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[一言]
所詮素人なんだし参考にするのは別にいいんじゃないか?まあこのタイプはAI作品の方がましって言われちゃうかもしれないけどさ。
  • 投稿者: いのてら
  • 2023年 05月25日 09時21分
ありがとうございます(•ᵕᴗᵕ•)⁾⁾ぺこ
[良い点]
影響を受けることは良いことだと思います。
小説に限らず有りと有らゆるもの、映画であったり絵画であったり、CMだったり外国語だったり、音楽だったり。
刺激を受ける事は、物書きさんにはとても大切だと思います。
[気になる点]
私だけかも知れませんが、書いている時はなるべく影響を受けないようにしてました。
これは類似作品になることを恐れる訳では無く、別の作風に惹かれて全く別なものを書きたくなるから。

未完作品を何本も平行書きなんて器用な事は出来ませんからねぇ…個人サイトで書いてたので読者さんが「なろう」より近くて、更新まだ?って怒られますし。
器用な人が羨ましかった。
[一言]
「私ならこう書く」というのは、まあ好みに合わない作品を見てしまった時に物書きなら起こる発作ですが…
冷静に考えて「同じような設定で、私の方があんたより上手く書けるし面白く書けるから」という、ある種作家さんに喧嘩売る行為です。

例外はテンプレ化されているものですね。
悪役令嬢や勇者など、最早当たり前な設定のものならば「お題小説」と同じ。
同じ設定を使い縛りプレイで書くという物書きのお遊びなので許されますが、マイナー設定の場合、作家さん同士で配慮が必要だと思います。
それが書籍化されてメジャーになっているならともかく、アイデアの盗用のようなものになってしまいますから。
オリジナル設定のはずが、知名度がある人が勝手に焼き直して発表するのはちょっと卑怯でしょ?
この辺り、配慮が必要だと感じます。
  • 投稿者: 松樹
  • 2023年 05月03日 12時22分
ご感想ありがとうございます(•ᵕᴗᵕ•)⁾⁾ぺこ

最近、よく観ているギター系ユーチューバーの方が「影響を受けるのが怖いから他のギター系ユーチューバーさんの動画は観ない。ぼく、こう見えて以外と意思が弱いんですよ」と語ってらっしゃるのを見て、『こんなにコテコテにキャラ濃い人が?!Σ(゜Д゜)』と思ってしまいました。

とりあえず私は他人のものを見てガンガン真似しても結局は自分のものしか書けない頑固者なんですね。だからこんなふうに思うのかな。
とはいえ、仰る通り、連載を続けてる途中で他人の作品に影響されて新連載始めちゃうことは、確かにあります。なるほどそうか。
それで連載14本抱えてます(^o^;

「私ならこう書く」は確かにそう言われてみれば不躾なことかもしれないですね。
でも『リライト』とか『本歌取り』というのは古来ふつうに行われてきた文芸の趣向の一つで、某詩サイトでも、それすら否定する方の暴動を収めるのに有識者さんたちが苦労したことが過去にありました。

私もこのへん拙作短編『オマージュとパクリ』の中で実験してみました。よろしければどうかご一読を(•ᵕᴗᵕ•)⁾⁾ぺこり
[一言]
影響受けていいんじゃないですか?
面白いかどうかが全てだと思うんですけどね。
まあ二次創作が好きな人と嫌いな人で違うんですかね。
ニコニコ動画大好きな身の上としては、大ヒットした動画の後追い動画がドッと出てその中からキラリと光る物が出てさらにその動画から派生してどんどん守離破と言うか換骨奪胎と言うかが進んでいくのは単純に面白いんですけどね。
たべるんごのうたなんかも最初と全然違ってますからねぇ。
素材に味付けして素晴らしい味になればそれでいいと思うんですけどね。
やってみせろよ シイナティー!

  • 投稿者: ナガン
  • 2023年 05月02日 14時07分
二匹目のドジョウみたいなのは私は好きではないですけどね(^o^;

映画『セブン』がよかったので、調べたらその後に二匹目のドジョウを狙ったような作品が多数作られたとの情報を知って、観てみたのですが……
『ユージュアル・サスペクツ』含めてすべてクソだと思いました(-_-;)
[気になる点]
何の影響を受けるのが怖いのかが構想の事以外には書かれていない上、例として何故か他の作者さんの物にインスパイアされて自分の作品を書き出したとゆう読んだ人の話を出して、インスパイアされて途中で読むのやめれるな?とケチを付ける。
例も言いたい事自体も跳び過ぎていて影響を受けて書くのは何の事なのかが分かりません。
構想の事にしても世界観やキャラや物語を丸パクリするのはオマージュでも無いならパクリですしパロディーは定義を示せないからパロディーと言ってるだけでパクリはパクリです。

