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[良い点]
私が言いたい事を全部言ってくれた感があって楽しかったです。
[一言]
私も菖蒲のモラルとかはちょっと引っかかってたので読めて良かったです。
私が言いたい事を全部言ってくれた感があって楽しかったです。
[一言]
私も菖蒲のモラルとかはちょっと引っかかってたので読めて良かったです。
- 投稿者: 春野
- 2023年 06月16日 16時52分
エピソード88
春野さん
拙作へのご高覧及びコメントどうもありがとうございます。
自分としても言いたいことをとにかく整理してまとめることに苦心したエッセイなので嬉しいです。
作中の菖蒲もそうですが、妹分の美杏や女子会をするマダム二人の造型も不自然に感じたんですよね。
拙作へのご高覧及びコメントどうもありがとうございます。
自分としても言いたいことをとにかく整理してまとめることに苦心したエッセイなので嬉しいです。
作中の菖蒲もそうですが、妹分の美杏や女子会をするマダム二人の造型も不自然に感じたんですよね。
- 吾妻栄子
- 2023年 06月17日 02時52分
[一言]
吾妻先生。お久しぶりです。お暑い中、どうお過ごしでしょうか。僕は毎日、寝苦しくて睡眠不足です。
今回は東京五輪開催のお話でしたね。僕の住む大阪では2008年大阪五輪招致運動というものがありました。市民の反対。五輪委員会からの査察でのダメだし。結果は予選で最下位落選。あのトホホのお話しであります。
実は当時の大阪市長も形ばかりの賛成で、内心は失敗すると思っていたようです。裏では関西財界が関西空港の滑走路拡張に熱心だったことと、イベント屋と呼ばれるもと役人の暗躍といった事情が有り、止む終えずといったところだったのでしょう。跡には税金で作った大量の招致ののぼりが風に揺られておりました……。
まあ。そういう感傷は抜きにして大事なことは、こういうイベントでは必ずおかしなことを仕出かす連中が出てくる、ということです。大阪では舞洲という人工島が作られましたが、当時を知る公務員の知り合いから聞いたのですが、掘り返せば関係のあった課長級の首がすべて飛ぶと言われるものが埋まっているそうです。今現在、舞洲にはスポーツ関連施設や下水処理施設等が建っております。市民も多く利用しており、近くで釣りを楽しむ人もいるようです。健康被害がとても心配です。結局、イベントを利用して自分たちだけ甘い汁を吸おうとする業界団体がおり、しわ寄せは税金を含めてすべて市民へ向かう、ということですかね。安倍首相が側近の議員にこう言ったそうです。「消費税等とは違って国民に身近な問題ではない。成立してしまえば、国民は忘れる」と。非常に腹の立つ言葉ですが、正鵠を射ていると思います。他人任せにして余りモノを考えないと、こうしたことは永遠に続いていくのだな、と痛切に感じております。
吾妻先生。お久しぶりです。お暑い中、どうお過ごしでしょうか。僕は毎日、寝苦しくて睡眠不足です。
今回は東京五輪開催のお話でしたね。僕の住む大阪では2008年大阪五輪招致運動というものがありました。市民の反対。五輪委員会からの査察でのダメだし。結果は予選で最下位落選。あのトホホのお話しであります。
実は当時の大阪市長も形ばかりの賛成で、内心は失敗すると思っていたようです。裏では関西財界が関西空港の滑走路拡張に熱心だったことと、イベント屋と呼ばれるもと役人の暗躍といった事情が有り、止む終えずといったところだったのでしょう。跡には税金で作った大量の招致ののぼりが風に揺られておりました……。
まあ。そういう感傷は抜きにして大事なことは、こういうイベントでは必ずおかしなことを仕出かす連中が出てくる、ということです。大阪では舞洲という人工島が作られましたが、当時を知る公務員の知り合いから聞いたのですが、掘り返せば関係のあった課長級の首がすべて飛ぶと言われるものが埋まっているそうです。今現在、舞洲にはスポーツ関連施設や下水処理施設等が建っております。市民も多く利用しており、近くで釣りを楽しむ人もいるようです。健康被害がとても心配です。結局、イベントを利用して自分たちだけ甘い汁を吸おうとする業界団体がおり、しわ寄せは税金を含めてすべて市民へ向かう、ということですかね。安倍首相が側近の議員にこう言ったそうです。「消費税等とは違って国民に身近な問題ではない。成立してしまえば、国民は忘れる」と。非常に腹の立つ言葉ですが、正鵠を射ていると思います。他人任せにして余りモノを考えないと、こうしたことは永遠に続いていくのだな、と痛切に感じております。
でれすけさん
ご高覧及びご感想どうもありがとうございます。
残暑いかにお過ごしでしょうか。
文中では実際に国内で開催された五輪を中心に取り上げましたが、確かに過去には誘致して選ばれなかったケースも国内に多々ありましたよね(一九八八年のソウル五輪は名古屋と決選投票で争って選ばれましたし、別の稿でその件には触れました)。
大阪は第二の都市ですから、だからこそ五輪誘致の場として様々な利益の絡む集団に狙われたのでしょうね。
>跡には税金で作った大量の招致ののぼりが風に揺られておりました……。
アテネの選手村にも匹敵する空しさです。
>掘り返せば関係のあった課長級の首がすべて飛ぶと言われるものが埋まっているそうです。
ちょっと怖いですね。
検索したところ、この舞洲にはゴミ処理場があるみたいですが、それと何か関係があるのでしょうか。
オリンピックから話題は変わりますが、大阪は西成で女医さんが不審死を遂げた事件も未解決のままなので、色々と闇が深そうな気がします。
それでは、また。
ご高覧及びご感想どうもありがとうございます。
残暑いかにお過ごしでしょうか。
文中では実際に国内で開催された五輪を中心に取り上げましたが、確かに過去には誘致して選ばれなかったケースも国内に多々ありましたよね(一九八八年のソウル五輪は名古屋と決選投票で争って選ばれましたし、別の稿でその件には触れました)。
大阪は第二の都市ですから、だからこそ五輪誘致の場として様々な利益の絡む集団に狙われたのでしょうね。
>跡には税金で作った大量の招致ののぼりが風に揺られておりました……。
アテネの選手村にも匹敵する空しさです。
>掘り返せば関係のあった課長級の首がすべて飛ぶと言われるものが埋まっているそうです。
ちょっと怖いですね。
検索したところ、この舞洲にはゴミ処理場があるみたいですが、それと何か関係があるのでしょうか。
オリンピックから話題は変わりますが、大阪は西成で女医さんが不審死を遂げた事件も未解決のままなので、色々と闇が深そうな気がします。
それでは、また。
- 吾妻栄子
- 2015年 08月09日 04時33分
[良い点]
【平和の祭典か〜】
>「この人のアピールしたい『日本』って、リアルな日本じゃなくて、外国人の頭の中にあるトンデモニッポンなんじゃないの?」と感じた。
至言ですね! 無意識下の違和感故にしばらくネタとして使われ続けたのかも知れません。
[一言]
元々誰が望んだ? と言われたら石原元都知事位しか思い付きませんし、その後開催決定を掴み取った猪瀬元知事の喜び→不正発覚→辞職の流れが想起され、そこに相次ぐゴタゴタ……と、なんでしょう? このネガティブイメージ。どうせやるなら、楽しみたいとは思うのですが、神輿を担ぐ五輪担当大臣も冴えないし。盛り上げ下手な民族だなぁ、としみじみ思います。
【平和の祭典か〜】
