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[良い点]
とにかく文章についてはなんの文句も無いです^^;
描写は丁寧ですし、安定した読みやすい文章であると思います。
ストーリーの導入部分も王道で、物語に入り込みやすくなっていると感じました。

また、主人公のキャラがとても良かったです。
心理描写も細かいので、人物像をしっかりと捉えることができました。
[気になる点]
私のような者がこれといって指摘できる点はほとんどないのですが、強いて言うなら描写が丁寧な分、バトル描写といいますか、勢いが必要な部分は何だかもっさりしているように感じてしまいました。
これくらい丁寧でも良いと思う箇所もありましたが、やはり車でレースとなると、疾走感が欲しくなってしまうのかなぁなんて思います。

またこれは個人的な意見なのですが、なんと言いましょうか、血のかよっていないキャラクターが多かったように思います。
もちろん、主人公は別です。
よく練られて完成しているキャラクターは、作者の意図とは関係なくしゃべると思うんですよね。「このキャラはこういう場合こう言う」みたいなのがあると思います。
この作品の場合、それが主人公に合わせて喋らされている感じがしました。
ストーリーや構成、描写が細かい分、私にはそれが目立って見えてしまいました。
[一言]
掲示板から参りました、つたれもんと申します。
ご依頼を頂いてからかなり時間が経ってしまったことをお詫び申し上げます。

また機会がございましたら、よろしくお願いしますm(_ _)m

丁寧な感想ありがとうございます。

疾走感がない、というのはかなりの読者さんからいただいている感想なので、改良の余地ありのようですね。
サブキャラクターの練り込み、というかフレイズに関してもいろいろ知恵を絞ってみます。

今後とも応援よろしくお願いします。
[一言]
 掲示板より参りました後藤です。応募作で、そして、私の、厳しい感想でも構わない方のみ募集という罠にまんまとはま……、いえ、募集に応募していただけた以上、私が自身の中に設定する全九段階の基準のうち、八段階までのリミッターを解除した感想になります。
 実際、少々厳しくなります。では、始めます。
 まず、大別して六つの問題点があったように考えました。①設定、②登場人物、③世界観、④展開、⑤ご都合主義、⑥車について、⑦書き方です。順番に参ります。
 そして、私は車のことはほとんどわかりません。こんなことが前提になります。

①設定
 登場人物、ご都合主義の項とも重なるのですが、この小説は主人公を持ち上げすぎているように思われます。それがどのような点から感じられてしまったのか、そしてそのことの弊害は何か、まずお話します。
 たとえば、ヒロインである真琴嬢は学園では多くの男子生徒から熱視線を向けられているような美少女だという設定。次に、そんな美少女に恋をする少年はクラブのエースで勉強もできる好漢だという設定もありました。いきなりですが、私にはこれらの設定が余計なもののように感じられてしまいました。
 そもそも、この作品ではヒロインが美少女である意味は何もありません。学園のアイドルである意味もです。この設定を除外したところでそんなにお話に大きな変更は伴わないように感じられるからです。
 さらに、ライバルともいえる少年についても、人気者、だからなんなんだろうと考えてしまいました。峠レースがメインであるこのお話の中でスポーツができようが勉強ができようが人気者であろうがそのことが意味することなどないからです。
 そうなると、どうしても設定過多に思えてしまいます。これは私が見た別の方の感想からの引用なのですが、「設定がアクセサリーにしか見えない」ように感じられてしまったのです。
 その効果として、結局主人公のよいしょにしかなっていないように思えました。
 この主人公は学園のアイドルくらいの美少女に好かれている。勉強もできてスポーツもできて女の子にもモテモテの少年にさえ主人公は尊敬されるほどすごい人だ。
 私が以前失敗したことなのですが、有能な人物を描こうとするあまり、周囲に崇拝じみたことをさせてしまった結果、不必要に人物を持ち上げてしまい反感を買う、あるいは周囲の人物を単なるお飾りにしてしまったことがありました。
 この作品にも同じような傾向が見られます。
 登場人物を有能な人物に見せたいのであればまず実績を作中で示すことです。その後でなら周囲の人が讃えていても問題ないでしょう。私は、しっかり実績を作った上だから問題ないだろうと考えてしまっていたのです。しかし、私は大きな弊害を見落としていたのです。それは、A>Bの構図ができあがってしまうことです。
 尊敬とは自分よりも上位の人間に向けられるものです。すなわち、誰かを尊敬する人物は必然的にその人物よりも下位の存在に位置づけられてしまうのです。この作品にも私が以前失敗した事例と同様の弊害が浮き出ていました。
 お話は代わりますが、第二章の対戦相手であるカイザー、この人物が不必要に小物に見えてしまったのです。
 A>Bという構図は、B=Cともなってしまいます。
 A=主人公。B=倫嬢、C=カイザー。
 カイザーは作中ではかなりの実力者として記されていました。しかし、倫嬢に罠を仕掛けるほどは実力は伯仲しているような行動を見せています。この時点で、読者としては倫嬢とカイザーは同格の相手なのだとインプットされてしまいます。B=Cです。
 そして、倫嬢はかつて優秀な走り屋であった主人公のことをとにもかくにも讃える傾向にあります。そうでもしなければ代打を任せられるはずがないという設定があるにしても、この段階でA>Bが成立してしまうのです。すなわち、A>B=C。
 正直申し上げて、カイザーはすごいと書かれていても、印象としては金にあかせて車の性能を底上げしているだけの小物以上には見えませんでした。その結果、主人公は格下相手に勝って当然のように思えてしまったのです。
 お話の展開上、勝たなければ仕方がないとはわかりますが、それにこのような印象まで加算されて緊迫感がまるでありませんでした。
 この作品の場合、主人公の実績がない段階で周囲の崇拝が始まってしまっているため、その点において顕著な面があります。いくら昔ならしていたとは言っても、それはあくまでも設定上の話です。読者としては主人公はすごい人と言う印象ができあがる前に持ち上げが始まってしまい、作品の中の人はこう言ってるけど、実感が伴わない状況に陥ってしまいました。
 無論、車の性能に差があるから総合的な戦力には大きな開きはないともありましたが、車を知らない人には焼け石に水の話です。「まさかこの程度の車であれに勝てるのか、この人は!」とはならず、小物相手という印象を何ら払拭できません。
 次に、心理戦そのものはおもしろかったのですが、結局相手が雑魚だからできたことだろう、なんて言う印象がどうしても邪魔をします。
 対戦相手の罠によって本来戦う人が負傷し、代打を主人公が買ってでる。いつからあるかわからないくらいベタな展開ですが、この手法の弊害は、対戦相手がどうしても小物にしか見えなくなるということです。実際、カイザーが倫嬢に確実に勝てるほどの実力者であった場合、このような手段に打って出る必要はないわけです。無論、真剣勝負である以上、たとえ卑怯な手を使ってでも確実に勝利する勝負師、そんな設定もありかもしれません。が、それにしては対戦中、カイザーは主人公を終始愚弄し続けていました。理屈を組み立てると、どうしても倫嬢以上ではないカイザーと、倫嬢に尊敬される主人公という構図ができあがってしまうのです。
 この作品には、失礼ながら設定に迫力がありません。看板倒れと言い変えてもよいように思えます。
 その最たる例がカイザーでしょう。実力者として主人公からも言われているとは言え、作中に示された行動から得られる印象がまるで設定と重なってくれない。そのことで今度は主人公のすごさが伝わってきません。
 蟻を指一本で潰す人を見せられても、読者としてはすごいとは思えません。それなのに、周囲の登場人物は主人公のことを誉めている。そして、それぞれの人物に学園のアイドル、優等生、優れた走り屋などの設定が付加されてさらに主人公を持ち上げようとしている。でも、印象が形成されず無駄に優れた人という設定が乗せられているように感じられてしまう。設定がアクセサリー化しているということです。
 この作品の問題として、主人公に下駄を履かせすぎです。主人公が好きな人にはいいかもしれませんが、まるで二次創作を読んでいるような気分でした。好きな原作の登場人物だけを不必要に持ち上げて書くやり方ですね。
 根本的に登場人物の設定、その作り込みが足りていません。そのことについて、次の登場人物に移ります。

