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[良い点]
はじめまして。

今までバラバラにしか読んだことのなかった古今集を初めて通しで読んだら貫之と愉快な仲間たち(特に躬恒!)にすっかりハマり、これは誰かが小説にしているのでは?と探してこちらを発見しました。
稀なる巡り会いに感謝です。

大変面白かったです!
文芸と歴史を題材にしたエンタメ作としてたっぷり堪能いたしました!

撰者たちのうたごころにホロリときます。
貫之さんがいくつになっても青臭い…いえ若々しい故か「理想に邁進する若者の青春小説」っぽい雰囲気も良い感じです。
脇の時平や道真もあーんなことやこーんなことになって、うた周り以外でもドキドキハラハラしました。

そして何よりも、大好きな躬恒を生き生きと描写して下さって嬉しいです。
史実としてはほとんど謎の彼なので萌えが消化不良で悶えておりました。
特に、躬恒は腕の良いガーデナーだったに違いない!という妄想を完璧に補完して下さってありがとうございます。感無量です。
[一言]
執筆に際しての参考文献一覧などを裏話の最後あたりでまとめてご紹介いただけると嬉しいです。
  • 投稿者: ユーコ
  • 2017年 04月24日 19時29分
[良い点]
面白い、の一言。
[一言]
http://ncode.syosetu.com/n9127bu/38/
のページ、秋立つ日よめるの歌、「目には」の文字が抜けています。
  • 投稿者: 五葉
  • 2015年 07月01日 00時41分
ご感想ありがとうございます。
そして……

ご指摘ありがとうございます! 恥ずかしいです!
和歌の話で和歌で脱字を起こすなんてっ。
取り急ぎ修正させていただきます。

和歌の解説中心にしつつ自分に話が書けるのかという、実験的な要素のある作品にもかかわらず、楽しんでいただけたことに恐縮しております。

基本的なミスがあるにもかかわらず、嬉しいお言葉をいただき本当にありがとうございました。
  • 貫雪
  • 2015年 07月01日 07時27分
[良い点]
完結おめでとうございます。素晴らしいお話でした。
[一言]
忘れがちですが貫之は創作文芸のお父さんの一人ですね。彼がいなかったら後の女流文学も生まれてきたのかなかなか怪しい所です。

なのになぜか子規には叱られ、狂歌では「歌よみは下手こそよけれ あめつちの動き出してはたまるものかは」とおちょくられる方ではありますね。

否定から始めるよりなかったものを作り出す方がずっと難しいのはもちろんですが、それなのにやたらに突っ込まれるのは、みな彼の人間性に気を許し甘えたくなってしまうからに違いありません。

ツンデレ風味に絡んでも「おお、今時はやまとことばをこう使うのか」と面白そうな顔をしてくれそうな気さえします。だってあの「これは、ものによりてほむるにしあらず」とユーモアまじりに真情を語る紀貫之なんですから。

貫雪さんの貫之はあの土佐日記の彼の長めの青春時代として納得のいくキャラクターで、それに若干の青さと前向きな真摯さが加わりとても魅力的でした。

脇を固める人々もみな温かな視線があてられていて気持ちよく読むことができました。

本当に素敵な話をありがとうございました。文章を楽しませていただいたのみならず、文章で言祝がれた気分です。重ねてお礼を言わせていただきます。
  • 投稿者: Salt
  • 2015年 03月11日 00時24分
分不相応にお褒めの言葉をいただいて、恥ずかしくもうれしいです。
何度でもお礼を言わせていただきます。ありがとうございます。

本当に貫之がその後の物語文学に与えた影響は大きいと思います。
この人はかな序を書いただけあって、「詞書の名手」でもあります。
貫之の歌の詞書はとても物語的で、明らかにその効果を意図して歌を詠んでます。

彼のこの特殊な感性と才能がなければ、物語文学の登場はもっと遅れていたでしょうし、あったとしても『伊勢』や『平中』の話程度で、『宇津保』『落窪』『源氏』のような創作力豊かな作品の登場には時間を要したと思います。

でも Salt様の言う通り、貫之なら偏った意見に心中色々思っても、最後には前向きに明るく柔らかく受け入れてしまいそうです。
今では貫之の名誉も回復したようですし、歌の良さに変わりはありませんしね。

