エピソード87の感想一覧

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まぁ、この感想書いてるタイミングでは既に先まで書かれてるから特には……

私個人としては言葉遊びは面白いし、大体の作品で「神将」「軍神」と恐ろしい程に強いとされてる関羽をこれでもかとこき下ろしてるのは新鮮で面白い。そもそも歴史というよりも特定の1個人から見た物語に近いわけで。

三国志全体を見てると言うより、糜芳(米田優斗)から見た後漢末期〜三国時代の変遷を見てる感じだと思ってます。
  • 投稿者: 悲恋
  • 23歳~29歳 男性
  • 2025年 06月02日 23時32分
[一言]
典型的な確証バイアスに陥ってるじゃん
しかもこの作者は持論を補強する情報とそれ以外に分別しているだけじゃなく、フィクションとノンフィクションの違いも分からなくなってるっぽい
  • 投稿者: ステカセ
  • 2024年 10月06日 07時53分
[一言]
仕事場から抱えてきたストレスを
読者にまでおすそ分けしなくていいからw
  • 投稿者: 退会済み
  • 2024年 09月24日 14時27分
管理
[一言]
中国史好きだから
半日かけてバ〜っと読んでみたけど
読み進めて行くにつれて
雲行きが怪しくなってきて
最終的にこのepの後書きで
トドメを刺されました

切ります
  • 投稿者: ムカシヤンマ
  • 2024年 09月08日 16時13分
[一言]
関羽信仰の興りは怨霊信仰ではなく、よくあるタイプの英雄信仰だゾ。最初期は武神として祀られ、南北朝時代(439年〜589年)には関羽にまつわる聖剣伝説(アーサー王のエクスカリバーのコンパチみたいな内容)等、様々な民間伝承が誕生したんだゾ。古い演義の内容を見ると、この時代に生まれた伝説をパクったエピソードが盛り込まれて居るゾ。

唐代の782年には、六十四将に数えられ、太公望の従神として祀られたゾ。三国時代の将としては十指に数えられる様な扱いだから、この時点で既に軍人として高評価を得て居たみたいだゾ。

北宋南宋時代には、異民族に国威を大きく傷付けられていた当時の中華の事情を背景として、政治的思惑から漢民族の守護者として扱われ始めるゾ。朱子学の祖である朱熹によって蜀漢正統論が唱えられると、劉備や諸葛亮の陰に隠れながらも少しずつ儒教的神格化が進み出し、次第に歴代の中華の支配者達の人気取りの道具にされる形で祀り上げられる様になって、どんどん訳の分からない肩書きが増えて行ったゾ。この辺りは知れば知る程余りの馬鹿さ加減に笑えて来るゾ。

そして、関羽信仰に置いて何よりも重要なのが、関羽の出身地である山西の商人達による信仰だゾ。この地は中華最大級の塩の産地で、関羽が塩池を守護しただとか、関羽が水害から山西の地を守っただとか、ある種の地方にありがちな伝説が広まり、元代の頃には、関羽は水神として篤く信仰される存在になったゾ。
儒教の影響もあって、中華に置ける商人の社会的地位が低かったのは知っての通りだゾ。商人は幾ら豊かになろうと所詮は被差別階級に過ぎず、常に白眼視される存在だったゾ。洋の東西を問わず、金回りの良い者は妬まれる存在で、周囲から薄汚い卑怯者と罵倒されるのは当たり前で、時には人並みの尊厳すら蔑ろにされ、常日頃から人間の醜い悪意に晒されて肩身の狭い思いをするんだゾ。
そんな中で、関羽信仰は商人達の精神的柱石、或いは自我同一性として機能する様になるゾ。上は帝室、下は庶民から慕われる存在である義の人・関羽を信仰の対象としている事は、凡ゆる層から"ウケ"が良く、その伝導者たる山西商人達は、自分達は関羽同様の「信義」を持つ集団だと示す事で社会的な「信用」を生み出し、差別を跳ね除け次第にその立場を向上させて行き、マネーパワーと強固な横の繋がりを背景にして、政治家や軍人をガンガン排出して行くアグレッシブな集団へと進化するゾ。はっきり言って、これが関羽と言う人物最大の「功績」と評価して良いと思うゾ。…言い過ぎゾ?

明代になると、山西商人達は権力者と接近(有り体に言えば癒着)し、政商として暗躍する様になるゾ。明代に関帝廟が中華全土へ広がったのは、この時代に産声を上げた三国志演義の影響も勿論あったけど、同時期に中華全土へ販路を広げた山西商人達の影響の方が強いゾ。商人達は金に物を言わせ商い先で関帝廟をおっ建てまくって、商売と並行して布教活動に勤しんで居たゾ。忠義に厚い関羽の信仰が広まる事は、国家の指導者側からしても大変都合が良い事だゾ。これには儒の理想郷を作ろうとしていたキリングマシーン・朱元璋も珍しくニッコリだゾ。

続いて、清代には関羽信仰が絶頂期に達するゾ。既に明代には帝号を得ていた関羽だったが、この頃には、儒教、道教、仏教に置いて大々的に大神として扱われる様になり、関羽の子孫達にまで爵位が与えられ、1730年には関帝廟が孔子の文廟と並ぶ存在に制定されたゾ。因みに、縄で縛られたり鎖で繋がれたり首枷を嵌められたりした糜芳と士仁の像がある関帝廟が増えたのも、丁度この頃だゾ。(個人の偏見だけど、中国人は日本人以上に、こういう勧善懲悪ザマァ系の話が好きなんだと思うゾ…。)
そして、清の最大版図を築いた乾隆帝は、関羽が好き過ぎて公然と自分の父祖よりも敬う様になり、遂には正史三国志の改竄にまで手を染めるゾ。最終的に、関羽は清末の1879年「忠義神武霊祐仁勇威顕護国保民精誠綏靖翊賛宣徳関聖大帝」となるゾ。
こんな関羽本人もドン引きしそうなあたおか案件の数々が、漢民族の不満低減に一定の効果を示して居たと言うのだから、何とも面妖な話ゾ。…阿片のせいゾ?