②登場人物
 こうなれば苦言にリミッターはかけません。
 この作品では、二種類の人しかいないように見えてしまいました。主人公とその崇拝者です。
 基本的に主人公はいい人、すごい走り屋、尊敬すべき人物、親愛なる友、別れたけど忘れられない人などなど、讃えられています。一部例外もいますが、それも主人公の力を見せつけられるという点において逆説的な崇拝であることに変わりはありません。
 その原因として、おそらく登場人物の作り込みが足りていないからでしょう。すべての登場人物をおそらく主人公との関係を中心に構築しはしませんでしたか。主人公を中央において、その主人公をどう考えているかだけで設定されてしまっているように見えるため、どうしても主人公の付属品としてしか見えてこないように思えるのです。
 先述の通り、学園のアイドルに好かれるほどの主人公、優等生に尊敬される主人公という設定は、それこそ箔付けにしか見えなかったのです。
 細かいことを言えば、ヒロインの父親の態度も個人的には理解できませんでした。いくら昔からの付き合いとは言え、まだ高校生の娘が男と夜出かけると聞いて心穏やかでいられるものでしょうか。実はこんなところにも主人公が中心でありすぎている点が見られます。
 主人公自身は娘さんを大切にしていることを知っている。だからお父さんも安心して娘さんを任せられるはずだ。ただ、娘さんを大切にするつもりだという事実は主人公の心の中にしかないはずなのです。それなのに、お父さんはなぜか主人公のこことの中のことを正確に理解している。そんな点も主人公が中心でありすぎると見えてしまう点です。
 もちろん、以前娘を命がけで助けてくれたことへの信頼と見ることもできるでしょう。ただ、この点にも問題があるように思えます。詳述は④世界観に回すため、少々お待ちください。
 以上のように、基本的に主人公が世界の中心で、登場人物がそのすべて付属品にしか見えないのです。その点が登場人物の作り込みの甘さだと私は考えました。
 小説の登場人物もそれぞれ別の場所に生まれて、別々の人生を過ごした上で、小説という枠の中でたまたま出会っただけの人々です。ですが、この作品では主人公ありきで作られたキャラクターに見えてしまうことから順序が逆で、その人物の人としての厚みが伝わってこないのです。
 作者さんは車にお詳しいこと、プロフィールを拝見して走り屋に大変な思い入れのあることは何となく感じ取れます。そのため、今から大変失礼なことを言います。本来言うべきでないようなことなのですが、これがないと感想がつながらないため、ご容赦ください。
 この作品は、走り屋の願望を形にしたもののように思えます。
 美少女に好かれて、美女からは讃えられて、優等生からは尊敬されて、おまけに作中では走り屋の社会的身分が低いと描写されておきながらヒロインのお父さんの理解がある。
 何から何まで与えられすぎのように思えます。個人的に、本音を言うならこのような作品に抵抗がないわけではないのですが、人気を獲得するための手法としては間違っていません。
 例として、このサイトで人気のチーレム--チートな主人公がハーレムを築く--というジャンルがありますが、これは非常に賛否両論激しいものです。この属性がなければランキング上位に入れないのに、外部では「なろう」のランキングは機能していない、地雷だらけだと揶揄されるようにです。その理由は、主人公と自身とを同一視できるか否かという点にあります。ここで、世界観にお話を移します。

