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[良い点]
 機関短銃のお話、興味深く拝読しました。
 小火器にしか関心がないのに、ステンガンが信頼性に欠ける代物だったとは知りませんでした。
 単純な設計は信頼性に繋がる筈なのに、工作精度が低ければそれを活かせないと知りました。
[一言]
 本邦の60式機関銃も、あれ程単純な構造なのに回転不良を多発すると仄聞します。
 これも工作精度のせい? いやしかし、戦後日本の工業製品でそれはないだろうと、疑問が増えました(笑)。
  • 投稿者:
  • 50歳~59歳 男性
  • 2019年 06月01日 23時51分
鴨 様

 興味あるご指摘に感謝申し上げます。

 ご指摘の『単純な設計と信頼性』の話は、火器毎に複雑で、総合的に単純に割り切ってしまうには、個人的には複雑な問題に感じています。

「AK47」とご指摘の「62式?機関銃」の比較しても62式の作動不良の原因は、

 1)部品の加工精度は良く、互換性も高かったが部品点数が多すぎた為、
   作動不良が多発した。

 2)機関銃にしては銃身が細く、連射時の安定性に著しく欠けていた。

 であり、総合設計のバランスの悪さだといわれております。 

 また、
 『戦後日本の工業製品でそれはないだろうと、疑問が増えました(笑)』

 のご指摘も大変重要な点だと痛感しております。おっしゃるように、戦後、それも昭和50年代後半以降は、軍用よりも民生市場から調達する方が、「COTS]と呼ばれて、安くて良い品物を調達できる環境が急速に整ったといわれていますので、的確なご指摘だと思います。

 この状況に対応出来なかったのが、旧ソ連だったとされ、逆に、自由主義のアメリカの袖の下を巧くかいくぐってアメリカの民間技術を巧妙に盗んで、国防力を急速に増強したのが中国だと指摘されています。

 これからも色々とご教示頂ければ幸いです。

 御礼まで。

                河井正博
 
[良い点]
応援してます。頑張ってください。
[気になる点]
松型駆逐艦の項ですが、最後の水上戦はおそらく
重巡羽黒がなぶり殺しにされた1945年5月のペナン沖海戦では。

対等に戦った最後が竹のオルモック湾海戦だと思います。
名無し三等兵様

 ご指摘、誠に有り難うございました。

 『最後の水上戦はおそらく重巡羽黒がなぶり殺しにされた1945年5月のペナン沖海戦では』
 のご指摘の通りだと思います。

 本人は、
『日米駆逐艦同士の最後の水上戦』
 と、書いたつもりでいたのですが、読み返してみると『水上艦艇』と記述しておりましたので、ご指摘の通りの間違いだったと反省しております。

 ご教示への御礼を申し上げると共に、今後とも宜しくお願いします。

                  河井正博
[一言]
いえいえ、何しろ、第一次大戦でもあまり印象に残らない上(設置した水冷式機関銃とガス弾と戦車と歩兵銃での銃剣突撃、最後はショベルで頭かちわり)とかのほうが有名。

しかも敗戦国となったドイツはサブマシンガンの所持を禁止されてましたからMP18は廃棄されましたしね。

ただ、歩兵の火力底上げいけるんじゃね?と試作して民間が出したら軍はライフルの射程より劣る上、命中精度おちるじゃねえか、と不採用。禁酒法時代のシカゴ・タイプライターになるも、今度は警察が欲しがる。

で、本格的な第二次大戦で火力底上げしろよとなればサブマシンガンもたせたわけで。ある意味時代に翻弄された銃なんですよねえ。

まあ、アメリカのチートじみた生産力が為せる技ですが。

何しろM3なんて銃器メーカーじゃなくてプレス加工だからっていうので自動車メーカーに任せたとか。

ちなみにイギリスのステンは悪しき英国面に堕ちていると言われるほど兵士に嫌われてまして、大陸からの撤退戦で失った武器を戦時増産ダーってなってプレス加工で納品させたら、アメリカと違って技術が低いのか、最初にやることは各部品の研磨とバリ取りで、それでも作動不良多いと言われるほど。

まあ、今でも兵器の世界では時折、変態紳士が降りるのが英国ですからねえ。
相沢洋孝様

 サブマシンガンに対する詳細な多岐に渡る知識のご開示、誠に有り難く拝読致しました。

 確かに、ドイツのMP40はともかく、英国のステンMk2や米国のM3の製造工程でのひどさは有名ですね!
 加工も酷かったようですが、戦場での安全性にも相当問題があったようです。

 それでも実戦で愛用されたのは、問題点を上回る近接戦での重要兵器と大戦後半にはなった為でしょうか?

