感想一覧
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[良い点]
まぁ転生チートハーレムってどの時代にもありますからなぁ。
それが妖精の国や伝説の聖地だったり、
謎の暗黒大陸アフリカだったり、火星や金星、果ては人類滅亡後の核戦争の起きたあとの未来だったりはしますが、「日常」「非日常」「新たなる日常」の構成は全部一緒です。
ぶっちゃけ、ケータイの出逢いサイトでキモメンが美女をゲットするようになったという2chの体験談もこの部類にはいるでしょうね。
[一言]
自分の場合。
「自分の書く話はつまらないので一ヶ月以内に区切りをつける」のが基本です。
まぁ不定期更新といいつつエタってるのもありますが。
ようするに1月以上書き続けて、設定その他覚えている記憶力がないだけともいいます。
まぁ転生チートハーレムってどの時代にもありますからなぁ。
それが妖精の国や伝説の聖地だったり、
謎の暗黒大陸アフリカだったり、火星や金星、果ては人類滅亡後の核戦争の起きたあとの未来だったりはしますが、「日常」「非日常」「新たなる日常」の構成は全部一緒です。
ぶっちゃけ、ケータイの出逢いサイトでキモメンが美女をゲットするようになったという2chの体験談もこの部類にはいるでしょうね。
[一言]
自分の場合。
「自分の書く話はつまらないので一ヶ月以内に区切りをつける」のが基本です。
まぁ不定期更新といいつつエタってるのもありますが。
ようするに1月以上書き続けて、設定その他覚えている記憶力がないだけともいいます。
再度のご感想を頂きありがとうございます。
>「自分の書く話はつまらないので……
そんなことはないように思われます。
>「日常」「非日常」「新たなる日常」の構成は全部一緒です。
>ぶっちゃけ、ケータイの出逢いサイトでキモメンが美女をゲットするようになったという2chの体験談もこの部類にはいるでしょうね。
異世界トリップのいいところは、主人公が現実世界の人間なので、異世界に存在するあれこれを、現実世界の価値観で判断・理解したりでき、そのため読者の感情移入や読者への説明が容易であり、つまりは書きやすいという小説表現上の問題だと思ってきました。
でも、それ以上にやっぱり、異世界トリップってちょー楽しいよね! ……というのが執筆の動機としてもっと強いってことなんでしょうかね。
なんだかとりとめもない返信になってしまいましたが、お時間をとって作品を読んでいただきありがとうございました。
- 西村紅茶
- 2012年 11月07日 13時55分
[良い点]
読み手側の意見としては大変参考になるものでした。明確な指定など必要無い、異世界の描写は不可能と断じているのは斬新です。
[気になる点]
論点を個人レベルまで落として問題提起するのは構いませんが、極稀であると言わざるを得ない例を提示し、それを拡大解釈して全体の問題にすり替えるのはいささか早計では無いでしょうか?
一人が想像不可能なら全員が想像不可能だと言う事になってしまいます。
[一言]
読み手側であれば、正解の一つなのでしょうが作り手が西村さんの理論を採用してしまう事は無いでしょう。なぜなら彼ら彼女らはゼロから異世界を想像して作り出してゆくから“作り手”と呼ばれるのですし、その歩みを止めてしまう矛盾を孕んだ理論は理解しがたいかと思います。
また、情景描写を行う事はそこに情景以外の情報を埋め込む絶好の機会でもあります。例えば天気や温度、色や匂いなどで感情を表すのは既存のテクニックの一つです。
その辺りの反論をどうかわすかを主張に入れておかないと擁護と呼ぶには弱いと思います。
読み手側の意見としては大変参考になるものでした。明確な指定など必要無い、異世界の描写は不可能と断じているのは斬新です。
[気になる点]
論点を個人レベルまで落として問題提起するのは構いませんが、極稀であると言わざるを得ない例を提示し、それを拡大解釈して全体の問題にすり替えるのはいささか早計では無いでしょうか?
