感想一覧
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[良い点]
古典小説が大好きなので、開いてみました。
すごく丁寧で繊細に描かれていて、学ばせるところばかりでした。
古典小説が大好きなので、開いてみました。
すごく丁寧で繊細に描かれていて、学ばせるところばかりでした。
エピソード1
[良い点]
更級日記を本で読み、もっと知りたい!と思い、検索しているうちにこちらの小説にたどり着きました。
とても面白かったです!
心の動きに納得感がありました。
特に、結婚生活に関してあまりにもサラリとしか日記に出てこないので、なぜなんだろう?と不思議でした。
不本意な結婚だったから、自分(作者)としてはときめかない。書くほどのことでもなく普通。平凡。と思っていたのかなと思いました。
もしも、こちらの小説のようだったら、、、。と、思うと微笑ましく、あるかもしれないと思えました。
まだ、旦那さんとの結婚辺りしか読んでいないのですが、他の部分も読んでみたいと思います。
面白い作品ありがとうございました!
[気になる点]
とくにありません。
[一言]
頑張ってください!
更級日記を本で読み、もっと知りたい!と思い、検索しているうちにこちらの小説にたどり着きました。
とても面白かったです!
心の動きに納得感がありました。
特に、結婚生活に関してあまりにもサラリとしか日記に出てこないので、なぜなんだろう?と不思議でした。
不本意な結婚だったから、自分(作者)としてはときめかない。書くほどのことでもなく普通。平凡。と思っていたのかなと思いました。
もしも、こちらの小説のようだったら、、、。と、思うと微笑ましく、あるかもしれないと思えました。
まだ、旦那さんとの結婚辺りしか読んでいないのですが、他の部分も読んでみたいと思います。
面白い作品ありがとうございました!
[気になる点]
とくにありません。
[一言]
頑張ってください!
- 投稿者: ぺこ
- 2015年 11月19日 20時13分
せっかくご感想をいただきながら返信が大変遅くなりましたことを、深く、深くお詫び申し上げます。
ただいま作者が家庭の事情により、なろうのマイページをほとんど開いていない状態となっておりました。色々あって「読み専」すらなれず……。
感想をいただいたことに気づくのが遅くなりました。
更級日記の作者はとても感受性の強い、生涯を美しく夢見続けた女性のようですから、自身の結婚にも敏感なその心を大きく動かしたのではないかと思っています。ただ時代的に中流貴族の令嬢としてたしなみもあり、人に読んでもらうことを前提にしているので詳細を書きにくかったのかな? と思ってます。
先に世に出た、親類にあたる『蜻蛉日記』の作者の赤裸々な表現を意識したのかもしれませんし、そうでなくても日本女性にありがちな、自分の夫や身内を詳細に褒めることに「我褒め」するような気恥ずかしさがあったのかもしれません。
今でも「うちのダンナなんてさあ~」とか、「うちの愚息が~」なんて、よく言いますからね。
作者としては、主人公をつつましやかで愛情深い女性をイメージして描きました。
お気に召していただければ、幸いです。
本当に遅ればせながら、ご感想をありがとうございました。
ただいま作者が家庭の事情により、なろうのマイページをほとんど開いていない状態となっておりました。色々あって「読み専」すらなれず……。
感想をいただいたことに気づくのが遅くなりました。
更級日記の作者はとても感受性の強い、生涯を美しく夢見続けた女性のようですから、自身の結婚にも敏感なその心を大きく動かしたのではないかと思っています。ただ時代的に中流貴族の令嬢としてたしなみもあり、人に読んでもらうことを前提にしているので詳細を書きにくかったのかな? と思ってます。
先に世に出た、親類にあたる『蜻蛉日記』の作者の赤裸々な表現を意識したのかもしれませんし、そうでなくても日本女性にありがちな、自分の夫や身内を詳細に褒めることに「我褒め」するような気恥ずかしさがあったのかもしれません。
今でも「うちのダンナなんてさあ~」とか、「うちの愚息が~」なんて、よく言いますからね。
作者としては、主人公をつつましやかで愛情深い女性をイメージして描きました。
お気に召していただければ、幸いです。
本当に遅ればせながら、ご感想をありがとうございました。
- 貫雪
- 2015年 12月15日 10時44分
[一言]
完結おめでとうございます。
昔、ほんの触りだけを読んだときも、この千年以上前の作者に共感した物語が、今yukiさんの手によって活き活きと蘇り、あらためてひとりの女性の生き様に多くの共感と感動を覚えました。
どんなに時代を経ても、人の世の在り方や、女性、男性のそれぞれの生き方、考え方、喜怒哀楽の感じ方、そういうものは変わらないのだなと気付かされます。
もちろんyukiさんの感じ方もこの作品に強く反映されているのでしょうが、そういう部分があるからこそ、余計にこの作者の生き方に臨場感を感じられるのでしょう。
創作の部分にしても、歴史、時代背景、周囲の人々の記録、当時の流行、同時期の物語など、多くの資料を取材して書かれていて、古典の研究という面でも非常に価値があるのではないかと思います。
原文を訳しただけでは、おそらくここまでの感動は無いと思います。yukiさんが丁寧に、しかも自然に解説を物語の中に加えながら読ませてくださったお蔭だと思います。
千年前の女性とともに、人生に迷い、悩み、喜び、感動し、そしてすべてを生き尽くしたような気分です。
多くの資料をつき合わせながら、不明の部分を創作しながらの執筆はどれほどのご苦労だったことか。想像しても余りあります。
本当にお疲れ様でした。
お蔭さまで素晴らしい感動をいただきました。ありがとうございます。
完結おめでとうございます。
昔、ほんの触りだけを読んだときも、この千年以上前の作者に共感した物語が、今yukiさんの手によって活き活きと蘇り、あらためてひとりの女性の生き様に多くの共感と感動を覚えました。
どんなに時代を経ても、人の世の在り方や、女性、男性のそれぞれの生き方、考え方、喜怒哀楽の感じ方、そういうものは変わらないのだなと気付かされます。
もちろんyukiさんの感じ方もこの作品に強く反映されているのでしょうが、そういう部分があるからこそ、余計にこの作者の生き方に臨場感を感じられるのでしょう。
創作の部分にしても、歴史、時代背景、周囲の人々の記録、当時の流行、同時期の物語など、多くの資料を取材して書かれていて、古典の研究という面でも非常に価値があるのではないかと思います。
原文を訳しただけでは、おそらくここまでの感動は無いと思います。yukiさんが丁寧に、しかも自然に解説を物語の中に加えながら読ませてくださったお蔭だと思います。
千年前の女性とともに、人生に迷い、悩み、喜び、感動し、そしてすべてを生き尽くしたような気分です。
多くの資料をつき合わせながら、不明の部分を創作しながらの執筆はどれほどのご苦労だったことか。想像しても余りあります。
本当にお疲れ様でした。
お蔭さまで素晴らしい感動をいただきました。ありがとうございます。
これまでの長い間、ご愛読いただきありがとうございます。
しかも私の実力以上の称賛の言葉をいただいて、ありがたいやら、申しわけないやら。
更級日記をもっと深く理解していらっしゃる人々は、おそらく星の数ほどいると思うので。