 確かに、当時の英国は、こんなガラクタに近い兵器でも供給しなければならない、ダンケルク撤退後の困難な時期だったのでしょう。

 ご指摘の、
『本格的な第二次大戦で火力底上げしろよとなればサブマシンガンもたせたわけで。ある意味時代に翻弄された銃なんですよねえ』
 に関しても、小生なりに少し、考えてみたいと思います。

 御礼まで。

                    河井正博


[良い点]
やはりkar98kは名銃ですなあ。
ちなみに今でも38式歩兵銃はハンティング用にアリサカボルトアクションライフルとして資格があれば買えますよ。ただし、資格拾得が難しいですが。
[気になる点]
サブマシンガンも出ていましたが、確か第一次世界大戦時のドイツの突撃歩兵部隊がガス弾撃ち込んだ後、ベルグマンMP18サブマシンガン持って塹壕を攪乱してましたが。


相沢洋孝様

 新鮮な情報、誠に有り難うございました。

 我々にとって、広範囲な情報ほど良薬はありません。
 アメリカで銃好きの友人と話した折にも、38式の完全な銃弾の入手には、結構苦労しているとのことで、近似している実包を使っているが、時々、弾詰まりを起こした経験があるといってました。
 それでも、6.5mm口径弾使用の日本の軽機関銃よりは、苦労しなくて射撃が可能との説明でした。

 ドイツのサブマシンガンに関しては、勉強不足を感じています。

 ご教示に感謝して! 御礼まで。

                 河井正博
[良い点]
文禄・慶長の役を調べていましたので参考にさせて頂きます。
[気になる点]
長年の倭寇対策を旨とした李朝水軍の各船は火砲を重点的に装備しており、輸送船兼近接戦闘を重視した日本水軍の安宅船や快速の関船に比較して、装備する火器では勝っていたのである。

火砲とは大砲のことですよね。
火器全般で語ってしまうと火縄銃の数に限ってはヨーロッパ全体の総合数より日本国内の方が多かったらしいのでチョイ変わってしまうと思います。

  • 投稿者: schwert
  • 23歳~29歳 男性
  • 2018年 12月30日 18時58分
Schwert 様

 明けましておめでとうございます。

 年末年始の忙しさの中で、拝見するのが遅れて失礼しました。

『文禄・慶長の役を調べていました(中略)長年の倭寇対策を旨とした李朝水軍の各船は火砲を重点的に装備しており、輸送船兼近接戦闘を重視した日本水軍の安宅船や快速の関船に比較して、装備する火器では勝っていたのである』

 とのご意見、誠に有り難うございました。
 大筋で貴意に賛成です。但し、現在も困って居るのが、李朝水軍の具体的な火器装備の実態と実戦での効果に関して殆ど解らないことです。

 資料収集が、もう少し進んだ段階で、何か書きたいとは思っておりますが、今の所、目処が立っておりません。
 また、小銃では日本軍が優勢で、火砲では、明李朝軍が優勢な状況で戦闘は推移したように感じています。

 また、国内の江戸時代初期の火縄銃装備率を含めて、日本が格段に優れていた件に関するご意見についても、何処かで触れる機会が得られれば幸いです。

 貴信に対する御礼まで。

                 河井正博

[良い点]
ボフォース40㎜が傑作兵器であることは確かです
[気になる点]
ボフォース40㎜機関砲と
九六式25㎜機銃を比較するのはフェアじゃない

[一言]
ボフォース40㎜機関砲と九六式25㎜機銃
双方ともに主力高射機関銃だったわけですが
書かれているように
米軍は
3インチ両用砲が高高度
ボフォース40㎜機関砲は中高度
エリコン20㎜機関銃が低高度
一方日本軍は
12.7㎝高角砲が高高度
25㎜機銃が低高度
中高度は無い

