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 松代藩と言えば幕末騒乱幕開け寸前に突如起こった大地震で藩領がめちゃくちゃ(地震の数年後に通りかかった清川八郎が「いまだ復興の兆し無し」と手紙に書き残してるぐらいズタボロなの泣ける)にされたせいなのか佐久間象山ほどキャラの立った大学者を輩出しながら幕末史ではいまいち目立たない日陰な存在に思えていた幕末ニワカな読者でしたが(´⊙ω⊙`)今回のエッセイで──思いのほか頑張っていた──事に目から鱗でした、しかし10万石の身代に見合わぬ3000もの派兵って素直に読めば「百年うんぬん」の言葉通りなんだろーけど(・Д・)山家先生がチラリと書いてしまった「一汁一菜の“一菜”すら贅沢な腹ペコ集団松代藩」を目に留めてしまい物事を斜め読みにいやらしく解釈しちゃう金具素屯としては──「松代にいても食えないのだから」と老若の区別なく全ての士族が「メシを目当てに」我も我もと天朝の軍に加わった──のが裏事情な気がするんだけど(^皿^;)腹黒く考えすぎかなぁ?戊辰戦争のこの年はドンパチばかりが有名だけど前後10年の中で最悪の不作の年だったって話も有るし戦国時代の他国に食を求めて攻め込んだ甲斐武田の系譜に繋がる真田松代藩らしいっちゃらしい♪と思うトンチキな読者でした(^艸^)
 ご感想をありがとうございます。

 そもそも論になりますが、それこそ松代藩や薩摩藩等の極一部の例外を除いて、士族をそう抱えてはいません。
 何しろ士族を養うことは、軍人を大量に平時に雇用することといっても、そう間違いでは無いことなのです。

 だからこそ松代藩は財政難に苦吟して、薩摩藩にしても無利息、元本のみで250年分割払いするという、無茶苦茶な財政再建を余儀なくされることに。

(更なる余談をすれば、明治維新を断行することで、薩摩藩はその内の30年分を払っただけで、全ての踏み倒しに成功したとか。
 維新、革命の実行には借金踏み倒しが付き物なのか、と呆れかえる話です)

 話がズレましたが、10万石の身代で、長年に亘って多くの士族を養って、3000の士族、兵を派遣すると言うのは、本当に無理を重ねた話だった、と私は考えます。
  • 山家
  • 2026年 06月16日 19時58分
松代は観光で訪れた事がありますが、城下町の風情が残るなかなか良い街です。ちなみに、真田家14代当主、真田幸俊氏(慶応義塾大学教授)は、「真田十万石祭り」に鎧兜・馬上で参加され、祭りを多いに盛り上げられている事で有名です。(現代の話です。)

武士の比率が他の地域に対して高い藩や地域は、経済合理性と言う点では間違っていますが、(そういう地方は、明治以降の産業化に出遅れている事が多い。苛斂誅求が酷すぎて民間の資本蓄積が少なかったのだと思われます。)、結構、人材が出て幕末以降、アクティブに動きます。

武士比率日本一の薩摩藩は、倒幕→西南戦争と無茶苦茶アクティブですし、郷士が多い土佐藩も倒幕→自由民権運動とアクティブに動きます。両方とも産業革命には乗り遅れましたが。松代藩も小規模ですが似ています。
ちょっと立場は違いますが「八王子千人同心」が沢山居住した多摩地方、ここは新選組が出て、江戸の幕臣よりある意味、アクティブに動き、明治には自由民権運動が盛んになっています。
やっぱり、扶持は小さくても(或いは無給でも)武士は武士です。いろいろ皆さん、頑張っていたのだと思います。ついでに鬱憤も溜まっていたのでしょう。
  • 投稿者: 北原
  • 2026年 06月14日 22時38分
 ご感想をありがとうございます。

 本当に武士の比率が他の地域に対して高い藩や地域は、言われてみればですが、それなり以上にアクティブに、明治維新後に動いていて、自由民権運動等も盛んだった気がします。
 それなり以上に江戸時代には我慢していて、鬱屈した想いを溜め込んでいて、明治維新後にそれが爆発してしまったのかもしれません。
  • 山家
  • 2026年 06月15日 20時25分
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