感想一覧
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[良い点]
寛平~延喜にかけての物語は歴史的に見ても和歌や最後の六国史、荘園整理令など重要な位置にありますが資料も少なく挑む人が少ないので。その点は良い試みだと思います。
[気になる点]
1.作中、貫之たち下級貴族が上卿の名前を呼ぶのは失礼です。左大臣とか丞相と呼ばせましょう。
2.道真は詩人文人であり和歌に理解があったとは思えません。著者は天神信仰者だと思いますが古今和歌集と道真は無関係です。和歌編纂を任されたが、ひらがなで書かれたものをわざわざ漢字に直してしまったのは有名な話です。
3.道真を失脚させたのは時平ではありません。
蔵人頭藤原菅根と外戚定国が醍醐天皇に対して「天下之世務以非為理」と奏上して菅原道真が失脚するきっかけを作ったのですよ。
4.遣唐使停止で国政に専念できたというのは間違いですよ。寛平の韓寇などがあります。寛平7年新羅の賊が壱岐を襲撃し官舎が焼かれた。延喜6年7月13日新羅の賊船が来て太宰府に討たせた。など度々入寇があり藤原国経も太宰帥になっています。
資料の乏しい時代だからこそ、物語がフィクションでも実際にあった事を捻じ曲げてしまっては選者達も架空の存在になってしまいます。もったいないですよ。
[一言]
古今和歌集は選者4人にすべて任せた訳ではないです。
古今和歌集 仮名序 序文は興福寺大法師等の長歌に関する一文です。紀氏や菅原氏が藤原氏の氏寺の大法師の長歌を知っていたと思いません。
寛平~延喜にかけての物語は歴史的に見ても和歌や最後の六国史、荘園整理令など重要な位置にありますが資料も少なく挑む人が少ないので。その点は良い試みだと思います。
[気になる点]
1.作中、貫之たち下級貴族が上卿の名前を呼ぶのは失礼です。左大臣とか丞相と呼ばせましょう。
2.道真は詩人文人であり和歌に理解があったとは思えません。著者は天神信仰者だと思いますが古今和歌集と道真は無関係です。和歌編纂を任されたが、ひらがなで書かれたものをわざわざ漢字に直してしまったのは有名な話です。
3.道真を失脚させたのは時平ではありません。
蔵人頭藤原菅根と外戚定国が醍醐天皇に対して「天下之世務以非為理」と奏上して菅原道真が失脚するきっかけを作ったのですよ。
4.遣唐使停止で国政に専念できたというのは間違いですよ。寛平の韓寇などがあります。寛平7年新羅の賊が壱岐を襲撃し官舎が焼かれた。延喜6年7月13日新羅の賊船が来て太宰府に討たせた。など度々入寇があり藤原国経も太宰帥になっています。
資料の乏しい時代だからこそ、物語がフィクションでも実際にあった事を捻じ曲げてしまっては選者達も架空の存在になってしまいます。もったいないですよ。
[一言]
古今和歌集は選者4人にすべて任せた訳ではないです。
古今和歌集 仮名序 序文は興福寺大法師等の長歌に関する一文です。紀氏や菅原氏が藤原氏の氏寺の大法師の長歌を知っていたと思いません。
詳しくも得意分野でもない歴史を扱ったため、大変に不十分な内容にもかかわらずお目を通していただき、本当にありがとうございます。
そして丁寧なご指摘をいただき、恥ずかしくも感謝するばかりです。
若いころには憧れはあっても難しそうに思えて、あまり目を通さなかった古今和歌集が、日本語やかな文字が現代にまで伝わる重要なカギであったとを知り、さらに和歌がとても美しく、とても優れたポエムだと知って、この良さを表現できる話を書きたいと思って挑戦しているのがこのお話です。
当たり前のように今でも七五調のリズムが生き続け、俳句や川柳などが親しまれているこういった和歌文学、国風文化に暗黒時代と呼ばれた(唐文化が花開いた時代ともいえるのですが)時代があったとは無学な私は思いもよらず、その復権に古今和歌集が大いに役立ったと知って、大変衝撃を受けました。
おそらくこれは私が特別なのではなく、身の回りの七五調のリズムに慣れ親しんでいる普通の人々にとっては、私同様考えもつかずにいることかもしれないと思いました。
こんな素敵な文化を残し、かけがえのないかな文字文化を開花させた古今集についてもっと知りたい!
