感想一覧
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[良い点]
平治の乱前後の見方がこれまでの影絵芝居のようでどうにも掴みにくかった言説よりグンと解像度の上がった極彩色のエッセイの上奏ありがとうございました♫(^ ^)読後の感じはまるで田舎の因襲で起きたおどろおどろしい事件を精妙なロジックで推理する探偵譚を読んだようで何ともスッキリ、しかして横溝正史のエピローグのように残された妄執を最後の最後に静かに浮かび上がらせてその後の戦乱で流される血の多さを感じ読者をゾワリとさせるオチまで綺麗についてお見事☆
[気になる点]
美福門院さんがそうだったのかは誰にもわからないけど彼女の遺産をアテにした勢力は数世紀の長きに渡り誰もが碌な目にあってない事を思うと彼女は日本有数の“下げまん”だったのでは( ̄∀ ̄)なんて下世話な事を思ってしまう、つーか色ボケジジイの鳥羽上皇の因業が祟ったと考える方が正しいのかな?しっかしこのジジイのやらかしのひとつひとつが巧妙に絡まり合って平安時代が終焉する事を思うと『もしも鳥羽上皇なかりせば』武家の台頭は遅れ蒙古襲来を跳ね除けられずに九州あたりが中国領になってその後の日本の歴史が凄じい事になった、とか変な歴史改変が頭の中を駆け抜ける事を思うとやらかしジジイに感謝する気持ちも……浮かんで3秒で消えちゃいますけどね(´Д` )あんだけやらかして嫁に看取られ畳の上で大往生とか人生ウハウハすぎて羨まけしからんっス(憤慨)このジジイが全ての運気を持ってったからその後の歴代のミカドは運の数値が大幅マイナスになってた疑いがある説を唱えたい今日この頃www。
平治の乱前後の見方がこれまでの影絵芝居のようでどうにも掴みにくかった言説よりグンと解像度の上がった極彩色のエッセイの上奏ありがとうございました♫(^ ^)読後の感じはまるで田舎の因襲で起きたおどろおどろしい事件を精妙なロジックで推理する探偵譚を読んだようで何ともスッキリ、しかして横溝正史のエピローグのように残された妄執を最後の最後に静かに浮かび上がらせてその後の戦乱で流される血の多さを感じ読者をゾワリとさせるオチまで綺麗についてお見事☆
[気になる点]
美福門院さんがそうだったのかは誰にもわからないけど彼女の遺産をアテにした勢力は数世紀の長きに渡り誰もが碌な目にあってない事を思うと彼女は日本有数の“下げまん”だったのでは( ̄∀ ̄)なんて下世話な事を思ってしまう、つーか色ボケジジイの鳥羽上皇の因業が祟ったと考える方が正しいのかな?しっかしこのジジイのやらかしのひとつひとつが巧妙に絡まり合って平安時代が終焉する事を思うと『もしも鳥羽上皇なかりせば』武家の台頭は遅れ蒙古襲来を跳ね除けられずに九州あたりが中国領になってその後の日本の歴史が凄じい事になった、とか変な歴史改変が頭の中を駆け抜ける事を思うとやらかしジジイに感謝する気持ちも……浮かんで3秒で消えちゃいますけどね(´Д` )あんだけやらかして嫁に看取られ畳の上で大往生とか人生ウハウハすぎて羨まけしからんっス(憤慨)このジジイが全ての運気を持ってったからその後の歴代のミカドは運の数値が大幅マイナスになってた疑いがある説を唱えたい今日この頃www。
エピソード10
ご感想をありがとうございます。
実際問題として、平治の乱は一次史料が乏しく、その多くが推論に頼らざるを得ないという問題があります。
ですが、今のところ、私の考えの中で一番しっくりくるのが、桃崎氏の説く二条天皇陛下の黒幕説になります。
その一方で、結果的に美福門院様としては意図していなかったことかもしれませんが、美福門院様が遺した八条院領が遥か未来の南北朝時代の争乱まで招いたように見えるのが、何とも言えません。
更に鳥羽上皇陛下が、素直に今上陛下が皇室の荘園を継承することにしていれば、史実のように寵姫の美福門院様に皇室の荘園を譲らねば、という想いが浮かんで。
鳥羽上皇が、この後の日本史の流れを大きく決めた気が私もします。
実際問題として、平治の乱は一次史料が乏しく、その多くが推論に頼らざるを得ないという問題があります。
