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[良い点]
久しぶりに読み返しましたが、楽しい時間をすごせました。正直最初は元綱は実在していたと思ってなく、最後まで読んでちょっとびっくりしたりしました。
[気になる点]
こちらでは長く活動されていないようでしたが、Twitterなどでは一応動きがあるので安心いたしました。

[良い点]
元綱視点からの物語で、とても面白く興味深く感じた。

  • 投稿者: 粟屋
  • 2018年 11月21日 15時51分
読んで頂き、ありがとうございました。
  • 堀井俊貴
  • 2018年 11月23日 05時52分
[良い点]
地理に関して細かく解説があり、頭の中で立体的な情景が浮かびました。
(広島の地理はあまり詳しくないので、そこはGoogleマップなどと、にらめっこしながら頭の中で整理をしたり)

風土や生活の描写も、場面の想像の助けとなりました。
没入し過ぎて、私生活(料理の献立や調理法)にまで影響が出た程です。

素晴らしいと感じた点を挙げればきりがないのですが、
あとは、全ての登場人物を、全否定(卑下)する事無く描かれていた点が私の心に響きました。
[気になる点]
一切ありません。
[一言]
先程、完読しましたので、感謝の気持ちと感想を。

まず、この作品に出会えた事に心から感謝致します。

年末に福岡の漁村に引越し、自然に囲まれた落ち着いた環境で、
大好きな歴史に関するサイトを巡ってみようとしていた所でした。


「小説家になろう」のサイトを利用するのは今回が初めてです。
「異世界転生物のライトノベルが集まるサイト」という先入観があり、今まで避けていました。
まさか、こんなに重厚で歴史研究書のような作品があるとは…。
お恥ずかしい限りです。

時に布団に入りながら、時に港で海を眺めながら
文章を咀嚼するように、ゆっくり月日をかけて拝読致しました。
とても幸せな時間を過ごせました。
ありがとうございます。
(月並みな表現ですが、大河など連続ドラマになって欲しいと感じました)
  • 投稿者: いもむし
  • 2018年 05月30日 21時59分
感想ありがとうございます! とても嬉しい言葉をたくさん頂きました。
こちらこそ、声を掛けてもらって感謝しています。

>年末に福岡の漁村に引越し、自然に囲まれた落ち着いた環境で、
>大好きな歴史に関するサイトを巡ってみようとしていた所でした。

あぁ、素晴らしいですねぇ。
僕は、「晴耕雨読」が人の理想だと思いながら、現実がままならない
底辺の肉体労働者ですので、うらやましい限りです(笑

>全ての登場人物を、全否定(卑下)する事無く描かれていた点

そうですね。この作品には、性格的に救いようがない、
人間としてクズというキャラは、ほとんどいなかったように思います。
でも、そういう人間って、現代でさえ、そんなにいないですよねぇ。
今より遥かに命の価値が軽く、殺伐とした社会状況の戦国時代においては、
人の上に立つ人間がクズでは、組織は立ち行かないでしょう。
皆それなりに、それぞれの場所で精一杯頑張って生きていたと思うのですよ。

>とても幸せな時間を過ごせました。

あぁ、作者冥利に尽きます。
そう言ってもらえれば、頑張って書いた甲斐があったというものです。
こちらこそ、ありがとうございました。
  • 堀井俊貴
  • 2018年 06月01日 20時43分
[良い点]
丹念に史料を調べた上で、作家としての発想を広げ、物語としてうまくまとめていると思います。
[気になる点]
第一章 長兄の死(二)の中で「兄上の弔い合戦」という言葉が出ています。しかし「弔い合戦」というのは、戦死者の仇討ちのための報復戦のことを指す言葉だと理解しています。人が死んだ時期に偶然生じた争い事の意味ではないでしょう。

