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南朝と言うか大覚寺統への冷遇は足利幕府が本来守るべき北朝を無条件降伏気味に差し出した正平一統で持明院統の嫡流である光厳天皇周辺へ南朝がやっためちゃくちゃっぷりを思うと「神器が無い!先代が居ない!名分がない!」と正平一統の結果、北朝のミカドが総浚いで京から失われ無い無い尽くしなのを無理やり光厳上皇の次子(南朝から目の敵にされない程度には皇位には縁遠い仏門落ち確定コースなぼっち皇子)を後光厳天皇として新たな北朝の主と担ぎ上げた流れをおもうと「欠片でも後醍醐の系譜の連中を皇位に就けるチャンスを与えてはいかん」と新たに発足した北朝の関係者(特に歴々のミカドたち)の多くが心理的タブーとして刷り込まれてしまったんでしょうね(´・ω・`)それでも剛腕政治家足利義満による南北朝合一が成された後、冷遇されて鳴かず飛ばずな境遇に落とされていた筈なのに後南朝や西陣南帝なんてカタチでたびたび史書に名前が復活するんだから自分の皇統が千代に八千代に続く事へ執着した後醍醐帝の残した偏執がこの国に残した傷痕の深さが伺いしれますわな(恐ろしい事に皇統が事実上途絶した南朝が正統と我が国の歴史では定義され後醍醐帝の願望が数世紀の時を越えて成就してるのいろんな意味でバグってると思う読者)
エピソード6
>北条泰時、時頼、時宗といった名君はいました
名君輩出率は、(平家政権、織豊政権の様な短期政権を除けば)我が国の武家政権でダントツと思います。清朝並みの優秀さです。
摂関期の刀伊の入寇に対する藤原頼道政権の無策ぶり(結果的に現地指揮官と現地の武士の頑張りで被害を最小化できたが)に比べれば、元寇時の鎌倉幕府の実務能力は凄いと思います。(結果論で、あれこれ文句を言う人はいますが。)
>得宗家当主にしても、官位は精々が正四位下といったところで、公卿の末席にも座れない立場に過ぎないのです。
元を撃退した世界史的な大英雄、北条時宗公の官位が正五位下相模守。
まひろ(紫式部)パパこと藤原為時さんの官位が正五位下越後守。
相模国、越後国は共に上国でほぼ同格。(藤原為時さんの前任地、越前は大国で格上だが。)
善良で学もある(が、政界遊泳術は壊滅的)し優しいがちょっと頼りない藤原為時さんが、北条時宗公と官位ではほぼ同格。北条氏が謙虚にしても、この異常なまでの官位の低さは逆に凄みがありますね。
名君輩出率は、(平家政権、織豊政権の様な短期政権を除けば)我が国の武家政権でダントツと思います。清朝並みの優秀さです。
摂関期の刀伊の入寇に対する藤原頼道政権の無策ぶり(結果的に現地指揮官と現地の武士の頑張りで被害を最小化できたが)に比べれば、元寇時の鎌倉幕府の実務能力は凄いと思います。(結果論で、あれこれ文句を言う人はいますが。)
>得宗家当主にしても、官位は精々が正四位下といったところで、公卿の末席にも座れない立場に過ぎないのです。
元を撃退した世界史的な大英雄、北条時宗公の官位が正五位下相模守。
まひろ(紫式部)パパこと藤原為時さんの官位が正五位下越後守。
相模国、越後国は共に上国でほぼ同格。(藤原為時さんの前任地、越前は大国で格上だが。)
善良で学もある(が、政界遊泳術は壊滅的)し優しいがちょっと頼りない藤原為時さんが、北条時宗公と官位ではほぼ同格。北条氏が謙虚にしても、この異常なまでの官位の低さは逆に凄みがありますね。
- 投稿者: 北原
- 2026年 08月19日 21時34分
エピソード2