>「この人のアピールしたい『日本』って、リアルな日本じゃなくて、外国人の頭の中にあるトンデモニッポンなんじゃないの?」と感じた。
至言ですね! 無意識下の違和感故にしばらくネタとして使われ続けたのかも知れません。
[一言]
元々誰が望んだ? と言われたら石原元都知事位しか思い付きませんし、その後開催決定を掴み取った猪瀬元知事の喜び→不正発覚→辞職の流れが想起され、そこに相次ぐゴタゴタ……と、なんでしょう? このネガティブイメージ。どうせやるなら、楽しみたいとは思うのですが、神輿を担ぐ五輪担当大臣も冴えないし。盛り上げ下手な民族だなぁ、としみじみ思います。
パン×クロックスさん
ご高覧どうもありがとうございます。
滝川クリステルは風貌や名前からも明らかなように、「半外国人」て扱いですからね。
「それは本当にニッポンなのか」という意味でネタにされた面もあると思います。
石原元知事の世代にとっては「東京オリンピック」という言葉そのものが、「輝かしい日本」の代名詞というべき神通力を持っているのかもしれませんね。
ただ、長野五輪の経済的な失敗を目にした多くの人間にとっては、「事後はどうなるのか」という懸念が拭えません。
ご高覧どうもありがとうございます。
滝川クリステルは風貌や名前からも明らかなように、「半外国人」て扱いですからね。
「それは本当にニッポンなのか」という意味でネタにされた面もあると思います。
石原元知事の世代にとっては「東京オリンピック」という言葉そのものが、「輝かしい日本」の代名詞というべき神通力を持っているのかもしれませんね。
ただ、長野五輪の経済的な失敗を目にした多くの人間にとっては、「事後はどうなるのか」という懸念が拭えません。
- 吾妻栄子
- 2015年 08月02日 19時15分
[一言]
最近、事件や犯罪を題材として扱われていますので、僕の考えていることを、感想ではないかもしれませんが書かせてもらいます。
ミステリーファンなので、実際にあった事件にも興味をおぼえます。コリン・ウイルソンの「殺人百科」に、殺人犯の捉え方には二つのタイプがあり、一つは理解を越えた、自分とは違う人間という見方をするタイプで、もう一つは、その人物と同じ境遇・環境におかれ同じ状況になったら、自分もそれをしてしまうのではないかという見方をするタイプ、というのがあります。タイプというより、どちらの観点で接するかという感じですね。僕は、どちらかというと後者のほうです。
で、本になった犯罪ノンフィクションを、興味のあった事件なんかは読みます。最近ではSTAP細胞を扱った「捏造の科学者」を」読みました。その前は、市橋達也の「逮捕されるまで」ですかね。
読む理由は、興味です。参考にしたいもあります。それと、テレビやネットで知り得る情報は、事件の表層をサッとなぞったぐらいのもので、事件について考えるには役に立たないと思っているからです。特にテレビの情報は、規制があるからでしょうが、内容が薄っぺらだと思っていいと思っています。
そのことをつくづく知ったのが、「少年を巡る罪と罰」にも出てきました、女子高校生コンクリート詰め事件のノンフィクションを読んでからです。一人の作者の観点からだと、偏るかもと思って、著者がちがうのを三冊読みました。感想は、茫然自失です。どうしてこんな悲劇的なことが起こったのか。誰が悪いのか。どうしたら防げたのか。それらを前に、茫然とするしかありませんでした。読むと、身体の内部が寒々として、気持ちが冷たくなってきます。テレビでは報道されず本で知ったことを、記憶でいくつか書いてみます。
○少女が監禁された部屋の天井の蛍光灯は切れていて、暗い中で、照明は畳の上の電気スタンドの明かりだけだった。部屋に入った捜査官の一人は、足元からの明かりが薄気味悪くて仕方なかったと感想を述べている。
○監禁初期に一度、少女と、その家の家族はテーブルを囲んで食事をしている。両親には友だちだと紹介し、少女が茶碗や皿を片づけているのを見て、息子二人の父親は「やっぱり女の子はいいな」と言ったりした。少女は玄関のドアから帰り、息子が送っていくと一緒に出、外に出たあと二階の窓から少女を部屋へ戻している。言うことを聞かなかったら、仲間のヤクザがと――、少女は脅迫されていた。
○被害者である少女の遺族は取材拒否で、少女側の情報はほとんどない。
○監禁された家の家族は、息子二人と両親で、弟のほうが犯人の一人。この弟は家庭内暴力で、外に逃げ出した母親を追いかけてまで暴力を振るっていた。父親は、空手ができる人物。小学生までは、しつけとして手を上げていたが、中学生からはもうわかる年齢だからと、それを止めていた。母親に暴力をふるっている弟に、なぜ母さんを殴るんだ、殴りたいなら俺を殴れと言うと、弟はその無抵抗な父親をも殴りつけていた。
○母親は少女がいることをうすうす気づいていたが、怖くてなにもできなかった。父親は知らなかった。兄は知っていたが、犯罪には関与しておらず、少女に食事を与えていた。
○主犯格の人物は、組の電話番で、正式な暴力団組員に誘われていたが、どうしたらそうならなくてすむかと、そのことを真剣に悩んでいた。一緒になるつもりの恋人がいて、彼女が暴力団員になるのに猛反対していた。
○殴る時のBGMとして「声援」と「なんてたってアイドル」が使われた。血が汚いので、手にビニールをかぶせて殴った。
○鉄球のついた鉄棒で殴ったら動かなくなった。
○少女の最後の言葉は、途切れ途切れで「苦しいです」。
○遺体の顔面は、頬が鼻の高さまであり、目の識別ができないほどはれあがっていた。
○少女が部屋にいたことを、弟は「おもしろいものがある」と吹聴しており、逮捕されていない凌辱・暴行した者を含め、少女のことを知っていた者の数は百人を越えていた。誰一人、通報もしなければ、大人にも知らせていない。
○逮捕後の少年の一人、「ぼくなんかでも、高校に行けるんでしょうか」。
こうやって書いているだけでつらいですね。少女は十七歳です。ご冥福をお祈りします。
記憶でとしましたが、間違いがあってはまずいだろうで、いくぶんチェック入れました。
で、それからは思うのです。たとえ本読んでも、事件の片鱗もわかっていないだろうなと。ましてテレビのニュースでは無理だなと。ミステリは作りもので、だからいいんだよねと。
どんな事件でも、得体の知れない闇の部分があると思います。残虐な事件の場合、その闇は、いっそう深くなります。それをどう見極めるかは難しいです。たとえば今回の川崎の事件ですと、被害者を守るために知人たちが加害者の家に抗議に押しかけています。そのことを逆恨みしたのが、動機の要因のひとつみたいです。知人たちはよかれと思って押しかけました。悪いことでなく、正しいことです。でも、もしそれがなかったら――。よかれと思ってしたことが――なんてこと考えると、わからなくなってきます。加害者の心理や境遇を本当に理解したら、裁くことはできなくなってしまいます。被害者の気持ちを理解したら、復讐せずにはおれなくなります。その矛盾にどう折り合いをつけるかだろうと思います。
と、犯罪実話に関しての僕のスタンスみたいなものを書いてみました。吾妻さんのエッセイ読んで思ったのは、ご興味がありそうなので、ルポルタージュとか読まれてもう一歩踏み込まれたらどうだろうかということです。調べれば調べるほど、いやになり、肩になにかがのしかかり、心が冷たくなってきますけどね。ま、それでも、ある程度までしか近づけません。だから救われてもいるんだと思います。
ところで、未解決事件のひとつですが、エリサ・ラム事件はご存じですか?
