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[良い点]
お疲れ様でした。

>普請奉行・木下藤吉郎秀吉、部下が幽霊部員化しているため弟が非常勤として参加。遅々として進まない上下水道の整備に勤しむ。

後の秀吉個飼いの部下は、今の時期なら食い積めた浮浪児や孤児ばかりだからなぁ。
いつも感想ありがとうございます。

ええ、なんといいますか。
人材不足で浮浪児や孤児たちに仕事をやらせていたら、立派に成長したっていうオチです。何事も下積み大事。
一緒に辛い仕事をしていたら連帯感が生まれるわけですが、佐吉くんはお寺にいたのでこういう時期知らなくて、秀吉様が率先してドブさらいするわけないだろう馬鹿か貴様と言い、正則たちと喧嘩になるんです。
内心では「汚れ仕事も務める秀吉様素晴らしいです」と思っているのに口に出さず、より職務に励むようになってワーカーホリックを清正たちに咎められ、また喧嘩になって、とうとうおねね様の制裁が下るところまで妄想余裕です。
[良い点]
お疲れ様でした。


>一人残らず月代頭になったのは言うまでもない。

アレ、兜を長時間被る機能的な髪型なんですよ。
まあ、剣道やってる人なら理解できるでしょうが、兜を長時間被ると蒸れるのです。そして出来るだけ汗が乾きやすく蒸れにくいように考え出されたのがアレです!(蒸れると当時は皮膚病にかかる事もあり、また酷い病気に掛かる原因の1つでもありました)


いつも感想ありがとうございます。

通気性がよく、禿げ防止にもなって一石二鳥ですねっ。
月代が一般的になったのはいつ頃か定かでないようですが、作中の「はげろ」を言わせたいがためにネタとして使わせていただきました。
[良い点]
涼しげな頭のノブナガと小姓側近。
ノブナガはともかく、犬と猿のハg・・・涼しげな頭はあまりイメージがなかった。
[一言]
とある名将の話を少々。

生涯六十数回の戦で9割近い勝率。奇策縦横でありながら、正攻法を基本戦術とする方です。彼は勝利時にあまり喜ばなかった(内心は不明ですが)ようです。逆に敗北時には明るくなり、将兵に酒や肴を振舞って宴会をした事もあるそうです。

前に作中に出てきた上司の言葉と、「全員はげろ」のセリフで、何故か彼が思い出されてしまった。
いつも感想ありがとうございます。

>涼しげ
その表現があった(笑)
現存している武将たちの肖像画はほぼ月代ですが、ゲームや時代劇では総髪の人も多いですよね。今回の大河も、信長・信忠はきっちり剃っているのに総髪がそれなりにいたので、いつかネタにしてやろうと狙っていました。

>とある名将
聞いたことあるなあと思ったら、ナポレオンでした。
数々の名言を残した人でありますが、「はげろ」は聞いたことないです。でも愚痴ついでにぼやいちゃったら、きっと全員剃りますね。
意外に信長とナポレオンは共通点があるような気もします。彼らが同じ時代に生きてタッグを組んだとしたら、世界制覇できていたかも…?
[一言]
下の投稿をした後に一人思い出しました。
織田信張という人。信長のいとこにあたり、少し年上。
弘治年間には既に、信長に従い終世ずっと味方だった珍しい人です。
ほとんど具体的な実績が残っていませんが、貴重な一族衆の一人だったよう。

あともう一人、おつや(艶)という人がいます。親父殿の妹で信長の叔母に当たる人です。
信長と年齢が近く、この頃はまだ未婚で姉に近い存在であったよう。
かつ織田の女の例に漏れず、美女であったらしい。
身近な美しい叔母ということで、信長と若い頃にxxな関係だったという噂もある。
史実では、信長の命で岩村遠山家に嫁ぎ悲劇的な最期を迎えるのですが、危険な遠山家に出すには少々勿体ない。もっと良い嫁ぎ先があると思う。

いつも感想ありがとうございます。
まとめてお返事させていただきます。

一番の理解者になる人は書き始めた時に決めているのですが、補佐役が未だに決まらなくて困っています。舅殿や信光も今後のことを考えた結果、退場してもらうことになってしまいました。

>長島
うつけがどんぶらこっこと、流れていきまし……ではなくて(笑)
伊勢国については本当に知らないことだらけだったのですが、どうあっても欲しくなりましたので切り崩します。
ご期待に添えるよう頑張ります!

