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[一言]
障害持ちの人に「普通になーれ」と言ってしまうのは実をいうと普通とされている定型発達者の定型発達という障害なんで、それこそ言っても無駄だと思います。
なんというか、普通の人にとっては、共感し、自分のコミュニティに引き入れることが快感なんですよね。

で、ADHDにもいろいろな類型があると思うんですが、人とわかりあいたくないという人がいたとして、その人にとっては、ふざけんなって話なんだろうと思います。

ただ、普通の人の両義性については、うまく使うのがいいのかもとも思うんですよね。

経済的な効率性を完全に推し進め障害者を分断するということになれば、かつ、そのときまったく障害者に共感する普通の人がいなければ、多数決の論理でいいように扱われてしまうわけです。

生活保護とかでも、障害とはちょっと違うけど、あいつらに金は渡さなくていいとか、もっと金減らせとか、普通の人の共感性がなくなってしまえば、物理的にひどいことが起こりかねません。

現に前ドイツでは優勢遺伝子を残すために、障害者は排除するという法律までできてしまっています。

でも、オレは放っておいてほしいんだ。
わかります。

が、それについても許容できる人はできるだけコミュニケートせざるをえないのかなと思います。

作者様がこういうエッセイをお書きになられることも、そういった架橋の一貫として捉えることができるのではないでしょうか。

わたしとしてはそのように、このエッセイを読みました。
>障害持ちの人に「普通になーれ」と言ってしまうのは実をいうと
>普通とされている定型発達者の定型発達という障害なんで、
>それこそ言っても無駄だと思います。

凄い書き方ですが、概ね同意です。
(この場合の障害の言葉の意味が、治らないという意味であれば)

冒頭に書いてる通り、手帳持ちには手帳持ちの戦法があります。
手帳持ちとその家族、支援者の戦法が夢野様の指摘のひどいことの防止となります。

この話は、手帳が持てないグレーゾーン付近の方に向けて書いています。
見た目で分からないので分断されないことで困ることの多い人たち向けです。

放っておいてくれは、二次障害を負う可能性があるためです。
二次障害は避けれる障害です。

文章から受けるイメージと異なるかもしれませんが、実は、途中はどうでも良いので、なるべくダメージを減らして効率的に、自分に合った職について社会に溶け込みましょうという内容です。

分断に対しての話は書いていませんが、普通に社会に溶け込む人が増えれば、自然と懸け橋になる(両方の主張を理解できる)人が増えると思います。
そういう意味では、分断の防止に役立つ可能性もあるのかなと。
そうなってくれると良いと思います。
[気になる点]
改稿に気付くたび目を通していますが、どこが変わったのかわかりにくい…でも、おそらく一番大きな改稿部分は『前段の感想に対する反応部分』で合ってますよね?
[一言]
発達障害当事者によるエッセイはよく目にしますが、その中でも解りやすく勉強になるエッセイでした。
最近、ADHDの方のエッセイで記憶障害(他人の顔や名前が覚えられない)で苦労している記述があり、自分にも思い当たるので色々と調べ始めたところです。
自分は、十年以上毎週一緒に活動している趣味サークルの十五人の名前がおぼつかず、毎回メモで確認するレベルですが、高校時代に学年の終り頃になっても日常会話を何度も交わしているクラスメイトの名前と顔が判然とせず、授業中に提出物を皆にその場で返却するよう担当教師に命じられた時、すごく焦ったこと以外切羽詰まったことがなかったので、今までなんとなくやり過ごしてきました。
あとは日にちが覚えられません。誕生日も大事な人の命日も記念日も祝日も今日の日付も、何回聞いても入ってきません。
そのことで周囲には何度も同じことを聞いたり、色々と助けてもらっていますが、発達障害が話題になった頃ちらっとチェック項目を見て、自分は違うと思っていたのでそちらのエッセイでびっくりして色々調べるうちに、こちらのエッセイに辿りつきました。

