感想一覧
▽感想を書くなんというか…
同じ状況でもそう考えない人もいますよね。
ハルのように考えてしまうのは性格…
その性格が生きづらさなのかなと思っていたのですが、、、
「明日の家賃にはならない」と言ったところで…
「ん?お金があったら案外解決するのかも…」と思ってしまった。
言葉を与えたい佐伯さんもまたそういう性格なわけで。
流れ作業、楽ちんでいいじゃんと思うけど、何か生きがいみたいのを求めたら辛いですよね。
うん、それが生きづらさ…と戻ってしまった…。
難しいですね。
感想返信の中の「隣にいることはできるかもしれない」それが一番かもで違うかもで…
ほんと、難しいですね。
難しいよ〜
同じ状況でもそう考えない人もいますよね。
ハルのように考えてしまうのは性格…
その性格が生きづらさなのかなと思っていたのですが、、、
「明日の家賃にはならない」と言ったところで…
「ん?お金があったら案外解決するのかも…」と思ってしまった。
言葉を与えたい佐伯さんもまたそういう性格なわけで。
流れ作業、楽ちんでいいじゃんと思うけど、何か生きがいみたいのを求めたら辛いですよね。
うん、それが生きづらさ…と戻ってしまった…。
難しいですね。
感想返信の中の「隣にいることはできるかもしれない」それが一番かもで違うかもで…
ほんと、難しいですね。
難しいよ〜
ご感想ありがとうございます。
読ませていただきながら、『この作品の中で、自分でもまだ答えが出ていない部分』を、一緒に考えていただけた感覚がありました。
だから最後の、「難しいよ〜」に、ものすごく頷いてしまいました。(´・ω・`)<本当に、難しいんですよね。
まず、「同じ状況でもそう考えない人もいますよね。」
これは、この作品を書く時にずっと意識していた部分でした。
同じ職場。 同じ理不尽。 同じ曖昧さ。
それでも、あまり気にしない人、割り切れる人、怒って流せる人、深く抱え込んでしまう人がいる。
だから、生きづらさって単純に環境だけの問題ではなく、 その人の感受性や性格や受信の仕方とも強く結びついている。
ハルは、たぶん感じなくていいものまで感じてしまう人なんですよね……(-_-;)<しかも、その違和感を無視できない。だから疲弊してしまう。
でも同時に、「じゃあ性格を変えればいい」で済む話でもない。その『変えにくさ』自体が、本当の意味での生きづらさでもあるんですよね。
コロン様の、「ん?お金があったら案外解決するのかも…」という視点も、とても鋭いと思いました。
実際、かなりの問題は、お金や生活の安定で軽減されると私も思います。
家賃の不安がなく、働き方を選べて、休む余裕があれば、人はもう少し柔らかく世界を見られるかもしれない。
でも、ハルはそのどちらでもなかった。
この作品で、「哲学」や「言葉」だけで全部を解決できるとは描きませんでした。
むしろ佐伯自身「哲学は、空腹を癒やすパンじゃない」と言っている。
これは、言葉の限界を認めている場面でもありましたし、ハルにお金を渡してあげたとしても、それは一時の救いでしかなく、逆にハルの性格的にもっと自分を追い込んでしまうかも知れない……そう思っていたのかも知れません。
火事場で火に巻かれている人に「火をよく見ろ」とは、言ってはならないものです。まずは、「とにかく逃げろ!」と言うべきなんですよね。
結局、人間はまず生き延びないといけない。
生き延びる余裕がない時、人は構造を考える前に潰れてしまう。
でも一方で、お金だけでは埋まらない苦しさも確かにある。
たとえば、どうして自分だけこんなに疲れるのか、なぜ周囲と噛み合わないのか、なぜ「普通」が苦しいのか、という感覚。
だからハルは、生活苦だけではなく、世界との噛み合わなさにも苦しんでいる。
そして佐伯もまた、「言葉を渡したい」と思ってしまう性格なんですよね。
そこを見抜いてくださったのが、すごく嬉しかったです。(*´ω`*)
佐伯は、善意の人です。でも、善意だけでは人は救えない。
むしろ、言葉によって相手をさらに傷つけてしまうこともある。
それでも、黙って完全に通り過ぎることもできない。
だから彼は、不器用に言葉を渡してしまう。
そしてハルも、その言葉を「毒だ」と言いながら、完全には捨てられない。
その関係は、正しいわけでも、間違っているわけでもない。
だからコロン様の、「隣にいることはできるかもしれない」それが一番かもで違うかもで……という揺れも、とても分かる気がします。
本当に、ただ隣にいるだけで救われることもある。
でも、 隣にいても救えないこともある。
言葉が届かないこともある。
結局、人は他人を完全には理解できない。
この作品は、そこから逃げないようにしたかったんです。
だから最後まで、劇的な救済も、「これが正解です」という結論も出てこない。
ただ、分からないまま考える、救えないかもしれないまま隣に座る、不格好なまま言葉を交わす。
そういう、小さくて曖昧な関わりだけが残る。
たぶんこの作品自体が、「難しいよ〜」と言い続けている物語なんだと思います。
だから、その難しさごと受け取ってくださったことが、とても嬉しかったです。(人*´∀`)。*゜+
作品の最後に、ふたりは列車を見送りました。
それは決められたレールを走る列車と、その中にいる人たちを見つめていたのです。
その視線と想いは、どうであったのか……。
一緒に考えてくださる優しいお言葉、ありがとうございました。(*人´ω`*)
読ませていただきながら、『この作品の中で、自分でもまだ答えが出ていない部分』を、一緒に考えていただけた感覚がありました。
だから最後の、「難しいよ〜」に、ものすごく頷いてしまいました。(´・ω・`)<本当に、難しいんですよね。
まず、「同じ状況でもそう考えない人もいますよね。」
これは、この作品を書く時にずっと意識していた部分でした。
同じ職場。 同じ理不尽。 同じ曖昧さ。
それでも、あまり気にしない人、割り切れる人、怒って流せる人、深く抱え込んでしまう人がいる。
だから、生きづらさって単純に環境だけの問題ではなく、 その人の感受性や性格や受信の仕方とも強く結びついている。
ハルは、たぶん感じなくていいものまで感じてしまう人なんですよね……(-_-;)<しかも、その違和感を無視できない。だから疲弊してしまう。
でも同時に、「じゃあ性格を変えればいい」で済む話でもない。その『変えにくさ』自体が、本当の意味での生きづらさでもあるんですよね。
コロン様の、「ん?お金があったら案外解決するのかも…」という視点も、とても鋭いと思いました。
実際、かなりの問題は、お金や生活の安定で軽減されると私も思います。
家賃の不安がなく、働き方を選べて、休む余裕があれば、人はもう少し柔らかく世界を見られるかもしれない。
でも、ハルはそのどちらでもなかった。
この作品で、「哲学」や「言葉」だけで全部を解決できるとは描きませんでした。
むしろ佐伯自身「哲学は、空腹を癒やすパンじゃない」と言っている。
これは、言葉の限界を認めている場面でもありましたし、ハルにお金を渡してあげたとしても、それは一時の救いでしかなく、逆にハルの性格的にもっと自分を追い込んでしまうかも知れない……そう思っていたのかも知れません。
火事場で火に巻かれている人に「火をよく見ろ」とは、言ってはならないものです。まずは、「とにかく逃げろ!」と言うべきなんですよね。
結局、人間はまず生き延びないといけない。
生き延びる余裕がない時、人は構造を考える前に潰れてしまう。
でも一方で、お金だけでは埋まらない苦しさも確かにある。
たとえば、どうして自分だけこんなに疲れるのか、なぜ周囲と噛み合わないのか、なぜ「普通」が苦しいのか、という感覚。
