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特になし
[一言]
良いですよね小田氏治は!!此処まで民に好かれた大名も珍しいなと思います
史実では暗愚とか書かれてるけど小田城を獲られても奪い返してますしね
そんな氏治が主人公で、しかも女の子(可愛い)になってるなんてこれで面白くないなんてあり得ない( ; ゜Д゜)
これから、魔王様と戦うのか、それともお猿様と戦うのか淡い期待を持ちながら八幡君達の活躍を楽しみにしてます
拙い文章で失礼します
面白いとこ
[気になる点]
特になし
[一言]
良いですよね小田氏治は!!此処まで民に好かれた大名も珍しいなと思います
史実では暗愚とか書かれてるけど小田城を獲られても奪い返してますしね
そんな氏治が主人公で、しかも女の子(可愛い)になってるなんてこれで面白くないなんてあり得ない( ; ゜Д゜)
これから、魔王様と戦うのか、それともお猿様と戦うのか淡い期待を持ちながら八幡君達の活躍を楽しみにしてます
拙い文章で失礼します
樹雷子音さん、感想ありがとうございます!
少しでも楽しんでくださる方がいてありがたい限りです…(涙
暇があるといつも誤字や違和感、話の前後に矛盾がないかチェックするのですが、どうにも十回くらい繰り返し読んでいると自分で書いてる作品なのにどこがおもしろいのかわからなくなってくるというまるでゲシュタルト崩壊の様に…(意味はよくわかってない)
良いですよね! 私も割と各地の戦国大名を調べてはいるのですが、ここまで民に愛されてた大名は氏治以外にそうはいないように思えますねb西国の立花さんなんかも民衆や家臣に好かれてたみたいですが、立花さんは誰もが有名と認める英雄ですし…w
此処まで惨敗しておきながら何故に民に愛されているのか本当に謎なんですよねぇ…だからこそ書き甲斐もありますがw
さぁ、誰と戦うかはまだ先になりそうですが、内容にある通りとりあえず堺から上方遊覧をすることにはなりますね。
ではでは~これからもご贔屓によろしくお願いいたしますb
少しでも楽しんでくださる方がいてありがたい限りです…(涙
暇があるといつも誤字や違和感、話の前後に矛盾がないかチェックするのですが、どうにも十回くらい繰り返し読んでいると自分で書いてる作品なのにどこがおもしろいのかわからなくなってくるというまるでゲシュタルト崩壊の様に…(意味はよくわかってない)
良いですよね! 私も割と各地の戦国大名を調べてはいるのですが、ここまで民に愛されてた大名は氏治以外にそうはいないように思えますねb西国の立花さんなんかも民衆や家臣に好かれてたみたいですが、立花さんは誰もが有名と認める英雄ですし…w
此処まで惨敗しておきながら何故に民に愛されているのか本当に謎なんですよねぇ…だからこそ書き甲斐もありますがw
さぁ、誰と戦うかはまだ先になりそうですが、内容にある通りとりあえず堺から上方遊覧をすることにはなりますね。
ではでは~これからもご贔屓によろしくお願いいたしますb
- 山城ノ守
- 2014年 10月11日 17時07分
[一言]
太田時報乙 やはり時報太田は有名ですね
太田時報乙 やはり時報太田は有名ですね
シフォンさん、感想ありがとうございます!
えぇ、太田さんは安定の時報ポジですよねb
さすがにこの題名も怒られるかと思いましたが反発がなさそう? でよかったですw
それに、太田さんの半生は実は天庵こと氏治にとても深いかかわりがあるのですb
ちょこっと仕掛けた小ネタに気づいてくれてうれしいですb
えぇ、太田さんは安定の時報ポジですよねb
さすがにこの題名も怒られるかと思いましたが反発がなさそう? でよかったですw
それに、太田さんの半生は実は天庵こと氏治にとても深いかかわりがあるのですb
ちょこっと仕掛けた小ネタに気づいてくれてうれしいですb
- 山城ノ守
- 2014年 10月11日 15時14分
[一言]
>如何なものでしょう?
あ・・・(汗
当然、批判的とかそういう意味ではありませんW
批判だなんてとんでもない・・・W
…という事はその気になれば肉食文化広めても
常陸の住人「なんじゃこりゃ?」
にならないですね?。良かった…W
>如何なものでしょう?