ただ、私の現在の実力にしてはそれなりに書けたと思ってはいますので、それにお褒めの御言葉をいただけるのはとても嬉しいです。そして光栄です。
以前感想欄で私も主人公と一緒に「わかる、わかる!」と思っているのでは? と書いていただきましたが、本当にそういう場面が数多くありました。そういう個人的な感情が強く反映された場面も数多くあります。取りようによっては日記の歪曲とも言えると思うのですが、物を書く以上は自分の感情が込められなければ、本当に人に伝えることはできないと思うので、私らしい創作物を書きたいのだと思って割り切りました。
それが少しでも主人公の心情への説得力に繋がったのなら、書き手として喜ばしいことです。
時代背景と言っても、主人公の家族と密接にかかわった当時の名の通った人物は行成しかいません。彼のエピソードを調べて、その情報や周辺人物の裏付けを確認する作業だけです。同胞の女房仲間を、実際に和歌を詠んだ人にしたりするのは苦労しましたが、これも基本は確認作業ですし。ただ、手間はそれなりにかかりましたけど。おかげで行成の人となりも分かって、楽しかったです。行成の事は清少納言とのエピソードや、途中で道長に日和ってしまった印象しか無かったので。
本当に研究されている方は、もっと知識も豊富で理解も深くて、見方も多岐にわたっています。
最後に書いたウェブサイトの「市原市埋蔵文化センター」様や、「インテリアグリーンのポトス」の松太夫様の研究など頭が下がるばかりです。
現実には当時は女性には男達の世界の事などほとんど伏せられていて、女性もそういう事は耳にしない事がたしなみであったようですから、主人公に時代背景を語らせたのは不自然な事なんです。でも彼女たち当時の女性もそれほど愚かではなかったでしょう。詳細を知らされる事がなくても、男達の感じていることを漠然と肌で感じたでしょうし、多くの人に囲まれる生活の中で、何も知らずにいるとは思えません。おっとりとした顔の心の奥で、色々な感情を持っていたのだと思います。それを主人公と共に感じてもらいたくて、物知らずながら少しでも調べるようにして、彼女と思いを分けあえるように工夫したかったんです。
こうした作業は読んでいただく人達に主人公を理解して欲しかったと同時に、自分が主人公を少しでも理解するためのものでした。多くの経験を体験した主人公には遠く及びませんが、それでも主人公の人生を少しでも表す事が出来ればと思って書いていました。
女性の一生の人生を書くには明らかに私は若輩で、実力もまだ伴わないのは分かっていましたが、せっかくyamayuriさんに頂いた機会ですので、全力を尽くして見たかったんでしょう。
満足……とまでは行きませんが、精一杯今できることをやれたとは思っています。
今となっては幸いなのですが、私も「更級日記」を冒頭の門出と、継母との別れ部分しか知りませんでした。ですから先入観がなく、通して読んだ時の感動をそのまま反映する事が出来たと思います。読んでいる途中から、これを何かに書くなら「感想」ではなく「自己流の物語」にしたいとずっと思っていましたから。それでも原文の良さも伝えたくて両方載せると言う、作業を増やして無知を曝して、自分の首を絞めることになりましたが。
こうして一つの形に出来たのは、機会をくださり、応援を続けて下さったyamayuriさんと、多くの読んで下さった読者のおかげです。正直自分でもここまでできると思っていませんでしたので。(途中であきらめなくて良かったです)
長くなりました。最後にもう一度、感謝の言葉を書かせていただきます。
長い間、ご愛読いただき、本当にありがとうございました!
しかも私の実力以上の称賛の言葉をいただいて、ありがたいやら、申しわけないやら。
更級日記をもっと深く理解していらっしゃる人々は、おそらく星の数ほどいると思うので。
ただ、私の現在の実力にしてはそれなりに書けたと思ってはいますので、それにお褒めの御言葉をいただけるのはとても嬉しいです。そして光栄です。
以前感想欄で私も主人公と一緒に「わかる、わかる!」と思っているのでは? と書いていただきましたが、本当にそういう場面が数多くありました。そういう個人的な感情が強く反映された場面も数多くあります。取りようによっては日記の歪曲とも言えると思うのですが、物を書く以上は自分の感情が込められなければ、本当に人に伝えることはできないと思うので、私らしい創作物を書きたいのだと思って割り切りました。
それが少しでも主人公の心情への説得力に繋がったのなら、書き手として喜ばしいことです。
時代背景と言っても、主人公の家族と密接にかかわった当時の名の通った人物は行成しかいません。彼のエピソードを調べて、その情報や周辺人物の裏付けを確認する作業だけです。同胞の女房仲間を、実際に和歌を詠んだ人にしたりするのは苦労しましたが、これも基本は確認作業ですし。ただ、手間はそれなりにかかりましたけど。おかげで行成の人となりも分かって、楽しかったです。行成の事は清少納言とのエピソードや、途中で道長に日和ってしまった印象しか無かったので。
本当に研究されている方は、もっと知識も豊富で理解も深くて、見方も多岐にわたっています。
最後に書いたウェブサイトの「市原市埋蔵文化センター」様や、「インテリアグリーンのポトス」の松太夫様の研究など頭が下がるばかりです。
現実には当時は女性には男達の世界の事などほとんど伏せられていて、女性もそういう事は耳にしない事がたしなみであったようですから、主人公に時代背景を語らせたのは不自然な事なんです。でも彼女たち当時の女性もそれほど愚かではなかったでしょう。詳細を知らされる事がなくても、男達の感じていることを漠然と肌で感じたでしょうし、多くの人に囲まれる生活の中で、何も知らずにいるとは思えません。おっとりとした顔の心の奥で、色々な感情を持っていたのだと思います。それを主人公と共に感じてもらいたくて、物知らずながら少しでも調べるようにして、彼女と思いを分けあえるように工夫したかったんです。
こうした作業は読んでいただく人達に主人公を理解して欲しかったと同時に、自分が主人公を少しでも理解するためのものでした。多くの経験を体験した主人公には遠く及びませんが、それでも主人公の人生を少しでも表す事が出来ればと思って書いていました。
女性の一生の人生を書くには明らかに私は若輩で、実力もまだ伴わないのは分かっていましたが、せっかくyamayuriさんに頂いた機会ですので、全力を尽くして見たかったんでしょう。
満足……とまでは行きませんが、精一杯今できることをやれたとは思っています。
今となっては幸いなのですが、私も「更級日記」を冒頭の門出と、継母との別れ部分しか知りませんでした。ですから先入観がなく、通して読んだ時の感動をそのまま反映する事が出来たと思います。読んでいる途中から、これを何かに書くなら「感想」ではなく「自己流の物語」にしたいとずっと思っていましたから。それでも原文の良さも伝えたくて両方載せると言う、作業を増やして無知を曝して、自分の首を絞めることになりましたが。
こうして一つの形に出来たのは、機会をくださり、応援を続けて下さったyamayuriさんと、多くの読んで下さった読者のおかげです。正直自分でもここまでできると思っていませんでしたので。(途中であきらめなくて良かったです)
長くなりました。最後にもう一度、感謝の言葉を書かせていただきます。
長い間、ご愛読いただき、本当にありがとうございました!