一人が想像不可能なら全員が想像不可能だと言う事になってしまいます。
[一言]
読み手側であれば、正解の一つなのでしょうが作り手が西村さんの理論を採用してしまう事は無いでしょう。なぜなら彼ら彼女らはゼロから異世界を想像して作り出してゆくから“作り手”と呼ばれるのですし、その歩みを止めてしまう矛盾を孕んだ理論は理解しがたいかと思います。
また、情景描写を行う事はそこに情景以外の情報を埋め込む絶好の機会でもあります。例えば天気や温度、色や匂いなどで感情を表すのは既存のテクニックの一つです。
その辺りの反論をどうかわすかを主張に入れておかないと擁護と呼ぶには弱いと思います。
ご感想を頂きありがとうございます。
>彼ら彼女らはゼロから異世界を想像して作り出してゆくから“作り手”と呼ばれるのですし、その歩みを止めてしまう矛盾を孕んだ理論は理解しがたいかと思います。
まさにその通りであると思います。
知られているものの貼り合わせでしか、物事を表現することができないという性質を本質的に持ちつつ、それでもなお新しい表現を目指していくのが、正しい姿勢であると思います。
私は、割り切った戦略としての『中世ヨーロッパ風』というような描写を否定しません。
しかし、どうせ無理だからもういいの的敗北主義を肯定するものでもまたありません。
>情景描写を行う事はそこに情景以外の情報を埋め込む絶好の機会でもあります。例えば天気や温度、色や匂いなどで感情を表すのは既存のテクニックの一つです。
以前に『絵を描くとは、事実をそのまま写し取ることではなくて、その事実を見たときの受け手の感情や受けた感じを描くものだ』というような内容の文章を読んだことを思いだしました。
ある文章にできるだけ多くの意味や情報を詰め込もうとするのは、書き手としては正しい判断であると思います。
けそけそ様のご指摘は至当であると思います。
時間をとって本エッセイをお読みいただきありがとうございました。
- 西村紅茶
- 2012年 11月04日 13時08分
[良い点]
今回も納得できる文章だったと思います。
[気になる点]
あらかさまに「レッツ炎上!!」なんて書くから、荒らしが湧いたり本当に炎上する羽目になるんですよ?
[一言]
こんにちは。2度目です。
1言といわず2言3言いきます。
・・・・
私は、異世界モノを書くときは、意識してなるたけの情景描写を省いています。
なぜそんなことをするのかというと、ファンタジー小説というのは、現実に存在しないことを書く、つまり自由形の小説な訳です。
なので、そこにあまり多くの情景描写を取り入れてしまうと、描写が作者自身の世界観で固定されて、読み手にそれを押し付けるような文章になり、余計に読む気が失せ、想像力が湧かなくなります。
たとえば異世界の洞窟を表してみましょう。
最小限の情景描写で記した場合
(主人公は仮定として、名前はよしお、性別は男とします)
神の視点で書いてみます。
よしおがたどり着いた洞窟の中は、暗く湿った、広い空間だった。
「おーい、誰かいるか―!」
よしおは叫んだが、その声は鈍くこだまし、奥の闇へ消えて行った。
返答はなかった。
次、情景描写重視で。
これも神の視点。
よしおがたどり着いた洞窟の内部は、暗く湿った、広い空間。
その様は影の暗黒を思わせる。
入り口にはところどころに蜘蛛の巣が張ってあり、奥に方をのぞけば、そこには深い闇が広がっていた。
「おーい、誰かいるか―!」
よしおは叫んだ。闇に鈍くこだまする声は、次第に小さくなり、吸い込まれるように消えて行った。
返答はなかった。
さて、上の2文を比較してみると、下の方はしっかり描写ができているように感じるかもしれない。
でも、後者のような文が立て続けに記されていると、いちいち読むのに手間がかかり、読んでいるうちに疲れる文章になります。
なので、私はなるべく細かい情景描写はなるべく使わないように、使うとしてもここぞという時にしています。
そうしないと、読み手の概念と作者の創造の食い違いが激しくなり、いつの間にか読みにくい小説になっていくのだ、と。
それが私の考えです。
が。がですよ。
さすがに「中世ヨーロッパ風の街並み」それだけで済ませてしまうと、読み手によっては大きな誤解を生じ次させる場合があります。
作者はこれがこうで、ああなってて……と考えているのかもしれませんが、読み手からすれば
「中世ヨーロッパということは、石畳があって、家はこんな感じで、屋根の色はこうなのかな?