ですが、今のところ、私の考えの中で一番しっくりくるのが、桃崎氏の説く二条天皇陛下の黒幕説になります。
その一方で、結果的に美福門院様としては意図していなかったことかもしれませんが、美福門院様が遺した八条院領が遥か未来の南北朝時代の争乱まで招いたように見えるのが、何とも言えません。
更に鳥羽上皇陛下が、素直に今上陛下が皇室の荘園を継承することにしていれば、史実のように寵姫の美福門院様に皇室の荘園を譲らねば、という想いが浮かんで。
鳥羽上皇が、この後の日本史の流れを大きく決めた気が私もします。
- 山家
- 2023年 11月01日 20時27分
[一言]
面白く興味深く読ませていただいてます。
頼朝助命については熱田神宮との関わりを指摘する説(頼朝の生母は熱田神宮大宮司の娘)もあったかと。
面白く興味深く読ませていただいてます。
頼朝助命については熱田神宮との関わりを指摘する説(頼朝の生母は熱田神宮大宮司の娘)もあったかと。
エピソード8
ご感想をありがとうございます。
私自身も熱田大宮司家の影響から、頼朝助命に至った気がしなくも無いのですが。
私が調べる限り、この当時の熱田大宮司家にどれだけの力があったのか。
実際に熱田大宮司家の官位は、それなりではありますが、公卿には程遠く、言葉は悪いですが、地方の武家の中では有力者に過ぎなかった気がして、そうしたことから、このエッセイでは触れませんでした。
私自身も熱田大宮司家の影響から、頼朝助命に至った気がしなくも無いのですが。
私が調べる限り、この当時の熱田大宮司家にどれだけの力があったのか。
実際に熱田大宮司家の官位は、それなりではありますが、公卿には程遠く、言葉は悪いですが、地方の武家の中では有力者に過ぎなかった気がして、そうしたことから、このエッセイでは触れませんでした。
- 山家
- 2023年 10月31日 19時37分
[良い点]
血を流す事を躊躇わぬ一歩を踏み出したが故に自身もその連鎖に巻き込まれざるを得なかった信西、因果応報とは良くぞ言ったもんですな(ただ保元の乱でのやり口は非情ではあるけど乱を早期に収める為だと思えば“悪”では無い事を思うと仏教用語には当てはまって無いあたりがモニョっとしてしまう、この時代のホントに悪い奴って後の時代の問題事の種を撒き散らして畳の上で死ねた鳥羽上皇あたりを指差したいッス)
[気になる点]
保元の乱の前例から“武”を振るう事に躊躇いの無い二条天皇サイドと言う見方も一面ではあるんでしょうけど今回のエッセイをなんとなくでも理解できるように平治の乱をWikiやYouTubeで孫引き視聴して思ったのは反後白河の人々には坂東の荒武者がやるような夜討ち•火付け•梟首を後白河院に囁いた信西が「何をして来るのかわからない得体の知れない知恵袋」に見えてたと思うとその得体の知れない恐怖からの排除も“武”を振るう事への後押しになったのもあるんだろうなーと妄想しております(落着点は結局おんなじだからほとんど意味のないブレインストーミングですが)
血を流す事を躊躇わぬ一歩を踏み出したが故に自身もその連鎖に巻き込まれざるを得なかった信西、因果応報とは良くぞ言ったもんですな(ただ保元の乱でのやり口は非情ではあるけど乱を早期に収める為だと思えば“悪”では無い事を思うと仏教用語には当てはまって無いあたりがモニョっとしてしまう、この時代のホントに悪い奴って後の時代の問題事の種を撒き散らして畳の上で死ねた鳥羽上皇あたりを指差したいッス)
[気になる点]
保元の乱の前例から“武”を振るう事に躊躇いの無い二条天皇サイドと言う見方も一面ではあるんでしょうけど今回のエッセイをなんとなくでも理解できるように平治の乱をWikiやYouTubeで孫引き視聴して思ったのは反後白河の人々には坂東の荒武者がやるような夜討ち•火付け•梟首を後白河院に囁いた信西が「何をして来るのかわからない得体の知れない知恵袋」に見えてたと思うとその得体の知れない恐怖からの排除も“武”を振るう事への後押しになったのもあるんだろうなーと妄想しております(落着点は結局おんなじだからほとんど意味のないブレインストーミングですが)
エピソード9
ご感想をありがとうございます。
