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[一言]
ワープロ打ちから違和感を覚えるほど創作から離れてしまいましたので、この「言葉の精錬」はとてもありがたいです。
一からですが、また色々と考えることが出来ると思うと幸せですね。
夏目漱石が自然主義文学者からの批判されていたなんて知りませんでした。あれほどの作家さんでも……と正直思います。
自分の考えることがちゃんと伝わっているか、他人がどう受け取っているのかはわかりませんね。
自分もまたその時どきで筆が変わったりしますし。
それから猫子さんが出てくるのが今から楽しみです♪
ワープロ打ちから違和感を覚えるほど創作から離れてしまいましたので、この「言葉の精錬」はとてもありがたいです。
一からですが、また色々と考えることが出来ると思うと幸せですね。
夏目漱石が自然主義文学者からの批判されていたなんて知りませんでした。あれほどの作家さんでも……と正直思います。
自分の考えることがちゃんと伝わっているか、他人がどう受け取っているのかはわかりませんね。
自分もまたその時どきで筆が変わったりしますし。
それから猫子さんが出てくるのが今から楽しみです♪
返信、遅くなり、すみません。メモ帳に書いていたんですが、投稿するのを忘れていました。
(「返信」が「変身」と変換されて、ちょっと笑いました。)
何の趣味でも同じなんですが、しばらく間が開くと、どうやってそれをやっていたのかの感覚が薄れている事に気が付くんですよね。
それで、もう一度、平気でやっていた時のようにやれるようになるか、心配になります。
でも、意外と、覚え込んだ感覚って深く、しっかりと刻み込まれているから、四苦八苦してやっているうちに、だんだん元に戻って来るんです。
私は、何度かそれを経験して、確信が持てたから、間が大きく開いて、感覚を失ったように思えても、それを取り戻すまでの行程を、どこかで楽しめるようになりました。
漱石を批判していた自然主義文学者たちは、リアリズムとリアルを天秤にかけて、リアルの方だけを取ろうとしたんですが、リアル=赤裸々な描写、という考えに固執したために、作品が露出趣味的な猥雑な内容になってしまう傾向が強く、その結果、漱石の作品ほどには、時の風化に耐える力を持てなかった、という感じです。
猫子さんは、私も早く出て来てほしいです。天の岩戸状態ですね。
何をやっているんだろう?
まさか、かんづめを食べているだけだったりして。^^
(「返信」が「変身」と変換されて、ちょっと笑いました。)
何の趣味でも同じなんですが、しばらく間が開くと、どうやってそれをやっていたのかの感覚が薄れている事に気が付くんですよね。
それで、もう一度、平気でやっていた時のようにやれるようになるか、心配になります。
でも、意外と、覚え込んだ感覚って深く、しっかりと刻み込まれているから、四苦八苦してやっているうちに、だんだん元に戻って来るんです。
私は、何度かそれを経験して、確信が持てたから、間が大きく開いて、感覚を失ったように思えても、それを取り戻すまでの行程を、どこかで楽しめるようになりました。
漱石を批判していた自然主義文学者たちは、リアリズムとリアルを天秤にかけて、リアルの方だけを取ろうとしたんですが、リアル=赤裸々な描写、という考えに固執したために、作品が露出趣味的な猥雑な内容になってしまう傾向が強く、その結果、漱石の作品ほどには、時の風化に耐える力を持てなかった、という感じです。
猫子さんは、私も早く出て来てほしいです。天の岩戸状態ですね。
何をやっているんだろう?
まさか、かんづめを食べているだけだったりして。^^
- Kobito
- 2019年 10月21日 18時12分
[良い点]
最新話、拝読しました。
>先日、様子を見に、尾曲町おまがりちょうのアパートに寄ってみたんですが(言い忘れていましたが、猫子さんは今では私の家での居候いそうろうをやめて、近所のアパート『ハイパー尾曲』の一室(285ニャーゴ号室)を借りて一匹暮らしです)、玄関の扉に『面会謝絶、かんづめ中』と貼り紙がしてあって、やっぱり、創作か何かに取り組んでいるみたいです。
もうこういうの最高に好きです‼︎ Kobitoさん、最高‼︎(^。^)
ところで、ピストンさんが「だましだましの毎日」のエッセイで、夏目漱石の『こころ』が良い、と書かれていましたので、今まさに読んでおりまして。Kobitoさんも高く評価されていると書いてあり、わーいと諸手を挙げて喜んでおります。半分まで読みました。完読したいと思います。
実は私、最近までまったく気づかなかったのですが、夏目漱石を一作品も読んでいなくて。愕然としてしまいました。まず手始めに「それから」を読んでみました。なかなか皆さんに追いつくこともできずにいますが。
リアルとリアリズムの違いについて、考察されたことをわかりやすく書いてあり、なるほどと思いました。こうして一つのことを掘り下げて考えていく。私には到底真似できませんので、Kobitoさんの色々なお考えを聞かせていただくのはとても有益でとても楽しいです。
これからも楽しみにしています。よろしくお願いします。(^。^)
最新話、拝読しました。
>先日、様子を見に、尾曲町おまがりちょうのアパートに寄ってみたんですが(言い忘れていましたが、猫子さんは今では私の家での居候いそうろうをやめて、近所のアパート『ハイパー尾曲』の一室(285ニャーゴ号室)を借りて一匹暮らしです)、玄関の扉に『面会謝絶、かんづめ中』と貼り紙がしてあって、やっぱり、創作か何かに取り組んでいるみたいです。
もうこういうの最高に好きです‼︎ Kobitoさん、最高‼︎(^。^)
ところで、ピストンさんが「だましだましの毎日」のエッセイで、夏目漱石の『こころ』が良い、と書かれていましたので、今まさに読んでおりまして。Kobitoさんも高く評価されていると書いてあり、わーいと諸手を挙げて喜んでおります。半分まで読みました。完読したいと思います。
実は私、最近までまったく気づかなかったのですが、夏目漱石を一作品も読んでいなくて。愕然としてしまいました。まず手始めに「それから」を読んでみました。なかなか皆さんに追いつくこともできずにいますが。
リアルとリアリズムの違いについて、考察されたことをわかりやすく書いてあり、なるほどと思いました。こうして一つのことを掘り下げて考えていく。私には到底真似できませんので、Kobitoさんの色々なお考えを聞かせていただくのはとても有益でとても楽しいです。
これからも楽しみにしています。よろしくお願いします。(^。^)
猫子さんのプロフィールが、意外と薄いな、と思ったので、こんな暮らしをしていますよ~と、知らせてみました。
想像力がふくらむでしょう?