あ・・・(汗
当然、批判的とかそういう意味ではありませんW
批判だなんてとんでもない・・・W
…という事はその気になれば肉食文化広めても
常陸の住人「なんじゃこりゃ?」
にならないですね?。良かった…W
よ、よかったw
もしかして別の文献には正反対のことが書かれているのかとひやひやしましたw
朝廷や近畿で一般的と言っても、必ずしも関東でも食べられてる保証もないですし、逆に奈良以降に急に食肉が禁止される指示を出すような文献があったりするかもしれませんから…w
とりあえず、私の今まで見てきた資料の中では肉食は問題はないように思われます。当時は米が神聖視されることもあるほか、ほとんどの民衆が仏教に帰依していたためおおっぴらに肉を食べる描写等がなければ問題ないかと思われます。ですが、九州南部にしか豚の飼育がおこなわれていないように、文化に関して地域差がまだまだ強い時代ですから保証はしかねます。
まぁ、豚と言わず猪も飼育できますしね。豚が誕生する以前は猪を家畜としていたらしいですし。
もしかして別の文献には正反対のことが書かれているのかとひやひやしましたw
朝廷や近畿で一般的と言っても、必ずしも関東でも食べられてる保証もないですし、逆に奈良以降に急に食肉が禁止される指示を出すような文献があったりするかもしれませんから…w
とりあえず、私の今まで見てきた資料の中では肉食は問題はないように思われます。当時は米が神聖視されることもあるほか、ほとんどの民衆が仏教に帰依していたためおおっぴらに肉を食べる描写等がなければ問題ないかと思われます。ですが、九州南部にしか豚の飼育がおこなわれていないように、文化に関して地域差がまだまだ強い時代ですから保証はしかねます。
まぁ、豚と言わず猪も飼育できますしね。豚が誕生する以前は猪を家畜としていたらしいですし。
- 山城ノ守
- 2014年 10月05日 19時15分
[一言]
関東では肉食に関して如何なものなのでしょう?
水運関連の人が琉球まで豚の買い入れとかは?・・・
西洋船導入までは無理か・・・
(豚は肉だけでなくヒカワ製品原料も兼ねてます)
関東では肉食に関して如何なものなのでしょう?
水運関連の人が琉球まで豚の買い入れとかは?・・・
西洋船導入までは無理か・・・
(豚は肉だけでなくヒカワ製品原料も兼ねてます)
コーヒーさん! 度々感想くださってありがとうございますb
まず、些細なことと笑われるかもしれないですが私は小心者なもので確認を…
如何なものでしょう? の如何なものは疑問形ではあるのですが辞書にもある通り主に批判的な文面として用いられるものですので…その、今回は肉食はどうなのでしょうか? という質問として受け取ってもいいのでしょうか…
一応両方の意味で答えさせていただきますが、この当時肉食は無いのではないかという指摘だとするならば、肉食を禁じたのはうろ覚えですが仏教の影響で、古代に朝廷が禁止したものが一般化したものだったかと思うのですが、仏教視点で見て(宗派にもよります)鳥は動物でないから食してもよいとされ、、戦国より前から普通に食されています。ウサギが一羽と数えられるのも昔、食に困窮した民衆がウサギは飛ぶ(跳ねる)から鳥だとこじつけて食べるために匹ではなく羽で数えられるようになっていたと記憶しています(間違ってたらすみません!)
また、実際にある資料から見ますと『新撰姓氏録』『延喜式』『但馬国正税調』を参考に奈良パークホテルで「天平の饗宴」として当時の食事をできる限り近く再現した献立に「猪と鹿の干し肉」とあり、そもそも文献にも品目に「肴」と別に「脯」(ほしにく)とありますように、戦国・室町期よりかなり以前から肉食文化があることが窺えます。
関東で豚を飼育できるか? という問いだとするのなら、確かに可能ではあると思います。以前作中に使用してみようかとも思い、家畜はヒツジなど含めある程度調べたのですが、伝来してないか調達の難しさゆえに断念した記憶があります。
残念ながら作中の八幡に関しましては、一般的な半農一家の高校生という設定上極力ウィキペディアを使わず、素の知識の範囲で動いてもらっています。作者の知識の少なさから多くの制限がかかり、爽快感のある展開がお見せできないところは誠に申し訳ありません…
小田家の水運に関しましてもあくまで小型の川舟が中心の海軍もどきが菅谷さんの配下にいると思われるだけで、外海に出るのは装備がほぼ皆無であると言って過言ではないかと思います(貿易船除く)
貿易でなら…確かに鹿児島当たりでは古代…? もっと後かな…? あたりから、作物の育ちにくい土地柄の為か、豚の飼育が一般化されていたとの話は聞いたことがあるのでもう少し調べ、話の進行的にも可能であればぜひとも使わせていただきたく思いますb
西洋船は…八幡は興味ないでしょうし、小田家にはこの手の情報は皆無でしょうから難しいですね…一般的な高校生の知識ですと竜骨をつけるなどして改良を支持するくらいでしょうか…この件は難しいところですね。作者自身当時の西洋船は詳しくないものでして…w
参考になるご意見、ありがとうございました!