最近、事件や犯罪を題材として扱われていますので、僕の考えていることを、感想ではないかもしれませんが書かせてもらいます。
ミステリーファンなので、実際にあった事件にも興味をおぼえます。コリン・ウイルソンの「殺人百科」に、殺人犯の捉え方には二つのタイプがあり、一つは理解を越えた、自分とは違う人間という見方をするタイプで、もう一つは、その人物と同じ境遇・環境におかれ同じ状況になったら、自分もそれをしてしまうのではないかという見方をするタイプ、というのがあります。タイプというより、どちらの観点で接するかという感じですね。僕は、どちらかというと後者のほうです。
で、本になった犯罪ノンフィクションを、興味のあった事件なんかは読みます。最近ではSTAP細胞を扱った「捏造の科学者」を」読みました。その前は、市橋達也の「逮捕されるまで」ですかね。
読む理由は、興味です。参考にしたいもあります。それと、テレビやネットで知り得る情報は、事件の表層をサッとなぞったぐらいのもので、事件について考えるには役に立たないと思っているからです。特にテレビの情報は、規制があるからでしょうが、内容が薄っぺらだと思っていいと思っています。
そのことをつくづく知ったのが、「少年を巡る罪と罰」にも出てきました、女子高校生コンクリート詰め事件のノンフィクションを読んでからです。一人の作者の観点からだと、偏るかもと思って、著者がちがうのを三冊読みました。感想は、茫然自失です。どうしてこんな悲劇的なことが起こったのか。誰が悪いのか。どうしたら防げたのか。それらを前に、茫然とするしかありませんでした。読むと、身体の内部が寒々として、気持ちが冷たくなってきます。テレビでは報道されず本で知ったことを、記憶でいくつか書いてみます。
○少女が監禁された部屋の天井の蛍光灯は切れていて、暗い中で、照明は畳の上の電気スタンドの明かりだけだった。部屋に入った捜査官の一人は、足元からの明かりが薄気味悪くて仕方なかったと感想を述べている。
○監禁初期に一度、少女と、その家の家族はテーブルを囲んで食事をしている。両親には友だちだと紹介し、少女が茶碗や皿を片づけているのを見て、息子二人の父親は「やっぱり女の子はいいな」と言ったりした。少女は玄関のドアから帰り、息子が送っていくと一緒に出、外に出たあと二階の窓から少女を部屋へ戻している。言うことを聞かなかったら、仲間のヤクザがと――、少女は脅迫されていた。
○被害者である少女の遺族は取材拒否で、少女側の情報はほとんどない。
○監禁された家の家族は、息子二人と両親で、弟のほうが犯人の一人。この弟は家庭内暴力で、外に逃げ出した母親を追いかけてまで暴力を振るっていた。父親は、空手ができる人物。小学生までは、しつけとして手を上げていたが、中学生からはもうわかる年齢だからと、それを止めていた。母親に暴力をふるっている弟に、なぜ母さんを殴るんだ、殴りたいなら俺を殴れと言うと、弟はその無抵抗な父親をも殴りつけていた。
○母親は少女がいることをうすうす気づいていたが、怖くてなにもできなかった。父親は知らなかった。兄は知っていたが、犯罪には関与しておらず、少女に食事を与えていた。
○主犯格の人物は、組の電話番で、正式な暴力団組員に誘われていたが、どうしたらそうならなくてすむかと、そのことを真剣に悩んでいた。一緒になるつもりの恋人がいて、彼女が暴力団員になるのに猛反対していた。
○殴る時のBGMとして「声援」と「なんてたってアイドル」が使われた。血が汚いので、手にビニールをかぶせて殴った。
○鉄球のついた鉄棒で殴ったら動かなくなった。
○少女の最後の言葉は、途切れ途切れで「苦しいです」。
○遺体の顔面は、頬が鼻の高さまであり、目の識別ができないほどはれあがっていた。
○少女が部屋にいたことを、弟は「おもしろいものがある」と吹聴しており、逮捕されていない凌辱・暴行した者を含め、少女のことを知っていた者の数は百人を越えていた。誰一人、通報もしなければ、大人にも知らせていない。
○逮捕後の少年の一人、「ぼくなんかでも、高校に行けるんでしょうか」。
こうやって書いているだけでつらいですね。少女は十七歳です。ご冥福をお祈りします。
記憶でとしましたが、間違いがあってはまずいだろうで、いくぶんチェック入れました。
で、それからは思うのです。たとえ本読んでも、事件の片鱗もわかっていないだろうなと。ましてテレビのニュースでは無理だなと。ミステリは作りもので、だからいいんだよねと。
どんな事件でも、得体の知れない闇の部分があると思います。残虐な事件の場合、その闇は、いっそう深くなります。それをどう見極めるかは難しいです。たとえば今回の川崎の事件ですと、被害者を守るために知人たちが加害者の家に抗議に押しかけています。そのことを逆恨みしたのが、動機の要因のひとつみたいです。知人たちはよかれと思って押しかけました。悪いことでなく、正しいことです。でも、もしそれがなかったら――。よかれと思ってしたことが――なんてこと考えると、わからなくなってきます。加害者の心理や境遇を本当に理解したら、裁くことはできなくなってしまいます。被害者の気持ちを理解したら、復讐せずにはおれなくなります。その矛盾にどう折り合いをつけるかだろうと思います。
と、犯罪実話に関しての僕のスタンスみたいなものを書いてみました。吾妻さんのエッセイ読んで思ったのは、ご興味がありそうなので、ルポルタージュとか読まれてもう一歩踏み込まれたらどうだろうかということです。調べれば調べるほど、いやになり、肩になにかがのしかかり、心が冷たくなってきますけどね。ま、それでも、ある程度までしか近づけません。だから救われてもいるんだと思います。
ところで、未解決事件のひとつですが、エリサ・ラム事件はご存じですか?
愛理修さん
返信とても遅れましてすみません。
ご感想どうもありがとうございます。
>コリン・ウイルソンの「殺人百科」に、殺人犯の捉え方には二つのタイプがあり、一つは理解を越えた、自分とは違う人間という見方をするタイプで、もう一つは、その人物と同じ境遇・環境におかれ同じ状況になったら、自分もそれをしてしまうのではないかという見方をするタイプ
興味深い指摘ですね。
私の場合はケースバイケースです。
怨恨から来る殺人事件であれば、「もしかしたら自分もそうしてしまうかもしれない」と思って読みますが、猟奇的嗜好から来る快楽殺人事件であれば、「世間のどこかにはこのような人もいるのだろう」と思って見ます。
テレビは本当に凄惨な被害については言及しない場合が多いし、逆に週刊誌は売り上げを伸ばすために真偽も怪しい情報を大げさに書き立てる傾向がありますよね。
ただ、女子高生コンクリート詰め殺人事件に関しては、主犯格少年の父親の「女の子はいいな」発言、暴力時のBGM、集団レイプに加わっていた第三者たちの存在等、ネット上でも見たことがあります(恐らくはルポからの情報を転載したかと思われますが)。
確かに被害者が亡くなっている以上、真相は不明ですよね。
犯人の供述には自己正当化、第三者の証言にも視点の歪みや記憶違いが少なからず入っているでしょうから。
殺された少女が見た真実は、あるいは伝えられているよりも、もっと残酷で理不尽なものだったかもしれない。
私はと言うと、ルポルタージュは斉藤茂男の「死角からの報告」は読んだことがあります。
エッセイ中では取り上げませんでしたが、これも高度成長期に起きた少年犯罪を複数件扱った内容です。
ただ、このルポで取り上げられていたのは、地域や家庭の中で孤独にあった少年少女が親しい相手に刃を向けてしまったケースが殆どでして、事件への記述も全般に情緒的、加害者に同情的です。
ちなみにこのルポに関しては「自分も同じ状況ならそうしたかもしれない」という視点で読んだ記憶があります。
「東電OL殺人事件」のルポも過去に一部読んだことがありますが、被害者の彼女が置かれていた境遇にはとても痛ましくなりました。
川崎の事件も注目度の高さからすれば、遠からずルポが出そうですね。読んでみたいです。
ご賢察の通り、被害者の少年は多くの人に愛され、救おうとする人は少なくなかったにも関わらず、むしろ、それすら裏目に出る形で惨殺された。