>それを避けようとすれば意味なしの荒唐無稽なものになるしかない。

何でここが確定事項なのかも分かりません。

>『いいな』と思ったらすぐに真似をする。
>でも物真似は物真似です。
>書いてるのは自分。
>同じにはなりませんし、パクリにもなりませんし、オマージュですらありません。
>単なる『自分ならこう書く』に変換しているだけです。

それを世間一般的にはパクリと言います。
パクリと知りつつ世界観かキャラだけ拾って自分の好きな話を書くのは解りますがパクリと理解した上で同じ構想の物語を書いてこれはパクリではありませんと言うなら確信犯であり一番たちが悪い盗人です。

>自分の書いたものは、オリジナルのつもりでも過去の何かに似ているけど、それは自分が書いている。

物真似と自認して書いてこれは酷すぎませんか?

>ガンガン影響を受ければ自分の引き出しが増え、自分が育っていく。
>影響を受けるって、そういうことだと思っています。
>それは固まりがちな『自分の殻を破る』ということでもあるかもしれない。

引き出しに入れる物が他人の創作物だらけとか如何な物かと思いますし自分の殻を破る話は影響の話とは別の話だと思います。
無理矢理にでも自分の話を肯定しようとするあまり話が跳び過ぎてて理解し難い事で感想に議論が持ち込まれているのは恥ずかしくありませんか?

>影響を受けて、流されるような自分は持ってないつもり。

と書かれていますがこの話の核となる部分も流されているように思います。
こんな影響なら受けたくないなと感じました。
  • 投稿者: 通りすがり
  • 2023年 05月01日 19時19分
>何の影響を受けるのが怖いのか

それは『怖い』と言ってる方に聞かないとわかりませんm(_ _)m

>やめれるな?
は、関西弁だと思ってください(^o^)

パロディーはポストモダンの重要な述語です。是非お調べを。

パロディーの一手法としてのカットアップなんかはほんまに荒唐無稽の意味なしになりますよ。音楽でいえば4分33秒何もしないみたいな。それを面白く作れるひとは凄いと思いますけど、大抵はクソつまらんです(๑´ڡ`๑)

何を書いても何かに似てしまう現代で『パクリだ』とかすぐに言い出すのは、アメリカのビジネスでもない限り不毛だと思います。
だからといって堂々とパクって韓国版鬼滅の刃ゲームみたいなのでもいいとは思いませんが。

少なくともアイデアや表現方法は有限だということは自覚しておいたほうがいいよなと思うだけです。

ミラン・クンデラさん曰く、『人間の個性も有限』だそうです。特に『仕種』はほんの数種類に分類できるそうです。

それなら、どうするか? って、話です。

少なくとも『影響を受けるのが怖い』とか『パクリと言われるのが怖い』とか言ってる場合じゃないと思うんですよ。
[良い点]
自分はほんの少し前まで、影響を受けるのが怖くて、執筆中はほとんど読めませんでした。
こちらのエッセイを拝読して、改めて何がそんなに怖かったのか振り返ってみたら……結局は、自分の殻に閉じこもっていたかったのだと気付きました。

他の方の作品を読むことで、自分自身が自分の書きたかったものや方向性を否定する。
それが一番怖かったんじゃないかなと。

でも今では、他の方の作品に触れることが、自分の養分になっています。
良い所はどんどん吸収したいし、感動したら自分の作品で放ちたい。暴走しがちな自分を否定しながら、ブレーキをかけることも覚えました。
むしろ自分の殻を壊したい! そう思っています。
もっと早く、そのことに気付けば良かったなと。

仰る通り、新しい話なんてもうないし、何を書いても色々な作品を捏ね回したもの。
でも自分の個性や味は誰にも真似出来ませんから、何も怖がることはないですよね♪

カッコいいエッセイをありがとうございました(^^)
[一言]
明日から連休に入るので、楽しみにブクマしておいた、しいな様の作品にもお邪魔しますね♪

ご感想ありがとうございます(•ᵕᴗᵕ•)⁾⁾ぺこ

私も他の方の作品を読んで、『ああ……。こういうの私も書こうと思ってたのに、うまく書きやがったな』みたいなこと、あります。

それで書くのをやめるというのもアリだと思いますが、私の場合はむしろ火が点いて、『見てろ。超えてやる(๑•̀ㅂ•́)و✧』みたいになります。

おんなじようなテーマになるのは目に見えているとはいえ──

書くのは自分ですからね。『何を書くか』よりも『誰が書くか』のほうが現代では重要なんだと思います。『どんな歌を歌うか』よりも『誰が歌うか』のほうが現代では重要なように。