いやでも、中世だからもっとこう、華やかじゃなくて渋い感じの色だろうな」
とかいろんな雑念が渦巻き、中には
「中世ヨーロッパってどんなのだ?」
と、街並みに対して大きな疑問を残してしまう人もいるのです。
なのでそこは、もう少し詳しく、
「その商店街は中世ヨーロッパ風の街並みだった。横に連なる石造りの立派な家々は白く塗装されており、茶色い石畳の地面を衛兵が闊歩するたびにガチャッガチャッと音が鳴る」
とまあ、(とっさに書いたので駄文になってしまいましたが)こんな感じでもう少し大まかな情景描写を加えた方が、読み手も理解しやすいはずだ、と思います。
それが私の意見です。
最悪、ストーリー性がメインのファンタジーなんかはそれで済ませてしまってもいいのかもしれませんが。私はあまりお勧めしません。
適度に描写をはさんだ方が、小説としても成り立つのではないでしょうか。
結論
極端に少なすぎない描写で作者の意図を伝え、読み手に自由な発想をもたらせればベスト!
ただし多すぎる描写は齟齬を招く!
大変長文失礼しました。
今回も納得できる文章だったと思います。
[気になる点]
あらかさまに「レッツ炎上!!」なんて書くから、荒らしが湧いたり本当に炎上する羽目になるんですよ?
[一言]
こんにちは。2度目です。
1言といわず2言3言いきます。
・・・・
私は、異世界モノを書くときは、意識してなるたけの情景描写を省いています。
なぜそんなことをするのかというと、ファンタジー小説というのは、現実に存在しないことを書く、つまり自由形の小説な訳です。
なので、そこにあまり多くの情景描写を取り入れてしまうと、描写が作者自身の世界観で固定されて、読み手にそれを押し付けるような文章になり、余計に読む気が失せ、想像力が湧かなくなります。
たとえば異世界の洞窟を表してみましょう。
最小限の情景描写で記した場合
(主人公は仮定として、名前はよしお、性別は男とします)
神の視点で書いてみます。
よしおがたどり着いた洞窟の中は、暗く湿った、広い空間だった。
「おーい、誰かいるか―!」
よしおは叫んだが、その声は鈍くこだまし、奥の闇へ消えて行った。
返答はなかった。
次、情景描写重視で。
これも神の視点。
よしおがたどり着いた洞窟の内部は、暗く湿った、広い空間。
その様は影の暗黒を思わせる。
入り口にはところどころに蜘蛛の巣が張ってあり、奥に方をのぞけば、そこには深い闇が広がっていた。
「おーい、誰かいるか―!」
よしおは叫んだ。闇に鈍くこだまする声は、次第に小さくなり、吸い込まれるように消えて行った。
返答はなかった。
さて、上の2文を比較してみると、下の方はしっかり描写ができているように感じるかもしれない。
でも、後者のような文が立て続けに記されていると、いちいち読むのに手間がかかり、読んでいるうちに疲れる文章になります。
なので、私はなるべく細かい情景描写はなるべく使わないように、使うとしてもここぞという時にしています。
そうしないと、読み手の概念と作者の創造の食い違いが激しくなり、いつの間にか読みにくい小説になっていくのだ、と。
それが私の考えです。
が。がですよ。
さすがに「中世ヨーロッパ風の街並み」それだけで済ませてしまうと、読み手によっては大きな誤解を生じ次させる場合があります。
作者はこれがこうで、ああなってて……と考えているのかもしれませんが、読み手からすれば
「中世ヨーロッパということは、石畳があって、家はこんな感じで、屋根の色はこうなのかな?
