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[一言]
竇皇后の人生も弟の広国と再会できた頃が最も幸福だったでしょうね。夫や兄弟に先立たれてしまってからの彼女関連のエピソードはろくでもないものばかりですし。
  • 投稿者: hibimasa
  • 2018年 07月29日 12時00分
 ご感想ありがとうございます。

 そうですね。彼女の幸福の絶頂はその時でしょうね。まあこの人はあまり皇后の地位には似合わない凡人っていう印象があります。

 今後もご感想お待ちしております。
[一言]
朱建が終わりを全うできなかったとは質の良くない者の為に働いたからだと非難した班固ですが、彼自身も同じような理由によって獄死してしまったのは何という皮肉でしょうね。

君子曰くの君子というのが史官の事だとすると、史官は一命を賭してでも事実を後世に残す義務がある職なのだから、君子でなくてはならないという考えから来たのでしょうか。
  • 投稿者: hibimasa
  • 2017年 11月13日 21時49分
 ご感想ありがとうございます。

 >朱建が終わりを全うできなかったとは質の良くない者の為に働いたからだと非難した班固ですが、彼自身も同じような理由によって獄死してしまったのは何という皮肉でしょうね。

 そうですね。彼も朱建と同じような運命を遂げてしまうことになるとは書いている時は思ってもいなかったでしょう。

 >君子曰くの君子というのが史官の事だとすると、史官は一命を賭してでも事実を後世に残す義務がある職なのだから、君子でなくてはならないという考えから来たのでしょうか。

 君子曰くの君子は『春秋左氏伝』の作者の第三者からの客観的な意見を述べるという意思表示みたいです。他に当時の人名を出して対話的批評や予言めいたものを書いたりといったことも作者は書いているようです。

 なので使命感というよりは作者が自分の書きたいテーマを書くために使っていると思った方が良いと思います。

 今後もご感想お待ちしております。
[気になる点]
第一回 小話・裏話

(子産のところ)

 子虎 → 子皮(罕虎)

ですね。

[一言]
晏嬰・子産・趙武は真面目すぎるがゆえに史実の記述から逸脱しそうもないし、
孫武はストイックすぎる上に、戦績が存在を語ってしまっているところもあるので、
動かしづらいのがわかる気がします。

  • 投稿者: yasano
  • 2017年 09月25日 11時10分
 ご感想ありがとうございます。ご返信遅れてしまい申し訳ありません。

 ご指摘された点は訂正させていただきました。

 >晏嬰・子産・趙武は真面目すぎるがゆえに史実の記述から逸脱しそうもないし、
孫武はストイックすぎる上に、戦績が存在を語ってしまっているところもあるので、
動かしづらいのがわかる気がします。

 そうですね。晏嬰・子産・趙武は真面目な人たちですからねそのために色々なことができない部分がありました。

 孫武は強すぎる人物は動かせづらいというのがよくわかる人物でした。

 今後もご感想お待ちしております。




[気になる点]
伯姫伝→薄姫伝
宋の維持を見せる戦い→宋の意地を見せる戦い
勝ちに持っていきしょうな感じ→勝ちに持っていきそうな感じ
[一言]
私が望んでいた通り、登場人物について述べて頂いてありがとうございます。需要?勿論ここにありますよ。


  • 投稿者: hibimasa
  • 2017年 09月24日 21時59分
ご感想ありがとうございます。

 ご指摘された点は訂正させていただきました。

 こんな感じで良いですかね。なら第二回もいずれやろうと思います。次はなにを話そうかな?

 今後もご感想お待ちしております。
[気になる点]
朱建伝

 「王、今すぐ兵に武装を時、
→「王、今すぐ兵に武装を【解き】、

 閎孺は納得し、恵帝に審食其の取りなしを測った。
→閎孺は納得し、恵帝に審食其の取りなしを【図った】。


叔孫通伝上

 陳勝・呉広の乱の首謀者である陳勝らは既に無いが、
→陳勝・呉広の乱の首謀者である陳勝らは既に【亡いが】、

 「そうか。下げって良いぞ」
→「そうか。【下がって】良いぞ」


呂馬童伝

 秦の王族を子嬰を始め殺し、
→子嬰を始めとした秦の王族を殺し

 灌嬰かいえい → かんえい

 しかしながら項羽の強さは未だ劣ろいてはなかった。
→しかしながら項羽の強さは未だ【衰えてはいなかった。】


要離

 要離は伍子胥と共に闔廬にした。
→要離は伍子胥と共に闔廬に【謁見】した。

⇒専諸は同じ暗殺でも子に褒賞されましたが(本編では大分暴れまくりましたが)、
 要離には何も残されないんですよね。
 計略の一端ではあるのですが、無実の罪で棄市された妻子がカワイソス。
 なんとなく、その功の記録もおざなりにされていそうな感じ。


