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[一言]
野菜の話をもう少し。
正月の少し後に食べる七草がゆというのがあるが、この七草は古来からある野菜。
特にカブは葉も美味しいしビタミン豊富。
高菜や小松菜、野沢菜などもあったよう。高菜や野沢菜は漬け物にしてご飯に巻けば戦にも持っていけるね。
またしても、お役立ち情報ありがとうございます。

七草粥は時期を逃していたので書きませんでしたが、そのうち食べさせてみたいですね。作り方が悪かったのか、やけに苦かったんです。

>高菜や野沢菜は漬け物にしてご飯に巻けば
それだー!! 
ちらっと本編で出た握り飯ネタを少し広げた形で何か書こうと思っていたのですが、バリエーションが欲しかったのでとても助かります。
[良い点]
お疲れ様でした。

お前、なにしに来たんだ?と突っ込みたくなるグダグダな状態に(笑)

森蘭丸が、実は変態的なまでに存在感が無かったら面白そうだなぁ。(美形と言う評価はそのままでw)
いつも感想ありがとうございます。

少なくとも戦では負け知らずだった信長が初めて味わった敗北です。
それが知識の足りない主人公にやらせるとこうなる、っていう…。格好悪い感じがちゃんと出せているようなので、一安心です。

>森蘭丸
存在感のないイケメン(笑)
織田家ともども美形率は高い上に能力主義ですから、相当頑張らないと出番はもらえません。そして歴史的に有名でも(忙しすぎて)出番が削られる奴もいます。
[一言]
脚気は支配階級にかなり昔からあったようです。
ご存じとは思いますが、ビタミンB1です。原因はビタミンB1がない白米の食べ過ぎ。
公家や武家等支配階級は白米中心、庶民は雑穀中心。なので庶民は脚気になることはなかった。
秀吉も脚気であったという説もある。
江戸時代になると豊かになり、町人も白米を食べるようになり脚気が増えるようになる。
対処法は至極簡単で、精米時に胚芽を残すようにするだけ。あとは豆類やキノコを食べて補う。もちろん麦飯も良い。

野菜もこの時代、大変少なかったよう。現在ある一般的な野菜はほとんどない。
キャベツ、ニンジン、白菜、玉ねぎ、キュウリ、ジャガイモ等は全て江戸時代以降に舶来したもの。
昔からあったのは、大根、水菜、ホウレン草くらいか。あとは山菜、雑草。
野菜を食べず、米ばかり食べていれば病気にもなる。

いつもお役立ち情報ありがとうございます。

支配階級が脚気になりやすかったのは、やはり石高(つまり米の収穫量)制度の影響でしょうね。米は税収で入手しやすいのと、ほぼ稲作で土地を使っていれば野菜を育てる余裕なんかなかったかもしれません。
秀吉が脚気だったというのは自分も知っていましたが、健康マニアと伝わる家康は予防策にも余念がなかったという違いがあったら面白いです。

>現在ある一般的な野菜はほとんどない。
本編で本格的に食生活問題へ手を付けなかったのは、それもあります。舶来物はどうしようもないですし、定着させるだけで膨大な時間がかかります。独自の農法を開発するには詳細な知識も必要になりますし…。
それから野菜類は食用とされていても、薬扱いのものもあったようです。
[一言]
首が座ってくる頃には前へ進むよりも横へ進みたがった
首がすわったらごろごろ、横に行くのは普通??
感想ありがとうございます。

普通なのかどうかは分かりませんが、上の姪は横へごろごろが好きでした。
前へ進ませようとするなら、暴れて怒ったくらいです。
下の姪は横にも前にも行きたがらず、友達の子供は前へ進むのがすごく早いです。おそらくは個人差というか、性格が影響しているのではないでしょうか……。
[良い点]
非常にPOPで読みやすいです。
更新も早くて驚いています。
[一言]
うーん、筆者はご存じで作中のノブナガさんが知らないだけかも知れませんが……。

江戸患いは脚気で、一種の栄養失調です。
江戸から出れば治ったのは玄米を食べるからですね。
江戸で蕎麦が好まれたのも脚気予防があるとか……。

江戸ばかり有名で大坂では無かったのか……と思ったら「大阪腫れ」という名前で脚気はあったそうです。
感想ありがとうございます。

ライトノベルらしい作風にしてみたくて、軽妙さは特に意識しています。読みやすいと言っていただけて、とても嬉しいです!
更新速度は、そろそろストックが尽きるので…(汗)

>江戸患い
後書きに注釈入れておくべきでした。
気を遣わせてしまい、申し訳ありません。
作中にあります主人公の認識は、かつての自分です。
脚気そのものをよく知らなかったので、江戸って怖い!なんて思っていました。水車小屋についてのご指摘もいただいていますので、蕎麦についても本編かどこかで出せたらと考えています。
なんと、大阪にもあったのですね。となると、米どころと呼ばれる地域は脚気が多かったのかもしれません。
[一言]
追記:信長様、世の戦国大名の中には魚のギギに顏が似ているから、於義丸とつけられて子や、天才丸とつけられた子もおりますから
いつもお役立ち情報に、感想までありがとうございます。
まとめてお返事させていただきます。

前書きの件は「絶対つっこまれる!」と思ったので、言い訳気味に足したものです。以前から濃姫に子供がいなかった説は変だなと思っていたのと、信忠の出生に諸説あることから辻褄の合う設定を考えてみました。
(濃姫に関しては随分後に娘が生まれた、という説もあるようですが)