中高度対応のボフォースと
低高度対応の25㎜機銃を一概に比較するのは如何なものでしょうか
口径が違えば当然弾頭重量も射程も違うし、書かれていませんが兵器重量も違って(ボフォース40㎜=1t、25㎜単装=250㎏)きます
比較するならドイツの3.7㎝Flak M42が口径的に近いと愚考する次第です

  • 投稿者: 三河
  • 30歳~39歳 男性
  • 2018年 10月23日 18時23分
三河のたわけ様

 気になる点でご指摘の、
『ボフォース40㎜機関砲と
九六式25㎜機銃を比較するのはフェアじゃない』
 ですが、
 ご指摘の通り、当にその通りだと思います。
 おっしゃるとおりで、射程距離も実質6割と聞いていますし、弾頭重量もご指摘の通りだと思います。

 また、比較するならば、
『ドイツの3.7㎝Flak M42が口径的に近いと愚考する次第です』
 の、ご意見にも賛同したい気持ちで一杯です。

 しかしながら、実際には、その様にしなかった理由は、太平洋戦争で激突した日米の機動部隊が使用した対空火器の一部の低中高度用機関銃(砲)がボフォース40mm対空機関砲と96式25mm高角機銃だったからです。

 感情的には貴意に大賛成ですが、このような訳で戦場での兵器の実情を考える時、アンバランスな比較も冷静に書かざるを得ないと割り切って書かせて頂きました。
 貴職のご意見が本道であり、小生の意見が、極一部の意見だとご笑納頂ければ幸いです。

 ご指摘に感謝を込めまして!


              河井正博
 
 
[一言]
お疲れ様です。
高射砲を転用して主砲として搭載したのはパンターではなくてティーガーの方ではなかったかと。
  • 投稿者: 晴信
  • 2018年 10月07日 06時43分
晴信様

 ご指摘有り難う、ございました。

 本人はすっかり、「テイーガー」のつもりで、書いておりまして、大変失礼致しました。
 パンターは、そういえば75mm長砲身砲でした。

 ご叱責、誠にありがとうございます。


             河井正博
[気になる点]
気になる点がいくつか。

「96式25mm高角機銃」
↑とありますが高角はつかないのが正しい名称だそうです。

近接する敵機に対して約4,000mの広範囲で防禦が可能

射撃精度を考えるともっと狭いかと。

「ボフォース40mm」を採用する機会が日本軍に全く無かったかと見ると、そうでも無かった。緒戦、南方戦線の各地で連合軍の同砲を無傷で捕獲、内地に回送して、性能試験を行い、その優秀性を十分に理解していたのである。

戦前に正式採用する候補に上がっていたので採用する機会が戦中にしかない訳じゃないと思います。

これ以外も何ヵ所か気になりますが、とりあえず上の奴が気になりました。
  • 投稿者: Infinitum
  • 23歳~29歳 男性
  • 2018年 09月18日 19時38分
Infinitum 様


 適切なご教示、誠に有り難うございます。

 96式名称の件、ご指摘の通りだと思います。今回は相当前に調べた資料で書いたのですが、当時のメモに、「96式25mm高角機銃」は俗称で、正式名称に高角は付かない。とあるのをすっかり忘れておりました。

 第二点目の距離ですが、出典を忘れましたが、アメリカ軍側の実戦参加者の記述では、確かに、もっと短かった資料もあった気がします。

 戦前に正式採用候補に挙がっていた点に関しては、手元に資料が無く残念ながら見送ったような状況です。

 多くのご叱正に感謝申し上げます。


                 河井正博

 
[一言]
総兵……辞書的な語句ではなく、中国の役職として総兵(官)を調べなおすと、ネットですぐに色々見つかりました(引き写し)。

□総兵官〜〜 中国の明代などにあった軍隊の役職の1つ。現代の軍隊における総司令官にほぼ相当する。

□李如松
朝鮮に隣接する遼東の人で、五軍都督府・鎮守の「総兵官」から「提督」に昇進。豊臣秀吉の朝鮮出兵が始まると「提督」として朝鮮に出兵し、平壌の戦いで小西行長らと、碧蹄館の戦いで………