ハイパー尾曲は、自分でも笑いました。^^
おお~、漱石作品をこれまで読んで来なかったという事は、これから読む楽しみが待っている、という事ですね。
ピストンさんは、『こころ』について書いているんですね。エッセイは全部読んでいるはずだけど、どの回に書いていたか忘れてしまいました。^^;
ほんと、忘れっぽいです。
『こころ』と『それから』は、双璧ですね。
現代の、学歴がありながら社会に出て働けない人たちの心理を先取りして描いたという点でも、時代を越えたテーマ性があると思います。
リアルとリアリズムは、まずこの二つのテーマを決めて、意味の違いは何だろうと考えながら書いているうちに、話がふくらんで行った、という感じです。いつも、そんな風に、行き当たりばったりで書いて、自分でなるほどと理解して行く書き方です。
三千さんも、あれだけ多様な人物描写ができるから、その裏付けとなる思考の深みがあると思います。だから、こういう考察を楽しめるのではないかな。
こちらこそ、また気になったテーマがあれば、読んでみてくださいね。
想像力がふくらむでしょう?
ハイパー尾曲は、自分でも笑いました。^^
おお~、漱石作品をこれまで読んで来なかったという事は、これから読む楽しみが待っている、という事ですね。
ピストンさんは、『こころ』について書いているんですね。エッセイは全部読んでいるはずだけど、どの回に書いていたか忘れてしまいました。^^;
ほんと、忘れっぽいです。
『こころ』と『それから』は、双璧ですね。
現代の、学歴がありながら社会に出て働けない人たちの心理を先取りして描いたという点でも、時代を越えたテーマ性があると思います。
リアルとリアリズムは、まずこの二つのテーマを決めて、意味の違いは何だろうと考えながら書いているうちに、話がふくらんで行った、という感じです。いつも、そんな風に、行き当たりばったりで書いて、自分でなるほどと理解して行く書き方です。
三千さんも、あれだけ多様な人物描写ができるから、その裏付けとなる思考の深みがあると思います。だから、こういう考察を楽しめるのではないかな。
こちらこそ、また気になったテーマがあれば、読んでみてくださいね。
- Kobito
- 2019年 10月17日 18時30分
[一言]
はじめまして。読みやすい文章と読みにくい文章のお話を読みました。『一概に、『読みやすい文章』と『読みにくい文章』のどちらがいいか、という事は言えません。』というのは中立的かつその説明に納得のいくものがあって感動いたしました。
私個人としては宮沢賢治の文章は「、」のないオリジナルの文章が読みやすかったです。それは文章のうつくしさを存分に味わうことができるからかな? その快感が読みやすさを思わせているのかな? と考察した所存です。
とにかく、この回とてもよかったです。ありがとうございます。
はじめまして。読みやすい文章と読みにくい文章のお話を読みました。『一概に、『読みやすい文章』と『読みにくい文章』のどちらがいいか、という事は言えません。』というのは中立的かつその説明に納得のいくものがあって感動いたしました。
私個人としては宮沢賢治の文章は「、」のないオリジナルの文章が読みやすかったです。それは文章のうつくしさを存分に味わうことができるからかな? その快感が読みやすさを思わせているのかな? と考察した所存です。
とにかく、この回とてもよかったです。ありがとうございます。
- 投稿者: 退会済み
- 2019年 09月25日 04時21分
管理
おきらくさん、はじめまして。Kobitoと申します。
私の論考に共感して頂けたとの事で、とても嬉しいです。
文章には、読み手の読む力に合わせて、色々な書き方があるものですよね。
つまり、読む力を高める事で、楽しめるようになる文章もある、ということで、宮沢賢治の作品などは、さしずめこの部類に入るだろうと思います。
おきらくさんは、宮沢賢治の「、」のないオリジナルの文章が読みやすかった、との事なので、文章が織りなすリズムや流れの妙を、楽しめている、つまり、それだけの読む力が備わっている、という事ですね。
それから、力のある書き手の文章には、その人独特の個性が出ていて、それも鑑賞のポイントになります。
例えば、宮沢賢治の作品の内、『シグナルとシグナレス』という童話は、賢治の存命中に岩手毎日新聞に掲載されたんですが、その際に、編集者の手で「、」が随所に入れられており、賢治の童話を読み慣れた(賢治の文章のリズムや流れに慣れた)人が読むと、「賢治にしては硬い文章だな」という違和感となって感じられます。
つまり、「、」をどこに打つのかさえ、その人の人柄や作風を表わすのに関係している、という事になり、おろそかにできない、という事になるわけです。
