感想一覧

▽感想を書く
感想絞り込み
全て表示
<< Back 1 2 3 4 5 6 7 8 9 Next >> 
[一言]
更新お疲れ様です。
郭淮の最期が近づいてきている。
病気ですか、それとも姜維の一撃ですか?
司馬師も参戦してたが、諸葛亮の発明品、連弩が炸裂してかなりの被害を被ったんだか。
司馬懿もそろそろお迎えの時間かな


感想ありがとうございます。

郭淮はもうちょっと頑張る予定です。

で、悪の帝王として目覚めた姜維から「ぴっ」と爆殺されて、鄧艾が
「郭淮の事かぁー!」
とブチギレて金髪になってスーパー鄧艾に覚醒する予定でした。

でもそうするとスーパー鄧艾伝Zとかになりそうなので止めておきます。

司馬懿の最期が第一章終了ですので、もう少しです。

[一言]
更新お疲れ様です。
費禕は姜維に諸葛亮のように大軍を与えなかった。
北伐の兵はかなり少なかった。
さすがに冒険をさせる訳にはいかなかった。

費禕が暗殺されてから大軍を率いたようだ。
鄧艾や陳泰、王経、司馬望に阻まれ、なかなか上手くいかなかった。
やはり、失敗の中、戦死する将も多かった。
夏侯覇や張嶷、趙広など。
生き残ったのは張翼、廖化、董蕨。
やはり、人材不足は否めなかった。

郭淮は若い頃、夏侯淵の参謀を務めていたから、意外と夏侯淵から姪のことを聞かされていたかもしれない。
だが、鄧艾など、魏の若い武将たちから見たら、何故、夏侯覇が蜀に受け入れられたのか、知らないものも多かったと思う。

感想、ありがとうございます。

費禕は姜維に大軍を与えなかったのは事実ですが、この二人の関係が悪かったかと言うとそんな事は無く、費禕は誰よりも姜維の事を高く評価していた様です。
が、やはり『孔明先生でも成し得なかった事』と言う事実が、費禕ほどの人物でも二の足を踏ませたのでしょう。

あるいは、何かしら秘めた戦略があったのかもしれません。

夏侯覇の蜀への亡命は、魏からするととても考えられなかった事でしょう。
おそらく夏侯覇自身すらギリギリまでその可能性を頭に浮かべていなかったと、私は勝手に想像しています。
それこそ何者かによる手引きでも無い限り、成し得なかったのではないかと妄想したので、本編でこんな感じになってます。
[一言]
更新お疲れ様です。
諸葛亮亡き後は司馬懿の独壇場。
公孫淵、曹爽など手に負えない化け物と言っていい。

夏侯覇がついに謀叛。
しかし、相手が悪い。
郭淮、陳泰相手では苦しい。
夏侯覇は伝手を辿って蜀へ。
張飛の行動が思わぬ副産物を産んだ結果だ。
郭淮はなんと言っても、孔明のやられ役とは言え、蜀の侵攻を抑えている。
陳泰は鄧艾、王経、司馬望らと共に姜維を抑えている。
姜維の侵攻を抑えた個性的なメンバーの中で常識人、教養人だった。
もう少し強く、賈充を始末するように司馬昭に迫るべきだったと思うことがある。

感想、ありがとうございます。

司馬懿を相手に出来たのは敵では諸葛亮のみ、味方であっても曹操くらいしか互角にやり合えなかったでしょう。

夏侯覇が蜀に亡命出来たのは、張飛の人さらいの結果と考えると
本当に何がどうつながっていくのか分からないものです。
活躍はもう少し後になりますが、これからの重要人物でもあります。

陳泰は両親を考えると、どこからその武才が出てきたのか不思議なくらいです。
鄧艾どころか、魏では皇族以外相手にならないくらいの名門の生まれなのに、
下賤の生まれの鄧艾を尊敬していたと言う人格者でもあります。

こちらも今後活躍する、魏末期の名将です。
[一言]
更新お疲れ様です。
司馬懿の最後の舞台に、千両役者ぶりを発揮しました。
狼顧の相と言われただけあって油断ならぬ存在になりました。
ますます、孔明亡き後、太刀打ちできる人間はいなくなりました。
陸遜も憤死、孫権も認知。
同年代の敵味方が次々とあの世に旅立ち、司馬懿の周りも寂しくなった感じはありますが、三国志後半の主人公と言っていいでしょう。

感想、ありがとうございます。

色々と調べて書いているうちに分かった事が、
司馬懿と諸葛亮の凄まじさです。

正直なところ、孔明先生は演義でのスーパーヒーロー感は好きじゃ無かったし
司馬懿にしても、あからさまな敵役噛ませ感満載で
あまりぐっとくるところはありませんでした。