まず、些細なことと笑われるかもしれないですが私は小心者なもので確認を…
如何なものでしょう? の如何なものは疑問形ではあるのですが辞書にもある通り主に批判的な文面として用いられるものですので…その、今回は肉食はどうなのでしょうか? という質問として受け取ってもいいのでしょうか…
一応両方の意味で答えさせていただきますが、この当時肉食は無いのではないかという指摘だとするならば、肉食を禁じたのはうろ覚えですが仏教の影響で、古代に朝廷が禁止したものが一般化したものだったかと思うのですが、仏教視点で見て(宗派にもよります)鳥は動物でないから食してもよいとされ、、戦国より前から普通に食されています。ウサギが一羽と数えられるのも昔、食に困窮した民衆がウサギは飛ぶ(跳ねる)から鳥だとこじつけて食べるために匹ではなく羽で数えられるようになっていたと記憶しています(間違ってたらすみません!)
また、実際にある資料から見ますと『新撰姓氏録』『延喜式』『但馬国正税調』を参考に奈良パークホテルで「天平の饗宴」として当時の食事をできる限り近く再現した献立に「猪と鹿の干し肉」とあり、そもそも文献にも品目に「肴」と別に「脯」(ほしにく)とありますように、戦国・室町期よりかなり以前から肉食文化があることが窺えます。
関東で豚を飼育できるか? という問いだとするのなら、確かに可能ではあると思います。以前作中に使用してみようかとも思い、家畜はヒツジなど含めある程度調べたのですが、伝来してないか調達の難しさゆえに断念した記憶があります。
残念ながら作中の八幡に関しましては、一般的な半農一家の高校生という設定上極力ウィキペディアを使わず、素の知識の範囲で動いてもらっています。作者の知識の少なさから多くの制限がかかり、爽快感のある展開がお見せできないところは誠に申し訳ありません…
小田家の水運に関しましてもあくまで小型の川舟が中心の海軍もどきが菅谷さんの配下にいると思われるだけで、外海に出るのは装備がほぼ皆無であると言って過言ではないかと思います(貿易船除く)
貿易でなら…確かに鹿児島当たりでは古代…? もっと後かな…? あたりから、作物の育ちにくい土地柄の為か、豚の飼育が一般化されていたとの話は聞いたことがあるのでもう少し調べ、話の進行的にも可能であればぜひとも使わせていただきたく思いますb
西洋船は…八幡は興味ないでしょうし、小田家にはこの手の情報は皆無でしょうから難しいですね…一般的な高校生の知識ですと竜骨をつけるなどして改良を支持するくらいでしょうか…この件は難しいところですね。作者自身当時の西洋船は詳しくないものでして…w
参考になるご意見、ありがとうございました!
- 山城ノ守
- 2014年 10月05日 16時14分
[良い点]
お疲れさまでした。
紡績の工場を作るのか。では手袋や靴下(足袋)、リュックやマフラーなど製品の細分化をはかり、労働力を配分すれば? もしくは、起業する者に支援として仕度金を渡す等(要審査)するといいかもね。
可能なら、国の傘下による託児所やファーストフード店をフランチャイルズ制で始めるのも有りかもw(ファーストフード店舗なら、女性の方がサービス業務としては有利)
お疲れさまでした。
紡績の工場を作るのか。では手袋や靴下(足袋)、リュックやマフラーなど製品の細分化をはかり、労働力を配分すれば? もしくは、起業する者に支援として仕度金を渡す等(要審査)するといいかもね。
可能なら、国の傘下による託児所やファーストフード店をフランチャイルズ制で始めるのも有りかもw(ファーストフード店舗なら、女性の方がサービス業務としては有利)
ku☆ワ☆maさん、感想ありがとうございます!