新たな通説で「初手から討幕を狙ってなかった」と正中の変への関与が実は自身の対抗派閥からなすりつけられた「冤罪」だったと分析されつつある後醍醐帝( ̄∀ ̄)読者はこの説が出始め当初は──幕府死すべし慈悲は無し!と一貫して幕府殺すマンと理解されていた後醍醐帝──が当たり前だと思っていた違和感から「まーた学者さんが自分の前任者たちの業績を乗り越える為に逆張りしてんのか」と疑ってましたが当時の記録や伝聞を学者先生たちが精査したモノを積み上げられるとこの新説に頷かざるを得なくなっちゃいましたが、泉下の後醍醐帝からすれば「せっかく討幕の先鞭をつけたのが自分だと信じられていたのに何やってくれてんの!」とええカッコしいな帝が令和の史家へ盛大な罵声を飛ばしてる気がするんですけどねwww(^皿^;)しかし帝の寵臣中の寵臣である北畠親房さんが生涯の集大成のような自著にわざわざ書き残させられたのがいわゆるアリバイ工作や印象操作のタグいだったとしたなら「神皇正統記」の資料価値が正史三國志に対する脚色まみれの三国志演義並みに怪しげなシロモノになってしまうって事で(*´ω`)武家方から見た「梅松論」と並び南北朝時代の研究の二大骨子と言われていた「神皇正統記」の正当性が揺らぎだしたのは実は大ごとなんじゃなかろーか?と発生した事件へのいろんな解釈や偉人たちのスタンスの軸がブレすぎるために「魔窟」と称される南北朝時代研究が更に混沌として行く未来に目眩がしちゃう今日この頃(*´﹃`*)
エピソード5
ご感想をありがとうございます。
この辺りはそれこそ色々と歴史研究が進むにつれて、従前の通説が覆されている一例の一つの気が、私はしてなりません。
更に言えば、資料の一部に誤りがあれば、全てを疑って掛かるのは、危険極まりないことで、複数の資料を比較検討した上で、そういった判断をすべきではないか、とも今の私は考えています。
(敢えて具体例を挙げると、太田牛一の「信長公記」です。
これは第一級の史料ではありますが、それこそ太田牛一が直に見聞したといえることと、伝聞したこととが相混じっており、そういった観点からの判断等が必要不可欠な史料と今の私は考えている代物です。
ともかく、一部が誤っているからといって、全てが誤っていると即断するのは危険極まりなく、複数の史料を比較検討して、信憑性の有無を判断すべき、と私は考えます)
この辺りはそれこそ色々と歴史研究が進むにつれて、従前の通説が覆されている一例の一つの気が、私はしてなりません。
更に言えば、資料の一部に誤りがあれば、全てを疑って掛かるのは、危険極まりないことで、複数の資料を比較検討した上で、そういった判断をすべきではないか、とも今の私は考えています。
(敢えて具体例を挙げると、太田牛一の「信長公記」です。
これは第一級の史料ではありますが、それこそ太田牛一が直に見聞したといえることと、伝聞したこととが相混じっており、そういった観点からの判断等が必要不可欠な史料と今の私は考えている代物です。
ともかく、一部が誤っているからといって、全てが誤っていると即断するのは危険極まりなく、複数の史料を比較検討して、信憑性の有無を判断すべき、と私は考えます)
- 山家
- 2026年 08月19日 19時33分