本当にやりきれない事件です。
エリサ・ラム事件は中国系カナダ人の若い女性が旅行先のホテルの貯水槽から溺死体で発見された事件ですよね。
そのホテル自体も過去には猟奇殺人犯がねぐらにしたりしていた曰くつきのホテルだとか。
死の直前の彼女がホテルのエレベータ内で一人、奇行を繰り返している映像もネットで見たことがあります。
海外では「この女性の様子からして、薬物を打たれた幻覚症状から自殺したのではないか」という見方が多いそうですが、遺体からはアルコールや薬物は検出されなかったそうで。
私もエレベータ映像中の彼女が、見えない誰かを誘い込もうとしているのか、締め出そうとしているのか、あるいは彼女の視野に映っている誰かは一人ではないのか、判然としない映像に不気味なものを覚えました。
当のホテルは外観にも不気味な何かが感じられます。
「場所が誘う狂気」といったものも存在しているのかもしれない。
返信とても遅れましてすみません。
ご感想どうもありがとうございます。
>コリン・ウイルソンの「殺人百科」に、殺人犯の捉え方には二つのタイプがあり、一つは理解を越えた、自分とは違う人間という見方をするタイプで、もう一つは、その人物と同じ境遇・環境におかれ同じ状況になったら、自分もそれをしてしまうのではないかという見方をするタイプ
興味深い指摘ですね。
私の場合はケースバイケースです。
怨恨から来る殺人事件であれば、「もしかしたら自分もそうしてしまうかもしれない」と思って読みますが、猟奇的嗜好から来る快楽殺人事件であれば、「世間のどこかにはこのような人もいるのだろう」と思って見ます。
テレビは本当に凄惨な被害については言及しない場合が多いし、逆に週刊誌は売り上げを伸ばすために真偽も怪しい情報を大げさに書き立てる傾向がありますよね。
ただ、女子高生コンクリート詰め殺人事件に関しては、主犯格少年の父親の「女の子はいいな」発言、暴力時のBGM、集団レイプに加わっていた第三者たちの存在等、ネット上でも見たことがあります(恐らくはルポからの情報を転載したかと思われますが)。
確かに被害者が亡くなっている以上、真相は不明ですよね。
犯人の供述には自己正当化、第三者の証言にも視点の歪みや記憶違いが少なからず入っているでしょうから。
殺された少女が見た真実は、あるいは伝えられているよりも、もっと残酷で理不尽なものだったかもしれない。
私はと言うと、ルポルタージュは斉藤茂男の「死角からの報告」は読んだことがあります。
エッセイ中では取り上げませんでしたが、これも高度成長期に起きた少年犯罪を複数件扱った内容です。
ただ、このルポで取り上げられていたのは、地域や家庭の中で孤独にあった少年少女が親しい相手に刃を向けてしまったケースが殆どでして、事件への記述も全般に情緒的、加害者に同情的です。
ちなみにこのルポに関しては「自分も同じ状況ならそうしたかもしれない」という視点で読んだ記憶があります。
「東電OL殺人事件」のルポも過去に一部読んだことがありますが、被害者の彼女が置かれていた境遇にはとても痛ましくなりました。
川崎の事件も注目度の高さからすれば、遠からずルポが出そうですね。読んでみたいです。
ご賢察の通り、被害者の少年は多くの人に愛され、救おうとする人は少なくなかったにも関わらず、むしろ、それすら裏目に出る形で惨殺された。
本当にやりきれない事件です。
エリサ・ラム事件は中国系カナダ人の若い女性が旅行先のホテルの貯水槽から溺死体で発見された事件ですよね。
そのホテル自体も過去には猟奇殺人犯がねぐらにしたりしていた曰くつきのホテルだとか。
死の直前の彼女がホテルのエレベータ内で一人、奇行を繰り返している映像もネットで見たことがあります。
海外では「この女性の様子からして、薬物を打たれた幻覚症状から自殺したのではないか」という見方が多いそうですが、遺体からはアルコールや薬物は検出されなかったそうで。
私もエレベータ映像中の彼女が、見えない誰かを誘い込もうとしているのか、締め出そうとしているのか、あるいは彼女の視野に映っている誰かは一人ではないのか、判然としない映像に不気味なものを覚えました。
当のホテルは外観にも不気味な何かが感じられます。
「場所が誘う狂気」といったものも存在しているのかもしれない。
- 吾妻栄子
- 2015年 03月09日 13時10分
[一言]
『少年を巡る罪と罰』を拝読。
また日弁連が騒いでいますね。そりゃあ生きている方の人間(加害者)の弁護をするのが仕事なのかも知れませんが、いつもいつも(例えば山口母子殺害事件の時など)、「頭が良いから弁護士になったんじゃねえの?!」と思わされます(山口の事件の場合、元少年は死刑ですが)。
そしてこれもいつものことですが、少年達以外の犯人探し(今回の場合はLINE、酒鬼薔薇の時は漫画)が始まっています。ソースは忘れましたが、『LINEは親に知られずに子供同士で連絡を取り合えてしまう悪いツール』と評されていました。アホかと。
吾妻さんはエッセイということで筆を抑えたのだと勝手に解釈しています。
これはただの感想なので私見を明言しちゃいますが、未成年にも極刑を含む判決を下すべきだと思います。少なくとも社会人としての労働が認められている義務教育を終えた世代に関してはそうするべきでしょう。高校生にもなって幼いが故に倫理観が備わっていないなどという言い訳は無理があり過ぎます。
甘やかした結果、再犯っていうね。
女子高生コンクリート詰め事件、当時は近所に住んでいたので良く覚えています。仰る通り、あの事件の犯人の一人は出所後にまた逮捕されていますが、その罪状が拉致監禁ですからね。しかも彼は(これはネットでの噂レベルの話ですが)、過去に女子高生を殺したことを武勇伝として語っていたらしいです。
上記のクズに関しては、『更生という理念』を否定し易いですが、複雑なのは更生したパターンでして……
『心にナイフを忍ばせて』という本をご存じでしょうか? ‘69年に横浜で起きた高校生首切り殺人を追ったドキュメントなのですが、この事件の犯人(当時高校生)は、少年院を出た後、国費で司法試験に合格、弁護士になりました。表向きは更生が成功した一例でしょう(しかし、被害者家族への謝罪は無く慰謝料も踏み倒していたらしく、結局はネットを中心に身元を探られて廃業しました)。
女子高生コンクリート詰め事件の犯人の一部は、就職し、結婚し、子供がいるそうですね。それを許せるのか否か。
>理不尽に命を絶たれた被害者たちがその先の人生に本来秘めていた可能性はどのようにして償われるのだろうか
これですよね。他の犯罪と違って殺人に関しては絶対に取り返しがつかない。これをどう処理するのか、真っ当な判断を期待するばかりです……
『少年を巡る罪と罰』を拝読。
また日弁連が騒いでいますね。そりゃあ生きている方の人間(加害者)の弁護をするのが仕事なのかも知れませんが、いつもいつも(例えば山口母子殺害事件の時など)、「頭が良いから弁護士になったんじゃねえの?!」と思わされます(山口の事件の場合、元少年は死刑ですが)。
そしてこれもいつものことですが、少年達以外の犯人探し(今回の場合はLINE、酒鬼薔薇の時は漫画)が始まっています。ソースは忘れましたが、『LINEは親に知られずに子供同士で連絡を取り合えてしまう悪いツール』と評されていました。アホかと。
吾妻さんはエッセイということで筆を抑えたのだと勝手に解釈しています。
これはただの感想なので私見を明言しちゃいますが、未成年にも極刑を含む判決を下すべきだと思います。少なくとも社会人としての労働が認められている義務教育を終えた世代に関してはそうするべきでしょう。高校生にもなって幼いが故に倫理観が備わっていないなどという言い訳は無理があり過ぎます。
甘やかした結果、再犯っていうね。
女子高生コンクリート詰め事件、当時は近所に住んでいたので良く覚えています。仰る通り、あの事件の犯人の一人は出所後にまた逮捕されていますが、その罪状が拉致監禁ですからね。しかも彼は(これはネットでの噂レベルの話ですが)、過去に女子高生を殺したことを武勇伝として語っていたらしいです。
上記のクズに関しては、『更生という理念』を否定し易いですが、複雑なのは更生したパターンでして……