「読書する」というのは、読み手がそれぞれの能力で挑戦する、難易度の違う遊びであり、各自が自分に合った難易度の作品に挑戦する事で満足感を感じる、という面もある、というのが、私の考えです。
そこに、作風の好き嫌いなども絡まって、愛読書が決まって行くのでしょうね。
私の論考に共感して頂けたとの事で、とても嬉しいです。
文章には、読み手の読む力に合わせて、色々な書き方があるものですよね。
つまり、読む力を高める事で、楽しめるようになる文章もある、ということで、宮沢賢治の作品などは、さしずめこの部類に入るだろうと思います。
おきらくさんは、宮沢賢治の「、」のないオリジナルの文章が読みやすかった、との事なので、文章が織りなすリズムや流れの妙を、楽しめている、つまり、それだけの読む力が備わっている、という事ですね。
それから、力のある書き手の文章には、その人独特の個性が出ていて、それも鑑賞のポイントになります。
例えば、宮沢賢治の作品の内、『シグナルとシグナレス』という童話は、賢治の存命中に岩手毎日新聞に掲載されたんですが、その際に、編集者の手で「、」が随所に入れられており、賢治の童話を読み慣れた(賢治の文章のリズムや流れに慣れた)人が読むと、「賢治にしては硬い文章だな」という違和感となって感じられます。
つまり、「、」をどこに打つのかさえ、その人の人柄や作風を表わすのに関係している、という事になり、おろそかにできない、という事になるわけです。
「読書する」というのは、読み手がそれぞれの能力で挑戦する、難易度の違う遊びであり、各自が自分に合った難易度の作品に挑戦する事で満足感を感じる、という面もある、というのが、私の考えです。
そこに、作風の好き嫌いなども絡まって、愛読書が決まって行くのでしょうね。
- Kobito
- 2019年 09月25日 17時01分
[一言]
お久しぶりです。
65回と67回へのコメントです。(書きたいとこだけですみません^^;)
私小説の他に、自伝的小説みたいなものもありますね。出来事や人物はフィクションだけど、作者の人生を表しているようなものとか。
最近、二年前に投稿した『湖』に感想をいただいたのですが、いい機会だったので過去にもらった感想と私の返信を読み返してみたところ、最後に出てきた水たまりに映るビルが私のじっさいに見た光景をそのまま書き込んだだけだったというのがわかりました。
拙作では、最初の頃に投稿したもののほうが、最近のよりも実体験からの引用(?)みたいなものがうまく扱えていたような気がしています。いまだに処女作がいちばん好きかも(笑)
感想やブクマ、評価ポイントの話ですが、
過去の投稿作品になかなかコメントやポイントが来ないというのは切実です。いや、ほんとはアクセスだけでも来ればいいのですけど、コメントがいちばん読まれてると確認しやすいですからね。
ただ、いわゆる書き専門みたいな人もいるので、じゃあそういう交流をしない人は、人のを読んでないから気軽に「感想くれ」といえないのかというと、それも酷だなとは思います。
ブクマと評価のつけかたが、私とは逆でちょっとした驚きでした。
私は、評価ポイントは、「これは入れてもいい」と思う自分の気持ちを第一に考えています。基準自体は緩いので、大抵4〜5ポイントなのですが。(たまに評価一覧を見ると、1ページのうちほとんどの作品に 5ポイントが並ぶなかでたまに登場する4ポイントに、なんだか申し訳なくなります^^;)
ブックマークは、私は評価まではいかないけど応援したい、なにか心に引っかかるものがあった、という場合につけています。栞が第一目的の機能なので、「評価」なんて意味を考えずに気楽につけられる気がするので、評価に悩んだ場合はとりあえずブクマです。なんなら非公開にもできますし。
ただ、そのうちブクマ欄が埋まりそう…… ^^;
Kobitoさんのように、最初からすべて 5:5 と決めていたら、小難しく考える必要もなかったのですけど。
お久しぶりです。
65回と67回へのコメントです。(書きたいとこだけですみません^^;)
私小説の他に、自伝的小説みたいなものもありますね。出来事や人物はフィクションだけど、作者の人生を表しているようなものとか。
最近、二年前に投稿した『湖』に感想をいただいたのですが、いい機会だったので過去にもらった感想と私の返信を読み返してみたところ、最後に出てきた水たまりに映るビルが私のじっさいに見た光景をそのまま書き込んだだけだったというのがわかりました。
拙作では、最初の頃に投稿したもののほうが、最近のよりも実体験からの引用(?)みたいなものがうまく扱えていたような気がしています。いまだに処女作がいちばん好きかも(笑)