因果応報という本来の意味からすれば異なることになりますが、信西の人生を改めて顧みると私としては因果応報と言う言葉が浮かんでなりません。
そして、全ての諸悪の根源は、鳥羽上皇辺りの気が私もします。
更に言えば、積極的に容赦のない武力行使をするというイメージが保元の乱で信西に付いたことから、平治の乱で信西に武力行使を先制しないといけない、という恐怖が二条天皇親政派に植え付けられてしまった気が。
妄想と言われそうですが、私もしてなりません。
因果応報という本来の意味からすれば異なることになりますが、信西の人生を改めて顧みると私としては因果応報と言う言葉が浮かんでなりません。
そして、全ての諸悪の根源は、鳥羽上皇辺りの気が私もします。
更に言えば、積極的に容赦のない武力行使をするというイメージが保元の乱で信西に付いたことから、平治の乱で信西に武力行使を先制しないといけない、という恐怖が二条天皇親政派に植え付けられてしまった気が。
妄想と言われそうですが、私もしてなりません。
- 山家
- 2023年 10月31日 19時33分
[良い点]
六波羅合戦早々に捕らえた信頼や義朝•義平親子までは乱の首謀者だからと忖度なくバッサバッサと首を狩り晒し上げていた勝者たちが事件をつぶさに調べたら『これは本来ミカドのやらかしで信頼も義朝もあくまでミカドの意向で動いていただけなのでは?』と清盛たちが気がつき『政治情勢次第では俺たちの首だってどうなったかわからん事を思うと族滅するのは気がひける』とか冷や水を浴びせられた心持ちになり偶然そのあたりで頼朝が京都に引き出されたから死一等を減ぜられたって流れは「二条天皇こそ主犯」であるとわかっていれば大いに頷ける、しかし悲しいかな実際は「信西•清盛に嫉妬した信頼•義朝の企てた逆心である」ってのが現代でも大勢になってるぐらいだから平家物語にこの事件を落とし込んだ時に「女たちの優しい情け心で救われた頼朝」と言う筋立てにして「何故か敵である清盛に救われた頼朝」とイミフな事に整合性を持たせたんだなーと納得。
[気になる点]
だけどこーなると後に頼朝が執拗なまでの猜疑心と保身のかたまりになったのはこの平治の乱における理不尽すぎる流れを最初(三条殿襲撃前のミカドの御前)から最後(六波羅合戦後の裁きの場)まで体験したってのもあるんだなーとなんか金具素屯の中にあった歴史のモヤモヤがひとつ消えた気がしました(´Д` )『せっかく助命してくれたのにいっさいそれを恩に思わないとか頼朝のここんとこ嫌やなー』などとこのエッセイが始まるまでは冷血動物のようにすら思ってたのが『あーこれは親父がやられた都の理不尽で命を奪われた事を死んでも忘れないし、もしもやり返せるならとことんやり返した結果が都の住人である公家にとっては理不尽ながら歴史的には必然の武家政権を生み出す原動力になったんだなぁ』とかなり好意的な見る目に変わりました、まさに目から鱗( ^ω^ )これだから歴史は面白い♫
[一言]
週末複数更新ありがとうございます山家先生♪(^ ^)しかし近年の「関ヶ原合戦は無かった」とかセンセーションなだけのキワモノみたいな論説(直江状も小山評定も無く、関ヶ原での堂々たる決戦は大したもんでなくアレは逃げる西軍を追う東軍による山中での追討戦でしか無かった、だから“関ヶ原合戦”は後世の物語だったのだ!。現在多くの学者たちから「んなワケねーだろ!」とばかりに各論が丁寧に否定されフルぼっこされてるけどネタが面白いのか歴史系YouTubeの間ではまだ持ち上げられてる)と違って「平治の乱の主犯は二条天皇、信頼•義朝はそれに従っていただけだったが周囲の状況で乱勃発の汚名を着て死なねばならなくなった」はなかなか納得のいく話で頷く事しきりでした、そして余談の破壊力(´⊙ω⊙`)いやー歴史上の人物を完全に見直す事になるとか久々のコペルニクス的体験でした、生き残った頼朝には平治の乱はどれだけの復讐心へのエネルギーになったんだと思うと案外ココこそ歴史の転回点だったのかなーと秋の夜長にふつふつと想いを巡らせております。