第二章 祭りの後の中で「上野(こうずけ)民部大輔」という人物が出ています。足利義稙~義輝に仕えた上野(うえの)民部大輔信孝のことでしょうか?仮にこの人物比定が誤っていたとしても、足利氏近臣で「上野(こうずけ)氏」なる氏族は知りません。

とりあえず、読み始めに気付いた二点について指摘しました。私も小学生の時にそうだったので理解はできますが、自分の知識を盛り込もうとし過ぎて、多少「衒学的」になっている感があります。

[一言]
昨今出版されている史実を勉強していない多くの浅薄な歴史小説(?)(というよりも、時代を過去に設定しただけのオハナシ)と比較して、好感が持てます。最近は なろうへの投稿がないようですが、また新作をお願いします。
  • 投稿者: 福岡華子
  • 2017年 08月27日 15時05分
コメントありがとうございます。


>「弔い合戦」というのは、戦死者の仇討ちのための報復戦のことを指す言葉だ

言われてみればその通りですねえ。気がつきませんでした。
改訂する際には留意して手直しすることにします。

>上野(うえの)民部大輔信孝のこと

ああ、そうです。僕が訓み方を間違えていました。すぐ訂正させて頂きます。
ご指摘ありがとうございます。


新作--そうですねぇ。いい加減、なんか書かなきゃなぁとは思ってるんですが、なかなかのめり込めるテーマが見当たらないのと、史料集めがぜんぜん進まないので、停滞し切っているのが現状です。

嬉しいお言葉を頂きました。ありがとうございました。
  • 堀井俊貴
  • 2017年 09月06日 18時57分
[良い点]
私の故郷を題材にしてありがとうございます。
懐かしい地名 字名が出て 嬉しいです。
以前 読ませて頂いてましたが もう一度
読ませていただきます。
  • 投稿者: 太朗2
  • 2017年 07月21日 10時28分
ありがとうございます^^

新作も書かず、すっかりご無沙汰しております。
もうちょっと頑張ろうと思います(汗
  • 堀井俊貴
  • 2017年 07月23日 22時24分
[良い点]
 元網の事件や毛利一門の諸家くらいまで走っていましたが、外戚の高橋氏のことや麻原氏の謀反は知りませんでした。おそらく十分な資料調査を踏まえてお書きになったと思います。
 表現や話の運びなどプロの小説家にも遜色のない出来と感じました。
[気になる点]
 何も見当たりません。
[一言]
 今後もご活躍を期待しています。
  • 投稿者: nob
  • 2016年 12月23日 05時00分
お褒め頂き、ありがとうございます^^

元就が若い頃は、毛利家は本当に弱弱しい存在で、強力な外敵(武田氏)や厄介な外戚の隣人(高橋氏)がいたり、家中には横暴で強力な派閥があったり(井上氏)、おまけに当主の兄が若くして病死したりで、書いてる僕がほとほと同情しました。根が心配性の元就なぞは、酒に逃げることもできず、枕高く安眠したことがなかったんじゃないかな~。
そんな元就にとって、戦さに強い元綱は頼れる弟だったと思います。
そう考えると哀しい事件ですね。
  • 堀井俊貴
  • 2016年 12月24日 19時38分
[一言]
先生の御推察通り、「相合四郎」の墓は元網ではないと思はれます。毛利元網は尾張へ逃れ織田家の家臣となって、石山本願寺の戦にて討死しています。その子は毛利元辰と言って
織田信治に育てられました。本能寺の変の後、秀吉と秀次に仕え、秀次生害により牢人となります。しかし、関ヶ原の戦いの時、黒田長政に助力しその功によって黒田家へ召し仕えることとなりました。「黒田家譜」には毛利元辰の名があります。
  • 投稿者: 毛利憲隆
  • 2016年 12月10日 18時59分
貴重な情報、ありがとうございました。

