求めようとするならば、今回のエッセイって逆効果だと思うんですよね。
あなたの主張する、性的指向の話にしても、本当はね、もっとかみ砕かないと、普通の人には理解されない話です。
それにね、『性的指向』という言葉を定義する根拠としてよく使用される『先天的性』というのは、根拠としては脆弱ですし、もっといえば、例えそうだとしても、『社会を存続させるための制度として考えた場合』、それだけでは異性婚と同等とするには足りない。
しかし、異性婚と同等としなくとも、別制度としてやれば問題ないわけですよね。私はその立場です。
【クロスオーバーさまの返信、コピペ、ここまで】
私の考えはマイページの活動報告(2020/9/17)にあります。興味がありましたらご覧ください。
【あきの、追記部分】
↑みたいなものが、他者の作品に対する『感想』なんじゃないかな~、というのがわたしの価値観です。コピペなのでちょっと文脈は乱れますが、なり切って書くわけにもいきませんので。
クロスオーバーさまの感想への価値観は、実際に行動で示していただいたので、明文化していただく必要はありません。
エッセイ本文について、攻撃的であるというご意見は謹んで受け取ります。怒りや苛立ちをモチベーションに書いた文章は千々に破って捨てるべきだったと反省しています。☆をつけてくださった人がいるため、削除はしませんけれど。
感想に対する返信が攻撃的であった点については、ケンカを買いましたがなにか? としか言いようがありません。『買った』と表現する理由について、お話しします。
ここはわたしが書いたエッセイの感想欄です。わたしが投稿したエッセイは、読むのも読まないのも自由な、無料の、『個人的意見』です。あなたはタイトルをクリックしない権利があります。本文を読まない権利があります。途中で読むのをやめる権利があります。最後まで不愉快な思いをしながら読む権利もあります。そのまま、つまらないものを読んだと忘れる権利もあります。つまらないものを読んでしまったと怒りを感じる権利もあります。作者をブロック、ミュートする権利があります。人格否定などの誹謗中傷でないならば、私は異なる意見であるという感想を書き込む権利はあります。
ですが、私は異なる意見である、と前置きしないまま、自分の考えを感想欄に吊り下げるのは、権利を逸脱した行為であると、作者であるわたしが感じました。
「あなたの意見を読んで、私は違う考えであるので、これからしゃべります」
そのような前置きが一文あるだけで、クロスオーバーさまの一番目の感想は、感想として作者に受け取らせることができます。このエッセイの作者として、わたしは受け取る意志があります。
ですがクロスオーバーさま。
あなたは前置きも何もなく、自説を語りはじめました。要所要所で、あなたの活動報告のコピペだなと思わせる文章です。「性的嗜好」「性的指向」「少子化」というお題で書かれた、わたしとは意見を異にするエッセイ(抄)のようです。わたしのエッセイに対する感想ではなく、自分のかねてからの考えを書き連ねたものです。何度も読み返し、この文章を書いている今も何度も目を通していますが、そのように読めてしまいます。「あなたは性的指向を○○という意味で使っているようだが」、などの文章が入っていたら、まだ受け取り方は違ったかもしれません。
タイトルだけ読んであとはさらっと流し見て、自説開陳しました。そのように読めてしまう『感想』でした。
「あなたの書いたエッセイで私はこう思ったので感想欄に書いた」とおっしゃるかもしれませんね。わたしにとっては、感想じゃありませんでしたけど。
わたしのエッセイをどのように受け取るかは、読者様の自由です。エッセイ本文が攻撃的である。甘んじて受け取りましょう、自覚はあります。テーマが行方不明なのも自覚しています。読者様の思いや考えを、わたしが否定することはできませんし、しません。ご自由にどうぞ。
ただ、わたしはこのエッセイの作者です。稚拙であろうとも、この作品はわたしのテリトリーです。わたしはわたしのテリトリーの、治安を維持する義務があります。この作品の主はわたしです。
クロスオーバーさまの一回目の感想は、真っ向からケンカを売る態度であると判断しました。あなたの持説であるのに、わたしの読まない権利を侵害しているためです。
感想とは、作品に対して与えられたものです。宝石でもクズ石でも、作品の作者へ宛てられたプレゼントです。個人に宛てられたものですから、基本的には受け取らなければなりません。投稿とは違います。わたしにとってのクズ石ばかり送ってくる贈り主を、最終的にはブロック、ミュートすることもできますが。
クロスオーバーさま。
