感想一覧

▽感想を書く
感想絞り込み
全て表示
<< Back 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 Next >> 
[一言]
後に木曽方の挙兵があったとして、平家の非主流閥
重盛、頼盛なんかに繋がりを持っているから、後々
活きてきそうね。重盛自身は無理だけど(体調的に)
息子一族辺りが協力してくれたりしてね
平家の一族結束が崩れるフラグかな?
  • 投稿者: 宗近
  • 2016年 10月14日 23時46分
感想いただきましてありがとうございます。

はい、平氏の結束崩壊フラグですね。
また、北陸は平氏の重要な食料庫であったのですが、それも合法的にこちら側に入れられるかもしれません。
実はこの時代東海道より北陸のほうが栄えていたようです。
  • 水源
  • 2016年 10月15日 00時36分
[一言]
後白河院は信西に暗君って称されるくらい実際アレ
ですからね。色々逸話もありますが、このかたは
かなりKYですよね
  • 投稿者: 宗近
  • 2016年 10月14日 08時54分
感想いただきありがとうございます。
本来後白河天皇は鳥羽法皇が崇徳天皇の子供になんとしても皇位を継がせないようにするために天皇にしただけのお飾りの中継ぎでしかなかったことを考えると悪いのは白河と鳥羽だとは思います。
が、後白河が自分お地位を守るために色々やった結果が頼朝の鎌倉幕府開設と守護地頭の設置による朝廷の凋落というのは皮肉ですね。
  • 水源
  • 2016年 10月14日 17時02分
[一言]
戦略に諜報に防諜ですか
現代知識チートが使いにくい類の分野ですね

コンピューターや電子機器がでてくるまでは
この分野の革新はないのでオカルトを使わないなら優位性はあまりないでしょうねぇ

教科書的歴史でなく裏の歴史のようなものを考えれば
この分野は朝廷や公家の得意分野でしょう

いくら保守的な人間の多い日本でも
そういった暗殺も含めた諜報活動なしで武力もない公家が命脈を保ち続けるのは困難だったでしょう

武家勢力が利用価値を朝廷に感じていたにせよ
幕末の公武合体のような公家の取り込みが千年近く試みられなかったのは人種的確執やそれを利用した諜報活動が存在したからという説があります

公家が唐や古代朝鮮からの大陸系渡来民の文化を持つ「天津神」を奉じ

地方豪族や武家が縄文系や南方系やたたらにユダヤやペルシャなど多くの少数民族で帰順した「国津神」を奉じ


それ以外の朝廷勢力に反した山の民ばどの民族が「まつろわぬ神」を奉じ

「奥州」の豪族やアイヌなどの民族は僻地へ朝廷勢力によって追いやられているのは事実です



その中にユダヤの失われた十氏族などもいたのでは?

などと面白そうなネタとセットで語られて
とんでも理論あつかいされがちですが

日ユ同祖論などはともかく
「昔の人間は素朴で卑怯な行いはしない」などと考えるには
日本の歴史も血塗られすぎています

朝廷に帰順して耐え続ける事を選んだ農民文化を持つ人間以外の
「有形無形の暴力を生業とする武家や公家」といった軍人文化の人間は「生きるために脅し奪い殺す」といった業を背負った人間達です

「必要悪」であるか「悪」であるかの違いはあれど
決して「善」ではない彼らは
自分達の必要性を「義」として争いあう文化の一員で

「必要悪」に「正義」と名づける欧米の文化侵略が一般化した現代に至るまで

そういった文化の継承者に日本は征服され続けているのは
「支え配る」という意味で使われていた「支配」という言葉が今では「征服」と同義語として使われているのを考えれば

疑う余地はないでしょう

そういった文化を持つ利権組織が
「諜報は卑怯」という常識を広めているのこそが「諜報を独占するための諜報活動である」と考えるのは自然な気がしますねぇ




  • 投稿者: OLDTELLER
  • 2016年 10月13日 14時50分
感想いただきありがとうございます。

いわれる通りこの分野は巴が引用しているように孫子の時代ですでに完成している分野ですので、現代知識の優位性はあまりないですね。
しいて言うならば日本の地理や各地にいる豪族戦力を知ってきるということが、優位になる要素だとは思いますが。

