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[一言]
数字に拘らない。非常に重要な事ですね。
客商売であるプロスポーツの選手と異なり芸術家が数字、特に人の評価に関係する数字に拘りだしたら自分の好きな作品の創作が出来なくなりますから。
プロの作家になると出版社との兼ね合いがありますから妥協は必要でしょうけど。
現実的には気にする作家さんは多いですよね。コピペしてるのでしょうけど毎回の投稿の後書きに評価をお願いする方が結構な数おられます。
余りにも切実過ぎて出版社サイドと評価の数字に関してナニかしらの契約を結んでいるのではないかと勘ぐってしまいます。
そして評価を依頼する行為は応募した賞の審査員に評価してくれと頼み込むようなモノであまり好ましい行為とは思えません。
因みに私は同じ理由で選挙の時も街頭演説で票を要求する政治家のことを良くは思ってないのですけどね。
数字に拘らない。非常に重要な事ですね。
客商売であるプロスポーツの選手と異なり芸術家が数字、特に人の評価に関係する数字に拘りだしたら自分の好きな作品の創作が出来なくなりますから。
プロの作家になると出版社との兼ね合いがありますから妥協は必要でしょうけど。
現実的には気にする作家さんは多いですよね。コピペしてるのでしょうけど毎回の投稿の後書きに評価をお願いする方が結構な数おられます。
余りにも切実過ぎて出版社サイドと評価の数字に関してナニかしらの契約を結んでいるのではないかと勘ぐってしまいます。
そして評価を依頼する行為は応募した賞の審査員に評価してくれと頼み込むようなモノであまり好ましい行為とは思えません。
因みに私は同じ理由で選挙の時も街頭演説で票を要求する政治家のことを良くは思ってないのですけどね。
くろの介様、ご感想ありがとうございます。
数字が気になりだすのは、初心者に多いんですよね。
ある程度書けてくると、評価を見るより書きたいものを書くようになります。
そして「小説賞・新人賞」を狙いに行くと、また数字が気になり始めるのです。
数字なんて気にせず書きたいように書けばよい。
政治家も、選挙運動中だけドブ板をしますけど、当選してしまえば票を依頼した人のことなんて忘れています。
それなら有権者に媚びるなよと言いたくもなりますね、
数字が気になりだすのは、初心者に多いんですよね。
ある程度書けてくると、評価を見るより書きたいものを書くようになります。
そして「小説賞・新人賞」を狙いに行くと、また数字が気になり始めるのです。
数字なんて気にせず書きたいように書けばよい。
政治家も、選挙運動中だけドブ板をしますけど、当選してしまえば票を依頼した人のことなんて忘れています。
それなら有権者に媚びるなよと言いたくもなりますね、
- カイ.智水
- 2020年 03月21日 23時11分
[一言]
佐々木小次郎、冷静に考えればやっぱり、そうなりますよね。
筋骨隆々の大男。それだけでなくゴリラのような顎がないと三尺四寸、重量は2キロ越え3キロ前後の大太刀、野太刀に分類される戦場仕様の日本刀は振り回せませんから。しかも全盛時のイチロー選手のバットスイングよりも速く振るなんてそれでも無理でしょう。それ故に顔立ちも男前ではあっても少女漫画に登場するような色男にはなりません。
それ故に如何にも暑苦しく残された絵画でも暑苦しい宮本武蔵と対極の人物として創作された架空の人物とされるんですよね。
異世界ファンタジーで類似した人物を登場させるには身体強化の魔法の達人か人間止めさせるといった設定の必要な人物ですね。
尤も異世界ファンタジーに限らず殆どの小説、時代小説も含めて刀の使い方は見栄え重視のファンタジーなんですけどね。
太刀と刀の違いを意識してる方も少ないですし。詳しい人なら銘で太刀か刀か判別します。重量も太刀の方が刀より5割以上重い事から使い方自動的に違ってきます。そして刀も1キロ前後の重さはありますから剣道の竹刀のような使い方は無理なんですね。
因みに戦争帰りのお年寄りによると人間なんか斬ったら血脂でドロドロになりすぐに斬れなくなる為、実戦では突き主体か鈍器のようなあまり見栄えの良くない使い方をするのが普通だそうです。
佐々木小次郎、冷静に考えればやっぱり、そうなりますよね。
筋骨隆々の大男。それだけでなくゴリラのような顎がないと三尺四寸、重量は2キロ越え3キロ前後の大太刀、野太刀に分類される戦場仕様の日本刀は振り回せませんから。しかも全盛時のイチロー選手のバットスイングよりも速く振るなんてそれでも無理でしょう。それ故に顔立ちも男前ではあっても少女漫画に登場するような色男にはなりません。
それ故に如何にも暑苦しく残された絵画でも暑苦しい宮本武蔵と対極の人物として創作された架空の人物とされるんですよね。
異世界ファンタジーで類似した人物を登場させるには身体強化の魔法の達人か人間止めさせるといった設定の必要な人物ですね。
尤も異世界ファンタジーに限らず殆どの小説、時代小説も含めて刀の使い方は見栄え重視のファンタジーなんですけどね。
太刀と刀の違いを意識してる方も少ないですし。詳しい人なら銘で太刀か刀か判別します。重量も太刀の方が刀より5割以上重い事から使い方自動的に違ってきます。そして刀も1キロ前後の重さはありますから剣道の竹刀のような使い方は無理なんですね。
因みに戦争帰りのお年寄りによると人間なんか斬ったら血脂でドロドロになりすぐに斬れなくなる為、実戦では突き主体か鈍器のようなあまり見栄えの良くない使い方をするのが普通だそうです。
くろの介様、ご感想ありがとうございます。
佐々木小次郎を優男にして後世の創作界隈で常識化したので、吉川英治氏の功績はあるんですよね。
逆に言えば、小説で人物像を定着させるには「大ヒットを飛ばせ」ばよいということになります。
同じ吉川英治氏『三国志』での諸葛亮孔明なんかも「妖術使いの天才軍師」とされています。
しかし実際の諸葛亮孔明は「管理上手な政治家」でしかないのです。
軍を操ることは人並み以上にはできますが、実際の戦闘において実はそれほど勝っていません。
水鏡先生の弟子の中で、臥竜鳳雛と並び称されたホウ統が戦上手で、実際に蜀攻略を成し遂げたのもホウ統でしたからね。諸葛亮はその間荊州の守備を任されていただけで、戦には出ていません。
赤壁の戦いでも諸葛亮は軍を指揮していませんしね。実際に指揮したのは呉の周瑜ですし。
そう考えれば、小説って文字だけで読み手が抱く人物像を固めてしまうほど、すごいツールなのだと実感させられます。
ちなみに宮本武蔵も関ヶ原の戦いに参加していましたが、やはり人を斬ると脂ですぐなまくらになってしまうので、突き主体で戦っていたようですね。まあ太刀を左手で扱えるだけの筋力がありましたから、一刀両断もできたはずですけど。
佐々木小次郎を優男にして後世の創作界隈で常識化したので、吉川英治氏の功績はあるんですよね。
逆に言えば、小説で人物像を定着させるには「大ヒットを飛ばせ」ばよいということになります。
同じ吉川英治氏『三国志』での諸葛亮孔明なんかも「妖術使いの天才軍師」とされています。
しかし実際の諸葛亮孔明は「管理上手な政治家」でしかないのです。
軍を操ることは人並み以上にはできますが、実際の戦闘において実はそれほど勝っていません。
水鏡先生の弟子の中で、臥竜鳳雛と並び称されたホウ統が戦上手で、実際に蜀攻略を成し遂げたのもホウ統でしたからね。諸葛亮はその間荊州の守備を任されていただけで、戦には出ていません。
赤壁の戦いでも諸葛亮は軍を指揮していませんしね。実際に指揮したのは呉の周瑜ですし。
そう考えれば、小説って文字だけで読み手が抱く人物像を固めてしまうほど、すごいツールなのだと実感させられます。
ちなみに宮本武蔵も関ヶ原の戦いに参加していましたが、やはり人を斬ると脂ですぐなまくらになってしまうので、突き主体で戦っていたようですね。まあ太刀を左手で扱えるだけの筋力がありましたから、一刀両断もできたはずですけど。
- カイ.智水
- 2020年 03月20日 08時36分
[一言]
「堅実に書けば~」・・・
この言葉は正直、意味がわかりません。
「基本に忠実に書きすぎて、印象が薄かった。」なら理解でできるのですが。
小説の書き方に堅実もナニも、特に大賞を狙うためには如何に他の投稿者と差別化するかを考えなければならない世界でどんな堅実があるのか全く理解できません。
その様な根本的に論理の破綻した言い訳をしてしまう事こそが落選の原因に思えます。おそらくその人が書いた小説の一節にも「何故そうなる?」というようなご都合主義、主人公補正にも限度が有るだろうと思わせる箇所があるのでしょう。
確かに異世界ファンタジーには専門的な
深い知識は必要ないでしょう。しかし異世界という主人公を活躍させる為の世界をテンプレートを使ったとしても一つの世界を神のようにデザインする事に変わりはありません。
必要な知識は精通している必要はなくても理系文系問わず多岐に渡りある程度のレベルが必要とされます。
お洒落な衣装一つ登場させるだけでもそれに必要とされる技術レベル文明レベルがどの程度なのかを理解した上でないと何で中世に現代レベルのものが存在するのか?とか魔法が解決するにしてもこんなに至る所で魔法が使われてるのに主人公の魔法ってそんなに凄い?
