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[一言]
>たとえば『人類愛』がテーマだとして、『人類愛ってこんなに素晴らしいんだ』とか『人類愛タヒね』がメッセージだと思います

作家の認識としてはそうなんですけどねー。まあ自分の常識が全てだと言われればそうですかとしか言いようが無いですが。
  • 投稿者: モグラーや
  • 2023年 04月03日 08時02分
メッセージソングとかあるじゃないですか。

『頑張ろう』とか『自殺を思いとどまって』とか『いじめはやめよう』、あるいは『愛は素晴らしい!』みたいなことを伝えようとする歌。

メッセージソングと特に銘打ってない歌にもメッセージはあると思いますが、殊更『メッセージ』という時にはそういうのを指すのだと思いました。
[一言]
はじめまして…でもないか(?)…。

「小説にメッセージを込めるべきか (しいなここみさんのエッセイを読んで)」というタイトルのエッセイを投稿しました。特に批判というわけでもなく、肯定というわけでもないですが、報告しておきます。

「小説にはメッセージ性がなければいけないのか」を読んだ時に私は「メッセージ性=テーマ性」と誤解していたようなので、それに関しては注で追記しておきました。
はじめまして!(^o^)←

私のエッセイ等に勝手にお名前を出しておりますが、すみませんm(_ _;)m
(ちなみにユングのタイプ論を用いてなろう作家さんの性格を決めつけてみる!みたいなエッセイ等です)

あちらに感想書かせていただきました。
よろしければ返信をくださいませ(ドキドキ)
[気になる点]
あくまで、一個人の考えとしてどうか読んでください。

私は、メッセージ性のある小説がそうでない小説より評価されがちだとしても、それはごく自然なことだと思っています。
それは、小説自体の問題というよりは、書き手の技量の問題が関わってくるからです。理由は以下。


①メッセージを形に出来ることは、明確な技術である。

芸術・美術と小説は違いますしその辺りはまた後程書きますが、「表現」を扱うジャンルとして一旦ここでは並列して考えます。
絵や彫刻を嗜む人は、当然そこに表現したい何かがあるはずです。無ければ、真っ白なキャンバスのまま、あるいは、削られていない石膏の原形のままでいいわけですから。
そして、表現したいメッセージを実際に形に出来るというのは、これは明確に技術・技量があるわけです。書きたい思いがあるのに書けないのではなく、少なくとも自分の満足のいく形に仕上げることができているわけですから。

そして、「出来ることが多い人」と「出来ることが少ない人」を比較した時、前者がより評価されることは自然な事であり、当然、その人が作る創作物により注目が集まるというのは、悪いことでも何でもない、ごく当たり前の現象なわけです。


②「芸術や詩」と「小説」は厳密には同列に考えるべきではない。

作者さんは、作中において現代詩を例に、そのメッセージ性の曖昧さを理由として挙げられています。
ですが、私も上では両者を並列して記述しましたが、とはいえ、やはりこの二つには異なる性質があり、区別すべきだと考えています。つまり、前者は後者に比べ、読者の解釈への依存度が非常に高いということです。

絵にしろ彫刻にしろ、芸術というのは基本的に言葉ではなく「かたち」を提示して評価してもらうわけです。
そこにいかなるメッセージが込められたとしても、結局は見る人次第でそんなものはいくらでも歪んで伝わる可能性がある訳です。むしろ正確にくみ取ってもらえる方が少ないと思います。つまり、作者さんが言うところの「小説じたいがメッセージを発する」ということですね。
また、詩にしても、作者さんはその道に詳しいようなので釈迦に説法かも知れませんが、直接的な表現を避けた、いわば感性的な所が多いに反映された性質を持っている分、こちらもまた読む者に様々な解釈を与え得るでしょう。

一方、物語としての小説の場合、それがどんなジャンルであれ、基本的には分かり易く、そして伝わりやすい表現を前提にしている側面が強く、ゆえに、そこに込められたメッセージというのは、ある程度を読むことで(誤差はあるでしょうが)自然と読者の心に伝わっていくはず。

そして、ここでもやはり書き手の技量というのが関わってくるわけで、伝えたいメッセージを自然な形でスッと読者の心に浸透させることができる人と、伝えたいメッセージはあるのに満足のいく形に持っていけない人とでは、「表現力」において差があるわけです。
であれば、①で書いたことと同様に、出来ることが多い人の、つまりより豊かな表現の幅を持っている人の作品が評価されがちになることも、それはそれで仕方のないことなんです。