あなたはあなたの持論をエッセイで発表する権利があります。あきのという作者が書いたエッセイ、『同性愛って『嗜好』じゃなくて『指向』なんですよ、って話。』を読んで思ったこと。とリンクを貼って発表する権利は持っています。それを読むか読まないか、決めるのはわたしです。おそらく読むでしょうけれど、クロスオーバーさまの活動報告での内容のままなら、感想書き込みも評価もブクマもせず、ブラウザバックするでしょう。残念ながら、わたしには咀嚼できなかったので。
ですが、他人の作品の感想欄にエッセイのように読める感想を貼りつけるのは筋違いです。
一回目の感想への返信は、そのような考えで行ないました。
一人相撲wwwと、画面の向こうであなたは笑っているかもしれませんが。
感想②について。
感想返信への返信、ありがとうございます。その労力に対しては、お礼を言っておきます。膨大な文字数の文章を読んでくださってありがとうございます。
ところで、反論前提のピックアップですね? ご自身の考えを述べられる部分を切り取って、否定的なコメントをするために極端な解釈をして、ご意見をくださったように読み取れます。あなたにそのような自覚はないかもしれません。わたしにはそのように読み取れました。ある文章に対して、どのように読むかは読者にゆだねられています。あなたの感想をわたしがどのように読むか、も同じです。あなたの考えがわたしに伝わっていないと思われるなら、まあそのとおりです。あなたの意見はいちゃもんに近いものだとわたしは読解します。
質問に答えないで、質問自体に疑問、反論を投げかけているじゃないですか。あなたが肯定したのは、「あなたの意見をこのように読み取りましたがあっていますか?」という部分だけです。他はすべて受け入れがたいから取り上げなかった、というのでしたら、完全に水掛け論であり、議論するだけ時間と労力の無駄ですね。なんで感想欄に現れたのですか? あなたにはこのエッセイを『あなたの中から』捨て去る権利があります。そしてこの作品の所有主であるわたしは、あなたの遊び道具ではない。
エッセイ本文中に何度も、「選ばない権利があります」という言葉を入れました。
セクハラ、痴漢、強制わいせつ、同意のない性行為、準強姦、強姦、性的虐待、ストーカー行為、実際に行動を起こす小児性愛など、あらゆる性犯罪、またそれに類する行為は、法律的にも倫理的にも許されません。そのようにかみ砕いて表現しなければ、伝わりませんでしたか? 実は最後の最後まで、エッセイ本文にその文章を入れるかどうか迷い、考え、最終段階で削除しました。道徳的な社会生活を営む読者の方々には、当たり前の前提として認識されていると思ったからです。
多数決は差別。ありうるとは思っています。一部、例外的に、そのようなことが起こるかもしれない、と思っています。少数派が勝つ。いわゆる逆差別でしょうか。声の大きい人が、善良で温厚な人々を黙らせてしまう行為を、わたしは憎みます。
あなたの発言は差別的に見える、という真意は伝わっていないようです。
「犯罪行為を行ったわけでもないわたしが、わたしとして現実を生きていることに、他人の許可は必要ない」という意味です。「あなたが今のあなたのまま、小説家になろうという巨大なコミュニティに存在することを、心の広いわたしは許可、許容します」と言われたら、クロスオーバーさまはどう思われますか? 不愉快ではないですか? そういう話をしています。
あなたが『小説家になろう』という巨大なコミュニティに存在することを、わたしは許可も拒否もしません。今のところ、通報までは致しません。しかし、あなたのご意見は、わたしには不要であるようです。
クロスオーバーさまの、わたしの作品に対する感想。「共感も同意もできない。理解を求めるならむしろ逆効果である」という反論、たしかに受け取りました。ありがとうございます、考えさせられました。
クロスオーバーさま。
感想返信への返信は、作品内感想欄に今後書き込まないでいただけるよう、お願いいたします。どうしてもわたしに言いたいことがありましたら、わたしの全年齢版活動報告コメント欄に貼りつけてください。メッセージで送られた場合は、全文をコピペして、活動報告で返答いたします。第三者の目に触れない場所であなたと意見のやり取りをする意思はありません。
もしあなたが「性的指向」「性的嗜好」「少子化」というテーマで言いたいことがあるのでしたら、エッセイを投稿する権利をお持ちです。ご自由に発信してください。わたしの作品にぶら下がらないのでしたら、あなたの自由です。
小説家になろう規約の範囲内で、皆が楽しく、自分好みの活動をできるように、願っております。
> 今回のエッセイにおいては、個人的には共感も同意もできなかったです。
◆
私はまだ、同性愛という存在を肯定する立場ですが、そうでない立場の人に、その理解を求めようとするならば、今回のエッセイって逆効果だと思うんですよね。