あと、主人公最強?雑魚相手に無双してるだけじゃ?というような事になりかねません。
賞の審査員にそのような印象を少しでも持たれればどれだけ忖度して貰ったとしても大賞を受賞する事は出来ないでしょうから。
「堅実に書けば~」・・・
この言葉は正直、意味がわかりません。
「基本に忠実に書きすぎて、印象が薄かった。」なら理解でできるのですが。
小説の書き方に堅実もナニも、特に大賞を狙うためには如何に他の投稿者と差別化するかを考えなければならない世界でどんな堅実があるのか全く理解できません。
その様な根本的に論理の破綻した言い訳をしてしまう事こそが落選の原因に思えます。おそらくその人が書いた小説の一節にも「何故そうなる?」というようなご都合主義、主人公補正にも限度が有るだろうと思わせる箇所があるのでしょう。
確かに異世界ファンタジーには専門的な
深い知識は必要ないでしょう。しかし異世界という主人公を活躍させる為の世界をテンプレートを使ったとしても一つの世界を神のようにデザインする事に変わりはありません。
必要な知識は精通している必要はなくても理系文系問わず多岐に渡りある程度のレベルが必要とされます。
お洒落な衣装一つ登場させるだけでもそれに必要とされる技術レベル文明レベルがどの程度なのかを理解した上でないと何で中世に現代レベルのものが存在するのか?とか魔法が解決するにしてもこんなに至る所で魔法が使われてるのに主人公の魔法ってそんなに凄い?
あと、主人公最強?雑魚相手に無双してるだけじゃ?というような事になりかねません。
賞の審査員にそのような印象を少しでも持たれればどれだけ忖度して貰ったとしても大賞を受賞する事は出来ないでしょうから。
くろの介様、ご指摘誠にありがとうございます。
「堅実に書けば……」に関しては「手堅く書けば……」と表現したほうがよかったですね。
「危なげがなくしっかりしている」文章を書くことに主眼を置いて「堅実に書く」と表現しました。
友人はよく口にするんですよね。
「いやぁまた落ちたか。いつもどおり堅実に書けば受かるだろうけど、それじゃ面白くないし」なんて感じで。そんな調子で約二十年ですから、まぁ私も付き合いのよいほうだなと。この感想も友人に見られそうですが。
技術レベルと魔法レベルは確定させておきたいですよね。
「剣と魔法のファンタジー」はなんでもありになりがちですが、王都から遠く離れた田舎の村に「ポリエステルの服を着た主人公」というのも「それってどうなの」問題ですからね。
庶民が火をおこす魔法を使ってかまどに火を点ける。そうなると「火の魔法」ってそんなに難しい魔法なんですか?となります。
あと「電気」をどう扱うかですね。「電気」がもたらした技術革新があるから、私たちは夜でも灯りが煌々と輝き、コンピュータを使えているのですから。ただ破壊力のある代物としての「電気」この場合は「電撃」ですね。ギリシャ神話の主神ゼウスは雷霆と呼ぶ電撃で世界を焼き尽くしましたし、北欧神話の主神オーディンも雷を操ると言われています。
もしかしたらゼウスやオーディンは現代人だったのか? などと考えれば、小説が一本作れてしまいますね。
まぁ短編では収まりそうにないので、連載小説向きかな。暇なときにでも企画書とあらすじを書いてみたいと思います。
「堅実に書けば……」に関しては「手堅く書けば……」と表現したほうがよかったですね。
「危なげがなくしっかりしている」文章を書くことに主眼を置いて「堅実に書く」と表現しました。
友人はよく口にするんですよね。
「いやぁまた落ちたか。いつもどおり堅実に書けば受かるだろうけど、それじゃ面白くないし」なんて感じで。そんな調子で約二十年ですから、まぁ私も付き合いのよいほうだなと。この感想も友人に見られそうですが。
技術レベルと魔法レベルは確定させておきたいですよね。
「剣と魔法のファンタジー」はなんでもありになりがちですが、王都から遠く離れた田舎の村に「ポリエステルの服を着た主人公」というのも「それってどうなの」問題ですからね。
庶民が火をおこす魔法を使ってかまどに火を点ける。そうなると「火の魔法」ってそんなに難しい魔法なんですか?となります。
あと「電気」をどう扱うかですね。「電気」がもたらした技術革新があるから、私たちは夜でも灯りが煌々と輝き、コンピュータを使えているのですから。ただ破壊力のある代物としての「電気」この場合は「電撃」ですね。ギリシャ神話の主神ゼウスは雷霆と呼ぶ電撃で世界を焼き尽くしましたし、北欧神話の主神オーディンも雷を操ると言われています。
もしかしたらゼウスやオーディンは現代人だったのか? などと考えれば、小説が一本作れてしまいますね。
まぁ短編では収まりそうにないので、連載小説向きかな。暇なときにでも企画書とあらすじを書いてみたいと思います。
- カイ.智水
- 2020年 03月19日 19時38分
[一言]
エタルのは良くはありません。しかしそれ以上にやってはいけないことは投稿した作品を頻繁に削除することではないでしょうか。
削除する理由も様々です。増えすぎた作品を古いものから断捨離の如く削除される方もおられます。そういう方は事前にアナウンスしてくれる事が多くまた要求すれば再びアップロードしてくれます。
そしてある人は書籍化してから暫くしてから活動報告で削除する旨を伝えた後、一方的に削除します。昔はダイジェスト投稿でお茶を濁して居ましたが数年前、ダイジェスト投稿禁止が規約に盛り込まれると同時に、一部の出版社を除き同じ作品を投稿サイトへ投稿し続けても構わないというようになり削除するしないは作家さんの意志で決められるようになったにもかかわらず、どうも男性よりも女性の作家さんにその傾向が強いように感じられますが、削除される方がおられます。
また、運営からの成人指定描写の警告に対応するのが面倒だから削除するというのもあります。
そして最後に途中で執筆が進まなくなったのか、或いは思うように評価が延びずモチベーションが維持できないのか過去の自分の汚点を消すように連載中の作品を削除します。そういう方は読者との交流もブロックしている上、構想を練り直して再投稿する訳でもありません。
投稿作品数と完結作品数が多ければ古い愛着のない作品を2,3本削除した所で気にされることは少ないでしょう。
マトモに完結させる事の出来た作品もなく連載中作品を頻繁に削除するとせっかくの新作もどうせ直ぐに削除するのだろうという事になり評価もブックマークも伸びず結局、せっかくの新作も他の作品と同様に削除する事になります。
警告に対応するのが面倒と云う理由で削除された方は正直、人間性の問題で他の作品にも似たような問題を抱える傾向にありますので閲覧対象外となります。
書籍化したら削除するパターンはこの人の作品は読むのを控えよう、そしてそして書籍化した場合、出版サイトでの有料公開と他投稿サイト分の削除で有名な所との掛け持ち投稿をしている作家さんの作品も読む気になれません。書籍化されたら削除されるのがわかっているのですから当然ですね。
スマホやタブレットでアプリ読みする人は特にブックマークしていた作品に対して「削除されました」と警告が出た時、とても悲しくなりますから。
そしてこの人はクリエーターではないのだなと思うのです。自分の作品を削除することはクリエーターにとっては我が子殺すことにも等しいのです。そしてをの作家さんは出来が悪いという理由で我が子を殺める鬼親のように思えて悲しくなります。
実際はビジネスライクに損切りしてるだけなのでしょう。
ビジネスで小説を書くのであれば投稿サイトなんぞに投稿せず何処かの新人賞に応募すれば良いと思うのですけど。