この貫之の性格の良さから、ほかのキャラの貫之に対する接し方も自ずと決まってしまいました。実際躬恒の歌からは楽しい人柄が浮かびますし、時平の同情から友則の地味でも穏健な性格も伝わります。主人兼輔などこの時代としてはまれな平等主義者で、気さくな人柄が「堤中納言」として一大サロンを作りあげたのも納得できます。官人としては不遇でも、人としてはとても人間関係に恵まれた人だったのでしょう。

長めの青春時代というか、貫之は歌を詠むときは生涯青春を謳歌したんじゃないかと思ってます。
和歌集編纂までは無我夢中で本当に長い青春を送るような心地だったでしょうが、さすがにその後は社交などからいろいろ世の中を見るようになったと思います。
憧れだった昇殿も、その後内心は幻滅したかもしれません。

でも、彼の歌を見る限りその影は感じず、『土佐日記』に至っては亡き児への悲しみや老いた身で土佐へ下った嘆き、次々と世を去った庇護者たちへの想いがあった時期のはずですが、ただの日記に収まらない旅路と言う舞台にドラマ性を意識したエンタメとしてかき上げられています。
これだけで貫之の悲哀に屈しない強さと明るさを知ることが出来ます。
創作に没頭するとき、心は編纂作業に胸ときめかせた日々に戻っていたかもしれません。

私はこの作品で表現部分をかなり和歌に頼りました。多くの名歌に助けられての作品です。表現に関しては Salt様の足元にも及びません。
ですから、Salt様の作品を読むのは本当に楽しいです。いつも背景表現にうならされるのを楽しみにしています。こちらこそいつも素敵な表現をありがとうございます。

ああ、これは貫之さんじゃないけど、身に余る感想をいただいたから、御世辞を言ってるわけじゃありませんよ(笑)。
お礼のつもりが話がそれて、長くなってしまいました。
本当はもっと長いのを今削りました(汗)。
活報に書いた別のまとめの方で書けばいいこと、この場で書いちゃだめですね。

では、しつこいですが本当に最後までのお付き合いと、お褒めの言葉をありがとうございました!
  • 貫雪
  • 2015年 03月11日 10時15分
[一言]
拝読しました。
完結お疲れ様でした。高尚な内容、鋭い洞察力、和歌に対する強い愛情、生き生きとした登場人物。どこをとっても素晴らしい作品でした。

ありがとうございました!
ご感想、そして最後までのご愛読、ほんとうにありがとうございます。
たどたどしくもささやかな勉強だけで書いてしまいましたが、そんな作品にお付き合いいただけてとても嬉しいです。

神村さまの作品も、引き続き楽しませていただきます。
  • 貫雪
  • 2015年 03月09日 22時07分
[良い点]
亭子院歌合というイベントを、しっかりと資料を基に、小説の舞台として活写された事に感謝致します。

[一言]
この分野は、国文学や歴史研究をされえいる人もいるので、しっかりと下調べもされてお書きになっているのがよく判ります。 それだけに作品を書く前の準備も、大変なのだとかんじました、 しかし、それらの努力と準備が、作品の描写に広さと重みを与えていると思います。 これからも楽しみにしております。
  • 投稿者: 五反田猫
  • 50歳~59歳 男性
  • 2015年 03月09日 12時04分
ご感想ありがとうございます。

とんでもない。資料にしている本に頼っているのです(汗)
流石にビギナーズ向けの本では詳しいことはわからないので、新書系の本などを頼りにしています。細やかな研究をなさる方がいるおかげで、こんなきらびやかな想像をすることが出来て、とても楽しかったです。

間違いもあるかもしれませんので、お気づきになったらこちらの不勉強を指摘していただけると助かります。

本が正しくても、私の解釈に問題があるかの知れませんから。(でも空想は楽しい!)
  • 貫雪
  • 2015年 03月09日 16時54分
[一言]
更新お疲れ様です。

作者様の情熱がひしひしと伝わって来る回でした。お陰で楽しみが増えました。
わあ! 大変な無沙汰をしておりました!

