感想一覧
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11月1日に心理検査をして、11月21日に「IQは境界域で、発達障害の症状はでてるけど治療するほどではない」と言われました。
この話を読んで、少し楽になりました。
会社は検査をすることを知ってるけど、検査結果を知らないので、聞かれたらこの話をしようと思っています。m(__)m
11月1日に心理検査をして、11月21日に「IQは境界域で、発達障害の症状はでてるけど治療するほどではない」と言われました。
この話を読んで、少し楽になりました。
会社は検査をすることを知ってるけど、検査結果を知らないので、聞かれたらこの話をしようと思っています。m(__)m
なるべく気楽に行きましょう。
説明してわかってもらえなかったとしても、
”タイプが違うから理解し合うのが難しいんだな”というくらいに思っておくと良いと思います。
説明してわかってもらえなかったとしても、
”タイプが違うから理解し合うのが難しいんだな”というくらいに思っておくと良いと思います。
- 黒長 二郎太
- 2018年 11月28日 20時37分
[良い点]
私は今まさにこの「多数派の世界で生きにくい少数派」のファンタジーを実体験から書いているので再確認と言いますか、省みて色々と再考できたので、読めてとても良かったです。
[一言]
私も一応ADHD診断を受けましたが判定的にはボーダーで、自分でも周りからも長らく全く気にせず生活していました。
普通なら人が躓かない、苦労していない事で失敗する等していましたが、本当に些細な困りごとばかりだったので「みんな大なり小なり苦労しているし、人生こんなもんだろ」と小学二年生くらいにはそんな考えを持っていました。今思えばその歳でそんな事考えている時点でだいぶ異常なのですが(笑)
幸い親が幼少期の頃に気付いて、八方手を尽くして「おそらく発達だろう」という診断を捥ぎ取って県外の療育センターに通わせてもらったおかげか、日常生活では周りとのズレがそこまで大きくなる事はなく、「ちょっと変わった子」程度の評価で済みました。
ただ、能力的にはズレが修正しきれず、高校はなんとか卒業できましたがそのまま大学受験出来る程成績も勉強もできなく何年か浪人して、数年後に大学受験をして受かりましたが同じく卒業でかなり苦しみ、退学寸前まで精神的に追い込まれました。
結局、卒業はできましたが今は就職浪人です。能力検査はいつもパスしますが面接で必ず落とされます。
社会から離れて山の中で農業でもして自給自足した方が自分は幸せだろうなと、まだ自覚していたなかった小学生の頃にはそう考えていて、今も似たような生活を夢見ています。
早く就職してまとまったお金を貯めて、小さい頃からの夢の生活をかなえたいですね。
私は今まさにこの「多数派の世界で生きにくい少数派」のファンタジーを実体験から書いているので再確認と言いますか、省みて色々と再考できたので、読めてとても良かったです。
[一言]
私も一応ADHD診断を受けましたが判定的にはボーダーで、自分でも周りからも長らく全く気にせず生活していました。
普通なら人が躓かない、苦労していない事で失敗する等していましたが、本当に些細な困りごとばかりだったので「みんな大なり小なり苦労しているし、人生こんなもんだろ」と小学二年生くらいにはそんな考えを持っていました。今思えばその歳でそんな事考えている時点でだいぶ異常なのですが(笑)
幸い親が幼少期の頃に気付いて、八方手を尽くして「おそらく発達だろう」という診断を捥ぎ取って県外の療育センターに通わせてもらったおかげか、日常生活では周りとのズレがそこまで大きくなる事はなく、「ちょっと変わった子」程度の評価で済みました。
ただ、能力的にはズレが修正しきれず、高校はなんとか卒業できましたがそのまま大学受験出来る程成績も勉強もできなく何年か浪人して、数年後に大学受験をして受かりましたが同じく卒業でかなり苦しみ、退学寸前まで精神的に追い込まれました。
結局、卒業はできましたが今は就職浪人です。能力検査はいつもパスしますが面接で必ず落とされます。
社会から離れて山の中で農業でもして自給自足した方が自分は幸せだろうなと、まだ自覚していたなかった小学生の頃にはそう考えていて、今も似たような生活を夢見ています。
早く就職してまとまったお金を貯めて、小さい頃からの夢の生活をかなえたいですね。
- 投稿者: ファルム@まったり中
- 2018年 10月29日 22時39分
感想ありがとうございます。
私は薬飲むと想像力が落ちるというので、どのくらい落ちたのか確認するために書き始めたのですが、世界に完全には適応できていない人の話になってしまいました。それが私にとっての普通だからなのでしょう。
アプローチは違いますが、似たようなことをやってますね。
小学二年生で人生とか考えるのは、普通の人じゃ無いですよね。
面接はうまく行かないとますます苦手になっていくと思いますので、苦手が加速しないように頑張ってください。
面接は運の要素が強いので、気楽に行くと良いと思います。
山の中で暮らすというと、そんなに簡単なことじゃないと言われそうですが、社会に馴染めない人からすると、社会に入る難易度も高いので、どっちにしろ簡単じゃないんですよね。どうせ苦労するなら、自分の力でコントロールしやすいところで苦労したいものですね。
私は薬飲むと想像力が落ちるというので、どのくらい落ちたのか確認するために書き始めたのですが、世界に完全には適応できていない人の話になってしまいました。それが私にとっての普通だからなのでしょう。