エタルのは良くはありません。しかしそれ以上にやってはいけないことは投稿した作品を頻繁に削除することではないでしょうか。
削除する理由も様々です。増えすぎた作品を古いものから断捨離の如く削除される方もおられます。そういう方は事前にアナウンスしてくれる事が多くまた要求すれば再びアップロードしてくれます。
そしてある人は書籍化してから暫くしてから活動報告で削除する旨を伝えた後、一方的に削除します。昔はダイジェスト投稿でお茶を濁して居ましたが数年前、ダイジェスト投稿禁止が規約に盛り込まれると同時に、一部の出版社を除き同じ作品を投稿サイトへ投稿し続けても構わないというようになり削除するしないは作家さんの意志で決められるようになったにもかかわらず、どうも男性よりも女性の作家さんにその傾向が強いように感じられますが、削除される方がおられます。
また、運営からの成人指定描写の警告に対応するのが面倒だから削除するというのもあります。
そして最後に途中で執筆が進まなくなったのか、或いは思うように評価が延びずモチベーションが維持できないのか過去の自分の汚点を消すように連載中の作品を削除します。そういう方は読者との交流もブロックしている上、構想を練り直して再投稿する訳でもありません。
投稿作品数と完結作品数が多ければ古い愛着のない作品を2,3本削除した所で気にされることは少ないでしょう。
マトモに完結させる事の出来た作品もなく連載中作品を頻繁に削除するとせっかくの新作もどうせ直ぐに削除するのだろうという事になり評価もブックマークも伸びず結局、せっかくの新作も他の作品と同様に削除する事になります。
警告に対応するのが面倒と云う理由で削除された方は正直、人間性の問題で他の作品にも似たような問題を抱える傾向にありますので閲覧対象外となります。
書籍化したら削除するパターンはこの人の作品は読むのを控えよう、そしてそして書籍化した場合、出版サイトでの有料公開と他投稿サイト分の削除で有名な所との掛け持ち投稿をしている作家さんの作品も読む気になれません。書籍化されたら削除されるのがわかっているのですから当然ですね。
スマホやタブレットでアプリ読みする人は特にブックマークしていた作品に対して「削除されました」と警告が出た時、とても悲しくなりますから。
そしてこの人はクリエーターではないのだなと思うのです。自分の作品を削除することはクリエーターにとっては我が子殺すことにも等しいのです。そしてをの作家さんは出来が悪いという理由で我が子を殺める鬼親のように思えて悲しくなります。
実際はビジネスライクに損切りしてるだけなのでしょう。
ビジネスで小説を書くのであれば投稿サイトなんぞに投稿せず何処かの新人賞に応募すれば良いと思うのですけど。
くろの介様、本日のご感想はとくに納得致しました。誠にありがとうございます。
「エタる」のはまだマシなほう。
読み手としては連載中の作品が途中で削除されたら、確かに悲しくなるやら憤慨するやらで気持ちの持って行き場がなくなります。
とくに削除が簡単に行なえる小説投稿サイトでは、閲覧数やブックマーク、評価などが低い作品はすぐに削除されてしまうことがあります。
削除するおおかたは「未熟な作品を残して、新作の評価が低まるのが嫌だ」と考えるからかもしれません。
紙の書籍化された作品は、出版社レーベルとの契約に左右される面はあるでしょう。
もし出版社レーベルの担当編集さんや契約書などから「当該作品を小説投稿サイトから削除する」ように言われていたら、削除しても仕方がないかなとは思います。
ただ、出版不況の現在。どこかで試し読みもできない小説がビッグヒットを飛ばせるかと考えれば甚だ疑問です。
どうせ紙の書籍化される際に、文章や内容を大きく変えられてしまうのですから、元のデータは手を付けずに残しておいてもよいでしょう。
成人指定の警告に関しては、とくにボーイズラブやティーンズラブや百合といった女性向けに多い印象があります。(他サイトでそういった方からご相談を受けたこともあります)。
男性向けの場合は明確にエッチシーンが描かれることが多く、書き手も「これは成人指定だろう」と認識しているのです。
ところがボーイズラブやティーンズラブや百合は、一般女性誌でも頻繁に読まれているため、成人指定に該当すると思わない方が多い。一般女性誌で普通に読めるものが、小説投稿サイトでは成人指定として警告されるのですから、どう対処してよいのかわからなくなる。そして警告がどこを指しているのかわからなくなって、結果として「もういいや」となって削除してしまう。
そういう方は『pixiv』で連載するとよいのですけどね。あそこはその手の作品が多いし、警告されたら「R-18」指定のボタンを押して変更するだけで済みますから。
実際『ピクシブ文芸』の上位はボーイズラブ、ティーンズラブ、百合ものが占められています。
おそらく他の小説投稿サイトで警告を食らって嫌気がさした書き手が流れ込んでいるのでしょう。
そのせいで『ピクシブ文芸』は女性向けの小説投稿サイトとなってしまいましたが。
純粋に読み手としては、評価の悪かった作品も残しておいてほしいんですよね。
「紙の書籍化されたこの作品を書いた人は、過去にこんな作品も書いていたんだ」ということがわかると、「自分でも頑張れば紙の書籍化まで行けるのではないか」と意欲も湧いてきます。
ビジネスで小説を書くのであれば、小説投稿サイトで開催されている「小説賞・新人賞」へ応募しまくればよいのです。ただし受賞できなくても安易に削除しないほうがよいと思っています。過去にこの程度の書き手だったのが、この期間でこれだけの作品が書けたのだ、とわかれば、選考さんへのアピールにもなると考えるからです。
最初から完成されている書き手と、ぐんぐん実力を身につけている書き手とでは、後者のほうが将来性を高く買えますからね。最初から完成されていると、それ以上の作品が書けないのではないかと疑心が湧いてきます。
また、小説投稿サイトの規約で「特定の要件を満たさない」削除が禁止されているところもあります。
複数の小説投稿サイトで連載している作品が、ある「小説賞・新人賞」を授かって紙の書籍化される。ない話ではないのです。
そうなると、紙の書籍化される出版社レーベルと無関係な小説投稿サイトのデータを削除してくれと打診があるのかもしれません。
でもたいていの小説投稿サイトは、紙の書籍化される際に運営側へ報告する義務が課されています。初手は削除ではなく報告なんですよね。そして運営側が協議したうえでデータはそのままか、削除させてもらえるか、ダイジェスト版に差し替えさせてもらえるかが決められるはずです。
でもそこまで規約を読んでいる書き手って、実はとても少ないんです。そもそも規約をすべて読んで理解しろというのが無理筋ではあります。
もしそれができるのなら、自動車運転免許の学科試験なんてしなくてよいことになりますから。でも道路交通法をすべて憶えられない方がいる以上学科試験はなくなりません。
そうなると作品の削除は小説投稿サイトの規約を読んでいないか、読んでも理解していないか、理解していながら無視しているのかに分かれてきますよね。
そう考えると、前触れもなく突如削除する行為は褒められたものではありませんね。
『小説家になろう』様ではサーバーに負荷がかかるので、原則的に「削除させない」方針のようですしね。
小説投稿サイトの規約をよく読んでから利用していただきたいものです。
「エタる」のはまだマシなほう。
読み手としては連載中の作品が途中で削除されたら、確かに悲しくなるやら憤慨するやらで気持ちの持って行き場がなくなります。