主人公が頭を抱えてしまいたくなるような名前がいっぱい(笑)
子供がたくさん生まれる時代だったので、いちいち考えるのも面倒だったという話を聞いたことがあります。元服するとまともな名前になるのも、早世してしまう子も少なくなかったからなのかもしれません。
於義丸ともかく、天才丸は……この時代の「天才」が文字通りに天賦の才という意味だったら、すごい親馬鹿ですよね。ちゃんと名前が残っている男児に比べると、女児の扱いはどうなのと考えなくもないですが。
通称で呼び習わすのが一般的だったため、すぐに嫁いでしまう娘にはちゃんとした名前をつけなかった(一の姫、二の姫など)という話を聞いたことがあります。出家後、あるいは法名しか残っていないのはそのためだとか。

>医学中興の祖
フリーで活動する医者がいたんですね。
偉くなってからの信長が診察を受けた話は覚えがありますが、足利学校の存在をきれいに忘れていた自分を殴りたいです。「信長公記」もじっくり読む暇がないので、こうして感想欄でピンポイント情報をいただけるのは非常に助かります。
曲直瀬先生、死相を読んで津波予測しちゃった伝説がありますね…。
名医ってすごい(笑)
[良い点]
出産おめでとうございます。
信忠の母親に関する丁寧な解説、大変親切に書いているなと思いました。 私も大河ドラマなどで生駒氏が母親だと思っていたので、この解釈に驚きました
[一言]
>「ええ。奇妙丸と名付けました」
>「あなたが、そう言っていたと聞いたのだけれど」
顏が生まれたてだとおかしな顏をしているから、奇妙丸。(一説に、自分が父親になった奇妙な感覚を表した、とも)
以下、信長には12男12女の子どもが生まれますが、(父信秀は12男14女でした)その名前もまた、すさまじい

2男:織田信雄 幼名は茶筅丸。(茶筅はお茶を点てる道具。当時茶道にはまっていたから)
3男:織田信孝 幼名は三七。(3月7日に生まれたから)
4男:羽柴秀勝 幼名は 幼名は於次(元服前に秀吉の養子になったのでこの名前 幼名は3男の次だからか)
5男:織田勝長 幼名は坊丸(坊やという意味か)
6男:織田信秀 幼名は大洞
7男:織田信高 幼名は小洞(6男と7男はセットでつけられたとか。ちなみに信高の子孫があのフィギュアスケーターの信成)
8男:織田信吉 幼名は酌(お母さんがお鍋の方 当時は鍋をすくうお玉を酌と呼んでいました)
9男:織田信貞 幼名は人
10男:織田信好 幼名は良好(10男と11男は関ケ原の戦いで西軍に所属し、戦っている)
11男:織田長次 幼名は縁(「みどり」ではなく「えん」と読むとか)

まあ、とにかくぶっとんでいます(女子のほうは、記録が少なく、わかりませんでした。)

そういえば、この時代に活躍した名医がおりまして、1人が、諸国を放浪して16文以上の治療代を受け取らず「医聖」と言われ、武田家の侍医も務めた永田徳本。もう1人が日本医学中興の祖と言われ、信長、秀吉を診察した曲直瀬道三。
例えばどちらかに産後の濃姫を診察してもらってもいいかもしれませんね

[一言]
よかった。無事生まれて。
奇妙丸か。生まれたての男児はみたことがないが、奇妙なものなんでしょうな。
お濃にもしっかり精をつけて、奇妙を育ててもらわないとね。

いつも感想ありがとうございます。

寿いでいただけて、ほっとしています。
赤ん坊の描写については父のコメントを参考にしました。頑張って産んだのに何てことをと思いますが、感動よりも驚きが勝ったそうです。
乳母がつくので帰蝶が育てるわけではありませんが、主人公の方針として親子仲良く共に成長していくと思います。
[一言]
>余談ながら、こちらのサイトに平手政秀、平手凡秀と梁田政勝などの肖像画がのっているサイトを見つけました。何かの参考になれば

URL張り忘れました。バカ野郎ですね
(http://kenkun-jinja.org/36-vassals.html)
  • 投稿者: 山内伊右衛門
  • 2016年 03月20日 22時12分
返信とお役立ち情報ありがとうございます。
追記の文とまとめて、お返事させていただきます。

>日本初の病院
おお、それは知りませんでした!
九州はさすがに遠いですね…。大友宗麟はキリシタン大名としても有名ですし、西洋の文化を積極的に取り入れたということになるのでしょうか。
どんな風に実現させたのか気になるので調べてみます。

>URL
サイト確認しました。ありがとうございます。
資料を集め始めた時点ではまだ幼すぎるか、生まれていなかった武将も多かったので簡潔にまとめられているサイトはとても助かります。
武装している肖像画なので、描写の参考にできると思います。がんばります。
[一言]
>医学書は濃姫の件で主人公が反応しそうですし、印刷された経典は配布(懐柔目的)に使えるかもしれません。
 すいません。一つ忘れていました。実は、宣教師のルイス・デ・アルメイダ(Luís de Almeida)が、大友宗麟に願って土地をもらいうけ、1557年に外科、内科、ハンセン氏病科を備えた日本初の病院であり、西洋医学が初めて導入された総合病院を建設し、外科手術などを行っています。参考にしていただければ幸いです。

余談ながら、こちらのサイトに平手政秀、平手凡秀と梁田政勝などの肖像画がのっているサイトを見つけました。何かの参考になれば
  • 投稿者: 山内伊右衛門
  • 2016年 03月20日 22時11分
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