無論、ここで言う「技術」「表現力」というのは、あくまで相対的な意味合いで解釈すべきなのは事実です。幼稚園児が満足のいく形で描いた絵と、プロの画家が満足のいかなかった絵とでは、明らかに後者の方に客観的なレベルの高さが見られるのは明確なわけですから。
ですが、たとえ主観的、つまり「己の中」だけでの問題だとしても、上手く出来ないよりは上手く出来た方が、少なくとも自己評価としては高くならざるを得ないでしょう。


つまり、長々と何が言いたいのかというと、失礼ながら作者さんは、メッセージ性のある小説が書けないことで技量の無さを己の中に感じてしまっており、「メッセージ性の薄い小説の価値」を高く捉えるように自身に言い聞かせることによって、心の安寧を得るための免罪符としてしまっているのではないかということ。厳しい言い方をすると、要は言い訳を探しているんですよ。

創作物なのだから、受け取り手の解釈に委ねるところが多かれ少なかれあるなんて言うのは、当たり前のことです。分野によってその度合いに違いがあるだけで。
ですが、己の中にあるメッセージというのを形にするのは、その創作物自体に価値があるとかないとかいう話ではなく、「それができるという技術自体」に価値があるんですよ。資格を多く持っていう人が好待遇で迎えられるのと同じです。武器は多い程、どんな世界であれ生き残るのに役立つんです。


私は、メッセージ性の高い小説がそうでない小説よりも価値があるとは思いませんし、逆もまた然りです。
ですが、「やろうと思えば出来るorやりたくても出来ない」の違いは、例え己の中の問題だとしても決して無視するべきではなく、ゆえに、「メッセージ性のある小説が評価されがちな風潮が許せない」と頑なになるのではなく、「そういう小説も書けるようになるにはどうしたらいいか」を己に問うのが最初だと思います。
そして、どれだけ努力してもどうしても無理だったとなった時に、そういった風潮の是非を改めて考えてみてはいかがかなと。無論、もうとっくにその段階を経ているのであれば話は別ですが。

それに、自分の書かれているものが「エンタメ」だと認識されているのなら、それはつまるところ、ただ「これを読んで楽しんでください!」というのが主なメッセージなわけですから、私的には、作者さんは十二分にメッセージ性を持たせられていると思うのですが。


以上、非常識なレベルで長々と書いてしまいましたが、思ったことを率直に述べさせていただきました。
風潮に対して文句を言ったところで、どうせ何も変わりはしません。
であれば、変わるのは外ではなく己かもしれないという見方も、また一つの答えかなと愚考します。

応援してます、頑張って下さい。
  • 投稿者: 長々おばさん
  • 2023年 04月02日 19時57分
ご感想ありがとうございます(•ᵕᴗᵕ•)⁾⁾ぺこ

彫刻を彫り出すのにイメージしているものがなければ、確かに何も彫り出せませんよね(^o^;
ただ、そのイメージと『メッセージ性』は違うものだと私は考えているんです。
たとえば太陽を彫り出そうとして、『なんかこんな形の太陽』ぐらいの、ただなんかわからないけど自分の直感に従って彫り出した太陽でも、見た人が面白いと思えるものならいいと思うんです。ボーボボの首領パッチくんにそれがどこか似ていても、なんか違うところがあってそれが意外なものだったら、きっとそれは素晴らしいだろうと思っています(๑•̀ㅂ•́)و✧
そして私はメッセージ性に縛られるほど、出来ることは少ないと思っています。

ちなみに私は自分のメッセージ性をこめた作品は書けないというよりは、書かないです。すべてのものを肯定したいので。

誰かから『こういうメッセージ性をこめて作品を書け』と言われたら、書けるんですよね。たとえば『五つ並んだ星はわたしの微笑み』という作品は、個人企画に参加した作品でしたが、『みんな、恥ずかしがらずにもっとなろうで★評価をしようよ!』という企画のメッセージをこめました。

昔はむしろ自分で読み返してもうざいほどに、物凄くメッセージをこめたマンガや詩を書いていたので、その反動も正直、あります(^.^;

あと、とりあえず私は芸術とかエンタメとかいわず、その垣根を取っ払いたいなと考えております。
それはたとえば『ニーチェのツァラトゥストラを愚衆のようにからかって嗤う』というものではなく、『ツァラトゥストラのことばを真摯に受け止めた上で、そのことばを自分なりに解釈したものをアクション作品の中に仕込む』みたいな意味で。