感想やブクマ、評価ポイントの話ですが、
過去の投稿作品になかなかコメントやポイントが来ないというのは切実です。いや、ほんとはアクセスだけでも来ればいいのですけど、コメントがいちばん読まれてると確認しやすいですからね。
ただ、いわゆる書き専門みたいな人もいるので、じゃあそういう交流をしない人は、人のを読んでないから気軽に「感想くれ」といえないのかというと、それも酷だなとは思います。
ブクマと評価のつけかたが、私とは逆でちょっとした驚きでした。
私は、評価ポイントは、「これは入れてもいい」と思う自分の気持ちを第一に考えています。基準自体は緩いので、大抵4〜5ポイントなのですが。(たまに評価一覧を見ると、1ページのうちほとんどの作品に 5ポイントが並ぶなかでたまに登場する4ポイントに、なんだか申し訳なくなります^^;)
ブックマークは、私は評価まではいかないけど応援したい、なにか心に引っかかるものがあった、という場合につけています。栞が第一目的の機能なので、「評価」なんて意味を考えずに気楽につけられる気がするので、評価に悩んだ場合はとりあえずブクマです。なんなら非公開にもできますし。
ただ、そのうちブクマ欄が埋まりそう…… ^^;
Kobitoさんのように、最初からすべて 5:5 と決めていたら、小難しく考える必要もなかったのですけど。
久しぶりですね。
自伝的小説というのは、太宰治の人間失格みたいなのですかね。
私小説の定義は、ウィキによると、「客観描写ではなく、対象を見た著者の内面を描く事を主眼とした。」とあります。
つまり、客観視点だけでは駄目で、視点そのものが内面の描写になっていないといけない、という事です。
だから、その方向性に合致すれば、幻想小説的な私小説もあり得る、と思っています。
あんまり、定義定義と、お題目にこだわるのも、頭でっかちでつまらないから、あくまでも議論遊びのたたき台として用いるくらいが良いですね。
感想を求める人が「書き専門」と名乗るのは、私に言わせると、逃げですね。
対人不安や多忙などやむを得ない事情があって自分から感想を書けないとかなら仕方がないですが、面倒くさいとかアマチュアの他者作品なんて読みたくないとか誰とも交流したくないという理由なら、自分に対する感想だけを求めるのは横着というもの、ではないでしょうか?
感想を求めない「書き専門」なら、文字通りで良いんですけどね。
カラオケで他人の歌は聴く気がないけど、自分の歌は聴いてほしいという人に似ています。
たいていの事例で、思いやりの問題の部分が大きいでしょう。
檸檬さんだって、感想やポイントはもらえると嬉しいだろうし、欲しいでしょう。
でも、入れてもらえた感想やポイントは、プロレベルの評価によるものってあまりなくて、大抵は、思いやりとか親睦の気持ちなんですね。
だから、少なくとも入れてくれた人は大事にしないといけません。
「これは入れても良い」という基準の下に、「読んだ対価の分」を用意しとくと良い、という事です。
そうしないと、無反応な場合がけっこう出て来るでしょう。
たいていの人が、対価の事を計算に入れていないから、無反応で済ませてしまうんだろうと思います。
3-3の評価なら、そこまで相手に悪いと思わなくて良いんじゃないですかね。
本当は、評価ポイントではなくて、対価ポイントであれば気が楽なんですよね。投げ銭システムみたいに。
作品の技術点という名目になっているから、とまどう人が多いんです。
アマチュア作品なんだから、厳密に言えば、5-5なんて滅多にないですよ。
でも、応援なら、5-5が気持ちいいでしょう。
ただし、疎遠になったり、人柄に共感できなくなったりして、応援する気が無くなったら、評価を取り消しするようにはしています。
自伝的小説というのは、太宰治の人間失格みたいなのですかね。
私小説の定義は、ウィキによると、「客観描写ではなく、対象を見た著者の内面を描く事を主眼とした。」とあります。
つまり、客観視点だけでは駄目で、視点そのものが内面の描写になっていないといけない、という事です。
だから、その方向性に合致すれば、幻想小説的な私小説もあり得る、と思っています。
あんまり、定義定義と、お題目にこだわるのも、頭でっかちでつまらないから、あくまでも議論遊びのたたき台として用いるくらいが良いですね。
感想を求める人が「書き専門」と名乗るのは、私に言わせると、逃げですね。
対人不安や多忙などやむを得ない事情があって自分から感想を書けないとかなら仕方がないですが、面倒くさいとかアマチュアの他者作品なんて読みたくないとか誰とも交流したくないという理由なら、自分に対する感想だけを求めるのは横着というもの、ではないでしょうか?