アプローチは違いますが、似たようなことをやってますね。
小学二年生で人生とか考えるのは、普通の人じゃ無いですよね。
面接はうまく行かないとますます苦手になっていくと思いますので、苦手が加速しないように頑張ってください。
面接は運の要素が強いので、気楽に行くと良いと思います。
山の中で暮らすというと、そんなに簡単なことじゃないと言われそうですが、社会に馴染めない人からすると、社会に入る難易度も高いので、どっちにしろ簡単じゃないんですよね。どうせ苦労するなら、自分の力でコントロールしやすいところで苦労したいものですね。
- 黒長 二郎太
- 2018年 10月30日 08時28分
[良い点]
作品読ませて頂きました。自分の子供たちもそれぞれ発達障害で、治療中です。息子はアスペルガーとADHDで、娘はADHDです。二人ともストラテラを服用するようになってから良くはなりました。ですが息子は大学を止めてしまったり人間付き合いに意味を求めない所があり、親としては心配です。自分も親として心配で沢山関連の本を読みましたけど、なろうで関連作品があるとは! 嬉しかったです。先生の言われる事も良く分かり、障害の子らが苦労しているのも知っているのでお言葉が身に染みます。病院の先生からは一般人より5年遅れで見て、と言われており、そういう事で理解はしています。先生の勇気ある作品で自分は嬉しかったです。この作品で勉強もさせていただきます。
[一言]
僭越ながら評価させて頂きました。
作品読ませて頂きました。自分の子供たちもそれぞれ発達障害で、治療中です。息子はアスペルガーとADHDで、娘はADHDです。二人ともストラテラを服用するようになってから良くはなりました。ですが息子は大学を止めてしまったり人間付き合いに意味を求めない所があり、親としては心配です。自分も親として心配で沢山関連の本を読みましたけど、なろうで関連作品があるとは! 嬉しかったです。先生の言われる事も良く分かり、障害の子らが苦労しているのも知っているのでお言葉が身に染みます。病院の先生からは一般人より5年遅れで見て、と言われており、そういう事で理解はしています。先生の勇気ある作品で自分は嬉しかったです。この作品で勉強もさせていただきます。
[一言]
僭越ながら評価させて頂きました。
感想ありがとうございます。
当事者向けに書いていますが、親御さんであれば、一般人と、発達障害者の両方が理解しやすいかもしれませんね。
私も、なろうにこれを投稿して反応があると思っていませんでした。
思い付きで投稿したものでしたが、当時余りの反応の大きさに、自分で驚きました。
自閉があると、人付き合いに関する価値観が普通の人と全く変わってきますので、本人の価値観をなるべく大事にしてあげてください。
大学やめてしまったのは勿体無いですが、自立して幸せに生きて行ければ、途中はあまり問題ありませんので、安心できる場所を探すのを手伝ってあげられると良いと思います。
当事者向けに書いていますが、親御さんであれば、一般人と、発達障害者の両方が理解しやすいかもしれませんね。
私も、なろうにこれを投稿して反応があると思っていませんでした。
思い付きで投稿したものでしたが、当時余りの反応の大きさに、自分で驚きました。
自閉があると、人付き合いに関する価値観が普通の人と全く変わってきますので、本人の価値観をなるべく大事にしてあげてください。
大学やめてしまったのは勿体無いですが、自立して幸せに生きて行ければ、途中はあまり問題ありませんので、安心できる場所を探すのを手伝ってあげられると良いと思います。
- 黒長 二郎太
- 2018年 10月27日 23時27分
[良い点]
おっしゃっていることとってもよくわかります。近年、少しでも平均からズレた人を社会から排除する、または矯正して過剰に適応させようとする傾向にあることをすごく危惧しています。乳幼児健診の際に少し変わった言動をしたり、保育園等で扱いにくいタイプの子に対して、発達障害ではないかと保健師や保育士が保護者に対し受診、発達障害児としての認定および療育を勧める傾向にあります。障害児と認定されれば保育士の加配←多く配置すること ができるためです。そのため発達障害の範囲も軽微な方にどんどん広がっているのが現状です。もちろん保護者が困っていて、相談支援を求めるのであればよいのですが(苦笑) 早期から発達障害児として扱われる子って、異常だから周りに合わせるように強要されて育ってしまうようで心配です。ちょっと変わっててもそれが普通の範疇として、お互いに合わせて共存していく社会であって欲しいと思います。
おっしゃっていることとってもよくわかります。近年、少しでも平均からズレた人を社会から排除する、または矯正して過剰に適応させようとする傾向にあることをすごく危惧しています。乳幼児健診の際に少し変わった言動をしたり、保育園等で扱いにくいタイプの子に対して、発達障害ではないかと保健師や保育士が保護者に対し受診、発達障害児としての認定および療育を勧める傾向にあります。障害児と認定されれば保育士の加配←多く配置すること ができるためです。そのため発達障害の範囲も軽微な方にどんどん広がっているのが現状です。もちろん保護者が困っていて、相談支援を求めるのであればよいのですが(苦笑) 早期から発達障害児として扱われる子って、異常だから周りに合わせるように強要されて育ってしまうようで心配です。ちょっと変わっててもそれが普通の範疇として、お互いに合わせて共存していく社会であって欲しいと思います。