(๑•̀ㅂ•́)و✧ ←特に意味はない顔文字

あなたはあなた、私は私。
私が書くものの物真似はできても、あなたが私にはなれないのです。

(๑•̀ㅂ•́)و✧ ←

>お邪魔しますね

ありがとうございますm(_ _)m

ど、どれだろう……。かなりふざけて書いてるのもあるのでドキドキしますm(_ _;)m


[一言]
メイプリルフール!!
どうも、なろうの皆様は言葉遊びがお気に召さない様です(ᐢ ᵕ ᐢ)。
ここからはヤケ酒を飲んでる体(てい)で書きます[あくまでも体(てい)です(ᐢ ᵕ ᐢ)]ので、ご無礼をお許し下さい。

私は【お嬢様 悪治物語】シリーズという拙作を書いていたのですが、そのシリーズで表現したかった事を物の見事にあらわした作品に出会いました。

それはプラトンの著作『国家』のまとめ記事に記載された「国家の船」の比喩(当時(今にも通じる)の民主政治の有り様を的確に表現)と呼ばれるもので、十行にも満たないものでしたが、その内容には脱帽するしかありません。

私の言いたかった事は2000年以上前に発表されていた訳です。それも何冊も訳書がでてる名作においてです。

これを先に知っていたら、【お嬢様 悪治物語】もシリーズにはなっていなかったでしょう(内容がかぶらない「戦争犯罪ではなく戦争そのものが犯罪です」→交戦権の停止・放棄を除いて)。

そして、私の執筆活動(ᐢ ᵕ ᐢ)も【お嬢様 悪治物語】から、プラトン『国家』の紹介へと移行していったのです。

私的には、『ひふみ神示』に勝るとも劣らない大発見で、人類の宝と言っても言い過ぎではないのですが、私の紹介の仕方が悪いのとそもそもの需要がないのも相まって、上手く広まっていないようです(泣)。

皆様、良いのですよ。皆様がひふみ神示やプラトン『国家』を紹介しても(ᐢ ᵕ ᐢ)。

おそらく、しいなさんと私の違いは作家(物書き)かそうでないかです。

私は自身を作家(物書き)などとは思ってなく、その目的はひふみ神示やプラトン『国家』を読んでもらって、その結果世の中が良くなりその恩恵にあやかろうと本心から思っています。

つまり、誰が広めても良く、その結果(世の中が良くなる事)が最重要なのです。

故に、プラトンの「国家の船」の比喩の様に物の見事に表現されれば、私の拙文は要りません。
それで、私の言いたかった事は伝わるのですから(私が作家でない由縁)。

それでも、自身なりの表現をするのがしいなさん(作家)という事なのだと思います。
(上手く纏まったと思うのは、私の錯覚?(ᐢ ᵕ ᐢ))
ご感想ありがとうございます(•ᵕᴗᵕ•)⁾⁾ぺこ

伝えたいことがある場合、それはよほど斬新な思想でもない限り、過去に誰かが上手に作品に込めてるものですよね。
『自分のほうがうまく伝えられる!』という自負でもない限り、新たにそれを書く価値はなかったり? するのかもしれません。

そこで『俺のほうがうまく書けるぜ(๑•̀ㅂ•́)و✧』とうぬぼれるのも作家の頼もしさではあると思いますけど……

ちなみに私は伝えたいことを作品には込めません。
ポストモダン的に偶然性に頼ったりということまではしないし、する気もないですけど、読者さんに自由に読んでもらい、読者さんに自分のテーマを発見してほしいんです。

うわぁ……なんかカッコいいこと言っちゃった(*´艸`*)
[一言]
感想への返信に対する返信になってしまってすみません。

一応本作のお話の延長ということで
ご容赦ください。

『他人の良いところを真似しながら
 自分なりに作品を作る』
というのも手法の一つだと思います。

漫画は特に、絵の描き方や構図の見せ方など
独学で学ぶには難しいものも多いですし。

この作品で、
しいなここみ様が提唱されている
どんどん他人の影響を受ければいいのに
という考え方は
うまくなる上で一つの方法だとわたしも思います。

ちなみに、詩や短歌の世界でも
他の方の表現を参考にしながら
自分なりに書き換えて、
繰り返していくうちに
自分の表現を獲得していく
という学び方があります。

先の感想でわたしが書いた意見は
『他人に影響されたくないから
 他人の作品は見れない』
と考える人の思考は
こういうところにあるのではないか、
という推測です。

私自身、いっときそういう思考をしたことがある
ということもあります。
今は、どちらかといえば
インプットしないと、
狭い世界の中でしか物が書けなくなるよね
と思ってるほうです。


