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[良い点]
第26回 スランプについての研究
 拝読しました。
 私はネタ不足などから半年以上一行も書かないことがよくあります。
 そんなときは。
 過去の作品を推敲したり、本を読んだりして過ごしております。
 するとなぜか。
 半年ぐらいしたところで、新たなネタを次から次へと思いつくのです。
 Kobitoさんのご指摘のとおり、意識して書くことから離れることが大事なようですね。
  • 投稿者: keikato
  • 2018年 01月18日 10時23分
スランプの研究、読んで頂きありがとうございます。

書けなくなった時には、無理して書くよりも、別の事に気持ちを移した方が、結果的には書けるようになる、ということは、創作を長年続けていると、だんだん感覚的に分かって来ますよね。
書けない時に考えた事や、蓄えた知識などが、自然と次の創作の糧になります。
これは、文芸の趣味を始めて日が浅い人ほど、気がつきにくい部分でもあるので、具体的に説明することで、思い詰めずに気持ちが楽になったらいいなと思って書きました。
keikatoさんにも、共感頂けて良かったです。
  • Kobito
  • 2018年 01月19日 06時21分
[一言]


思い当たる付しあり。


こたつ掛けからやわ…

書きたくなくなったの

(他に興味が移った、)


なるほどね…



kobitoさん

心理学習いはったん?


ドンピシャ(__)
自分と、身近な人のスランプを基に考察したから、森ノ宮さんのスランプを見た経験も含まれているよ。

でも、こたつ掛けが主原因だったとは。
私が原因の一端かな、と心配してた。

スランプがどこから起こるのか、知っているのといないのとでは、心理的負担が違うだろうから、スランプに陥った書き手さんに参考にしてもらえると良いなと思う。

心理学習いてないよ~。
  • Kobito
  • 2018年 01月12日 21時58分
[一言]
みなさま オノマトペについて詳しくていらっしゃるので

わたしは、書く事がみつからなくてオロオロしています。


こんばんは、

新語がしっくり収まるには、やはり作品の魅力も必要かもと思います。

例えば、宮沢賢治の世界観の中でなら、どんなオノマトペでもしっくりくるでしょう?

彼のオノマトペの世界は独特ですが、違和感がないもの。

ありときのこでは「苔いちめんに霧がぽしゃぽしゃ降って、、、」の”ぽしゃぽしゃ”を

化物工場では、「12月10日でした。まるで春のようなポシャポシャ雨が、、、」と、カタカナに”水”の表現を変えているのもおもしろいでしょ?

霧と雨は、親戚だからそうしたのかもね。


わたしは「花椰菜」での

柳の花がきんきんと光って飛んだ が好きかな、


こんばんは。
それぞれに語りたいことを自由に語ってもらいたいから、森ノ宮さんもかしこまらずに、ざっくばらんにどうぞ。
オノマトペは身近な言葉だから、人それぞれにこだわっている部分が違ったりもするんでしょうね。
読者に受け入れられるかどうかは、新語のセンスも大事ですね。

ぽしゃぽしゃは、賢治を象徴するような響きですね。
漢字、ひらがな、カタカナ、賢治は入念に効果とバランスを検討したうえで用いる言葉を決めていますね。

「霧ぽっしゃんぽっしゃん」というのもあります。

霧をこんなオノマトペで表わすなんて、すごく大胆です。
学校の作文で用いたら、赤ペンで「霧はそんな音は立てません」と添削する先生もいるかもしれない。賢治が感じた感触を、私たちも味わう事ができるのにね。

「欝金 ( うこん ) しゃっぽのカンカラカンのカアン」
「どっどど どどうど」
「フォークのひかりはサンサンサン」

作品を思い出そうとすると、まず最初にオノマトペの部分が浮かんで来るくらいです。


花椰菜は、今、青空文庫で読みました。まだ読んだことがなかった作品です。

はなやさいという言葉もとてもきれい。

良い作品を教えてくれてありがとう。


  • Kobito
  • 2017年 10月20日 00時14分
[一言]
こんばんは。久々に感想欄へおじゃまします。


第十二回

オノマトペは、使い方にもよるかな、と。
例えば、

ぽつぽつ。
外から雨の音が聴こえる。

と書くよりも、

ぽつぽつと、外から雨の音が聴こえる。

のように文の中にうまく組み入れた方が、小説っぽく思えるなど。



「ズラーっと」はさすがにギャグですが、「ずらりと」とすると自然ですね。
個人的には、「ぼうっとしていた」という擬態語が好きです。
こんばんは。
いらっしゃい。第20回の事ですね。