- 貫雪
- 2013年 04月05日 14時43分
[一言]
三十七歳の初産!
現在の医療でもハイリスクだというのに、医療も何も無いこの時代に無事に出産したこの作者は凄い人ですね。
一般的に語られる歴史のイメージだとこの時代はとても謙虚で常識の枠から外れることを極端に嫌う人がほとんどだったのではと思いがちですが、こういう常識を覆すような人生を送った人もいたんですね。
とても痛快です。
三十七歳の初産!
現在の医療でもハイリスクだというのに、医療も何も無いこの時代に無事に出産したこの作者は凄い人ですね。
一般的に語られる歴史のイメージだとこの時代はとても謙虚で常識の枠から外れることを極端に嫌う人がほとんどだったのではと思いがちですが、こういう常識を覆すような人生を送った人もいたんですね。
とても痛快です。
いつもご愛読ありがとうございます。
少ない知識量でかなり危なっかしい文面にもかかわらず、変わらず読んでいただいてとても光栄です。
更級作者の結婚年齢や出産年齢に明確な記録はありませんので、すべてが憶測です。
タネ本にしている本でも『長久元年に結婚したらしい』としか書かれていません。
出産年齢もこの頃には長男が生まれているはずといった程度。なぜならこの後、作者がおそらく五十歳くらいの時に夫が任地に向かうのに、元服した息子が着いて行っているんです。
結婚後それほど間をおかずに夫は任地へ、彼女は時々宮仕えに出ているような順で日記は書かれているので、その後おそらくこのあたりで出産しているのではないかと言う事なんでしょう。
ただ一方で夫について行った息子は十六、七歳と言う説もあるので、そうなると結婚翌年、夫が任国に赴任直後に産んだ子の可能性もあります。(それでも三十四歳ですが)
それなら高齢妊婦の彼女が夫について行けなかったのも分かりますが・・・
しかしそれでは乳母がいるとはいえ出産直後に夫の留守のまま、稀にとはいえ高倉殿に顔を出していた事になるし、ある程度長く宮の宮中への御供に付き添ったり、高倉殿に局をもらって滞在しているんですよね。
宮仕えしても家族や家庭にこだわる、あくまでも「家の女」だった彼女にはちょっと不自然です。
これは「更級日記物語」なので、日記ベースで書いてしまうとこうなってしまうんですが、この日記の時間経過はかなり不正確なものですから(今までずっとそうですよね)結婚前後の宮仕えの描写はもっと違う時間配列で、結婚出産に微妙なズレがあるかもしれません。
ただ他にも原文にある通りこの頃彼女は子供たちのことを「ふたばの人」「児(ちご)ども」と、ごく幼い子としての表現を使っています。これが乳幼児を指すのか、飽くまで文学的表現なのかまでは分かりませんが、私は単純に乳幼児と考えて出来るだけ日記の表現にならう事にしました。
日記と歴史からの憶測と、私が日記を読んでの憶測。正確さにかけて申し訳ありませんが、それもこの日記の魅力の一つって事で御容赦ください。
御禊の日に初瀬詣でに旅立つ場面は私も驚きました。
頑ななところがあるとはいえ、人目に立つのを嫌ってあまり無茶な事はしない人に思えたのに。
反面とても合理的な人だったんですね。
(現代人には信仰って非合理的イメージがあるけど、当時仏法は最先端の合理的な思想でした)
神事の御禊がお祭り騒ぎになっちゃっている所も、もとは神教の国だったのがこの頃には「信仰」は仏法、神事はイベント気分が先立つようになっているのが分かって面白いです。
こうして戦前まで「神仏」を崇拝する風土が成り立っていたんでしょうね。
分かることも分からないこともいっぱいで、好奇心をくすぐられる「更級日記」です。
少ない知識量でかなり危なっかしい文面にもかかわらず、変わらず読んでいただいてとても光栄です。
更級作者の結婚年齢や出産年齢に明確な記録はありませんので、すべてが憶測です。
タネ本にしている本でも『長久元年に結婚したらしい』としか書かれていません。
出産年齢もこの頃には長男が生まれているはずといった程度。なぜならこの後、作者がおそらく五十歳くらいの時に夫が任地に向かうのに、元服した息子が着いて行っているんです。
結婚後それほど間をおかずに夫は任地へ、彼女は時々宮仕えに出ているような順で日記は書かれているので、その後おそらくこのあたりで出産しているのではないかと言う事なんでしょう。
ただ一方で夫について行った息子は十六、七歳と言う説もあるので、そうなると結婚翌年、夫が任国に赴任直後に産んだ子の可能性もあります。(それでも三十四歳ですが)
それなら高齢妊婦の彼女が夫について行けなかったのも分かりますが・・・
しかしそれでは乳母がいるとはいえ出産直後に夫の留守のまま、稀にとはいえ高倉殿に顔を出していた事になるし、ある程度長く宮の宮中への御供に付き添ったり、高倉殿に局をもらって滞在しているんですよね。
宮仕えしても家族や家庭にこだわる、あくまでも「家の女」だった彼女にはちょっと不自然です。
これは「更級日記物語」なので、日記ベースで書いてしまうとこうなってしまうんですが、この日記の時間経過はかなり不正確なものですから(今までずっとそうですよね)結婚前後の宮仕えの描写はもっと違う時間配列で、結婚出産に微妙なズレがあるかもしれません。
ただ他にも原文にある通りこの頃彼女は子供たちのことを「ふたばの人」「児(ちご)ども」と、ごく幼い子としての表現を使っています。これが乳幼児を指すのか、飽くまで文学的表現なのかまでは分かりませんが、私は単純に乳幼児と考えて出来るだけ日記の表現にならう事にしました。
日記と歴史からの憶測と、私が日記を読んでの憶測。正確さにかけて申し訳ありませんが、それもこの日記の魅力の一つって事で御容赦ください。
御禊の日に初瀬詣でに旅立つ場面は私も驚きました。
頑ななところがあるとはいえ、人目に立つのを嫌ってあまり無茶な事はしない人に思えたのに。
反面とても合理的な人だったんですね。
(現代人には信仰って非合理的イメージがあるけど、当時仏法は最先端の合理的な思想でした)
神事の御禊がお祭り騒ぎになっちゃっている所も、もとは神教の国だったのがこの頃には「信仰」は仏法、神事はイベント気分が先立つようになっているのが分かって面白いです。
こうして戦前まで「神仏」を崇拝する風土が成り立っていたんでしょうね。
分かることも分からないこともいっぱいで、好奇心をくすぐられる「更級日記」です。
- 貫雪
- 2013年 03月09日 11時51分
[一言]
朝廷のマニュアルを作った人。もしかしたら、現在の宮中行事などにも行成のマニュアルに影響を受けたものが残っているのかもしれないですね!