頼朝の母の由良午前が待賢門院や上西門院につながりがあるため頼朝は鎌倉にいながら京都野の状況をかなり詳しく知っていたようです。

頼朝自身が相模から房総半島ぐらいまでは自由に動けたらしいことを考えれば、関東における情報の優位性はあまりなくともこの程度の情報網は引いておくべきでしょうね。
  • 水源
  • 2016年 10月13日 20時29分
[一言]
更新お疲れ様です。頼朝を討つ機会は石橋山の合戦が最初で最後の機会なので大庭景親と梶原景時の元に草(スパイ)を送り込み梶原が頼朝を見逃したのを梶原側の草が大庭景親に報告し史実では大庭景親が頼朝のいる洞窟を怪しんで中に入ろうとしたら景時が私を疑うのかと立ち塞がったので草が景時は頼朝を発見して恩を売っていると言い草が頼朝を発見すれば頼朝を討ち取り景時は裏切り者として死罪になり東国で河内源氏の正統者は義仲になるので東国統一が早まるし、景時の讒言等で失脚した義経、上総、畠山等の御家人が助かると思いますがどうでしょうか。景時は讒言で頼朝に重用されたのですから讒言で処刑されるのも一向かも。
  • 投稿者: motomura73
  • 2016年 10月12日 10時58分
感想いただきありがとうございます。
たしかにそろそろ草を送り込んでもいい時期ですね。
ただ大庭景親に讒言できるほどの地位につけそうな草を送り込むのは難しいかもしれません。
  • 水源
  • 2016年 10月12日 19時07分
[一言]
初めまして全話まで読みましたが転生物だと戦国時代が相場ですが平安時代後期とは斬新で良いです。巴は義仲が史実で悲惨な死を回避の為に行動して居ますが義経は仲間にしましたが頼朝は身内争いを見て弟と言えども御家人扱いにして範頼、義経を粛正して弟の死で悲しんだのは同母弟の源希義だけだったそうですが義経以外の他の頼朝の弟に頼朝の本性を教えて猜疑心が強く身内の粛正をすると教えて義仲の味方にすれば面白いと思うのですがどうでしょうか。更新を楽しみにしてます。
  • 投稿者: motomura73
  • 2016年 10月11日 00時53分
感想いただきありがとうございます。
範頼以外の頼朝の弟というとまずは阿野全成と義円つまり義経の実兄たちですね、この二人は義経の呼びかけと寺への連絡でなんとかなるかもしれません。

希義は流刑地が土佐なので正直難しそうです。

範頼は実は大群を率いる将軍としても政治家としても結構有能な人なので仲間に引き入れたいところではありますが、志田義広と敵対している小山市の領地に住んでいたことになりそうなのでこれも難しいかもしれません。

なんとかうまく仲間に入れられないか考えてみますね。
  • 水源
  • 2016年 10月11日 01時39分
[良い点]
一話から読みました!。かなり面白いです
義仲と巴の仲はいいですねえホント
そういや、義経がいるんですっけ、義経にとっては
兄貴肌で武辺物な義仲の方がいいかもしれませんね
頼朝は武の人ではなかったから、根本的に義経とは
合わないのは、史実が証明してますからね
これからも楽しみにしてます!
  • 投稿者: 宗近
  • 2016年 10月10日 15時08分
感想いただきありがとうございます。
面白いと言っていただけ嬉しいです。

義仲と巴の仲はほんと良いですよね、一種の家族ですし。

義経もおっしゃる通り頼朝の下より木曽のほうが動きやすいと思います。

頼朝はその経歴から人間を信じるということシませんでしたが、義仲はその正反対なので。

これからもよろしくお願いいたします。
  • 水源
  • 2016年 10月10日 16時27分
[良い点]
数学・・・算数
アラビア数字暗記しているだけでエリートじゃないか
というかアラビア数字の使用って決められていましたっけ?
地獄の訓練のあたりだとざっとした訓練内容だけだったし

九九の前にアラビア数字 漢数字 書式対応させないと
多分誰も読めない気がします

あと当時は9X9が最初にきますので 九九といいます
掛け算と割り算の算木をつかった九九とか問題がのっていますね
「孫子算経」中国算書
[一言]
巴様 いくつかの誤字など

日本の歴史と院政と崇徳天皇

>九州、四国、中国地方は1000年の間無人の荒野となりました

以降数カ所で でした「。」の句読点が有ったりなかったり
しています

豌豆瘡への対処と食料状況のさらなる改善

>さてさて、そろそろ養和の飢饉なぞの天災に続く戦乱に
さてさて、そろそろ養和の飢饉などの天災に続く戦乱に

空へのあこがれ・滑空模型と人力飛行機

>滑空
>空を滑空

滑空そのものに空を動力無しで渡るという意味があるので
頭が頭痛 になっています
あと滑空の言葉も飛行機器ができてからの言葉なので
「空を飛ぶ」とか「空を渡る」
とか使う方がそれっぽい気がします