六波羅合戦早々に捕らえた信頼や義朝•義平親子までは乱の首謀者だからと忖度なくバッサバッサと首を狩り晒し上げていた勝者たちが事件をつぶさに調べたら『これは本来ミカドのやらかしで信頼も義朝もあくまでミカドの意向で動いていただけなのでは?』と清盛たちが気がつき『政治情勢次第では俺たちの首だってどうなったかわからん事を思うと族滅するのは気がひける』とか冷や水を浴びせられた心持ちになり偶然そのあたりで頼朝が京都に引き出されたから死一等を減ぜられたって流れは「二条天皇こそ主犯」であるとわかっていれば大いに頷ける、しかし悲しいかな実際は「信西•清盛に嫉妬した信頼•義朝の企てた逆心である」ってのが現代でも大勢になってるぐらいだから平家物語にこの事件を落とし込んだ時に「女たちの優しい情け心で救われた頼朝」と言う筋立てにして「何故か敵である清盛に救われた頼朝」とイミフな事に整合性を持たせたんだなーと納得。
[気になる点]
だけどこーなると後に頼朝が執拗なまでの猜疑心と保身のかたまりになったのはこの平治の乱における理不尽すぎる流れを最初(三条殿襲撃前のミカドの御前)から最後(六波羅合戦後の裁きの場)まで体験したってのもあるんだなーとなんか金具素屯の中にあった歴史のモヤモヤがひとつ消えた気がしました(´Д` )『せっかく助命してくれたのにいっさいそれを恩に思わないとか頼朝のここんとこ嫌やなー』などとこのエッセイが始まるまでは冷血動物のようにすら思ってたのが『あーこれは親父がやられた都の理不尽で命を奪われた事を死んでも忘れないし、もしもやり返せるならとことんやり返した結果が都の住人である公家にとっては理不尽ながら歴史的には必然の武家政権を生み出す原動力になったんだなぁ』とかなり好意的な見る目に変わりました、まさに目から鱗( ^ω^ )これだから歴史は面白い♫
[一言]
週末複数更新ありがとうございます山家先生♪(^ ^)しかし近年の「関ヶ原合戦は無かった」とかセンセーションなだけのキワモノみたいな論説(直江状も小山評定も無く、関ヶ原での堂々たる決戦は大したもんでなくアレは逃げる西軍を追う東軍による山中での追討戦でしか無かった、だから“関ヶ原合戦”は後世の物語だったのだ!。現在多くの学者たちから「んなワケねーだろ!」とばかりに各論が丁寧に否定されフルぼっこされてるけどネタが面白いのか歴史系YouTubeの間ではまだ持ち上げられてる)と違って「平治の乱の主犯は二条天皇、信頼•義朝はそれに従っていただけだったが周囲の状況で乱勃発の汚名を着て死なねばならなくなった」はなかなか納得のいく話で頷く事しきりでした、そして余談の破壊力(´⊙ω⊙`)いやー歴史上の人物を完全に見直す事になるとか久々のコペルニクス的体験でした、生き残った頼朝には平治の乱はどれだけの復讐心へのエネルギーになったんだと思うと案外ココこそ歴史の転回点だったのかなーと秋の夜長にふつふつと想いを巡らせております。
エピソード8
ご感想をありがとうございます。
言われてみて私自身が気付きましたが、ここまでの流れからすれば、源頼朝が猜疑心の塊と言われても仕方のない人生を送ったのも当然の気がしてきました。
そして、源頼朝の観点からすれば、
「今上陛下の命に従って行動しただけなのに、逆賊扱いされるとは」
と極めて理不尽だという考えに駆られるのも当然な訳で。
後から顧みれば、本当に歴史の転換点になった気が私もします。
言われてみて私自身が気付きましたが、ここまでの流れからすれば、源頼朝が猜疑心の塊と言われても仕方のない人生を送ったのも当然の気がしてきました。
そして、源頼朝の観点からすれば、
「今上陛下の命に従って行動しただけなのに、逆賊扱いされるとは」
と極めて理不尽だという考えに駆られるのも当然な訳で。
後から顧みれば、本当に歴史の転換点になった気が私もします。
- 山家
- 2023年 10月30日 19時38分
[良い点]
思わず膝を叩いた経宗•惟方の配流された経緯(・Д・)ここホント金具素屯Wikiの平治の乱を読んでて「???」不思議でならんやったんですよね、重々しく“桟敷封鎖事件”とかWikiに書かれてても実際は「たかが建物の見通しを塞いだ、言うなれば目隠しした程度の子供のいたずらレベル」の事を“事件”(´⊙ω⊙`)時系列的にこの前には血生臭い六波羅合戦や三条殿襲撃など枚挙にいとまない激動の中「なんてのん気なもんでマウント取り合ってんの院も天皇も、バカ?バカしか居ないの?」(´□` )と脳が理解を拒む流れだったんだけど山家先生の「後白河院の連枝が天皇の意を受けた側近により出家隠遁させられていたのでは?」の指摘に(´Д` )「あーそりゃ激怒するわな」と納得しちゃいましたワ。