いやでも、中世だからもっとこう、華やかじゃなくて渋い感じの色だろうな」
とかいろんな雑念が渦巻き、中には
「中世ヨーロッパってどんなのだ?」
と、街並みに対して大きな疑問を残してしまう人もいるのです。
なのでそこは、もう少し詳しく、
「その商店街は中世ヨーロッパ風の街並みだった。横に連なる石造りの立派な家々は白く塗装されており、茶色い石畳の地面を衛兵が闊歩するたびにガチャッガチャッと音が鳴る」
とまあ、(とっさに書いたので駄文になってしまいましたが)こんな感じでもう少し大まかな情景描写を加えた方が、読み手も理解しやすいはずだ、と思います。
それが私の意見です。
最悪、ストーリー性がメインのファンタジーなんかはそれで済ませてしまってもいいのかもしれませんが。私はあまりお勧めしません。
適度に描写をはさんだ方が、小説としても成り立つのではないでしょうか。
結論
極端に少なすぎない描写で作者の意図を伝え、読み手に自由な発想をもたらせればベスト!
ただし多すぎる描写は齟齬を招く!
大変長文失礼しました。
- 投稿者: 退会済み
- 2012年 11月02日 12時04分
管理
再度のご感想を有難うございます。
>極端に少なすぎない描写で作者の意図を伝え、読み手に自由な発想をもたらせればベスト!
まさにそれもベストの選択のひとつであると思います。
今回は『中世ヨーロッパ風の街並み』という“情景描写”を擁護する観点から、どうせ、作者のイメージと懸け離れたイメージしか伝えられないのだから『中世ヨーロッパ風の街並み』とだけ書いて、それ以上のことはあきらめてしまうというのも判断のひとつなのだという論旨で書きました。
しかし、とにかく読者の頭の中に芳醇なイメージを発生させることができさえすれば、それが作者のイメージとは、ある程度異なっていても構わない。読者それぞれに、ちがったイメージを持つことになっても構わない。小説の文章とは、読者のイメージを発火させ燃焼させるための、着火用の火花に過ぎない。イメージの燃え方は、読者の頭の中にある燃料の種類によって当然異なる。文章表現というものは、そもそもそういうものだ。という考え方もできます。
文章表現というものは『文字で書いてある』ということ以外は、何らの制約が存在せず、極めて自由なものです。そのために、今まで想像もされなかったようなやり方というものが頻々と生まれてきます。
ですから文章表現の方法において、何が正解と断定的な物言いができるはずはないのです。
故に、こういうのが不正解と安易に言うべきでもありません。それが本エッセイの目指す結論であります。
- 西村紅茶
- 2012年 11月03日 12時25分
[良い点]
作者が真剣に読み手として感じていることを率直に描いている貴重な資料になり得る作品。
読み専門の方の意見と言うのは実は珍しいので凄く良いと思います。
[気になる点]
顔文字。音楽鳴らし。動画。ト書き。Font弄りにより大文字小文字。縦書き横書き中央寄せに右寄せ左寄せ。
Font弄ってスクロールする文字。絵。
全部ッ 10年前の先達がやって投げた(廃れた)手法ですッ!