『心にナイフを忍ばせて』という本をご存じでしょうか? ‘69年に横浜で起きた高校生首切り殺人を追ったドキュメントなのですが、この事件の犯人(当時高校生)は、少年院を出た後、国費で司法試験に合格、弁護士になりました。表向きは更生が成功した一例でしょう(しかし、被害者家族への謝罪は無く慰謝料も踏み倒していたらしく、結局はネットを中心に身元を探られて廃業しました)。
女子高生コンクリート詰め事件の犯人の一部は、就職し、結婚し、子供がいるそうですね。それを許せるのか否か。
>理不尽に命を絶たれた被害者たちがその先の人生に本来秘めていた可能性はどのようにして償われるのだろうか
これですよね。他の犯罪と違って殺人に関しては絶対に取り返しがつかない。これをどう処理するのか、真っ当な判断を期待するばかりです……
gojpさん
お返事遅れましてすみません。
ご感想ありがとうございます。
事件の真相については掘り下げられるべきだと思いますし、罪を犯した人の更生は常に視野に入れられるべきだとも思います。
ただ、光市母子殺人の犯人は酷かったですね。
弁護側の陳述を見ていても、
「これって、こういう形で被害者や遺族を侮辱しているのではないか」と思わせるものでした。
逮捕後も全く改悛や更生の余地が見られなかった点でも、この元少年の死刑判決は妥当です。
漫画やゲーム、LINEといったコンテンツやツールを害悪視する風潮は少なからずありますが、同じコンテンツやツールを利用する少年の殆どは殺人を犯すことはありません。
というより、殺人まで犯す少年は、そうしたコンテンツやツールが存在しなくても、また別の何かに触発されて凶行に及ぶだけの地雷を本人の中に秘めていると考えた方が妥当です。
大体、今回の事件で逮捕された少年たちは十七、八歳。
十八歳は性表現や残酷描写の閲覧規制をもう課せられない年齢ですし、犯行に加担した十七歳少年たちはいずれも学生ではなく、社会に出ていたそうです。
犯行後の隠蔽や偽装工作を見ても、この犯人たちには狡猾な大人として判断されるべき面が濃厚です。
そもそも、この犯人たちには彼らよりもっと幼い少年を手に掛けるまで、そして被害者が息絶えるまでに思い止まるチャンスがいくらでもあった。
被害者の少年は死に至るまでに何度も苦痛を訴え、助けを求めたはずです。
それでも、彼らは三人もいながら、誰一人として少年を救う方向に動こうとせず、むしろ互いに責任を押し付け、煽り合うようにして、年少の相手を無残に殺害した。
この三人の関係性からは、各自の責任を軽減するために相互に利用している感触を受けます。
そして、彼らは事後も姑息な隠蔽工作に終始し、誰一人として自首する者はなかった。
これを卑劣と言わずして、何を卑劣と言うのでしょう。
特に主犯格の十八歳は、事件後にまた別の少年に対して、「次はお前だ」と脅していたという情報もあります。
逮捕がもう少し遅れていれば、連続殺人事件に発展した可能性もあり得ますね。
それでも、この犯人が擁護されるべき少年でしょうか。
コンクリ事件の再犯元少年が女子高生殺害を武勇伝のように吹聴していた記事は、私も週刊誌で読んだことがあります。
本来なら死刑でもおかしくないレイプ殺人という罪を懲役八年で済ませられた彼は更生などしていなかった。
むしろ、獰悪な性質を温存し、助長する結果になった。
弁護士になった元少年にしても、被害者遺族への謝罪もせず補償も踏み倒していた点に改悛とは対極の罪への居直りが見られます。
死んだ人が生き返らない以上、殺人事件に本当の意味での償いはないと思います。
今回の事件の犯人たちが全うに裁かれることを私も期待します。
お返事遅れましてすみません。
ご感想ありがとうございます。
事件の真相については掘り下げられるべきだと思いますし、罪を犯した人の更生は常に視野に入れられるべきだとも思います。
ただ、光市母子殺人の犯人は酷かったですね。
弁護側の陳述を見ていても、
「これって、こういう形で被害者や遺族を侮辱しているのではないか」と思わせるものでした。
逮捕後も全く改悛や更生の余地が見られなかった点でも、この元少年の死刑判決は妥当です。
漫画やゲーム、LINEといったコンテンツやツールを害悪視する風潮は少なからずありますが、同じコンテンツやツールを利用する少年の殆どは殺人を犯すことはありません。
というより、殺人まで犯す少年は、そうしたコンテンツやツールが存在しなくても、また別の何かに触発されて凶行に及ぶだけの地雷を本人の中に秘めていると考えた方が妥当です。
大体、今回の事件で逮捕された少年たちは十七、八歳。
十八歳は性表現や残酷描写の閲覧規制をもう課せられない年齢ですし、犯行に加担した十七歳少年たちはいずれも学生ではなく、社会に出ていたそうです。
犯行後の隠蔽や偽装工作を見ても、この犯人たちには狡猾な大人として判断されるべき面が濃厚です。
そもそも、この犯人たちには彼らよりもっと幼い少年を手に掛けるまで、そして被害者が息絶えるまでに思い止まるチャンスがいくらでもあった。
被害者の少年は死に至るまでに何度も苦痛を訴え、助けを求めたはずです。
それでも、彼らは三人もいながら、誰一人として少年を救う方向に動こうとせず、むしろ互いに責任を押し付け、煽り合うようにして、年少の相手を無残に殺害した。
この三人の関係性からは、各自の責任を軽減するために相互に利用している感触を受けます。
そして、彼らは事後も姑息な隠蔽工作に終始し、誰一人として自首する者はなかった。
これを卑劣と言わずして、何を卑劣と言うのでしょう。
特に主犯格の十八歳は、事件後にまた別の少年に対して、「次はお前だ」と脅していたという情報もあります。
逮捕がもう少し遅れていれば、連続殺人事件に発展した可能性もあり得ますね。
それでも、この犯人が擁護されるべき少年でしょうか。
コンクリ事件の再犯元少年が女子高生殺害を武勇伝のように吹聴していた記事は、私も週刊誌で読んだことがあります。
本来なら死刑でもおかしくないレイプ殺人という罪を懲役八年で済ませられた彼は更生などしていなかった。
むしろ、獰悪な性質を温存し、助長する結果になった。
弁護士になった元少年にしても、被害者遺族への謝罪もせず補償も踏み倒していた点に改悛とは対極の罪への居直りが見られます。
死んだ人が生き返らない以上、殺人事件に本当の意味での償いはないと思います。
今回の事件の犯人たちが全うに裁かれることを私も期待します。
- 吾妻栄子
- 2015年 03月07日 21時12分
[一言]
少年法、難しい問題ですね。私にも息子がいますが、被害者と重なって胸が痛くなりました。目に青タンの出来た写真は、笑っているだけに余計訴求力があります。もしこの様な殺され方をしたら……
一方、加害者とも重ねてしまいます。万が一この様な事態になった場合、親としてどう責任をとるか……父親はお前を殺して俺も死ぬ、という教育でした。私も段々その心境になりつつあります。
厳罰化が良いという訳では無いんですが、本当の意味で自分の犯した罪と向き合う、そんな教育が出来るのか? 更生と言いますが、再犯率の高さを真摯に受け止めて、一つ一つ丁寧に予防策を検討しなければいけませんね。
少年法、難しい問題ですね。私にも息子がいますが、被害者と重なって胸が痛くなりました。目に青タンの出来た写真は、笑っているだけに余計訴求力があります。もしこの様な殺され方をしたら……
一方、加害者とも重ねてしまいます。万が一この様な事態になった場合、親としてどう責任をとるか……父親はお前を殺して俺も死ぬ、という教育でした。私も段々その心境になりつつあります。
厳罰化が良いという訳では無いんですが、本当の意味で自分の犯した罪と向き合う、そんな教育が出来るのか? 更生と言いますが、再犯率の高さを真摯に受け止めて、一つ一つ丁寧に予防策を検討しなければいけませんね。
パン×クロックスさん
お返事遅れましてすみません。
ご感想どうもありがとうございます。
目に青タンが出来ていてもこちら側に向かって精一杯笑顔を見せようとする少年の姿には、この後の彼を知る私たちにはいっそう痛ましいものがありますね。