感想を求めない「書き専門」なら、文字通りで良いんですけどね。
カラオケで他人の歌は聴く気がないけど、自分の歌は聴いてほしいという人に似ています。
たいていの事例で、思いやりの問題の部分が大きいでしょう。
檸檬さんだって、感想やポイントはもらえると嬉しいだろうし、欲しいでしょう。
でも、入れてもらえた感想やポイントは、プロレベルの評価によるものってあまりなくて、大抵は、思いやりとか親睦の気持ちなんですね。
だから、少なくとも入れてくれた人は大事にしないといけません。
「これは入れても良い」という基準の下に、「読んだ対価の分」を用意しとくと良い、という事です。
そうしないと、無反応な場合がけっこう出て来るでしょう。
たいていの人が、対価の事を計算に入れていないから、無反応で済ませてしまうんだろうと思います。
3-3の評価なら、そこまで相手に悪いと思わなくて良いんじゃないですかね。
本当は、評価ポイントではなくて、対価ポイントであれば気が楽なんですよね。投げ銭システムみたいに。
作品の技術点という名目になっているから、とまどう人が多いんです。
アマチュア作品なんだから、厳密に言えば、5-5なんて滅多にないですよ。
でも、応援なら、5-5が気持ちいいでしょう。
ただし、疎遠になったり、人柄に共感できなくなったりして、応援する気が無くなったら、評価を取り消しするようにはしています。
- Kobito
- 2019年 08月31日 00時16分
[一言]
第八話と第九話。
目次を見て気になるところを、失礼ながらざっと読ませていただきました。
特に、第九話。詩について。
詩集を求めて大型書店に行くことが何度か過去にありましたが、おっしゃる通り、少ないと感じます。
えー、これだけ? と(笑)
棚にあるものは、よく見かける作家さんばかりで、それも私が興味をひかれにくい現代詩。もっと興味を持てればと思うのですが、比喩表現、人の感情や日常ではなく、自然を表現していてさらに心に訴えてくるもの、目に見えない幻想的なものが好きな私としては、たびたび書店で残念な気持ちになります。
サイトに投稿されている詩では、根気強く探していれば見つかります。多くはなくても、あるだけでも嬉しく思います。
それでも、できれば書店に並べてほしい。詩集コーナー、ほしいです。探しやすいというのもありますし。
書店では、店頭でもネットから取り寄せ、取り置きなどができますが、ほしいと思う詩集に限って在庫がなかったり、取扱いがされていないという残念な結果が多い……。現代の作家さんのものではなく、昭和初期、明治、大正あたりが。
まあ、これは現代を見る限り、なくても不思議はないと理解はできます。残念感は拭えませんけれど(-"-)
と、作品を読んで思ったことを感想に入れさせていただきました。
また、第一話からじっくりと読んでいきます。
第八話と第九話。
目次を見て気になるところを、失礼ながらざっと読ませていただきました。
特に、第九話。詩について。
詩集を求めて大型書店に行くことが何度か過去にありましたが、おっしゃる通り、少ないと感じます。
えー、これだけ? と(笑)
棚にあるものは、よく見かける作家さんばかりで、それも私が興味をひかれにくい現代詩。もっと興味を持てればと思うのですが、比喩表現、人の感情や日常ではなく、自然を表現していてさらに心に訴えてくるもの、目に見えない幻想的なものが好きな私としては、たびたび書店で残念な気持ちになります。
サイトに投稿されている詩では、根気強く探していれば見つかります。多くはなくても、あるだけでも嬉しく思います。
それでも、できれば書店に並べてほしい。詩集コーナー、ほしいです。探しやすいというのもありますし。
書店では、店頭でもネットから取り寄せ、取り置きなどができますが、ほしいと思う詩集に限って在庫がなかったり、取扱いがされていないという残念な結果が多い……。現代の作家さんのものではなく、昭和初期、明治、大正あたりが。
まあ、これは現代を見る限り、なくても不思議はないと理解はできます。残念感は拭えませんけれど(-"-)
と、作品を読んで思ったことを感想に入れさせていただきました。
また、第一話からじっくりと読んでいきます。
- 投稿者: 退会済み
- 2019年 04月30日 12時54分
管理
読んで頂きありがとうございます。
書きたいことを気ままに書き綴っているコラムなので、お気軽に読んで頂ければ幸いです。
書店の詩集コーナーが充実した書店は、私も今までほとんど見たことがないですね。
デパートの中の大型書店で、棚全てを使って詩コーナーを設けているのを見た時は、頑張ってるなと感心しました。
現代詩は、分かりづらい比喩表現をいかに多用するかを競うようになって来ているので、ある意味、似たり寄ったりの自己満足の詩になっているきらいがありますね。
分かりやすくても、深みのある優れた詩にできる、という事を、現代詩の書き手は再確認する必要があると思います。
私が好きな八木重吉という詩人の晩年の詩や、種田山頭火の自由律俳句などは、そういう方向性の良い手本になります。
ネット上で、優れた無名の詩人を見かける事って、ありますよね。
逆に、著名な詩人の詩に、何の共感も良さも感じない、むしろ、あざとさや売れ線狙いの計算高さを感じてがっかりする、という事も、少なくありません。
ただ、そういう状況が分かる、という事は、幸いな事なんだろうと思います。良いも悪いも分からないよりは、見抜く事ができた方が、良いに決まっていますからね。そして、無名でもきちんと評価できる鑑賞者が、世の中にある程度の割合で存在するという事も、嬉しい事だと思っています。