あなたの主張する、性的指向の話にしても、本当はね、もっとかみ砕かないと、普通の人には理解されない話です。
それにね、『性的指向』という言葉を定義する根拠としてよく使用される『先天的性』というのは、根拠としては脆弱ですし、もっといえば、例えそうだとしても、『社会を存続させるための制度として考えた場合』、それだけでは異性婚と同等とするには足りない。
しかし、異性婚と同等としなくとも、別制度としてやれば問題ないわけですよね。私はその立場です。
【クロスオーバーさまの返信、コピペ、ここまで】
私の考えはマイページの活動報告(2020/9/17)にあります。興味がありましたらご覧ください。
【あきの、追記部分】
↑みたいなものが、他者の作品に対する『感想』なんじゃないかな~、というのがわたしの価値観です。コピペなのでちょっと文脈は乱れますが、なり切って書くわけにもいきませんので。
クロスオーバーさまの感想への価値観は、実際に行動で示していただいたので、明文化していただく必要はありません。
エッセイ本文について、攻撃的であるというご意見は謹んで受け取ります。怒りや苛立ちをモチベーションに書いた文章は千々に破って捨てるべきだったと反省しています。☆をつけてくださった人がいるため、削除はしませんけれど。
感想に対する返信が攻撃的であった点については、ケンカを買いましたがなにか? としか言いようがありません。『買った』と表現する理由について、お話しします。
ここはわたしが書いたエッセイの感想欄です。わたしが投稿したエッセイは、読むのも読まないのも自由な、無料の、『個人的意見』です。あなたはタイトルをクリックしない権利があります。本文を読まない権利があります。途中で読むのをやめる権利があります。最後まで不愉快な思いをしながら読む権利もあります。そのまま、つまらないものを読んだと忘れる権利もあります。つまらないものを読んでしまったと怒りを感じる権利もあります。作者をブロック、ミュートする権利があります。人格否定などの誹謗中傷でないならば、私は異なる意見であるという感想を書き込む権利はあります。
ですが、私は異なる意見である、と前置きしないまま、自分の考えを感想欄に吊り下げるのは、権利を逸脱した行為であると、作者であるわたしが感じました。
「あなたの意見を読んで、私は違う考えであるので、これからしゃべります」
そのような前置きが一文あるだけで、クロスオーバーさまの一番目の感想は、感想として作者に受け取らせることができます。このエッセイの作者として、わたしは受け取る意志があります。
ですがクロスオーバーさま。
あなたは前置きも何もなく、自説を語りはじめました。要所要所で、あなたの活動報告のコピペだなと思わせる文章です。「性的嗜好」「性的指向」「少子化」というお題で書かれた、わたしとは意見を異にするエッセイ(抄)のようです。わたしのエッセイに対する感想ではなく、自分のかねてからの考えを書き連ねたものです。何度も読み返し、この文章を書いている今も何度も目を通していますが、そのように読めてしまいます。「あなたは性的指向を○○という意味で使っているようだが」、などの文章が入っていたら、まだ受け取り方は違ったかもしれません。
タイトルだけ読んであとはさらっと流し見て、自説開陳しました。そのように読めてしまう『感想』でした。
「あなたの書いたエッセイで私はこう思ったので感想欄に書いた」とおっしゃるかもしれませんね。わたしにとっては、感想じゃありませんでしたけど。
わたしのエッセイをどのように受け取るかは、読者様の自由です。エッセイ本文が攻撃的である。甘んじて受け取りましょう、自覚はあります。テーマが行方不明なのも自覚しています。読者様の思いや考えを、わたしが否定することはできませんし、しません。ご自由にどうぞ。
ただ、わたしはこのエッセイの作者です。稚拙であろうとも、この作品はわたしのテリトリーです。わたしはわたしのテリトリーの、治安を維持する義務があります。この作品の主はわたしです。
クロスオーバーさまの一回目の感想は、真っ向からケンカを売る態度であると判断しました。あなたの持説であるのに、わたしの読まない権利を侵害しているためです。
感想とは、作品に対して与えられたものです。宝石でもクズ石でも、作品の作者へ宛てられたプレゼントです。個人に宛てられたものですから、基本的には受け取らなければなりません。投稿とは違います。わたしにとってのクズ石ばかり送ってくる贈り主を、最終的にはブロック、ミュートすることもできますが。
クロスオーバーさま。