親が次子末子を溺愛しようが後継候補がアホだろうが嫡子長子相続を揺るがせなかった徳川幕府の深謀遠慮が際立ってしまう後醍醐帝成立前夜の宮中のグダっぷり(´ཀ` )仮にこの時期に朝幕併存の政治体制じゃなく武家台頭以前の平安朝の御代なら両統迭立どころか大覚寺統と持明院統それぞれが更に細分化されて4つか5つの皇統が持ち回りで治天の君になる日替わり定食ならぬ「年替わりミカド」が常態化するカオスな展開が現出したのでは?なかろーか(*´﹃`*)と勝手にトンチキな妄想を浮かべた自分自身に困惑しちゃう読者、だけど殿中人のトップ藤原氏が数家で「氏の長者」を持ち回りにしてた公家仕草を思うと笑い話で済ませられないリアリティがトンチキ妄想を笑い飛ばせないからホントに困っちゃう今日この頃っす(´艸`*)そもそも政治の大領は武家が担っている時代なんだから皇統問題を投げられた時に「どんなアホだろうがミカドは務まる」と幕府が〈長子相続=皇統はひとつ〉と大鉈を振るっていたなら後の三世紀にも渡り血を流す戦乱の時代は訪れなかったと無理くり鎌倉幕府滅亡の因果話にしても良いんだけど北条得宗家やその身内人たちには遠いミヤコびとの「先代さまは弟宮を可愛がられていましたが兄宮がご不憫」などと情が絡んで出口の見えぬゴシップへの裁定にそこまで気が回らないと言うか身が入らなかったのも幕政を動かす彼らの抱える政務の忙しさを思うと仕方ないのかもしれませんなぁ(´・ω・`)(太平記読んでると滅びるべき無能とディスる為なのか常時酒飲んで闘犬や双六で遊んでばかりに見えますけどw)
エピソード4
ご感想をありがとうございます。
この辺り、明文化はされていませんが、徳川幕府は将軍位継承に関して、それなりに定めていたのに対し、この頃、鎌倉時代の朝廷では皇位継承に関して、明確な基準が無かったのが悪かったのではないか、それが南北朝時代を到来させた、と今の私は考えています。
(今はです、後から調べる内に考えが変わる可能性大ですが)
そして、「得宗専制体制」ですが、何故にこうなったのか、その辺りを深掘りしだすと、偶然と必然が絡み合うところがあって、別途、エッセイで描きたい話の一つです。
その結果として、史実では貞時や高時は無能化せざるを得なかった節まであって、本当に色々と考えざるを得ません。
この辺り、明文化はされていませんが、徳川幕府は将軍位継承に関して、それなりに定めていたのに対し、この頃、鎌倉時代の朝廷では皇位継承に関して、明確な基準が無かったのが悪かったのではないか、それが南北朝時代を到来させた、と今の私は考えています。
(今はです、後から調べる内に考えが変わる可能性大ですが)
そして、「得宗専制体制」ですが、何故にこうなったのか、その辺りを深掘りしだすと、偶然と必然が絡み合うところがあって、別途、エッセイで描きたい話の一つです。
その結果として、史実では貞時や高時は無能化せざるを得なかった節まであって、本当に色々と考えざるを得ません。
- 山家
- 2026年 08月18日 20時28分
〈太平記〉から翻案され「幕府の横槍により我が皇統が絶たれる」と討幕一直線に闇堕ちする後醍醐帝が序章として必ず描かれるドラマや劇画が基礎知識の読者ですが、皇統の系譜の在り方を諮問され宮中に妙な波紋が広がらぬよう幕府側が慮り「先代さまの御心のままに」と裁定した経緯とそれが宮中へ齎されると「先代さまの御心」と言う──主語の存在が故人の為に実際には声の大きな人によってどうとでも取れる言質──から現上皇や天皇に皇子それぞれへの忖度やら思惑やらで歪に固定化された両統迭立までのプロセス(´⊙ω⊙`)思わず「幕府悪くないやん」と呟いてしまった読者、だって闇堕ち後醍醐帝の描かれ方からは三国志序盤の大悪党董卓による少帝廃位ぐらいの猛烈な横槍を幕府がやらかした(皇統をふたつにする事でミカドの威勢を削ぐ策謀を企てていた)と思ってたのに(´・ω・`)平易に読み解いたなら、己の皇統が繋がらぬ未来に憤慨する後醍醐帝がその立場になったのは自分たちの祖父や父の代以前の身内の人々が積み重ねたやらかしの末なのに、天下をひっくり返す討幕へ邁進するとか滅ぼされる北条得宗家視点から振り返ると逆恨みも同然すぎて開いた口が塞がりませんわな(´□` )オマケとして徳川幕藩体制が成立するまでの300年近くこの国の何処かで内乱の火の手が収まらぬ地獄絵図になるとかミカドを意味する「治天の君」の看板が泣いてますよね……