だからハルは、生活苦だけではなく、世界との噛み合わなさにも苦しんでいる。
そして佐伯もまた、「言葉を渡したい」と思ってしまう性格なんですよね。
そこを見抜いてくださったのが、すごく嬉しかったです。(*´ω`*)
佐伯は、善意の人です。でも、善意だけでは人は救えない。
むしろ、言葉によって相手をさらに傷つけてしまうこともある。
それでも、黙って完全に通り過ぎることもできない。
だから彼は、不器用に言葉を渡してしまう。
そしてハルも、その言葉を「毒だ」と言いながら、完全には捨てられない。
その関係は、正しいわけでも、間違っているわけでもない。
だからコロン様の、「隣にいることはできるかもしれない」それが一番かもで違うかもで……という揺れも、とても分かる気がします。
本当に、ただ隣にいるだけで救われることもある。
でも、 隣にいても救えないこともある。
言葉が届かないこともある。
結局、人は他人を完全には理解できない。
この作品は、そこから逃げないようにしたかったんです。
だから最後まで、劇的な救済も、「これが正解です」という結論も出てこない。
ただ、分からないまま考える、救えないかもしれないまま隣に座る、不格好なまま言葉を交わす。
そういう、小さくて曖昧な関わりだけが残る。
たぶんこの作品自体が、「難しいよ〜」と言い続けている物語なんだと思います。
だから、その難しさごと受け取ってくださったことが、とても嬉しかったです。(人*´∀`)。*゜+
作品の最後に、ふたりは列車を見送りました。
それは決められたレールを走る列車と、その中にいる人たちを見つめていたのです。
その視線と想いは、どうであったのか……。
一緒に考えてくださる優しいお言葉、ありがとうございました。(*人´ω`*)
- ブラック・まなパ
- 2026年 05月11日 12時02分
おそらく今でも日本中の多くの人達が悩んでいることを1つの物語にして示した作品。
人によっては中身を難しく捉えて好まない人がいるかもしれませんが、人の心と生き方に焦点をあてている僕はハルさんと佐伯さんの対話の内容を興味深く読んじゃうところがあります。そのうえで「言葉じゃ伝えにくいもの」をしっかりと伝えにきている感がありました。空気を読めるようになればなるほど傷つきやすい世界って現実にありますからね。だけども、それに対して何かができるワケでもない。「説明しずらい違和感」をしっかり説明していた。
映像にすればもっと分かりにくい話になるかもしれないけど……でも、これは文学作品です。だからこそ心打つメッセージをしかと受け取れた気がしました(*´ω`)b
人によっては中身を難しく捉えて好まない人がいるかもしれませんが、人の心と生き方に焦点をあてている僕はハルさんと佐伯さんの対話の内容を興味深く読んじゃうところがあります。そのうえで「言葉じゃ伝えにくいもの」をしっかりと伝えにきている感がありました。空気を読めるようになればなるほど傷つきやすい世界って現実にありますからね。だけども、それに対して何かができるワケでもない。「説明しずらい違和感」をしっかり説明していた。
映像にすればもっと分かりにくい話になるかもしれないけど……でも、これは文学作品です。だからこそ心打つメッセージをしかと受け取れた気がしました(*´ω`)b
深く読んでくださった ご感想、本当にありがとうございます。
「今でも日本中の多くの人達が悩んでいることを、ひとつの物語にして示した作品」
そう言っていただけたこと、とても嬉しかったです!(≧▽≦)
この作品を書き始めた時、自分の中にはずっと、『この苦しさは、個人の弱さだけで説明されていいのだろうか』という感覚がありました。
けれど同時に、それを簡単に『社会が悪い』と断定してしまうと、逆に嘘になる気もしていたんです。
だから『境界線のノイズ』は、誰かを完全な加害者にも、完全な被害者にもせず、
『適応できる人、適応できない人、気づける人、気づかずに生きられる人』
その全部が混在したまま進む物語として書いてみました。(*´∀`)<だから『ノイズ』なんです〜
そして、いでっち51号様が、
「言葉じゃ伝えにくいもの」をしっかりと伝えにきている感
と受け取ってくださったのも、本当にありがたかったです。
この作品で描きたかった『生きづらさ』は、実は非常に説明しづらいものなんですよね。
たとえば、「空気を読め」「感覚で動いて」「普通にやればいい」という言葉。多くの人は、それで通じてしまう。
でも、通じない側には、「何を?」「どこまで?」「どういう基準で?」という『見えないルール』だけが残る。
しかも厄介なのは、その違和感を説明しようとすると、今度は相手から「考えすぎ」と言われてしまうこともあるですよね……
だからハルは、自分の苦しみをうまく言語化できない。
そして佐伯は、その苦しみを『構造』として説明しようとする。
けれど、説明できたからといって、救いになるわけではない。
むしろ第2話では、「知らなきゃよかった」という痛みに繋がってしまう。
この、『理解=救済ではない』という部分は、かなり意識してみました。(◡ω◡)
また、
「空気を読めるようになればなるほど傷つきやすい世界」という言葉にも、深く頷いてしまいました。
本当にそうなんですよね。
鈍感な人が悪いわけではない。でも、敏感な人ほど、 人の感情や場の空気や、言葉の温度差を拾ってしまう。
そして、その受信感度の高さが、社会の中では生きづらさとして返ってくることがある。
ハルは、まさにそういう人物として書いていました。
だから彼は「空気が読めない」のではなく、むしろ読みすぎてしまう。
読めてしまうからこそ、そこに含まれている曖昧さや排除や無責任さまで見えてしまう。
でも見えたところで、ハル自身にはどうにもできない。
その無力感が、彼を削っていく。
私事ですが、命に関わる仕事というプレッシャーと、患者さんたちという流動的な状況に、理想と現実の板挟みで退職していく子たちを見ていたこともあります……(´;ω;`)<何とも出来なかった無力さも感じることもあります……
しかし、最後に書いてくださった、
「映像にすればもっと分かりにくい話になるかもしれないけど……でも、これは文学作品です。」
という部分も、とても印象的でした。
たぶんこの作品は、出来事そのものよりも、言葉にできない違和感、沈黙、内面の摩耗、微妙な温度差みたいなものを扱っているので、映像化すると『何も起きていない話』に見えるかもしれないんですよね。
でも文学だからこそ、「説明しづらい感覚」を説明しきれないまま触れられ、また続けられることができる。
それが文章の強みなのかもしれない、と改めて思いました。(。•̀ᴗ-)b✧
そして何より、
「心打つメッセージをしかと受け取れた気がしました」
という言葉が、本当に嬉しかったです。
この作品は、明快な答えを提示する物語ではありません。 救済も、劇的な成長もない。
それでも、「言葉にならない違和感」を抱えた誰かが、
「自分だけではないのかもしれない」
と、一瞬でも思える作品になっていたなら、書いた意味があったのだと思います♪(ꈍᴗꈍ人)<丁寧に読み取ってくださり、本当にありがとうございました。
「今でも日本中の多くの人達が悩んでいることを、ひとつの物語にして示した作品」
そう言っていただけたこと、とても嬉しかったです!(≧▽≦)
この作品を書き始めた時、自分の中にはずっと、『この苦しさは、個人の弱さだけで説明されていいのだろうか』という感覚がありました。
けれど同時に、それを簡単に『社会が悪い』と断定してしまうと、逆に嘘になる気もしていたんです。