ですね。紡績工場、主に江戸時代に始まった工場制手工業(マニファクチュア)を行うことが八幡の目的で、綿以外の様々な布製品を製造することを視野に入れています。
ただ、託児所はこの当時は村の文化が強く、互いに預けあうほか、女性が社会進出していないので自分で面倒を見ますし、お金を出してまで人に子供の世話を頼めるほど裕福な人がほとんどいないので託児所は起こせないんじゃないかなと思います。
日本のファストフードと言えばおにぎりやすしを思い浮かべますが、寿司は江戸時代に生まれて物で(押し寿司等を除く)そういった外食産業は江戸の豊かさや百二十万の人口があったからこそ根付き、発展したのかなと思うところもありまして大規模な展開は難しいかもしれません…小田の中心地は結構な経済都市ですがそこまで広い都市面積でもないのでフランチャイズ化するほど各地に店舗が置けないと思われます。庶民相手の料理屋が生まれたのも江戸時代だからできないことは無いと思うのですが、動乱の時代である戦国期と泰平の江戸期では条件も違うので時代考証といいますか、現実的に可能かどうかを調べるのが結構難しそうです。
起業する人への支度金の制度ですがこれは日本では奈良時代には寺社を中心に大規模に行われていたようです。手元の資料ですと聖武天皇の御世、奈良左京六条五坊の大安寺の西の里に住む楢磐嶋(ならのいわしま)という人物が大安寺から修多羅分銭(貸付金)二十貫を借りて越前敦賀へ行く話がありますので、この常陸の場合ですと大寺院である極楽寺がすでにやっていると思ってよさそうです。戦国時代には寺が民衆相手に銀行紛いの商売をやるのが普通だったようです。
リュックはぜひとも使わせていただきますb
ありがとうございました!
ですね。紡績工場、主に江戸時代に始まった工場制手工業(マニファクチュア)を行うことが八幡の目的で、綿以外の様々な布製品を製造することを視野に入れています。
ただ、託児所はこの当時は村の文化が強く、互いに預けあうほか、女性が社会進出していないので自分で面倒を見ますし、お金を出してまで人に子供の世話を頼めるほど裕福な人がほとんどいないので託児所は起こせないんじゃないかなと思います。
日本のファストフードと言えばおにぎりやすしを思い浮かべますが、寿司は江戸時代に生まれて物で(押し寿司等を除く)そういった外食産業は江戸の豊かさや百二十万の人口があったからこそ根付き、発展したのかなと思うところもありまして大規模な展開は難しいかもしれません…小田の中心地は結構な経済都市ですがそこまで広い都市面積でもないのでフランチャイズ化するほど各地に店舗が置けないと思われます。庶民相手の料理屋が生まれたのも江戸時代だからできないことは無いと思うのですが、動乱の時代である戦国期と泰平の江戸期では条件も違うので時代考証といいますか、現実的に可能かどうかを調べるのが結構難しそうです。
起業する人への支度金の制度ですがこれは日本では奈良時代には寺社を中心に大規模に行われていたようです。手元の資料ですと聖武天皇の御世、奈良左京六条五坊の大安寺の西の里に住む楢磐嶋(ならのいわしま)という人物が大安寺から修多羅分銭(貸付金)二十貫を借りて越前敦賀へ行く話がありますので、この常陸の場合ですと大寺院である極楽寺がすでにやっていると思ってよさそうです。戦国時代には寺が民衆相手に銀行紛いの商売をやるのが普通だったようです。
リュックはぜひとも使わせていただきますb
ありがとうございました!
- 山城ノ守
- 2014年 10月05日 11時11分
[良い点]
お疲れさまでした。
氏治ちゃんだと、本当に玉砕覚悟で護ろうとするから気合いが入ることでしょうね(笑)
お疲れさまでした。
氏治ちゃんだと、本当に玉砕覚悟で護ろうとするから気合いが入ることでしょうね(笑)
ku☆ワ☆maさん、感想ありがとうございます!