あれは紙の『本』から文字がスクロールする『Web』媒体という目に優しく無いメディアの使い方や高機能をどう使うか、どう生かすかを暗中模索していた時代の異物です。
表現としては仰るとおり面白いのですが、電子書籍なども発達した現代には過去のものだと思います。
言葉で訴えられないものは絵や音楽で伝えるもので、
言葉で物事を伝える小説に絵を混ぜるならば絵物語や漫画になってしまうとおもうっす。
[一言]
西村さん。あれにレヴューしておいてなんですが、あれは典型的なアジテーションですぜ。
わざと叩かれる文章を書いて問題提起と議論を呼ぶ手法です。
作者が真剣に読み手として感じていることを率直に描いている貴重な資料になり得る作品。
読み専門の方の意見と言うのは実は珍しいので凄く良いと思います。
[気になる点]
顔文字。音楽鳴らし。動画。ト書き。Font弄りにより大文字小文字。縦書き横書き中央寄せに右寄せ左寄せ。
Font弄ってスクロールする文字。絵。
全部ッ 10年前の先達がやって投げた(廃れた)手法ですッ!
あれは紙の『本』から文字がスクロールする『Web』媒体という目に優しく無いメディアの使い方や高機能をどう使うか、どう生かすかを暗中模索していた時代の異物です。
表現としては仰るとおり面白いのですが、電子書籍なども発達した現代には過去のものだと思います。
言葉で訴えられないものは絵や音楽で伝えるもので、
言葉で物事を伝える小説に絵を混ぜるならば絵物語や漫画になってしまうとおもうっす。
[一言]
西村さん。あれにレヴューしておいてなんですが、あれは典型的なアジテーションですぜ。
わざと叩かれる文章を書いて問題提起と議論を呼ぶ手法です。
ご感想を頂きありがとうございます。
>言葉で訴えられないものは絵や音楽で伝えるもので、
>言葉で物事を伝える小説に絵を混ぜるならば絵物語や漫画になってしまうとおもうっす。
私も最初は、ほとんど同じように思っていました。
絵文字は「?」や「!」あるいは「……」の多用と同じく、表現というものを安易にして痩せさせてしまうものだとすら思っていました。
でもですね。ある小説を読んでから見方が変わったんです。
その小説というのは、この『小説家になろう』に投稿されている
『千海さま作:勇者の嫁になりたくて ( ̄∇ ̄*)ゞ』です。
この小説は、それこそ表題にも顔文字が入っているくらいで、顔文字その他を多用している小説であるのですが、この小説に出てくる顔文字表現はとても楽しく、もはや芸術といっても良いくらいのものであると私は判断します。少なくともこの小説の表現が痩せているとは絶対に言えません。
それにあともう一つ顔文字を肯定する理由があって、
それは、私は自分の会社の人から仕事のメールをもらう機会が多々あるのですが、
そのメールのなかに、顔文字や絵文字は普通に用いられます。
社外の人宛てのメールに顔文字や絵文字は使わないが、社内向けならまあよかろうという判断なのでしょう。まあそれはそれとして、そのようなメールをくれる人は、
メールやインスタントメッセージなどで、文字によるコミニュケーションの重要性がかつてなく高まっている昨今において、文字による情報の伝達についてまわる、伝達力の不完全さをそれら顔文字絵文字で補い、自分の意図や感情をも充分に伝えようとしているのです。
それはつまらない行き違いや文面の受け取り方の違いによる人間関係のトラブルを避けるための一つの方法です。
そのようにして、顔文字絵文字は市民権を獲得しつつあるわけですが、昔から歌は世につれ世は歌につれと申します。
小説の文面を離れた現実界で、顔文字絵文字の世界が花開きつつあるのなら、顔文字なんて文章の瑕です、などといってすましているのは正しい態度であるとまでは言い切れないと思うのです。
……というようなことを基にして、連載の②すなわち、ネットスラング、顔文字、絵文字擁護の回を書く予定ではありました。
もう少し内容が膨らませれば執筆予定であります。
時間を取って読んでいただきありがとうございました。
今後とも本作をよろしくお願い……できたらとっても嬉しいなあ。ダメ?