③世界観
 続けて参ります。
 チーレムの特徴は、あまりに主人公にとって都合のよい世界であるということです。そのため、自分が主人公でさえあれば非常に居心地のよい世界でしょう。ところが、そうでなければ醜悪--少々極端ですが--以外の何者でもありません。
 よって、どれだけ主人公と自分とを同一視できるかが物語の価値を決めると言っても過言ではないでしょう。そして、そんな世界観を楽しむことができるのは子どもの特権です。少し知識が増えて社会の構造が見えてくると誰か一人だけがもてはやされる世界の不自然さがどうしても見えてしまいます。その結果、あり得ない世界のあり得ない人物と自分とを重ねることができなくなってしまうのです。
 要するにこんなことです。
 世界のことがわからない子どもにとってどんな世界でも受け入れるだけの下地があります。そのため、チーレムのような世界はあり得る世界であり、主人公は自分の願望をわかりやすく表現してくれる存在としてもてはやすのです。
 ところが、ちょっと知識が増えるとそんな世界観の不自然さがどう目を背けようとしても見えてしまいます。すると、フィルターを外して見えたチーレムとは、人を一方的に殴りたい、美少女にモテモテになりたい、俺ってすごくかっこいい、そんな願望を垂れ流しにした、それこそ醜悪な世界しか見えてきません。
 この完全な二極化が、このサイトの内外で異常なほど大きな評価の開きを見せる原因となっているのです。そう、私は考えています。
 さて、こんな私見にお時間いただいてしまったのには無論、理由があります。この作品の場合も同じことが言えるからです。失礼ながら、走り屋と呼ばれる人たちの願望の投影に見えてしまいました。そして、私はそれを非難したいわけではありません。手法をとらえ違っているのではないかと危惧しているのです。
 この作品の評価を分ける分水嶺、それは、主人公と自身をどれだけ重ねることができるかにかかっていると思います。そんなことはすべての小説に言えることですが、このタイプが重ね合わせがいかに重要かはすでにお話したつもりです。もっとも、これは願望の発露であるという私の仮説が正しいことが前提ですが。
 さて、問題は主人公が走り屋であるということです。
 今更ですが、走り屋なんて今更に思えます。昔はそんなマンガもよくあったような気もしますが、今はあまり見ないように思われます。そもそも走り屋そのものが全人口の何割が参加したことがあるかと問われれば、決して高い値ではないでしょう。それでも、これは走り屋のお話なのです。
 読者が主人公と同一視するための足がかりがないという危険性があります。
 早い話が、走り屋の経験がある人や車が好きな人でなければならない。それなのにすでに時代は車を忘れようとしている。カー・シェアリングなんてものが一部では導入されているほどです。そう考えると、分母を進んで限定してしまっているとも考えられませんか。
 私は走り屋のお話自体が悪いとは思えません。ただ、作品の傾向として考えた場合、やはり走り屋は今更だという感覚です。特定の読者に人気の出る可能性のある作品でありながら、進んで限定してしまっているように思えるからです。
 また、そのことが現実の環境に即していない印象を助長させてしまっている原因にもなっています、多分。
 読者層を二重の意味で限定してしまっているのです。一般の読者には現実味に乏しく、人気の見込める読者層を進んで絞ってしまっているように見えるからです。
 ここにも、世界観の作り込みの甘さがでているように思われます。走り屋の現状を利用しきれていないように思われるからです。
 私自身、走り屋の現状なんてまるで把握していないのですが、この際イメージだけでいかせてもらいます。たとえばこんなことです。
 時代遅れであるということを反対に前面に出すことなどどうでしょう。
 昔、誰かがこんなことを言っていました。「オンライン・ゲームに興味はあるけど、廃れた時に寂しくなりそうだからしない」と。
 現代はエコカー、電気自動車、ハイブリッドカーに、センサー内蔵で衝突を避ける自動車も実用化の段階に入ったとか。そんな中、危険なレースを金までかけてやっている人の気持ちがわからない。そんな世界観を前面に出すのです。
 すると登場人物はそんな時代にも関わらずまだ走り屋を続けている。こうしただけで、では、その人物はどうしてこんなことを続けているのだろうか。郷愁? 思い入れ? 単なる憧れ? 意地? こんな設定にしただけで、どうして今でも走り屋を続けているのかということを設定しなければならなくなります。実際の走り屋の方々がどうかは知りませんが、一般から見た場合でもいまだに走り屋を続けている理由を示すことで世界観に現実味を与え、登場人物を自然と掘り下げることができます。
 さらに、これは期待のお話なのですが、読者の幅を車関連以外にも広げることができるかもしれません。
 私も経験がありますが、以前流行っていたものがあっても流行がさって人が減っていく中、自分だけは続けていて寂しい思いをしたということがあります。私の場合、惰性で続けていたようなものでしたが、中には思い入れがあってなかなか離れることができなかったという経験がある人がいるかもしれません。そんな人の気持ちも、もしかしたら拾うことができるかもしれないからです。
 まあ、あくまでも期待なのですが。それに、たとえば登場人物の中に古いレーシング・ゲームをいまだに続けていて、オンライン対戦なのに自分の記録だけが更新され続けていることに寂しさを覚える人がいるなど、車とより一般的な体験との隙間を埋めてくれるエピソードを用意する必要があるとも思います。
 要は読者の方々に主人公と自分とをいかに同一視してもらえるかが勝負の作品に思えるのです。
 今のままですと、走り屋御用達の小説以上になっていないようにも思われるのです。実際、車を持っていることが男のステータスであった時代なんてとうにすぎました、多分。
 この作品は、昔を知っている人には、しかし世界観がご都合主義--⑤で詳述します--で取っつきがたい。ご都合主義に慣れている世代には車という非常に狭い趣味の世界のお話で分母がどうしても小さい、そのような問題点を抱えておられるように思われます。
 では、次、展開に移ります。