が、それは私が浅ーいところしか見ていなかっただけで
この人たち、ホントにシャレにならない凄さを持った人達でした。

五丈原以降の三国志があまり人気じゃないのも、
ここまでずば抜けた人達の活躍の後と言う事で、
それ以降の人達が霞んでしまうからでしょう。
[一言]
更新お疲れ様です。
司馬懿が曹叡即位してすぐに、西涼の守備に就こうとした理由の一つには諸葛亮の侵攻を防ぐのと、姜維の存在を知って、登用を企図してのではないかと思う。
もしそうなってたら、蜀の滅亡はもっと速かったはずだ。
司馬懿が総司令官で配下に張郃、姜維に夏侯覇、郭淮、孫礼。
悪夢としかいいようがない。

ただ、姜維にとっては、魏ではあれだけの人材の豊富さのため、上に上がれないし、諸葛亮の存在が魅力的だったのは確か。

司馬懿の兄弟は司馬朗をはじめ、優秀な人材が多い。
字を見ても達の字がついているし、八達と呼ばれていた。
ただ彼らの子弟には司馬望もいて、性格はけち臭いが、姜維と渡り合ってる。
ただ、彼らの子孫が八王の乱を引き起こしてしまった

感想、ありがとうございます。

天水の麒麟児は、後の活躍の為に付けられた箔ではなく、当時から本当に有名だったみたいで、諸葛亮が北伐最大の成果、司馬懿が取り返しのつかない損失とまで言わしめた人物です。
確かに司馬懿ほどの人物がいち早く西涼に行こうとしたのは、その意図があったと見るべきでしょう。

そうなると、郝昭も過労死せずに済んだでしょうし、北伐の壁は尋常じゃなく厚く高いものだったはず。
西の守りがそこまで堅かったら、下手すると蜀より先に呉が滅んでいたかもしれません。

八王の乱はそれぞれが優秀だったからこそ起きた、とも言えなくもないのですが、司馬炎がちょっとやり過ぎちゃったんですよね。
それぞれが劉禅くらいなら丸く収まったかもしれないのに。
[一言]
更新お疲れ様です。
司馬懿による曹爽粛正も近い。
それにより、夏侯覇、郭淮も翻弄される。
夏侯覇は謀反を起こし、蜀に亡命。
伝手を頼って、最後は狄道で戦死
郭淮は正史では病死したが、演義では姜維の北伐で、姜維に矢を射かけたが、矢を掴み、射返されて射殺された。

魏から呉、呉から魏、魏から蜀に移籍、亡命する武将が増加していく傾向が顕著になり、混乱状態。
例を挙げるとキリがない




感想、ありがとうございます。

第一章も後半戦に入り、登場人物の入れ替え時が来ました。
もう少しで司馬懿ともお別れ。
書いていて楽しいキャラだったので、残念です。

郭淮の演義での死因ですが、これは姜維がおかしいでしょう。
某アーケードゲームでの郭淮は弓兵なのですが、その弓を無効化して打ち返すみたいな事をやってのけているワケですし。
でも、そのゲームだと杜預は騎馬兵。しかもかなり強め。
馬に乗れないのに。
[一言]
更新お疲れ様です。
司馬懿が認知になってたら、晋の天下統一は遅れているか、なかったはず。
狼顧の相と呼ばしめ、あの乱世の奸雄、曹操が、只者ならず、一家臣で終わる人間ではない、と、重く用いる危険視したくらい。

曹爽が油断なく、警戒し、粛正していれば、魏が乗っ取られることはなかっただろう。
感想、ありがとうございます。

歴史のifこそ、歴史モノの醍醐味でしょう。
もし司馬懿が粛清されていた場合、司馬家の魏乗っ取りは無かったでしょう。
ただ、そうなると外戚である杜預や羊祜なども影響を受けるでしょうし、司馬師から重用されて出世した鄧艾なども要職には無かったかも知れません。

そうなると姜維を止めるのは、夏侯覇や諸葛誕が当たる事になるでしょう。

また、中央は曹爽の他、桓範や李勝、夏侯玄が仕切る事になるのですが、そうなると女狂いになった曹芳をどうするのか、とか。

もっとも問題は鍾会を止められるのか、など。

魏の反映の未来がいまいち見えてこない気がします。
[一言]
更新お疲れ様です。
劉備はあまりに人材の確保が出来てないというか、関羽や張飛に遠慮し過ぎてるような感じが。
陳羣、田予、徐庶、陳珪、陳登と劉備から曹操に仕えてる。
田予や徐庶は仕方ない面もあるが、陳羣を逃したのが痛い、後になって響いている。
陳羣の考えた人材登用が魏を強国たらしめた要因になってしまった。
感想、ありがとうございます。