私もわが子がこのような殺され方をしたら、正気を保てるとはとても思えません。
加害者の親の立場になってみると、やっぱり罪を犯したわが子を殺して自分も死にたいといった心境になる気がします。
ただ、被害者家族への補償等の問題もありますから、生きて償う方向に動くのが現実の選択に近いと思います。
実際には成人よりはるかに軽い刑を終えた元少年たちは被害者への補償は踏み倒すばかりでなく、再犯する率が非常に高いそうです。
特に殺人に関しては成人の再犯率が四割に対して、少年の再犯率は六割近いそうで、率直に言って、少年期に殺人を犯してしまう人間は成人後の殺人犯よりも更生が難しいのが実情のようです。
少年犯罪の件数自体は減少傾向にはあるようなんですけどね。
お返事遅れましてすみません。
ご感想どうもありがとうございます。
目に青タンが出来ていてもこちら側に向かって精一杯笑顔を見せようとする少年の姿には、この後の彼を知る私たちにはいっそう痛ましいものがありますね。
私もわが子がこのような殺され方をしたら、正気を保てるとはとても思えません。
加害者の親の立場になってみると、やっぱり罪を犯したわが子を殺して自分も死にたいといった心境になる気がします。
ただ、被害者家族への補償等の問題もありますから、生きて償う方向に動くのが現実の選択に近いと思います。
実際には成人よりはるかに軽い刑を終えた元少年たちは被害者への補償は踏み倒すばかりでなく、再犯する率が非常に高いそうです。
特に殺人に関しては成人の再犯率が四割に対して、少年の再犯率は六割近いそうで、率直に言って、少年期に殺人を犯してしまう人間は成人後の殺人犯よりも更生が難しいのが実情のようです。
少年犯罪の件数自体は減少傾向にはあるようなんですけどね。
- 吾妻栄子
- 2015年 03月07日 12時05分
[一言]
美と言う言葉は、個人的には嫌いです。
人はそれぞれの好みがあり、好みにも個性があります。
例えば、自分は細いスタイルで、唇の厚い子が好き。
自分は、ふっくらしたのが好き。
美と言う言葉は、一つに統一されてしまい、個性が消えてしまいます。
ですから、自分の書く小説には、極力「美」の文字は使わないています。
美は、個人をけす魔法の一字だと、思います。
美と言う言葉は、個人的には嫌いです。
人はそれぞれの好みがあり、好みにも個性があります。
例えば、自分は細いスタイルで、唇の厚い子が好き。
自分は、ふっくらしたのが好き。
美と言う言葉は、一つに統一されてしまい、個性が消えてしまいます。
ですから、自分の書く小説には、極力「美」の文字は使わないています。
美は、個人をけす魔法の一字だと、思います。
クレヨンさん
確かに「美」そのものには多様性が含まれているはずですが、
マスコミの使う「美人」というフレーズにはどこか画一化される感触がありますね。
「美」のイメージを豊饒にするのも、偏狭にしてしまうのも、使い手次第ではないでしょうか。
確かに「美」そのものには多様性が含まれているはずですが、
マスコミの使う「美人」というフレーズにはどこか画一化される感触がありますね。
「美」のイメージを豊饒にするのも、偏狭にしてしまうのも、使い手次第ではないでしょうか。
- 吾妻栄子
- 2015年 01月25日 02時37分
[一言]
吾妻さんの仰る通り、やはり女性が話題になる時、特に事件に関わった時には、その容姿について触れられることが多いですね。
まだ事件関係では用いられていない言葉ですが、ここ数年は『美人過ぎる』という形容が煩わしさを増していますので、時間の問題で『美人過ぎる詐欺師』も現われることでしょう。そしてネットなどで、『それほど美人じゃない』という会話がなされるのは、もはやテンプレートです。
文中では、『美人』という言葉だけがピックアップされていますが、ヒ素カレー事件の林容疑者、連続不審死事件の木嶋容疑者らは、『毒婦』と形容されています。毒婦という言葉自体に外見を揶揄する意味はないですが、マスメディアから発せられる雰囲気からは、明らかに『美しくない』というメッセージを感じます。それも容疑者が女性だからなのでしょう。
話変わって、容姿の話から、『ナッツ姫』と『金賢姫』という二人の姫の話に飛躍するのが、単純に、凄い!と思い、ちょっと笑ってしまいました。
こんなことを書くと怒られてしまいそうなのですが、金賢姫は本当に美人だと思います……それが同情を集める一因だったかも知れませんが、かの国では(与党は高齢者に人気のあるニューライト派ですが)、左派の声が大きいので、財閥叩き、北擁護の流れになったような気もします。半島情勢に詳しくないので、断定は出来ませんが……
最後に、『過剰に反応する私たちにも原因がある』のところで、『男性』ではなく、『私たち』という言葉を選んだところに、吾妻さんのスマートさを感じました。
吾妻さんの仰る通り、やはり女性が話題になる時、特に事件に関わった時には、その容姿について触れられることが多いですね。
まだ事件関係では用いられていない言葉ですが、ここ数年は『美人過ぎる』という形容が煩わしさを増していますので、時間の問題で『美人過ぎる詐欺師』も現われることでしょう。そしてネットなどで、『それほど美人じゃない』という会話がなされるのは、もはやテンプレートです。
文中では、『美人』という言葉だけがピックアップされていますが、ヒ素カレー事件の林容疑者、連続不審死事件の木嶋容疑者らは、『毒婦』と形容されています。毒婦という言葉自体に外見を揶揄する意味はないですが、マスメディアから発せられる雰囲気からは、明らかに『美しくない』というメッセージを感じます。それも容疑者が女性だからなのでしょう。
話変わって、容姿の話から、『ナッツ姫』と『金賢姫』という二人の姫の話に飛躍するのが、単純に、凄い!と思い、ちょっと笑ってしまいました。
こんなことを書くと怒られてしまいそうなのですが、金賢姫は本当に美人だと思います……それが同情を集める一因だったかも知れませんが、かの国では(与党は高齢者に人気のあるニューライト派ですが)、左派の声が大きいので、財閥叩き、北擁護の流れになったような気もします。半島情勢に詳しくないので、断定は出来ませんが……
最後に、『過剰に反応する私たちにも原因がある』のところで、『男性』ではなく、『私たち』という言葉を選んだところに、吾妻さんのスマートさを感じました。
gojpさん
ご感想ありがとうございます。
メディアに登場する本人が言い出したわけでもなければ、そんな呼び方を望んでいるとも限らないのに、マスコミの方で「美人過ぎる」と煽って、ネット上で「そこまで美人でもないのに勘違いしている」と揶揄するのはもはや恒例ですね。
確かにヒ素カレー事件や婚活サイト事件の女性犯人たちは一見してもう若いとは言えず、肥満気味の容姿だったので、「美人犯罪者とは言えませんよ」と揶揄する意味で「毒婦」と呼ばれている側面はあるでしょうね。
個人的には「毒婦」というと、「金瓶梅」の藩金蓮とか「里見八犬伝」の玉梓とか、江戸川乱歩の「黒蜥蜴」、西洋だと「三銃士」のミレディみたいな、むしろ美女悪役のイメージなので、前述の二人が「毒婦」と書き立てられていると違和感を覚えますね。
「大韓航空」と「美人犯罪者」のキーワードから、「ナッツ姫」と「金賢姫」が浮かび上がったのです。
そもそも、韓国・北朝鮮の「姫」は日本で言えば「子」に該当する字なのだそうで、女性名には良く使われる字ですよね。
金賢姫の記事を読んでいると、工作員仲間に「金淑姫」という名前があったりします。
「金」は朝鮮系で一番多い苗字ですから、「金賢姫」「金淑姫」は、日本人名にすれば、「佐藤智子」「鈴木淑子」みたいな感じでしょうか。
大韓航空機爆破事件が起きたのは私がまだ小さかった時で、金賢姫は韓国人(正確には北朝鮮人)として初めて名前を覚えた人です。
当時は彼女がマスコミに取り囲まれている映像を見て、
「綺麗な人が俯いて悲しそうにしている」と事情が分からないまま気の毒になりました。
「金賢姫死刑囚」というテロップが表示されると、映像中のまだ若く清楚な美人と「死刑囚」という恐ろしげな字面がどうにも噛み合わなくて、「どうしてこの人はこうなったのだろう」と不条理(という言葉を当時は知らなかったけれど)を覚えました。