- 西村紅茶
- 2012年 11月03日 02時13分
[気になる点]
連投すいません。
私もあとで気が付きましたが、誤字報告
〈side ジャイアンのママ〉
タケシのやつ、ちょっと目を話すとすぐに乱暴して!
話す☓
離す○
連投すいません。
私もあとで気が付きましたが、誤字報告
〈side ジャイアンのママ〉
タケシのやつ、ちょっと目を話すとすぐに乱暴して!
話す☓
離す○
作品を読んでいただき、感想を頂いた上に、例文までいただきましてありがとうございます。
……確かに例文の①と②は手抜きでしたね。
それに、若干内容が違うと言われれば、そのような気もいたします。
言うまでもなく、頂きました例文のほうが上等です。
御衣黄さまのお許しを頂きましたら、差し替えをしたいです。お許しいただけないでしょうか?
しかし、もし仮にお許しを頂けた場合に、例文を差し替えるなら、少しばかり手直しをしたい部分もあります。
まず、例文①は神の視点の説明でありますから、複数の登場人物の内心や、本人しか知り得ない事情が含まれていることが望ましいのです。
頂きました例文1は、基本的にジャイアンしか知り得ない事象で構成されているような気がいたします。
すなわち、神の視点ではなくてジャイアン視点固定三人称の文になっているのです。
>実はのび太は、ジャイアンのママにボディーガードを頼んでいたのであった。
まあ、この一文がありますので、神の視点の文章と評価することも可能ですが、ジャイアンのママの登場をジャイアンが見てからの一文ですから、ジャイアンが推測によってそう判断したと読むことも可能です。ですから、神の視点の例文としては少し問題があります。
あと、例文2の、のび太のセリフの中に(笑)というのがあります。
この種の表現も、連載の後のほうで擁護する予定ではありますが、少なくともこの回は
〈side ○○〉〈side out〉形式の表現についての論議に集中したいので、記号・絵文字・ネットスラング問題と、混ざってしまうのは避けたいので、修正させていただければと思います。
>ただし、他の漫画のキャラクター使用するより、自分で考えたほうが良かったと思います。
>ジャイアンママサイドは不要であったと思います。
この点に関しましては、わたしはドラえもんが好きだ! ジャイアンのママも好きなキャラだ!
運営さんから何か言われるまではこのままいくぞ! と言わせていただきます。
えー、以上の点をご考慮いただいたうえで、例文転載のご許可を、もしいただけましたら、とっても嬉しいです。
私は、自分の書いたこのエッセイの完成度が決して高くないことを知っておりますので、読者の皆様方から、もっと良いご意見や、内容のアップデートパッチをいただきましたら、本エッセイの内容に矛盾しない限り、どんどん採用させていただきたいと思っております。
時間をとって、作品を読んでいただき、感想と例文をいただきまして、まことにありがとうございました。
- 西村紅茶
- 2012年 11月02日 10時55分
[一言]
例文の内容が1と2では違うので、自分なりに作ってみました。
一応起承転結をつけたつもりです。
例文1
ジャイアンは機嫌が悪かった。それはジャイアンが先生に叱られたところをのび太が陰で笑ったからであった。ジャイアンはそれをスネオから聞いた。
学校の帰り道、ジャイアンはのび太を探した。そこに前を歩くのび太を見つけた。
「のび太め、今日という今日こそはギッタンギッタンにしてくれる」
腕まくりをしながらのび太に走り寄った。のび太を捕まえて、拳を振り上げる。しかし、いつもは臆病者のび太なのに、平然としている。
「?」
意気揚々とのび太はジャイアンに言う
「バカだな、ジャイアンは。ジャイアンのママが全部見てたのも知らないで」
のび太は道路の反対側の歩道を指さした。そこには、顔を真っ赤にしたジャイアンのママがいた。
「タケシ、ちょっと目を話すとすぐに乱暴して! 今度という今度は承知しないよ!」