自分の凸凹が大きいというのは、勉強に興味がある時期は学年トップや全国模試で二桁順位は当たり前、でも理解できないと何をどうやっても無理で、定期テストで0点で赤点になるという波の大きさ、熱中すると子供のころから連日二十時間以上読書に打ち込むという偏った集中力で、何度も痛感しています。

自分の場合は別にそのことで困っているわけでもなく、病院に行くつもりは今のところありません。
自分の苦手はもう無駄と割り切って覚える努力は最初からせず、仕事でも生活でも周囲にフォローしてもらい、その分得意な分野では率先して動きフォローする側に立つと、『凸凹が大きい歪な人』というより『スペシャリスト』扱いされるようになり、自己評価も結構高めになっていました。まさにこちらで書かれている無駄なことにリソースを割かない、を地で行って上手く行っている感じです。

パートナーに「もしかしたら私、発達障害かもな~」と言ったところ、「今更?そりゃ病院に行ったらなんかしら病名付くレベルでしょ。でも、障害…ではないね。だって本人が困ってないし、周囲もそれで何も負担に感じてないし、強いて言うなら個性だね」と言われたので、ああそういうものなんだなと受け止めています。

とはいえ、感想欄で風鳴さまが二つ目の感想に書かれた(普通の人が理解できることが情報不足で判断できず、判断するための情報を得ようとすると否定されていると勘違いされて怒られる。頭悪いとか想像力が足りないとよく言われる。聞かなくてもわかることを聞こうとしてくるのは嫌味だ、と取られる)という部分は、自分にもよくある状況なので、初期は結構傷ついていました。
今は私を「能力高い人だ」と評価する人と「頭悪い人だ」とバカにする人、両極端に分かれます。どちらも一面しか見ていないと正しい評価ですが、自分は後者に解ってもらいたい、能力を証明したいとも思っていないし、そのための努力も無駄だと感じるので、最初から切り捨てて「そうなのー。こういうの苦手で~」と言いながら距離を取る戦法です。ただ、前者の高評価を聞いて期待値を上げて寄ってきた人に勝手に失望されることも多く、そこはかなりのストレスですね。

「元から変な人で通す」という著者様の対処法は、自分でも使ってみてかなり有効だと感じています。

とかく、感情的に「発達障害者は苦しんでいる!健常者が配慮しろ!」という声が多い中、理性をもってわかりやすく現状を考察されているこちらのエッセイは、自分にとって受け入れやすく、色々と考えさせられるものでした。
  • 投稿者: 月野円
  • 2018年 04月22日 05時20分
たびたびの改稿すみません。細かい所は頻繁にいじってます。
大きな部分では、ターゲットを明記したこと(困ってない人が読んでもわからない)、2原色と3原色の例追加、大人の発達障害に自分自身の話を入れたことです。小説書き始めた理由も入ってます。
文字数は初期の2倍になってます。

月野様の感想を読んで最初に思ったのは、凄く読みやすい、わかりやすいということでした。たぶん特性が近いと言うこともあると思いますが凄くわかりやすいです。

凹凸はお話を読む限り私よりも酷そうですが、単なる凹凸と言うよりはLDが入ってるのかもしれませんね。私から見ると文章からは賢い方というように見えています。
スペシャリストとしてうまく動けているようで何よりです。
私も同じような感じです。行動の基本方針が同じなので、結果も似たような感じ言うことでしょうか。

パートナーの方は障害の定義を知ってますし、元から優秀な方なのか、気になっていろいろ勉強済みなのかもしれませんね。私の妻も同じようなことを言ってました。日頃からサポートしてくれてるのだと思います。ありがたいことです。
理解のあるパートナーを得ることができたのもきっとプラスに働いていると思います。