思わず膝を叩いた経宗•惟方の配流された経緯(・Д・)ここホント金具素屯Wikiの平治の乱を読んでて「???」不思議でならんやったんですよね、重々しく“桟敷封鎖事件”とかWikiに書かれてても実際は「たかが建物の見通しを塞いだ、言うなれば目隠しした程度の子供のいたずらレベル」の事を“事件”(´⊙ω⊙`)時系列的にこの前には血生臭い六波羅合戦や三条殿襲撃など枚挙にいとまない激動の中「なんてのん気なもんでマウント取り合ってんの院も天皇も、バカ?バカしか居ないの?」(´□` )と脳が理解を拒む流れだったんだけど山家先生の「後白河院の連枝が天皇の意を受けた側近により出家隠遁させられていたのでは?」の指摘に(´Д` )「あーそりゃ激怒するわな」と納得しちゃいましたワ。
エピソード7
ご感想をありがとうございます。
実際、私自身も「桟敷封鎖事件」が藤原経宗・藤原惟方の配流に至ったというのには、どうにも首を傾げざるを得ませんでした。
そういった時に、桃崎氏が守覚親王と上西門院が「桟敷封鎖事件」の直前に出家しているという事実を著書の中で指摘していたことから、確かに「愚管抄」等の史料ではこの出家事件に触れていないが、私自身が考えれば考える程、この出家事件こそが後白河上皇を激怒させ、更に藤原忠通や平清盛が後白河上皇に連携する動きを引き起こしたように考えるようになりました。
実際、私自身も「桟敷封鎖事件」が藤原経宗・藤原惟方の配流に至ったというのには、どうにも首を傾げざるを得ませんでした。
そういった時に、桃崎氏が守覚親王と上西門院が「桟敷封鎖事件」の直前に出家しているという事実を著書の中で指摘していたことから、確かに「愚管抄」等の史料ではこの出家事件に触れていないが、私自身が考えれば考える程、この出家事件こそが後白河上皇を激怒させ、更に藤原忠通や平清盛が後白河上皇に連携する動きを引き起こしたように考えるようになりました。
- 山家
- 2023年 10月29日 18時21分
[良い点]
ホント平治の乱はWiki読んでも公家も武家もコロコロ手を組み替えまくるからワケわからんくなるけど、こう時系列ごとに見ていくと二条天皇の尻尾切りは正鵠を射てると思うし信頼•義朝が元々後白河シンパだった事を思うと二条天皇としても心理的にスケープゴートにするのに忌避感なんて抱かれない存在だなーと頷いてしまう(・Д・)しかしやられる方はたまりませんわなコリャ、二条天皇が若死にしたのってクーデターの尻尾切りされた連中のたたりとか京スズメに陰口たたかれててもおかしくないよなー(もしかして怨霊とか頻繁に出て来る平家物語にものってたかな?)
[気になる点]
大勢に従う風見鶏と平清盛を見てた二条天皇(ˊ̱ωˋ̱)しかし殿中での序列が清盛さんより下の義朝さんが台頭する流れになるとか清盛さんそんなん絶対嫌うと思わなかったのかなぁ二条天皇?もしかして最初から清盛さんと提携して三条殿襲撃を平家武士団でやり信西•信頼•義朝と一網打尽にして後白河院を押し込めすればパーフェクトゲームだったのかも?まあ結局のとこ二条天皇さんサイドは自分も含めて有力者がバタバタと数年内で亡くなるから無茶苦茶むなしい勝利でしかないんだけど、混沌が煮詰まった状態で治天の君としてひとり取り残される後白河院もたまりませんが(´Д` )
ホント平治の乱はWiki読んでも公家も武家もコロコロ手を組み替えまくるからワケわからんくなるけど、こう時系列ごとに見ていくと二条天皇の尻尾切りは正鵠を射てると思うし信頼•義朝が元々後白河シンパだった事を思うと二条天皇としても心理的にスケープゴートにするのに忌避感なんて抱かれない存在だなーと頷いてしまう(・Д・)しかしやられる方はたまりませんわなコリャ、二条天皇が若死にしたのってクーデターの尻尾切りされた連中のたたりとか京スズメに陰口たたかれててもおかしくないよなー(もしかして怨霊とか頻繁に出て来る平家物語にものってたかな?)