④展開
 真琴嬢を命がけで助けた場面から入ります。
 まず、私がこの作品に問題としているのは、展開が露骨に思えるから点です。作品全体としてはストーリーはしっかりと作られているように思えます。ただ、長所と短所は紙一重。ストーリーがしっかりとしている分、ピラミッドというよりクリスマスツリーに見えるのです。
 土台からしっかりとできあがったというより、軸に後からエピソードを張り付けていったような状態です。
 そのため、確かにお話の筋は通っているようで、しかし飾りに脈絡がない、あるいは無理につけたようなものがあるように見えてしまうのです。ピラミッドは下の石が上を支えなければなりませんが、クリスマスツリーなら星の飾りのすぐ横に門松のストラップを吊すこともできてしまう。それでも、クリスマスツリーはまっすぐに立っていてくれる。そんなことです。
 さて、お話を戻します。命がけの救出劇について。
 以前、私は幼い甥の面倒を見ていた時がありました。ただ公園で遊んでいるのを見ているだけでよい簡単なものでしたが、公園のだいたい二〇〇メートルほど先に踏切があって怖くて目が離せなかったことを覚えています。昔の話なのであまり確かなことは覚えていませんが、子どもの動きは予測ができません。
 私見で申し訳ありませんが、そんな子どもをすぐにでも転落してしまう危険性のある場所で遊ばせている親の心境というものが理解できなかったのです。もちろん、子どもがなくなる痛ましい事故がないわけでもなければ、不注意な親がいないわけでもありません。
 ただ、お話として見た場合、ネタバレになってしまうかもしれませんが、怪我をした主人公がヒロインに立ち直るきっかけを与えられるお話という用意された軸の周りに、エピソードが張り付けられているだけに思えてしまいました。
 あくまでも個人の感想と繰り返させていただきますが、エピソードがうまくつながってくれないのです。
 熱物に懲りてなますを吹く。こんな言葉があるように人は失敗をすると慎重になります、個人差はあるでしょうが。この作品では、私にはこう見えました。
 以前、不注意で娘を失いかけ、少年の夢を奪ってしまった父親。そんな父親が一〇年後、夜中に出かけようとする娘を笑顔で送り出す。普通の父でも心配しそうなことを、主人公への絶大とも言える信頼がたやすく超越している。
 ピラミッドは下の石が固いからこそ形が支えられています。クリスマスツリーは何をつけても構わない。聖母マリアの像の横に逆十字飾っても別に崩れたりしません。
 実はこんなところも問題であるように思えるのです。人は経験を積んで価値観や考え方を変えていきます。その人がどのようにそのような価値観に至ったかこそが、人生の厚みとも言うべきものです。そのためにはその価値観を支えるべき頑強な下地が必要となります。このような経験からこの人物はこのような価値観を持つに至った。そんな説得力が小説には不可欠だと私は考えています。
 この作品の場合、それに乏しいのです。それこそ、ヒロインを助けて怪我をした主人公という設定を説明するために用意されたエピソードと、夜中にヒロインと峠に行くというエピソードがばらばらに用意されてしまっている。その結果、本来父親という軸で結びついていなければならないはずのエピソードが別個に用意されたように結びつかない。クリスマルツリーのお飾りに思えるのです。最初から話の筋は用意されて、エピソードは関連もなく張り付けられているように見えるからです。
 こんな観点からも、登場人物の作り込みが足りていないように思われます。
 小説の中で登場人物はお話を進ませるための駒です。しかし、人はその駒に一貫性を見いだすからこそお話を楽しむことができます。
 将棋やチェスで先を読む楽しさや展開を読めなかった悔しさそのものを楽しむことができるのは、駒の性質が徹頭徹尾変わらないからです。この駒はこんな動きをする。反対に駒の動きが途中で変わったらどうでしょう。それも誰かの都合のいいままに。そんなことがあれば誰も先を読もうなんてしません。無駄なだけだからです。その場面、その場面で同じ駒でもまったく別の動きをされてしまうなら考えるだけ無駄でしょう。
 登場人物はお話を動かす駒だからこそ、そのキャラクターの根幹となる行動原理は一貫していなければなりません。
 カイザー。性格には問題があっても実力者であるという軸がぶれていて設定はともかく小物にしか見えませんでした。
 少年。女性の部屋に招かれただけのあのような行動を起こすのは、本当に女性のことを雌としてしか見ていないか、女性と関係を持つことに慣れていると捉えることしかできませんでした。
 これらも、一貫したキャラクターというものが感じられず、展開上必要だから行動をとらせた、場面場面によって都合よく駒の動きが変わっているように見えてしまいました。
 各エピソードから眺めた場合でも、登場人物がアクセサリーにしか見えません。ここで言えることは各キャラクターの作り込みが甘く、言葉は悪いのですが、中年男性が女子高生を落とすというお話の中、都合よく動きを変える付属品としてしか見ることができなかった印象です。お話の筋がはっきりとしているからこそ、無理を押しきってお話が進んでしまっているように見えるからです。

⑤ご都合主義
 ここでは、これまでの中で言い残したことを少し。
 この街は、別に人口が一〇〇人しかいない、そんな街ではありませんよね。ヒロインの仲間がたまたま主人公行きつけの店の店員さんで、ヒロインの同級生が弟子入りした相手がたまたま主人公、ヒロインの学校の先生たまたま主人公の顔なじみだった。
 こうなれば私見で突っ走りますが、小説を書くということはどんなことだと考えますか?
 物語を書くことではありません。世界を作ることです。
 世界があって、そこには現実の人間と変わらない人々が暮らしていて、様々な出来事が起きている。その中の一部分を物語として切り出す作業こそが小説を書くということなのです。
 ただこの作品の場合、お話はあっても世界が見えません。お話ありきの作られたものだと見えてしまうように感じられてしまいました。
 このお話は、いろいろ書きましたが決して拙いものとは考えていません。起承転結がしっかりとしています。プロローグがあり、主人公の力を披露して、ヒロインの恋愛話から主人公とヒロインが互いの関係を見つめ直すきっかけを作り、ヒロインと協力して立ち直るという展開は筋が通っているからです。
 問題となるのは、筋がとっているものの、それはあくまでもお話としてです。細部の作り込みが甘く、そのせいで走り屋の願望の投影に見えてしまっています。
 基本的に、私の個人的な感想として、登場人物の感性とまるであわず、かつ、その感性そのものが話を進めるためだけの都合で変容を繰り返しているようにも見えてしまいました。
 そもそもこれは④展開で書くべきことですが、主人公の心情がまず理解できていません。
 以前自分が関わったレースで親友を亡くしてしまった。だから恋人は作らない。でも車には乗るし別にレースをすることは構わない。
 そのレースの内容が女性を巡っての争いであった以上、恋人を作らないはまだ理解できますが、レースが危険と知りながら平気でできる神経が理解できませんでした。
 命を奪ってしまったことを後悔しているのに、危険なレース--実際、最後のレースでは重大事故に発展する恐れがありました--を行うことはできる。女性を巡ってもいざこざを起こしてしまったから恋人は作らない。こう考えるとどうしてもレースについて矛盾してしまい、無理矢理つなげようとすると、主人公が後悔しているのは女性を巡って争ってしまっただけという理論しか私には構築できませんでした。
 ただそうすると、恋人を作らない理由として人を殺したことをあげている理由がわからない。
 このサイトではチーレムものの主人公の不幸設定は時に嘲笑の対象となるようです。その設定そのものが単にヒロインの同情を買うためだけのものであるかのように見えて仕方がないからだそうです。
 このお話を悪く解釈しようとするなら、ヒロインに慰めてもらうこと前提に過去の一部を明かしたようにしか見えないのです。しかもヒロインが主人公の過去を知っていたのは、たまたま主人公の顔見知りが偶然にも学校の先生だったからです。
 これも私の持論ですが、あり得ない偶然は起きてもできすぎた偶然は起きません。確率論上、ゼロを観念できない限りはどのような出来事も起こりえます。しかしできすぎた偶然には偶然を装う意志が必ず隠されているため、偶然ではなく必然でしかないのです。
 小説におけるその意志とは、かっこよく言えば神の采配。言ってしまうなら作者さんのご都合です。
 この作品は主人公と自分を同一視できる人には気分のいい小説であると思います。しかし私のように完全に失敗してしまったものにとっては、厳しい言葉ですができすぎた偶然に支えられた願望の発露に見えてしまいます。