『他人を変えようとしても無理だから自分が変わるしかない』は、私も交通エッセイの中でいつも主張していることです。

昔は世界を変えようとしていましたが、今は世界に合わせて自分が変わろうとしているだけです。

ご丁寧なご感想、ありがとうございました(•ᵕᴗᵕ•)⁾⁾ぺこ
[良い点]
しいなさんは現代詩の良さが分かるようで、非常に羨ましいです。

私は初めて現代詩の朗読を生で聞いた時、ショックでしばらく怒っていました。そのくらい、異質な何かに触れた衝撃があったのです。

そしてさらにその怒りを、同じく現代詩に対する羨ましさでいっぱいである詩の仲間と共有し、二人で「現代詩が何だ、我々は日常詩で行こうじゃないか」などと二人で怒っていた事がありました。
[一言]
言葉の定義がバラバラなまま対話をする事によって、誤解が生じる事があります。

メッセージ性のある作品とは、特に伝えたい事がある作品、と定義してみます。また作品におけるテーマとは、その作品の核であり、作品を通して作者が一番伝えたい事であると定義してみます。

その定義を元に考えると、おもしろ動物動画のテーマは「見る人を楽しませる」、メッセージ性は「皆さんに楽しんでもらいたい」ではないかと考えられます。

どのような作品にも、テーマやメッセージ性があると私は考えています。それは作者の意図しないものになる事もあるというのが実感としては、あります。

本当に無意味なものを作ろうと思っても、なかなか出来ないと個人的には思います。それができる人はおそらく、赤ん坊くらいだろうな、とも思っています。
異質なものに出会うと人ってなぜか、怒り出すんですよね(*^^*)
私にもわかるような気はしますが、私はどちらかというとキラキラ感動しちゃう部分のほうが大きいってだけだと思います(^o^;

私の場合、テーマとは伝えたいことではないんです。
たとえば樹木を写生するみたいに文章で描写して、自分の見たその樹木をみんなに見てもらいたい、という時、
テーマは樹木を上手に描くことというより樹木じたいであって、自分に見えた通りの樹木をみんなにも見てもらいたいという自分の気持ちはべつにないんです。
それなら私が見た通り伝わるように、絵を描けばいいと思います。
私が文章でそれを描くのは、絵が下手だからという理由もありますが(笑)、私が描いた文章の絵が、読者さんの絵に変換されるのが快感だからなのかな?と思っています。
『こう読んでほしい』がメッセージ性なら、やっぱり私にはそんなものはないです。

メッセージ性がない=無意味なものではない、と私は考えています。
うまく言えませんけど(*´﹃`*)
[一言]
極めると松尾芭蕉や正岡子規になるのですかね
最近のJPOPやJROCKも意味がありそうでなさそうなのが多いですね。あっちは音楽の一ジャンルであり「声だって楽器だよね」という前提がありそうですけど。

山なしオチなし意味ナシなんてのもかつては・・・・・あ、違いますか、そうですか
  • 投稿者: yazu
  • 2023年 03月31日 15時28分
俳句はまさに『そのものをことばで描いているだけ』ですよね(๑•̀ㅂ•́)و✧

ポストモダン文学のカットアップの手法なんかも、偶然頼みのやり方ともいえる?(๑•̀ㅂ•́)و✧知らんけど

ただ、あんまり現代アートみたいに『鉄クズ集めてなんかわけのわからないもの作りました』な感じのものになると私はちっとも面白くないと思うし、

AIの書いた小説も大抵ありがちな展開を並べながら滑って行くだけなので、面白かったことはあまりないです(^.^;
[一言]
通りすがりにすみません。ちょっと応援したくなったもので。

メッセージ性なんて飾りですよ、偉い人にはわからんのですよ(ガンダムネタ、ごめんなさい)。

でも、挑戦してみた、その試みも良いことのように思います。

小説の要素はいっぱいあって、例えば、比喩、叙述トリック、ミスリードなどのレトリック、ミステリーのトリック、感情移入や没入感、読後の余韻などなど、メッセージ性もその中のひとつです。

それに、色々な要素を詰め込んでみたり、逆に、メッセージどころかストーリーもキャラクター性も邪魔とばかりに削ってしまっても面白くなったりと、作家の構成次第で多種多様です。いや、この一言が言いたかっただけだろ!なんてのもありますしね。

読者に伝えるのではなくて、わあ騙されたあ!、してやったりニヤリ、なんてのを楽しだりもします。

自分のウリを大切にしつつ、模索していきませう!