……にもかかわらず、こうしてさっそく読んでいただけるなんて、感謝の言葉もありません。

読み手にも回っていなかったので、神村作品もこれから読むことに……
とにかく「御徒町源氏」を少しづつ攻めていきます。

ご感想ありがとうございました(結局平凡なお礼、書いてますねえ)
  • 貫雪
  • 2015年 03月01日 15時53分
[良い点]
いつも素晴らしい作品を有難うございます。
古今集の仮名序、大好きな文章の一つです。
和歌披講の世界でも、和歌懐紙は男子は漢文で書きますが、読み上げは大和言葉です。 例えば宮中歌会始で「同詠 本和歌」と端作りにあれば、「おおせごとによりて 同じく本 という事を詠めるやまと歌」という感じになります。
今では、これが当たり前なのですが、こうなるには貫之さん始め、先人達の積み重ねがあるのだと思います。 それがとてもよく判るお話でした。
[一言]
モーツアルトの歌劇「魔笛」も、古今集に似ていますよね。
それまでは、オペラはイタリア語が当たり前だったのが、ドイツ人の為に、貴族以外も広く楽しめるものを、自国の言葉で作りました。 貫之さんから900年後の事でした。
  • 投稿者: 五反田猫
  • 50歳~59歳 男性
  • 2014年 09月12日 22時59分
長くお返事のないままで申し訳ありませんでした。
個人的理由で半年お休みしておりました。大変失礼いたしました。

一番肝心な序文が半年遅れでの更新になりました。短歌とは違う、論文的な要素を含みながらも、和歌的な技術と比喩を多用した文章に「やまとことば」の本質が現れているように感じます。「謙虚」と言う言葉よりも「つつましやか」と言う方が日本的なんだと良く分かります。
現代の言葉は大きく変わっていますが、この感性が根本であることは変わらずにいるんだと知れて、やはりこの仮名序は魅力的だと読むほどに実感します。

ヨーロッパにもそんな歴史があるんですか。
他国文化の利点を吸収した後に、自国の言葉で噛み砕いて新たな文化を育むのは、どこの国でもあることなんですね。

今も良い物を吸収しようという向上心が、私たちの文化を豊かにしてくれていると思うと、そういうことって本当に素敵だなと思います。

大変遅ればせながら、ためになる御感想をありがとうございました。
  • 貫雪
  • 2015年 03月08日 11時21分
[一言]
拝読致しました。

今の日本人に欠けているものを平安の世の人達はたくさん持っていたのだなあとしみじみ思ってしまいました。
復古主義を叫ぶつもりはありませんが、日本人は一体どこへ行こうとしているのだろうかと思ったりもしました。
荒廃の美を賞賛するとか、享楽的だとか言われる当時の貴族生活ですが、平安も後期となると末世論に世の中が動揺するなど暗い影を感じるのに対して、貫之たちが生きたこの頃はまだ、いつおちぶれるかわからない不安はあっても、まだまだ前向きな気持ちを持っていたからこそ、国風文化を盛り返そうとする動きなどが起こったんだと思います。

歌も自分を冷静に見つめて詠んでいたんじゃないでしょうか。
本来日本人は冷静なほうだと思っていますが、最近ちょっと流され方が極端になりつつあって心配ですね。
せっかくの情報社会なのだから、意見が偏らないように気を付けたいものです。
  • 貫雪
  • 2014年 07月16日 17時30分
[良い点]
歴史小説で難しいのは、当時の、その立場での考え方で書く事だと思います。この作品では、それがしっかりとできていて、和歌が出来てゆく過程や、磨かれてゆく過程、そして主人公が成長し読み方が変化してゆく過程が、上手く表現されています。
[一言]
私事ですが、和歌の世界とは、「歌会」の再現という、変な事を自分の趣味にしている点で、関わっております。
そんな点からも和歌を主題にした小説があるのがとても嬉しかったです。これからも楽しみにしております。
  • 投稿者: 五反田猫
  • 50歳~59歳 男性
  • 2014年 07月09日 17時28分
「歌会」の再現! 素敵です! 全然変じゃありませんよ~ 
優雅な趣味をお持ちでうらやましいです。

歴史的には勉強不足を多く指摘されてしまっているんですが(汗)、私的にはこの話は古今和歌集の素晴らしい和歌の数々と、編纂者たちが考え抜いた『並べ』という当時としては斬新だったであろう手法の美しさを出来るだけ自然に紹介したかったんです。
それから、歌人たちにとっては人生掛けた勝負の場であった『歌合せ』の緊張感も、多少なりとも表現したかったんです。

不出来な部分も多いのですが、そういう部分で楽しんでいただけると嬉しいです。

拙作にも関わらず、お褒めいただき、ありがとうございました!
  • 貫雪
  • 2014年 07月09日 21時19分
[良い点]
お帰りなさい。お待ちしていました。
私にとって古今集は頼りになる参考書で、なにかとお世話になっています。
たとえば花の時期などネットでも調べますが、現在の栽培種と開花時期が異なっている可能性もあるので、
確認に使っていました。