元綱のその後については、僕が調べた限りではわからなかったのですが、そうですか、「黒田家譜」にそんな記述がありましたか。驚きました。
それにしても、まさか織田家とは。
元就と信長は、信長の上洛直後という、けっこう早い段階から通信がありますが、弟の存在がそこに関わっているのでしょうか。いろいろ想像を掻き立てられます。
  • 堀井俊貴
  • 2016年 12月11日 18時42分
[良い点]
すごい良かったです。話言葉も単語も実際その時代で話されているかのようで本文と合わせて臨場感が出て、より一層楽しめました。
[気になる点]
なし。
[一言]
僕も丁度、この時代の小説を書いているんですが、芸能の話が出てきたときには、あちゃーって思い、司箭院興仙が出てきたときも、あちゃーって思いました。僕は司箭院をほんとに空を飛ばそうとしています。恥ずかしいんですが、話としては半分ほど行ってしまって今更戻れないんで、司馬遼太郎がいてこその山田風太郎だもんなって自分に言い聞かした次第です。といっても僕はどちらかというと司馬遼太郎が好きなんですが(笑)
感想ありがとうございます!

>司馬遼太郎がいてこその山田風太郎

あぁ、わかる気がします。
いろいろ解釈はできるんでしょうが、エンタメは究極的には面白ければ何でもアリなので、空飛ぼうが魔法使おうが面白ければオッケーでしょう。
お作、ジャンルがファンタジーになっていたので、歴史モノだと気づいてませんでした(汗 とりあえず司箭院出て来るところまで読んでみますね。
  • 堀井俊貴
  • 2016年 05月13日 02時24分
[一言]
読みごたえのある良い作品でした
毛利家と言えば有名ですが私自身が岐阜の生まれでどうしても信長とか近場の有名な人に目がいってしまいあまり詳しくはなくそういった意味では先が読めず大変面白かったです
これ読んでまず思ったのは毛利家の当主の短命さですかね元就の息子も長生きではないですし
短命で私が知っていたのは松平ですが彼らは病気とかではありませんからね
元綱についてはこの物語を読むまで全く知りませんでしたがこのことがなければもっと名をあげたのかな
でもこういう不幸があったゆえ元就は親族を大切にしたのかなとは思いました
完結お疲れ様でした

  • 投稿者: 一兎
  • 2016年 03月21日 09時35分
感想ありがとうございます^^

一兎さんは岐阜ですか~。僕は三重でして、東海地方の武将は割かし知ってるんですが、中国地方についてはまったくど素人だったんです。毛利家を書くに当たっては、地理を勉強するところから始めました。
おっしゃるように毛利家は短命の当主が続きましたね。当時で言えば元就だけが異例の長命で、親兄弟も甥も息子たちも、長生きと言えるほどには生きられませんでした。松平家のように非命に斃れたというのとはまた違いますが。

元綱がそのまま毛利家で永らえていれば――。
郡山城合戦では活躍したでしょうねぇ。その後は備後方面で活躍し、小早川隆景の師父のような存在になっていたんじゃないかな~と妄想しました^^;
  • 堀井俊貴
  • 2016年 03月23日 02時10分
[一言]
驚くかもしれませんが私は元綱の子孫にあたります。数十年前に毛利家で生誕何百年かの祝で家系図が再編され、私の祖父までの代までが記され、記念の品に盃が制作されました。ちなみに祖父の苗字は吉岡です。かなり詳細な記録で現存しています。
  • 投稿者: 清水
  • 2016年 01月19日 21時50分
コメントありがとうございます。
元綱のご子孫の方ですか~。いや~、お声を掛けて頂いて嬉しいです。

元綱の子である敷名元範に、少なくとも二人の男子がおりまして、養子に出した方(下の子?)は馬屋原姓を名乗ってますが、いずれにしてもその二人からまた枝葉のように子孫が増えていったのでしょうねぇ。
その数十年前に再編されたという家系図、興味深いです。
  • 堀井俊貴
  • 2016年 01月20日 19時21分
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