とくに削除が簡単に行なえる小説投稿サイトでは、閲覧数やブックマーク、評価などが低い作品はすぐに削除されてしまうことがあります。
削除するおおかたは「未熟な作品を残して、新作の評価が低まるのが嫌だ」と考えるからかもしれません。
紙の書籍化された作品は、出版社レーベルとの契約に左右される面はあるでしょう。
もし出版社レーベルの担当編集さんや契約書などから「当該作品を小説投稿サイトから削除する」ように言われていたら、削除しても仕方がないかなとは思います。
ただ、出版不況の現在。どこかで試し読みもできない小説がビッグヒットを飛ばせるかと考えれば甚だ疑問です。
どうせ紙の書籍化される際に、文章や内容を大きく変えられてしまうのですから、元のデータは手を付けずに残しておいてもよいでしょう。
成人指定の警告に関しては、とくにボーイズラブやティーンズラブや百合といった女性向けに多い印象があります。(他サイトでそういった方からご相談を受けたこともあります)。
男性向けの場合は明確にエッチシーンが描かれることが多く、書き手も「これは成人指定だろう」と認識しているのです。
ところがボーイズラブやティーンズラブや百合は、一般女性誌でも頻繁に読まれているため、成人指定に該当すると思わない方が多い。一般女性誌で普通に読めるものが、小説投稿サイトでは成人指定として警告されるのですから、どう対処してよいのかわからなくなる。そして警告がどこを指しているのかわからなくなって、結果として「もういいや」となって削除してしまう。
そういう方は『pixiv』で連載するとよいのですけどね。あそこはその手の作品が多いし、警告されたら「R-18」指定のボタンを押して変更するだけで済みますから。
実際『ピクシブ文芸』の上位はボーイズラブ、ティーンズラブ、百合ものが占められています。
おそらく他の小説投稿サイトで警告を食らって嫌気がさした書き手が流れ込んでいるのでしょう。
そのせいで『ピクシブ文芸』は女性向けの小説投稿サイトとなってしまいましたが。
純粋に読み手としては、評価の悪かった作品も残しておいてほしいんですよね。
「紙の書籍化されたこの作品を書いた人は、過去にこんな作品も書いていたんだ」ということがわかると、「自分でも頑張れば紙の書籍化まで行けるのではないか」と意欲も湧いてきます。
ビジネスで小説を書くのであれば、小説投稿サイトで開催されている「小説賞・新人賞」へ応募しまくればよいのです。ただし受賞できなくても安易に削除しないほうがよいと思っています。過去にこの程度の書き手だったのが、この期間でこれだけの作品が書けたのだ、とわかれば、選考さんへのアピールにもなると考えるからです。
最初から完成されている書き手と、ぐんぐん実力を身につけている書き手とでは、後者のほうが将来性を高く買えますからね。最初から完成されていると、それ以上の作品が書けないのではないかと疑心が湧いてきます。
また、小説投稿サイトの規約で「特定の要件を満たさない」削除が禁止されているところもあります。
複数の小説投稿サイトで連載している作品が、ある「小説賞・新人賞」を授かって紙の書籍化される。ない話ではないのです。
そうなると、紙の書籍化される出版社レーベルと無関係な小説投稿サイトのデータを削除してくれと打診があるのかもしれません。
でもたいていの小説投稿サイトは、紙の書籍化される際に運営側へ報告する義務が課されています。初手は削除ではなく報告なんですよね。そして運営側が協議したうえでデータはそのままか、削除させてもらえるか、ダイジェスト版に差し替えさせてもらえるかが決められるはずです。
でもそこまで規約を読んでいる書き手って、実はとても少ないんです。そもそも規約をすべて読んで理解しろというのが無理筋ではあります。
もしそれができるのなら、自動車運転免許の学科試験なんてしなくてよいことになりますから。でも道路交通法をすべて憶えられない方がいる以上学科試験はなくなりません。
そうなると作品の削除は小説投稿サイトの規約を読んでいないか、読んでも理解していないか、理解していながら無視しているのかに分かれてきますよね。
そう考えると、前触れもなく突如削除する行為は褒められたものではありませんね。
『小説家になろう』様ではサーバーに負荷がかかるので、原則的に「削除させない」方針のようですしね。
小説投稿サイトの規約をよく読んでから利用していただきたいものです。
- カイ.智水
- 2020年 03月17日 16時59分
[一言]
毎回、ご丁寧なご返信ありがとうございます。貴重な執筆の時間を割いて頂いているにも関わらずそのようなお言葉を頂き大変恐縮しております。
大賞を受賞すると信じることは何も悪いことではないと思います。結果が出てから現実を直視出来ないのは問題ですが、同じ努力をするのであれば本気で大賞を目指すのと目指さないのとでは意気込みが違いますから。結果が出るまでは信じていても良いと思います。
一度の落選です諦めるのは恐らく応募した作品が会心の乾坤一擲の作品でこれ以上の作品はもう二度と書けないことを自覚しているからかもしれせん。それでは大賞を本当に受賞してもプロでやっていけるのかという疑問が出ますが現実的に受賞してもいつの間にか消えている作家さんは珍しくないのである意味普通なのでしょう。
文学史に出て来るような作家さんも代表作は一作か二作ぐらいが多いことからベストセラーを何作も出せる作家さんの方が異常なのかもしれません。
尤も受賞さえすれば何処かの春樹さんみたいに駄作?を積み重ねることでも十分にやっていけると思っているのかもしれませんが。
毎回、ご丁寧なご返信ありがとうございます。貴重な執筆の時間を割いて頂いているにも関わらずそのようなお言葉を頂き大変恐縮しております。
大賞を受賞すると信じることは何も悪いことではないと思います。結果が出てから現実を直視出来ないのは問題ですが、同じ努力をするのであれば本気で大賞を目指すのと目指さないのとでは意気込みが違いますから。結果が出るまでは信じていても良いと思います。
一度の落選です諦めるのは恐らく応募した作品が会心の乾坤一擲の作品でこれ以上の作品はもう二度と書けないことを自覚しているからかもしれせん。それでは大賞を本当に受賞してもプロでやっていけるのかという疑問が出ますが現実的に受賞してもいつの間にか消えている作家さんは珍しくないのである意味普通なのでしょう。
文学史に出て来るような作家さんも代表作は一作か二作ぐらいが多いことからベストセラーを何作も出せる作家さんの方が異常なのかもしれません。
尤も受賞さえすれば何処かの春樹さんみたいに駄作?を積み重ねることでも十分にやっていけると思っているのかもしれませんが。
くろの介様、労りのお言葉誠にありがとうございます。
現在、連載小説『神話(仮)』の構成をちまちまと行なっております。
できれば本コラムと入れ違いで投稿したいので、うまく調整しながら頑張りたいですね。
大賞を狙うつもりで執筆する。これは強いモチベーションになりますよね。
ただ自分の実力も知らずに大賞を狙うと、獲れなかったときの反動が怖いんですよね。
あとちょっとだったのに、次作を書くことなく消えていった方が多くいらっしゃますから。
いわゆる「文豪」でも代表作は確かに一、二作なんですよね。
世界でも有名な夏目漱石氏でも『吾輩は猫である』『坊つちゃん』『夢十夜』とか十指で数えられます。
賞に冠たる芥川龍之介氏も『羅生門』『蜘蛛の糸』くらいは皆読んでいるでしょうけど、他の短編小説なんてほとんどの方は読んでいないと思います。
同じく賞に冠たる直木三十五氏については、これといった代表作があるんかいな、というくらいですし。まぁそういうネームバリューの低い有望な書き手を顕彰するのが「直木三十五賞」本来の目的ではありますが。