評価が両極端、勝手に期待してガッカリまで私も体験済みです!
努力は、ある程度の年になるまでは拒否できなくて困りました。若いうちは評価の対象が結果より努力である場面が多いので、やる気あるのか!と言われてしまうのです。努力点が取れません。
今は年齢的に結果で判断される場面が多く楽になりました。

おそらく読んでわかるかと思いますが、私も病院に行く必要があると言うほどでも無いのですが、改善の余地があるのにそれを放置したせいで周囲の人に迷惑がかかると嫌だなと思ったというのも動機の1つになっています。
(病院に行くことを勧めているわけではありません)

改善したかと言うと、自分ではよくわかりませんが凄まじい減量ができました。

感想ありがとうございました。
[一言]
だいぶ返事に悩んだのですが、「手加減しないと話ができない」こう思われることが多いです。
でも実際は他人が手加減と思われることは、自分には難易度が高くて難しいことなんです。
同じものを見ていても受け取る情報量が、他人と比べてひどく多いのですが、そういう環境が普通だと他人の目から見た少ない情報量で判断することがとても困難になります。
普通の人が理解できることが情報不足で判断できなくなって、普通より理解力の足りないと思われる人間ができあがります。
想像力が足りないとか、頭悪いとかよく言われますね。
そして、自分が判断するための情報を聞き出そうとすると、否定されていると思い込まれて怒られます。
相手からしてみれば聞かなくても解かることを無意味に聞き出そうとしている、嫌味を言っているという風に受け取られます。
生きにくいですね。

説明を諦めて、拳で押しとおれば通る。
よく解からんけど、いけるような気がしたから行ってみた。
こういう主張に変えてからは、理解できない脳筋、人ではない野生動物と納得されて意外と平和になりました。

努力とかあなたのためにとか、そういう人は自分にも寄ってきますよ。
つきあってるとやはり碌な目にあいません。
どんどん調子に乗ってくるので最初から潰してしまうのが大事ですね。
  • 投稿者: 風鳴
  • 2018年 04月21日 19時49分
前回のコメントとかなり印象が違いますね(良し悪しではなく印象が違うというだけです)。
いろいろと普通ではないので、話の軸によってまったく違う面が見えると言うのは理解できます。
言葉はシーケンシャルなので、頭の中を説明するのはとても難しいですしね。


手加減は、相手に合わせるために大きな努力が必要になるくらいの意味で考えてください。
ストレートに会話可能な相手は滅多にいない領域ですねと書いたのです。

IQ140の人は手加減すれば簡単にIQ100の人と会話が可能であると言う意味では無いです。
そもそも見えているものが違いますから。

ただし、実際IQ高くて普通の人の考えを先回りできる人も居るようです。必ずしも、見えてるものが違うから話が合わないというわけでも無いようです。

>でも実際は他人が手加減と思われることは、自分には難易度が高くて難しいことなんです。

この部分は、普通の人同士だと見えているものやそこから導き出される手段が近いので、少ない情報量でやりとりが可能なのに対して、普通の人と普通から外れた人が話をする場合、普通から外れた側が一方的に普通の人に合わせるためにリソースを消費させられると考えています。

なので、合わせるために消費されるリソースが莫大な人は、能力自体は高くても、能力が低い人間と思われることもよくあることだと考えています。

私は群指数4つのうち高いのは1つだけなのですが、それだけでも、話をするのに人と軸が違って苦労します。全部高いともっと苦労するのかもしれません。
凹凸が激しいと障害になりやすいと言うので、平均して高ければ、マシなのかと思ったのですがそうでも無いようですね。

>想像力が足りないとか、頭悪いとかよく言われますね。

”想像力が足りない”は私も言われることがあってびっくりします。
なんで一方的な主観で話しする人がそれを言うのかな?とすごく不思議でした。
想像力無い人が言うんですよ。その人には想像力無いからわからないんですね。