私の浅い知恵ながら、そういう苦労を経て日本語は発展してきたことをなるべくやさしく、自分くらい詳しくない人たちとも共有したい!
そんな衝動を詰めて、どうにか物語らしく体裁を整えようと書いています。
出来れば誤解していただきたくないのは、数々の問題点は私の無知からくるものであり、決して当時の偉人たちを軽んじたり、歴史を歪めようと意図したわけではないのです。
無知な素人の物書きが恥をかいていると笑っていただければいいのですが、もし、不快な思いをされましたら、申し訳ありませんでした。
貫之たちに高位の人たちの名を呼ばせるのは礼を欠くのですね。この時代の人物の名前は私同様ほとんどの人が知らないと思い名を載せていました。古今集でも位の高い人は名を載せていませんね。
名前でなく○○大臣、○○納言と出ただけで嫌になって、興味を失うんじゃないかと心配で(うちの夫はそのタイプです)わかりやすさを優先させてしまいました。
何らかの工夫をして修正を試みます。
道真については、私にはたまに耳にする「天神さん」のイメージしかありません。
大宰府に幼子を伴って亡くしたことも知りませんでしたし、あれほどの過酷な目に合っていたとも知りませんでした。
度々入寇が繰り返されたのならば、大宰府そのものが非常に荒れた状況だったのでしょうか。そういった地に送られた道真に、一層思いをはせることができます。ありがとうございます。
時平に関しては無知がほとんどの原因ですが、ちょっとばかりいやらしい気持ちがありました。
何かと悪役になりがちな人ですが、私が読んだ貫之関係の本では、時平は有能かつ明るく闊達な人物だったと書かれていたので、クローズアップさせて時平自身は道真に敬意を持っていたが、時代に翻弄されて悲劇が起きたとことにしようとしたのです。本当は人間的には爽やかな人だったかも、と思ったので。
古今和歌集は、相当多数の人々によって編み出されたのですね。編纂の経緯などまるで分らないので、これは完全に私の創作です。
直す知識がありませんので、編纂シーン終了のタイミングを見て、その旨のお断り書きを書き加えておきます。
拙い作品にお目を留めていただき、多くのご指摘をいただきありがとうございました。参考にさせていただくとともに、反省して書き方に工夫をしてみます。
そして丁寧なご指摘をいただき、恥ずかしくも感謝するばかりです。
若いころには憧れはあっても難しそうに思えて、あまり目を通さなかった古今和歌集が、日本語やかな文字が現代にまで伝わる重要なカギであったとを知り、さらに和歌がとても美しく、とても優れたポエムだと知って、この良さを表現できる話を書きたいと思って挑戦しているのがこのお話です。
当たり前のように今でも七五調のリズムが生き続け、俳句や川柳などが親しまれているこういった和歌文学、国風文化に暗黒時代と呼ばれた(唐文化が花開いた時代ともいえるのですが)時代があったとは無学な私は思いもよらず、その復権に古今和歌集が大いに役立ったと知って、大変衝撃を受けました。
おそらくこれは私が特別なのではなく、身の回りの七五調のリズムに慣れ親しんでいる普通の人々にとっては、私同様考えもつかずにいることかもしれないと思いました。
こんな素敵な文化を残し、かけがえのないかな文字文化を開花させた古今集についてもっと知りたい!
私の浅い知恵ながら、そういう苦労を経て日本語は発展してきたことをなるべくやさしく、自分くらい詳しくない人たちとも共有したい!
