感想一覧

▽感想を書く
感想絞り込み
全て表示
[1] << Back 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20  Next >> [44]
[一言]
>人々は二百里を一日で移動するようになるだろう

一里≒4kmとすると、
以前より気になっていましたが、この作品
陸路、海路共に一日での移動量凄く無いですか?
自分の感覚だと800kmは自動車の距離の様な気がします。

  • 投稿者: gtakai3
  • 2018年 12月02日 01時10分
この時代の一里は唐里単位、およそ550mです。だから二百里は110kmですね。
宮城県の多賀城碑には、京から多賀城まで一千五百里、下野から二百七十四里と刻んであります。また一里は五町、一町がおよそ110mです。
一里をおよそ4kmとする単位が現れるのはもう少し時代が下ってからになります。
[良い点]
教育を受けたアサマルとフタロウが出世している
[気になる点]
連れてきた陰陽師が蘆屋道満の弟だったりするのでしょうか?

[一言]
等高線ありの精巧な地図も作れるので遠くから用水を引くこともできそうなので足利学校もどきの卒業生の需要はかなりありそうですね
  • 投稿者:
  • 2018年 12月01日 22時29分
>連れてきた陰陽師が蘆屋道満の弟だったりするのでしょうか?
古浄瑠璃「信太妻」によると名は石川悪右衛門常平、悪人ポジの人ですが、そもそもこの信太妻は安倍晴明の出生譚、しかし作中年代では安倍晴明は既に死んでいますし蘆屋道満はこの作中時代の人です。ということで、こちらのお話に出張願いました。
[良い点]
建築、しかも全く新しい工法を採用させて取り仕切るところまで。さらに個人的な小屋ではなく屋敷規模であり、工人もたくさん。
アキラは段々、人手の必要な構想も形にできるようになってきましたね。出世のおかげでしょうか。1人で黙々と目立てをしていたのが遠い昔のようです。
そろそろ山中の自宅も荒屋から改築できそう…?
[気になる点]
頼季殿って無位無官でしたっけ?
[一言]
頼季殿は、序盤の描写が頭に残っているのか、今も尼女御の庇護下で養育されているような印象がありました。
主人公のアキラに注目が集まる分、影が薄くなり、自ら何か主導することも、事態に対処も外部と交渉することもない少年、に見えておりました。そういえば一応東国で独立している扱いなのでしたっけ。
3年経っているので、そろそろ青年になっている可能性もあるのですね
まさか色恋沙汰でスポットライトを浴びるとは…
今後どう成長するのか気になります。


  • 投稿者: やつたね
  • 2018年 12月01日 10時47分
頼季は六位(正六位下)、但し職位は無いので散位と呼ばれる奴ですね。俸給を出す必要が無いためこの水準は乱発できるのです。頼季はそろそろ自分で何かを成し遂げなければならない年頃でしょう。
しかし、えらそうな事を言う頼義ですが、官位では頼季と大差ありません。弟の頼清がこの時期はべらぼうに出世して従五位中務少輔、藤原頼通の侍所別当と物凄いことになっているので、八つ当たりだったのかも知れませんね。
[良い点]
ふむふむ
[一言]
馬が使われない理由の伝承は無いのですね・・・
ならば上げた理由の他に当時の常識が在るのでは?
専門家ではありませんが当時の馬は1.2ぐらいの高さ、
まあ牛より低かったとすれば体力と持続力はかなり劣る。
短距離に使えるが長距離は無理とか・・・

馬の首当てが発明されたのは何時頃でしたかねえ・・・
馬の首に関する悪い伝承、首なし馬などがあるからには
首が原因で死んでいた・・とか?
牛ならロープだけで引けるけど馬だと首が締まるから。
元気な馬が仕事中に突然死んだら呪いと思ったかも?