あなたはあなたの持論をエッセイで発表する権利があります。あきのという作者が書いたエッセイ、『同性愛って『嗜好』じゃなくて『指向』なんですよ、って話。』を読んで思ったこと。とリンクを貼って発表する権利は持っています。それを読むか読まないか、決めるのはわたしです。おそらく読むでしょうけれど、クロスオーバーさまの活動報告での内容のままなら、感想書き込みも評価もブクマもせず、ブラウザバックするでしょう。残念ながら、わたしには咀嚼できなかったので。
ですが、他人の作品の感想欄にエッセイのように読める感想を貼りつけるのは筋違いです。
一回目の感想への返信は、そのような考えで行ないました。
一人相撲wwwと、画面の向こうであなたは笑っているかもしれませんが。
感想②について。
感想返信への返信、ありがとうございます。その労力に対しては、お礼を言っておきます。膨大な文字数の文章を読んでくださってありがとうございます。
ところで、反論前提のピックアップですね? ご自身の考えを述べられる部分を切り取って、否定的なコメントをするために極端な解釈をして、ご意見をくださったように読み取れます。あなたにそのような自覚はないかもしれません。わたしにはそのように読み取れました。ある文章に対して、どのように読むかは読者にゆだねられています。あなたの感想をわたしがどのように読むか、も同じです。あなたの考えがわたしに伝わっていないと思われるなら、まあそのとおりです。あなたの意見はいちゃもんに近いものだとわたしは読解します。
質問に答えないで、質問自体に疑問、反論を投げかけているじゃないですか。あなたが肯定したのは、「あなたの意見をこのように読み取りましたがあっていますか?」という部分だけです。他はすべて受け入れがたいから取り上げなかった、というのでしたら、完全に水掛け論であり、議論するだけ時間と労力の無駄ですね。なんで感想欄に現れたのですか? あなたにはこのエッセイを『あなたの中から』捨て去る権利があります。そしてこの作品の所有主であるわたしは、あなたの遊び道具ではない。
エッセイ本文中に何度も、「選ばない権利があります」という言葉を入れました。
セクハラ、痴漢、強制わいせつ、同意のない性行為、準強姦、強姦、性的虐待、ストーカー行為、実際に行動を起こす小児性愛など、あらゆる性犯罪、またそれに類する行為は、法律的にも倫理的にも許されません。そのようにかみ砕いて表現しなければ、伝わりませんでしたか? 実は最後の最後まで、エッセイ本文にその文章を入れるかどうか迷い、考え、最終段階で削除しました。道徳的な社会生活を営む読者の方々には、当たり前の前提として認識されていると思ったからです。
多数決は差別。ありうるとは思っています。一部、例外的に、そのようなことが起こるかもしれない、と思っています。少数派が勝つ。いわゆる逆差別でしょうか。声の大きい人が、善良で温厚な人々を黙らせてしまう行為を、わたしは憎みます。
あなたの発言は差別的に見える、という真意は伝わっていないようです。
「犯罪行為を行ったわけでもないわたしが、わたしとして現実を生きていることに、他人の許可は必要ない」という意味です。「あなたが今のあなたのまま、小説家になろうという巨大なコミュニティに存在することを、心の広いわたしは許可、許容します」と言われたら、クロスオーバーさまはどう思われますか? 不愉快ではないですか? そういう話をしています。
あなたが『小説家になろう』という巨大なコミュニティに存在することを、わたしは許可も拒否もしません。今のところ、通報までは致しません。しかし、あなたのご意見は、わたしには不要であるようです。
クロスオーバーさまの、わたしの作品に対する感想。「共感も同意もできない。理解を求めるならむしろ逆効果である」という反論、たしかに受け取りました。ありがとうございます、考えさせられました。
クロスオーバーさま。
感想返信への返信は、作品内感想欄に今後書き込まないでいただけるよう、お願いいたします。どうしてもわたしに言いたいことがありましたら、わたしの全年齢版活動報告コメント欄に貼りつけてください。メッセージで送られた場合は、全文をコピペして、活動報告で返答いたします。第三者の目に触れない場所であなたと意見のやり取りをする意思はありません。
もしあなたが「性的指向」「性的嗜好」「少子化」というテーマで言いたいことがあるのでしたら、エッセイを投稿する権利をお持ちです。ご自由に発信してください。わたしの作品にぶら下がらないのでしたら、あなたの自由です。
小説家になろう規約の範囲内で、皆が楽しく、自分好みの活動をできるように、願っております。
- あきの
- 2020年 11月02日 11時29分
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