この章は若干切れめが悪いといいますか、あと少しだけ続きます…(汗
氏治様ならきっと家臣の諌言を無視してでも守ろうとしますね! そして案の定玉砕するところまでがテンプレといいますか、小田家クオリティw
この章は若干切れめが悪いといいますか、あと少しだけ続きます…(汗
氏治様ならきっと家臣の諌言を無視してでも守ろうとしますね! そして案の定玉砕するところまでがテンプレといいますか、小田家クオリティw
- 山城ノ守
- 2014年 09月21日 10時48分
[一言]
お返事ありがとう御座います。
なるほど…「1558の春で、時間軸圧縮」でありますか…。
了解しました。
けど、ある意味都合が良くなりましたw
架空の仮定的考察で「もし主人公(達?)が○○だったら?」な思考実験で「明智光秀をスカウト可能」になりましたw。
(1549だとまだ明智城の若殿ですから…)
お返事ありがとう御座います。
なるほど…「1558の春で、時間軸圧縮」でありますか…。
了解しました。
けど、ある意味都合が良くなりましたw
架空の仮定的考察で「もし主人公(達?)が○○だったら?」な思考実験で「明智光秀をスカウト可能」になりましたw。
(1549だとまだ明智城の若殿ですから…)
いえいえ~とりあえず納得していただけてありがたいです。
いや…武将のほとんどが少女化するような類のアニメ・ゲームだと年齢とかの概念度外視されてることが多かったので軽い気持ちでこの作品を書きはじめましたが、普通の読者からすると苦情が来ないかとハラハラしておりましたものでw
あぁ! 仮定で少しだけ条件変えていろいろな考察とかしてみるのって楽しいですよね! 私もよくやります! (ある意味ではこの作品もそんな感じですがw)
コーヒーさんがどのような考察をなさったのか興味深いですねw 明智さんも秀吉との対比のせいか何かと悪者、小物に描かれることが多い気がしますので、そういった人たちにもっと光を当てたいですね~。
ちなみに当作品の年齢やそれに関してイメージを持つ場合は「戦国無○」とかをイメージなさるとわかりやすいかもしれません。戦国初期の偉人は比較的年老いて描かれ(もしくは若いけど早死に)戦国後期の武将は「実際この戦年代の頃はおっさんだったろ!?」って人たちが若くなる傾向にありますので…
感想ありがとうございました! 本当に励みになります!w
いや…武将のほとんどが少女化するような類のアニメ・ゲームだと年齢とかの概念度外視されてることが多かったので軽い気持ちでこの作品を書きはじめましたが、普通の読者からすると苦情が来ないかとハラハラしておりましたものでw
あぁ! 仮定で少しだけ条件変えていろいろな考察とかしてみるのって楽しいですよね! 私もよくやります! (ある意味ではこの作品もそんな感じですがw)
コーヒーさんがどのような考察をなさったのか興味深いですねw 明智さんも秀吉との対比のせいか何かと悪者、小物に描かれることが多い気がしますので、そういった人たちにもっと光を当てたいですね~。
ちなみに当作品の年齢やそれに関してイメージを持つ場合は「戦国無○」とかをイメージなさるとわかりやすいかもしれません。戦国初期の偉人は比較的年老いて描かれ(もしくは若いけど早死に)戦国後期の武将は「実際この戦年代の頃はおっさんだったろ!?」って人たちが若くなる傾向にありますので…
感想ありがとうございました! 本当に励みになります!w
- 山城ノ守
- 2014年 09月20日 19時58分
[一言]
すいません…ちょっと聞きづらい質問です…。
・主人公転移の日時は1548?、1549年の何月ですか?
・「沈黙の忍城」は同じ年ですか?
すいません…ちょっと聞きづらい質問です…。
・主人公転移の日時は1548?、1549年の何月ですか?
・「沈黙の忍城」は同じ年ですか?
あぁ…時間についてですね…
一応、作品について・用語集のページに書いてはあるのですが、何分主人公たちが少年少女ということもあって時間だけはどうしてもおかしなことになりますね。
主人公やヒロインがどうしても普通の時間軸で進むとおじいさんおばあさんになってしまうので、そこだけはどうしてもご都合主義で時間軸を圧縮させていただいております。できる限り戦況の条件とかを考えて季節は合わせるように努力しておりますが、そこでさえも大幅なずれが後々出てきます。
本来ですと主人公が転移した年代は1558年の春ごろなのですが、なんとなくお気づきな方もいるでしょうが当作品には季節以外の年代や月日は基本でません。
故に忍城攻略はこの数年後の出来事ですが、同じ年に起こった出来事として時間を大幅に圧縮されております。
基本的にはこの作品では数年分の出来事がたった一年で起こるような仕様になっているため、武将同士の年齢差が少なくなってしまっていますが、年齢の上下は狂わないように調節しつつ、一般的イメージに近い年齢設定をしてできる限り違和感は出さないようにこれからも努力していくつもりです。
ただ、氏治だけは史実より大幅に若くなる仕様で年齢の上下等も意識されておりません。資料不足の武将に関しては作者の独断と偏見で年齢などの設定を加えているところもございます。
一応、作品について・用語集のページに書いてはあるのですが、何分主人公たちが少年少女ということもあって時間だけはどうしてもおかしなことになりますね。
主人公やヒロインがどうしても普通の時間軸で進むとおじいさんおばあさんになってしまうので、そこだけはどうしてもご都合主義で時間軸を圧縮させていただいております。できる限り戦況の条件とかを考えて季節は合わせるように努力しておりますが、そこでさえも大幅なずれが後々出てきます。
本来ですと主人公が転移した年代は1558年の春ごろなのですが、なんとなくお気づきな方もいるでしょうが当作品には季節以外の年代や月日は基本でません。
故に忍城攻略はこの数年後の出来事ですが、同じ年に起こった出来事として時間を大幅に圧縮されております。
基本的にはこの作品では数年分の出来事がたった一年で起こるような仕様になっているため、武将同士の年齢差が少なくなってしまっていますが、年齢の上下は狂わないように調節しつつ、一般的イメージに近い年齢設定をしてできる限り違和感は出さないようにこれからも努力していくつもりです。
ただ、氏治だけは史実より大幅に若くなる仕様で年齢の上下等も意識されておりません。資料不足の武将に関しては作者の独断と偏見で年齢などの設定を加えているところもございます。
- 山城ノ守
- 2014年 09月20日 19時06分
[一言]
連投すいません。
「関東の地図と大名に関する簡単な解説」見ましたが
実際の最初期実効支配地は「土浦・府中・苅間」の3城のみ?
