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[一言]
更新お疲れ様です、
蜀滅亡時、綿竹で憤死した諸葛尚が黄皓をさっさと始末しておけばこんなことにはならなかったと言っていたが、董允が生きていた時に始末しておくべきでした。

姜維が勝ったことで、攻めていっても、やはり、蜀は負けたと思う。
まだ、鄧艾や司馬望らを抜いても、王昶や陳騫、鍾会など、魏の人材の物量で押し潰される。

感想、ありがとうございます。

たぶんですが、董允や費禕といった国政に目が届く人がいる間は、本当に目立たない取るに足りない存在だったのだと思われます。
姜維の軍政によって国内に目が届かなくなってから、クズが開花して爆発したのでしょう。

とは言え、本来ならこのクズをどうにかするのは姜維もそうですが、閻宇や諸葛瞻だったのですが、この頃にはすでに手が付けられなくなっていたようなので、董允や費禕さ長生きしていれば、と言うところです。

私も姜維が勝利していたとしても、蜀は敗れていたと思います。
蜀一国で何とかしようとし過ぎた姜維の戦略的限界もありますが、おそらくそこが費禕に高く評価されながら兵権を与えられなかった理由でしょう。
どう考えても呉との連携は必要不可欠で、おそらく費禕の戦略もそこだったはず。

もうちょっと融通がきけば違ったんでしょうね。
[一言]
更新お疲れ様です。
姜維が亡くなった際、肝の大きさ、量?が凄まじいものだったとか。
図太さは言うまでもないか。

鄧艾は伏兵に会って、大敗北。
夏侯覇が待ち伏せてたら、あの世にいる司馬懿や司馬師の元に一直線だったし、雍州は蜀の手に渡っていた。

感想、ありがとうございます。

演義の逸話として語られている限りでは、人として有り得ないくらいの大きさの肝の大きさだったとか。
正史では真逆だったらしいですが、どちらにしても死体は切り刻まれていたみたいです。
可哀想な姜維。

本作では王含と蒋斌と廖化でしたが、確かに待ち伏せに夏侯覇が参加していたら大問題だったでしょう。
とは言え、演義で司馬望と戦っているにも関わらず、鄧艾に対する伏兵に廖化と張翼を出しているので、まあまあブッ飛んでます。
[良い点]
上手い一手!

敵同士とはいえ同じ武将、降伏を計略と疑いつつも自分が同じ立場に置かれていたらと思うと…。こういう切り出し方だと呉も考えてしまいますよね。

感想、ありがとうございます。

ほとんどの三国志作品の中で触れられる事の無い戦いなのですが、この時の張特の奇策が無ければ、確実に魏の対呉戦線は崩壊していました。
まさに起死回生の一手と言えます。

が、この戦がほぼ知られていない為、三国志関連の作品で張特を見る機会はほとんどありません。

仕方が無いとはいえ、可哀そうな人です。
こんなに頑張ってるのに。
[良い点]
ひぇ〜っな展開です。
いったいどんな仕返し(?)が待っているやら。

楽しく読ませていただいています!
感想、ありがとうございます。

五丈原で終わる事の多い三国志ですが、司馬懿は晩年にこそ真骨頂とも言える様な活躍ぶりです。

凄くわかりやすく敵役にされる事の多い人ですが、それもこれも優秀さのなせるワザですね。

楽しんでいただけて、何よりです!
[一言]
更新お疲れ様です。
やはり、あの八陣は少ない兵力を補う陣型。
大軍だと指揮能力の限界により運営しづらいのではないかと思う。
遊兵を作ってしまい、隙を作ってしまう。
諸葛亮が魏に攻めた際、兵力は魏の三分の一くらい。
大軍は確かに有利ではあるが、指揮官の能力次第で生かせないとなると、少ない兵力を効率よく動かすしかないと考えたのではないかと思う。
だから、魏延の献策を嫌ったのかもしれない。

日本でも軍神、上杉謙信が八千くらいの兵力が運営しやすい。
それ以上は運営しづらいと言ってたいたくらいだし。



感想、ありがとうございます。

ご指摘の通りです。
めっちゃ言い訳になりますが、本編で言いたかったのは、八陣図と言う物凄い陣でも、暴力的な数の差は埋められないので、敵の大軍に対しては最低限支えられるくらいの数が必要になる、と言いたかったんです。
兵の数が多ければ多いほど、八陣図も超絶強化とかそう言う事では無かったのですが、これは私の書き方が拙過ぎました。

反省して勉強し直します。
[一言]
更新お疲れ様です。
諸葛亮の八陣。
これは周の太公望呂尚が考案し、諸葛亮が改良を加えた陣形。
その実態は現代に至るまで不明。
ただ、言えるのは容易な攻めでは術中に嵌り、虜囚かあの世に逝くことは必至だということ。
姜維はその真髄を諸葛亮から学んでいたからこそ再現できたと言っていい。
かえすがえすも姜維を助ける内政、軍事に人材がいればと思わざるを得ない


感想、ありがとうございます。

八陣図それ自体は司馬懿も知っていた様なところがあり、多少の改良版を鄧艾に教える事も出来たと予想して本編で語っているのですが、孔明先生のは同じ名前の違うモノにまで発展していたみたいです。