戦国時代の馬が日本原産なら小説当時に外国馬の
大量輸入は無いですよね。
小型馬にロープで荷車なら首が締まって直ぐに死ぬ。
牛と同じようにつないだのに馬だけが死んでいく・・
当時の常識だと馬の首は呪われている・・・とか?
うーん。馬車も荷馬車も難しい。

  • 投稿者: 退会済み
  • 2018年 12月01日 01時07分
管理
中国では馬車は古来よりさんざん使われていた訳で、漢籍に載ってその事実と技術も一緒に日本に渡っていました。
実は同様に、中国では使われていながら何故か日本では使われなかった技術が他にもあります。釣りです。
太古には日本でも釣りが行なわれていましたし、漢籍漢詩にも釣りは出てきます。日本でも寝殿造りの中には釣殿という池の中に突き出した建屋があるのですが、しかし当時の貴族たちが書いていた日記には釣りなんて全く出てこないのです。日本の文献に釣りが出てくるようになるのは江戸時代に入ってからでした。
どうも中世人には現代人の合理的判断を当てはめることが全く適当では無いようです。訳の判らないことを受容すべきなのでしょう。
[良い点]
あずさ殿がアキラに構って欲しそうなのが可愛い

[一言]
あずさ殿とアキラだとアキラ次第なところがありそう
クワメの事があった中、彼が新しい妻をもらうことをどう考えるか…
あずさ殿可愛い(´・∀・)
問題はアキラの方ですね。当分は自分が抱え込んだ課題に夢中でしょうし。
[気になる点]
軽めとはいえ瘢痕が残って貴族の娘としての夢と前途を断たれたとこで、
家柄ぶっちしてリアルに夕顔や明石の方になれそうな超美人と顔を突き合わせる
上に、貴族的な序列でなく武家的な論理でキヌメ殿が優先、尼女御が縁を
取り持とうとしても頼季殿は容姿に勝り瘢痕もないキヌメ殿にお熱って、
気丈に振る舞っててもあずさ殿には相当に堪えそうですね。これは西の対には
居づらそう。

しかしです、あずさ殿にも好みと言うものがある訳です。その点で考えると頼季が魅力的に見えるかと言うとちょっと怪しいでしょう。せめて歌のひとつも詠まないと。
彼女が自分の将来と幸せをどう考えているか、少し先になりますが明かされることになります。
[一言]
更新お疲れ様です。

足利集権へ着々と^^
新しい(従来から比べて)斬新な屋敷兼政庁の建築も順調で。
国印、あとがき読んで思ったより重要なようで・・・・
(某スペースオペラの金髪一派が国璽奪取や、三国志の玉璽のエピソードは有名ですが)
あずさ殿、一時期の疱瘡による鬱状態からは脱却も、今度は元気良すぎるようで(^^;;
主君の恋愛がらみから何やら生臭く(><)
腕っぷしで評価される武者だが、果たして頼季が評価を一蹴する活躍の舞台をアキラが用意出来るのか?

次回も楽しみにしています。
  • 投稿者: HAL
  • 40歳~49歳 男性
  • 2018年 11月30日 22時15分
国印が押されていないと正式な書類ではなく、報告書などハンコが足りないと朝廷の各部署で受け取り拒否されてもおかしくない訳です。延喜式を読んでも、どれそれには印を押せとわざわざ書いており、極めて重要視されていたことが窺えます。有職故実の諸々がとても重要だとされていた時代においては、印は様式を作る物理的な鍵のようなものだったことでしょう。
[良い点]
うんうん。
面白いよ、です。
[気になる点]
79話 後書きに「馬車の使用は遂に見られることがありませんでした。漢籍には馬車は頻繁に出てきますから日本でも知られていた筈ですが、使われなかったのは不思議です」とありますが・・・
[一言]
現代日本の町では装甲車の所有は認められていません。
当時の感覚は牛車や馬車は装甲車と同じ、だったろうと想う。