連投すいません。
「関東の地図と大名に関する簡単な解説」見ましたが
実際の最初期実効支配地は「土浦・府中・苅間」の3城のみ?
連投も大歓迎です! お気になさらず!
…すいません、あれはかなり初心者向けといいますか、ある程度歴史がわかる方からすれば屑と罵られてもいいような大雑把な地図なのです…
そのうちもっと拡大して小田家全ての城を記載した地図を作ろうかと思っているのですが、何分受験中で大掛かりな事は手を付けられないものでして…
あそこは配置がはっきりしてる城で、今後も名前が出てくるだろうなと作中に関係の深い城を記載しただけでして、実際のところ小田家はほかにも多数の城を治めております。
あと、あの地図にはどこまでの規模の勢力を載せるかで悩み、大掾氏レベルの勢力は記載しておりません。その関係で府中城が小田の色になってますが、実際は大掾氏の城です(すみません地図製作当時は詳しくなくて適当に作ってしまいました)
途中勢力の変遷や私の知識不足で間違っている点もあるかもしれませんが、とりあえず確認している小田家の城は、
・小田城 ・土浦城 ・宍倉城
・木田余城 ・坂戸城 ・苅間城
・豊田城 ・手子生城 ・北条城
・大島城 ・海老ヶ島城 ・谷田部城
・藤沢城 ・木田余城 ・三村城
・牛久城 ・屋代城 ・片野城
・筒戸城 ・宍戸城 ・小幡城
・柿岡城
(数えたら意外と多いな…)
これは寄子領主等も含めた数ですが、寄子領主の城は把握しきれていませんのでもう少しあると思いますが、大体この程度はあります。
城の規模もまちまちで、三百や四百程度の兵が籠城するのが限界な砦のような城から千や二千の兵が籠城できる城まであるので、それぞれの城に必ずしも一千前後の兵が詰めるわけではありません。
地図のほうは勘違いさせてしまって済みませんでした! 必ず受験後に訂正いたします!
質問ありがとうございました!
…すいません、あれはかなり初心者向けといいますか、ある程度歴史がわかる方からすれば屑と罵られてもいいような大雑把な地図なのです…
そのうちもっと拡大して小田家全ての城を記載した地図を作ろうかと思っているのですが、何分受験中で大掛かりな事は手を付けられないものでして…
あそこは配置がはっきりしてる城で、今後も名前が出てくるだろうなと作中に関係の深い城を記載しただけでして、実際のところ小田家はほかにも多数の城を治めております。
あと、あの地図にはどこまでの規模の勢力を載せるかで悩み、大掾氏レベルの勢力は記載しておりません。その関係で府中城が小田の色になってますが、実際は大掾氏の城です(すみません地図製作当時は詳しくなくて適当に作ってしまいました)
途中勢力の変遷や私の知識不足で間違っている点もあるかもしれませんが、とりあえず確認している小田家の城は、
・小田城 ・土浦城 ・宍倉城
・木田余城 ・坂戸城 ・苅間城
・豊田城 ・手子生城 ・北条城
・大島城 ・海老ヶ島城 ・谷田部城
・藤沢城 ・木田余城 ・三村城
・牛久城 ・屋代城 ・片野城
・筒戸城 ・宍戸城 ・小幡城
・柿岡城
(数えたら意外と多いな…)
これは寄子領主等も含めた数ですが、寄子領主の城は把握しきれていませんのでもう少しあると思いますが、大体この程度はあります。
城の規模もまちまちで、三百や四百程度の兵が籠城するのが限界な砦のような城から千や二千の兵が籠城できる城まであるので、それぞれの城に必ずしも一千前後の兵が詰めるわけではありません。
地図のほうは勘違いさせてしまって済みませんでした! 必ず受験後に訂正いたします!