十絶陣クラスの宝貝(ぱおぺえ)ですね。

ただ、あとがきでも書いた通り、これほど複雑怪奇な陣形の変化をどうやって伝えて兵を動かしていたのかが不思議でなりません。

何かしらコツがあったのでしょう。
[一言]
更新お疲れ様です。
王含は蜀滅亡時、楽城に立て篭り、僅かな兵で足止めし、成都が降伏するまで頑として降伏せず、魏を苦しめた無名だが、名将と言っていい。
蜀滅亡時、最後まで魏に抵抗したのが、剣閣の姜維、張翼、廖化、董蕨。漢城の蒋斌、楽城の王含、黄金の柳隠。
蒋斌、王含、柳隠はかなり少ない兵で足止め。
魏の侵攻を食い止めたが、成都が降伏したため、降伏せざるを得なかった。
羅憲は永安、霍代は雲南を守備。
姜維、張翼、蒋斌は蜀滅亡後の謀反で亡くなり、王含は不明。
廖化と董蕨は洛陽に向かう途中で病死。
柳隠は蜀の残った人材を司馬昭に推薦し、自身は老齢のため、隠居。
羅憲は永安で呉の侵攻を食い止め、霍代は雲南から広州を呉に侵攻。
優秀な武将はいたが、内政に人材を見出せなかったのが、蜀の滅亡の理由の一つ。




感想、ありがとうございます。

前回の傅僉もそうですが、軍部に優秀な人物が多かったと言うより、軍部に優秀な人物を集めすぎて内務が疎かになった事が蜀の滅亡を早めた事は疑いない事だと思います。

でもコレは姜維だけが悪い訳ではなく、後継者を育てきれていなかった側にも問題があったでしょう。

軍部は優秀なのに政治面がダメというのは銀河英雄伝説の自由惑星同盟みたいな感じですが、国が滅ぶ時と言うのはそう言うものなのでしょう。

ちなみにWikipediaを見る限りでは晋時代にも王含と言う武将がいたみたいですが、演義での王含とは同姓同名の別人のようですね。
[一言]
更新お疲れ様です。
傅僉ですか。
父は夷陵で戦死した傅彤。
蜀の滅亡時、魏の侵攻を食い止めようとしたが、相方の蒋琬の息子の蒋斌の裏切りにあい、戦死。
組ませた相手が悪かった。
ただ、父同様、蜀に殉じた猛将だったな



感想、ありがとうございます。

この物語の傅僉は史実より大幅に若いので、
たぶん二代目傅僉なんだと思います。

五丈原以降の三国志が極端に語られていないので、まったく無名ですが
その実力は折り紙つきとも言える人物でしょう。

まぁ、組ませた相手も悪かったし戦った相手も鍾会なので、この時代では
最強クラスの敵だった事も運が悪かったと言えるでしょう。

結末上仕方がないとは言え、蜀末期の人達って報われないです。
[一言]
更新お疲れ様です。
曹髦が曹叡の後継者だったら、その器量により曹爽の専横や司馬一族の簒奪を許すことはなかったかもしれない。
かえすがえすも溜息を吐かざるを得ない。
だからこそ、司馬昭にとり、コントロールできないと判断して始末しようと考えたのだろう。





感想、ありがとうございます。

私も曹髦が曹叡の後継者だったら、それ以降の展開は大きく変わったと思います。
と言っても、曹髦が十年ほど早く生まれている事が前提です。
曹操に例えられる曹髦ですが、タイプ的には孫策が近いと思いますが、覇王の気質は確かに持っていた人物だと思います。

司馬師、司馬昭は簒奪を目論んでいたみたいですが、司馬昭が最終的に凶行に走ったのも、自身のコントロールから外れるのではと言う恐怖から、と言うのも見て取れます。

姜維や文鴦と共に、曹髦もまた、生まれた時代が悪かったとしか言えません。
[一言]
更新お疲れ様です。
諸葛誕の乱の帰趨が見えました。
文鴦が魏に戻りますが、先の感想にも述べた。
最後はいいことにはならなかった。

諸葛誕は打って出るしかなく、最後は胡奮に斬られた。
ただ諸葛誕が召し抱えた食客100人全員が降伏することなく、殉死するという結果に。

諸葛一族は魏、呉、蜀に分かれてそれぞれの国に尽くしたと言っていい。
蜀は龍(諸葛亮)を得、呉は虎(諸葛瑾、諸葛恪)を得、魏は狗(諸葛誕)を得たと言ったが、どれも言うことなく優秀な人材だった。

唐呰、この人物も何気に素晴らしい経歴の持ち主。
曹丕の時代に反乱の首謀者に祭り上げられ、海に飛び込んで、泳いで呉に、長らく呉に仕えてたが、諸葛誕の乱で捕虜に。
魏に戻り、蜀の討伐軍に参加してその後は不明と。
呉では文欽より扱いやすかったようだ。
司馬昭の人望上昇の道具になった感じが否めないが


感想、ありがとうございます。

文鴦はもうちょっと書いていたかった武将の一人ですね。
ただの脳筋でなく、確かな戦略眼と人物眼を持った人物で、三国志初期の人外共と比べても劣るところのない猛将なのに、活躍の場が与えられなかった人。
ちなみにこの時十代から二十代後半。
鍾会よりさらに若い異才でした。

この戦はとにかく鍾会がキレッキレだったので万全の諸葛誕でも勝てなかったでしょうけど、さすがにここまで酷い自滅はちょっと可哀想なほど。
忠勇に優れた人物と評された人だったのに。

唐咨については、また次回。
それでこの戦いも集結します。

たぶん。
そろそろ主人公も出したいし。
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