ととろ様、感想ありがとうございます。
ご指摘の加配問題は有りますね。
実際身近なところにもありました(保育園ではなく幼稚園でしたが)。
加配の予算受け取ってるはずなのに、実際には、その子には加配が付かず放置されてました。予算が付くと、結局そのような問題が発生してしまいます。
療育は矯正では無く、幼児期には効果が大きいので、加配付けるくらいなら、療育施設に通わせた方がその子のためになりそうです。
問題は療育施設と言うほどでも無いグレーゾーンの子供ですね。
おそらく、ととろ様のお話がこの層に当たるのかと思いますが、普通の枠を広げて許容してもらうしか、解決策が無さそうです。
特別であることを意識せずに済む世の中になって行くと嬉しいです。
ご指摘の加配問題は有りますね。
実際身近なところにもありました(保育園ではなく幼稚園でしたが)。
加配の予算受け取ってるはずなのに、実際には、その子には加配が付かず放置されてました。予算が付くと、結局そのような問題が発生してしまいます。
療育は矯正では無く、幼児期には効果が大きいので、加配付けるくらいなら、療育施設に通わせた方がその子のためになりそうです。
問題は療育施設と言うほどでも無いグレーゾーンの子供ですね。
おそらく、ととろ様のお話がこの層に当たるのかと思いますが、普通の枠を広げて許容してもらうしか、解決策が無さそうです。
特別であることを意識せずに済む世の中になって行くと嬉しいです。
- 黒長 二郎太
- 2018年 08月26日 10時21分
[一言]
上手く言えませんが、わかりやすくて大変良いお話だと思いました。
こうして理路整然と語られていると、「なるほど、そういうことだったのか!」みたいに目から鱗が落ちたような気持ちになります。
その一方で、きっと最大派閥に所属する『普通』の人々には、ここまで説明しても理解されないのかもなあという諦めも感じてしまいます。
彼らにとっては、知らないまま、あるいは知らない・気づかない振りで済ませていても、なにひとつデメリットがないんですよね。
人間、自分自身以外の立場を理解することほど難しいこともないのだと思います。
上手く言えませんが、わかりやすくて大変良いお話だと思いました。
こうして理路整然と語られていると、「なるほど、そういうことだったのか!」みたいに目から鱗が落ちたような気持ちになります。
その一方で、きっと最大派閥に所属する『普通』の人々には、ここまで説明しても理解されないのかもなあという諦めも感じてしまいます。
彼らにとっては、知らないまま、あるいは知らない・気づかない振りで済ませていても、なにひとつデメリットがないんですよね。
人間、自分自身以外の立場を理解することほど難しいこともないのだと思います。
感想ありがとうございます。
この話は分かる人には凄く良くわかるのに、大部分の人にとっては意味不明な話だと思っています。
葛田玖逗夜様は、わかる方に属する方と言うことになるかと思います。
過去の感想を見ても、ここまで書いてあってその感想なのか……と思うようなものもあります。まさに理解できない世界なのですね。
自分と違う立場に関しては、ご指摘の通り、多数派の方々は、気にしなくてもデメリットがありません。なので、考える機会がありません。
その反面、少数派の人間は、多数派のことを比較的よく知っています(どの程度まで理解できているかはともかくとして)。多数派に合わせるために、かなりの努力を強いられています。
なので、お互いにが成り立ちません。
この場合の対話は、お互いに歩み寄りましょうではなく一方的な片思いなのです。
それを言うよりは、割切って多数派から見えてる理想の世界と、少数派から見えてる理想の世界はまったく異なるということを知っておくと、生きやすくなるかもしれないということを書いています。
何かの役に立てば嬉しく思います。
この話は分かる人には凄く良くわかるのに、大部分の人にとっては意味不明な話だと思っています。
葛田玖逗夜様は、わかる方に属する方と言うことになるかと思います。
過去の感想を見ても、ここまで書いてあってその感想なのか……と思うようなものもあります。まさに理解できない世界なのですね。
自分と違う立場に関しては、ご指摘の通り、多数派の方々は、気にしなくてもデメリットがありません。なので、考える機会がありません。
その反面、少数派の人間は、多数派のことを比較的よく知っています(どの程度まで理解できているかはともかくとして)。多数派に合わせるために、かなりの努力を強いられています。
なので、お互いにが成り立ちません。
この場合の対話は、お互いに歩み寄りましょうではなく一方的な片思いなのです。
それを言うよりは、割切って多数派から見えてる理想の世界と、少数派から見えてる理想の世界はまったく異なるということを知っておくと、生きやすくなるかもしれないということを書いています。
何かの役に立てば嬉しく思います。
- 黒長 二郎太
- 2018年 08月25日 21時44分
[一言]
なろうで例えるならチーレムが平均的。
エッセイストは平均から外れますね。
お前も…チーレム作家に…なれるんだよ!
頑張れよ…!そんなんじゃ伸びないよ…!
みたいな感じでしょうか。
いやはやこういうのは風刺で考えるのが分かりやすい。
テンプレに嵌らなくても生きていけるんだよなぁ。
この作品だって伸びてるんだからさ。
なろうで例えるならチーレムが平均的。
エッセイストは平均から外れますね。
お前も…チーレム作家に…なれるんだよ!
頑張れよ…!そんなんじゃ伸びないよ…!