質問ありがとうございました!
- 山城ノ守
- 2014年 09月17日 21時34分
[一言]
お返事ありがとうございます(嬉
なるほど…・籠城戦時の総兵力は一万強…ということは
侵攻作戦時に4000の時は
留守部隊は6000という事ですね?
(ま、フル動員とはいかないからある程度500~1000位で、もしどこかが襲来して来たら残りを緊急動員?)
小田勢力が17万石という事ですから最低でも同じ人口17万人として
・士分はどの位でしょうか?
・仮定な話ですが、物語で「民草の者でも馬になれてる」みたいですが、
○もし、「どこか」から馬匹をそろえることが出来たら「総騎兵化」が可能?
○この支配地域では総畜耕化?
お返事ありがとうございます(嬉
なるほど…・籠城戦時の総兵力は一万強…ということは
侵攻作戦時に4000の時は
留守部隊は6000という事ですね?
(ま、フル動員とはいかないからある程度500~1000位で、もしどこかが襲来して来たら残りを緊急動員?)
小田勢力が17万石という事ですから最低でも同じ人口17万人として
・士分はどの位でしょうか?
・仮定な話ですが、物語で「民草の者でも馬になれてる」みたいですが、
○もし、「どこか」から馬匹をそろえることが出来たら「総騎兵化」が可能?
○この支配地域では総畜耕化?
すみません! こちらの感想に気づかず返信が遅れてしまいました!
そうですね、侵攻作戦時に四千と申しましても全て正規軍というわけではないです。比率的には留守の軍勢よりは出陣させる軍勢のほうが士分の割合が多いかと思います。
城一つ辺りにまともな軍勢は数百程度で、いくつかの城からそれを抽出して遠征軍を興すので、そのさいに足りない分もある程度は農村の次男三男や浪人を雇って補完していると思います。(作中では少なくともそういう設定で行っております)
ですので、留守部隊は各城に百~二百程度の兵がいたとしても合計して二千そこらだとは思います。国境に怪しい空気が流れたり、敵が軍を興したら出陣していない農家の次男三男、最終的には長男や大黒柱まで徴兵した総動員体制で戦に臨むというだけで、留守部隊は常に六千は備えてないですね。
士分の定義が細かくはわかりませんが、ウィキを参考にさせていただきますと名字帯刀の許可とありますので、国主に不許可で武装する農民を除いた正式に小田家に名字帯刀を許されているものと考えると、地方農村の地侍も士分になりますね。
細かく士分の数は考えたことがないので申し訳ないですが未設定としかお答えできないです…ですが、城に出仕しない地方地侍身分で考えますと有力百姓は大体地侍なので村一つに複数人と考えると、やはり千は超えるかなと。それに各領主が雇ってる家臣陪臣と考えると、士分は三千くらいいたのかなぁ…と…すみません! これに関してはここまで書いておきながらさっぱりわからないです!
馬についてですが、本来この時代(場所にもよるかとは思いますが、少なくとも江戸時代は全国的に)農民は馬に乗ることが許されていません。故に「民草の者でも馬になれてる」というのは本当ならば時代背景的におかしいのではと指摘されそうなものですが、個人的考えでは各領主がそこまで寄生していられるほど暇ではないだろうというのと、農民も娯楽に飢えた時代ですし、このくらいのことは陰でやってそうかなと思ってこのような設定を入れています。
しかし、設定上にしても小田領民馬に慣れているというだけで、騎兵として戦う術を身に着けていませんので足軽含む全兵力を騎兵にすることは馬が足りていてもできないかと思います。描写が足りないせいもありますが、八幡の兵にしても農民騎兵は主力武器が二張りの弩で、弩は馬上での装填が難しいので二発撃ち終わったら使える武器が護身くらいの意味しか持たない刀ぐらいしかないので実質攻撃力を失うなどの欠陥部隊です。
ただ、よく言われる「馬上で槍を振り回すのは不可能だから前線につくたびにその都度馬を下りて武士は戦っていた」という話が本当なのであれば、騎兵には馬に乗る技術だけが備わっていればいいことになりますから、そういった意味では「ほぼ総騎兵化」は可能かとも思います。(補給とかは度外視にして)
総畜耕化の意味が調べてみてもわからなかったので少々的外れな答えかも知れませんが一応。
総畜耕化がすべての農民が農耕用の牛馬を所有することを指すのだとすれば総畜耕化はされていないです。小田家直轄領と一門領でのみ行われ、ほか譜代家臣には内政干渉にならないよう配慮しながら、望む領主の領土では同様の政策を実行すsるといったところです。寄子領主等にはこういった支援は一切行われてないです。寄子領主は戦のたびに旗色を変える可能性があるので投資する価値がないのです。また、寄子領主としても自分より小田家に民の心が惹かれれば余計な火種になりかねないのでそういった干渉は小田家は行っておりません。
この辺に関しましても、後々先代政治公が出てきたあたりで詳しくわかるように話は練っておりますので、もう少しお待ちいただけると幸いです。
聞かれてもないことまで書いた気もしますが…毎度長くなってすみません!