だから『境界線のノイズ』は、誰かを完全な加害者にも、完全な被害者にもせず、
『適応できる人、適応できない人、気づける人、気づかずに生きられる人』
その全部が混在したまま進む物語として書いてみました。(*´∀`)<だから『ノイズ』なんです〜
そして、いでっち51号様が、
「言葉じゃ伝えにくいもの」をしっかりと伝えにきている感
と受け取ってくださったのも、本当にありがたかったです。
この作品で描きたかった『生きづらさ』は、実は非常に説明しづらいものなんですよね。
たとえば、「空気を読め」「感覚で動いて」「普通にやればいい」という言葉。多くの人は、それで通じてしまう。
でも、通じない側には、「何を?」「どこまで?」「どういう基準で?」という『見えないルール』だけが残る。
しかも厄介なのは、その違和感を説明しようとすると、今度は相手から「考えすぎ」と言われてしまうこともあるですよね……
だからハルは、自分の苦しみをうまく言語化できない。
そして佐伯は、その苦しみを『構造』として説明しようとする。
けれど、説明できたからといって、救いになるわけではない。
むしろ第2話では、「知らなきゃよかった」という痛みに繋がってしまう。
この、『理解=救済ではない』という部分は、かなり意識してみました。(◡ω◡)
また、
「空気を読めるようになればなるほど傷つきやすい世界」という言葉にも、深く頷いてしまいました。
本当にそうなんですよね。
鈍感な人が悪いわけではない。でも、敏感な人ほど、 人の感情や場の空気や、言葉の温度差を拾ってしまう。
そして、その受信感度の高さが、社会の中では生きづらさとして返ってくることがある。
ハルは、まさにそういう人物として書いていました。
だから彼は「空気が読めない」のではなく、むしろ読みすぎてしまう。
読めてしまうからこそ、そこに含まれている曖昧さや排除や無責任さまで見えてしまう。
でも見えたところで、ハル自身にはどうにもできない。
その無力感が、彼を削っていく。
私事ですが、命に関わる仕事というプレッシャーと、患者さんたちという流動的な状況に、理想と現実の板挟みで退職していく子たちを見ていたこともあります……(´;ω;`)<何とも出来なかった無力さも感じることもあります……
しかし、最後に書いてくださった、
「映像にすればもっと分かりにくい話になるかもしれないけど……でも、これは文学作品です。」
という部分も、とても印象的でした。
たぶんこの作品は、出来事そのものよりも、言葉にできない違和感、沈黙、内面の摩耗、微妙な温度差みたいなものを扱っているので、映像化すると『何も起きていない話』に見えるかもしれないんですよね。
でも文学だからこそ、「説明しづらい感覚」を説明しきれないまま触れられ、また続けられることができる。
それが文章の強みなのかもしれない、と改めて思いました。(。•̀ᴗ-)b✧
そして何より、
「心打つメッセージをしかと受け取れた気がしました」
という言葉が、本当に嬉しかったです。
この作品は、明快な答えを提示する物語ではありません。 救済も、劇的な成長もない。
それでも、「言葉にならない違和感」を抱えた誰かが、
「自分だけではないのかもしれない」
と、一瞬でも思える作品になっていたなら、書いた意味があったのだと思います♪(ꈍᴗꈍ人)<丁寧に読み取ってくださり、本当にありがとうございました。
- ブラック・まなパ
- 2026年 05月11日 11時41分
「善き人」であろうと頑張り過ぎないよーにね
ヾ(´・ω・`)
ヾ(´・ω・`)
ご感想ありがとうございます。
とても短い言葉なのに、不思議なくらい、この作品の核心に触れている気がしました。(*´ω`*)
「善き人」であろうとし続けること。
それ自体は、とても尊いことのはずなのに、ときどき人を壊してしまうんですよね。
ハルも佐伯も、根本には『良くとあろう』とする感覚があります。
誰かを傷つけないように。誠実であろうとして。空気を読みすぎて。自分を責めて。理解しようとしてしまう。
でも、その善さや真面目さが、社会の中では必ずしも報われない。
むしろ、自分を削る方向に働いてしまうことがある。
だからハルは、「みんなと同じように我慢すればいいだけなのに」と、自分を責め続けるし、
佐伯もまた、「言葉を渡せば救いになるかもしれない」 という善意の中で、結果的にハルをさらに苦しめてしまったかもしれない、と悩む。
この作品は、「優しさは素晴らしい」だけでは終われない話として書いていました。
優しさや誠実さは、ときに人を支える。
でも同時に、自分自身へ刃を向けてしまうこともある。
だからこそ、漉緒様の、
「善き人」であろうと頑張り過ぎないよーにね
という言葉が、とても静かな救いのように感じました。(*´∀`)
『善くあれ』ではなく、『頑張り過ぎないで』と言ってくれる。
それは多分、この作品の登場人物たちが、一番うまく自分に言えない言葉なんですよね。
短い一言の中に、すごく優しい温度を感じました♪(ꈍᴗꈍ人)<読んでくださり、本当にありがとうございました。
とても短い言葉なのに、不思議なくらい、この作品の核心に触れている気がしました。(*´ω`*)
「善き人」であろうとし続けること。
それ自体は、とても尊いことのはずなのに、ときどき人を壊してしまうんですよね。
ハルも佐伯も、根本には『良くとあろう』とする感覚があります。
誰かを傷つけないように。誠実であろうとして。空気を読みすぎて。自分を責めて。理解しようとしてしまう。
でも、その善さや真面目さが、社会の中では必ずしも報われない。
むしろ、自分を削る方向に働いてしまうことがある。
だからハルは、「みんなと同じように我慢すればいいだけなのに」と、自分を責め続けるし、
佐伯もまた、「言葉を渡せば救いになるかもしれない」 という善意の中で、結果的にハルをさらに苦しめてしまったかもしれない、と悩む。
この作品は、「優しさは素晴らしい」だけでは終われない話として書いていました。
優しさや誠実さは、ときに人を支える。
でも同時に、自分自身へ刃を向けてしまうこともある。
だからこそ、漉緒様の、
「善き人」であろうと頑張り過ぎないよーにね
という言葉が、とても静かな救いのように感じました。(*´∀`)
『善くあれ』ではなく、『頑張り過ぎないで』と言ってくれる。
それは多分、この作品の登場人物たちが、一番うまく自分に言えない言葉なんですよね。
短い一言の中に、すごく優しい温度を感じました♪(ꈍᴗꈍ人)<読んでくださり、本当にありがとうございました。
- ブラック・まなパ
- 2026年 05月11日 11時23分
迷える人へのエールの作品ですね。
(*´ω`*)
確かに転職をすると「分からないところだけ質問にこい」と言われ、途方にくれることもしばしば……。
それで結局、知ったつもりになって作業をして間違っていて「どうして聞きに来なかった!」ってなった経験がありますよ。
長くその狭い世界にいると、外から来た人は感じ方が違うってことに気付かない構造もあるのかも知れませんね〜。
(・∀・)
(*´ω`*)
確かに転職をすると「分からないところだけ質問にこい」と言われ、途方にくれることもしばしば……。
それで結局、知ったつもりになって作業をして間違っていて「どうして聞きに来なかった!」ってなった経験がありますよ。
長くその狭い世界にいると、外から来た人は感じ方が違うってことに気付かない構造もあるのかも知れませんね〜。
(・∀・)
元毛玉様の体験に基づいた、ご感想ありがとうございます。「迷える人へのエール」という言葉、とても嬉しかったです!(≧▽≦)