□崔相國 (台湾鎮総兵)

自分自身の基礎知識と下調べが足りていませんでした。
K John・Smith 様

 こちらの浅学を再度、ご指摘頂きまして、誠に有り難うございます。ご案内に従って、「総兵官」をネットで引いてみました。
 色々とお教え頂くことの多い内容でした。

 記憶では、明の「五軍都督府」の官で、辺境鎮守の官位であり、最高位が「提督」で総兵は次席指揮官の記憶だったので、先程、「少将クラス」とご案内させて貰ったのですが、辺境官の場合、もう少し許容範囲を広げて明の場合は考える必要がありそうですね!

 時期によっては、提督無しの総兵官が、その部隊の最高指揮官のケースも多いようですので、お教え頂いた資料を参考に、今後、注意したいと思います。

 再度のご教示に対する御礼まで。


              河井正博
[良い点]
読みやすく興味深く勉強になります。感想欄もまた、面白いです。
[気になる点]
読みやすく興味深く勉強になります。感想欄のやりとりもまた…… ですが…………しかし(苦笑)

自分は雑学が基本。とてもとても話題をふったり意見を出すレベルにいない(笑) 誤字脱字以外、話題のないうすっぺらさ。まあ仕方ないデス。
これからも楽しみに読ませていただきます。



○誤字脱字、気になった点○

9.弓矢と銃砲の戦い(サルフ)
■明軍の大砲に苦しめられた日本軍だったが、参戦諸大名の大砲に関する感心【→関心】は、予想外に低く、各藩の砲術家も台車に据えた大砲の研究には【無関心】で、手持ちで撃てる「大石火矢」の開発を行った程度で終始している。唯一、大砲に感心【→関心】を示したのが、文禄慶長の役に不参加だった徳川家康で、海外から輸入の大砲も含め相当数の大筒を…………
〉無関心の反対なので関心。

■明軍側の欠点を上げると総司令官楊鎬は後方の瀋陽を動かず、個々の四路の将に全てを任してしまい通信手段の乏しい当時、指揮系統が破綻していた。それを更に加速したのが、四路の各将の中【→仲】の悪さで、個々の将帥を見ると【名将と呼ばれる総兵】も多かったが、ヌルハチの各個撃破の作戦に屈してしまった。
〉名将と呼ばれる総兵も多かった……
〉総兵=すべての兵士。『全兵士の多くが名将と呼べた』ーー はずがないので、これは将官?



12.第二次大戦型各国戦車の生産性について
■(M4シャーマン戦車)
アメリカが「M4シャーマン戦車」の検討に入ったのは、英仏が独の電撃戦に破れた【→?敗れた】1940年6月以降であり、連合国の中で最も襲い【→ 遅い】戦略戦車開発だった。急な開発企画立案の為、基礎設計から開発を行う余裕が無く、手持ちのM3中戦車の車体に75mm旋回砲塔を乗せる急場凌ぎの案で急遽出来上がったのが「M4シャーマン戦車」である。

〉相手に勝つことを意味する「破る」はありますが、「破れた(破れる)」となると勝敗をあらわす使い方はありません。
K John・Smith 様


 何時もながら、拙稿を丁寧にお読み頂きまして感謝に堪えません。特に、問題点の詳細な分析も加えて頂いた結果、非常に参考になりました。

 ご指摘の点は、一々、ごもっともだと思いますので、これから文章を書く際の参考にさせて頂きますので、よろしくお願いします。

 但し、明国軍の「総兵」の件ですが、調査不足の為簡単な説明文を入れなかった小生のミスで、失礼致しました。
 取り敢えず、中国軍の中の階級で、「少将」クラスの将官として理解しながら書いた為に、ご迷惑をお掛けしてしまったようです。

 ご連絡とご叱正への御礼まで。


                  河井正博
 
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