ノーベル文学賞の川端康成氏であっても『雪国』『伊豆の踊子』だけが突出して、他は「その他大勢」になっています。
村△春樹氏は短編小説作家なのに、長編賞が獲りたくて、不得手なのに出版しているだけに見えます。「対決篇」でも書きましたが、長編で意味不明は致命的なんですよね。そしてハルキストが求めるのは長編ではなく短編だったりしますし。いっそ星新一氏の「ショートショートの神」のように、「短編小説の神」でも目指せば皆ハッピーなのではないかと思わなくもありません。
大賞を狙うこと自体は悪くない。ただ根拠は欲しいですよね。
「小説投稿サイトでランキング上位の作品が書ける」というだけでも、一定の根拠にはなりますし。
二度や三度落選でも、作品の質が高まってきているのなら、努力は続けるべきです。
多くの書き手がすぐにあきらめてしまうから、もったいないなと感じています。
現在、連載小説『神話(仮)』の構成をちまちまと行なっております。
できれば本コラムと入れ違いで投稿したいので、うまく調整しながら頑張りたいですね。
大賞を狙うつもりで執筆する。これは強いモチベーションになりますよね。
ただ自分の実力も知らずに大賞を狙うと、獲れなかったときの反動が怖いんですよね。
あとちょっとだったのに、次作を書くことなく消えていった方が多くいらっしゃますから。
いわゆる「文豪」でも代表作は確かに一、二作なんですよね。
世界でも有名な夏目漱石氏でも『吾輩は猫である』『坊つちゃん』『夢十夜』とか十指で数えられます。
賞に冠たる芥川龍之介氏も『羅生門』『蜘蛛の糸』くらいは皆読んでいるでしょうけど、他の短編小説なんてほとんどの方は読んでいないと思います。
同じく賞に冠たる直木三十五氏については、これといった代表作があるんかいな、というくらいですし。まぁそういうネームバリューの低い有望な書き手を顕彰するのが「直木三十五賞」本来の目的ではありますが。
ノーベル文学賞の川端康成氏であっても『雪国』『伊豆の踊子』だけが突出して、他は「その他大勢」になっています。
村△春樹氏は短編小説作家なのに、長編賞が獲りたくて、不得手なのに出版しているだけに見えます。「対決篇」でも書きましたが、長編で意味不明は致命的なんですよね。そしてハルキストが求めるのは長編ではなく短編だったりしますし。いっそ星新一氏の「ショートショートの神」のように、「短編小説の神」でも目指せば皆ハッピーなのではないかと思わなくもありません。
大賞を狙うこと自体は悪くない。ただ根拠は欲しいですよね。
「小説投稿サイトでランキング上位の作品が書ける」というだけでも、一定の根拠にはなりますし。
二度や三度落選でも、作品の質が高まってきているのなら、努力は続けるべきです。
多くの書き手がすぐにあきらめてしまうから、もったいないなと感じています。
- カイ.智水
- 2020年 03月14日 20時29分
[一言]
根拠のない自信は弱い自分を隠す為の防衛行動。度が過ぎる場合はおそらくは一種の精神疾患。
ツイてないと言うのも、落選を他人の責任にするのも一種の自己防衛本能で真意は意識してできる努力はすべてやり尽くした。これ以上の理由は才能がないことを認める事と同義のため認めることは出来ない。と云う事だなのでしょう。
本当に努力が足りないのであれば余程、知性が足りないのでもない限り素直に認めるでしょう。その事自身は才能を否定することに繋がりませんから。
小説を書く技量が一定水準以上に達しているにも関わらず作品が面白くないとか登場人物に魅力を感じないと評される原因は作家さん自身の人格や思想がお利口過ぎるとか教本的すぎる事にあるのかもしれません。
実際、技量が同じなら人格や思考が破綻気味の人の方が圧倒的に面白いことは間違いありませんので。
故栗本薫女子に至っては公共の場で平然と「サラリーマンになるぐらいなら北朝鮮に拉致される方がマシ」とか断言して後で総バッシング受け他にもかかわらず内心はともかく表面上は平然とできるほどの人格破綻者でした。
根拠のない自信は弱い自分を隠す為の防衛行動。度が過ぎる場合はおそらくは一種の精神疾患。
ツイてないと言うのも、落選を他人の責任にするのも一種の自己防衛本能で真意は意識してできる努力はすべてやり尽くした。これ以上の理由は才能がないことを認める事と同義のため認めることは出来ない。と云う事だなのでしょう。
本当に努力が足りないのであれば余程、知性が足りないのでもない限り素直に認めるでしょう。その事自身は才能を否定することに繋がりませんから。
小説を書く技量が一定水準以上に達しているにも関わらず作品が面白くないとか登場人物に魅力を感じないと評される原因は作家さん自身の人格や思想がお利口過ぎるとか教本的すぎる事にあるのかもしれません。
実際、技量が同じなら人格や思考が破綻気味の人の方が圧倒的に面白いことは間違いありませんので。
故栗本薫女子に至っては公共の場で平然と「サラリーマンになるぐらいなら北朝鮮に拉致される方がマシ」とか断言して後で総バッシング受け他にもかかわらず内心はともかく表面上は平然とできるほどの人格破綻者でした。
くろの介様、いつもご感想ありがとうございます。
お話をすることでコラムのネタがいくつか思い浮かびますので、ぜひこれからも厳しいご感想をお待ち致しております。
「小説を書ける」と「面白い小説が書ける」は別物だと思っています。
前者は教科書があればいくらでも書けますが、後者は読み手を意識していないと絶対に書けません。
中には自分が楽しめる小説を書いて大賞を射止めてしまう方もいらっしゃるようですが。
栗本薫氏にはダークファンタジーの書き手としての矜持があったように感じられます。
こういう作風の私には、こんな発言が求められるのだろう、と先読みできてしまったのでしょうね。
気を回しすぎと思わなくもありませんが、『グイン・サーガ』の書き手としてはやはり「北朝鮮に拉致されるほうがマシ」と言い切ったほうが「らしいよねぇ」と感じます。
お話をすることでコラムのネタがいくつか思い浮かびますので、ぜひこれからも厳しいご感想をお待ち致しております。
「小説を書ける」と「面白い小説が書ける」は別物だと思っています。
前者は教科書があればいくらでも書けますが、後者は読み手を意識していないと絶対に書けません。
中には自分が楽しめる小説を書いて大賞を射止めてしまう方もいらっしゃるようですが。
栗本薫氏にはダークファンタジーの書き手としての矜持があったように感じられます。
こういう作風の私には、こんな発言が求められるのだろう、と先読みできてしまったのでしょうね。
気を回しすぎと思わなくもありませんが、『グイン・サーガ』の書き手としてはやはり「北朝鮮に拉致されるほうがマシ」と言い切ったほうが「らしいよねぇ」と感じます。
- カイ.智水
- 2020年 03月13日 18時16分
[一言]
言いたいことはわかりますが、受賞者の語る運をその辺の宝くじの当選者の語る運と同列にするのは如何なものでしょう。
彼らの語る運とは最後まで選考に残ったいずれも甲乙付け難い作品の中からその時の時運に偶々相応しく選者の心に響いたから取れたと言っているのであって最終選考に残れなかった作品と含めている訳ではないと思いますので。
努力してないという言葉も他の人から見れば努力しているとしか思えない事でも「やって当然、これは努力の範疇ではない」と云う意識からくる言葉であることが多いのですね。
努力を成果を出すために費やした時間と定義するのであれば天才と呼ばれる種類の人間は24時間365日起きている時だけでなく寝ているときでさえ、その才能を研ぎ澄ますことに無意識で費やす事ができる人間なのでしょう。