ただ、この作品は真正面から「頑張れ!」と言える物語ではなくて、むしろ、うまく頑張れない人が、なぜ苦しいのかをなるべく誤魔化さず描きたい、『苦しくなる原因は何だろうか?』という気持ちから始まっていました。
だからこそ、元毛玉様が挙げてくださった、
「分からないところだけ質問にこい」
という言葉、まさに作品の核心に近いんですよね。
一見すると合理的で、親切な言葉にも聞こえる。
でも実際には、
「どこが分からないのか分からない」
「質問していいタイミングが分からない」
「何を前提知識として求められているのか分からない」
という状態の人にとっては、かなり難易度が高い……(-_-;)
しかも勇気を出して聞いてみれば、「そんなことも分からないの?」となることもある。
さらに逆に聞かなければ、「どうして聞きに来なかった!」になる。
あれ、本当に理不尽なんですが、現場側からすると『普通』にできることとして認識されている場合が多いんですよね〜(´・ω・`)<だから本当の悪が見えづらい……
感想に書いてくださった、
「長くその狭い世界にいると、外から来た人は感じ方が違うってことに気付かない構造」
これも、とても大きいと思います。
長く同じ環境にいる人ほど、 当たり前が身体化されていく。
「どのタイミングで動くか、どの言葉を省略するか、どこまで説明しなくていいか、どういう空気で判断するか」
そういうものが無意識化される。
だから新人に対しても、
「見れば分かるでしょ」 「普通そうするよね」
になってしまうでしょうね……。
でも、その『普通』は、本当は長い時間をかけて身につけたローカルルールなんですよね。
ハルは、その「ローカルルールが見えすぎる」のに、うまく同化できない人物として書いていました。
そして、そのズレを「自分の弱さ」だと思い込んでしまう。
本来なら、「説明不足かもしれない」「環境との相性かもしれない」「構造の問題かもしれない」という視点もあるはずなのに、真面目な人ほど、自分を責める方向へ行ってしまう……(´;ω;`)
だからこの作品では、 君は悪くないと簡単に言い切るのではなく、「もしかすると、世界の側も歪なんじゃないか」という視点を、ハルに少しずつ渡していきたかったんです。
ただ、その視点は救いになると同時に、苦しみにもなる。
第2話でハルが、「知らなきゃよかった」と言うのは、そこなんですよね。
理解することで、逆に『不適応』が鮮明になってしまう。哲学や言葉は、万能薬ではなく、時に毒にもなってしまうわけで……。
それでもなお、「自分だけがおかしいわけではないかもしれない」と考える余地を佐伯はハルに渡したかった……ほんの少しでも生き延びるための支えになれば……という気持ちで書いてみました。(´・ω・`)
元毛玉様の実体験を交えた感想、とてもありがたかったです!
きっと多くの人が、「質問していいタイミングが分からない」という、あの小さくて説明しづらい苦しさを経験しているのだと思います。
読んでくださり、本当にありがとうございました。(人*´∀`)。*゜+
ただ、この作品は真正面から「頑張れ!」と言える物語ではなくて、むしろ、うまく頑張れない人が、なぜ苦しいのかをなるべく誤魔化さず描きたい、『苦しくなる原因は何だろうか?』という気持ちから始まっていました。
だからこそ、元毛玉様が挙げてくださった、
「分からないところだけ質問にこい」
という言葉、まさに作品の核心に近いんですよね。
一見すると合理的で、親切な言葉にも聞こえる。
でも実際には、
「どこが分からないのか分からない」
「質問していいタイミングが分からない」
「何を前提知識として求められているのか分からない」
という状態の人にとっては、かなり難易度が高い……(-_-;)
しかも勇気を出して聞いてみれば、「そんなことも分からないの?」となることもある。
さらに逆に聞かなければ、「どうして聞きに来なかった!」になる。
あれ、本当に理不尽なんですが、現場側からすると『普通』にできることとして認識されている場合が多いんですよね〜(´・ω・`)<だから本当の悪が見えづらい……
感想に書いてくださった、
「長くその狭い世界にいると、外から来た人は感じ方が違うってことに気付かない構造」
これも、とても大きいと思います。
長く同じ環境にいる人ほど、 当たり前が身体化されていく。
「どのタイミングで動くか、どの言葉を省略するか、どこまで説明しなくていいか、どういう空気で判断するか」
そういうものが無意識化される。
だから新人に対しても、
「見れば分かるでしょ」 「普通そうするよね」
になってしまうでしょうね……。
でも、その『普通』は、本当は長い時間をかけて身につけたローカルルールなんですよね。
ハルは、その「ローカルルールが見えすぎる」のに、うまく同化できない人物として書いていました。
そして、そのズレを「自分の弱さ」だと思い込んでしまう。
本来なら、「説明不足かもしれない」「環境との相性かもしれない」「構造の問題かもしれない」という視点もあるはずなのに、真面目な人ほど、自分を責める方向へ行ってしまう……(´;ω;`)
だからこの作品では、 君は悪くないと簡単に言い切るのではなく、「もしかすると、世界の側も歪なんじゃないか」という視点を、ハルに少しずつ渡していきたかったんです。
ただ、その視点は救いになると同時に、苦しみにもなる。
第2話でハルが、「知らなきゃよかった」と言うのは、そこなんですよね。
理解することで、逆に『不適応』が鮮明になってしまう。哲学や言葉は、万能薬ではなく、時に毒にもなってしまうわけで……。
それでもなお、「自分だけがおかしいわけではないかもしれない」と考える余地を佐伯はハルに渡したかった……ほんの少しでも生き延びるための支えになれば……という気持ちで書いてみました。(´・ω・`)
元毛玉様の実体験を交えた感想、とてもありがたかったです!
きっと多くの人が、「質問していいタイミングが分からない」という、あの小さくて説明しづらい苦しさを経験しているのだと思います。
読んでくださり、本当にありがとうございました。(人*´∀`)。*゜+
- ブラック・まなパ
- 2026年 05月11日 11時19分
空気を読むこと。
感覚で動くこと。
曖昧な指示を理解すること。
適度に愛想よく振る舞うこと。
多い上に理解し難い社会の仕様だよね。
空気読め。
こうだろう?
わかるだろう。
愛想無いなあ。
それでやっていけるヒトは確かに居て、やっていけないヒトも確実に居て。
でも社会はこのカタチのまま、このカタチから変わらず変えられず、適応出来ない者を弾き出すしかない。
佐伯の渡した「靴の中に入り込んだ小石」はハルにとってはただの厄介者になってしまったのか。
少しだけ残る、気にとめる様なモノではなく、煩わしいだけの、それ。
剥き出しの神経が並ぶ詩集
靴の中に入り込んだ小石
まあ、めっちゃ痛そうだけどなヾ(≧∇≦)
神経が剥き出しになった足で、小石の入り込んだ靴を履いて一歩踏み出したらしいそりゃあ痛いさ。
腰を下ろして、靴を脱いで、一度確かめてみたらいいんじゃないかなあ?
何がわかるかわからない。
何もわからないかも知れないけど。
みんなは痛みを堪えて歩いているのかも知れないけど。
同じ歩き方をしなくてもいいんじゃない?
たまに親の顔を見たら何か吹っ切れるかもよ?
まあ、ワタシは痛みを堪えて歩くタイプだがね( ̄∇ ̄)
感覚で動くこと。
曖昧な指示を理解すること。
適度に愛想よく振る舞うこと。
多い上に理解し難い社会の仕様だよね。
空気読め。
こうだろう?