通り一遍の歴史しか学べない私たちに、こういう物語の一節一節の裏に隠された事実を知ることが、歴史と現在は繋がっているという実感をもたらしてくれて、なんだかうれしくなります。
yukiさんのお蔭で、現在の地名、行事、神社や遺跡などの印象が変わってきましたよ。ああ、ここもここも、これもこれも、千年以上も前から続いているものなのだなと感慨深く見るようになりました。
朝廷のマニュアルを作った人。もしかしたら、現在の宮中行事などにも行成のマニュアルに影響を受けたものが残っているのかもしれないですね!
通り一遍の歴史しか学べない私たちに、こういう物語の一節一節の裏に隠された事実を知ることが、歴史と現在は繋がっているという実感をもたらしてくれて、なんだかうれしくなります。
yukiさんのお蔭で、現在の地名、行事、神社や遺跡などの印象が変わってきましたよ。ああ、ここもここも、これもこれも、千年以上も前から続いているものなのだなと感慨深く見るようになりました。
私も知らないことだらけなんですけどね(汗)
貴族は生活そのものが儀礼化しているようなものですが、宮中は特に儀礼を重視しますからその儀式や儀礼に詳しいと言う事は宮中の勢力の上でも重要でした。ですからそういう事は各家が記録して大切にしてきたのですが、行成はそれを明文化する能力がずば抜けていたようです。
実資もそういう事に長けた人で行成と意見交換などもしていたようです。
ただ実資は権力社会を極端に嫌っていましたから、道長に従う以外に朝廷人として生き残るすべがなかった行成は相いれない存在でもあったのでしょう。
それでも実資は能力主義の人なので行成の実力は認めていたようです。
庇護者が若くして亡くなったため、不遇な立場だった行成。
それを親友と幼い帝に引き上げられたからには、どうしても殿上人から落ちていくわけにはいかなかったでしょう。彼の本来の仕事はほとんどが地方や地方役人と、宮中の殿上人とをつなぐもの。
摂政と帝のつなぎ役、各省庁の文書受付、諸国の行政処理そう言った報告や管理にまつわるものです。
しかし彼はそれとは別で宮中行事や儀式、儀礼を詳しく記録し、更に進行しやすいように文書化した。
それまでは家伝として伝えられてきたそういう事を、実資や藤原公任と言った人物と交流を持ちながらマニュアルを作り上げたんです。
私もこのエピソードにはとても感心しました。
相当完成度が高かったと言うので、今でも守られている部分が残っているかもしれませんね。
そして、ニュースなどで聞く地名や行事に親しみが持てるようになりました。
楽しいことですよね。
ご感想、ありがとうございました。
貴族は生活そのものが儀礼化しているようなものですが、宮中は特に儀礼を重視しますからその儀式や儀礼に詳しいと言う事は宮中の勢力の上でも重要でした。ですからそういう事は各家が記録して大切にしてきたのですが、行成はそれを明文化する能力がずば抜けていたようです。
実資もそういう事に長けた人で行成と意見交換などもしていたようです。
ただ実資は権力社会を極端に嫌っていましたから、道長に従う以外に朝廷人として生き残るすべがなかった行成は相いれない存在でもあったのでしょう。
それでも実資は能力主義の人なので行成の実力は認めていたようです。
庇護者が若くして亡くなったため、不遇な立場だった行成。
それを親友と幼い帝に引き上げられたからには、どうしても殿上人から落ちていくわけにはいかなかったでしょう。彼の本来の仕事はほとんどが地方や地方役人と、宮中の殿上人とをつなぐもの。
摂政と帝のつなぎ役、各省庁の文書受付、諸国の行政処理そう言った報告や管理にまつわるものです。
しかし彼はそれとは別で宮中行事や儀式、儀礼を詳しく記録し、更に進行しやすいように文書化した。
それまでは家伝として伝えられてきたそういう事を、実資や藤原公任と言った人物と交流を持ちながらマニュアルを作り上げたんです。
私もこのエピソードにはとても感心しました。
相当完成度が高かったと言うので、今でも守られている部分が残っているかもしれませんね。
そして、ニュースなどで聞く地名や行事に親しみが持てるようになりました。
楽しいことですよね。
ご感想、ありがとうございました。
- 貫雪
- 2013年 02月02日 20時59分
[一言]
ついにお姉さんは亡くなってしまったのですね。
この主人公は次々と不幸を体験しますが、これが実体験をもとにした日記であることは、これが煌びやかな平安朝の蔭に埋もれた現実だったのだろうと思うと切ないです。
出産も女性にとっては命掛けのものだったのでしょうし。
真面目に働いてもすべてが報われるわけではない。
私たちが知る歴史は華やかで話題性のある部分だけを書き記し世に広められたものが主なので、平安朝が極楽であったかのような幻想を抱きますが、実際にはこんな非情が多く存在する、いや世間ではこれが当たり前の時代だったのでしょう。
それを包み隠さず丁寧に主体的に語っているこの日記の価値を改めて感じます。
誤字お知らせします。
『姉の死』の章の中ほど、お姉さんが亡くなる直前の部分に、『藤原道真の子孫』とありますが、『菅原道真の子孫』ではないかと思います。
ついにお姉さんは亡くなってしまったのですね。
この主人公は次々と不幸を体験しますが、これが実体験をもとにした日記であることは、これが煌びやかな平安朝の蔭に埋もれた現実だったのだろうと思うと切ないです。
出産も女性にとっては命掛けのものだったのでしょうし。
真面目に働いてもすべてが報われるわけではない。
私たちが知る歴史は華やかで話題性のある部分だけを書き記し世に広められたものが主なので、平安朝が極楽であったかのような幻想を抱きますが、実際にはこんな非情が多く存在する、いや世間ではこれが当たり前の時代だったのでしょう。
それを包み隠さず丁寧に主体的に語っているこの日記の価値を改めて感じます。
誤字お知らせします。
『姉の死』の章の中ほど、お姉さんが亡くなる直前の部分に、『藤原道真の子孫』とありますが、『菅原道真の子孫』ではないかと思います。
きゃー! 誤字のご指摘、ありがとうございます。
とうとうやってしまった。
これまでも送信前によく「菅原」を「藤原」と書いてしまうミスを繰り返していて・・・
「藤原」さんの出番が多すぎて、つい、勝手に手が打っちゃうんですよね(汗)
平安朝の闇。やはりこの時代は明暗の激しい時代だったようです。
きらびやかにこの世の春を謳歌する一族がいる一方で、ほんの些細なことで没落する一族もいる。
そして更級日記の頃の特有の時代背景もあります。
もともと明暗の激しい貴族の時代ですが、「藤原道長」による摂政政治が平安の世の最盛期と言われていて、更級作者の少女時代には道長はすでに自分の地位を息子に受け継ぐ体制を整えていました。
それまでは「一の人」が変わる時はどうしても「政変」が起きて世の中が揺れ、
貴族たちは悲喜こもごもを味わってはいましたが、それなりに政治力のある人が世を治めたので、
貴族社会は一応安定していました。
ところが道長は自分の息子に地位を譲ることに成功してしまった分、世の中の安定は崩れ始めます。
この頃から平安の世はゆっくりと、落日を迎えていくのです。
人々は神経質になり、末世論、末法論がはびこり始めます。他人にも冷たくなっていったでしょう。
地方の問題や、荘園制度の限界もはっきりしてきた頃です。
源平合戦のような時代の終焉の激しさ、勢いはまだまだありません。
けれど表面に現れきれない時代の沈みつつある雰囲気は世の中に漂っていたでしょう。
これからどうやってそれを表せばいいのか・・・ただ今悩んでいる最中です。
時代の空気を伝えるって、難しいですね。
とうとうやってしまった。
これまでも送信前によく「菅原」を「藤原」と書いてしまうミスを繰り返していて・・・
「藤原」さんの出番が多すぎて、つい、勝手に手が打っちゃうんですよね(汗)
平安朝の闇。やはりこの時代は明暗の激しい時代だったようです。
きらびやかにこの世の春を謳歌する一族がいる一方で、ほんの些細なことで没落する一族もいる。
そして更級日記の頃の特有の時代背景もあります。
もともと明暗の激しい貴族の時代ですが、「藤原道長」による摂政政治が平安の世の最盛期と言われていて、更級作者の少女時代には道長はすでに自分の地位を息子に受け継ぐ体制を整えていました。
それまでは「一の人」が変わる時はどうしても「政変」が起きて世の中が揺れ、
貴族たちは悲喜こもごもを味わってはいましたが、それなりに政治力のある人が世を治めたので、
貴族社会は一応安定していました。
ところが道長は自分の息子に地位を譲ることに成功してしまった分、世の中の安定は崩れ始めます。
この頃から平安の世はゆっくりと、落日を迎えていくのです。
人々は神経質になり、末世論、末法論がはびこり始めます。他人にも冷たくなっていったでしょう。
地方の問題や、荘園制度の限界もはっきりしてきた頃です。
源平合戦のような時代の終焉の激しさ、勢いはまだまだありません。
けれど表面に現れきれない時代の沈みつつある雰囲気は世の中に漂っていたでしょう。
これからどうやってそれを表せばいいのか・・・ただ今悩んでいる最中です。
時代の空気を伝えるって、難しいですね。
- 貫雪
- 2013年 01月14日 22時25分
[一言]
一日中読書かぁ…
なんて羨ましい!