薄姫伝 その一

 田儋でんえん → でんたん

 陳平は目を細めながら、手の内側を見せて、そこい草という字を書いた。
→陳平は目を細めながら、手の内側を見せて、そこ【に】草という字を書いた。

 彼女は宮女に案内され、その夜、魏豹に抱かれた。
⇒劉邦の統一後、趙王張敖が側室趙姫を献上した、という流れがありますが、
 似た流れになるのでしょうか、と妄想。
 しかし、張敖と魏豹とでは立場が違いすぎるし……?
 (宮城谷昌光氏の『花の歳月』で薄太后・竇太后の話が出てきており、
 多少の先入感があります)

  • 投稿者: yasano
  • 2017年 08月15日 18時09分
 ご感想ありがとうございます。ご返信が遅れてしまい申し訳ありません。

 ご指摘された点は訂正させていただきました。

 >⇒専諸は同じ暗殺でも子に褒賞されましたが(本編では大分暴れまくりましたが)、
 要離には何も残されないんですよね。
 計略の一端ではあるのですが、無実の罪で棄市された妻子がカワイソス。
 なんとなく、その功の記録もおざなりにされていそうな感じ。

 まあ妻子を殺して自分を死んだら、彼の功績に与えられるものを受け取る人がいないですからね。記録もあっさりとしたものになってしまうのでしょう。

 >⇒劉邦の統一後、趙王張敖が側室趙姫を献上した、という流れがありますが、
 似た流れになるのでしょうか、と妄想。
 しかし、張敖と魏豹とでは立場が違いすぎるし……?
 (宮城谷昌光氏の『花の歳月』で薄太后・竇太后の話が出てきており、
 多少の先入感があります)

 献上という結果は同じ、だけど流れが大分違う感じになるかなと思います(ほとんど出来上がっていないプロットもどきを見ながら……)

 今後もご感想、ご指摘お待ちしております。

[一言]
叔孫通伝下

叔孫通は劉邦に従い、彼に自分に従っている百人余りの弟子たちではなく、元群盗や壮士といった連中ばかりを推薦した。
⇒『史記』では簡単な記述で済まされていますけど、叔孫通はどういう風にこういう連中を見つけたり推薦するに足ると判断していたのでしょうかね?その様子を想像するとなかなかにシュールだと感じました。

叔孫通伝の最初で彼が樹下の書を燃やすシーンがありましたが、同時期に、壁の中に書を隠す事で多くを後世に残した済南の伏生のような人物も居ました。
叔孫通は当然彼の事は知っていたでしょうが、お互い相手の事をどう思っていたでしょうかね。
  • 投稿者: hibimasa
  • 2017年 06月15日 22時33分
 ご感想ありがとうございます。

 ⇒『史記』では簡単な記述で済まされていますけど、叔孫通はどういう風にこういう連中を見つけたり推薦するに足ると判断していたのでしょうかね?その様子を想像するとなかなかにシュールだと感じました。

 多分、胡亥からもらった金をバラ撒いて集めたかもしれません。

 >叔孫通伝の最初で彼が樹下の書を燃やすシーンがありましたが、同時期に、壁の中に書を隠す事で多くを後世に残した済南の伏生のような人物も居ました。
叔孫通は当然彼の事は知っていたでしょうが、お互い相手の事をどう思っていたでしょうかね。

 伏生はどんな人だったのかは記述が少ないため、わかりませんが、少なくとも叔孫通を批難した連中みたいなことは言わなかったと思いますね。

 叔孫通も伏生とは至って普通に話し合う程度の仲になったかもしれません。
 
 今後もご感想お待ちしております。

[一言]
叔孫通伝上

秦の丞相・李斯が儒者が現政権を批難していると主張し、それを始皇帝が認めたことで、儒者を始め様々な思想家の書物を燃やす、後で言う焚書を行うよう天下に命じられた。
⇒李斯自身が荀況の門下だった頃熱心に読んだであろう書も燃やされてしまう、その事を彼は一体どう感じていたのでしょうね。

始皇帝陵や阿房宮、万里の長城の建築を推進し、匈奴の侵攻に備えるべく大規模な徴兵を行い、二世皇帝自身は贅沢三昧の生活を送った。
⇒父を手厚く弔い、父の政策に倣ったという事からして確かに二世皇帝には儒家を肯定する面があったのかもしれません。そうだとしても結局マイナスとなってしまいましたが。
事実の亡国の皇帝となってしまったのは若年(十代半ばと考えられています)で即位させられ、しかも本来は皇子の一人に過ぎない身であったため始皇帝の後継者としての教育を受けていなかったという彼の責任ではない要素も大きいでしょう。そこから立派な皇帝になるのは困難ですよ。
やはりそんな彼を擁立した李斯と趙高の罪は重かったのですね。
  • 投稿者: hibimasa
  • 2017年 06月14日 22時30分
 ご感想ありがとうございます。