その事は天才的な才能を発揮できる事象以外は人間失格である人が多いと云う事柄から伺いしれます。
努力が苦痛に感じるか感じないかが最初の分岐点なのでしょう。小説の推敲すら苦痛に感じるようではおそらくどんな賞も取れないと思われます。受賞する作品は結末まで書いた上で誤字脱字文章や表現だけでなく構成の見直し、必要なエピソード、不要なエピソードの取捨選択なども行っているでしょう。
それ故にその日の投稿分の推敲すら苦痛に感じる人は最初から勝負にならないのではないでしょう。
言いたいことはわかりますが、受賞者の語る運をその辺の宝くじの当選者の語る運と同列にするのは如何なものでしょう。
彼らの語る運とは最後まで選考に残ったいずれも甲乙付け難い作品の中からその時の時運に偶々相応しく選者の心に響いたから取れたと言っているのであって最終選考に残れなかった作品と含めている訳ではないと思いますので。
努力してないという言葉も他の人から見れば努力しているとしか思えない事でも「やって当然、これは努力の範疇ではない」と云う意識からくる言葉であることが多いのですね。
努力を成果を出すために費やした時間と定義するのであれば天才と呼ばれる種類の人間は24時間365日起きている時だけでなく寝ているときでさえ、その才能を研ぎ澄ますことに無意識で費やす事ができる人間なのでしょう。
その事は天才的な才能を発揮できる事象以外は人間失格である人が多いと云う事柄から伺いしれます。
努力が苦痛に感じるか感じないかが最初の分岐点なのでしょう。小説の推敲すら苦痛に感じるようではおそらくどんな賞も取れないと思われます。受賞する作品は結末まで書いた上で誤字脱字文章や表現だけでなく構成の見直し、必要なエピソード、不要なエピソードの取捨選択なども行っているでしょう。
それ故にその日の投稿分の推敲すら苦痛に感じる人は最初から勝負にならないのではないでしょう。
くろの介様、本日は痛い突いていただき、誠にありがとうございます。
本コラムにおいて「運がよかった」は、受賞者の謙遜を真に受けるな、という趣旨で用いています。
書き手の中には、真に受けて「私にも運がまわってくれば獲れる」と勘違いしている方が意外と多いそうです。とくに小説投稿サイトがなかった、出版社に紙の原稿を送って応募していた頃の話になりますが。
大賞を授かった書き手はもれなく努力しています。
小説の書き方も知らずに賞金を得るために作品を書いて応募した。そうしたらたまたま大賞が獲れてしまった。
これは確かに「運がよかった」のでしょう。でもこんな人は早々いません。
「文豪」が語る武勇伝のひとつ、つまり作り話だと思っています。
「文豪」からすれば若手の台頭は自身の立場を揺るがしかねない。才能のある感度の高い書き手に対して「牽制球」を投げているようなものでしょう。
後継を育成するためには、「運」よりも「努力」を説くべきだと思います。
そうしないと、勘違いな大家が生まれてしまうのではないでしょうか。村上春樹氏のような。
本コラムにおいて「運がよかった」は、受賞者の謙遜を真に受けるな、という趣旨で用いています。
書き手の中には、真に受けて「私にも運がまわってくれば獲れる」と勘違いしている方が意外と多いそうです。とくに小説投稿サイトがなかった、出版社に紙の原稿を送って応募していた頃の話になりますが。
大賞を授かった書き手はもれなく努力しています。
小説の書き方も知らずに賞金を得るために作品を書いて応募した。そうしたらたまたま大賞が獲れてしまった。
これは確かに「運がよかった」のでしょう。でもこんな人は早々いません。
「文豪」が語る武勇伝のひとつ、つまり作り話だと思っています。
「文豪」からすれば若手の台頭は自身の立場を揺るがしかねない。才能のある感度の高い書き手に対して「牽制球」を投げているようなものでしょう。
後継を育成するためには、「運」よりも「努力」を説くべきだと思います。
そうしないと、勘違いな大家が生まれてしまうのではないでしょうか。村上春樹氏のような。
- カイ.智水
- 2020年 03月11日 19時53分
[一言]
訓練するより投稿しろ。確かに仰る通りだと思います。
但、私は間違った目的と認識で行う訓練は害悪であると考えますが、正しい目的に沿った訓練は無意味だとは考えておりません。
私思う正しい目的というのは第一に何度も同じ行為を反復する事によりその行為の持つ個々の工程の仕組みや意味を無意識の領域にまで広げるという事が挙げられます。其れを疎かにすれば必ずより高度な次のステップで頭打ちとなります。
第二に同じインプットに対して必ず同じアウトプットを返すことができるように、百回同じインプットがあれば同じアウトプットを百回返す事が出来るように仕込むという事があります。外科手術で同じシチュエーションにも関わらず成功したり失敗したりすることがないようにするのは当然のことで、主導権を相手に渡さないと云う前提条件は有りますが格闘技や一部の球技のように時間制限のあるスポーツなら下馬評では格上とされれ相手にさえ決して負けることはありませんし格下の相手には対戦するすべての試合に勝てるでしょう。尤も現実的には非常に困難で観客には何れ飽きられ興行的にはマイナスになるためプロスポーツの世界では採用されることはありませんが。
第三に苦痛に対してなれさせるという意味もあります。競馬の世界には調教タイムは決して大レースの勝ち馬に劣らないどころか寧ろ良いぐらいなのに決して大レースに勝つことができない馬がいます。勝てる馬と勝てない馬の違う点はただ一つ、最大心拍数に耐えられる時間がコンマ一秒のレベルで勝てる馬の方が長いのです。
そして最後に、一番重要な目的として極限状態に対する生存率を上げる事が挙げられます。運が良ければ一生に一度も経験することがないような事象、運が悪ければ一瞬で死ぬような戦争や災害のような事象に対して生き残ってその教訓を次に生かすために少しでも生存率を上げると云う目的です。その為にやってはいけない事、しなければならない事を考えるより先に動けるように仕込みます。軍隊の食事が不味いのはそここと自体が戦場で食えるものなら何でも食えるようにする為の訓練の一環です。そのことネタにするのは目的を理解していない証拠でもあります。
小説家を志望する人にとって第一の目的以外は殆ど体育会系よりのため重要ではないと考えられますが、最近の風潮を見る限り老いも若いも男女の区別そして意識するしないに関係なく言葉で人を殺すことがお好きなようです。投稿後どんな誹謗中傷を受けたとしてもSNSの書き込みに耐えきれず突発的自殺する事がないように特にイジメで自殺者を出したような世代は耐性を身につけてから投稿して貰いたいものです。
因みに訓練の間違った目的とは訓練に精神的依存、精神の不安を解消する拠り所とする事です。其れは訓練の成果を出さなければならない場面で成果が出す妨げとなる最大の要因の一つとなるからです。
訓練するより投稿しろ。確かに仰る通りだと思います。
但、私は間違った目的と認識で行う訓練は害悪であると考えますが、正しい目的に沿った訓練は無意味だとは考えておりません。
私思う正しい目的というのは第一に何度も同じ行為を反復する事によりその行為の持つ個々の工程の仕組みや意味を無意識の領域にまで広げるという事が挙げられます。其れを疎かにすれば必ずより高度な次のステップで頭打ちとなります。