でも、手書きの文章の長文読解はとても大変そうですね。
物語が読めるということは、文字が読めるということですよね~!
すごいですね!
貴族だけなのでしょうが、そんな昔から自由に読み書きができる教育制度があるとはびっくりです。
写本もまた、字の勉強になっていたのでしょうか?
お姉さまの旦那様にムフフな感じの中の君。とてもナイスな創作です!
旦那様も涼しげな雰囲気が素敵です。
古典に出てくる男性は、何故『涼しげ』だと色男に感じてしまうのでしょうか。
クールっていうのとも違うんですよね~。線がほそい感じというか…細かい気配りができそうというか…女性的な感じというか…
ああっ! わかりました! 上品に感じるんですね! そこが素敵です! ゆらゆらの隼人くんとはまた違った魅力ですね。
また登場してくれるのか、楽しみです。
では、また次回を楽しみにしています!
一日中読書かぁ…
なんて羨ましい!
でも、手書きの文章の長文読解はとても大変そうですね。
物語が読めるということは、文字が読めるということですよね~!
すごいですね!
貴族だけなのでしょうが、そんな昔から自由に読み書きができる教育制度があるとはびっくりです。
写本もまた、字の勉強になっていたのでしょうか?
お姉さまの旦那様にムフフな感じの中の君。とてもナイスな創作です!
旦那様も涼しげな雰囲気が素敵です。
古典に出てくる男性は、何故『涼しげ』だと色男に感じてしまうのでしょうか。
クールっていうのとも違うんですよね~。線がほそい感じというか…細かい気配りができそうというか…女性的な感じというか…
ああっ! わかりました! 上品に感じるんですね! そこが素敵です! ゆらゆらの隼人くんとはまた違った魅力ですね。
また登場してくれるのか、楽しみです。
では、また次回を楽しみにしています!
明けましておめでとうございます。
新年さっそくの御感想をありがとうございました。
どうも古代から一定階級以上の人々は、幼いころから手習いをしていたようです。
八世紀中ごろの遺跡から出土した木簡から、平安中期には「手習歌」として誰もが教わっていたという歌がすでに古代にはある程度浸透していたらしい事が分かっています。
これは一つは万葉集に入集している歌で、
安積山 影さへ見ゆる 山の井の 浅き心を わが思はなくに
という歌と、もう一つセットで、
難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花
という歌があります。何故かこの二つの歌は必ずセットで幼い子供が最初の手習いに教わる歌だったようです。後に広まる『いろは歌』のようなものだったのでしょう。
実はこの歌には藤原行成(主人公のお父さんの昔の上司ですね)に関するエピソードがあります。
ひょっとしたら後でネタに使うかもしれませんがエピソードを紹介すると、
歌は苦手と言われた行成、歌の談義に花が咲く中で一言も言葉を発しませんでした。
そこに誰かが故意なのか、場を和ませようと気を使ったのか、行成に向かって
「難波津に 咲くやこの花 冬ごもり。この歌をどう思われますか?」と話を振りました。
仲間内の談義中の事なのですから殿上人らしく上手くかわすなり、冗談の一つも言えば済んだのでしょうが、杓子定規な実務家の行成は、
「さあ、分かりません」
というようなことを言ったらしいのです。もちろんその場はすっかり白けて、行成は愛想の悪いつき合いにくい人間というレッテルを張られてしまったようです。
勿論行成がこの手習い歌を知らないはずはありません。書道では現在では神様のような存在になっている人なのですから。何事にも型どおり、実のある答えを出さないと気が済まない、行成という人間が見えるエピソードです。
平安貴族はもちろん、古代からの人々も一部の人々は知性も感性もとても優れていたのでしょう。平安時代前の古代の庶民が税を取り立てる役人に古歌を交えた駄洒落の歌を即興で詠んで、役人を喜ばせたという逸話も残っていたりします。万葉の頃、私達がイメージを抱いているより人々は理知的だったのかもしれません。(もちろん、すべての庶民という訳ではないでしょうけど)
貴族が書を習うというのは単純に文字を知るだけではなく、より美しい芸術を身につけるための手段と考えるべきかもしれません。
他人の筆跡を鑑賞するのも、自らの文字を高める訓練になったことでしょう。(レベル、高!)