⑥車について
 では次に車について。正直申し上げて専門用語はまともにわかりませんでした。ただ、車に詳しいということはこのような小説を書く上で大きな武器でしょう。詳しくは⑦の書き方に回しますが、専門用語の多さについてはわからなかったにしろ雰囲気を作る上で必要なことだろ考えています。
 もっとも、この七項目すべて問題点として列挙したものです。当然ですが、問題点も含まれています。
 少々意地の悪い観点から見たなら、あまり車のお話である必然性がないように思われます。もちろん、車を除外してしまえばお話の根幹が変わってしまうことは理解しています。ただ、お話の大筋が主人公とヒロインのお話である以上、車そのものはあまり重要ではありません。意味があるとすれば、ヒロインが車に興味を持っているという点でしょうか。
 男性の方が身体的に女性よりも優れているということに対抗意識を燃やしているヒロインが車に興味を持っているからです。
 ただ、その割にヒロインが男性に対抗意識を燃やしているようには見えないのが減点対象ではないでしょうか。主人公に対しては女性として寄り添ってあげたいように考えているように見えます。別に女性であることそのものを嫌っているようではありませんが、ポニーテールのような女性特有--男性にもいることはいますが、圧倒的に女性の方が多いでしょう--の髪型をしている。
 設定だけ並べると、モーター・スポーツなら男性とも渡り合えるという動機を並べている以上、それなら男性中心の日本社会にさえ女性としてかみついても良さそうですが、それにしては女性として見られることを嫌がっているようでもある。ボクという一人称もあまり女性が使うものでもありません。
 モーター・スポーツに憧れるという設定があるためヒロインがお話の中心に近づいている反面、女性でも男に勝てるという主張が看板倒れを起こしているようにも思われます。
 ボクという呼び方や女性としてか見られないことを嫌がっている。それにしては女性に多い髪型をして、主人公に対しては家事は女の仕事とばかりに世話を焼いている。
 女性として男性という存在に対抗意識を持っているにしては、自分の中の女性というものを強調している訳ではない。ボクという呼び方に違和感がある。
 男性も女性もないという考えなら、モーター・スポーツなら女性も男に勝てるという論理に至る過程が不鮮明。
 そもそも主人公が走り屋だと知る前からヒロインが車に興味を持っているという展開そのものも偶然がすぎます。
 車のお話にする必然性があまり見えないばかりか、そのためにヒロインの設定がぶれているように見えてしまいます。お話の中で、ヒロインには個性がなく、主人公の態度によって都合よく設定が変わってしまっているような、付属品のように見えてしまうことを助長しているように思われるからです。
 こんな点も、作り込みの甘さにつながっているように思われます。
 これなら、ヒロインは男社会に女性として噛みついてやりたいと考えているなどの設定にした方がいいかもしれません。ヒロインはいつも化粧をかかさず着飾っていて、家事全般できる女性の鑑のような少女。しかしその本心は日本の男社会が女というものに求めた記号を体現することで逆説的に男社会への反逆を見せようとしていた。そんな女性が戦いの舞台に選んだのが峠でした。モーター・スポーツならそれほど体格差は出ない。しかも車は男のおもちゃだという感覚さえある。こんな場所で、女性である自分が女性として男どもを破ってみせれば男性優位の社会を否定する第一歩となると考えている。主人公はその師匠。ヒロインとしてはその実力を認めつつも、いつか追い抜いてやろうとその首を狙っている。主人公は危ないから外せと言ってもヒロインはアクセサリーを外すこともなければ、着飾った姿のまま車に乗り込む。男たちが勝手に下位と決めつけ自分たちの価値観だけで押しつけてきたことに反抗するために。
 これくらいの設定にした方がいいように思われます。少々ヒロインがどうしても車でなければならない設定をもってみました。そして、全体的に私が納得できるよう設定をいじっています。まあ、ここまでしてしまうとどちらが主人公かわからない上、主人公と結ばれる形で物語を閉じることもできません。結局、女の幸せとは好きな男にもらわれることだなんて発想自体、男性から押しつけた価値観に他ならないからです。
 全体的にそれぞれの設定の必然性、論理面の構築が不十分でその人の息づかいが伝わってくるような人物造形になっていません。
 そのため、車ありきのお話を前提に、無理矢理登場人物をはっつけたように思えてしまいました。この点が、車である必然性を乏しくし、登場人物の軸がぶれる原因にもなっているように思われます。