私の場合は頭悪いのかわりに、やる気あるのか!とか努力が足らん!みたいな感じです。
努力してるときほど言われるので腹立ちます。

風鳴様よりは私の方がまだ平均的な人との乖離が小さいのかもしれません。

私は元から変な人で通しています。常に同じスタイルで居れば、周りがそういう人なんだと覚えてくれるので、それで通してます。その方が平和です。理解とか求めません。
面倒なことになるからです。

それでも散々苦労しました。
[一言]
ふきこぼれですか、自分はIQ140で4色覚ですな。
時々、他人との意思の疎通があやしくなります。
頭の出来というよりは感覚の違いでしかないのですけど、あまり理解はされず。
できる人間なのだからやるべきだとか言いながら、私がしなくてもいいその人がしたいことを押し付けるのに、何の疑問も持たない人間にたかられます。
年に数人から百人ぐらい来ますね。
見えているものが違うだけで、見えていないものは解らないのに、自分が見えていないものも理解しないといけないらしいですよ、此方だけ、それも相手の利益のために。

喧嘩腰な人間は安全。
友好的に近づいてくる人間は要注意。

とりあえず普通の人から自分を守らないといつか死ぬ。
そんな感じです。
理解とか求めたらいけないですね。
隙見せたら食いつかれますから。
あなたのことを理解したいのとか言ってくる人間は危険です。
相互理解のためには此方の一方的な労力を提供するべきとか言われますよ。

ご参考になれば幸い。
  • 投稿者: 風鳴
  • 2018年 04月18日 20時19分
コメントありがとうございます。私は上側であぶれる人を”浮きこぼれ”と呼んでいます。
140くらいになるとちょっと珍しいですよね。手加減せずに話できる相手が滅多にいない領域でしょうか。

普通の人が考えるIQ高い人と、実際にIQ高い人のギャップが大きいんですよね。

労力求められるは、能力高すぎるとそうなる人が居るようですね。そのような話は何度か見たことがあります。

自身の能力、リソースは、自分自身と、自分自身が望むことに使うべきです。
高いからと言って他人のために使う必要はありません。


私の場合は能力のタカリにはあまり遭いません。勝手に期待されて勝手にガッカリされます。凹凸が大きいからです。何も悪いことしてないのに、酷い仕打ちです。

私が嫌悪感を強く感じている言葉は、”あなたのため”と”努力”です。
これ言う人を追い払うのは大変で、だいたい酷い目に遭わされます。

浮きこぼれ側を書く機会があったら使わせていただきます。
[一言]
 お返事ありがとうございます。一点、ADHDとアスペルガーに共通点があるのを思い出し、追記しようと思いました。

 「興味のないことにはまるで集中力がない」という点は、共通項としてあげられると思います。
[良い点]
とても分かりやすかったです。
上位のはみ出し者は浮きこぼれとか吹きこぼれとか、言われる人たちですね。
[一言]
関係のない話なのですが、「普通に合わせる労力」のところで、逆上がりが出来ずに、友達に笑われながらも親に諭され、1か月毎日遅くなるまで練習し、テストで見事出来たものの、評価が3段階の真ん中から上りも下がりもしなかったことを思い出しました。
親や先生の教えとは真逆ですが、何にでも努力するより、リソースの持ち出しが少なくてすむ、凸の部分を見つけて注力する方が良かったと、社会人の今考えています。

  • 投稿者: 梅山
  • 2018年 04月16日 02時20分
梅山様

ありがとうございます。浮きこぼれの話は書いてなかったので改稿のとき足します。上側の異常値としてですが。
たぶん困ってる人も居ると思うのですよね。上側にも。

一言の方は、関係大有りです。そうなんですよ、まさにそれです。
ただ、練習してできるようになったのなら、まだ、努力すればできるという経験と、だからといって評価されるわけではないと言う貴重な経験になってますから、救いがあるように思います。

もし凹凸の激しさを感じているのであれば、基本は凸部分を生かせるようにすると良いと思います。
[良い点]
 アスペルガーについてエッセイをなろうに投稿している当事者視点での感想です。