昔の詩人、評価が定まった詩人の中にも、共感できる詩人もいれば、それほど感心しない詩人もいる、という風に、個人的な好みで興味の対象が絞られて来る、というのもありますね。
どの詩人の作風が好きかは、その詩人のいくつかの詩を読んでみないと分からないので、出会いの場の一つとして、書店の詩コーナーが充実してくれればいいのに、とは、よく思います。
図書館の詩コーナーも、それほど充実しているわけではないですからね。
見かける詩人の名前は、どうしても限られて来ます。
歴史に名を残すほどの詩人でなくとも、優れた詩を書く人たちの詩集が、千冊くらい揃った詩コーナーというのが、街に一つあると良いですよね。
優れた詩人は、探せばかなりいると思います。
書きたいことを気ままに書き綴っているコラムなので、お気軽に読んで頂ければ幸いです。
書店の詩集コーナーが充実した書店は、私も今までほとんど見たことがないですね。
デパートの中の大型書店で、棚全てを使って詩コーナーを設けているのを見た時は、頑張ってるなと感心しました。
現代詩は、分かりづらい比喩表現をいかに多用するかを競うようになって来ているので、ある意味、似たり寄ったりの自己満足の詩になっているきらいがありますね。
分かりやすくても、深みのある優れた詩にできる、という事を、現代詩の書き手は再確認する必要があると思います。
私が好きな八木重吉という詩人の晩年の詩や、種田山頭火の自由律俳句などは、そういう方向性の良い手本になります。
ネット上で、優れた無名の詩人を見かける事って、ありますよね。
逆に、著名な詩人の詩に、何の共感も良さも感じない、むしろ、あざとさや売れ線狙いの計算高さを感じてがっかりする、という事も、少なくありません。
ただ、そういう状況が分かる、という事は、幸いな事なんだろうと思います。良いも悪いも分からないよりは、見抜く事ができた方が、良いに決まっていますからね。そして、無名でもきちんと評価できる鑑賞者が、世の中にある程度の割合で存在するという事も、嬉しい事だと思っています。
昔の詩人、評価が定まった詩人の中にも、共感できる詩人もいれば、それほど感心しない詩人もいる、という風に、個人的な好みで興味の対象が絞られて来る、というのもありますね。
どの詩人の作風が好きかは、その詩人のいくつかの詩を読んでみないと分からないので、出会いの場の一つとして、書店の詩コーナーが充実してくれればいいのに、とは、よく思います。
図書館の詩コーナーも、それほど充実しているわけではないですからね。
見かける詩人の名前は、どうしても限られて来ます。
歴史に名を残すほどの詩人でなくとも、優れた詩を書く人たちの詩集が、千冊くらい揃った詩コーナーというのが、街に一つあると良いですよね。
優れた詩人は、探せばかなりいると思います。
- Kobito
- 2019年 04月30日 15時18分
[一言]
1話目を読みました!
うちの主人公は涙脆いもので……どうしましょう。
味方はあんまり死なないから、そっちは問題なさそうです。
これを読んで勉強します!
1話目を読みました!
うちの主人公は涙脆いもので……どうしましょう。
味方はあんまり死なないから、そっちは問題なさそうです。
これを読んで勉強します!
作中で涙を流す場面や、死ぬ場面があっても、それが心からの涙だったり、慎重に検討された上での避けがたい死であれば、物語を盛り立てる事ができると思います。
要は、それをテクニックとしてのみ用いるような安直さに用心しないといけない、という事ですね。
いろいろ気ままに論じていますが、楽しんでもらえたら嬉しいです。
要は、それをテクニックとしてのみ用いるような安直さに用心しないといけない、という事ですね。
いろいろ気ままに論じていますが、楽しんでもらえたら嬉しいです。
- Kobito
- 2019年 04月25日 22時24分
[一言]
無知の知は、無知そのものを非難していないのに、無知をさらけ出された人たちは「恥ずかしい」と思ってしまった……というのが、いちばんのアイロニーですね。
「無知」に対するマイナスイメージを変えてから、それを認識することは素晴らしいことであり、そして実は、あなたも無知なんですよ……という手順だといいのですかね。まわりくどいか^^;
無知の知は、無知そのものを非難していないのに、無知をさらけ出された人たちは「恥ずかしい」と思ってしまった……というのが、いちばんのアイロニーですね。
「無知」に対するマイナスイメージを変えてから、それを認識することは素晴らしいことであり、そして実は、あなたも無知なんですよ……という手順だといいのですかね。まわりくどいか^^;
自分に対して「無知の知」が働く時は、問題が起きにくいんですが、他者にそれを自覚させようとした時に、方法を誤ると、かえって拒絶や憎悪を引き起こす、という事です。
手前味噌ですが、私のコラムのように、理屈を紐解いて「無知の知」の良さを伝えるのが、一番相手が納得し、受け入れられやすいように思います。
無知を自覚させるために、傷付ける必要はないので、そこは伝える側の思慮と配慮が必要ですね。
他者の知識が浅い事をあざけったり、揚げ足を取ったり、些細な間違いを指摘したり、こういうのは、自分の知識のひけらかしの心理が働いている場合が多いです。
あるいは、気が付かずにやっている事かもしれません。
それを「知る」事で、また考えが深まる人もいるでしょうね。
手前味噌ですが、私のコラムのように、理屈を紐解いて「無知の知」の良さを伝えるのが、一番相手が納得し、受け入れられやすいように思います。