>織田一族
なるほど、信張の名はどこかで見たことがあります。ちょうど信光の息子たちも出番がありそうなので、いとこ同士で絡めていけるかもしれません。
あまり頭良すぎると、貞勝にもっていかれそうですが……。
おつやの方は、上手く扱える自信がなかったので見送った一族の一人です。とはいえ、書き始めた当初から状況も変わってきたので少し考えてみます。
(うふふな関係をネタに使いたい、とは言えない)
[一言]
爺に続き、舅殿も助けることができなかったか。
ノブナガの理解者、補佐役を見つけてほしい。誰かおらんかねぇ。織田一族で野心のない人。兄貴は無理だよねぇ?脳筋だし。
間もなく稲生の戦いか。これが終われば少し息がつけるかな。

長良川でキレて突撃し、何故か長島へw
長島と商いを通じて融和を図るのは面白いですね。
豊かならわざわざ戦う必要はない。それは確か。
上手く切り崩しができればいいですね。続きが楽しみです。

[一言]
遅筆ながら一言
信長公記の原文の校注本でしたら2冊出てます
1冊が角川文庫から出てます 現在絶版
(http://www.amazon.co.jp/信長公記-角川文庫―名著コレクション-太田-牛一/dp/4044037019)
1冊が人物往来社から出てます 同じく絶版
(http://www.amazon.co.jp/信長公記-太田-牛一/dp/4404024932)

文庫なら手軽に読めるにでおすすめです

いつもお役立ち情報ありがとうございます。

文庫版の存在は知らなかったので、早速検索かけてみようと思います。
ざっくりと内容を知るだけなら現代語訳だけでも十分ですが、この時代の表現や言葉の使いまわしは原文を見た方が理解しやすいので助かります。
読む暇があるかどうかは別として……。
[一言]
>「帰ったか、三郎!!」
>「おう」
>「具足のままか。ちょうどいい、来い!」
> その言い様に、片眉を跳ね上げる。
誰がいったのか?信広?
ノブナガ以外の主語を抜けていると 物語りの場面が不明瞭になります

相手は信次の動きで 驚き怒っているのか、或いは、この機を待っていたっと喜んでいるのか 
そういう反応を書かれない分、
状況も、登場人物の個性をも立たせられなくなりますよ。
  • 投稿者: 濡れ衣
  • 30歳~39歳 男性
  • 2016年 03月29日 18時01分
ご指摘ありがとうございます。

会話の相手は信広です。
該当部分を見直して、足りないと思われる描写を追加しました。
[良い点]
お疲れ様でした。

>森可成はそれなりの年齢なので、息子の長可が初陣する頃かなと思っていたら小学生ですらなかった驚きの事実


森可成が討死した時、長可が慌ただしい感じで家督を継ぎますからねぇ。 この時期は未だ元服すら出来てないでしょう。
いつも感想ありがとうございます。

可成はもともと織田家家臣ではなかったので、子が生まれるのも遅かったのかもしれません。ちっちゃいのを出そうか検討中です。
[一言]
>昔からあったのは、大根、水菜、ホウレン草くらいか。あとは山菜、雑草。
>野菜を食べず、米ばかり食べていれば病気にもなる。
大阪の陣の後の、直江兼続のお話
直江兼続さんが安田順易さんのお家に行きました
ちょうど朝食時だったので「食事中で・・・」と
すぐに出て行かなかった順易さん
兼続「今朝のお食事はなんですか?」
順易「え・・・ご飯と汁(味噌汁ではなく塩汁という説も)。おかずは蓼と塩。」
兼続「蓼と塩だと!?そんな贅沢な食事をして!」
と、安田を叱ったという話。なお、藤堂高虎も大名になった時に将軍家から鯛をもらったら、「俺も大名になれたから鯛を食べるという贅沢にありつけた」と家来に自慢したという話がありますし。

余談ながら教育社新書の『信長公記』を読み返しました。首巻の時系列がめったくそなので、首巻の現代語訳に関しては、教育社新書より中川太古さんの訳された単行本のほうが読みやすいです。読んでると首巻偽作説を疑いたくなるのですが、大学図書館から『大かうさまくんきのうち』の翻字本借りて読んでみると、秀次失脚の次の話が秀吉天下統一までの流れ、というめったくそ時系列なので、首巻は偽作ではなく、この人は文章まとめる才能はあっても編集能力は皆無だったのでは、と疑いたくなってくる
いつも感想ありがとうございます。
たくさん書いていただきまして恐縮ですが、まとめてお返事いたします。

>佐吉くん
捕縛後の話は有名なだけにいくつかの説がありますね。
たまたま腹壊していた三成が、老婆を気遣って上手く言って下がらせたという話が個人的に気に入っています。

>断章
こちらの二話後書きで楠家の設定を簡単にまとめています。
今後のことを考えて、十郎の方に長島まで出張してもらいました。伊勢国とはいえ、津島の川向こうなので思ったよりは離れていません。それと正具の子供たちの通称が分からなかったので、祖父・正忠と同じ十郎にしています。