みたいな感じでしょうか。
いやはやこういうのは風刺で考えるのが分かりやすい。
テンプレに嵌らなくても生きていけるんだよなぁ。
この作品だって伸びてるんだからさ。
テンプレでも、大当たりするには多数派の感性を持ってないと厳しいと思います。
それでも、小当たりくらいは狙えるのかもしれませんが。
>この作品だって伸びてるんだからさ。
私はだいたい短期的には狙いが外れるのです。
テキトーに書いてテキトーに投下したら何故か伸びたのです(;^ω^)
テンプレ物は大量消費用に需要があるので数字上は伸びますが、誰の記憶にも残らないってこともあり得ますよね。
最上位まで上り詰めれば別ですが、それも難しいでしょう。
でも、テンプレに嵌らなくても伸びることがあると言うのは確かだと思います。
個人的には、テンプレ物より、独自性の高いものの方が、後々まで使い回しがきいて良いように感じます。
それでも、小当たりくらいは狙えるのかもしれませんが。
>この作品だって伸びてるんだからさ。
私はだいたい短期的には狙いが外れるのです。
テキトーに書いてテキトーに投下したら何故か伸びたのです(;^ω^)
テンプレ物は大量消費用に需要があるので数字上は伸びますが、誰の記憶にも残らないってこともあり得ますよね。
最上位まで上り詰めれば別ですが、それも難しいでしょう。
でも、テンプレに嵌らなくても伸びることがあると言うのは確かだと思います。
個人的には、テンプレ物より、独自性の高いものの方が、後々まで使い回しがきいて良いように感じます。
- 黒長 二郎太
- 2018年 05月05日 11時04分
[良い点]
社会は平均的な人専用。
この表現は端的で好きです。
自分も同じようなエッセイを書こうとして筆を置いていたので多々共感しました。
[一言]
平均というのは実に不思議です。
そこで生まれる常識感が力を持ちます。
学校、地域、業種、家族。その場を外れると平均値もすぐに変わる脆いものです。それに幼い頃は気づけなくて苦労しました。今も苦労はありますが。
さて話は変わりますが、最近の障害者ブームのきっかけについてです。
発達障害への理解は社会の高齢化によって理解が進むのかもしれないです。身障者への気遣いが生まれやすいのは、明日は我が身かもしれないから。
社会に認知症が身近になれば、精神的な健常状態も一時的でしかないと感じる人が増えます。最近障害者ブームなのは団塊世代がボケ始めたからかもしれませんね。
社会は平均的な人専用。
この表現は端的で好きです。
自分も同じようなエッセイを書こうとして筆を置いていたので多々共感しました。
[一言]
平均というのは実に不思議です。
そこで生まれる常識感が力を持ちます。
学校、地域、業種、家族。その場を外れると平均値もすぐに変わる脆いものです。それに幼い頃は気づけなくて苦労しました。今も苦労はありますが。
さて話は変わりますが、最近の障害者ブームのきっかけについてです。
発達障害への理解は社会の高齢化によって理解が進むのかもしれないです。身障者への気遣いが生まれやすいのは、明日は我が身かもしれないから。
社会に認知症が身近になれば、精神的な健常状態も一時的でしかないと感じる人が増えます。最近障害者ブームなのは団塊世代がボケ始めたからかもしれませんね。
感想ありがとうございます。
>平均というのは実に不思議です。
>そこで生まれる常識感が力を持ちます。
>
>学校、地域、業種、家族。その場を外れると平均値もすぐに変わる脆いもの
>です。それに幼い頃は気づけなくて苦労しました。今も苦労はありますが。
これも良い言葉だと思います。短くてわかりやすいです。
せっかく頑張って平均を学習したのに、場面が変わったら、また再学習が必要になり、とても困ったことになります。
まあ、これは社会階層を移動する場合、普通の人にも起こり得ることではありますが。
高齢化と障害者ブームの関係についてですが、それを軸にエッセイを書かれるのであれば、本作の中で紹介させていただきます。もし書かれることがありましたらご連絡ください。
>平均というのは実に不思議です。
>そこで生まれる常識感が力を持ちます。
>
>学校、地域、業種、家族。その場を外れると平均値もすぐに変わる脆いもの
>です。それに幼い頃は気づけなくて苦労しました。今も苦労はありますが。
これも良い言葉だと思います。短くてわかりやすいです。
せっかく頑張って平均を学習したのに、場面が変わったら、また再学習が必要になり、とても困ったことになります。
まあ、これは社会階層を移動する場合、普通の人にも起こり得ることではありますが。
高齢化と障害者ブームの関係についてですが、それを軸にエッセイを書かれるのであれば、本作の中で紹介させていただきます。もし書かれることがありましたらご連絡ください。
- 黒長 二郎太
- 2018年 05月05日 10時48分
[一言]
身体障害に関しては、社会の普通からどの程度外れたというのは妥当だと思いますが。(バリアフリーのある地域とない地域で実感できると思います)
精神障害に関しては、一定の許容線を超えたらの足切り(もしくは切り捨て)、なのではと思います。
身体障害に関しては、社会の普通からどの程度外れたというのは妥当だと思いますが。(バリアフリーのある地域とない地域で実感できると思います)
精神障害に関しては、一定の許容線を超えたらの足切り(もしくは切り捨て)、なのではと思います。
はい。そう思う人が多いと思います。
それで困ってます。
それで困ってます。
- 黒長 二郎太
- 2018年 04月24日 21時53分
[一言]
ご迷惑ではないようなので、では残しておきますね。
なるべく誤解が生じにくいよう説明を尽くしたくなる性分と、物事に熱中する特性が相まって、どうしても冗長な文章になるものですから。実は元はあの倍くらいの量を書き散らして、推敲してあれです。