 障害の定義で「この人は何を言いたいのだろうか?」としばし首を傾げましたが、盲人の話で合点がいきました。

>障害者を普通の人にしてあげよう!と頑張ってくれたりしますが、それは、鬱病の人を頑張れ頑張れ励ましてるようなものです。

 そう、これです! まさにこれが間違いの姿! 恐ろしいことにアスペルガーを専門にしている医師でさえこのスタンスの人がいるのだから困ります。

>障碍者として社会保障払う方がずっと安くて効率的だからです。経費削減、効率化のために障害者扱いしてるわけです。

 この発想はありませんでした! なるほど!
[気になる点]
>頭の善し悪しではなく、社会は普通の人専用に作られている。だから、普通から外れると傷害になりやすい。

 傷害 は誤字でしょうか?

>新しい薬ができたとか

 発達障害に効く薬というのは詐欺以外で聞いたことがないです。

>アスペは天才が多いという意味でアスペ、アスペと使う人が多いですが

 いや……この略称はどうみても「空気の読めないやつ」と馬鹿にする意味合いで見受けます。ネット上では残念ながら。

>ADHDとアスペはよく混同されますが、特性的には逆のものです。

 併発が多いことは書いてておくべきではないでしょうか。私もADHDもありましたから。

>学歴は無くても、仕事ができれば入れてくれる会社はけっこうあるのです。

 ここが話が合わないかなと思った部分です。我々にだって奉公先を選ぶ自由ぐらい欲しいです。
 私は今でも研究者になりたいと思っています。なろうで小説を書いているのも、最終的に大学院行って博士を取りたいからです。そのためには結構なカネがかかります。生きているうちに達成できるかはわかりません。
 こんな無駄な回り道をしなければいけないのは、興味のある学問だけやっていればロハで研究者になれるなんて言う道がない自由度の低い社会のせいではあります。
 そういう意味では、私は非常に救われたいです。
ありがとうございます。
中途半端な発達障害持ちの場合、何が理由で自分が困っているのかさえ、よくわからないのです。主にそういう人たちに向けて書いたものです。

>そう、これです! まさにこれが間違いの姿! 恐ろしいことに
>アスペルガーを専門にしている医師でさえこのスタンスの人がいるのだから困ります。

そうでしたか。見えにくいし、普通の人は中身知らないから仕方ないと思ってましたが、専門医まで!

傷害は誤字です。すみません、気付いてなかったです。修正します。

>>新しい薬ができたとか

> 発達障害に効く薬というのは詐欺以外で聞いたことがないです。

ADHDだとストラテラやコンサータがそれなり効きますよ。
新たにできた市場は大人のADHDですので、主にそれを指してます。

> いや……この略称はどうみても「空気の読めないやつ」と馬鹿にする
>意味合いで見受けます。ネット上では残念ながら。

もちろん、それは知ってます。基本はそれですね。

ただ、滅多にいないはずなのに自称アスペが大量発生するので、それを指して書いています。

「空気の読めないやつ」の方は、多数派になればそちらが勝つ意味合いで説明しているので、不要かと思ったので、そのように書いています。

>併発が多いことは書いてておくべきではないでしょうか。私もADHDもありましたから。

併発は私も知ってます。確かに、私の書き方だと併発が有り得ないように読めますね。修正します。

>>学歴は無くても、仕事ができれば入れてくれる会社はけっこうあるのです。

> ここが話が合わないかなと思った部分です。

すみません。そこは省いた部分です。
この話には、
学問のプロは学者であるという部分が存在します。
なんで良い会社に入るために高学歴目指すの?
なんで学業のプロにならないのに学歴作るの?という意味合いの部分なのですが、その中に、学問究めるなら学者になれという部分があるのです。
そもそも、真面目に学問究めて学者になりたい人にとって邪魔ですよね。