[気になる点]
大勢に従う風見鶏と平清盛を見てた二条天皇(ˊ̱ωˋ̱)しかし殿中での序列が清盛さんより下の義朝さんが台頭する流れになるとか清盛さんそんなん絶対嫌うと思わなかったのかなぁ二条天皇?もしかして最初から清盛さんと提携して三条殿襲撃を平家武士団でやり信西•信頼•義朝と一網打尽にして後白河院を押し込めすればパーフェクトゲームだったのかも?まあ結局のとこ二条天皇さんサイドは自分も含めて有力者がバタバタと数年内で亡くなるから無茶苦茶むなしい勝利でしかないんだけど、混沌が煮詰まった状態で治天の君としてひとり取り残される後白河院もたまりませんが(´Д` )
エピソード6
ご感想をありがとうございます。
平清盛は娘を信西の息子と縁組させていたことから、二条天皇親政派にしてみれば、後白河上皇院政派に近いのでは、又、信西派ではないか、ということから、平清盛が熊野詣でで不在になった好機に、という発想で平治の乱は起きたようです。
それにしても、平治の乱は敵味方の異動が激しく、真実が分かりにくい事件です。
平清盛は娘を信西の息子と縁組させていたことから、二条天皇親政派にしてみれば、後白河上皇院政派に近いのでは、又、信西派ではないか、ということから、平清盛が熊野詣でで不在になった好機に、という発想で平治の乱は起きたようです。
それにしても、平治の乱は敵味方の異動が激しく、真実が分かりにくい事件です。
- 山家
- 2023年 10月29日 09時15分
[良い点]
史上空前の“ハシゴ外し”を食らった信頼•義朝コンビ( ̄∀ ̄)しかし二条天皇黒幕説なら天皇の指示によるクーデターなのにいつの間にか自分たちが主犯のような扱いになった事を思うと六波羅合戦前の義朝さんが言った「日本一の不覚人」と言う罵りは上司の信頼さんだけを指して言ったんじゃなく自分も含めての「なんだこの状況、どうしろってんだよバカヤロー!」と嘆きを込めた叫びだったんじゃないかなー、と涙が浮かんでなりません(T ^ T)
[気になる点]
山家先生や元木先生のように丹念に資料などあたっていないニワカな読者(せいぜい人形劇“平家物語”ぐらいの知識しかないうろ覚え)ですが三条殿襲撃の主目的が後白河院の押し込みってのはこの時期まだまだそれなりの威光のあった上皇にそんな無体が出来るかなー?と少し疑問に思っちゃう(後の斜陽のミカド時代の承久の乱でも全国に「幕府を倒せ!」と檄を飛ばしたやらかし大将な後鳥羽院ですら幕府はかなり丁重な扱いをして合戦で武家一同が血に酔っていても腫れ物に触るように隠岐へ流した事を思うと難しいよーな)読者はとりあえず第一の目的はあくまで後白河の知恵袋である信西の捕縛で後白河院の動座は三条殿の建物の中に信西が潜んでいないかの捜索のためだったりしないかなー、なんてまるで推理小説を読んでいるように楽しみながら妄想しております♪
史上空前の“ハシゴ外し”を食らった信頼•義朝コンビ( ̄∀ ̄)しかし二条天皇黒幕説なら天皇の指示によるクーデターなのにいつの間にか自分たちが主犯のような扱いになった事を思うと六波羅合戦前の義朝さんが言った「日本一の不覚人」と言う罵りは上司の信頼さんだけを指して言ったんじゃなく自分も含めての「なんだこの状況、どうしろってんだよバカヤロー!」と嘆きを込めた叫びだったんじゃないかなー、と涙が浮かんでなりません(T ^ T)
[気になる点]
山家先生や元木先生のように丹念に資料などあたっていないニワカな読者(せいぜい人形劇“平家物語”ぐらいの知識しかないうろ覚え)ですが三条殿襲撃の主目的が後白河院の押し込みってのはこの時期まだまだそれなりの威光のあった上皇にそんな無体が出来るかなー?と少し疑問に思っちゃう(後の斜陽のミカド時代の承久の乱でも全国に「幕府を倒せ!」と檄を飛ばしたやらかし大将な後鳥羽院ですら幕府はかなり丁重な扱いをして合戦で武家一同が血に酔っていても腫れ物に触るように隠岐へ流した事を思うと難しいよーな)読者はとりあえず第一の目的はあくまで後白河の知恵袋である信西の捕縛で後白河院の動座は三条殿の建物の中に信西が潜んでいないかの捜索のためだったりしないかなー、なんてまるで推理小説を読んでいるように楽しみながら妄想しております♪
エピソード5
ご感想をありがとうございます。
確かに言われてみれば、源義朝のあの科白は、自分に対しても向けられた代物の気がしてなりません。
尚、私もそんなに細かく史料を当たってはいません。
幾つかの新書を読んで、ネット検索を掛けて、その上で自分の考えをまとめてはいますが、一次史料まではとても私には手が出ません。