そんな衝動を詰めて、どうにか物語らしく体裁を整えようと書いています。
出来れば誤解していただきたくないのは、数々の問題点は私の無知からくるものであり、決して当時の偉人たちを軽んじたり、歴史を歪めようと意図したわけではないのです。
無知な素人の物書きが恥をかいていると笑っていただければいいのですが、もし、不快な思いをされましたら、申し訳ありませんでした。
貫之たちに高位の人たちの名を呼ばせるのは礼を欠くのですね。この時代の人物の名前は私同様ほとんどの人が知らないと思い名を載せていました。古今集でも位の高い人は名を載せていませんね。
名前でなく○○大臣、○○納言と出ただけで嫌になって、興味を失うんじゃないかと心配で(うちの夫はそのタイプです)わかりやすさを優先させてしまいました。
何らかの工夫をして修正を試みます。
道真については、私にはたまに耳にする「天神さん」のイメージしかありません。
大宰府に幼子を伴って亡くしたことも知りませんでしたし、あれほどの過酷な目に合っていたとも知りませんでした。
度々入寇が繰り返されたのならば、大宰府そのものが非常に荒れた状況だったのでしょうか。そういった地に送られた道真に、一層思いをはせることができます。ありがとうございます。
時平に関しては無知がほとんどの原因ですが、ちょっとばかりいやらしい気持ちがありました。
何かと悪役になりがちな人ですが、私が読んだ貫之関係の本では、時平は有能かつ明るく闊達な人物だったと書かれていたので、クローズアップさせて時平自身は道真に敬意を持っていたが、時代に翻弄されて悲劇が起きたとことにしようとしたのです。本当は人間的には爽やかな人だったかも、と思ったので。
古今和歌集は、相当多数の人々によって編み出されたのですね。編纂の経緯などまるで分らないので、これは完全に私の創作です。
直す知識がありませんので、編纂シーン終了のタイミングを見て、その旨のお断り書きを書き加えておきます。
拙い作品にお目を留めていただき、多くのご指摘をいただきありがとうございました。参考にさせていただくとともに、反省して書き方に工夫をしてみます。
- 貫雪
- 2014年 04月10日 11時01分
[良い点]
初めまして。楽しく読ませて頂いております。
貫之と躬恒については、歌風が違いすぎて歌の上ではしっくりいっていなかったのではという説も読んだことがありますが、貴方の小説では大変仲がよく、微笑ましいですね。
初めまして。楽しく読ませて頂いております。
貫之と躬恒については、歌風が違いすぎて歌の上ではしっくりいっていなかったのではという説も読んだことがありますが、貴方の小説では大変仲がよく、微笑ましいですね。
- 投稿者: ねこ
- 2014年 03月28日 20時32分
読んでいただき、ありがとうございますー!
自己解釈の強い話なので、楽しんでいただけていることにホッとします。下手をすれば作者だけが楽しいで終わってしまいますから。
貫之と躬恒は人間的には親しくても、しっくりいっていなかった説があるんですか。
私のネタ本では(古今和歌集、貫之の本二冊、古今、新古今紹介本一冊)技術的にはこの時代特有の表現方法が求められたために近しい部分があるが、それ以外はあまりに求める基準が正反対なので、それが互いをさらに認めあう要素になったという解釈になってます。
なにしろ貫之は、和歌の文芸性を高めるために漢詩の技術を取り入れる一方で、かな文字で序文を書くと言う離れ技をした人です。もちろんいきなり彼がそんな発想を持ったのではなく、編纂作業に様々な工夫を凝らすうちにかな文字の持つ有用性に気付いた結果だとは思うんですが、最終的にそれを成し得てしまう実行力を持つ貫之は、特殊な人物だと思います。
そんな貫之に躬恒も、技術的な細かいやり取りくらいなら意見を戦わせることもあったのでしょうが、大局的な世界観、思想、発想となると、意見の交わしようがなかったんじゃないかと思ってます。
私も「ここまで歌に求める感覚が違ったら、衝突の起きようがないかも」と思って、ほのぼのとしたやり取りに終始しています。
こういう人は孤独に陥りがちなものですが、貫之は人を放っておけない性質や、人に慕われやすい物を持っていたようです。
そして躬恒の方も歌論を持ちかけるよりも現実に即して実践的に歌を詠む、大人な思考の持ち主のように思えました。
だから私の話の世界では、二人は穏やかな友人として描いています。
微笑ましく感じていただけていることを、大変嬉しく思います。
個人の解釈ですが、今後も楽しんでいただければ幸いです。
御感想ありがとうございました!