なので、
>学歴は無くても、仕事ができれば入れてくれる会社はけっこうあるのです。

は企業の話であって、学者は入っていません。

とりあえず、障害者枠を使わず人並みに収入を得るというところに主眼に置いています。そのために無駄な努力はやめましょうという話をしています。
それより上の部分にはあまり主眼を置いていません。

申し訳ないですが、みなはらつかさ様は、その部分の対象外です。

興味のある分野だけ伸ばしてその分野のプロフェッショナルになる道が無いことで困ることが多いという点では同意です。
何しろ凹凸で困ってるのですから、凸部分だけで勝負させてくれよと言うのは、よくわかります。私にも出っ張りがありますからね。そこだけで生きれたら、それなり優秀な人になるのではないかと思うのですが。

アスペルガーに関しては興味がありますので、作品を読ませていただくかもしれません。
[一言]
>>ほぼ同じ言葉をどう表記するかでケンケンガクガクするのであれば、その手間とお金で、今この瞬間私が感じている困りごとや苦しみをどうにかしてくれたら嬉しい…
だって、我々障害者がどんな名称で呼ばれようが、良くも悪くも我々の現状がすぐさま大きく変わることはないからです。


ほぼ同じ言葉?? どんな名称で呼ばれようが?

障がい者に対する現状がすぐさま変わらないのは、誰でも分かってます。だからこそ少しずつ変えていこうと各方面から当事者、支援者共に努力をしているんでしょう。直ぐに変わらない、大きく変わらないから意味がないって言うのであれば、何も始まらないので何も変わらなでしょう。苦しい状況で今すぐ変化が見込めなくても頑張っている当事者は沢山います。彼らの努力を真正面から切り捨てる発言が当事者から出るのは正直驚きです。
自助グループなど参加されたことはないのでしょうか。自分の意見だけではなく、障がい者や支援者が現状を変えようとどう努力しているか、少し勉強することをお勧めします。





私は、障害者本人とその家族や施設に関しては、実際に接する機会があるので比較的詳しいと思います。
障害の表記の話は皆知ってます。話題になることも稀にはあります。でも、そんな話があるらしいですねという世間話レベルです。
それを重要視しているという話は少なくとも当事者とその家族からは聞いたことが無いです。

他に困ってることがたくさんあるから、そんな些細なことはどうでも良いという意見です。

引用した人が言ってる内容と一緒です。なので、私にはあの話が障害者当事者の一般的の意見に思えます。

私がかかわるのは発達障害関係(加えて、重度重複の人は居ます)ですので、もしかしたら、他の障害の人とは別の意見になるかもしれません。

障害者センターに行くのには勇気が要りますが、障害者センターの名前が障がい者センターになっても、足を運ぶ際の抵抗はあまり変わりません。

障害者センターには行けないけど、障がい者センターだったら気軽に行ける!という人は滅多にいないと思うのです。

もちろんすべての障害者が同じこと考えるわけ無いです。
それに、少しずつ変えていきましょうと言うのもわかります。
ありがたいことです。

ですが、当事者に言う言葉が”少し勉強することをお勧めします”です。

こういうのをエッセイで書いてます。
[一言]
まずは、私の拙い文章にお答えいただいたことを感謝します。


1つわかったことがります。
それは、否定や肯定のの定義(どこまで含めるか等)が筆者様と私で違っていることです。

私はなるべくこの様な齟齬が発生しないようにわざと複数の表現を使ったり
スタンス(判断基準)を確認しましたが、
筆者様は肯定・否定としか仰らないので理解が遅れました。
≫実際肯定してるから肯定してると書いてるつもりです。


また、下記の部分は筆者様の完全な読み違いです。
≫生き物として当然の要求が欠けていると言うコメントが付きます。

なぜなら、私は”筆者様のエッセイも(私の判断基準で)否定的”と受け取ってます。
(つまり改善希望=現状の否定があるということです)
≫私には否定的(ネガティブ)な意見にとれたのですが。(本文中の随所に同様の部分が見られます)