第二に同じインプットに対して必ず同じアウトプットを返すことができるように、百回同じインプットがあれば同じアウトプットを百回返す事が出来るように仕込むという事があります。外科手術で同じシチュエーションにも関わらず成功したり失敗したりすることがないようにするのは当然のことで、主導権を相手に渡さないと云う前提条件は有りますが格闘技や一部の球技のように時間制限のあるスポーツなら下馬評では格上とされれ相手にさえ決して負けることはありませんし格下の相手には対戦するすべての試合に勝てるでしょう。尤も現実的には非常に困難で観客には何れ飽きられ興行的にはマイナスになるためプロスポーツの世界では採用されることはありませんが。
第三に苦痛に対してなれさせるという意味もあります。競馬の世界には調教タイムは決して大レースの勝ち馬に劣らないどころか寧ろ良いぐらいなのに決して大レースに勝つことができない馬がいます。勝てる馬と勝てない馬の違う点はただ一つ、最大心拍数に耐えられる時間がコンマ一秒のレベルで勝てる馬の方が長いのです。
そして最後に、一番重要な目的として極限状態に対する生存率を上げる事が挙げられます。運が良ければ一生に一度も経験することがないような事象、運が悪ければ一瞬で死ぬような戦争や災害のような事象に対して生き残ってその教訓を次に生かすために少しでも生存率を上げると云う目的です。その為にやってはいけない事、しなければならない事を考えるより先に動けるように仕込みます。軍隊の食事が不味いのはそここと自体が戦場で食えるものなら何でも食えるようにする為の訓練の一環です。そのことネタにするのは目的を理解していない証拠でもあります。
小説家を志望する人にとって第一の目的以外は殆ど体育会系よりのため重要ではないと考えられますが、最近の風潮を見る限り老いも若いも男女の区別そして意識するしないに関係なく言葉で人を殺すことがお好きなようです。投稿後どんな誹謗中傷を受けたとしてもSNSの書き込みに耐えきれず突発的自殺する事がないように特にイジメで自殺者を出したような世代は耐性を身につけてから投稿して貰いたいものです。
因みに訓練の間違った目的とは訓練に精神的依存、精神の不安を解消する拠り所とする事です。其れは訓練の成果を出さなければならない場面で成果が出す妨げとなる最大の要因の一つとなるからです。
くろの介様、いつもご感想ありがとうございます。
私も基礎訓練は積み重ねるものだと認識しております。本日の投稿回でも「伸び悩み」をテーマに、それでも基礎を怠るなと書いています。
これが第一の答えになるでしょうか。
第二については「アフォーダンス」という脳機能を執筆に活かすことで可能にするよう提言しています。
確かに主導権さえ渡さなければ、どんな相手にだって勝てます。自分は不敗の態勢をとり、相手の自滅を待つのは兵法の理に適っていますからね。
第三については競馬をほとんど嗜まない私にはちょっとわかりにくいですね。無呼吸で走れる最長の長さと呼ばれる「四百メートル走」で考えれば、息を吸わずにどれだけ全速力が出せるのか、に置き換えればわかりやすいと思います。心臓と肺が酸素を必要としているのを抑え込んで全筋肉を働かせなければならないのですから、その能力のわずかな差がタイムに直結しますね。
最後の点については、より実戦に近づけるという観点から捉えられますね。
私は十年以上前に、年上の後輩が運転する自動車の助手席に座ったことがあります。交差点に差しかかって赤信号に変わったとき、突如自動車のスピードが上がったのです。そこで私はすぐ運転手に声をかけながら見ましたら、とても苦しんだと思ったら反応がなくなりました。右足がアクセルを強く踏み込み、自動車は元日未明の赤信号に突入したのです。そのとき私は、冷静にまず突っ張った右足をアクセルから手で外し、左手でハンドルを操作しながらブレーキペダルを右手で押し込み(体を割り込むだけのスペースがなかったため)、国道の路側帯に誘導してブレーキペダルを完全に押し込んで停止。すぐにサイドブレーキを上げて自動車の動きを完全に止めました。そして運転手の救命救助を行ないながら救急へ電話して救助要請をしました。
当時の私は自動車の運転免許を持っていませんでした。自動車を運転すること自体あまり意識していなかったのです。
それなのになぜこれだけの対応がとれたのか。事前にこのようなときどう行動すればよいのか決めてあったからです。決めたのは事故のさらに五、六年前だったと記憶しています。ですが、この対応を決めてあったため、多重事故を起こすことなく、私は生還できたのです。
小説書きを目指すなら、文章だけでなく身体の原理や機能にも精通していなければなりません。リアリティーはえてしてそういうところから来ますので。
最後の訓練の間違った目的についてですが、同意できますね。訓練そのものに依存してしまうとどうしてもとりうる行動が制限されてしまいます。
ですが上記の私のように、まず自分が生存するためのシミュレーションはしておくべきだと思います。実際に生還できた私の経験からですが。この一件は、会社が私の能力を高く評価することにもつながりました。とっさに機転を利かせたと判断されたのですね。ですが、実際には「アフォーダンス」が働いたときのために「プログラム」がストックしてあったわけです。
執筆において「アフォーダンス」を引き出せれば、より速く書けますし、空いた時間で表現に工夫も凝らせます。
ちょっとした脳の機能ですが、使いこなすとほぼ無敵になれますので、「アフォーダンス」についてはもっと追求していきたいと思います。
私も基礎訓練は積み重ねるものだと認識しております。本日の投稿回でも「伸び悩み」をテーマに、それでも基礎を怠るなと書いています。
これが第一の答えになるでしょうか。
第二については「アフォーダンス」という脳機能を執筆に活かすことで可能にするよう提言しています。
確かに主導権さえ渡さなければ、どんな相手にだって勝てます。自分は不敗の態勢をとり、相手の自滅を待つのは兵法の理に適っていますからね。
第三については競馬をほとんど嗜まない私にはちょっとわかりにくいですね。無呼吸で走れる最長の長さと呼ばれる「四百メートル走」で考えれば、息を吸わずにどれだけ全速力が出せるのか、に置き換えればわかりやすいと思います。心臓と肺が酸素を必要としているのを抑え込んで全筋肉を働かせなければならないのですから、その能力のわずかな差がタイムに直結しますね。
最後の点については、より実戦に近づけるという観点から捉えられますね。
私は十年以上前に、年上の後輩が運転する自動車の助手席に座ったことがあります。交差点に差しかかって赤信号に変わったとき、突如自動車のスピードが上がったのです。そこで私はすぐ運転手に声をかけながら見ましたら、とても苦しんだと思ったら反応がなくなりました。右足がアクセルを強く踏み込み、自動車は元日未明の赤信号に突入したのです。そのとき私は、冷静にまず突っ張った右足をアクセルから手で外し、左手でハンドルを操作しながらブレーキペダルを右手で押し込み(体を割り込むだけのスペースがなかったため)、国道の路側帯に誘導してブレーキペダルを完全に押し込んで停止。すぐにサイドブレーキを上げて自動車の動きを完全に止めました。そして運転手の救命救助を行ないながら救急へ電話して救助要請をしました。
当時の私は自動車の運転免許を持っていませんでした。自動車を運転すること自体あまり意識していなかったのです。
それなのになぜこれだけの対応がとれたのか。事前にこのようなときどう行動すればよいのか決めてあったからです。決めたのは事故のさらに五、六年前だったと記憶しています。ですが、この対応を決めてあったため、多重事故を起こすことなく、私は生還できたのです。