「大韓航空機爆破事件」そのものが、ソウル五輪を控えた韓国の威信を傷付けるために北朝鮮が仕組んだテロだったそうなのですが、犯人である彼女の特赦もあるいは韓国政府による平和国家としての国際的なアピールを意図していた可能性はありますね。
彼女の存在自体が「北朝鮮が暴虐な体制である」事実の証明ですから、生き証人として利用する意図は明らかだと思います。
まだ若く美しい女性への同情が高まっていた民意もそこには組み込まれていたとは思いますが(ナッツ姫はもう四十歳ですが、事件当時の金賢姫はまだ二十五歳、今の金正雲夫人の李雪主と変わらない年配でした。金賢姫だって、あと二十年早くか、遅く生まれていれば、『将軍夫人』か『書記夫人』としてメディアに登場していたかもしれないのに……)。
「美人」というフレーズに過敏に反応するのは男女双方に言えることですから。
男性でも女性でも「美人」への思慕と嫉妬は紙一重だと思います。
ご感想ありがとうございます。
メディアに登場する本人が言い出したわけでもなければ、そんな呼び方を望んでいるとも限らないのに、マスコミの方で「美人過ぎる」と煽って、ネット上で「そこまで美人でもないのに勘違いしている」と揶揄するのはもはや恒例ですね。
確かにヒ素カレー事件や婚活サイト事件の女性犯人たちは一見してもう若いとは言えず、肥満気味の容姿だったので、「美人犯罪者とは言えませんよ」と揶揄する意味で「毒婦」と呼ばれている側面はあるでしょうね。
個人的には「毒婦」というと、「金瓶梅」の藩金蓮とか「里見八犬伝」の玉梓とか、江戸川乱歩の「黒蜥蜴」、西洋だと「三銃士」のミレディみたいな、むしろ美女悪役のイメージなので、前述の二人が「毒婦」と書き立てられていると違和感を覚えますね。
「大韓航空」と「美人犯罪者」のキーワードから、「ナッツ姫」と「金賢姫」が浮かび上がったのです。
そもそも、韓国・北朝鮮の「姫」は日本で言えば「子」に該当する字なのだそうで、女性名には良く使われる字ですよね。
金賢姫の記事を読んでいると、工作員仲間に「金淑姫」という名前があったりします。
「金」は朝鮮系で一番多い苗字ですから、「金賢姫」「金淑姫」は、日本人名にすれば、「佐藤智子」「鈴木淑子」みたいな感じでしょうか。
大韓航空機爆破事件が起きたのは私がまだ小さかった時で、金賢姫は韓国人(正確には北朝鮮人)として初めて名前を覚えた人です。
当時は彼女がマスコミに取り囲まれている映像を見て、
「綺麗な人が俯いて悲しそうにしている」と事情が分からないまま気の毒になりました。
「金賢姫死刑囚」というテロップが表示されると、映像中のまだ若く清楚な美人と「死刑囚」という恐ろしげな字面がどうにも噛み合わなくて、「どうしてこの人はこうなったのだろう」と不条理(という言葉を当時は知らなかったけれど)を覚えました。
「大韓航空機爆破事件」そのものが、ソウル五輪を控えた韓国の威信を傷付けるために北朝鮮が仕組んだテロだったそうなのですが、犯人である彼女の特赦もあるいは韓国政府による平和国家としての国際的なアピールを意図していた可能性はありますね。
彼女の存在自体が「北朝鮮が暴虐な体制である」事実の証明ですから、生き証人として利用する意図は明らかだと思います。
まだ若く美しい女性への同情が高まっていた民意もそこには組み込まれていたとは思いますが(ナッツ姫はもう四十歳ですが、事件当時の金賢姫はまだ二十五歳、今の金正雲夫人の李雪主と変わらない年配でした。金賢姫だって、あと二十年早くか、遅く生まれていれば、『将軍夫人』か『書記夫人』としてメディアに登場していたかもしれないのに……)。
「美人」というフレーズに過敏に反応するのは男女双方に言えることですから。
男性でも女性でも「美人」への思慕と嫉妬は紙一重だと思います。
- 吾妻栄子
- 2015年 01月25日 02時33分
[一言]
「プリンセス」の虚実を拝読しました。
拝読後、以前に比べてアンナ・アンダーソンについての評価はかなり難しいと正直、感じました。
おっしゃるとおり、「なろう」のファンタジー名物、異世界転生を現実にやった人物、あるいはアナスタシアがもし現実に生き延びたらという歴史のIFを叶えた人物と言えますね。その点、たしかにロマンを感じます(僕にはそういう視点ははなかったです)。
ただ、先生も述べられているように(「暗い」ロマン)アンナ・アンダーソンはドイツへ出稼ぎに来ていた貧しいポーランド人農家の娘であったこと。1930年代のナチスの台頭。彼女は結局アメリカへ逃げなければならなかった事情など現在の日本人ではあまりにも理解が困難な事柄をひとつずつ読み解いていかなければ結論が出せないように思いました。
ドイツとポーランドの関係はいわば日本と韓国の関係に似ていると言われています(僕の感覚からすればポーランドはかなりまともな国です。韓国と違い極右が非常に少ない。カソリックと小規模農民の国ですから右は大変多いのですが、感情的に過激な行動をする人間が非常に少ない。目立って知られているのは某ピアニストくらいです。その彼にしても国際サッカー試合のサポーターとして白赤のTシャツを着て過激な言動をしたり白赤のベストを着て自転車を乗り回したりするくらい)。
昔からポーランド人は特にドイツ人からはいわれなき中傷を受けてきました(ポーランド人を馬鹿にするエスニック・ジョーク、例の電球の取替に一人が電球を抑え何百人かで家を回すとかいうのはドイツ系アメリカ人が作ったものと言われています。実際、ポーランド人は教育熱心で、教育省を初めて作った国柄であり、分割統治され国が滅亡していた時期も「見えない大学」を有志でつくって無料で自国民を教育していたくらい非常に知的です)。また、レニという女性監督の撮った「民族の祭典」というベルリン・オリンピックの記録映画がありますが、その中でのポーランド人の女性陸上選手の扱いは完全に敵役です。
そんな雰囲気の中、アンナ・アンダーソンはどんな気持ちでアナスタシアを演じていたのか?
いずれにしても痛々しい印象が拭いきれません。
「プリンセス」の虚実を拝読しました。
拝読後、以前に比べてアンナ・アンダーソンについての評価はかなり難しいと正直、感じました。
おっしゃるとおり、「なろう」のファンタジー名物、異世界転生を現実にやった人物、あるいはアナスタシアがもし現実に生き延びたらという歴史のIFを叶えた人物と言えますね。その点、たしかにロマンを感じます(僕にはそういう視点ははなかったです)。
ただ、先生も述べられているように(「暗い」ロマン)アンナ・アンダーソンはドイツへ出稼ぎに来ていた貧しいポーランド人農家の娘であったこと。1930年代のナチスの台頭。彼女は結局アメリカへ逃げなければならなかった事情など現在の日本人ではあまりにも理解が困難な事柄をひとつずつ読み解いていかなければ結論が出せないように思いました。
ドイツとポーランドの関係はいわば日本と韓国の関係に似ていると言われています(僕の感覚からすればポーランドはかなりまともな国です。韓国と違い極右が非常に少ない。カソリックと小規模農民の国ですから右は大変多いのですが、感情的に過激な行動をする人間が非常に少ない。目立って知られているのは某ピアニストくらいです。その彼にしても国際サッカー試合のサポーターとして白赤のTシャツを着て過激な言動をしたり白赤のベストを着て自転車を乗り回したりするくらい)。
昔からポーランド人は特にドイツ人からはいわれなき中傷を受けてきました(ポーランド人を馬鹿にするエスニック・ジョーク、例の電球の取替に一人が電球を抑え何百人かで家を回すとかいうのはドイツ系アメリカ人が作ったものと言われています。実際、ポーランド人は教育熱心で、教育省を初めて作った国柄であり、分割統治され国が滅亡していた時期も「見えない大学」を有志でつくって無料で自国民を教育していたくらい非常に知的です)。また、レニという女性監督の撮った「民族の祭典」というベルリン・オリンピックの記録映画がありますが、その中でのポーランド人の女性陸上選手の扱いは完全に敵役です。
そんな雰囲気の中、アンナ・アンダーソンはどんな気持ちでアナスタシアを演じていたのか?