(それこそ元木氏等のように一次史料にまで当たって、それを読んで理解して、とかまでするとなると、それこそそれで食べていく覚悟が要ります。
シリーズ名にあるように、あくまでも私の偏見という前提でお願いします)
そして、三条殿襲撃ですが、それこそ保元の乱で公然と後白河天皇の兄の崇徳上皇に対して、後白河天皇が、
「兄の命を奪え」
と襲撃させたという現実が。
そういった前例からすれば、天皇ならば、父の押し込めは許される、と二条天皇陛下やその周囲が考えてもおかしくない気が、私はします。
確かに言われてみれば、源義朝のあの科白は、自分に対しても向けられた代物の気がしてなりません。
尚、私もそんなに細かく史料を当たってはいません。
幾つかの新書を読んで、ネット検索を掛けて、その上で自分の考えをまとめてはいますが、一次史料まではとても私には手が出ません。
(それこそ元木氏等のように一次史料にまで当たって、それを読んで理解して、とかまでするとなると、それこそそれで食べていく覚悟が要ります。
シリーズ名にあるように、あくまでも私の偏見という前提でお願いします)
そして、三条殿襲撃ですが、それこそ保元の乱で公然と後白河天皇の兄の崇徳上皇に対して、後白河天皇が、
「兄の命を奪え」
と襲撃させたという現実が。
そういった前例からすれば、天皇ならば、父の押し込めは許される、と二条天皇陛下やその周囲が考えてもおかしくない気が、私はします。
- 山家
- 2023年 10月28日 19時43分
[良い点]
直近に起きた保元の乱に至る崇徳院の悲劇から後白河•二条親子が同じ奈落に自身が落ちぬために全力で互いに策謀を巡らせるのは大いに頷ける話(・Д・)つーか崇徳院の京から追い落とされる落魄っぷりをその目で見てさらに四国から「帰りたい、帰りたい」と啜り泣くような手紙が事あるごとに宮中に送られていた事を思うと院も天皇も常に自身が盤石な立場などでは無い事を身に染みて感じていたと今更ながらに確信しちゃいますね、そりゃ熟考しようが後先なんて考えなかろうがみやびとは程遠い武家を使ってでも非常の手段に出ますワこりゃ(だって保元の乱で彼らを使ったらあっさり形がついたのが甘い毒のようにふたりの思考に染み付いてますよね)しかし帝権の確立の筈の非常の手段の結果が自分たちのテリトリーである公家社会の半壊と武家による統治へと至る「どうしてこうなった!?」ってのがなんとも業が深くて後世から見ると面白すぎる(^皿^;)
直近に起きた保元の乱に至る崇徳院の悲劇から後白河•二条親子が同じ奈落に自身が落ちぬために全力で互いに策謀を巡らせるのは大いに頷ける話(・Д・)つーか崇徳院の京から追い落とされる落魄っぷりをその目で見てさらに四国から「帰りたい、帰りたい」と啜り泣くような手紙が事あるごとに宮中に送られていた事を思うと院も天皇も常に自身が盤石な立場などでは無い事を身に染みて感じていたと今更ながらに確信しちゃいますね、そりゃ熟考しようが後先なんて考えなかろうがみやびとは程遠い武家を使ってでも非常の手段に出ますワこりゃ(だって保元の乱で彼らを使ったらあっさり形がついたのが甘い毒のようにふたりの思考に染み付いてますよね)しかし帝権の確立の筈の非常の手段の結果が自分たちのテリトリーである公家社会の半壊と武家による統治へと至る「どうしてこうなった!?」ってのがなんとも業が深くて後世から見ると面白すぎる(^皿^;)
エピソード4
ご感想をありがとうございます。
更に言えば、この時の二条天皇陛下は満16歳の身でした。
20歳になる前に上皇に祭り上げられ、ずっと余生を過ごすことを父に強いられると想像しては。
二条天皇陛下が若さも相まって暴発してもおかしくない気が、私はしてなりません。
更に言えば、この時の二条天皇陛下は満16歳の身でした。
20歳になる前に上皇に祭り上げられ、ずっと余生を過ごすことを父に強いられると想像しては。
二条天皇陛下が若さも相まって暴発してもおかしくない気が、私はしてなりません。
- 山家
- 2023年 10月28日 08時48分
[気になる点]
やはり拗れに拗れてる平安末期の宮中情勢( ̄∀ ̄)こーなると平治の乱の後に暫し平穏な小康状態があったのは後白河院や清盛たち勝ち組と見られた人々の実力ではなく二条天皇や美福門院など対抗馬になり得る存在が偶然歴史の舞台から消えたからと思うと政治力学って怖いよなー、結局“院と外戚”の対立が後白河院と清盛で再燃したら一気に源平の騒乱まで雪崩れ込んで国体自体が唐竹割りになるのとかゴルディアスの結び目を断ち切った故事のようでなんとも感慨深いっす。