古典の男性はクールではなく、上品。そうですね。そう言う感じがします。
貴族として生まれた以上、彼らは男女両方とも豊かな感受性を求められもしました。
必要なタイミングで今の俳優並みに涙を自在にこぼして見せるのが「たしなみ」として必要だったようです。究極的に空気が読めなきゃいけなかったんでしょう。それが「品」として身についていたんですね。
叶わぬ恋に身を揉む主人公。それは彼女を一層『源氏物語』に引き込みます。彼女は物語の中でも悲恋に苦しむ姉妹に心をを寄せています。物語の世界をロマンチストな少女は我が身に重ねたのでしょう。
『源氏物語』の中でも宇治の姉妹に強い関心を寄せ続けた主人公。そのきっかけを私はこの片恋で表現してみました。
創作部分ですが、お気に召していただければ幸いです。
新年さっそくの御感想をありがとうございました。
どうも古代から一定階級以上の人々は、幼いころから手習いをしていたようです。
八世紀中ごろの遺跡から出土した木簡から、平安中期には「手習歌」として誰もが教わっていたという歌がすでに古代にはある程度浸透していたらしい事が分かっています。
これは一つは万葉集に入集している歌で、
安積山 影さへ見ゆる 山の井の 浅き心を わが思はなくに
という歌と、もう一つセットで、
難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花
という歌があります。何故かこの二つの歌は必ずセットで幼い子供が最初の手習いに教わる歌だったようです。後に広まる『いろは歌』のようなものだったのでしょう。
実はこの歌には藤原行成(主人公のお父さんの昔の上司ですね)に関するエピソードがあります。
ひょっとしたら後でネタに使うかもしれませんがエピソードを紹介すると、
歌は苦手と言われた行成、歌の談義に花が咲く中で一言も言葉を発しませんでした。
そこに誰かが故意なのか、場を和ませようと気を使ったのか、行成に向かって
「難波津に 咲くやこの花 冬ごもり。この歌をどう思われますか?」と話を振りました。
仲間内の談義中の事なのですから殿上人らしく上手くかわすなり、冗談の一つも言えば済んだのでしょうが、杓子定規な実務家の行成は、
「さあ、分かりません」
というようなことを言ったらしいのです。もちろんその場はすっかり白けて、行成は愛想の悪いつき合いにくい人間というレッテルを張られてしまったようです。
勿論行成がこの手習い歌を知らないはずはありません。書道では現在では神様のような存在になっている人なのですから。何事にも型どおり、実のある答えを出さないと気が済まない、行成という人間が見えるエピソードです。
平安貴族はもちろん、古代からの人々も一部の人々は知性も感性もとても優れていたのでしょう。平安時代前の古代の庶民が税を取り立てる役人に古歌を交えた駄洒落の歌を即興で詠んで、役人を喜ばせたという逸話も残っていたりします。万葉の頃、私達がイメージを抱いているより人々は理知的だったのかもしれません。(もちろん、すべての庶民という訳ではないでしょうけど)
貴族が書を習うというのは単純に文字を知るだけではなく、より美しい芸術を身につけるための手段と考えるべきかもしれません。
他人の筆跡を鑑賞するのも、自らの文字を高める訓練になったことでしょう。(レベル、高!)
古典の男性はクールではなく、上品。そうですね。そう言う感じがします。
貴族として生まれた以上、彼らは男女両方とも豊かな感受性を求められもしました。
必要なタイミングで今の俳優並みに涙を自在にこぼして見せるのが「たしなみ」として必要だったようです。究極的に空気が読めなきゃいけなかったんでしょう。それが「品」として身についていたんですね。
叶わぬ恋に身を揉む主人公。それは彼女を一層『源氏物語』に引き込みます。彼女は物語の中でも悲恋に苦しむ姉妹に心をを寄せています。物語の世界をロマンチストな少女は我が身に重ねたのでしょう。
『源氏物語』の中でも宇治の姉妹に強い関心を寄せ続けた主人公。そのきっかけを私はこの片恋で表現してみました。
創作部分ですが、お気に召していただければ幸いです。
- 貫雪
- 2013年 01月04日 20時32分
[良い点]
ああ、やっぱり更科日記は本当に共感の持てるお話です。
読みたかった本を買ったとき、ともかく楽な格好で誰にも邪魔されずに読み耽りたい!
千年も前のことなのに、こういう心情がありありと伝わってくるとは!もちろんyukiさんが分かりやすく伝えてくださるからこそなのですが、こういう主人公の行動を丁寧に取り上げているところもこの日記の面白さですね。
たぶんyukiさんも「わかるわかる!」と思いながら書かれているのではと思います。地の文がとても活き活きと感じられますから。
源氏物語は恥ずかしながら漫画でしか読んだことがないですが、やはりどきどきわくわくしましたね。
夕顔が呪い殺されるシーンとか非常に怖かった覚えがあります。
すでに曖昧な記憶だったので、ふたたびあらすじを知ることができてうれしいです。
ああ、やっぱり更科日記は本当に共感の持てるお話です。
読みたかった本を買ったとき、ともかく楽な格好で誰にも邪魔されずに読み耽りたい!
千年も前のことなのに、こういう心情がありありと伝わってくるとは!もちろんyukiさんが分かりやすく伝えてくださるからこそなのですが、こういう主人公の行動を丁寧に取り上げているところもこの日記の面白さですね。
たぶんyukiさんも「わかるわかる!」と思いながら書かれているのではと思います。地の文がとても活き活きと感じられますから。
源氏物語は恥ずかしながら漫画でしか読んだことがないですが、やはりどきどきわくわくしましたね。
夕顔が呪い殺されるシーンとか非常に怖かった覚えがあります。
すでに曖昧な記憶だったので、ふたたびあらすじを知ることができてうれしいです。
ありがとうございます。
まさしく、「わかる、わかる!」と思って書いています。
でも一方では、これでも主人公の心の表現としては足りないとも思っています。
それまで上総で豊かな自然の中で伸び伸びと暮らし、刺激的な旅を経験した主人公です。
都で心を閉ざし、情報が大きく制限され、制約の多い暮らしに変わる。
そんな中でようやく手にした憧れの物語です。その感激は多感な少女だと言う事を差し引いたとしても、現代人には想像もできないほどのものだったことでしょう。
せめて私でも共感できる範囲で雰囲気を伝えようと思ったんです。
『源氏物語』は本当に奥が深いし、どんな視点でとらえるかによって解釈も異なったりします。
まともにつきあったら何年もかかりそうなシロモノですので、更級日記を理解してもらう上で必要と思われる部分だけを、とても大まかに書くことにしました。
この日記で主人公が触れているのは「紫のゆかり」「夕顔」「宇治のむすめども」ですので、原文に出て来る「夕顔」と、現在の作者の年齢にあわせて「若紫」を中心に説明を入れました。
本来なら源氏の宮廷政治に大きくかかわる「弘徽殿(こきでん)の女御」、「藤壺の宮」が生んだ次の帝で実は源氏との不義の子である「冷泉帝」、唯一源氏の娘を生む「明石の君」など、物語の骨格をなす人物たちも多いのですが、それらの人物はこの日記では直接触れられていないので、その他の女性達同様にこの話では説明をはぶいています。
ですから『源氏物語』を大体でも知っている人なら多少は理解いただけるかもしれませんが、知らない人に御理解願えるか自信の無い部分です。
主人公が憧れる『源氏物語』が持つ運命の皮肉と人生の悲哀が、上手く伝わるといいんですが。
悲劇に憧れる主人公のロマンチストな部分を、伝えられたらと思います。
まさしく、「わかる、わかる!」と思って書いています。
でも一方では、これでも主人公の心の表現としては足りないとも思っています。
それまで上総で豊かな自然の中で伸び伸びと暮らし、刺激的な旅を経験した主人公です。
都で心を閉ざし、情報が大きく制限され、制約の多い暮らしに変わる。
そんな中でようやく手にした憧れの物語です。その感激は多感な少女だと言う事を差し引いたとしても、現代人には想像もできないほどのものだったことでしょう。
せめて私でも共感できる範囲で雰囲気を伝えようと思ったんです。
『源氏物語』は本当に奥が深いし、どんな視点でとらえるかによって解釈も異なったりします。
まともにつきあったら何年もかかりそうなシロモノですので、更級日記を理解してもらう上で必要と思われる部分だけを、とても大まかに書くことにしました。