ジャイアンは、その顔に驚き全力で逃げ出した。 ジャイアンのママはその後ろ姿を追いかけていく。
実はのび太は、ジャイアンのママにボディーガードを頼んでいたのであった。
のび太はしたり顔で笑った。
例文2
〈side ジャイアン〉
俺は機嫌が悪い。先生に叱られたのをのび太の野郎、それを陰で笑いやがって。
「のび太め、今日という今日こそはギッタンギッタンにしてくれる」
俺は学校からの帰り道のび太を探した。
バカなのび太だ。あんなところに居やがった。後ろから走りよって捕まえた。俺は拳を高くあげた。
「?」
変だ。いつもののび太じゃない。
〈side out〉
〈side のび太〉
引っかかったな。
「バカだな。ジャイアンは。ジャイアンのママが全部見てたのも知らないで」
僕はゆっくり道路の反対側の歩道を指さした。僕はジャイアンのママにボディーガードを頼んでいたんだ。思惑通りにいった。(笑)
〈side out〉
〈side ジャイアンのママ〉
タケシのやつ、またのび太くんをいじめるのね。懲らしめないと。
「ちょっと目を話すとすぐに乱暴して! 今度という今度は承知しないよ!」
私は大声で叫んだ。そして、道を渡り息子を捕まえようとするが、逃げ足だけは早い。
でも、ちゃんと叱ってやらないとあの子の将来に響くから、絶対捕まえてやる!
〈side out〉
駄文なのはご勘弁を。誤字脱字があった場合も修正しないのでご了承ください。
それぞれ雰囲気が違うと思います。
あえて優劣はつけません。お考えください。
ただし、他の漫画のキャラクター使用するより、自分で考えたほうが良かったと思います。
ジャイアンママサイドは不要であったと思います。
以上2点は私の書いた感想です。
出すぎたことをしてすいませんでした。
例文の内容が1と2では違うので、自分なりに作ってみました。
一応起承転結をつけたつもりです。
例文1
ジャイアンは機嫌が悪かった。それはジャイアンが先生に叱られたところをのび太が陰で笑ったからであった。ジャイアンはそれをスネオから聞いた。
学校の帰り道、ジャイアンはのび太を探した。そこに前を歩くのび太を見つけた。
「のび太め、今日という今日こそはギッタンギッタンにしてくれる」
腕まくりをしながらのび太に走り寄った。のび太を捕まえて、拳を振り上げる。しかし、いつもは臆病者のび太なのに、平然としている。
「?」
意気揚々とのび太はジャイアンに言う
「バカだな、ジャイアンは。ジャイアンのママが全部見てたのも知らないで」
のび太は道路の反対側の歩道を指さした。そこには、顔を真っ赤にしたジャイアンのママがいた。
「タケシ、ちょっと目を話すとすぐに乱暴して! 今度という今度は承知しないよ!」
ジャイアンは、その顔に驚き全力で逃げ出した。 ジャイアンのママはその後ろ姿を追いかけていく。
実はのび太は、ジャイアンのママにボディーガードを頼んでいたのであった。
のび太はしたり顔で笑った。
例文2
〈side ジャイアン〉
俺は機嫌が悪い。先生に叱られたのをのび太の野郎、それを陰で笑いやがって。
「のび太め、今日という今日こそはギッタンギッタンにしてくれる」
俺は学校からの帰り道のび太を探した。
バカなのび太だ。あんなところに居やがった。後ろから走りよって捕まえた。俺は拳を高くあげた。
「?」
変だ。いつもののび太じゃない。
〈side out〉
〈side のび太〉
引っかかったな。
「バカだな。ジャイアンは。ジャイアンのママが全部見てたのも知らないで」
僕はゆっくり道路の反対側の歩道を指さした。僕はジャイアンのママにボディーガードを頼んでいたんだ。思惑通りにいった。(笑)
〈side out〉
〈side ジャイアンのママ〉
タケシのやつ、またのび太くんをいじめるのね。懲らしめないと。
「ちょっと目を話すとすぐに乱暴して! 今度という今度は承知しないよ!」
私は大声で叫んだ。そして、道を渡り息子を捕まえようとするが、逃げ足だけは早い。
でも、ちゃんと叱ってやらないとあの子の将来に響くから、絶対捕まえてやる!