⑦書き方
 書き方は人ぞれぞれ。言いたいことの大半は終わってしまったため蛇足のようなものですが、蛇に足があれば蜥蜴。そして私は蛇を書いているつもりはない。よし、行きましょう。
 三つの点が気になりました。①読点の使い方、②改行の仕方、③相対的時間毎行についてです。
①読点の使い方
 文章を拝見して気になったのは、読点の使用頻度です。私自身、どこかで文章の書き方を習ったことはなく独学なので感想として受け止めていただければよいかと。
 主人公は、敵の攻撃をかわし、フェイントを交えながら、相手の腹に鉄拳をお見舞いした。
 こんな文章があったとします。この文章は、執筆者の呼吸にあわせて書かれた文章です。どこまで一息に書いてどこで一度筆を置いて読点を入れたかがわかるからです。
 ただ、読点はそもそも読みやすさを高めるためのものです。上述の文章の場合、決して長い文章ではないため読む側には一息に読むことができます。そして特に分けなければわかりにくい文章でもないでしょう強調表現でもなければ主語の後にいきなり読点を置かれても読みにくくなってしまう危険性が増だけでしょう。フェイントと攻撃が一連の動作である以上、繋げた方が連続して読んでもらえます。
 主人公は敵の攻撃をかわし、フェイントを交えながら相手の腹に鉄拳をお見舞いした。
 個人的にはこちらの方が読者としても読みやすく、回避と反撃を読点で分けることでメリハリにも繋がっていると考えています。
 この作品では不必要に読点が多いと感じられた場面がありました。私としては本当にどちらが正しいのか判断できていない状況なのですが、こんな観点もありますくらいに読み流していただければと。
②改行の仕方
 この作品を眺めてみると、気のせいか文章の段落が同じような行に固まっているように見えたことがありました。私自身、文を改行なしに繋げていくことに抵抗があって一定行数ごとに改行していたことがありますので気になってしまいました。改行を必要からではなくて感覚として行っているのではないかと危惧したからです。
 実際、作品の中ではレース中、何カ所かで一連の動作であるはずなのに改行が挟まれてしまった結果、別の動作のように捉えてしまって混乱したことが何度かありました。
 読点のこととあわせて文章の構造にもう一工夫ほしいという気でいます。
③相対的時間毎行
 最後に、かのアインシュタインが晩年に構築した相対性理論の最終公式からのお話です。もちろんうそっぱちです。私の造語です。
 小説を書く上で、私が注意していることの一つに各行ごとの時間経過の意識というものがあります。そう、やはり私の独学なのです。
 さて、まず例から入りましょう。長い直線の後のカーブがあるとします。
 偏見ですが、レーサーにとって直線はあまり意味がありません。少なくともカーブほど重要ではないでしょう。とすると、それを小説で表現しようとした場合、書くべき文章量に重大な差が生じてしまうのです。
 直線はせいぜい二、三行で飛ばしてしまう。カーブは重要だから八行かけたとします。ただ、実際の時間経過を考えると直線は九秒かかって、カーブは数秒程度の出来事になるでしょう。
 この場合、直線の一行毎の時間経過は約三秒、カーブは四分の一秒になります。しかし、人の読む早さも時間も等速です。同じ一行を読んでいる間に、直線では三秒が経過しているのに、カーブでは一秒さえ経っていない。そして直線が入ればまた時間が間延びしていく。
 まさに相対性理論でしょう、きっと。
 この観点から考えた場合、読んでいる方としてはスピード感が伝わりにくくなってしまいます。ゆっくりとしたい場合には、カーブとカーブの間の文を長めにとればよいでしょう。反対に、速くしたければカーブがあった、そしたらすぐにカーブがあったと直線の間隙をできるかぎり少なく描写できるようにすればできるはずです。そして、なるべくカーブはさらに短い文章で一気に通り抜けてしまうこと。
 この作品の場合、全体の印象としてそんな観点が不足しているように思われます。一瞬であるはずの出来事を長々と描写されると時間の流れ方が不自然に思われますし、今どれくらい走ったのかがわかりにくくなってしまいます。
 具体的には、この作品は動作の際にまとめて説明もしているように思えてしまったからではないでしょうか。そのため多くの動作が集中する場所に文が集中してしまい時間の流れ方が変わってしまうように思えるのではないかと。もちろん、すべての文章を同じ時間の流れにしなければならないということではありません。ただ、配置には工夫が必要です。
 また、主人公が頭脳戦を行うキャラクターであるという設定も実は足かせです。いろいろと考えすぎて、そんなこと考えている間にカーブが来てしまうのではないかと心配させられてしまいます。
 具体的には、男が女性を連れて歩いていました。その場面を恋人に見られてしまいました。
 妹なんだ。いや、こいつには俺一人っ子だって話してるじゃん。ばれる。変化球が必要か。姪なんだ、信じてくれ。ちょっと待て。どうして姪と街歩いてんの、俺。そうだ、姪がこの街のこと知りたいって言うから案内してたんだよ。ってさすがに腕は組まないよな。実は姪は足が悪くてこうして支えてやらないと駄目なんだよ、そう。よし、後はこいつがうまく口裏あわせてくれるのを期待するだけだ。いけ、俺。
 この間、一秒。
 なんてしたら完全にギャグでしょう。
 文章を読む速度と作品の中の時間の流れが同じである必要はもちろんありません。ただ、それは相似形を意識しなければならないと考えています。この作品だと説明を省いて最低限の動作だけにすることはいちばん手っ取り早く、レース中に余計なことは考えないことがいちばんです。
 ただ、それだけせっかくの知識がもったいなく、主人公の見せ場をむざむざ潰してしまうことになりかねません。
 この作品の場合、どこかモデルとなる峠がるのかわからないのですが、一度レース・コースを眺めてみて、どこにどれだけの文章を配分するかを考えてみるようなことがあってもいいかもしれません。
 たとえば、主人公の復帰戦であれば直線の間におさらいをしているようにカーブのことを説明させておいて、カーブは必要最低限の文で曲がらせてしまう、そして直線でまた何か考えたりするなどすればなんとかなるような気がします。
 正直、文を読んでいるだけでは作者さんがどのような意図で書いたものかを把握することは難しいのですが、とりあえず私が考えるスピード感の出し方を例示しておきます。
 結論として、失礼ながらスピード感が今一つ足りなかったように思えたものですから。



 こんなところですね。
 プロを目指されていたというあらすじ、すでに完結している作品であることからの評価のしやすさ。こんなこともあって最大級の厳しい八段階までのリミッター解放--九段階は個人攻撃同様の基準なので事実上の最大基準です--で、さらにより踏み込んだところまで感想を書いてみました。
 私もこれまっで一〇〇近い感想を書いてきました。その中でも最大の長さと五指に入る基準の厳しさの感想です。かなり失礼なことまで書いてしまいましたが、言い訳のきかない世界を目指されている方に手加減してしまう方が失礼でしょう。
 また、余計な一言とは思いますが、感想はあくまでも感想です。そもそも私自身、自分の書き方や目指している方向性が正しいのかおっかなびっくり歩いている状況です。心配する事自体失礼になってしまうかもしれませんが、私の意見はあくまでも一つの意見として不必要に惑わされることないよう参考程度にとどめてください。
 では、最後に改めまして非礼をお詫びしまして、何かの参考になれば幸いですの締めとともに感想を終えたいと思います。
  • 投稿者: 退会済み
  • 2013年 01月09日 23時56分
管理
感想ありがとうございます。

本作をじっくりと読んでいただいたうえでの苦言、大変ありがたく頂戴しました。
これだけ手厳しい指摘を受けたからには、これを自身のステップアップに繋げなくては書いてくれた方に失礼だと思えたほどです。

正直、こういった手加減なしの批評をもらうと身が引き締まりますね。今後、苦いキモとして大事に使わせていただきます。

それにしても、これだけ素晴らしい苦言を送っちゃうと、怒る人も出てくるんじゃないかと他人事ながら心配です。
なろうからプロになった作家さんでも、もらった苦言に反論するひとも多いですからね。

とにかく、血肉となる貴重なご意見をいただき、改めてお礼申し上げます。
今後とも精進いたしますので、機会があれば、またこのような手厳しい指摘を下さりますようお願いいたします。
[一言]
どうも、評価依頼の方から参りました。秋谷です。
私はあまり車に興味がないのですが、つい物語にのめり込んでしまうほど、ストーリーの書き方が秀逸だと思いました。
素人なら辟易してしまうような専門用語にも説明がなされていたので、すんなりと読みやすかったです。
なかなか面白い作品だと思いました。

では、これにて失礼します<(_ _)>
  • 投稿者: 退会済み
  • 男性
  • 2013年 01月08日 19時16分
管理
感想ありがとうございます。