この日記で主人公が触れているのは「紫のゆかり」「夕顔」「宇治のむすめども」ですので、原文に出て来る「夕顔」と、現在の作者の年齢にあわせて「若紫」を中心に説明を入れました。
本来なら源氏の宮廷政治に大きくかかわる「弘徽殿(こきでん)の女御」、「藤壺の宮」が生んだ次の帝で実は源氏との不義の子である「冷泉帝」、唯一源氏の娘を生む「明石の君」など、物語の骨格をなす人物たちも多いのですが、それらの人物はこの日記では直接触れられていないので、その他の女性達同様にこの話では説明をはぶいています。
ですから『源氏物語』を大体でも知っている人なら多少は理解いただけるかもしれませんが、知らない人に御理解願えるか自信の無い部分です。
主人公が憧れる『源氏物語』が持つ運命の皮肉と人生の悲哀が、上手く伝わるといいんですが。
悲劇に憧れる主人公のロマンチストな部分を、伝えられたらと思います。
- 貫雪
- 2012年 12月23日 09時02分
[一言]
五話も更新、お疲れ様でした。
大変読みごたえがありました。
特に『口論』から後は、切なくなっちゃって、涙を隠すのにとても苦労してしまいました。夕飯も作らずに、泣きながらケータイを握りしめている母親を見て、娘がなんと思ったか…
本当に、切なかったです。実母の、「あなたが悪いわけでもない」という言葉に、グッときました。そう思いながらも、厳しい事を言わなくてはならなかった心中を思うと、切なさ倍増でした。
ましてや、実の娘は継母を慕っているのだから、娘にもどう思われるか分からない。
辛い立場だなぁ、と、同情せずにはいられませんでした。
主人公にとっては、これが悲しみの幕開けのようなので、次のお話からはハンカチを用意して読むことにします!
では、また!
五話も更新、お疲れ様でした。
大変読みごたえがありました。
特に『口論』から後は、切なくなっちゃって、涙を隠すのにとても苦労してしまいました。夕飯も作らずに、泣きながらケータイを握りしめている母親を見て、娘がなんと思ったか…
本当に、切なかったです。実母の、「あなたが悪いわけでもない」という言葉に、グッときました。そう思いながらも、厳しい事を言わなくてはならなかった心中を思うと、切なさ倍増でした。
ましてや、実の娘は継母を慕っているのだから、娘にもどう思われるか分からない。
辛い立場だなぁ、と、同情せずにはいられませんでした。
主人公にとっては、これが悲しみの幕開けのようなので、次のお話からはハンカチを用意して読むことにします!
では、また!
長らくネット環境から離れていたにもかかわらず、
早速の御感想をありがとうございます。
本当は離れるまでに『都入り』までは書ききっておきたかったのですが、時間の使い方が下手だったために変な所で長く休んでしまい、いっぺんに五話も更新する形になってしまいました。
読みにくかったことと思います。お詫び申し上げます。
やはりこの敏感な年頃に実母と離れた上に、帰京直後に大人の汚い部分を見せつけられてしまった主人公は、実母にあまり良い感情を持てなくなってしまったようです。
古風で昔堅気、臆病で引っ込みがちな性格を時折非難的に思っている様子がありますし、次世を願うお寺の参詣すら脅える母にまるでいらだちを募らせるように『いみじかりし古代の人』と呼び、「どうしようもない古臭い考えの抜けない人」と思っていたようです。
だからと言って実母を不快がるとか疎ましく思うと言う事は無く、やはり自分を大切に思う母として感謝の思いで互いに理解しあえるように努力をしています。この辺はやはり「更級日記」は実際の出来事をベースに書かれた物なのだなと実感できる所です。
こういう時代の王朝物でこうした母娘の心の溝は、互いがなかなか分かりあえずに次々と問題を起こして物語が進んで行くのがよくある定番ですけど、現実の母娘関係はそんなに単純ではありませんから。
しかし継母から受けた影響も大きく、その後も主人公と継母は文通による交流が行われていたようです。この複雑な関係から主人公にとって、実母は何の気兼ねもなく甘えられる存在ではなく、どこか遠慮しながら「守らなくてはいけない人」として接して行った気配を読んでいて感じます。
逆に継母は離れてしまって、大っぴらに親しくすることはできないけれど、心の奥でいつもでも甘える事ができる、温かい存在であったのかもしれません。
この主人公は複雑な環境に置かれたにもかかわらず、人を思いやる心を持ち、自分を抑えて家族と信仰のために生きようと努力した人でした。ですからこれほどの夢想家にもかかわらず、この日記も、書かれたと言われる二つの物語も、人生の最晩年にようやく得た自由の中で書かれています。
この献身的な性格は彼女を傷つけることになった要因とはいえ、二人の母が本当に心から彼女を愛し、慈しんだからこそ育ったものだったのかもしれません。
私はそう思いながらこの主人公のことを書いて行こうと思っています。
貴族の家の恥の部分を詳細に書こうとするため、実際には日記には書かれていない創作部分がこれから増えるだろうと思いますが、良かったらお付き合い下さると嬉しいです。
ご感想、ありがとうございました。
早速の御感想をありがとうございます。
本当は離れるまでに『都入り』までは書ききっておきたかったのですが、時間の使い方が下手だったために変な所で長く休んでしまい、いっぺんに五話も更新する形になってしまいました。
読みにくかったことと思います。お詫び申し上げます。
やはりこの敏感な年頃に実母と離れた上に、帰京直後に大人の汚い部分を見せつけられてしまった主人公は、実母にあまり良い感情を持てなくなってしまったようです。
古風で昔堅気、臆病で引っ込みがちな性格を時折非難的に思っている様子がありますし、次世を願うお寺の参詣すら脅える母にまるでいらだちを募らせるように『いみじかりし古代の人』と呼び、「どうしようもない古臭い考えの抜けない人」と思っていたようです。
だからと言って実母を不快がるとか疎ましく思うと言う事は無く、やはり自分を大切に思う母として感謝の思いで互いに理解しあえるように努力をしています。この辺はやはり「更級日記」は実際の出来事をベースに書かれた物なのだなと実感できる所です。
こういう時代の王朝物でこうした母娘の心の溝は、互いがなかなか分かりあえずに次々と問題を起こして物語が進んで行くのがよくある定番ですけど、現実の母娘関係はそんなに単純ではありませんから。
しかし継母から受けた影響も大きく、その後も主人公と継母は文通による交流が行われていたようです。この複雑な関係から主人公にとって、実母は何の気兼ねもなく甘えられる存在ではなく、どこか遠慮しながら「守らなくてはいけない人」として接して行った気配を読んでいて感じます。
逆に継母は離れてしまって、大っぴらに親しくすることはできないけれど、心の奥でいつもでも甘える事ができる、温かい存在であったのかもしれません。
この主人公は複雑な環境に置かれたにもかかわらず、人を思いやる心を持ち、自分を抑えて家族と信仰のために生きようと努力した人でした。ですからこれほどの夢想家にもかかわらず、この日記も、書かれたと言われる二つの物語も、人生の最晩年にようやく得た自由の中で書かれています。
この献身的な性格は彼女を傷つけることになった要因とはいえ、二人の母が本当に心から彼女を愛し、慈しんだからこそ育ったものだったのかもしれません。
私はそう思いながらこの主人公のことを書いて行こうと思っています。
貴族の家の恥の部分を詳細に書こうとするため、実際には日記には書かれていない創作部分がこれから増えるだろうと思いますが、良かったらお付き合い下さると嬉しいです。
ご感想、ありがとうございました。
- 貫雪
- 2012年 11月30日 17時50分
[一言]
順序、全体構成を考えず、ひとつの事柄に関連することを思いつくままに記すというと、『枕草子』が思い浮かびます。
春といえば何が思いつくかをつらつらと書き綴っていくような。
もしかしたら、この回は、『歌に詠われた場所といえば』というお題だったのかもしれませんね。
大好きな小説やドラマの舞台になった場所を訪れて感動し、盛んに写真を撮ったりする…現代の私たちも持っているミーハーな心理。そんなミーハー少女の素直な感動体験。
少女には、「これがあの場所なのね~」という感動でいっぱいの旅だったのでしょう!