「(私の判断基準では)否定的なエッセイを書いているのに、なぜ頑なに肯定してると言い続けるのか?」を問うていたのです。
(結論は定義が違うというものでしたが)


また、勘違いされているようですが、ふらじーる様の件は
 ”言 い 方 が 酷 い”
と言っているのです。
≫こんな投げっぱなしの言い方は不要ですよね。
表現に関するスタンスを示すだけで十分なはずではありませんか。

最後に
≫たぶん、これの鏡像を私が感じてるのだと思います。
とありますが、一番議論したかったのはこの部分だったのですが、残念です。
例えを置いて終わりにします。

「木(障がい者)を見て森(社会)を見ず」からもう一歩進めて
「森(社会)を取り囲む環境(自然・競争)にも注目」。

以上、ありがとうございました。
  • 投稿者: ヨージ
  • 2018年 04月14日 18時57分
言葉の齟齬はすみません。
質問されれば回答しますが、論議は望んでいません。時間的コスパが低いからです。
問題提起してるつもりも無いです。

>≫たぶん、これの鏡像を私が感じてるのだと思います。
>とありますが、一番議論したかったのはこの部分だったのですが、残念です。

知ってます。だから鏡像と書いてます。

>「森(社会)を取り囲む環境(自然・競争)にも注目」

個人的には、先にそっち知ってないと書けない文だと思いますけどね。
書く内容絞る必要があるから絞ってるのです。ただ、いろいろ齟齬があると思うので意図通りに伝えるのは難しいことは理解しています。

それを論議で解決するのも難しいのでしません。最後は多数決で負けて終わるからです。
[一言]
筆者様は頑なに”否定”という言葉を回避しているように見えます。
改善希望とは、現状に不満(ネガティブ)がありより満足度の多い状態を望むことで、生き物として当然の要求なのですが。
それとも、全否定以外は全て肯定というスタンスなのでしょうか?

本エッセイを私なりにものすごく簡単にまとめると、「小さな親切、大きなお世話」と読めました。
それで、「なぜ周りは小さな親切を押し付けてくるのか」と、「どうして大きなお世話になってしまうのか」について例を交えながら解説されていると思います。
今までの私の突込みは”解説に違和感あり”です。

あと、横槍ですが、ふらじーる様の
≫不特定多数が見る場でこの表記はあまりにも配慮に欠けます。
に対して
≫まあ、当事者のことなど、どうでも良いということはよく理解してますが。
は酷くないですか。
ご自分で
≫少しずつでも理解が広がると嬉しいです。
と書かれていることから、発達障がい者以外の人にも知ってほしいと思い書かれたのではないのですか。
表記方法についてご自分の意見を持って書かれているというだけなら、こんな投げっぱなしの言い方は不要ですよね。
  • 投稿者: ヨージ
  • 2018年 04月14日 08時07分
すみません、この感想だけ全回答で、他放置で申し訳ないのですが、ヨージ様の今回のご意見は、非常に助かります。

当事者と周囲の人とのギャップを埋める上で大変役立ちそうです。

>筆者様は頑なに”否定”という言葉を回避しているように見えます。
……
>それとも、全否定以外は全て肯定というスタンスなのでしょうか?

否定という言葉自体にはあまり関心が無いです。実際肯定してるから肯定してると書いてるつもりです。社会が悪いから変えろではありません。そういう仕組みだと書いてるのです。

それより、こっちですね。
 ↓
>改善希望とは、現状に不満(ネガティブ)がありより満足度の多い状態を望むことで、生き物として当然の要求なのですが。

自覚なく言ってるのだと思いますが、酷いことを言う。というのが感想です。

障害者は、改善を望んでも無駄ということを産まれてから延々と嫌と言うほど味合わっているわけです。生き物として当然の要求を却下されまくって生きてきたわけです。

でも、社会の仕組みを考えれば仕方ないことです。
なので、無駄なことはやめようという結論に辿り着いてそれを書くと、生き物として当然の要求が欠けていると言うコメントが付きます。