自己解釈の強い話なので、楽しんでいただけていることにホッとします。下手をすれば作者だけが楽しいで終わってしまいますから。
貫之と躬恒は人間的には親しくても、しっくりいっていなかった説があるんですか。
私のネタ本では(古今和歌集、貫之の本二冊、古今、新古今紹介本一冊)技術的にはこの時代特有の表現方法が求められたために近しい部分があるが、それ以外はあまりに求める基準が正反対なので、それが互いをさらに認めあう要素になったという解釈になってます。
なにしろ貫之は、和歌の文芸性を高めるために漢詩の技術を取り入れる一方で、かな文字で序文を書くと言う離れ技をした人です。もちろんいきなり彼がそんな発想を持ったのではなく、編纂作業に様々な工夫を凝らすうちにかな文字の持つ有用性に気付いた結果だとは思うんですが、最終的にそれを成し得てしまう実行力を持つ貫之は、特殊な人物だと思います。
そんな貫之に躬恒も、技術的な細かいやり取りくらいなら意見を戦わせることもあったのでしょうが、大局的な世界観、思想、発想となると、意見の交わしようがなかったんじゃないかと思ってます。
私も「ここまで歌に求める感覚が違ったら、衝突の起きようがないかも」と思って、ほのぼのとしたやり取りに終始しています。
こういう人は孤独に陥りがちなものですが、貫之は人を放っておけない性質や、人に慕われやすい物を持っていたようです。
そして躬恒の方も歌論を持ちかけるよりも現実に即して実践的に歌を詠む、大人な思考の持ち主のように思えました。
だから私の話の世界では、二人は穏やかな友人として描いています。
微笑ましく感じていただけていることを、大変嬉しく思います。
個人の解釈ですが、今後も楽しんでいただければ幸いです。
御感想ありがとうございました!
- 貫雪
- 2014年 03月29日 11時51分
[良い点]
「そうか? 秋の夜長は歌の題にも趣があるものだが。どうやら躬恒は今でも秋の夜が短く感じるらしい。夫婦仲が良いのも歌人としては困ったものだ」
幼稚な喧嘩(?)なのに腹筋を刺激してくるwww
[一言]
躬恒さんは恋に対して実に大人びているという。
でも貫之だって将来的には奥さん手に入れていたよなぁ……(土佐日記ではいた)。
「そうか? 秋の夜長は歌の題にも趣があるものだが。どうやら躬恒は今でも秋の夜が短く感じるらしい。夫婦仲が良いのも歌人としては困ったものだ」
幼稚な喧嘩(?)なのに腹筋を刺激してくるwww
[一言]
躬恒さんは恋に対して実に大人びているという。
でも貫之だって将来的には奥さん手に入れていたよなぁ……(土佐日記ではいた)。
いつもありがとうございます。
>躬恒さんは恋に対して実に大人びているという。
これは私が躬恒の歌から抱いているイメージですね。躬恒の根本が、現実の生活を詠むことを得意としたからじゃないかと思うんです。
彼は即興歌が得意で機転や機知が効くタイプだと分かりますから、恋にもそれは大きく反映したでしょう。歌人の持つ人間観察力、自己観察力が数少ない恋からも彼に多くの物を与えたんじゃないかと思ってます。
だから大人なイメージですね。
反対に貫之はあの平中とも親しくなり、雅男らしい一面も見せています。何よりあの好色で有名だった業平に心底憧れていたようですし(笑)
貫之は歌のための恋のレッスンは数々繰り返し、歌人としての節度をわきまえたささやかな浮名を流しはしたけれど、人生の充実期をほとんど和歌の地位向上のために捧げてしまい、家庭人としての幸福を手にしたのは、当時の感覚としては殆んど老境に近づいてからだったんじゃないかと思ってます。
>躬恒さんは恋に対して実に大人びているという。
これは私が躬恒の歌から抱いているイメージですね。躬恒の根本が、現実の生活を詠むことを得意としたからじゃないかと思うんです。
彼は即興歌が得意で機転や機知が効くタイプだと分かりますから、恋にもそれは大きく反映したでしょう。歌人の持つ人間観察力、自己観察力が数少ない恋からも彼に多くの物を与えたんじゃないかと思ってます。
だから大人なイメージですね。
反対に貫之はあの平中とも親しくなり、雅男らしい一面も見せています。何よりあの好色で有名だった業平に心底憧れていたようですし(笑)
貫之は歌のための恋のレッスンは数々繰り返し、歌人としての節度をわきまえたささやかな浮名を流しはしたけれど、人生の充実期をほとんど和歌の地位向上のために捧げてしまい、家庭人としての幸福を手にしたのは、当時の感覚としては殆んど老境に近づいてからだったんじゃないかと思ってます。
- 貫雪
- 2014年 03月27日 12時01分
[一言]
私はあのよその女の処に通う男を想う歌については、
実は『旦那(あなた)の行動(かんがえ)なんて超オミトオシですよ♪』と、自分の事はさておいて浮気を確かめようとする男を諌めてみせたら旦那が妻の予想以上に鈍くてハッピーエンドになっちゃったんじゃないかという邪推を捨てられないのです。
私はあのよその女の処に通う男を想う歌については、
実は『旦那(あなた)の行動(かんがえ)なんて超オミトオシですよ♪』と、自分の事はさておいて浮気を確かめようとする男を諌めてみせたら旦那が妻の予想以上に鈍くてハッピーエンドになっちゃったんじゃないかという邪推を捨てられないのです。
》妻の予想以上に鈍くて
そうそう!