本当に長くなってすみません…ちゃんと聞かれたことにこたえられているだろうか…
質問ありがとうございました!
そうですね、侵攻作戦時に四千と申しましても全て正規軍というわけではないです。比率的には留守の軍勢よりは出陣させる軍勢のほうが士分の割合が多いかと思います。
城一つ辺りにまともな軍勢は数百程度で、いくつかの城からそれを抽出して遠征軍を興すので、そのさいに足りない分もある程度は農村の次男三男や浪人を雇って補完していると思います。(作中では少なくともそういう設定で行っております)
ですので、留守部隊は各城に百~二百程度の兵がいたとしても合計して二千そこらだとは思います。国境に怪しい空気が流れたり、敵が軍を興したら出陣していない農家の次男三男、最終的には長男や大黒柱まで徴兵した総動員体制で戦に臨むというだけで、留守部隊は常に六千は備えてないですね。
士分の定義が細かくはわかりませんが、ウィキを参考にさせていただきますと名字帯刀の許可とありますので、国主に不許可で武装する農民を除いた正式に小田家に名字帯刀を許されているものと考えると、地方農村の地侍も士分になりますね。
細かく士分の数は考えたことがないので申し訳ないですが未設定としかお答えできないです…ですが、城に出仕しない地方地侍身分で考えますと有力百姓は大体地侍なので村一つに複数人と考えると、やはり千は超えるかなと。それに各領主が雇ってる家臣陪臣と考えると、士分は三千くらいいたのかなぁ…と…すみません! これに関してはここまで書いておきながらさっぱりわからないです!
馬についてですが、本来この時代(場所にもよるかとは思いますが、少なくとも江戸時代は全国的に)農民は馬に乗ることが許されていません。故に「民草の者でも馬になれてる」というのは本当ならば時代背景的におかしいのではと指摘されそうなものですが、個人的考えでは各領主がそこまで寄生していられるほど暇ではないだろうというのと、農民も娯楽に飢えた時代ですし、このくらいのことは陰でやってそうかなと思ってこのような設定を入れています。
しかし、設定上にしても小田領民馬に慣れているというだけで、騎兵として戦う術を身に着けていませんので足軽含む全兵力を騎兵にすることは馬が足りていてもできないかと思います。描写が足りないせいもありますが、八幡の兵にしても農民騎兵は主力武器が二張りの弩で、弩は馬上での装填が難しいので二発撃ち終わったら使える武器が護身くらいの意味しか持たない刀ぐらいしかないので実質攻撃力を失うなどの欠陥部隊です。
ただ、よく言われる「馬上で槍を振り回すのは不可能だから前線につくたびにその都度馬を下りて武士は戦っていた」という話が本当なのであれば、騎兵には馬に乗る技術だけが備わっていればいいことになりますから、そういった意味では「ほぼ総騎兵化」は可能かとも思います。(補給とかは度外視にして)
総畜耕化の意味が調べてみてもわからなかったので少々的外れな答えかも知れませんが一応。
総畜耕化がすべての農民が農耕用の牛馬を所有することを指すのだとすれば総畜耕化はされていないです。小田家直轄領と一門領でのみ行われ、ほか譜代家臣には内政干渉にならないよう配慮しながら、望む領主の領土では同様の政策を実行すsるといったところです。寄子領主等にはこういった支援は一切行われてないです。寄子領主は戦のたびに旗色を変える可能性があるので投資する価値がないのです。また、寄子領主としても自分より小田家に民の心が惹かれれば余計な火種になりかねないのでそういった干渉は小田家は行っておりません。
この辺に関しましても、後々先代政治公が出てきたあたりで詳しくわかるように話は練っておりますので、もう少しお待ちいただけると幸いです。
聞かれてもないことまで書いた気もしますが…毎度長くなってすみません!
本当に長くなってすみません…ちゃんと聞かれたことにこたえられているだろうか…
質問ありがとうございました!
- 山城ノ守
- 2014年 09月17日 23時33分
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