 >⇒李斯自身が荀況の門下だった頃熱心に読んだであろう書も燃やされてしまう、その事を彼は一体どう感じていたのでしょうね。

 荀況は李斯ならやると思われてみたいですし、李斯は特に何とも思わなかったのではないでしょうか。

 >⇒父を手厚く弔い、父の政策に倣ったという事からして確かに二世皇帝には儒家を肯定する面があったのかもしれません。そうだとしても結局マイナスとなってしまいましたが。
事実の亡国の皇帝となってしまったのは若年(十代半ばと考えられています)で即位させられ、しかも本来は皇子の一人に過ぎない身であったため始皇帝の後継者としての教育を受けていなかったという彼の責任ではない要素も大きいでしょう。そこから立派な皇帝になるのは困難ですよ。
やはりそんな彼を擁立した李斯と趙高の罪は重かったのですね。

 教育者が趙高ですからね。ほぼ趙高の傀儡として教育されていたのでしょう。それでも始皇帝の巡行に何度も付き合っており、始皇帝の後ろ姿を見ていたにも関わらず、父親からは何も学んでいないところが彼の残念さが見えますので、本質的な部分はあったように思えます。

 今後もご感想お待ちしております。

[一言]
朱建伝

はっきり言って、朱建は英布のような男は嫌いであった。傲慢で礼儀も知らないような男だからである。
⇒その英布に一時自殺を考えさせるほどの屈辱を与えたという劉邦の傲慢無礼ぶりは一種の才能と呼べるレベルでしょう……

朱建は英布が挙兵した後も宰相として政務を行っており、英布を破った漢軍が淮南を制圧し、朱建のいる執務室に乗り込んでいた。
⇒英布は挙兵に反対した朱建を特に処分してはいないのですね。粛清に怯えながら生き続けることに耐え切れずに挙兵してしまったが、彼の進言の方が正しいのだろうという思いがあったのでしょうか。

審食其を殺し、朱建を死に追い込んだ劉長はおごり高ぶり、謀反さえ図るようになった、それが発覚し王位を取り上げられて、失意の中で死んだ。
⇒自分は何をやっても許される、何をやっても上手くいくといい気になった挙句取り返しのつかないことになって自棄気味に自殺。周囲に朱建のような人物が居ればこうなる前にどこかで止めてもらえたでしょうか。いや、耳に痛い言葉は聞きそうにないので無理でしょうね。
  • 投稿者: hibimasa
  • 2017年 06月12日 23時21分
 ご感想ありがとうございます。

 >⇒その英布に一時自殺を考えさせるほどの屈辱を与えたという劉邦の傲慢無礼ぶりは一種の才能と呼べるレベルでしょう……

 劉邦は人を褒め上手であり、貶し上手でもありますからね。才能と言っていいでしょう。

 >⇒英布は挙兵に反対した朱建を特に処分してはいないのですね。粛清に怯えながら生き続けることに耐え切れずに挙兵してしまったが、彼の進言の方が正しいのだろうという思いがあったのでしょうか。

 朱建は初期の頃から名声はあったようですから、彼を処分して民衆が自分の従わないということを嫌ったのかもしれません。

 >⇒自分は何をやっても許される、何をやっても上手くいくといい気になった挙句取り返しのつかないことになって自棄気味に自殺。周囲に朱建のような人物が居ればこうなる前にどこかで止めてもらえたでしょうか。いや、耳に痛い言葉は聞きそうにないので無理でしょうね。

 周囲に彼を諌める人がいなかったというのも大きいでしょうが、文帝の甘さも問題でしたね。文帝が彼の態度を許し過ぎたところが一番の問題だったのだと思います。最後まで、文帝は彼には甘かったですから。

 今後もご感想お待ちしております。
[一言]
終軍伝

「並々ならぬ才の持ち主である」
武帝は意見書を読むや、そういってなんと終軍を謁者給事中に早速、任命してしまった。
⇒優れた人材と見込めば直ぐ様抜擢するという決断の速さは武帝の評価できる点なのですが、彼のその決断力が別方向に向かうと、臣下の早急な処分という形で出てしまうのですよね。