いずれにしても痛々しい印象が拭いきれません。
でれすけさん
ご感想どうもありがとうございます。
ドイツとポーランドの関係性については念頭にありませんでした。
確かにドイツに出稼ぎに来ていたポーランド人女工だったアンナ・アンダーソンことフランツィスカにとって、自殺を図ったベルリンの街そのものが既に冷たい異邦だったのでしょうか。
>例の電球の取替に一人が電球を抑え何百人かで家を回す
「ポーランド人は知能が低い」というドイツ人の蔑視感情の表れでしょうか。
私はポーランドというと、政治的には確かに不安定ですが、映画と小説の「灰とダイヤモンド」とか、美人ピアニストのクララ・シューマンといったむしろロマネスクで高尚なイメージがありました。
韓国のような激情的なイメージはありません(私の中では日本人が韓国人を蔑視するよりも、韓国人が日本人を過剰に敵視する印象がどうしてもあります)。
レニ・リーフェンシュタールの「民族の祭典」はナチス政権下に政策された、一種の国策映画だということは知っていましたが、実際に観たことはないので、そうした描写があることは知りませんでした。
もしかすると、「民族の祭典」が非難を浴びたのはそうした差別的な視点が露骨な作品だったからかもしれませんね。
アンナ・アンダーソンと実の兄弟たちを引き合わせたナチス政権としては、当初は「ロシア皇女の生き残り」を利用する意図もあったそうですが、彼女の出自に怪しいものがあるので結局は見送ったようです。
ナチス政権のその後を考えれば、むしろ、その方がアンナにとっては良かったと言えます。
しかし、「ポーランド人の出稼ぎ女工のフランツィスカ」としての自我や記憶が明確にありながら、アンナがロシア皇女アナスタシアを最期まで演じていたとすれば、ベルリンで爆発事故に巻き込まれるまでの前者としての人生は、彼女にとってどれほどうらぶれた寂しいものであったのか。
老いて精神の均衡を再び崩しても、フランツィスカとしてのアイデンティティを口にすることなくアメリカで死んでいったところに、私も痛ましさを覚えます。
ご感想どうもありがとうございます。
ドイツとポーランドの関係性については念頭にありませんでした。
確かにドイツに出稼ぎに来ていたポーランド人女工だったアンナ・アンダーソンことフランツィスカにとって、自殺を図ったベルリンの街そのものが既に冷たい異邦だったのでしょうか。
>例の電球の取替に一人が電球を抑え何百人かで家を回す
「ポーランド人は知能が低い」というドイツ人の蔑視感情の表れでしょうか。
私はポーランドというと、政治的には確かに不安定ですが、映画と小説の「灰とダイヤモンド」とか、美人ピアニストのクララ・シューマンといったむしろロマネスクで高尚なイメージがありました。
韓国のような激情的なイメージはありません(私の中では日本人が韓国人を蔑視するよりも、韓国人が日本人を過剰に敵視する印象がどうしてもあります)。
レニ・リーフェンシュタールの「民族の祭典」はナチス政権下に政策された、一種の国策映画だということは知っていましたが、実際に観たことはないので、そうした描写があることは知りませんでした。
もしかすると、「民族の祭典」が非難を浴びたのはそうした差別的な視点が露骨な作品だったからかもしれませんね。
アンナ・アンダーソンと実の兄弟たちを引き合わせたナチス政権としては、当初は「ロシア皇女の生き残り」を利用する意図もあったそうですが、彼女の出自に怪しいものがあるので結局は見送ったようです。
ナチス政権のその後を考えれば、むしろ、その方がアンナにとっては良かったと言えます。
しかし、「ポーランド人の出稼ぎ女工のフランツィスカ」としての自我や記憶が明確にありながら、アンナがロシア皇女アナスタシアを最期まで演じていたとすれば、ベルリンで爆発事故に巻き込まれるまでの前者としての人生は、彼女にとってどれほどうらぶれた寂しいものであったのか。
老いて精神の均衡を再び崩しても、フランツィスカとしてのアイデンティティを口にすることなくアメリカで死んでいったところに、私も痛ましさを覚えます。
- 吾妻栄子
- 2015年 01月03日 17時06分
[一言]
豊田商事の事件は、今でも覚えています。
事実は小説よりも奇なり
と、よく言ったものです。
確か、番組でその賠償金の特集をやったのを、覚えています。渇いたタオルを絞って回収したお金を被害者に分配したというのがありました。
確か、プロジェクトXかな
堀江さんの事件は、堀江さんのワンマンやりすぎで、出る杭は打たれたなと思いながら見てました。
これだけの事が出来る、頭脳の使い道を間違えていると思って見ていた自分がいました。
豊田商事の事件は、今でも覚えています。
事実は小説よりも奇なり
と、よく言ったものです。
確か、番組でその賠償金の特集をやったのを、覚えています。渇いたタオルを絞って回収したお金を被害者に分配したというのがありました。
確か、プロジェクトXかな
堀江さんの事件は、堀江さんのワンマンやりすぎで、出る杭は打たれたなと思いながら見てました。
これだけの事が出来る、頭脳の使い道を間違えていると思って見ていた自分がいました。
クレヨンさん
ご感想ありがとうございます。
私は未見ですが、プロジェクトXで取り上げられたことはあるみたいですね。
豊田商事の永野会長は確かに自業自得と言えますが、生きて詐欺や利益配分の全容が明らかになれば、被害者への賠償ももっと良い方に変わった可能性があったと思います。
堀江氏については最盛期にライブドアのサイトを見て、ヤフーの拙劣なコピーとしか思えないような貧弱な仕様に驚いた記憶があります。
女性広報と一緒に出てきて挑発的な発言を繰り返す行動からも、むしろ余裕のなさやコンプレックスめいたものが感じられました。
そもそも露出の仕方自体が、例えば、ジャパネットたかたのように社長自ら広報役というか売り子として出てきて商品のアピールをするといったものではなく、いかにもタレント的というか、単に本人たちがテレビに出たいから出ているといった印象を受けるものでした。
ライブドア騒動で逮捕された幹部たちの供述を見る限り、堀江氏は実質的な経営面においてはメディアの印象ほどワンマンではなかったようですが、どうも彼と他の幹部たちの間には齟齬があったようです。
私も堀江氏はもっと活躍するポテンシャルが残されている人だと思います。
ご感想ありがとうございます。
私は未見ですが、プロジェクトXで取り上げられたことはあるみたいですね。
豊田商事の永野会長は確かに自業自得と言えますが、生きて詐欺や利益配分の全容が明らかになれば、被害者への賠償ももっと良い方に変わった可能性があったと思います。
堀江氏については最盛期にライブドアのサイトを見て、ヤフーの拙劣なコピーとしか思えないような貧弱な仕様に驚いた記憶があります。
女性広報と一緒に出てきて挑発的な発言を繰り返す行動からも、むしろ余裕のなさやコンプレックスめいたものが感じられました。
そもそも露出の仕方自体が、例えば、ジャパネットたかたのように社長自ら広報役というか売り子として出てきて商品のアピールをするといったものではなく、いかにもタレント的というか、単に本人たちがテレビに出たいから出ているといった印象を受けるものでした。
ライブドア騒動で逮捕された幹部たちの供述を見る限り、堀江氏は実質的な経営面においてはメディアの印象ほどワンマンではなかったようですが、どうも彼と他の幹部たちの間には齟齬があったようです。
私も堀江氏はもっと活躍するポテンシャルが残されている人だと思います。
- 吾妻栄子
- 2014年 12月20日 21時35分
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