文章だとかなり情緒がない言い切り方をしてしまうことが多いのですが、意図する部分が的確に理解してもらえて良かったです。
ご自身を社会に興味がないと書かれていますが、私も同じくです。構成員の大多数と価値観が共有できないのは勿論のこと、発達障害当事者でも声をあげる人は冷笑的、あるいは悲劇的な人が多く、自分と戦略が近い人はなかなかいないので繋がりは希薄だし、現実に苦しんでいる当事者に情を込めて親身になって、という風にはなかなかなりません。
主観が欠けている人間なので、気持ちの部分はあまり人には伝わらない、と感じておられる部分もおそらく似通っていると思います。
実際は物事を客観視する割合が高めだというだけで、気持ちがないとか動かないわけではないのですが、他の人に(こちらの気持ちを歪められずに受け取ってもらえない)が近い。
言葉を尽くしても全体から伝えたい事を読み取ってもらえず、言葉尻や枝葉末節で悪意ある解釈をされたり、勝手な「こういう時はこう感じるはず」という価値観を押し付けられて、目の前で「違う」と何度も言っているのに意図が歪められていく工程を見ることが多いので、なおさら説明が微に入り細を穿ちになって、理屈っぽいとか冷めてるとみられる弊害が…
自分の場合、そこを歪めることなく受け取ってくれる相手が、一生を共にするパートナーになった、という感じですね。別に何から何まで同じ意見というわけでもないし、感じ方も捉え方もずれたり違ったり、勿論相容れない考え方にお互いが反発をすることもありますが、意見が一致しなくても尽くした説明や議論が無駄になったと思わなくて済む相手は何よりも貴重です。
また、社会を構成する多数である側の代表として真っ先に思い浮かぶ一番身近な相手が、自分の在り方をきちんと認め受け入れてくれる人だというのは、私や黒長様にとって大きな幸せだと思います。
おそらくそれがあるからこそ、あまり関心の持てない『社会』を、自分を阻害する敵対するだけの塊と認識しないですんでいるのかもしれません。社会の中で無駄に苦労する人を減らしたいという感情は、社会に全く興味がない状態では生まれない気がします。パートナーを通じて私達は社会と繋がっている自覚が持てている、と言えるのかもしれません。
自分の意思で選び選ばれた、人生を共にするほどのパートナーからの肯定は、親兄弟等からの情や諦めによるものよりはるかに積極的な肯定に感じるので。
ああ、ほらまた長くなっちゃった。
とにかく、このエッセイが黒長様が奥様経由で知った『自分を否定するだけではない社会』に、その一員として積極的に働きかけたということであり、その行動自体が著者様から私が受け取れた前向きな感情です。
そして私は、自分と近しいスタンスの黒長様を経由して、感想を書くことで自分なりに社会に積極的に関る前向きな行動を起こした、というわけです。
なのでありがとうございます。
執筆の邪魔になりませんよう、これのお返事はお気になさらず。時間を割いて長文に度々お付き合いいただき、ありがとうございました。
ご迷惑ではないようなので、では残しておきますね。
なるべく誤解が生じにくいよう説明を尽くしたくなる性分と、物事に熱中する特性が相まって、どうしても冗長な文章になるものですから。実は元はあの倍くらいの量を書き散らして、推敲してあれです。
文章だとかなり情緒がない言い切り方をしてしまうことが多いのですが、意図する部分が的確に理解してもらえて良かったです。
ご自身を社会に興味がないと書かれていますが、私も同じくです。構成員の大多数と価値観が共有できないのは勿論のこと、発達障害当事者でも声をあげる人は冷笑的、あるいは悲劇的な人が多く、自分と戦略が近い人はなかなかいないので繋がりは希薄だし、現実に苦しんでいる当事者に情を込めて親身になって、という風にはなかなかなりません。
主観が欠けている人間なので、気持ちの部分はあまり人には伝わらない、と感じておられる部分もおそらく似通っていると思います。
実際は物事を客観視する割合が高めだというだけで、気持ちがないとか動かないわけではないのですが、他の人に(こちらの気持ちを歪められずに受け取ってもらえない)が近い。
言葉を尽くしても全体から伝えたい事を読み取ってもらえず、言葉尻や枝葉末節で悪意ある解釈をされたり、勝手な「こういう時はこう感じるはず」という価値観を押し付けられて、目の前で「違う」と何度も言っているのに意図が歪められていく工程を見ることが多いので、なおさら説明が微に入り細を穿ちになって、理屈っぽいとか冷めてるとみられる弊害が…
自分の場合、そこを歪めることなく受け取ってくれる相手が、一生を共にするパートナーになった、という感じですね。別に何から何まで同じ意見というわけでもないし、感じ方も捉え方もずれたり違ったり、勿論相容れない考え方にお互いが反発をすることもありますが、意見が一致しなくても尽くした説明や議論が無駄になったと思わなくて済む相手は何よりも貴重です。
また、社会を構成する多数である側の代表として真っ先に思い浮かぶ一番身近な相手が、自分の在り方をきちんと認め受け入れてくれる人だというのは、私や黒長様にとって大きな幸せだと思います。
おそらくそれがあるからこそ、あまり関心の持てない『社会』を、自分を阻害する敵対するだけの塊と認識しないですんでいるのかもしれません。社会の中で無駄に苦労する人を減らしたいという感情は、社会に全く興味がない状態では生まれない気がします。パートナーを通じて私達は社会と繋がっている自覚が持てている、と言えるのかもしれません。
自分の意思で選び選ばれた、人生を共にするほどのパートナーからの肯定は、親兄弟等からの情や諦めによるものよりはるかに積極的な肯定に感じるので。
ああ、ほらまた長くなっちゃった。
とにかく、このエッセイが黒長様が奥様経由で知った『自分を否定するだけではない社会』に、その一員として積極的に働きかけたということであり、その行動自体が著者様から私が受け取れた前向きな感情です。