『他人の影響を受ける』ことをためらう理由には
他人からの眼を意識しているから、
というのも、大きいのかもしれません。

承認欲求が強いと
自分を認めてほしい、
という気持ちが勝って
他人と同じと言われることを極度に忌避するのでは?
と推測します。

自分やその周りだけで楽しんでいるときは
いくらでも真似しようが
仲間内のことなので気にならないことも
不特定多数の方が見る場だと、
どんなことを言われるか分からない

でも、他者の作品を知らなければ
自分はそれを「知らない」と言い張れる
だから、他人を意識したくない

この意識は、もともとの
『他人の作品の影響を受けるから
 他人の作品を見たくない』
という言葉から外れている内容ですが
この言葉の裏側には
そういう心理が働いていてもおかしくないなぁ
と思いました。


ちなみに、どれも、私個人の推測です。
今、まさに
『他人の作品の影響を受けるから
 他人の作品を見たくない』
という人が、自分の気持ちも吐露してくれない限り
真実はわかりませんし
その意見だって、別の人はまた違う心理状況から来てるかもしれなかったりするので
結論、「わかりません」になるかもしれませんね。

これだけ書いておいて
結局、その結論か、って感じですが。
こういう考え方の人もいるのかも、っていう
参考意見として。
丁寧に補足をありがとうございます(•ᵕᴗᵕ•)⁾⁾ぺこ

赤ちゃんでもない限り、必ず何かの影響は受けているはずなので、誰でも無意識なりに真似はしているものと思います。

ただ、それがあからさまに有名な誰かに作風が似ていると『物真似だ』と言われると思うんですよね。

詩も昔は私、あからさまに伊藤比呂美さんや吉増剛造さん、谷川先生や井坂洋子さんの物真似をしていました。
一人でノートに書いているだけだったから問題ありませんでしたが、その頃のをそのまま出していたら誰もから『物真似だ』と言われて恥ずかしい思いをしていただろうと思います。

なろうではつまり、広く人に見られる前の私のような段階の方が、『物真似だ』と言われるのを恐れているということなのでしょうか?

まだ物真似の段階にいる駆け出し作者さんが、それでなるべく『これは自分の作品だ』と主張したいから、影響を受けることを怖がっている?

それではカッコつけてるだけで、いつまで経っても自分の殻の中から出てこられないような気がするんですが……どうなんでしょうかね(^.^;
[一言]
重ね書きすみません<m(__)m><m(__)m>

ここみ様は閉じこもっていませんよ!!

あ、仕事柄(運転と待ちで)長時間運転席には閉じ込められているかもですが…
  • 投稿者: 四宮楓
  • 2023年 05月01日 14時14分
元々自分に閉じこもりがちです(^.^;

広く影響を受けないと物凄く頑固なやつになりがちなので、積極的に影響を受けに行ってるようなところはあります(^o^;
[良い点]
他の作品を読むと影響を受けて、自分の文章を書けなくなるから読まないという人いますね。

でも私も、そんなの気にするようなことか? と思う派。

「ここからここまでの文章やストーリーがほとんど一緒です!」

ならパクりだと思うけど、「これいいなあ…」と感じた単語の選択や表現の仕方をいちいち「自分が書くとNG」にしたら何も書けなくなると思うのですよ。

むしろ、同じ言葉を使ったら自分の独創性が死ぬと思える表現力でしか書けない方が問題でしょう。
[一言]
有料の書籍じゃないのだから、なろう読者が求めてるのは“面白い”か“つまらない”かだけで、影響を受けたらダメという作者のこだわりには「う~ん……?」となるのだけど、創作しない読み専だからですかね。
( ̄~ ̄;)

>ガンガン影響を受ければ自分の引き出しが増え、自分が育っていく。

これには共感しかないですね。
ご感想ありがとうございますm(_ _)m

ただ、連載作品書いてる途中で他の人のものにバッコン影響を受けてしまって、最初に構想してた方向性を変えられてしまうというのはあるかもしれません。
いいほうに変わればいいけど、変な方向に変わってしまったら……

本エッセイは『影響を恐れるな』みたいに鼓舞する偉そうな主旨もありますが、それ以上に自分が『影響を受けたくないってどういうこと?』みたいに知りたいなという主旨も多く含んでおりますm(_ _)m
[一言]
それは固まりがちな『自分の殻を破る』

素敵なお言葉です!!(*^^)v
  • 投稿者: 四宮楓
  • 2023年 05月01日 13時23分
特に私は閉じこもりがちですからね(-_-;)
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