劉備軍は、言ってみればヤンキー校でてっぺん獲ったる系の人達が多かったので、それ系の人は歓迎されたみたいですが、文官や軍師と言うのは進学校のエリートみたいなものとして毛嫌いしていた傾向は極めて強かったと思います。

糜竺や孫乾などはヤンキー校にいる要領と成績の良いタイプだったのに対し、徐庶や孔明などはザ・エリート志向なのでもめまくってました。

陳登や陳羣などは、孔明みたいにヤンキー更生させて天下獲ったる! とまでは思えなかったのでしょう。

その点曹操は新規参入の進学校だったので、能力に自信のある面々は集まってきたみたいです。
そんな進学校な曹操だったからこそ、ただのヤンキーの張飛ではなく、成績優秀で真面目な不良とも言うべき関羽を欲しがったのかも知れません。
[一言]
追伸
王平に関してですが、文盲だったが、弁舌の才は淀みなく、見事なもので、もし、文盲でなかったらどれほどの名将になっていたかわからない。

姜維ばかりに北伐をさせるのではなく、配置転換を図るのも手だった。
霍峻の子の霍弋や羅憲、柳隠、諸葛瞻、傅僉、蒋序など結構、そこそこ優秀な人材はいたはずなんだが

書き終わってから、後書きピックアップは廖化じゃなくて王平だったなと
反省してました。

王平は数百人いる三国志武将の中でもっとも「なろう」向けの武将だと思ってます。
異世界召喚、あるいは転生のテンプレである
「言葉は通じるけど文字の壁はある」
が公式設定武将ですから。
そのハンデのせいで万年副将扱いなのも「なろう」向けではないでしょうか。
蜀勝利ルート最後のチャンスでもある街亭を守りきる可能性まで秘めてますので。

ただ、猜疑心の塊で性格に難があったようで
魏の五虎将軍であり名将の中の名将で人格者としても知られる徐晃を
本気で怒らせて殺されそうになったりもしています。

北伐に関しては姜維に任せたと言うより、本格的な北伐再開は姜維が丞相兼大将軍になってからなので、姜維がどうしても自分の手で亡き諸葛亮の期待に応えたかったのではないでしょうか。
その為、羅憲や傅僉は別の戦場に、諸葛瞻に至ってはもしもの事があってはと言う配慮から最前線には出せなかったと思われます。

悪く言えば姜維の独断専行が過ぎた、良く言うなら強すぎる責任感からの配慮だったのでしょう。
そこが姜維の評価を二分している所以だと思います。
[一言]
更新お疲れ様です。
孔明亡き後、魏の攻勢でしたが、北伐に同行した魏延を除くメンバーで、百戦錬磨の名将がまだ健在でした。
張嶷、張翼、王平、鄧芝、廖化、姜維、馬忠、董蕨。
最終的に蜀滅亡時まで生き伸びたのは姜維、張翼、廖化、董蕨。
張嶷は姜維の北伐時に戦死している。
鄧芝や馬忠は病死。
張翼は蜀滅亡後の混乱に巻き込まれて亡くなった。
蜀の興亡を見たのは廖化だけ。
廖化に関してはいろいろ記録がありすぎて、混乱する。

攻めより守りを固めて、中原が乱れた時に討って出る戦略を考えても良かったが、国力の差がありすぎて取れなかった。
座して死を待つより出でて活路を求めるしかなかった。

感想、ありがとうございます。

この時の蜀は経験豊富なベテランからしっかり育った中堅が健在で、
大将軍不在と言う危機を見事に脱したと言うべきでしょう。
逆に言えば、曹爽が蜀をナメ過ぎていたとも。

ちなみにこの時の鄧芝は七十過ぎ。最前線に出て軍部の中枢にいる事に
イヤミを言われていた時期だったにも関わらず、しっかり結果を出している
立派な老人です。

結果論として姜維や諸葛亮は蜀滅亡を早めた事は間違いないのですが、
北伐を繰り返さなかったとしても蜀が魏に勝つのはほぼ不可能だったでしょう。
ただ、姜維は孔明先生と比べて武に偏りすぎたのは問題でした。
孔明先生後の丞相達が姜維を警戒していた事が、その後現実になった訳ですね。
<< Back 1 2 3 4 5 6 7 8 9 Next >> 
↑ページトップへ