瑞々しい少女の感動体験を表す描写が素晴らしいと思います。
笠も被らずに飛び出していくシーンとか。yukiさんが解釈された情景が直訳の文だけでなく、こういう描写を通してもよく伝わってくるのが凝っているなと思います。
順序、全体構成を考えず、ひとつの事柄に関連することを思いつくままに記すというと、『枕草子』が思い浮かびます。
春といえば何が思いつくかをつらつらと書き綴っていくような。
もしかしたら、この回は、『歌に詠われた場所といえば』というお題だったのかもしれませんね。
大好きな小説やドラマの舞台になった場所を訪れて感動し、盛んに写真を撮ったりする…現代の私たちも持っているミーハーな心理。そんなミーハー少女の素直な感動体験。
少女には、「これがあの場所なのね~」という感動でいっぱいの旅だったのでしょう!
瑞々しい少女の感動体験を表す描写が素晴らしいと思います。
笠も被らずに飛び出していくシーンとか。yukiさんが解釈された情景が直訳の文だけでなく、こういう描写を通してもよく伝わってくるのが凝っているなと思います。
大変、大変お返事が遅れ、申しわけありませんでした。
なんとかネット環境を取り戻しつつあります。
このひと月近くの間に、下書きを五話も溜めこんでしまいました。
時間を見てこちらに載せていきたいと思っています。
清少納言の『枕草子』は斬新を越えて、当時は革新的な作品だったことでしょう。
なんと言ってもあれは日本初のエッセーだったわけですから。
「こんな表現方法があったなんて」と、当時の人々は驚いたでしょうねー。
後の各作品に大きな影響を与えたのでしょう。
『枕草子』は平安中期の中でもやや早いうちに世に出ていますから、この更級日記も影響を受けているんでしょうね。「源氏」に親しんだ彼女が読まないはずはないでしょうから。
旅の間は夢見るミーハー少女だった作者ですが、都に着くと悲しい現実を次々と思い知らされてしまいます。それでも彼女は物語を求める心だけは捨てられません。
どんな悲しみの中にいても夢想的な心を姉と共に持つ作者なので、物語を渇望する欲求は簡単に終える事が無かったようです。
そしてそのために「自分は実直に信仰に生きるべきた」といさめる心と、
「物語を求める心だけは、どうしても捨てられない」と自らの魂を持って求めるものがあることに、心揺らし、生涯苦しむことになります。こういう作者の苦しみを読むと、このまま少女時代を過ごさせてあげれば、この人はもっと幸せだったのにと思ってしまいます。
都に戻った作者には次々と悲しい出来事が襲いますが、「家の恥」という事もあるのでしょうか? 作者はあまり詳細を書いてくれていません。ですから都での出来事は藤原行成の私的日記『権記』や『大鏡』(当時の歴史物語)、『尊卑文脈』(諸家の系図集)などの、この日記の書かれた頃の出来事を参考に創作して行くことになります。これからは私の創作が一層強く出てしまう事になります。
特にこの作者一家自体はあまり歴史の表に立った人物たちではないので、藤原行成や道長の足跡を参考にせざるえませんので・・・。
なるべくイメージしやすく、でも、あまり原文からはみ出しすぎないよう書けるといいな~ とは思っています。(というか、努力します。 汗)
久しぶりでそれこそ「興がそがれた」かもしれませんが、もし、また、興味を持っていただけましたら、お付き合いいただけると嬉しいです。
なんとかネット環境を取り戻しつつあります。
このひと月近くの間に、下書きを五話も溜めこんでしまいました。
時間を見てこちらに載せていきたいと思っています。
清少納言の『枕草子』は斬新を越えて、当時は革新的な作品だったことでしょう。
なんと言ってもあれは日本初のエッセーだったわけですから。
「こんな表現方法があったなんて」と、当時の人々は驚いたでしょうねー。
後の各作品に大きな影響を与えたのでしょう。
『枕草子』は平安中期の中でもやや早いうちに世に出ていますから、この更級日記も影響を受けているんでしょうね。「源氏」に親しんだ彼女が読まないはずはないでしょうから。
旅の間は夢見るミーハー少女だった作者ですが、都に着くと悲しい現実を次々と思い知らされてしまいます。それでも彼女は物語を求める心だけは捨てられません。
どんな悲しみの中にいても夢想的な心を姉と共に持つ作者なので、物語を渇望する欲求は簡単に終える事が無かったようです。
そしてそのために「自分は実直に信仰に生きるべきた」といさめる心と、
「物語を求める心だけは、どうしても捨てられない」と自らの魂を持って求めるものがあることに、心揺らし、生涯苦しむことになります。こういう作者の苦しみを読むと、このまま少女時代を過ごさせてあげれば、この人はもっと幸せだったのにと思ってしまいます。
都に戻った作者には次々と悲しい出来事が襲いますが、「家の恥」という事もあるのでしょうか? 作者はあまり詳細を書いてくれていません。ですから都での出来事は藤原行成の私的日記『権記』や『大鏡』(当時の歴史物語)、『尊卑文脈』(諸家の系図集)などの、この日記の書かれた頃の出来事を参考に創作して行くことになります。これからは私の創作が一層強く出てしまう事になります。
特にこの作者一家自体はあまり歴史の表に立った人物たちではないので、藤原行成や道長の足跡を参考にせざるえませんので・・・。
なるべくイメージしやすく、でも、あまり原文からはみ出しすぎないよう書けるといいな~ とは思っています。(というか、努力します。 汗)
久しぶりでそれこそ「興がそがれた」かもしれませんが、もし、また、興味を持っていただけましたら、お付き合いいただけると嬉しいです。
- 貫雪
- 2012年 11月28日 17時52分
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