小説のはじまり方、という観点で言うと、


ぽつぽつ。
外から雨の音が聴こえる。


という文章の方が、私は好きです。どこでオノマトペを用いるかによっても、効果的な用法は変わって来そうです。

ずらりとは、硬派な文章にも馴染みやすそうですね。

「ぼうっと」は、小さい「っ」が良いですよね。少し新しい感覚があって。
  • Kobito
  • 2017年 10月19日 21時42分
[良い点]
「第1回 物語における『涙』と『死』の効用と弊害について」拝読いたしました。
 いきなり「目からうろこ」です。
 そして感想を書きたくなりました。
 「涙」「死」、そのほかにとりあげられているバリエーション。
 私はこれまで、そんなものばかりを安易にツールとして使用してきました。
 こうして指摘をされてみますと、まったくそのとおりだなあと考えさせられました。
「涙や死」を使うと物語ができやすく、しかも創作についても楽ですからね。さらに読者に受けやすい気がしまして……。特に子供読者にはうってつけのテーマだと。
 反省しなければいけませんね。
 その一方……。
 私には生まれもって文才がありません。
 ですのでこれからも、テーマとして「涙や死」なんかを安易に使うんだろうな、なんてこれまた安易に考えている安易な私がおります。
 ほんと、反省しなければなりません。
 一話を読んで、次も読みたいという気にさせてくれる作品ですね。

 
 
 
[一言]
 これからぼちぼち読ませていただきます。
 一言。
 どんな作品であれ、読者が求めているもののは「読んでおもしろい、読んでためになる」の二点に集約される気がします。これには、もちろん異論もありましょうが、Kobitoさんのこの作品はまさにその後者にあたると思いました。
 

  • 投稿者: keikato
  • 2017年 10月12日 07時51分
カトウさん、
ありがとうございます。
文芸コラムは、私自身への訓戒という意味もありますし、読んでくれた方がそれぞれの考えやスタンスを確認するきっかけになればいいなとも思っています。
『涙』と『死』については、物語を書く上で創作意欲をかき立てるテーマでもあるので、避ける事で楽しめる話が書けなくなるようであれば、無理せずに取り入れた方が良いとも思います。
あのコラムは、『涙』と『死』以外の選択肢はないかを考えてみることで、創作の幅を広げる効果を期待する意図で書いたので、カトウさんにとってもいつかどこかで役立つ部分があるといいな、と思います。

一緒に考えてもらえて嬉しいです。
  • Kobito
  • 2017年 10月12日 17時28分
[一言]
Kobitoさんは『言葉の錬金術師』ですか?w

登場人物とキャラクターの違いは
個人的には、何とも判断しかねますが
そういう解釈もあるのか?
ぐらいに保留中ですw

一晩ぐらいかけて私の脳内会議で、ある程度結論が出るかもです
やはりいろいろな考え方を聞くのも勉強になりますね

私は、言葉の錬金術師になりたい見習いですね。
登場人物とキャラクターの違いで逡巡されているんですね。
このコラムは、私の考え方を読んで、読者それぞれの考えを確認してもらう、というのも一つの目的なので、ぜひ色々考えてみて下さい。

他人の考えって、賛否とは別に、受け手が考える刺激になりますからね。
  • Kobito
  • 2017年 10月09日 00時17分
[一言]
今回は視覚的観点と考えるべきでしょうが、無声映画でないかぎり聴覚が大事な要素として存在します。
私の考えとして、漫画と同列にラジオドラマを配したいです。
映画の不利な面は、俳優を好むか否かが大きく関わりそうですね。
また、構成の面での不満もあります。
前者は『潮騒』が、後者では『戦国自衛隊』が特に印象に残っています。
読んだ印象は千差万別。そこに視覚や聴覚を持ち込むことは、読者の印象を一定方向へ誘導するようで賛成できません。また、話の内容より役者が誰かということばかりが注目されてしまうことを危惧します。
いずれにせよ、製作者の読後感や客の好みを優先させたものになるでしょうから、原作とは益々乖離すると考えます。