  • 投稿者: 誰か
  • 2023年 03月31日 12時23分
小説の書き方はさまざまですよね(๑•̀ㅂ•́)و✧

『○○でなければ小説ではない』なんて言わせない(๑•̀ㅂ•́)و✧
[一言]
メッセージ性の無い小説ってなんだろう?作者の主張をノイズとし、刹那的な面白さや共感を求めたもの……。

雑談かな?


冗談はさておき、単に面白いものを届けたいと言うのも立派なメッセージです。むしろメッセージの無い小説って存在するのですかね?
メッセージ性が無いと言われる作品はメッセージが読者に伝わってないということではないでしょうか。

主義主張などと固く考えず、その小説を書こうと思った原点を忘れないことが大事なのではないかと思います。初心忘るべからず。
  • 投稿者: にっしー
  • 2023年 03月31日 12時16分
単に樹木を描いただけの小説にメッセージ性はないと私は思います。

樹木を描いて、『この樹木は数千年前からここに立っている。生命というのはかくも逞しく、美しい』とメッセージを添えればメッセージ性のある小説になります。

私は単に樹木が描かれた小説を読んで、好きに自分好みのメッセージをそこから受け取るやり方のほうが好きというか、自分はそういうのが描きたいというだけです。

人間は樹木からもメッセージを受け取ることは出来ますが、それは樹木が何かを伝えたくてメッセージ性をもたせたのとは違います。受け取り手が好きに受け取ったメッセージです。

今回メッセージ性を入れて書こうとした小説は、じつはなろうにおけるブロックに関する寓話のつもりでした。
自分の考えをそこに入れて、登場人物に「お互いが傷つかないやり方しかしちゃいかんだろう」みたいに言わせようとしたのですが、
そんなのただの私の考えだし、共感する人は少ないだろうし、そんな感じで、やめました。
[一言]
すしぺろと方向性は一緒だと思うぞ、見る人によって境界線が違うから同じだと思う人と、すしぺろだけ境界線を越えちゃったと思う人がいるだけだろう
  • 投稿者: 3コーナー
  • 2023年 03月31日 09時43分
ねこが人間みたいに立って歩いてる動画や女性が焼き鳥持って歩いてたら空から鷹に取られる動画と、すしペロ動画の境界線って、わかりにくいですかね?
前者に精神性うんぬんは関係ありませんよ?
[良い点]
>何かを主張したいのなら、私は直接的な言葉でエッセイを書きます。

イエス! それでこそ我々の姉御だぜ!(←ごめんなさい!調子にのりました!)

そんなに深いエッセイだっけ? と思って何度も読み返しちゃいましたよ。
[気になる点]
>YouTubeのおもしろ動画のようなものだ

に対して、

>すしペロ動画みたいなものか、つまりは承認欲求の塊だな

という感想は、イメージとしての動画の捉え方がお互いに違っていて噛み合わない感じ? ですね。

なんとなく私が感じた違和感のイメージの例えですが、姐さんが

『哺乳類』『鳥類』『爬虫類』

という感じの大きな分類で生き物を語る『フワッとしたイメージ』に対して、相手の方は『分類を細分化して“目”とか“科”とか“属”をイメージ』して

『迷惑生物』『危険生物』

のみに関連づけたネガティブなイメージだけを語る感じ?

まあ、他人のイメージしやすい感性に口出しする気はないし、そういうのに関わりたくもありませんが。
さすがに、ネガティブな印象を与える言葉を気軽に選ぶのだけは、「大人げないなあ…」とは思いましたね。

こんな例え方で、ズレてスッキリしないイメージが伝わるんだろうか。
[一言]
こうした些細なズレからぶつかって、お互いを磨きあいながら人の感性は輝きを増してゆくのですね!

年齢に関わらず、人が葛藤して何らかの答えを出し、成長して行く姿を見るのは大好きなのですよ。
死ぬまで勉強、生涯現役、いぶし銀な輝きには痺れますね!

うほほほ、ごっつぁんです!(* ̄∇ ̄*)ホクホク☆
え。深いエッセイですよ?

不快エッセイでしたらごめんなさい(^.^;

私の考えてること、イメージしてることなんて、そのまんま他人に伝わるわけないですからね。好きにしてほしい。

誤読でもいい。

でも誤解はやだ(^.^;
[良い点]
小説にはメッセージが必要だ。それがないのはポルノだ。
そう仰有っている方はいますよね。


ポルノの何がいけないんでしょうね。
どちらも立派な創作であり、表現で優劣をつけるものではないのにと思います。

ありがとうございますm(_ _)m

仰る通りだと思います。
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