〈side out〉
駄文なのはご勘弁を。誤字脱字があった場合も修正しないのでご了承ください。
それぞれ雰囲気が違うと思います。
あえて優劣はつけません。お考えください。
ただし、他の漫画のキャラクター使用するより、自分で考えたほうが良かったと思います。
ジャイアンママサイドは不要であったと思います。
以上2点は私の書いた感想です。
出すぎたことをしてすいませんでした。
[良い点]
納得です。
[気になる点]
十分いい説明ができているから、他の人に頼む必要は無いと思いますが。
[一言]
まあ、何というか、時代の移り変わりと言ってしまえばそれまでだし、かといって何でもOKにするわけにもいかない。
でもこの小説では色々な例を挙げて、なかなか分かりやすく意見を伝えられていると思いますよ。
万人に好かれるような小説はない訳だし、万人に嫌われる小説も、よほどの駄作でなければ無い。
世の中いろいろあるもんですから、賛成も反対も間違ってはいない。
その中でどれほど正解に近い答えを見いだせるかが、今後の課題でしょうかね。
私は、反対派、擁護派、どちらにも賛成です。
なんか矛盾したことを言っているように聞こえると思うので説明すると、
「どちらも間違って考え方ではない」
と主張したいというわけです。
小説は、読む人の感性によって色々と賛否が出てくるので、あらかさまに悪戯な場合でなければ、批判するのもいいでしょうし。
褒めるのももちろん1つの意見でしょう。
どちらがいいともダメともいえない。
結論、
僕には何が正しいのかわからないから、どっちもどっちで良い!!
納得です。
[気になる点]
十分いい説明ができているから、他の人に頼む必要は無いと思いますが。
[一言]
まあ、何というか、時代の移り変わりと言ってしまえばそれまでだし、かといって何でもOKにするわけにもいかない。
でもこの小説では色々な例を挙げて、なかなか分かりやすく意見を伝えられていると思いますよ。
万人に好かれるような小説はない訳だし、万人に嫌われる小説も、よほどの駄作でなければ無い。
世の中いろいろあるもんですから、賛成も反対も間違ってはいない。
その中でどれほど正解に近い答えを見いだせるかが、今後の課題でしょうかね。
私は、反対派、擁護派、どちらにも賛成です。
なんか矛盾したことを言っているように聞こえると思うので説明すると、
「どちらも間違って考え方ではない」
と主張したいというわけです。
小説は、読む人の感性によって色々と賛否が出てくるので、あらかさまに悪戯な場合でなければ、批判するのもいいでしょうし。
褒めるのももちろん1つの意見でしょう。
どちらがいいともダメともいえない。
結論、
僕には何が正しいのかわからないから、どっちもどっちで良い!!
- 投稿者: 退会済み
- 2012年 11月01日 13時26分
管理
感想を頂きまして、ありがとうございます。
今までずっと読み専門だったので、作品を投稿したのは初めてで、感想を頂いたのも初めてなんですが、なにかスゴい嬉しいです。まことにありがとうございます。
なろう小説に限らず、ネット小説でよく見られる、side表現や顔文字などは、単に安易な手法やスラング扱いして批判してお終いにしてしまうには、ちょっともったいないと思います。
よく研究して使いこなせば楽しいと思います。
そしてそのためには単に批判するのでなく、少し分析してみることも必要かなと思ってこの作品を書きました。
今後とも本作をよろしくお願いいたします。
- 西村紅茶
- 2012年 11月01日 22時38分
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