では、映画や漫画を見た後で原作を読めばどうかですが、既成概念ができあがってしまっているでしょうから、私としては考えたくないです。

とはいえ、私の書いた話が映画になったら、それは素晴らしい。有頂天になると思います。
ただし、可能性は限りなくゼロですがね。


そうですね。全てを漏れなく論じようとすると、文章量が膨大になって、気軽の読み通すのが困難になりますからね。

音が表現に及ぼす影響というのは、語り出すと結構紙幅を要すると思います。

ラジオドラマも、原作を用いる事ができる一つのジャンルですね。

実写映画では俳優が、アニメ映画でも声優が、好みの判断の対象になりますね。

小説を読んだ印象が読み手によって千差万別というのは、逆に言うと小説がイメージの幅広さを持つという強みの部分でもあります。

齋藤さんの作品は、映画になりそうな内容が多いと思います。
漫画化や映画化になったらどんな気持ちだろうと想像するのも、創作の楽しみですよね。
  • Kobito
  • 2017年 09月29日 18時55分
[一言]
更新お疲れ様でした。
「小説化と漫画化と映画化の関係性について」は考えさせられました。
私は「音」と深く結びついている気がします。
映画は音楽、漫画は目でみる音。小説は作品の根底に流れる音、だと思います。
映画と漫画は大衆に向けて放たれているけれど、小説は個人に向けて射られている。そんな気がします。

小説の音は力量が問われるでしょうね。きちんとそこを描けられるようになりたいです。

読ませていただきありがとうございました。

  • 投稿者: 古都ノ葉
  • 女性
  • 2017年 09月28日 22時14分
ありがとうございます。

そう言えば、映画に音があるという点の影響を論じ忘れてますね。
古都ノ葉さんの論考を本文で紹介したいくらいです。

音を実際に聴くのか、想像で補うのか、というのは、鑑賞に与える影響の中でも大きな部分だろうと思います。
漫画で「見た」音が、映像で「聴く」と思ったような音と違ってがっかりする、という事もありますね。

小説の音というのは、漫画とはまた違いますね。擬音語が書かれていなくても、何となく感じる事ができる、空気感や存在があります。

小説的な漫画を描く、つげ義春さんの作品の論考も、いつかやってみたいと思っているんですが、説明し難い良さを説明するのが難しいです。

小説は、無音の音の質感まで表現できますからね。
古都ノ葉さんのエレベーターのホラーは、それを感じました。
音を描くのも、小説を書く上での楽しみになりそうです。
  • Kobito
  • 2017年 09月28日 22時50分
[良い点]
「悟りは常に脚下にあり」
          姿三四郎より
[一言]
ようやく熱が下がったけれど、まだ39度。
これくらいでご容赦
夏目漱石の三四郎を読んだばかりなので、奇遇ですね。

悟りを脚下に敷くというのが、いいのかなという気になりますが、ご病気の時はそのくらい強気が良いのかも。
どうぞお大事になさってくださいね。
  • Kobito
  • 2017年 09月23日 18時00分
[一言]
続けざまに失礼します。第8回の感想です。


そういうの、私も感じたことあります。
ギリシャ叙事詩なのですが、「黒い血」という表現があるんですよね。初めは汚れた赤黒い血をイメージして読んでいたのですが、「黒い死」というワードを目にして、
ああ、これは、視覚的な色の話ではないのだな、と気づきました。

(この回の話ではないですが……、Kobitoさん作品でバッハの名前を見ると、「〜のアリア」が真っ先に出てきます笑)
続けざまにこんばんは。古寺猫子です。
第8回は、なかなか考えさせられる内容ですよね。
人は、自分の知識の範疇(はんちゅう)で物事を決めつけたり、判断したりしがちです。
私も、風呂のふたがあるものだと思って飛び移って、ふたが無くて湯船に落ちたことが二回もあるので、気を付けないといけないな、と思いました。

Kobitoさんはバッハさんをすごく尊敬していますからね。作品の中でも、時々その思いを表わそうとしているようです。
あのタイトルは、「~のアリア」という言葉を生かすために、あーでもない、こーでもないと、何回も書き直していましたよ。
  • Kobito
  • 2017年 09月12日 20時10分
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