やはり拗れに拗れてる平安末期の宮中情勢( ̄∀ ̄)こーなると平治の乱の後に暫し平穏な小康状態があったのは後白河院や清盛たち勝ち組と見られた人々の実力ではなく二条天皇や美福門院など対抗馬になり得る存在が偶然歴史の舞台から消えたからと思うと政治力学って怖いよなー、結局“院と外戚”の対立が後白河院と清盛で再燃したら一気に源平の騒乱まで雪崩れ込んで国体自体が唐竹割りになるのとかゴルディアスの結び目を断ち切った故事のようでなんとも感慨深いっす。
エピソード3
ご感想をありがとうございます。
平治の乱が終わった(?)後に小康状態が暫く続いたのは、結果的に後から見れば、朝廷内での対立、力関係がそれなりで済んでいたからではないか、と私自身も考えざるを得ません。
更に考えれば、以仁王の挙兵から後醍醐天皇の討幕挙兵に至るまで、美福門院が集積した荘園が八条院領となり、結果的に源平合戦から南北朝の戦乱に至るまでの熾火といえる存在になった史実を考えれば、私も何とも言えない想いに駆られます。
平治の乱が終わった(?)後に小康状態が暫く続いたのは、結果的に後から見れば、朝廷内での対立、力関係がそれなりで済んでいたからではないか、と私自身も考えざるを得ません。
更に考えれば、以仁王の挙兵から後醍醐天皇の討幕挙兵に至るまで、美福門院が集積した荘園が八条院領となり、結果的に源平合戦から南北朝の戦乱に至るまでの熾火といえる存在になった史実を考えれば、私も何とも言えない想いに駆られます。
- 山家
- 2023年 10月27日 19時30分
[気になる点]
持って生まれた才覚より状況が奇跡的に噛み合って成り上がるひとつのパターンの日本における走りのような信西の快進撃(´Д` )もしも彼が天寿を真っ当出来たなら稀代の出世物語として後世の人々にも親しまれたんだろーなー、残念ながら都の殿上人のほとんどに白眼視されてしまっては綱渡りの人生にならざるを得ず、持って生まれた才覚で凌げない事態が起きた瞬間に真っ逆さまに転落する事になったんでしょうね(しかし天皇と院が併立し形骸化したとは言え摂関家も暗躍して誰が敵で味方かも日替わりレベルで変化する殿中情勢や武家台頭期のバトルロイヤルまじ乱世ではこーゆー出過ぎた杭のような人はバッドエンドを回避するのは不可能なんだろうな)
持って生まれた才覚より状況が奇跡的に噛み合って成り上がるひとつのパターンの日本における走りのような信西の快進撃(´Д` )もしも彼が天寿を真っ当出来たなら稀代の出世物語として後世の人々にも親しまれたんだろーなー、残念ながら都の殿上人のほとんどに白眼視されてしまっては綱渡りの人生にならざるを得ず、持って生まれた才覚で凌げない事態が起きた瞬間に真っ逆さまに転落する事になったんでしょうね(しかし天皇と院が併立し形骸化したとは言え摂関家も暗躍して誰が敵で味方かも日替わりレベルで変化する殿中情勢や武家台頭期のバトルロイヤルまじ乱世ではこーゆー出過ぎた杭のような人はバッドエンドを回避するのは不可能なんだろうな)
エピソード2
ご感想をありがとうございます。
信西に反感を抱いていたのは、私の見る限りは院近臣層であり、皮肉なことに後に摂家、清華家になるような最上級の殿上人には、信西は反感を余り抱かれていなかった気がします。
(実際問題として、信西の政策は極めて真っ当で、多くの支持が集まるものでした。
そして、信西の子どもの昇進は、最上級の殿上人にしてみれば、特に影響がないことだったのです。
ですが、院近臣層にしてみれば、信西の子どもの昇進は自らに直に影響が出る代物でした)
そうしたことが、信西が平治の乱の原因、と後世に伝わる事態を引き起こした、と私は考えます。
信西に反感を抱いていたのは、私の見る限りは院近臣層であり、皮肉なことに後に摂家、清華家になるような最上級の殿上人には、信西は反感を余り抱かれていなかった気がします。
(実際問題として、信西の政策は極めて真っ当で、多くの支持が集まるものでした。
そして、信西の子どもの昇進は、最上級の殿上人にしてみれば、特に影響がないことだったのです。
ですが、院近臣層にしてみれば、信西の子どもの昇進は自らに直に影響が出る代物でした)
そうしたことが、信西が平治の乱の原因、と後世に伝わる事態を引き起こした、と私は考えます。
- 山家
- 2023年 10月26日 20時04分
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