わかるだろう。
愛想無いなあ。
それでやっていけるヒトは確かに居て、やっていけないヒトも確実に居て。
でも社会はこのカタチのまま、このカタチから変わらず変えられず、適応出来ない者を弾き出すしかない。
佐伯の渡した「靴の中に入り込んだ小石」はハルにとってはただの厄介者になってしまったのか。
少しだけ残る、気にとめる様なモノではなく、煩わしいだけの、それ。
剥き出しの神経が並ぶ詩集
靴の中に入り込んだ小石
まあ、めっちゃ痛そうだけどなヾ(≧∇≦)
神経が剥き出しになった足で、小石の入り込んだ靴を履いて一歩踏み出したらしいそりゃあ痛いさ。
腰を下ろして、靴を脱いで、一度確かめてみたらいいんじゃないかなあ?
何がわかるかわからない。
何もわからないかも知れないけど。
みんなは痛みを堪えて歩いているのかも知れないけど。
同じ歩き方をしなくてもいいんじゃない?
たまに親の顔を見たら何か吹っ切れるかもよ?
まあ、ワタシは痛みを堪えて歩くタイプだがね( ̄∇ ̄)
ご感想、本当にありがとうございます。
読ませていただきながら、「ああ、この作品の痛さの部分を、とても身体感覚として受け取ってくださったんだな」と感じました。(*´ω`*)
特に、暗黙の了解が読めなかったり、我慢できる人の基準で社会が回っていたり、説明しづらい苦しさを抱えてしまっていたり……社会の中では、これらは『できて当然の前提』として扱われることが多い。しかも厄介なのは、それらが明文化されないことなんですよね。
「こうだろう?」 「わかるだろう?」
という『察しの文化』の中で、察せない側だけが『努力不足』にされていく。
けれど実際には、その感覚は、生まれつき自然にできる人もいれば、ものすごい消耗の上で無理やり合わせている人もいる。
そして、その消耗は外から見えない。
だからハルは、自分を責め続けてしまう。
笹門様の、
社会はこのカタチのまま、このカタチから変わらず変えられず、適応出来ない者を弾き出すしかない。
という言葉も、とても重かったです。
この作品では、社会そのものもまた、巨大な『後付けの仕様』の集合体であるとして、誰か一人が設計したものではないから「社会=悪」と単純化したくありませんでした。
だから変えにくいし、止められない。そして、その歪みの隙間に落ちる人が出てしまう。
そこに明確な悪意がないからこそ、余計に苦しいんですよね。
また、
靴の中に入り込んだ小石 剥き出しの神経が並ぶ詩集
この二つを繋げてくださったのも、とても嬉しかったです。
しかも、
「神経が剥き出しになった足で、小石の入り込んだ靴を履いて一歩踏み出したらそりゃあ痛いさ。」
という表現が、本当に鋭い。
たぶんハルは、まさにその状態なんですよね。
佐伯は、「小石みたいな言葉を持ち帰れ」と言った。 でもハルにとって、その言葉は『違和感』程度では済まなかった。
靴の中に入り込んだ異物ではなく、歩き方そのものを狂わせる痛みになってしまった。
だから第2話で、ハルは「佐伯さんの言葉は、毒だ」と言う。
あれは単なる反抗ではなく、「言葉によって、見なくてよかったものまで見えてしまった苦しさ」なんだと思っていたので、そのハルの状態を想ってくださる視線に温かみを感じました。
そして感想の後半、
「腰を下ろして、靴を脱いで、一度確かめてみたらいいんじゃないかなあ?」
という部分にも、すごく優しい視線を感じました。
この作品は、「頑張れ」とも「逃げろ」とも簡単には言えない話として書いていましたけれど、でも本当は、 ずっと走り続けるしかないわけではないし、多数派と同じ歩き方しか存在しないわけでもない。
ただ、ハル自身がまだ、その立ち止まり方を知らない、分かってないんですよね。
だから彼は、傷ついたまま歩いてしまう。
それでも、
「同じ歩き方をしなくてもいいんじゃない?」
という言葉は、作品の外側からハルに向けられた、小さな救いのようにも感じました。(ꈍᴗꈍ)
そして最後の、
「まあ、ワタシは痛みを堪えて歩くタイプだがね( ̄∇ ̄)」
には、少し笑ってしまったのと同時に、すごく生きてきた人の言葉だと思いました。
多分、多くの人が、本当は少しずつ痛いんですよね。
ただ、その痛みを、見ないようにする人、言葉にする人、堪える人、笑いに変える人、立ち止まる人、全部違う。
この作品は、その「違い」を善悪ではなく、おっしゃる通り、歩き方の違いとして書きたかったのかもしれません。
丁寧に読み込んでくださり、本当にありがとうございました。(人*´∀`)。*゜+
読ませていただきながら、「ああ、この作品の痛さの部分を、とても身体感覚として受け取ってくださったんだな」と感じました。(*´ω`*)
特に、暗黙の了解が読めなかったり、我慢できる人の基準で社会が回っていたり、説明しづらい苦しさを抱えてしまっていたり……社会の中では、これらは『できて当然の前提』として扱われることが多い。しかも厄介なのは、それらが明文化されないことなんですよね。
「こうだろう?」 「わかるだろう?」
という『察しの文化』の中で、察せない側だけが『努力不足』にされていく。
けれど実際には、その感覚は、生まれつき自然にできる人もいれば、ものすごい消耗の上で無理やり合わせている人もいる。
そして、その消耗は外から見えない。
だからハルは、自分を責め続けてしまう。
笹門様の、
社会はこのカタチのまま、このカタチから変わらず変えられず、適応出来ない者を弾き出すしかない。
という言葉も、とても重かったです。
この作品では、社会そのものもまた、巨大な『後付けの仕様』の集合体であるとして、誰か一人が設計したものではないから「社会=悪」と単純化したくありませんでした。
だから変えにくいし、止められない。そして、その歪みの隙間に落ちる人が出てしまう。
そこに明確な悪意がないからこそ、余計に苦しいんですよね。
また、
靴の中に入り込んだ小石 剥き出しの神経が並ぶ詩集
この二つを繋げてくださったのも、とても嬉しかったです。
しかも、
「神経が剥き出しになった足で、小石の入り込んだ靴を履いて一歩踏み出したらそりゃあ痛いさ。」
という表現が、本当に鋭い。
たぶんハルは、まさにその状態なんですよね。
佐伯は、「小石みたいな言葉を持ち帰れ」と言った。 でもハルにとって、その言葉は『違和感』程度では済まなかった。
靴の中に入り込んだ異物ではなく、歩き方そのものを狂わせる痛みになってしまった。
だから第2話で、ハルは「佐伯さんの言葉は、毒だ」と言う。
あれは単なる反抗ではなく、「言葉によって、見なくてよかったものまで見えてしまった苦しさ」なんだと思っていたので、そのハルの状態を想ってくださる視線に温かみを感じました。
そして感想の後半、
「腰を下ろして、靴を脱いで、一度確かめてみたらいいんじゃないかなあ?」
という部分にも、すごく優しい視線を感じました。
この作品は、「頑張れ」とも「逃げろ」とも簡単には言えない話として書いていましたけれど、でも本当は、 ずっと走り続けるしかないわけではないし、多数派と同じ歩き方しか存在しないわけでもない。
ただ、ハル自身がまだ、その立ち止まり方を知らない、分かってないんですよね。
だから彼は、傷ついたまま歩いてしまう。
それでも、
「同じ歩き方をしなくてもいいんじゃない?」
という言葉は、作品の外側からハルに向けられた、小さな救いのようにも感じました。(ꈍᴗꈍ)
そして最後の、
「まあ、ワタシは痛みを堪えて歩くタイプだがね( ̄∇ ̄)」
には、少し笑ってしまったのと同時に、すごく生きてきた人の言葉だと思いました。
多分、多くの人が、本当は少しずつ痛いんですよね。
ただ、その痛みを、見ないようにする人、言葉にする人、堪える人、笑いに変える人、立ち止まる人、全部違う。
この作品は、その「違い」を善悪ではなく、おっしゃる通り、歩き方の違いとして書きたかったのかもしれません。