当時の都市や町の交通で馬車が無い理由とは・・・
(1)当時の国土は山が多くて峠も多い、当然急な道の
   登り降り、しかも当然狭い道。車両通過は無理。
(2)急坂を荷馬車で登るのは苦が多い、普通は2~3人
   で後ろを押さないと登れない
(3)下り坂は速度が出過ぎて危険、まともなブレーキ
   は無いのだから。
(4)谷へ転落すれば馬と荷物は全滅、怪我馬は殺すだけ。
   荷物の一部を回収しても人力で運べる小量以外捨る。
(5)山道には野犬や狼が居て 馬を襲われ喰われてしまう、
   荷物全部を捨て去って逃げるだけでも幸せ。
(6)当然だが荷馬車をバックさせる事は大困難。すれ違い場所
  を作れば双方向に通れる現代の山道と全く違う困難が在る。
(7)そもそも馬車が通れる山道等を金不足で維持は出来無い。
(8)山道にも川は在る、全てに橋を架けないと車は進めない。
(9)山道で荷馬車が壊れたら・・・対策は無い。

平地ではどうか?
(1)当時日本の平野部は水田や沼地や川や草木の丘であり
  荷馬車は移動不可能。道路は狭いし水路は多い・・・
(2)全てに荷馬車が渡れる橋を架けて維持するのは大事業。
  荷の大部分が農作物とすれば田畑に入れぬだけで無用物。
(3)大量の荷とは貴族や武士や商人の財物であり移動の便を
  良くしても農民の益に成りえない、労力を収奪されるだけ。
(4)平坦で強固で広い道で無いと荷馬車の積載能力は高く無い。
  台風が毎年来る日本の平地部でそんな道路は維持不能。
(5)軍事的に敵に利用される道路は戦闘の弱点であり敵の
   機動力に打つ手無し。


馬の希望が大きい。
  野犬や狼が腹の下に入ると不安と恐怖で暴れ出す!
馬車は乾燥した大平原に向いている形態と想う・・・


  

  • 投稿者: 退会済み
  • 2018年 11月30日 09時34分
管理
牛車は貴族の、そして牛で曳く荷車は中世では農民の利用する普通の手段だったのです。特に牛車は、受領が任地まで運んで使用していました。高位の貴族にとって牛車は烏帽子と同じくらい無くてはならないものだったのです。
対して馬車は、その使われない理由すら伝承されていないというのが判らない訳です。
ただ、一つ仮説があります。
民間では馬は主に馬借、つまり坂の者によって運用されていました。坂の者は寺社の下級神人として保護された地位にあると共に、らい病患者や触穢の民を受け入れていました。この仕組みの内側で、何らかの馬の利用形態についての禁忌があったのかも知れません。
[一言]
最近知って一気読みさせて頂きました
戦国時代や江戸時代等に詳しい人間は多くとも平安時代に詳しい人はそう多くないでしょう(源平関連は除く)、自分もそうです
だからこそ引き込まれました、非常に面白いです
最新話まで一気読みさせて頂いて自分としては物語はむしろここから始まるような印象を受けました
良くも悪くも主人公の覚悟や心持ちが変わったのでこれからの展開を非常に楽しみにさせていただきます
  • 投稿者: リベロ
  • 2018年 11月26日 23時51分
平安時代と言うのは皆知っているようで知らない、ここまで違うとは思っていない時代でしょう。中世ですら無い時代、ありとあらゆる概念がまだ存在しない、観念や信じているものが全く違う時代を紹介できればと思っています。
でも一方、あまり描かれることない時代だからこそ自由に描ける、というのはありますね。
[気になる点]
連投すいません。
アキラが頼義一党とともに騎馬にて東下するとなると、九品津に残してきた「信太」はどうするのでしょう。

多聞はアキラ抜きで回航できるようになったのでしょうか?
#77をご覧ください。九品津で人手を得ております。
[1] << Back 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20  Next >> [44]
↑ページトップへ