でも、それを思いついたのは貫雪さんのこの作品を読ませてもらったからですね。
手元にはあったのですけれど、過去に一年以上かけてちまちま読んだ後は開くことも稀でした。

おかげで夏の歌を調べていた時に
 ほととぎす汝が鳴く里のあまたあれば なほ疎まれぬ思ふものから
 (ほととぎすよ、おまえが泣く里はたくさんあるのでやはり疎ましい、お前のことは好きだけど)
の歌を見つけて、

これは源氏の藤壷の「なほ疎まれぬ」の元歌ではないだろうか
→ 直前の王命婦のセリフを調べるとなんと躬恒の「塵をだに」から来ている(手持ちの本の注釈にあった)
→ 結論、紫式部は紅葉賀を古今集の夏の歌を読みながら作った
という発見に到りました。

こんな素敵なリンクに気づけたのも「やまとうた」のおかげです。

この話で好きなところはたくさんありますが、
淑望に文章生になることを譲って歌人になることを決意した時のすがすがしさや
不遇の時代に屏風歌で切り抜ける前向きなところが真っ先に思い出されます。
青年の覇気や思いやりが清風に吹かれたような気分にしてくれます。

これからもこの素晴らしい作品を続けてくださると嬉しいです。
  • 投稿者: Salt
  • 2014年 06月15日 23時33分
ありがとうございます。
読んでいただけたことも、感想をいただいたことも、お待ちいただいていたことも。
お礼を言うべきことが多すぎて、収集つかない思いに駆られるほど感謝しております。

古今和歌集はその後の長きにわたって最大のテキストとして用いられていただけあって、各作品に与えた影響は多々あるのでしょうね。
国風文化豊かな平安時代とはいえ、やはり広く流布した文学、文芸はそう多くなかった時代なので、その道で表現しようとした人たちはさぞやむさぼるような思いで書物を吸収したんだろうと思います。
だから平安文学は驚くほど各作品がリンクしているようです。とても覚えきれないし、調べきれないくらいに。

あの長い源氏からリンクを発見、確認なさるとは、本当に勉強熱心ですね。読み流さずに関心を留め、もうひと掘りなさる姿勢に感服します。
そしてその小さなきっかけに私の話がなれたことは望外の喜びです。

当然、貫之の性格から起因する話は、すべて私の完全なフィクションですが、友人のために骨身を惜しまない後年の彼の姿勢や、貫之が主宰した曲水の宴に参加しなかった人は「歌の道も知らで」と躬恒に言わしめたとされる彼の尊敬のされ方、晩年になっても任官をあきらめず、それが土佐行という苦難をもたらそうとも、腐ることなくそれを日記に記した(しかも、女性を装って!)軽快さなどから、彼の人間性が浮かび上がってきました。私が勝手に描いたキャラクターですが、貫之という人の歩んだ道あっての想像です。やはり貫之は魅力的な人です。

確かに季節の出来事や表現は、古今集や枕草子などが便利ですよね。
ネットで旧暦で調べれば正確さではそっちが勝るかもしれません。千年も前に書かれたことはすべてが正確とはいきませんし、わからないことも多いですから。
でも、表現の世界ではそれ以上に大切なのは、当時の人々の『心の記憶』のほうだと思います。

古典で表現されたことや場所などが、科学的な検証とは一致しないことがよくあります。それは地名が間違っていたり、たまたま花の開花時期がその時狂っていても、誤認したままだったりなど。
でもそれは当時の感覚に寄り添っていた可能性があると思います。地名が誤りであっても、その方が情緒があると多くの人が納得できる場所なら、その地に対する思い入れの深さが伝わります。実際より季節の早い花にも、その花の開花を待ち焦がれる人々の強い思いが込められているでしょう。

古典には図鑑や記録資料にはない、心の記憶の正確さがあると思います。ですから単にネットの検索に頼るだけでなく、当時の人が残した古典に確認を求める Salt様の姿勢は、本当に尊敬できます。

そんな勉強熱心な方に読んでいただくにはこちらは勉強不足で、恥ずかしいばかりですが、窮屈な時代でもすがすがしく生きた人々や、彼らが生み出した美しい歌の数々を思い出していただける一助になれれば、幸いです。
  • 貫雪
  • 2014年 06月16日 10時41分
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