清が崩壊して商人の力が弱まり、中華全土が混乱期になると、遂に関羽信仰は低迷…しなかったゾ。今度は当初の信仰に近しい武神・守護神として扱いが強まるゾ。
中国暗黒期の民草達は苦境の中で関羽に縋り、文字も読めない無学な農村部の貧民まで関羽を信仰する様になって、厳かな「関帝」の姿から、生活と隣り合わせのより身近な「庶民の守護者」の姿になるゾ。多分これが一番まともな関羽信仰の在り方だと思うゾ。
更に、無政府状態となった中華各地で台頭した軍閥の長達も関羽を軍神として敬い、熱心に信仰するゾ。彼等は常に武運長久を関羽に祈り、これから戦う相手同士がどちらも関羽に戦勝祈願する有様だったゾ。蒋介石は撤退先の台湾にまで関羽信仰を持ち込み、盛んに振興を行った為、現在の台湾には100ヶ所以上の関帝廟があるゾ。タイム誌の表紙を飾り「中国最強の男」とまで称された北洋軍閥直隷派の領袖の呉佩孚は、屡々自らを関羽の生まれ変わりと周囲に吹聴して悦に浸って居たゾ。余談だけど、確かに呉佩孚は関羽並の強さを誇ったが、関羽なんか目じゃない程気難しい人物で、それが自身の凋落の要因の一つになったゾ。案外本当に関羽の生まれ変わりだったのかも知れないゾ。

商人達からの仁義を重んじる商いの神・関羽に対する信仰と、庶民からの弱者の守り神・関羽に対する親しみ、軍人達からの忠誠心に溢れる軍神・関羽に対する敬愛は、今日の中国人に迄しっかりと根付いており、中国国内のみならず各国の中国人コミュニティの中心には必ず関帝廟があって、中国人のネットワークの中心部として機能しているゾ。(ぶっちゃけ、中国人が身内以外に愛想悪くて高飛車な振る舞いが多いのは、信仰する関羽の人格が影響しているのではないかと、中国や各国のチャイナタウンに行く度に邪推してしまうゾ…。)
だから、関羽信仰を虚構や着色に塗れた信仰と安易に断ずるのはノンデリだゾ。伝統と文化に裏付けされた歴史ある信仰であって、関羽は中国人の心の支えであり、精神的な守護神である事は確かな事実だゾ。横浜中華街の関帝廟にでも行ってみれば、何と無く華僑の関羽に対する温度感が分かると思うゾ。Googleマップの★の数が脅威の4.2だゾ。組織票ゾ。でも、近くの店で売っている胡麻団子が安くて美味いゾ。
  • 投稿者: 退会済み
  • 2024年 08月14日 19時31分
管理
[気になる点]
関羽の一族は、関平は戦死、関興は早世、関索は正史では存在すらせず、関興の嫡子の関統は子が無いまま死亡し、最終的には関興の庶子の関彝が辛うじて血の命脈を守る程弱体化しているのだから、態々陳寿が気を使う必要も無い気がするが?
"狗の子に虎の子はやれぬ!"を筆頭とする関羽に軍事及び外交的責任を押し付ける為の逸話の数々は全て後世の創作なのだが、その辺の事情は理解しているのだろうか?
更に言うなら、関羽の一連の軍事行動に劉備の意思が介在していない証拠は無く、寧ろ両者は明確に連携しているのだが?
そもそもの話、既に指摘している読者が何人もいるが、関羽は劉備から荊州の攻略を指示されているのだが、作者は遥任の意味すら理解していないのではなかろうか?
  • 投稿者: カリーニン
  • 2024年 08月13日 19時56分
[一言]
思想が強いッ!!!!
  • 投稿者: Alarm Clock
  • 2024年 08月09日 17時37分
[気になる点]
う〜ん・・・・

と思って感想欄を開いてみたら

・・・・案の定炎上していた!

そして指摘したかった事は既に大体指摘されていました。

そうそう、そういう事が言いたかったんですよ、うん。
(言いすぎの人もいるけど・・・・)

なので、私個人から新たに書き込む事は無かったみたいです。
(書き込んでるけど・・・・)
  • 投稿者: 退会済み
  • 2024年 08月09日 15時36分
管理
[気になる点]
本来アンチと言う存在は、ファンよりも対象の事に詳しい物だが、こちらの作者様は関羽の事績を然程調べていない様子。
多分きっと恐らく、本来は関羽自体が憎い訳でなく、関羽を通す事で、現実世界で関わった特定の個人に対して報復する事が目的なのではなかろうか。
(この点についてはご自身でも半ば仄めかされているが)
要所要所で垣間見える粗は、関羽と特定の個人の人格像を強引に重ね合わせた結果、こうして悪目立ちする形で生じて仕舞った物に他ならないだろう。
  • 投稿者: 退会済み
  • 40歳~49歳
  • 2024年 08月09日 15時30分
管理
[一言]
え?何この怪文書は…(困惑)
  • 投稿者: 退会済み
  • 2024年 08月02日 12時03分
管理
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