エピソード3
ご感想をありがとうございます。
本当に調べれば調べる程、「南北朝時代」の到来について、鎌倉幕府は本当に悪かったのか、と疑問を私は抱かざるを得ません。
この辺りを深掘りして描きだすと、すぐに数万字になって、別作「転生者カナリス提督(以下、略)」に多大な影響が出るので、省くことにしましたが。
本当に色々と私は考えてしまいます。
本当に調べれば調べる程、「南北朝時代」の到来について、鎌倉幕府は本当に悪かったのか、と疑問を私は抱かざるを得ません。
この辺りを深掘りして描きだすと、すぐに数万字になって、別作「転生者カナリス提督(以下、略)」に多大な影響が出るので、省くことにしましたが。
本当に色々と私は考えてしまいます。
- 山家
- 2026年 08月17日 19時25分
単純に直系長子相続とやれれば後の皇国史観に最大級の影響をもたらせた中華皇帝の様な存在を目指した異形の天皇〈後醍醐帝〉の誕生にも鎌倉幕府討滅にも繋がらなかっただろうと思えるけったいなルールを決めさせられてしまった幕府と言うかババを引かされる北条得宗家(´・ω・`)当時の力関係とか心理的状況から幕府に裁定してもらうのは誰もが納得ずくだったんだろうけど、後から本来の序列などを単純化して人が見たなら「なんで幕府の将軍どころかその執事のそのまた陪臣連中がヒノモトを統べる皇家の皇統に口出しできるのか?」となりますわな(・Д・)ほんで幕府と言うか執権北条氏も日本人特有の忖度から配慮は有るけど根本的な問題解決にはなってない折衷案に走るのが「先送り仕草の日本人」らしいっちゃらしいのがなんとも言えませんよねぇ……
エピソード2
ご感想をありがとうございます。
本当に鎌倉幕府というか、得宗家はババを引かされた気が、私はしてなりません。
更に言えば、後から振り返れば、それが「鎌倉幕府打倒」の一点共闘を成立させて、鎌倉幕府崩壊につながったのですから、尚更に何とも言えない事態です。
本当に鎌倉幕府というか、得宗家はババを引かされた気が、私はしてなりません。
更に言えば、後から振り返れば、それが「鎌倉幕府打倒」の一点共闘を成立させて、鎌倉幕府崩壊につながったのですから、尚更に何とも言えない事態です。
- 山家
- 2026年 08月16日 17時57分
日本の歴史の流れの中でも屈指の混迷っぷりから「魔窟」と呼ぶ史家もいる南北朝時代へのきざはしを山家先生がメスを入れる今回のエッセイ♪( ̄∀ ̄)せまいヒノモトにふたつもの王朝が併立できたあのカオスな時代が何故に現出したのか?が先生の語りで描かれるのを楽しみにスマホのこちら側でお待ちしておりますので執筆頑張ってください( ᐛ )و例年の盆明けより何故か涼しく感じられる九州の端っこから応援してまーす☆
エピソード1
ご感想をありがとうございます。
この辺り、深掘りしだすと本当に「魔窟」を巡る羽目になり、他作を描けなくなるので、触りに止めるつもりですが。
それでも色々と出て来るもので、お楽しみいただければ幸いです。
この辺り、深掘りしだすと本当に「魔窟」を巡る羽目になり、他作を描けなくなるので、触りに止めるつもりですが。
それでも色々と出て来るもので、お楽しみいただければ幸いです。
- 山家
- 2026年 08月16日 17時55分
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