この話は有名で伊勢物語に詳細が出てくるから、幼馴染だった女にいいように操縦されてる雰囲気を感じます(笑)
旦那が疑う前に、数日おきにいかにも男が寄ってきているようなそぶりでめかし込み、月夜に出かける旦那がどこに隠れるか使用人にでも確認させる。
前裁に隠れたと聞くと、
「よっしゃあ! ひっかかった!」って、ガッツポーズ(笑)
旦那好みの香の匂いを漂わせながら、これ見よがしに隠れた旦那の近くで月を見て琴まで引いて(琴は伊勢物語には出ないけど)
「風吹けば……」
と詠んだとたんによよと泣き崩れる。
すっごい、悪女系の女優なイメージが浮かびます(ひねくれもの)
そうそう!
この話は有名で伊勢物語に詳細が出てくるから、幼馴染だった女にいいように操縦されてる雰囲気を感じます(笑)
旦那が疑う前に、数日おきにいかにも男が寄ってきているようなそぶりでめかし込み、月夜に出かける旦那がどこに隠れるか使用人にでも確認させる。
前裁に隠れたと聞くと、
「よっしゃあ! ひっかかった!」って、ガッツポーズ(笑)
旦那好みの香の匂いを漂わせながら、これ見よがしに隠れた旦那の近くで月を見て琴まで引いて(琴は伊勢物語には出ないけど)
「風吹けば……」
と詠んだとたんによよと泣き崩れる。
すっごい、悪女系の女優なイメージが浮かびます(ひねくれもの)
- 貫雪
- 2014年 03月10日 23時35分
[一言]
静かに読ませて貰ってます。
小説家になろうでフューチャーされる作品では無いでしょうが、日本語愛が伝わってくる良い作品だと思ってます。
このような形で様々な名歌を味わえるのは、良い経験です。
執筆頑張ってください
静かに読ませて貰ってます。
小説家になろうでフューチャーされる作品では無いでしょうが、日本語愛が伝わってくる良い作品だと思ってます。
このような形で様々な名歌を味わえるのは、良い経験です。
執筆頑張ってください
はじめまして。御感想ありがとうございます。
私は自分の好みで趣味的な作品が多いのですが、本作は特に自らの趣味が前面に出ています。それをこうして読んでいただけるのは本当に嬉しいです。
名歌の数々は千を越える古今和歌集の中から、話の筋から離れずに特に紹介したいと思う歌や有名な歌、印象に残る歌などを選んでいますが、もともとが当時の名歌をよりすぐった歌集です。私がさらに絞り込むのもおこがましいことです。
それでも紹介できる数に限りはありますから、いつも良心の呵責を感じながら自分なりに選ばせてもらっています。
和歌の良さ、楽しさ、豊かさに気付いてもらえるきっかけになれれば嬉しいです。
わざわざご感想をお寄せ下さり、ありがとうございました!
私は自分の好みで趣味的な作品が多いのですが、本作は特に自らの趣味が前面に出ています。それをこうして読んでいただけるのは本当に嬉しいです。
名歌の数々は千を越える古今和歌集の中から、話の筋から離れずに特に紹介したいと思う歌や有名な歌、印象に残る歌などを選んでいますが、もともとが当時の名歌をよりすぐった歌集です。私がさらに絞り込むのもおこがましいことです。
それでも紹介できる数に限りはありますから、いつも良心の呵責を感じながら自分なりに選ばせてもらっています。
和歌の良さ、楽しさ、豊かさに気付いてもらえるきっかけになれれば嬉しいです。
わざわざご感想をお寄せ下さり、ありがとうございました!