かなりマニアックな本作ですが、読みやすいと言ってもらえて素直にうれしく思います。

今後とも応援よろしくお願いします。
[良い点]
マニアックな世界であるにもかかわらず読みやすく。
しかし、読みごたえのあるストーリー、登場人物の豊かな心情が伝わりました。
[一言]
言葉足らずですが感想を書きました。
自分は車が好きなので、あぁここまで書いているとはと思わせられました。
確かに山ってのはあくまで違法だから肩身狭いですからねぇ、なんか余計に入り込んでしまいました。
良い作品読ませて頂きありがとうございました。
感想ありがとうございます。

峠というステージは、ある意味で現代に残された数少ない「ファンタジー」の世界なんだと思ってます。
そこにはたくさんのドラマがあったし、多くの英雄たちがいました。
いまは走りのステージをサーキットやジムカーナ場に移したボクらも、あの場所で多くのことを学んだと振り返って見て思います。

クルマ好きはだんだんとその数を減らしてきましたが、その中のひとりに楽しんでいただけたことは、書き手として、そして現役の走り屋として純粋にうれしく思います。

今後とも、応援よろしくお願いします。
[良い点]
 大変面白かったです!
 背景や人物の描写をはじめとした文章が大変丁寧で読みやすく、男性キャラクターがしっかりと地に足のついた設定であると思いました。特に主人公の壬生が、年相応の落ち着きを持っていることと勝負師としてのやんちゃな面の両方を持ち合わせていて、とても魅力的です。高山も大変好青年でした。
 また、真琴のバトルは彼女がどうやって勝つのかハラハラしながら読ませていただきました。スピード感溢れる展開というよりは、冷静に計算するタイプの主人公だったので、その思考を追うのが楽しかったです。

 車に関しては、ペーパードライバーなもので詳しくないのですが、分からなくてもストーリーの理解に影響がないよう書かれていたため、専門用語が出てきても特に気になりませんでした。けれど、車好きの人にとってはきっと楽しいだろうなぁと、少し羨ましくも思います。車好きの人が増えるかもしれませんね。
[気になる点]
 どうしても良い点の裏返しになってしまうのですが、キャラもストーリーも文章も落ち着いて安定している分、スピード感や爽快感をあまり感じることができませんでした。
 バトルの興奮が最高潮に達する辺りで丁寧な説明が入るのが、その理由のひとつではないかなと思います。説明をあとに回して勢いを大事にしたり、わざと文章を短めに区切って畳み掛けるような荒っぽい仕掛けで冒険するのも手かもしれませんね。
[一言]
 こちらでは初めまして、掲示板から参りましたアルタと申します。評価及び感想が遅くなってしまい申し訳ありませんでした。少々仕事が立て込んだのもあるのですが、じっくりと読みたいモードに入ってしまったのが最大の原因です。それほどに、良作品だったなぁと思っています。

 自分を棚に上げて偉そうなことを書いてしまい恐縮なのですが、評価は5:5をつけさせていただきました。
 これからも応援していますので、頑張ってください!
  • 投稿者: アルタ
  • 2012年 12月27日 23時44分
ご丁寧な感想ありがとうございます。

男性キャラクターに対する高評価は、作者としてひとえにうれしい限りです。特に主人公の翔一郎は、「なろう」で一般的な主人公の年齢層とは異なるキャラクターですんで、「あまり受け入れられないだろうな」と予想していたくらいですから。
クルマに関しましても、マニアックでありながら、できるだけ知らない人にもわかってもらえる表現を心がけましたので、それがうまくいっていたようなのでほっとしています。

悪い点のご指摘につきましては、本作についてもおいおい手を入れていきますし、次回作(連載中)の作品にも積極的に取り入れていこうと思います。

今後とも、応援よろしくお願いします。
[良い点]
 私にはこの作品の良い点を書くことができません。
 物語に熱中してしまい、主観的な感想しか述べられないからです。
 あまりにも面白い。痛快です。
 危惧していたことではありますが、やはり私も一ギャラリーとなって物語を楽しんでしまいました。こちらはろくなことが言えず、申し訳ありません。
 ストーリーは王道。展開はありがち。登場するキャラクターもどこか既視感がある。でも、だからこそ熱いのです。ただの真似ではなく、きちんと踏襲するべきところを踏襲している。そんな作品だと思いました。
 個人的には「なろう」で出会った作品の中ではダントツに面白かったです。完璧。ここまで手放しで絶賛できる作品を読んだのは久しぶりです。ありがとうございました。
[気になる点]
 良い点は極めて主観的に書かせていただきましたので、悪い点は努めて冷静に書かせて頂きます。あくまで私の評価は良い点に書かせて頂いた通りだということを踏まえて、以下の戯言をお読みください。

・時代錯誤。
 公道レースものは恐らく漫画で一躍人気になったジャンルなのではないでしょうか。そして、特にワインディングなんかはそうだと思いますが、全盛期は90年代でしょう。今は規制もあり、チューニングカー自体が衰退しています。また、若者の車離れも叫ばれて久しいように感じます。空前のエコブームで、燃費度外視のスポーツカーに手を出す人はますます少ないでしょう。
 何が言いたいかというと、多くの人にとってこの物語は、現実の延長線上にないのではないか、という危惧です。全然知らない、異世界のお話。あるいはもう終わってしまった世界のお話。やるにしても、もう少し読者に身近なストーリー構築ができていればよかったのかな、と思います。

・使い古された感
 漫画では人気ジャンルですが、やはり使い古された感は否めません。展開は先が読めます。思考戦を絡めたのは良かったと思いますが、対芹沢戦はどうしても「AE-86VSFD-3S」に似ている印象が拭えませんでした。王道で熱い展開なのですが、新鮮味はありませんでした。ドラマパートにおいても、同じです。

・年代に違和感
 細かい点です。私は序章を読んで、90年代前半から中盤にかけての話かと思いました。何せ、AE-86対セリカXXですから。その後B4やフィットの名前が出て、少なくとも00年代前半であるとわかります。二章ではまたランエボⅨが出てくるので、これで時代は00年代後半以降だということが確定します。そして終章で出てくる夏名漱石が三人。これでまた00年代前半になってしまいました。ダメ押しのインプレッサWRX STI。これであれ? つい最近の話なのか? と私は混乱してしまいました。もういっそ具体的な年代を与えてやればよいのではないでしょうか。その場合、終章の夏目漱石は野口にしたほうがよいですが。
 これと関係あるかもしれませんが、時系列で混乱する個所が二か所ほどあります。序章と一章の間と、四章(7)で翔一郎視点から真琴の回想に切り替わるところです。少し混乱しました。