悪意があって書いてるわけではないことはわかるのですが、もはや生き物ですら無い扱いなのかという感想です。



私は少数派は負け組なので、(少なくとも個人レベルでは)それを甘んじて受けなさいという考えです。
個人のリソースも限られています。そのリソースを環境の改善のために使うより、自分が何をできるか考えて自分個人のために使うべきと考えています。

社会のリソースも限られていますので、効果的なところに集中して投入するのが効率が良い。
効率を下げてまで救ってもらうのは望んでいません。リソースの増加自体も難しいと思いますが、何より標準的な人が考える障害者に役立つものに予算が使われ、当事者がますます生きにくい世の中になっていくことを恐れています。

社会に望んでるのは、”限られたリソースの範囲でできる範囲内で、効果的なことをしてほしい”です。
せめて、余計なことはしないでね。同じリソースでできる範囲で(二次障害で社会保障で払う金は、二次障害の予防に使った方が良いとかその程度です)という程度のスタンスです。

"障害"を"障がい"に変えるために手間暇かけることというのは効果的なことに含まれません。


>本エッセイを私なりにものすごく簡単にまとめると、「小さな親切、大きなお世話」と読めました。
>それで、「なぜ周りは小さな親切を押し付けてくるのか」と、「どうして大きなお世話になってしまうのか」につい
>て例を交えながら解説されていると思います。

はい、そのとおりです。

>今までの私の突込みは”解説に違和感あり”です。

たぶん、これの鏡像を私が感じてるのだと思います。

>あと、横槍ですが、ふらじーる様の
>≫不特定多数が見る場でこの表記はあまりにも配慮に欠けます。
>に対して
>≫まあ、当事者のことなど、どうでも良いということはよく理解してますが。
>は酷くないですか。
>ご自分で
>≫少しずつでも理解が広がると嬉しいです。
>と書かれていることから、発達障がい者以外の人にも知ってほしいと思い書かれたのではないのですか。
>表記方法についてご自分の意見を持って書かれているというだけなら、こんな投げっぱなしの言い方は不要ですよね。

ですから、当事者の意見を例として出してますよね。当事者は障害者の表記を障がい者に変えることについてどう考えてると書いてありましたか?
私が広がってほしいと考えているのは理解です。勘違いが広がっても迷惑です。
ふらじーる様の表記の話は団体がやってることが根拠ですよ。

もちろん当事者全員の意見が統一されているわけは無いのですが、数年間で何十人何百人と話をしてる人に聞いても、本人及びその保護者が、障害の表記を問題にすることは無いと言います。

障害の表記に関する論争が存在しているというのは障害者とその直接の関係者にはけっこう有名な話なのです。

当事者からしてみれば、一の次二の次三の次四の次、言葉狩りより先に、もっと大事なことがあると言ってます。引用の人と同じです。まったく重要性を感じていないのです。

なので、このような事例を指して本文の中で

>なので、普通の人が考える障害者の救済策は頓珍漢なものが多くなります。

これを書いてます。

「障害者自立支援法」の名前が「障害者総合支援法」に変わりました。

法律の名前自体が”障害者”です。法律の中身はとても重要ですが、表記は意味が伝われば十分です。
障害者じゃなくて障がい者だ!と騒ぐ時間があるのなら、中身の話をしてほしいのです。


ヨージ様の今回のご指摘は、ギャップを埋めるためのヒントになりそうです。ありがとうございます。
これは皮肉ではなく、本当にに感謝しています。
この直な話、それ自体がとても参考になるのです。思ったことを書いてくれて助かります。


産まれた時から障害を持って絶望の中で暮らすと、どういう心境に陥るか、その結果何が救いになるかの説明を先にしておかないと、当事者以外には伝わらない話になってしまうようですね。
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