そして私は、自分と近しいスタンスの黒長様を経由して、感想を書くことで自分なりに社会に積極的に関る前向きな行動を起こした、というわけです。
なのでありがとうございます。
執筆の邪魔になりませんよう、これのお返事はお気になさらず。時間を割いて長文に度々お付き合いいただき、ありがとうございました。
[一言]
感想では随分と文章間を詰めた書き方をしてしまうので、読みやすいと言って頂けて安心しました。
そうですね。お互いに生き方の戦略や身近に理解あるパートナーがいるのも似ているので、特性が似ているというのは確かにあると思います。私も黒長様の文章がすごく読みやすいです。
『理解されたいという他者への過剰な期待』、それがかなわないために往々にして起こる『普通の人に向けられる敵意や苛立ち』というものが希薄な、知的で冷静なエッセイだと思います。
とはいえ、感情が枯渇しているわけでもないのが、自分にとっては配分が丁度よく心地よい文章でした。
発達障害の当事者間では当たり前の前提であろう、決して解り合えない溝、世の中や社会はこういうもの、というある種の諦観が基調になっている論ですが、冷徹なまでに厳しく現状を分析しながらも投げやりにならず、発達障害当事者にとって戦力的に生きやすい生き方を提案する、優れものだと感じました。
おそらく私や黒長様より凸凹が大きくても不自由なく生きている人は大勢いるでしょうし、反対に小さくても本当に苦労して生きている人も多いのだろうと思います。
知性的だったり、あるいは取捨選択を成功している部類の発達障害者は、世の中への諦観と自分以外の多数の他者への理解の薄さから、必要以上に冷笑的厭世的攻撃的な面が目立つ印象だったのですが、なんだろう?著者様のエッセイにはそういうものが全く感じられませんでした。
ひねくれた書き手の文章だと、「どうせ何言っても意味ないんですけどね」という被害者意識だけが肥大しているようで、諦観で全ての思考が止まっているようで、世の中に対し投げやり、受け身すぎて苦手なのです。
また、逆に普通のことが出来ない自分に悩む発達障害者は、必要以上に自己評価が低く卑屈になってしまい、こ「自分は不当に苦しめられている。健常者は皆加害者の一員だ」という肥大した被害者意識で、感情的に苛立ちを吐き出すことが多いイメージで、これもまた苦手に感じていたのですが、そういった今壁に当たっている当事者と、平均から外れた人に対し何をすべきか解っていない社会への提言として、解りやすく道を示していたところがすごくいいと思いました。
極論ですが、投資の術に長けている人が求められる金融街で、金稼ぎが苦手な人はある種障害者と同じです。金儲けがいくらうまくても野獣を狩ったり、襲われたら逃げるしかないサバンナでは、足の速さや狩りの腕こそが必要能力で、それが無い人はこれもまたある種の障害者と言っていい。つまるところ、発達障害も今平均的に必要とされている部分にちょっと難があるというだけで、適材適所が上手くいけばなんら問題のないことなんですよね。
そこを平均的な人と比較して勘違いしてしまい、自分を絶対的な低能力者だと思い込んで苦しんでいる多くの人にとって、助けになるエッセイだと思います。
反感を全面に打ち出している感想にも届かないと知りながら淡々と、しかし丁寧に一つ一つ返している端的な説明の理性と、反面、本文に追加されたある種苛立ちに満ちた切り捨てる言葉の苛烈さ、両方がそろって、著者様を多角的に見せている気がします。
私のエピソードは一つ一つ改めて文章にしてみると、自分でも驚くくらい凸凹が大きく感じましたが、著者様のその多角性の方が私の個別のエピソードの集大成より、より大きな凸凹に思えました。そしてこのエッセイを読んでいる私にとっては、そこがまた大きな魅力だと言いたい。
どちらかと言えば感情的というより理性的な分析気質の著者様が、垣間見せる苛立ちはそのまま自分が社会で感じる苛立ちと同種のそれで、勝手に親近感を持ちました。
そして、これはおそらく意見が分かれる部分かもしれません。
(親や教師、皆が自分の義務を果たそうとすることで、平均から外れた人が被害を受ける)という部分は完全に同意ですが、ある程度の濃度で広い範囲を網羅している日本の義務教育自体は優れていると思っているので、大人たちが『子供を平均に合わせよう。普通の人を目指そう』を自分の義務とするのでなく、多方面に興味の萌芽の可能性があるよう一定の教育レベルは担保しつつ、義務教育の中で出来ないことをも当たり前と思える大人が増えたらいいと、切実に感じます。
そして何より、個々人が自分の特性を理解して、多数が歩く道から外れた時に自分が脱落してしまったと思わない強さを鍛える必要があると思っています。
いくらレールに乗れと強要されるのがつらくても、他の歩きやすい道が示されそこに進むときに、違う苦痛を覚えるならそれもまた不幸だからです。
私自身は当時レールアウトの道が許されていたとしても、もし早期に義務教育のレールから外れていたら人生で味わってきた多くの満足感はなかっただろうと思うので、平均値のレールを選んだと思います。
自ら選ぶまでもなく後になって0点をとったり、就職難の時代に一部上場企業で女子総合職内定を取りながら留年して棒に振ったり、波乱万丈な感じにレールアウトしてきましたが、苦痛より立て直す方向にリソースを充てる主義だったので折れずに楽しめました。
多数派に属することで安心する気質だったら、多分、どれもこれも死ぬほど辛いエピソードになったのだろうと思います。
能力に関しては自分のやりたいことに対して有利不利があるので、選択の自由があるといいと思いますが、選択した道が幸せと感じるための回路は自分で開くしかないので、こちらのエッセイを読んだ人が一人でも多く、違うことは悪いことや間違っていることじゃないと気付いて、その先で幸せになれるといいと思います。
それでは長々と失礼しました。こんな長文で場所を占めるのも申し訳ないので、そのうち消すかもしれません。(と言いつつ、まあいいかと思ったらそのままにしちゃうかもしれません…)