>お役立ち情報
最近はじっくり調べている暇もあまりないので、大変助かります。
長島屋敷の食事に関しては実際に出されていたとされる内容を参考にしていますが、贅沢な食事で怒られたネタは奥州伊達家にもありますね。
リクエストもいただきましたので、織田家の食事事情はいずれ小話集にて更新できるかと思います。
『信長公記』に関してましては紙媒体だと書き込みしたくなるので、ネット上で公開されているものをつまみ食いしています。新書版はいずれ入手したいです。できれば現代語訳されていない方がいいのですが、贅沢は言えません。紹介いただいた書籍も面白そうなので、探してみようと思います。
伊勢国の話は、今後もちょいちょい出てきます。いずれ北条家から白鳥を贈られる身分になったら、伊勢エビ食べさせてみたいですね。

甘葛の甘さは砂糖に負けるので、本編ではあまり出てきません。小話集に金柑の甘葛煮が出てくる話を載せていますが、これも蜂蜜を加えています。

世良田姓で突っ込まれても、未来の狸さんは上手く逃げますので大丈夫です。むしろ数々の嫌がらせを受けて、狡賢くたくましく育ってほしい(笑)
正信は、三河一向一揆を想定した上でキャラクターを作りました。とはいえ、今後どうなっていくかはまだまだ未知数です。

大筒や足利学校に関しても、これから少しずつ分かることが増えていきます(調べている途中ともいう)。戦争は文明を大きく発展させるといいますが、年中戦をしていて進歩がみられない時代も珍しいかと。それだけに信長のやり方が急進的だと言われるのでしょう。
ちなみに大筒は「鉄砲があるし、構造が簡単そうだから作れる!」と主人公の安易な考えから暴発させました。石火矢から国崩し級の大砲が広まるまで、こういう暴発事故は珍しくなかったようです。
[気になる点]
>渋い柿が、こんなに甘くなる。ついでに栄養たっぷりで体にもいい
石田佐吉君(-5歳)「柿は肝の毒なんだぞ。どうして体にいいんだ!!」

>断章
ずいぶんぶっとんだ展開になりましたが、長良川を伊勢まで降りたとなると、当主戦死とかの流言が流れて織田信行の当主擁立などの死亡フラグがおきると思いますが・・・

[一言]
>ぼくは世良田次郎三郎元信、と名乗ろうと思う。
世良田を名乗るとは思いませんでした。なお、世良田を名乗ると、公家衆より、三河統一のため三河守任官を望んだ際、「世良田氏に三河守叙任の前例はないゆえ、任官はできぬでおじゃる」といやがらせをうける模様(史実)

>ひたすら家康のために尽くした人
私にはこの作品の正信は『銀河英雄伝説』に出てくるオーベルシュタインのイメージで描かれました。ただ、そうすると、三河一向一揆でイメージが崩れますが

>海を渡ってくるにはまだまだ時間がかかるようだ。
大筒の渡来は、1574年、大友宗麟がフランキ砲(国崩し)を購入したのが最初といわれてますからね。もともと大砲の原型は中国が宋~明にかけて作ったものを欧州が改良したといわれています。応仁の乱では三眼銃(いちおう、これを石火矢と呼ぶ)らしき銃が使われたそうですし。ただ、ナポレオン戦争時のような威力のある大砲はこの時代では作れないでしょうね。結局、装填の筒が砲身の装填部分に上からはめ込んで入れますが、砲身にピッタリきっちりとは入らないので、隙間が出来て満足に飛ばないんですよ。

>そもそも砂糖の原料となる植物の栽培ができたら、こちらから商品として売り出せるのだ。
砂糖が入って来るまでは、「甘葛」というシロップを甘味料として使っていました(「削り氷にあまづら入れて、新しき金鋺(かなまり)に入れたる」『枕草子』より)

>軍師(軍配者)を多く輩出した足利学校のことを忘れていた
実はそういわれているけどそんなに有名な軍師が卒業していないという 確か山本勘助とか講談に出てくるレベルの人しかいないような・・・あ、曲直瀬道三は卒業生だったなぁ

>伊勢土産
食べ物ならハマグリ、アワビに伊勢エビ
工芸品なら「伊勢形紙」でしょうかね

>十郎
楠正賢かな?ちなみに北畠家の楠氏は、伊勢水軍を率いていたとか

>江戸患い
鈴木眞哉『戦国時代の大誤解』を読むと、この時代の食事の話と行軍の話などがのっているので参考になるかと(通説ぶった切りで書く人なので注意してお読みください)
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