無知を自覚させるために、傷付ける必要はないので、そこは伝える側の思慮と配慮が必要ですね。
他者の知識が浅い事をあざけったり、揚げ足を取ったり、些細な間違いを指摘したり、こういうのは、自分の知識のひけらかしの心理が働いている場合が多いです。
あるいは、気が付かずにやっている事かもしれません。
それを「知る」事で、また考えが深まる人もいるでしょうね。
- Kobito
- 2019年 04月25日 21時16分
[一言]
59回について。
私は、途中で見られるというのが極端に嫌でした^^;
終わってからなら指摘してもいいけれど、途中で見られたり言われたりするのが嫌だった……今もたぶん、そうですけど。
批判を聞きたくない、受け入れたくないっていうのは、プロとしては問題かもしれないけれど、もっと大きなくくりで、ひとりの創作者として考えたときには、それはむしろ必要なんじゃないかとも思います。
それは、受け入れる受け入れないというのではなく、なににでも反射的に噛みつきたくなる心理的な意味で。冷静になってから、まともだと思うものは受け入れればいいわけで。
適切な指摘をされているとわかったとしても、あえて反論できる方法を考えてみるのもいいかもしれないとも思います。私は学校で書いた文章で、「ここが良くないね。こうすると良くなるよ」と先生言われ、そのアドバイスとまったく違う方法で書きかえて「見たか( ̄▽ ̄)」と言いたいタイプでした(笑)
人からのアドバイスをそっくりそのまま取り込めるというトレース能力みたいなものも立派な才能ではあるのですけど、あえてはずすということがためになることもあったりします。
59回について。
私は、途中で見られるというのが極端に嫌でした^^;
終わってからなら指摘してもいいけれど、途中で見られたり言われたりするのが嫌だった……今もたぶん、そうですけど。
批判を聞きたくない、受け入れたくないっていうのは、プロとしては問題かもしれないけれど、もっと大きなくくりで、ひとりの創作者として考えたときには、それはむしろ必要なんじゃないかとも思います。
それは、受け入れる受け入れないというのではなく、なににでも反射的に噛みつきたくなる心理的な意味で。冷静になってから、まともだと思うものは受け入れればいいわけで。
適切な指摘をされているとわかったとしても、あえて反論できる方法を考えてみるのもいいかもしれないとも思います。私は学校で書いた文章で、「ここが良くないね。こうすると良くなるよ」と先生言われ、そのアドバイスとまったく違う方法で書きかえて「見たか( ̄▽ ̄)」と言いたいタイプでした(笑)
人からのアドバイスをそっくりそのまま取り込めるというトレース能力みたいなものも立派な才能ではあるのですけど、あえてはずすということがためになることもあったりします。
途中で見られるのは、私もなんとなく嫌ですね。過程の段階で評価されるというのは、不本意ですからね。
製作のどこかの段階で、ぐっと良くなることもあるから、少なくとも、自分が気に入った状態になるまでは、見てほしくないなと思います。
批判については、役に立つものもあれば、的外れなものも、けっこうありますからね。批判を嫌がる気持ちの中には、批判者の勘違いや理解不足、好みの押しつけに対応するのが面倒、というのもあるんだと思います。
それと、批判をするからには、批判者も作者から反論される事を覚悟しないといけないですね。これが我慢できない人が、けっこう多いです。
作者が意図を説明しても、疑ったり、納得しないという人も、よく見かけます。
こういうのは、意見交換を楽しむという視点を、お互いが努力して身につける事で、ある程度解決できると思います。
もちろん、本心では意見されて嫌だなと思う事は私もありますが、それをいちいち露わにしていては、評論、議論という文化の一分野を楽しめなくなってしまいますからね。
まあ、色んな性格の人がいる多様な社会の面白さもあるわけで、ある程度は意見される事を拒否する人がいてもいいのだろうとは思いますが、現状はどちらかというと、意見交換を楽しむ人の方が少ないから、私は意見交換の奨励に取り組みます。
人の意見を直接的に取り入れないで、他の方法を探してみるというのは、独自性の確保につながりますからね。
オリジナリティの高い作品を作って来た先人たちは、たいていそういう性質を持っていると思います。
製作のどこかの段階で、ぐっと良くなることもあるから、少なくとも、自分が気に入った状態になるまでは、見てほしくないなと思います。
批判については、役に立つものもあれば、的外れなものも、けっこうありますからね。批判を嫌がる気持ちの中には、批判者の勘違いや理解不足、好みの押しつけに対応するのが面倒、というのもあるんだと思います。
それと、批判をするからには、批判者も作者から反論される事を覚悟しないといけないですね。これが我慢できない人が、けっこう多いです。
作者が意図を説明しても、疑ったり、納得しないという人も、よく見かけます。
こういうのは、意見交換を楽しむという視点を、お互いが努力して身につける事で、ある程度解決できると思います。
もちろん、本心では意見されて嫌だなと思う事は私もありますが、それをいちいち露わにしていては、評論、議論という文化の一分野を楽しめなくなってしまいますからね。
まあ、色んな性格の人がいる多様な社会の面白さもあるわけで、ある程度は意見される事を拒否する人がいてもいいのだろうとは思いますが、現状はどちらかというと、意見交換を楽しむ人の方が少ないから、私は意見交換の奨励に取り組みます。
人の意見を直接的に取り入れないで、他の方法を探してみるというのは、独自性の確保につながりますからね。