丁寧に読み込んでくださり、本当にありがとうございました。(人*´∀`)。*゜+
- ブラック・まなパ
- 2026年 05月11日 05時45分
とても考えさせられるお話でした。
だからこそ感じた思いが言葉にならず。ここに書くに足る言葉もなく。明後日なものになりそうですが、書かれたお気持ちを思うと何かを記したくて。
後付けの仕様、『なんとなくわかる』言葉でした。何のためでも誰のためでもなく、その時その時をそこにいる人々が切り抜けていった先に積み上がっていったもの。更地にするには労力も反発もあるからできず、少し崩して積み続けるしか方法がない。歪で複雑、だからこそ、いつどこで誰がその隙間に足がはまり込んでしまうかわからない。そんな危うさを感じました。
きっと、何も気付かないフリをして少し傲慢に生きていくくらいが楽なのでしょうね。皆の我慢を認めるハルも、気付かないフリができない佐伯も、その優しさがつらさに繋がってしまうのが悲しく。ですが誰かを少し強くできるのは、きっとその悲しい優しさなのだと思いたいです。
救いも劇的な成長も明快な結論もないからこそ、お話を通して自身で考えることができました。
ありがとうございます。
だからこそ感じた思いが言葉にならず。ここに書くに足る言葉もなく。明後日なものになりそうですが、書かれたお気持ちを思うと何かを記したくて。
後付けの仕様、『なんとなくわかる』言葉でした。何のためでも誰のためでもなく、その時その時をそこにいる人々が切り抜けていった先に積み上がっていったもの。更地にするには労力も反発もあるからできず、少し崩して積み続けるしか方法がない。歪で複雑、だからこそ、いつどこで誰がその隙間に足がはまり込んでしまうかわからない。そんな危うさを感じました。
きっと、何も気付かないフリをして少し傲慢に生きていくくらいが楽なのでしょうね。皆の我慢を認めるハルも、気付かないフリができない佐伯も、その優しさがつらさに繋がってしまうのが悲しく。ですが誰かを少し強くできるのは、きっとその悲しい優しさなのだと思いたいです。
救いも劇的な成長も明快な結論もないからこそ、お話を通して自身で考えることができました。
ありがとうございます。
感想を書いてくださり、本当にありがとうございます。
「感じた思いが言葉にならない」と書いてくださったこと自体が、この作品にとって、とても大切な反応だと思います。
『境界線のノイズ』は、読後に「これが答えです」と言い切れる種類の話ではなく、むしろ、ハルのように、読んだ人の中に少し引っかかる異物のようなものを残せたら……という気持ちで書いてみました。
だからこそ、「何かを記したくて」と、言葉を探してくださったことが、とても嬉しかったです♪(*人´ω`*)
そして、「後付けの仕様」の捉え方も、本当に深く読んでいただけたのだと感じました。
> 更地にするには労力も反発もあるからできず、少し崩して積み続けるしか方法がない。
この表現に、思わず「まさにそれだ!」と頷いてしまいました。
社会は、最初から完成された悪意あるシステムとして存在しているわけではなく、その時代その時代の『とりあえずの対処』や、『多数にとっての合理』が積み重なった結果として出来上がっている。だから厄介なんですよね〜(-_-;)<明確な「悪人」がいるわけではない。けれど、その歪みの隙間に、確かに落ちてしまう人がいるわけで……
そして何より、その構造に気づいてしまう人ほど、生きづらくなってしまう……ハルや佐伯は、まさにその『気づいてしまう側』の人間として書いていました。
ただ、私自身、この作品を書く中でずっと迷っていたことがあります。
それは、『気づくこと』は本当に良いことなのか、ということでした。
知らないままの方が楽なこともある。見ない方が幸せなこともある。
実際、第2話でハルは、「知らなきゃよかった」と口にしています。
あれは単なる絶望ではなく、ある意味でとても誠実な反応だと思っています。
世界の構造を理解したからといって、家賃は払えないし、明日が急に楽になるわけでもない。むしろ、『自分だけが悪いわけではない』と知ることで、今度は社会全体の巨大さに押し潰されそうになる。
だから佐伯の言葉は、救済であると同時に『毒』でもある……その矛盾を、なるべく誤魔化さずに書きたかったんです。(´・ω・`)
また、
「何も気付かないフリをして少し傲慢に生きていくくらいが楽」
という言葉にも、とても考えさせられました。
本当に、その通りなのだと思います。
人は、全部に傷ついていたら生きていけない。だから鈍くなるし、見ないようにするし、ときには他人の痛みを『自己責任』として処理してしまう。
それは冷酷さでもあるけれど、一種の『生存のための技術』でもあるんですよね……
だからこの作品では、『鈍感な人=悪』とは描きたくありませんでした。
むしろ、ハルや佐伯のように敏感で、考えすぎてしまう人間の方が、社会の中では壊れやすい。
そして、その優しさや感受性が、本人自身を傷つけてしまう。
小池ともか様が書いてくださった、
「ですが誰かを少し強くできるのは、きっとその悲しい優しさなのだと思いたいです。」
という一文は、この作品を書いた者として、とても救われる言葉でした。(ꈍᴗꈍ)
この物語には、劇的な救済も、鮮やかな成長もありません。ハルは最後まで不器用なままですし、佐伯も決して万能ではない。
それでも、「誰かの痛みを、完全には理解できなくても、隣に座ることはできるかもしれない」という、小さくて不格好な可能性だけは残したかった。
高架下で並ぶ沈黙は、その象徴でした。
そして読後に、小池ともか様自身が「自身で考えることができた」と言ってくださったことこそ、この作品にとって何より嬉しい結末だったように思います。
丁寧に読み取ってくださり、本当にありがとうございました。(人*´∀`)。*゜+
「感じた思いが言葉にならない」と書いてくださったこと自体が、この作品にとって、とても大切な反応だと思います。
『境界線のノイズ』は、読後に「これが答えです」と言い切れる種類の話ではなく、むしろ、ハルのように、読んだ人の中に少し引っかかる異物のようなものを残せたら……という気持ちで書いてみました。
だからこそ、「何かを記したくて」と、言葉を探してくださったことが、とても嬉しかったです♪(*人´ω`*)
そして、「後付けの仕様」の捉え方も、本当に深く読んでいただけたのだと感じました。
> 更地にするには労力も反発もあるからできず、少し崩して積み続けるしか方法がない。
この表現に、思わず「まさにそれだ!」と頷いてしまいました。
社会は、最初から完成された悪意あるシステムとして存在しているわけではなく、その時代その時代の『とりあえずの対処』や、『多数にとっての合理』が積み重なった結果として出来上がっている。だから厄介なんですよね〜(-_-;)<明確な「悪人」がいるわけではない。けれど、その歪みの隙間に、確かに落ちてしまう人がいるわけで……
そして何より、その構造に気づいてしまう人ほど、生きづらくなってしまう……ハルや佐伯は、まさにその『気づいてしまう側』の人間として書いていました。
ただ、私自身、この作品を書く中でずっと迷っていたことがあります。
それは、『気づくこと』は本当に良いことなのか、ということでした。
知らないままの方が楽なこともある。見ない方が幸せなこともある。
実際、第2話でハルは、「知らなきゃよかった」と口にしています。
あれは単なる絶望ではなく、ある意味でとても誠実な反応だと思っています。
世界の構造を理解したからといって、家賃は払えないし、明日が急に楽になるわけでもない。むしろ、『自分だけが悪いわけではない』と知ることで、今度は社会全体の巨大さに押し潰されそうになる。
だから佐伯の言葉は、救済であると同時に『毒』でもある……その矛盾を、なるべく誤魔化さずに書きたかったんです。(´・ω・`)