感想では随分と文章間を詰めた書き方をしてしまうので、読みやすいと言って頂けて安心しました。
そうですね。お互いに生き方の戦略や身近に理解あるパートナーがいるのも似ているので、特性が似ているというのは確かにあると思います。私も黒長様の文章がすごく読みやすいです。
『理解されたいという他者への過剰な期待』、それがかなわないために往々にして起こる『普通の人に向けられる敵意や苛立ち』というものが希薄な、知的で冷静なエッセイだと思います。
とはいえ、感情が枯渇しているわけでもないのが、自分にとっては配分が丁度よく心地よい文章でした。
発達障害の当事者間では当たり前の前提であろう、決して解り合えない溝、世の中や社会はこういうもの、というある種の諦観が基調になっている論ですが、冷徹なまでに厳しく現状を分析しながらも投げやりにならず、発達障害当事者にとって戦力的に生きやすい生き方を提案する、優れものだと感じました。
おそらく私や黒長様より凸凹が大きくても不自由なく生きている人は大勢いるでしょうし、反対に小さくても本当に苦労して生きている人も多いのだろうと思います。
知性的だったり、あるいは取捨選択を成功している部類の発達障害者は、世の中への諦観と自分以外の多数の他者への理解の薄さから、必要以上に冷笑的厭世的攻撃的な面が目立つ印象だったのですが、なんだろう?著者様のエッセイにはそういうものが全く感じられませんでした。
ひねくれた書き手の文章だと、「どうせ何言っても意味ないんですけどね」という被害者意識だけが肥大しているようで、諦観で全ての思考が止まっているようで、世の中に対し投げやり、受け身すぎて苦手なのです。
また、逆に普通のことが出来ない自分に悩む発達障害者は、必要以上に自己評価が低く卑屈になってしまい、こ「自分は不当に苦しめられている。健常者は皆加害者の一員だ」という肥大した被害者意識で、感情的に苛立ちを吐き出すことが多いイメージで、これもまた苦手に感じていたのですが、そういった今壁に当たっている当事者と、平均から外れた人に対し何をすべきか解っていない社会への提言として、解りやすく道を示していたところがすごくいいと思いました。
極論ですが、投資の術に長けている人が求められる金融街で、金稼ぎが苦手な人はある種障害者と同じです。金儲けがいくらうまくても野獣を狩ったり、襲われたら逃げるしかないサバンナでは、足の速さや狩りの腕こそが必要能力で、それが無い人はこれもまたある種の障害者と言っていい。つまるところ、発達障害も今平均的に必要とされている部分にちょっと難があるというだけで、適材適所が上手くいけばなんら問題のないことなんですよね。
そこを平均的な人と比較して勘違いしてしまい、自分を絶対的な低能力者だと思い込んで苦しんでいる多くの人にとって、助けになるエッセイだと思います。
反感を全面に打ち出している感想にも届かないと知りながら淡々と、しかし丁寧に一つ一つ返している端的な説明の理性と、反面、本文に追加されたある種苛立ちに満ちた切り捨てる言葉の苛烈さ、両方がそろって、著者様を多角的に見せている気がします。
私のエピソードは一つ一つ改めて文章にしてみると、自分でも驚くくらい凸凹が大きく感じましたが、著者様のその多角性の方が私の個別のエピソードの集大成より、より大きな凸凹に思えました。そしてこのエッセイを読んでいる私にとっては、そこがまた大きな魅力だと言いたい。
どちらかと言えば感情的というより理性的な分析気質の著者様が、垣間見せる苛立ちはそのまま自分が社会で感じる苛立ちと同種のそれで、勝手に親近感を持ちました。
そして、これはおそらく意見が分かれる部分かもしれません。
(親や教師、皆が自分の義務を果たそうとすることで、平均から外れた人が被害を受ける)という部分は完全に同意ですが、ある程度の濃度で広い範囲を網羅している日本の義務教育自体は優れていると思っているので、大人たちが『子供を平均に合わせよう。普通の人を目指そう』を自分の義務とするのでなく、多方面に興味の萌芽の可能性があるよう一定の教育レベルは担保しつつ、義務教育の中で出来ないことをも当たり前と思える大人が増えたらいいと、切実に感じます。
そして何より、個々人が自分の特性を理解して、多数が歩く道から外れた時に自分が脱落してしまったと思わない強さを鍛える必要があると思っています。
いくらレールに乗れと強要されるのがつらくても、他の歩きやすい道が示されそこに進むときに、違う苦痛を覚えるならそれもまた不幸だからです。
私自身は当時レールアウトの道が許されていたとしても、もし早期に義務教育のレールから外れていたら人生で味わってきた多くの満足感はなかっただろうと思うので、平均値のレールを選んだと思います。
自ら選ぶまでもなく後になって0点をとったり、就職難の時代に一部上場企業で女子総合職内定を取りながら留年して棒に振ったり、波乱万丈な感じにレールアウトしてきましたが、苦痛より立て直す方向にリソースを充てる主義だったので折れずに楽しめました。
多数派に属することで安心する気質だったら、多分、どれもこれも死ぬほど辛いエピソードになったのだろうと思います。
能力に関しては自分のやりたいことに対して有利不利があるので、選択の自由があるといいと思いますが、選択した道が幸せと感じるための回路は自分で開くしかないので、こちらのエッセイを読んだ人が一人でも多く、違うことは悪いことや間違っていることじゃないと気付いて、その先で幸せになれるといいと思います。
それでは長々と失礼しました。こんな長文で場所を占めるのも申し訳ないので、そのうち消すかもしれません。(と言いつつ、まあいいかと思ったらそのままにしちゃうかもしれません…)
”素晴らしい!”です。私には書けないです。消すなんてもったいない。
凹凸が、能力の数値だけでなく、感想への対応と本文への反映にまで及ぶと指摘されるとは思いませんでした!