オリジナリティの高い作品を作って来た先人たちは、たいていそういう性質を持っていると思います。
- Kobito
- 2019年 03月11日 17時35分
[一言]
》第59回 個性とは何か。
についてです
かなり難しい問題だと思います
個性=オリジナル
とは限ら無いのも事実かと
個性を意識するのは大事ですが
オリジナル=他とは違うユニークなモノ
と短絡的に考える人間も少なく無い気がします
単に他人と違うモノを無理矢理に個性やオリジナルだと定義する可能性も出て来るような気もします
『型破り』はまず型を理解してのち、その概念を打ち破ったりする事で、単に目茶苦茶やる事では無いと思います
《引用》オリジナルとは?拡張子辞典。 一 ( 名 ) ① (複製・模写・翻訳などに対して)原型となるもとのもの。原作。原物。 ② 独自に創作したもの
》第59回 個性とは何か。
についてです
かなり難しい問題だと思います
個性=オリジナル
とは限ら無いのも事実かと
個性を意識するのは大事ですが
オリジナル=他とは違うユニークなモノ
と短絡的に考える人間も少なく無い気がします
単に他人と違うモノを無理矢理に個性やオリジナルだと定義する可能性も出て来るような気もします
『型破り』はまず型を理解してのち、その概念を打ち破ったりする事で、単に目茶苦茶やる事では無いと思います
《引用》オリジナルとは?拡張子辞典。 一 ( 名 ) ① (複製・模写・翻訳などに対して)原型となるもとのもの。原作。原物。 ② 独自に創作したもの
- 投稿者: 【自称】言霊の精練術師 (見習い) (*゜Д゜)ゞ
- 2018年 12月29日 22時28分
個性という言葉にも、色々な意味が含まれていますからね。
性格的な特徴を指す場合は、オリジナルという意味合いとは異なる用いられ方をされます。
私がこのコラムで論じているのも、性格の面での個性なので、単に「特徴」という意味で捉えてもいい程度のものです。
型にはまると、抜け出すのが大変ですから、最初から型を避けるのも、思い切った方法ですが、ありだと思います。
性格的な特徴を指す場合は、オリジナルという意味合いとは異なる用いられ方をされます。
私がこのコラムで論じているのも、性格の面での個性なので、単に「特徴」という意味で捉えてもいい程度のものです。
型にはまると、抜け出すのが大変ですから、最初から型を避けるのも、思い切った方法ですが、ありだと思います。
- Kobito
- 2018年 12月30日 00時14分
[一言]
読ませていただきありがとうございます。
個性とか色は自分ではわからないのではないかなと思います。だから教えていただけるとありがたいなのですけれど、手を入れられると確かに嫌ですね。
防衛本能と関係していたとは。
>これがプロとなると、編集者による意見を反映しなければならなかったり、作品に直接他者の手が入ったりする事も往々にしてあるので、個性を守る意識が強い人には、より精神的負担の大きな世界だと言えます。
確かに。
だけど編集さんは最初の読者でもありますから、その読者を唸らせる話を書くのが醍醐味という人も多いと聞きます。
やっぱり信頼関係でしょうか。
防衛しなくていい相手となら高め合えるかも知れませんね。だったら個性も運に左右されるかも、なんですけど。難しい……。
読ませていただきありがとうございます。
個性とか色は自分ではわからないのではないかなと思います。だから教えていただけるとありがたいなのですけれど、手を入れられると確かに嫌ですね。
防衛本能と関係していたとは。
>これがプロとなると、編集者による意見を反映しなければならなかったり、作品に直接他者の手が入ったりする事も往々にしてあるので、個性を守る意識が強い人には、より精神的負担の大きな世界だと言えます。
確かに。
だけど編集さんは最初の読者でもありますから、その読者を唸らせる話を書くのが醍醐味という人も多いと聞きます。
やっぱり信頼関係でしょうか。
防衛しなくていい相手となら高め合えるかも知れませんね。だったら個性も運に左右されるかも、なんですけど。難しい……。
文字がびっしりで恐縮です。読んでもらえて嬉しいです。
感想などで意見を聞いてなるほどと気が付く、ということは、よくありますよね。
そういう受け入れられる教えもある一方で、直接手を入れられると、どうも納得がいかないという面もある。
自分一人で完成させたい、という気持ちもあるでしょうけど、個性を守ろうとする衝動も、けっこう影響している気がします。
編集者を唸らせることを喜びとするには、信頼関係が必要でしょうね。
良い作品に仕上げるための協力者、という意識があれば、反発を抑えて、むしろやり甲斐にできそうです。
作者をやる気にさせる編集者なら、なお良しですね。
感想などで意見を聞いてなるほどと気が付く、ということは、よくありますよね。
そういう受け入れられる教えもある一方で、直接手を入れられると、どうも納得がいかないという面もある。
自分一人で完成させたい、という気持ちもあるでしょうけど、個性を守ろうとする衝動も、けっこう影響している気がします。
編集者を唸らせることを喜びとするには、信頼関係が必要でしょうね。
良い作品に仕上げるための協力者、という意識があれば、反発を抑えて、むしろやり甲斐にできそうです。
作者をやる気にさせる編集者なら、なお良しですね。
- Kobito
- 2018年 12月28日 23時20分
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