また、
「何も気付かないフリをして少し傲慢に生きていくくらいが楽」
という言葉にも、とても考えさせられました。
本当に、その通りなのだと思います。
人は、全部に傷ついていたら生きていけない。だから鈍くなるし、見ないようにするし、ときには他人の痛みを『自己責任』として処理してしまう。
それは冷酷さでもあるけれど、一種の『生存のための技術』でもあるんですよね……
だからこの作品では、『鈍感な人=悪』とは描きたくありませんでした。
むしろ、ハルや佐伯のように敏感で、考えすぎてしまう人間の方が、社会の中では壊れやすい。
そして、その優しさや感受性が、本人自身を傷つけてしまう。
小池ともか様が書いてくださった、
「ですが誰かを少し強くできるのは、きっとその悲しい優しさなのだと思いたいです。」
という一文は、この作品を書いた者として、とても救われる言葉でした。(ꈍᴗꈍ)
この物語には、劇的な救済も、鮮やかな成長もありません。ハルは最後まで不器用なままですし、佐伯も決して万能ではない。
それでも、「誰かの痛みを、完全には理解できなくても、隣に座ることはできるかもしれない」という、小さくて不格好な可能性だけは残したかった。
高架下で並ぶ沈黙は、その象徴でした。
そして読後に、小池ともか様自身が「自身で考えることができた」と言ってくださったことこそ、この作品にとって何より嬉しい結末だったように思います。
丁寧に読み取ってくださり、本当にありがとうございました。(人*´∀`)。*゜+
- ブラック・まなパ
- 2026年 05月10日 22時19分
ハルくんと全く同じ境遇ではないですが、会社に一度就職をしたものの、色々なしがらみから、自ら逃げ出して、それから派遣社員として長らく働いています。
僕が感じるこの世の中は、正しいか間違ってるかではなく、多いか少ないか、一種の多数決のようなものになっているような気もします。
少数派を疎外し、変な奴だと遠ざける。それが全てではないと思いますが、僕自身はそういう世の中だと思ってるので現実では様々な仮面を作り上げていて、その数は2桁を超えています。
この創作のなろうの中では、まだ一番ホントの自分を出せているのではないかなと思っています。
それでも作中の佐伯さんのように傲慢になってしまうこともありますが、自分がそうであったように、知らず知らずで人のことを傷つけていないだろうか、ワガママで自分勝手に生きてはいないだろうか、とたまーに思ったりします。
痛い思いをした、弱い人だからこそ、優しくも強くもなれるんじゃないかなぁと、ある種希望のような、理想かもしれないですが、そんなことをたまに考えながら、残り少ない余生を生きることにします。
くろまなちゃん←どんな略し方
ありがとうございました(*^^*)
僕が感じるこの世の中は、正しいか間違ってるかではなく、多いか少ないか、一種の多数決のようなものになっているような気もします。
少数派を疎外し、変な奴だと遠ざける。それが全てではないと思いますが、僕自身はそういう世の中だと思ってるので現実では様々な仮面を作り上げていて、その数は2桁を超えています。
この創作のなろうの中では、まだ一番ホントの自分を出せているのではないかなと思っています。
それでも作中の佐伯さんのように傲慢になってしまうこともありますが、自分がそうであったように、知らず知らずで人のことを傷つけていないだろうか、ワガママで自分勝手に生きてはいないだろうか、とたまーに思ったりします。
痛い思いをした、弱い人だからこそ、優しくも強くもなれるんじゃないかなぁと、ある種希望のような、理想かもしれないですが、そんなことをたまに考えながら、残り少ない余生を生きることにします。
くろまなちゃん←どんな略し方
ありがとうございました(*^^*)
とても丁寧な感想を、本当にありがとうございます。(*´∀`*)
「正しいか間違っているかではなく、多いか少ないかで決まっているように感じる」という言葉が、とても強く残りました。
まさにそこが、この作品を通して世の中にある価値観、ハルが苦しんでいるものだと思います。
社会には明確な悪意だけではなく、『多数派であること』そのものが持つ……重力のようなものがありますよね。
誰かが明らかに「おかしい」と決めたわけではなくても、多数の感覚から少し外れているだけで、説明しづらい息苦しさが生まれてしまう。
しかも厄介なのは、その線引きが言語化されないことなんですよね……(´・ω・`)
「普通はこうする」
「なんとなく分かるでしょ」
「空気を読んで」
そういう曖昧な感覚の積み重ねの中で、人は少しずつ、自分用の仮面を作っていく。
「仮面が二桁を超えている」という表現、ものすごく印象的でした。
でも、たぶんそれは、嘘をついているというより、「場面ごとに生存方法を変えてきた」ということなのだと思います。(*´∀`)
でも、その疲労は周囲からは見えにくい……。
だからこそ、「なろうの中では、まだ一番ホントの自分を出せている」という言葉にも、すごく重みを感じました。
創作の場というのは、ときどき完全な本音ではなくても、『現実より少しだけ呼吸しやすい人格』でいられる場所なのかもしれませんね。
また、
「自分も知らず知らず人を傷つけていないだろうか」
という部分にも、とても誠実さを感じました。
作中の佐伯もハルも、決して悪人ではありません。
むしろ、真面目に誰かを理解したいと思っている。
けれど、言葉を持っている人間ほど、理解したつもりになる危険を抱えてしまう。
それも創作に少し似ている気がしますね。
誰かの痛みを書こうとする時、どこかで必ず、『分かった気になってしまう傲慢さや、言葉でキレイに片付けてしまう部分』が混ざってしまうことも……。
だから佐伯は、「私の言葉は毒だったかもしれない」と認める必要があったのです。完璧な人間じゃないから。
そして最後の、
「痛い思いをした、弱い人だからこそ、優しくも強くもなれるんじゃないかなぁ」
という言葉、とても静かで、優しい希望だと思いました。(ꈍᴗꈍ人)
ても実際には、痛みは人を壊してしまうこともあるし、優しくなれる保証なんてない……。
それでも、「自分が苦しかったから、他人の苦しさを雑に扱いたくない」と思える人は、確かにいる。
その感覚は、理想論というより、痛みを経験した人だけが持てる感覚なのかもしれません。
「残り少ない余生」という言葉には、少し胸が締めつけられましたが、こうして言葉を届けてくださったこと、とても嬉しかったです。
あと、「くろまなちゃん」、妙に語感が可愛くて好きでした(笑)
こちらこそ、読んでくださって、本当にありがとうございました。(人*´∀`)。*゜+
「正しいか間違っているかではなく、多いか少ないかで決まっているように感じる」という言葉が、とても強く残りました。
まさにそこが、この作品を通して世の中にある価値観、ハルが苦しんでいるものだと思います。
社会には明確な悪意だけではなく、『多数派であること』そのものが持つ……重力のようなものがありますよね。
誰かが明らかに「おかしい」と決めたわけではなくても、多数の感覚から少し外れているだけで、説明しづらい息苦しさが生まれてしまう。
しかも厄介なのは、その線引きが言語化されないことなんですよね……(´・ω・`)
「普通はこうする」
「なんとなく分かるでしょ」
「空気を読んで」
そういう曖昧な感覚の積み重ねの中で、人は少しずつ、自分用の仮面を作っていく。
「仮面が二桁を超えている」という表現、ものすごく印象的でした。
でも、たぶんそれは、嘘をついているというより、「場面ごとに生存方法を変えてきた」ということなのだと思います。(*´∀`)
でも、その疲労は周囲からは見えにくい……。
だからこそ、「なろうの中では、まだ一番ホントの自分を出せている」という言葉にも、すごく重みを感じました。