・盛り上げどころはきっちり盛り上がる。しかし……
 もう少し四駆でドリフトする困難さ、について語りがあってもいいような気はします。翔一郎がコークスクリューでブレーキングしなかったのは、下手にブレーキングするとアンダーを出してしまうからですよね。ドリフトで抜けようとするなら、ある程度のスピードで突っこまなければならないはずです。生半可な神経じゃできません。この難しさについて触れていれば、慣性ドリフトのシーンがもっと映えたのではないか、と思います。一つミスれば絶対死ぬ! そんな緊張感はありませんでした。

・悩まれているフレーズについて。
 主人公は冷静沈着な人物です。走る上で磨かれた合理的な思考回路。恐らく、作者の石田様もそうなのではないでしょうか。理論的。この物語に出てくるフレーズも、どこか理路整然としています。合理的といいますか、場面場面で適切な言葉を緻密に選ばれていると思います。
 印象的なフレーズというのは、往々にして一種の興奮状態から生まれるのではないでしょうか。それを証明するように、名台詞ともてはやされるものには、一見して意味の分からないものも多いです。もちろん、物語に作者が熱中しすぎると、読者にとってはわけのわからないものになってしまう危険もあります。そこのバランスを気にされてみてはいかがでしょうか。

・文章について。
 特に何もありません。が、いくつか明らかに日本語が変だったり、不自然に文章が長いところを見つけました。恐らく推敲段階での見落としかと思います。三章以降にちらほら。具体的にどこかは忘れてしまいました。

・真琴の決断
 路面はぬれているのですよね。十回に九回は死にますよ(笑)
[一言]
はじめまして、明日空と申します。
この度は評価・感想のご依頼を頂き誠にありがとうございました。
評点は5:5です。一車好きとしては、文句なしです。
悪い点もクドクド述べましたが、私にそんなことをいえる実力も何もありません。個人的には百点満点でした。

良い勉強をさせていただき誠にありがとうございました。

明日空
絶賛に近い感想をいただいて恐縮しております。

特に「悪い点」として具体的なポイントをあげていただいたことは、物書きとしての自分にとって大変ためになっております。ありがとうございました。
時代錯誤という点は講談社でも言われました。「少年少女+クルマ」でもっと身近な物語を書けるよういろいろ試行錯誤してみます。
あと年代の違和感につきましては、完全なボクのミスです。
本作は、もともと平成14~15年あたりを舞台にしたR18作品として手がけていたものを時代調整して投稿した小説です。登場するクルマの種類はそれにあわせて調整したんですが、千円札の部分は見落としていました。痛恨の極みです。早速修正させていただきました。ご指摘ありがとうございます。

そのほか、身になるご意見、大変ありがたく承りました。
今後も応援よろしくお願いいたします。
[一言]
遅くなってすみません。拝読させていただきました。
ものすごく面白かったです。車に関する知識も興味も持ち合わせていなかった私にとてつもない衝撃を与えてくださいました。最近はファンタジーやバトル系の小説ばかり読んでいたので、すごく新鮮な感じがしました。

ただ一つ申し上げるのであれば、オチがなんだかしまりがないというか……。途中までのストーリーはすごく良かったんですけれど、死んだ親友が出てきたところが私にとっては微妙でした。いきなり非現実的なところが出てきたのが残念でした。

個人的な指摘ばかりですみません。次回作期待しています!
  • 投稿者: 吹雪
  • 女性
  • 2012年 12月25日 14時02分
感想ありがとうございます。
「なろう」ではドマイナー一直線の「クルマ」という題材を使った作品なので、一般受けはしないこと、十分覚悟していたのですが、楽しんでいただいてうれしく思います。

オチのしまりがないのでは、というご指摘、しかと承りました。
崇の亡霊シーンにつきましては、主人公の内面における葛藤の変形表現として書いたつもりです。どちらかといえばリアル指向な本作でその場面が浮いてしまっているとしたら、作者の完全な力量不足ですので精進したいと思います。

今後とも応援よろしくお願いします。
[一言]
沢渡真琴がツインテじゃないとな!?
  • 投稿者: 五郎次郎
  • 男性
  • 2012年 10月21日 19時40分
二次創作ではないので。もうしわけありません。
[一言]
なんか感想一覧みたらみなさんいろいろ書いてるけど私はこれだけしか言えません。
すごく面白かったので昨日今日で全部読んだ。
これからもがんばってください。
  • 投稿者: ピータン
  • 2012年 10月18日 14時01分
感想ありがとうございます。
楽しんでいただけたようで、作者としまして素直にうれしく思います。
これからも応援よろしくお願いします。
[良い点]
皆言ってるしこれは省略。

 
[気になる点]
皆言ってるけどあえて言う。

石田さんは速読かなにかやってるんですか?
確かに小説とは文章でストーリーを綴り、物語りを読み手に伝えるものです。

ですが石田さんの作品には、読み手側から見た時の読み易さへの配慮が見受けられません。
文章と文章のほんの少しの間として数行に1回行間を開けるだけでも、読み手側の読み易さは格段に上がりますし、場面切り替えだけではなく、登場人物の思考の間としても使えます。

小説を書くに当たって文章で伝える能力に長けているからでしょうか、逆に文章以外で伝える能力が著しく欠落している気がします。

もっと小説を書き付ける「空間」を巧く活用する技術を身に付けるべきだと思います。


 
[一言]
↑でかなり辛辣な事を言ったと思います。
この場にて謝罪させて頂きます、申し訳ありません。

本来自分は悪い点等は誤字脱字報告くらいしかしないのですが……違いますね、誤字脱字報告すらしないのですが、「なろう」で多くの陽の目を見ない作品を読んできて初めてレビューを書いてまで多くの人に見て欲しいと思った作品がコレなのです。

石田さんの感想返信を見る限り、指摘した箇所等は既に承知している箇所なのでしょうが、直接の文体ではなく個人的に不満を持った箇所を指摘させていただきました。

応援しているのでがんばってください。

 
レビューに加え感想までいただき、本当にありがとうございます。
ご指摘の件につきましては、試験的ですが「序章」に手を加えてみました。ネット小説における一般的な改行レイアウトに合わせてみましたがいかがでしょう?

ただ、ボクの手元にある原文は「紙媒体」+「縦書き」レイアウトに合わせて書いてあります。「本」としての体裁に合わせてあるからです。もっとも、最近のライトノベルだとそういった作法も絶対的なものではなくなってきたようなので、ネット公開時などには柔軟に対応しなくてはならないのかもしれません。

とりあえず、いま手がけている改訂作業がいち段落ついたら、ご指摘の部分についても修正してみようと思います。
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