- 貫雪
- 2014年 03月03日 21時40分
[一言]
構成って大変だと思うけど、実際並べ方で印象変わっちゃうんだよなぁ。
とっかかりで解りやすく万人でも解るモノ。
自然を素直に映すもの。自然を通して感じること。
快楽や愉快なもの。死や不愉快な内面に関わるもの。もっと深く人生の意義を問うモノと。
結論なんて無いが故に編集は大変。
構成って大変だと思うけど、実際並べ方で印象変わっちゃうんだよなぁ。
とっかかりで解りやすく万人でも解るモノ。
自然を素直に映すもの。自然を通して感じること。
快楽や愉快なもの。死や不愉快な内面に関わるもの。もっと深く人生の意義を問うモノと。
結論なんて無いが故に編集は大変。
特にこの時代は死に対して穢れを強く感じた時代ですしね。他のどの部立よりも神経を使っただろうと想像できます。
歌全体も死そのものを詠むよりも、命のあっけなさ、貴重さ、周りに与える影響などを表現していて、当然に起きることへの悲しみとして受取られているようです。
これは死をできるだけ引き延ばす物と考えて、医療によってギリギリまで戦おうとする現代人とは違う価値観があるからかもしれません。
特に編纂者たちは最後に遺言の歌の一群を持ってきた、逝く者の視点が私には痛烈に思えました。
現代を生きる私だったら、やはり視点は死を癒やす必要がある遺された人の側になって考えると思います。
それは私の中で死が命の期限切れであり、訪れ、迎えるものではないと言う事なんでしょう。終わった命はその瞬間から過去のものであり、人の力が尽きたものと考えているんだと思います。
けれど当時は死がもっと身近で、命の濃さが実感しやすい環境があったでしょう。だから必ず受け入れる死に対して、穢れと忌み嫌う一方で優しさが感じられます。
死を覚悟した皇女が残された人への思いやりを記した歌の後に、逝ってしまった女への憐れみいつくしみが並べられたり、ある程度の老いから覚悟を感じながらもためらう父の歌の後、その息子が親より早く逝かねばならなかった無念を詠んだ歌が並べられたりするところに、死者への思いやりが見える気がするんです。
きっと当時は怨霊や怨念を恐れる心が強いと同時に、それだけ死者への思いやりや尊厳も強く持っていて、死者への憐れみを最後に並べるの形がもっとも受け入れやすいような雰囲気があったんだと思います。この並べは撰者たちが最大限に神経を使って並べた結果だろうと思っています。
歌全体も死そのものを詠むよりも、命のあっけなさ、貴重さ、周りに与える影響などを表現していて、当然に起きることへの悲しみとして受取られているようです。
これは死をできるだけ引き延ばす物と考えて、医療によってギリギリまで戦おうとする現代人とは違う価値観があるからかもしれません。
特に編纂者たちは最後に遺言の歌の一群を持ってきた、逝く者の視点が私には痛烈に思えました。
現代を生きる私だったら、やはり視点は死を癒やす必要がある遺された人の側になって考えると思います。
それは私の中で死が命の期限切れであり、訪れ、迎えるものではないと言う事なんでしょう。終わった命はその瞬間から過去のものであり、人の力が尽きたものと考えているんだと思います。
けれど当時は死がもっと身近で、命の濃さが実感しやすい環境があったでしょう。だから必ず受け入れる死に対して、穢れと忌み嫌う一方で優しさが感じられます。
死を覚悟した皇女が残された人への思いやりを記した歌の後に、逝ってしまった女への憐れみいつくしみが並べられたり、ある程度の老いから覚悟を感じながらもためらう父の歌の後、その息子が親より早く逝かねばならなかった無念を詠んだ歌が並べられたりするところに、死者への思いやりが見える気がするんです。
きっと当時は怨霊や怨念を恐れる心が強いと同時に、それだけ死者への思いやりや尊厳も強く持っていて、死者への憐れみを最後に並べるの形がもっとも受け入れやすいような雰囲気があったんだと思います。この並べは撰者たちが最大限に神経を使って並べた結果だろうと思っています。
- 貫雪
- 2014年 02月17日 09時02分
[一言]
はじめまして、
某漫画のファンで、人物名でツイッター検索をかけていると何度もこちらを目にするので、興味をもって訪問したにわか者です。
とても簡潔できれいなわかりやすい文体で人物の心情を掴みやすく、勉強になりました!
また読みに伺います!