小説書きを目指すなら、文章だけでなく身体の原理や機能にも精通していなければなりません。リアリティーはえてしてそういうところから来ますので。
最後の訓練の間違った目的についてですが、同意できますね。訓練そのものに依存してしまうとどうしてもとりうる行動が制限されてしまいます。
ですが上記の私のように、まず自分が生存するためのシミュレーションはしておくべきだと思います。実際に生還できた私の経験からですが。この一件は、会社が私の能力を高く評価することにもつながりました。とっさに機転を利かせたと判断されたのですね。ですが、実際には「アフォーダンス」が働いたときのために「プログラム」がストックしてあったわけです。
執筆において「アフォーダンス」を引き出せれば、より速く書けますし、空いた時間で表現に工夫も凝らせます。
ちょっとした脳の機能ですが、使いこなすとほぼ無敵になれますので、「アフォーダンス」についてはもっと追求していきたいと思います。
- カイ.智水
- 2020年 03月07日 19時44分
[一言]
経験を下に小説を書けばリアリティが出る。だからと云って犯罪行為を経験するのは御法度。当然ですけど。そもそも主人公自身による一人称の独り言形式でストーリーを進める小説でわざわざ犯罪者を主人公にするのかは謎ですけど。
犯罪行為に限らず生々しすぎる感情は常にそれにさらされてる人間でもない限りドン引きモノなので感情表現には隠喩法を多用する或いは主人公自身の直接的な視点を避けるといった技法を駆使すると云ったことが必要かもしれません。
経験を下に小説を書けばリアリティが出る。だからと云って犯罪行為を経験するのは御法度。当然ですけど。そもそも主人公自身による一人称の独り言形式でストーリーを進める小説でわざわざ犯罪者を主人公にするのかは謎ですけど。
犯罪行為に限らず生々しすぎる感情は常にそれにさらされてる人間でもない限りドン引きモノなので感情表現には隠喩法を多用する或いは主人公自身の直接的な視点を避けるといった技法を駆使すると云ったことが必要かもしれません。
くろの介様、いつもご感想ありがとうございます。
経験の差は文章を読めば見破られるものなんですよね。
おっしゃるとおり、生々しい感情や犯罪行為などは直接話法よりも、視点を外すほうが賢明かもしれません。
書かないほうが伝わるときも、小説にはよくあります。
あえて詳細は避けて読み手の想像力に委ねたほうがリアリティーを喚起できるかもしれませんね。
経験の差は文章を読めば見破られるものなんですよね。
おっしゃるとおり、生々しい感情や犯罪行為などは直接話法よりも、視点を外すほうが賢明かもしれません。
書かないほうが伝わるときも、小説にはよくあります。
あえて詳細は避けて読み手の想像力に委ねたほうがリアリティーを喚起できるかもしれませんね。
- カイ.智水
- 2020年 02月22日 20時13分
[一言]
主人公最強、どこで完結させるかキッチリ決めとかないと確実にエタる難しいジャンルですね。「なろう」で上位にランクインするには1~3日のペースで更新する必要があり、投稿実績が乏しい場合、最初の1ヶ月程は毎日更新するぐらいの覚悟がないと認知されない。過酷ですね。そして、上位にランクされた後も1~3日のペースで投稿しているにも関わらずランク外になった小説は今後2度と上位ランクされることは書籍化され映像化されでもしない限りあり得ないという厳しい現実。
ランク外になる原因はライバルが多すぎる事により少しでもテンポが悪かったり主人公最強であるが故にシチュエーションがパターン化されると読者が飽きてしまう事が考えられますね。
実際、他に勢いのある作品が投稿されれば其方に関心が移りブックマークしたことすら忘れますから。
1週間ぐらいのペースで上位にランクインしたいという方は「なろう」は諦めて成人指定のシーンを入れて投稿数が圧倒的に少ないノクターンに投稿する手も有りますが。
主人公最強、どこで完結させるかキッチリ決めとかないと確実にエタる難しいジャンルですね。「なろう」で上位にランクインするには1~3日のペースで更新する必要があり、投稿実績が乏しい場合、最初の1ヶ月程は毎日更新するぐらいの覚悟がないと認知されない。過酷ですね。そして、上位にランクされた後も1~3日のペースで投稿しているにも関わらずランク外になった小説は今後2度と上位ランクされることは書籍化され映像化されでもしない限りあり得ないという厳しい現実。
ランク外になる原因はライバルが多すぎる事により少しでもテンポが悪かったり主人公最強であるが故にシチュエーションがパターン化されると読者が飽きてしまう事が考えられますね。
実際、他に勢いのある作品が投稿されれば其方に関心が移りブックマークしたことすら忘れますから。
1週間ぐらいのペースで上位にランクインしたいという方は「なろう」は諦めて成人指定のシーンを入れて投稿数が圧倒的に少ないノクターンに投稿する手も有りますが。
いつも適切なご感想ありがとうございます。
「主人公最強」はランキングの上位を独占しているだけに、多くの書き手が新作を投稿してくるんですよね。
そこで生き残るためには、読み手の興味を惹き続けなければなりません。
おっしゃるように毎日更新してつなぎとめていないとすぐに離れていってしまいます。
「紙の書籍」化は「主人公最強」は当たり前で、それプラスアルファが求められているようです。
「主人公最強」だけなら「『小説家になろう』で読めばいいじゃん」で終わってしまいますからね。
週一ペースの更新だとランキングに載るのは難しいですね。
毎日「主人公最強」の新作が投稿されてくるので、一週間も空いてしまうと、毎日ランキングで生き残れないし、週間ランキングでも難しい。なにせ相手は週7日更新しているので、単純計算で週一ペースの7倍のポイントを獲得できますから。
週一ペースだと、他の小説投稿サイトを利用したほうがよいですね。過疎の小説投稿サイトや、そこで開催されている「小説賞・新人賞」に応募したほうが閲覧数を稼げて「紙の書籍」化に近づけると思います。
成人向けは一定層が読みますから、ランキングの載る可能性もありますが、一般小説の「小説賞・新人賞」への応募で成人読み手が支持してくれるともかぎらないのが痛いですね。
「主人公最強」はランキングの上位を独占しているだけに、多くの書き手が新作を投稿してくるんですよね。
そこで生き残るためには、読み手の興味を惹き続けなければなりません。
おっしゃるように毎日更新してつなぎとめていないとすぐに離れていってしまいます。
「紙の書籍」化は「主人公最強」は当たり前で、それプラスアルファが求められているようです。
「主人公最強」だけなら「『小説家になろう』で読めばいいじゃん」で終わってしまいますからね。
週一ペースの更新だとランキングに載るのは難しいですね。
毎日「主人公最強」の新作が投稿されてくるので、一週間も空いてしまうと、毎日ランキングで生き残れないし、週間ランキングでも難しい。なにせ相手は週7日更新しているので、単純計算で週一ペースの7倍のポイントを獲得できますから。
週一ペースだと、他の小説投稿サイトを利用したほうがよいですね。過疎の小説投稿サイトや、そこで開催されている「小説賞・新人賞」に応募したほうが閲覧数を稼げて「紙の書籍」化に近づけると思います。
成人向けは一定層が読みますから、ランキングの載る可能性もありますが、一般小説の「小説賞・新人賞」への応募で成人読み手が支持してくれるともかぎらないのが痛いですね。
- カイ.智水
- 2020年 02月18日 11時36分
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