私は、周期の長い問題を分析したり結果を予測する能力は無駄に高いと感じてますが、私自身は、社会には興味無いので、むしろ、こういう感想を書ける能力が欲しいです。
これは凄い指摘だと思います。
私の心理としては、書いた側には、対象外の方に読ませてしまった責任と言うのがある程度あると思うのです。私が対象を正確に書いておかなかったことに問題がある、つまり書いた私の方が悪いという認識です。
感想自体は本当に感謝しています。
そして、それに対する誠実な対応が本文の修正です。私的にはそのように考えています。
>適応できなかった人の、普通の人への敵意、
>知性的だったり、あるいは取捨選択を成功している部類の発達障害者は、
>世の中への諦観と自分以外の多数の他者への理解の薄さから、必要以上に
>冷笑的厭世的攻撃的な面が目立つ印象
これは当事者エッセイをいろいろ読んできたからこそ言える話ですね。
主観で書くとそうなると思います。これについては私は両方理解できるのです。
ただ、それだと解決にならないのです。私は無駄に苦労する人を減らしたいのです。
目的に対して変な方向に走ってるなと思うことを何度か見たので、単なる分析を書いたつもりでいました。
私自身は主観が欠けてる人間なので、気持ちの部分は、あまり人には伝わらないと思ってました。
でも、ちゃんと主観は入っていて、届いていたのですね。
凹凸大きいとわかると思いますが、私自身、自分が他人からどのように見えているかがよくわからないのです。
実は分断(障害者排除)については考えたことがありまして、最終的には、グレーゾーンには絶対に線を引くことができないという結論を持ってます。
つまり、グレーゾーンはそもそも線が引けないし、人数が多すぎるので、社会保障では救えない。つまり、分断で捨てることもできません。
普通枠で働かせる以外に選択肢がありません。
つまり、働かせる必要がある ≒ 働く意欲のある人は救われる が根底にあっての話です。
頑張れば救われる可能性が高いのです。そうしないと破綻するからです。
理由は後ろ向きですが、案外前向きな話なのです。
そして、救われる最も理想的な環境と言うのが、まさに金融とサバンナのお話の通りです。適材適所。
単に給料が高い安いを言うと崩れますが、能力を生かして幸せにと言うのを優先すれば、十分達成できると思います。
(生活できない低賃金は問題外ですし、需要の無い仕事をやりたがる人が殺到しても解決できませんが)
そして、私は教育、特に、幼児期、初等教育には効果が大きいという認識を持っています。網羅性を保つためには義務教育である必要がある。それ自体は認めています。
なので、本当は、月野様の書かれたような、できないことも許容してくれる世界を望んでいます。
実は、望んでいる着地点は、同じだと感じています。
ありがとうございました。
これを書ける人は、なかなかいないと思いますので、できれば消さないで欲しいと思います。
凹凸が、能力の数値だけでなく、感想への対応と本文への反映にまで及ぶと指摘されるとは思いませんでした!
私は、周期の長い問題を分析したり結果を予測する能力は無駄に高いと感じてますが、私自身は、社会には興味無いので、むしろ、こういう感想を書ける能力が欲しいです。
これは凄い指摘だと思います。
私の心理としては、書いた側には、対象外の方に読ませてしまった責任と言うのがある程度あると思うのです。私が対象を正確に書いておかなかったことに問題がある、つまり書いた私の方が悪いという認識です。
感想自体は本当に感謝しています。
そして、それに対する誠実な対応が本文の修正です。私的にはそのように考えています。
>適応できなかった人の、普通の人への敵意、
>知性的だったり、あるいは取捨選択を成功している部類の発達障害者は、
>世の中への諦観と自分以外の多数の他者への理解の薄さから、必要以上に
>冷笑的厭世的攻撃的な面が目立つ印象
これは当事者エッセイをいろいろ読んできたからこそ言える話ですね。
主観で書くとそうなると思います。これについては私は両方理解できるのです。
ただ、それだと解決にならないのです。私は無駄に苦労する人を減らしたいのです。
目的に対して変な方向に走ってるなと思うことを何度か見たので、単なる分析を書いたつもりでいました。
私自身は主観が欠けてる人間なので、気持ちの部分は、あまり人には伝わらないと思ってました。
でも、ちゃんと主観は入っていて、届いていたのですね。
凹凸大きいとわかると思いますが、私自身、自分が他人からどのように見えているかがよくわからないのです。
実は分断(障害者排除)については考えたことがありまして、最終的には、グレーゾーンには絶対に線を引くことができないという結論を持ってます。
つまり、グレーゾーンはそもそも線が引けないし、人数が多すぎるので、社会保障では救えない。つまり、分断で捨てることもできません。
普通枠で働かせる以外に選択肢がありません。
つまり、働かせる必要がある ≒ 働く意欲のある人は救われる が根底にあっての話です。
頑張れば救われる可能性が高いのです。そうしないと破綻するからです。
理由は後ろ向きですが、案外前向きな話なのです。
そして、救われる最も理想的な環境と言うのが、まさに金融とサバンナのお話の通りです。適材適所。
単に給料が高い安いを言うと崩れますが、能力を生かして幸せにと言うのを優先すれば、十分達成できると思います。
(生活できない低賃金は問題外ですし、需要の無い仕事をやりたがる人が殺到しても解決できませんが)
そして、私は教育、特に、幼児期、初等教育には効果が大きいという認識を持っています。網羅性を保つためには義務教育である必要がある。それ自体は認めています。
なので、本当は、月野様の書かれたような、できないことも許容してくれる世界を望んでいます。
実は、望んでいる着地点は、同じだと感じています。
ありがとうございました。
これを書ける人は、なかなかいないと思いますので、できれば消さないで欲しいと思います。
- 黒長 二郎太
- 2018年 04月24日 00時14分
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