はじめまして、
某漫画のファンで、人物名でツイッター検索をかけていると何度もこちらを目にするので、興味をもって訪問したにわか者です。
とても簡潔できれいなわかりやすい文体で人物の心情を掴みやすく、勉強になりました!
また読みに伺います!
- 投稿者: あびこ
- 2014年 01月14日 04時18分
はじめまして。御感想ありがとうございます!
ツイッターでも読みやすかったとのお言葉をいただき、本当に嬉しいです。
残念ながら歌人たちを描いたその漫画は見たことが無いんです(汗)
私も特別和歌や歴史に詳しい訳ではない素人です。古語辞典と何冊もの解説書と格闘しながら書いてますから。
躬恒の出番が多いのは彼と貫之が大親友だからです。でもあまりに資料が無いために躬恒のエピソードはほとんど私の創作です。フィクションと言う事でご容赦ください。
他のエピソードは大半が『大鏡』という平安末期に書かれたらしい、当時の出来事を描いた歴史物語に書かれている部分を、さらに自己流に解釈し、アレンジを加えています。
和歌の解釈も同様に正確さよりも私の感想的な要素が多く入っていて、出来るだけ分かりやすい表現になるようにしているつもりです。
「なろう」さんの中ではかなりのマイナー作で、稚拙なところも多いのですが、それでも少しでも歌人たちの情熱と和歌の美しさに触れていただければ嬉しいです。
もう一度、嬉しい御感想をありがとうございました。
ツイッターでも読みやすかったとのお言葉をいただき、本当に嬉しいです。
残念ながら歌人たちを描いたその漫画は見たことが無いんです(汗)
私も特別和歌や歴史に詳しい訳ではない素人です。古語辞典と何冊もの解説書と格闘しながら書いてますから。
躬恒の出番が多いのは彼と貫之が大親友だからです。でもあまりに資料が無いために躬恒のエピソードはほとんど私の創作です。フィクションと言う事でご容赦ください。
他のエピソードは大半が『大鏡』という平安末期に書かれたらしい、当時の出来事を描いた歴史物語に書かれている部分を、さらに自己流に解釈し、アレンジを加えています。
和歌の解釈も同様に正確さよりも私の感想的な要素が多く入っていて、出来るだけ分かりやすい表現になるようにしているつもりです。
「なろう」さんの中ではかなりのマイナー作で、稚拙なところも多いのですが、それでも少しでも歌人たちの情熱と和歌の美しさに触れていただければ嬉しいです。
もう一度、嬉しい御感想をありがとうございました。
- 貫雪
- 2014年 01月14日 09時16分
[一言]
友則さんも発想がチートだなぁ。
確かにそうなっているのだから困る。
自国の言葉で自国の心情を語る重要性を今英語だけ教育にしようとか抜かしている人に言うべきだし、
英語からより小学生から古典を音読させたほうがいいと思う。
どーせ今の英語教育じゃ英語身につかんよ。
日本語教育が弱いんだもん。
友則さんも発想がチートだなぁ。
確かにそうなっているのだから困る。
自国の言葉で自国の心情を語る重要性を今英語だけ教育にしようとか抜かしている人に言うべきだし、
英語からより小学生から古典を音読させたほうがいいと思う。
どーせ今の英語教育じゃ英語身につかんよ。
日本語教育が弱いんだもん。
日本語教育が弱いのもあるけど、自国の文化そのものに興味が薄いのが問題でしょう。
言葉は道具だからまず、その道具で何を知りたいか? 何を伝えたいかが無いと道具も意味をなしません。貫之たちには和歌を守り文化として昇華させたいという明確な目的がありました。
自分の国の文化に興味を持って、何故この国の文化は独特なのか? どんな背景から文化や言葉が生まれて来たのか? 概要を知っていれば誇りも持てるし好奇心も刺激されるはず。
そうすれば他国の文化にも同じように歴史がある事や、思想の違いにも考えが及ぶようになるだろうし、コミュニケーションについても深く考えるでしょう。
その上で覚えた言葉なら、使えるようになった時の役立ち方が違うはずです。
まずは身近な知識を得て土台を作る。知識が役立つ経験を積んで安心感を得る。せめて十歳くらいまではそう言う工夫があってもいいと思いますね。
その後なら視野を広げた知識での飛躍も、大きく羽ばたけるんじゃないかと思いますけどね。