創作の場というのは、ときどき完全な本音ではなくても、『現実より少しだけ呼吸しやすい人格』でいられる場所なのかもしれませんね。
また、
「自分も知らず知らず人を傷つけていないだろうか」
という部分にも、とても誠実さを感じました。
作中の佐伯もハルも、決して悪人ではありません。
むしろ、真面目に誰かを理解したいと思っている。
けれど、言葉を持っている人間ほど、理解したつもりになる危険を抱えてしまう。
それも創作に少し似ている気がしますね。
誰かの痛みを書こうとする時、どこかで必ず、『分かった気になってしまう傲慢さや、言葉でキレイに片付けてしまう部分』が混ざってしまうことも……。
だから佐伯は、「私の言葉は毒だったかもしれない」と認める必要があったのです。完璧な人間じゃないから。
そして最後の、
「痛い思いをした、弱い人だからこそ、優しくも強くもなれるんじゃないかなぁ」
という言葉、とても静かで、優しい希望だと思いました。(ꈍᴗꈍ人)
ても実際には、痛みは人を壊してしまうこともあるし、優しくなれる保証なんてない……。
それでも、「自分が苦しかったから、他人の苦しさを雑に扱いたくない」と思える人は、確かにいる。
その感覚は、理想論というより、痛みを経験した人だけが持てる感覚なのかもしれません。
「残り少ない余生」という言葉には、少し胸が締めつけられましたが、こうして言葉を届けてくださったこと、とても嬉しかったです。
あと、「くろまなちゃん」、妙に語感が可愛くて好きでした(笑)
こちらこそ、読んでくださって、本当にありがとうございました。(人*´∀`)。*゜+
- ブラック・まなパ
- 2026年 05月10日 17時43分
このお話の中で私が頭に残ったのは、もう痛くない、です。
痛みは時間が解決するかもしれませんが、それは自分のなかに形として、教訓として、もしくは二度と同じ思いになりたくないものとして残り続けているような。
創作を深めるためには、自分が気づきたくない気持ちなどを表現することも必要だと思っています。優しい世界を描くためにも、薄暗い気持ちと向き合っている方がより、深くなると思っているからです。
それに、それって自分の嫌な気持ちの方に向き合うからすごく勇気のいること、だとも思っています。
一文字ひともじに思いを感じました。
読ませていただきありがとうございました。
痛みは時間が解決するかもしれませんが、それは自分のなかに形として、教訓として、もしくは二度と同じ思いになりたくないものとして残り続けているような。
創作を深めるためには、自分が気づきたくない気持ちなどを表現することも必要だと思っています。優しい世界を描くためにも、薄暗い気持ちと向き合っている方がより、深くなると思っているからです。
それに、それって自分の嫌な気持ちの方に向き合うからすごく勇気のいること、だとも思っています。
一文字ひともじに思いを感じました。
読ませていただきありがとうございました。
読んでいただき、本当にありがとうございます。
指を失った男の「痛かったよ。でも、今は何とも思わない」という言葉が残った、と言っていただけたことが、とても印象に残りました。
おっしゃる通り、あまりにも長く身体の一部になってしまったからこそ、痛みとしては感じなくなっている——そんな状態に近いのかもしれませんね。
その『何とも思わなさ』は、決して「何も残っていない」という意味ではなく、この作品では、「痛みが消えること」と、「痛みが存在しなかったことになること」は違うのだ、という感覚を書こうと思って……。
だからハルは、その言葉に引っかかったのだと思います。
哲学的な言葉でも、綺麗な慰めでもなく、ただ「安全装置のついていない機械だった」という、生々しい事実の報告。
そこには説明も救済もないのに、逆にそれが、世界の輪郭を強く浮かび上がらせてしまうんですね。
また、瑞月風花様のおっしゃった、「優しい世界を描くためにも、薄暗い気持ちと向き合う方が深くなる」
という言葉、本当にその通りだと思いました。(*´ω`*)
この作品を書いている間、私はずっと、「優しさ」と「痛み」を切り離してはいけないのではないか、と考えていました。
ただ優しいだけの世界は、時として、現実の苦しさを見落としてしまう。
でも逆に、痛みだけを書き続けると、人は息ができなくなる。
だからこの作品のラストでは、救いを書くというより、「それでも誰かと同じ場所に座っていられる時間」を書きたかったのでした。
高架下で並ぶ沈黙も、答えではありません。
けれど、あの沈黙には、「理解し切れなくても、隣にいることはできるかもしれない」という、かすかな感触だけが残っている。
それは、派手ではないけれど、私にとってはとても大事なものです。
そして、「自分が気づきたくない気持ちと向き合うことには勇気がいる」
というお言葉にも、深く頷きました。
創作は、ときどき、自分でも触れたくない場所を掘り返してしまう。
しかも、それを他人に読まれる形で差し出さなければならない。
だから書くことは、癒やしであると同時に、どこか怖い行為でもあるのだと思います。
それでも、こうして一文字一文字から何かを受け取ってくださる方がいることで、「書いてよかった」と思えます。(ꈍᴗꈍ人)
こちらこそ、丁寧に読んでくださり、本当にありがとうございました。
指を失った男の「痛かったよ。でも、今は何とも思わない」という言葉が残った、と言っていただけたことが、とても印象に残りました。
おっしゃる通り、あまりにも長く身体の一部になってしまったからこそ、痛みとしては感じなくなっている——そんな状態に近いのかもしれませんね。
その『何とも思わなさ』は、決して「何も残っていない」という意味ではなく、この作品では、「痛みが消えること」と、「痛みが存在しなかったことになること」は違うのだ、という感覚を書こうと思って……。
だからハルは、その言葉に引っかかったのだと思います。
哲学的な言葉でも、綺麗な慰めでもなく、ただ「安全装置のついていない機械だった」という、生々しい事実の報告。
そこには説明も救済もないのに、逆にそれが、世界の輪郭を強く浮かび上がらせてしまうんですね。
また、瑞月風花様のおっしゃった、「優しい世界を描くためにも、薄暗い気持ちと向き合う方が深くなる」
という言葉、本当にその通りだと思いました。(*´ω`*)
この作品を書いている間、私はずっと、「優しさ」と「痛み」を切り離してはいけないのではないか、と考えていました。
ただ優しいだけの世界は、時として、現実の苦しさを見落としてしまう。
でも逆に、痛みだけを書き続けると、人は息ができなくなる。
だからこの作品のラストでは、救いを書くというより、「それでも誰かと同じ場所に座っていられる時間」を書きたかったのでした。
高架下で並ぶ沈黙も、答えではありません。
けれど、あの沈黙には、「理解し切れなくても、隣にいることはできるかもしれない」という、かすかな感触だけが残っている。
それは、派手ではないけれど、私にとってはとても大事なものです。
そして、「自分が気づきたくない気持ちと向き合うことには勇気がいる」
というお言葉にも、深く頷きました。
創作は、ときどき、自分でも触れたくない場所を掘り返してしまう。
しかも、それを他人に読まれる形で差し出さなければならない。
だから書くことは、癒やしであると同時に、どこか怖い行為でもあるのだと思います。
それでも、こうして一文字一文字から何かを受け取ってくださる方がいることで、「書いてよかった」と思えます。(ꈍᴗꈍ人)
こちらこそ、丁寧に読んでくださり、本当にありがとうございました。
- ブラック・まなパ
- 2026年 05月10日 15時01分
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