父母の様子と常陸行

>最後国向かったとき
西国へ向かったとき
感想いただきありがとうございます。
また誤字脱字の指摘いつもありがとうございます。

確かにアラビア数字を覚えさせるほうが先ですね。
ただ覚えてしまえば計算の時の記入はずっと楽になるはずです。

二百参拾五たす二百五拾二は四百八拾七
とかよりは
235+252=487
のほうがたて計算しやすいですしね。

当時の九九がは9X9が最初に来るのは知ってます。
あえて現代の中国指揮九九表にしたのはこの方が合理的だと考えたからです。
  • 水源
  • 2016年 10月09日 19時29分
[一言]
事務チートですか
管理方式を近代化するにも紙の価格が高すぎますからねぇ

実用レベルだと珠算と複式簿記くらいまででしょうか

グラフや高等数学を応用したものだと
巴に知識があっても伝授の時間が数千時間単位になるし
その期間で数十人を育成する事を考えれば教育コストが高くつきすぎるうえに

紙の大量生産となるとエネルギー確保から薬品生成用の工業設備からと文明レベルを上げないとコスト面で無理があるでしょう

当然、農業の生産性もあげないと周辺へ侵攻しないといけないハメになるので養える石高を考えると……

中世文明を支えるのは農業技術と
それによって養われる農業に従事しないでいられる余剰人口

歴史を語るのが征服者階級の武家ばかりなので
農家の歴史については民俗学で一部で語られるだけですが
当時の人口の大半は戦う人間を苦労して養う農家

そういった見方をするとチート知識を反映させる限界も見えてきます。

軍産複合体や武家貴族による征服型階級社会では
今も昔も金とコネが生産活動には重要ですからねぇ

  • 投稿者: OLDTELLER
  • 2016年 10月08日 05時14分
感想いただきありがとうございます。

はい、そういうこともありますので当面物資の集積地の兵糧や武器の管理の出納業務は単式簿記、木曽松本全体の管理は複式簿記で考えています。

どこの米蔵や武器庫ににどのくらいの兵糧や槍などがあるか把握できないと、専業兵士制度は取れないと考えていますので。

なので鉄砲の大量生産もやりません。
鉄砲を大量生産しても火薬や弾をきちんと管理し部隊に対して手配できないと宝の持ち腐れになる可能性が高いですからね。

戦国期の鉄砲の普及によって大名家の武器弾薬の管理や輸送の重要性が増えるまでは武器も食料もシュケが管理するのではなく豪族などにに持ち寄らせる方式で、実際の所兵糧などはまったくどんぶり勘定でしたからし現地徴発が基本でしたので、気がついたら食料がないなんてともしばしばでした。

なので私は戦国期における最高の天才は織田信長ではなく豊臣秀吉だと思っています。当時の人間で戦争は戦闘行為ではなく経済行為であると考えていたのは彼だけではないでしょうか。

何れにせよ紙は検地や戸籍情報の集積にも必要なので、水車を用いた、工業的な生産方法の確率は必要ですね。

農業技術の大陸からの輸入によって他の勢力の支配下より収穫は相当上がっていますが、それによって農業に従事しないでいられる余剰人口の確保が農業チートや水車チートの目的ですね。
脱穀が早く終わればそれで紡績や製紙に従事できる人口が増えますので。

貴族による階級社会が壊れかけている平安末期でも、財力とコネは
とても大事です。
なので善光寺に法親王を呼ぶ活動をしたり、八条院の名前で薬院をひらいたり重盛や頼盛を治したりしているのですね

まあ、巴の場合中原という実務的な官職をかなり独占していた家系に生まれたと思われているのも幸いだと思います。
周りからそういったことができてもおかしくないと思ってもらえますからね。
  • 水源
  • 2016年 10月08日 19時25分
[良い点]
お疲れ様でした。


まだタイヤも作れないでしょうから、幅の広い雪車の足の方が安定しますよ?(木製や金属タイヤだとゴムタイヤと違い、着地の衝撃を吸収できずに車軸が折れますよ)
感想いただきありがとうございます。
実際バネによるサスペンションやゴムのタイヤでないと車軸が折れますね。
もう一度人力飛行機を出すときにそういう描写になると思います。
  • 水源
  • 2016年 10月07日 03時46分
[良い点]
人力飛行機が一発で成功したのは、転生前の経験が生かされた設計と、巴本人の超人的な体力がうまく噛み合った結果でしょうか?
  • 投稿者: 安土 舞也
  • 40歳~49歳 男性
  • 2016年 10月06日 17時47分
感想いただきありがとうございます。
はい、転生前の経験と巴のチート的な体力の組み合わせのおかげですね、あとは帆布と呼ばれる厚くて丈夫な大きな布を作る技術をすでに組み上げているのも大きいです。
船の帆は筵でなんとかなっても、飛行機の翼は流石に無理ですし。
  • 水源
  • 2016年 10月06日 19時40分
<< Back 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 Next >> 
↑ページトップへ