自国の社会基盤をしっかりさせられないまま、国外に出て行くことばかりを「グローバル化」って言ってる社会じゃ、難しいかもしれませんけど。
言葉は道具だからまず、その道具で何を知りたいか? 何を伝えたいかが無いと道具も意味をなしません。貫之たちには和歌を守り文化として昇華させたいという明確な目的がありました。
自分の国の文化に興味を持って、何故この国の文化は独特なのか? どんな背景から文化や言葉が生まれて来たのか? 概要を知っていれば誇りも持てるし好奇心も刺激されるはず。
そうすれば他国の文化にも同じように歴史がある事や、思想の違いにも考えが及ぶようになるだろうし、コミュニケーションについても深く考えるでしょう。
その上で覚えた言葉なら、使えるようになった時の役立ち方が違うはずです。
まずは身近な知識を得て土台を作る。知識が役立つ経験を積んで安心感を得る。せめて十歳くらいまではそう言う工夫があってもいいと思いますね。
その後なら視野を広げた知識での飛躍も、大きく羽ばたけるんじゃないかと思いますけどね。
自国の社会基盤をしっかりさせられないまま、国外に出て行くことばかりを「グローバル化」って言ってる社会じゃ、難しいかもしれませんけど。
- 貫雪
- 2014年 01月12日 20時03分
[一言]
『かな文字』
拝読致しました。
貫之達の努力がなければ、その後の日本の識字率は大きく下がり、文学も育たなかったのではないかと思いました。
かな文字、万歳ですね。
『かな文字』
拝読致しました。
貫之達の努力がなければ、その後の日本の識字率は大きく下がり、文学も育たなかったのではないかと思いました。
かな文字、万歳ですね。
かな文字さまさまですね。
唐文化一色になった時、和歌や日本風の文学が絶えずに残されてきたのは、女と男の恋歌として詠まれる時に簡略化されていて覚えやすく、女性的な美しさをアピールできる文字、かな文字があったからです。相手に姿一つ見せずに手紙で恋愛する時代。文字のアピール力は想像できないほど高かったはず。
その覚えやすさ、書き崩しやすさがかな文字を女子供に浸透させ、その女との恋愛のために和歌とかな文字を男達も捨て切らなかったことが日本の文学を守ることになったんでしょう。
文字に歴史あり! それを復活させてくれた貫之たちにも感謝です。
唐文化一色になった時、和歌や日本風の文学が絶えずに残されてきたのは、女と男の恋歌として詠まれる時に簡略化されていて覚えやすく、女性的な美しさをアピールできる文字、かな文字があったからです。相手に姿一つ見せずに手紙で恋愛する時代。文字のアピール力は想像できないほど高かったはず。
その覚えやすさ、書き崩しやすさがかな文字を女子供に浸透させ、その女との恋愛のために和歌とかな文字を男達も捨て切らなかったことが日本の文学を守ることになったんでしょう。
文字に歴史あり! それを復活させてくれた貫之たちにも感謝です。
- 貫雪
- 2014年 01月12日 19時44分
[一言]
『旅人と罪人』
拝読致しました。
小野篁公は拙作でも取り上げておりますが、どちらかと言うと、閻魔様関連の方です。篁公も剛毅な方だったのですね。勉強になりました。
『旅人と罪人』
拝読致しました。
小野篁公は拙作でも取り上げておりますが、どちらかと言うと、閻魔様関連の方です。篁公も剛毅な方だったのですね。勉強になりました。
ありがとうございます。
篁公の冥途通いと閻魔様のお手伝いの伝説は有名ですよね。
当時としてはかなり大柄だったようですから、その迫力からいろんな伝説が生まれたのかもしれません。
生き方も骨っぽいし、母親孝行だったらしいし、仁に厚い人だったようですし。
今は和歌関連のことしか知らないんですが、いつかゆっくり調べてみたい、魅力的な人物ですね。
篁公の冥途通いと閻魔様のお手伝いの伝説は有名ですよね。
当時としてはかなり大柄だったようですから、その迫力からいろんな伝説が生まれたのかもしれません。
生き方も骨っぽいし、母親孝行だったらしいし、仁に厚い人だったようですし。
今は和歌関連のことしか知らないんですが、いつかゆっくり調べてみたい、魅力的な人物ですね。
- 貫雪
- 2014年 01月10日 13時11分
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