これにより、南越の服属はなったと終軍は考えた。
しかし、それに納得しなかったものがいた。南越の宰相、呂嘉である。彼は南越王三代に仕え、その声望は王より上であった。
⇒終軍も不平分子の存在は察していたでしょうが、南越王の賛同を取り付けた以上ひとまず任務は成功と考えていたのでしょう。まさかこれほどすぐに大規模な反乱軍が襲ってくるとは予期していなかったのでしょうね。
若くして数々の成功を収めたため、一国を完全に服従させに行くということの危険さを軽視してしまったのかもしれません。


  • 投稿者: hibimasa
  • 2017年 04月12日 22時22分
 ご感想ありがとうございます。

 >⇒優れた人材と見込めば直ぐ様抜擢するという決断の速さは武帝の評価できる点なのですが、彼のその決断力が別方向に向かうと、臣下の早急な処分という形で出てしまうのですよね。

 武帝の決断力の速さはすごいですが、それが悪い方に行ってしまうのも問題ですよね。

 >⇒終軍も不平分子の存在は察していたでしょうが、南越王の賛同を取り付けた以上ひとまず任務は成功と考えていたのでしょう。まさかこれほどすぐに大規模な反乱軍が襲ってくるとは予期していなかったのでしょうね。
若くして数々の成功を収めたため、一国を完全に服従させに行くということの危険さを軽視してしまったのかもしれません。

 若い人の最大の弱さは経験値なのですが、終軍はその経験値を自らの才能で補えてしまうほどのものを持ってしまっていて、それが最後の最後で裏目に出てしまいました。

 今後もご感想、お待ちしております。

[一言]
鄭崇伝 ~心は水のように清らかにして~

「天子たる者が一臣下に専制されるのであろうか」
⇒傅太后は諫言と専制の区別ができない愚物ですからね。
 (成帝を死なせた(と言っていい)趙姉妹に賄賂を送って哀帝を後継にさせた我欲の人)


郅都伝 ~蒼鷹と恐れられた酷吏~

彼女が厠に入った時、そこに猪が入り込もうとした。
⇒厠の周辺に衛兵なりいなかったのかい!とか思ってしまう。

買姫 → 賈姫(2箇所)

そのことを聞いた竇太后は激怒し、郅都に法をこじつけて罪名を着せようとしたため、景帝は彼の家に使者を派遣し、雁門太守に任命して派遣した。
⇒竇太后が皇后になった頃は聡明で知られていたのですが、
 この頃は病気で失明したため不安が膨れ上がっていたことと、若いときに貧乏であったせいか親族に甘いところがありますね。
 劉栄が自殺に使った刀筆は従子の竇嬰が郅都に隠れて渡したものであるのに、収監していた郅都だけに責を負わせようとしていますから。
 また、雁門太守に任命する際に、普通は参内させる所を、勅命で直接任地に向かうように計らっていたようです。

中行説ちゅうこうせつ → ちゅうこう【えつ】

郅都や寧成は酷吏ではあったが、法を厳守し、公平無私、清廉であったと言えますが、
この後から出てくる酷吏は、賄賂などの欲が強すぎたり、無理やり法を違反したとか因縁をつけたりと、あまり良い人物は出てこないんですよね。
 
  • 投稿者: yasano
  • 2017年 01月25日 09時09分
 ご感想ありがとうございます。

 ご指摘された天は訂正させていただきました。

 >⇒傅太后は諫言と専制の区別ができない愚物ですからね。
 (成帝を死なせた(と言っていい)趙姉妹に賄賂を送って哀帝を後継にさせた我欲の人)

 確かにその通りですよね。お前が専制しているだろと言いたくなります。

 >⇒厠の周辺に衛兵なりいなかったのかい!とか思ってしまう。
 
  恐ろしいことにいなかったのでしょう。景帝は結構、向こう見ずなところがありますよね。

 >⇒竇太后が皇后になった頃は聡明で知られていたのですが、
 この頃は病気で失明したため不安が膨れ上がっていたことと、若いときに貧乏であったせいか親族に甘いところがありますね。
 劉栄が自殺に使った刀筆は従子の竇嬰が郅都に隠れて渡したものであるのに、収監していた郅都だけに責を負わせようとしていますから。
 
 精神的バランスを崩している頃ですね。そのため親族への甘さが増してしまったという部分もあるのでしょう。

 >郅都や寧成は酷吏ではあったが、法を厳守し、公平無私、清廉であったと言えますが、
この後から出てくる酷吏は、賄賂などの欲が強すぎたり、無理やり法を違反したとか因縁をつけたりと、あまり良い人物は出てこないんですよね。

 二人は酷吏と呼ばれた中では良い部類ですよね。他の酷吏と呼ばれた人たちは中々に癖の強い人物もいて、どうにも好きになれない人も多いですよね。
 
 今後もご感想、ご指摘お待ちしております。
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