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[良い点]
第57回 新美南吉の魅力にようやく気が付く。
私は若い頃、新美南吉の全集を読みました。
印象に残った作家の一人で、童話の創作では、今でも南吉の影響を受けております。
南吉を紹介してくれたことを嬉しく思います。
第57回 新美南吉の魅力にようやく気が付く。
私は若い頃、新美南吉の全集を読みました。
印象に残った作家の一人で、童話の創作では、今でも南吉の影響を受けております。
南吉を紹介してくれたことを嬉しく思います。
ありがとうございます。
南吉の落ち着いた語り口と、ユーモアの感覚を、カトウさんの作品にも感じます。
教科書に載っている作品だけだと、南吉の魅力の多くが伝わらないと思うので、童話好きな人に、色々読んで、自分の好きな作品を探してもらいたいですね。
南吉の落ち着いた語り口と、ユーモアの感覚を、カトウさんの作品にも感じます。
教科書に載っている作品だけだと、南吉の魅力の多くが伝わらないと思うので、童話好きな人に、色々読んで、自分の好きな作品を探してもらいたいですね。
- Kobito
- 2018年 12月28日 13時39分
[一言]
>第57回 新美南吉の魅力にようやく気が付く。読みました
なかなか興味深いエピソードですね
あまり世間に知られて無いものを紹介するのは良いと思います
時代に合わせて、ステマみたいな隠れたメッセージを仕込んだエピソードなど他もあれば知りたいですね
裁判で地動説を否定しなければ死刑になると糾弾されて仕方無く自説を否定させられたガリレオのような
>第57回 新美南吉の魅力にようやく気が付く。読みました
なかなか興味深いエピソードですね
あまり世間に知られて無いものを紹介するのは良いと思います
時代に合わせて、ステマみたいな隠れたメッセージを仕込んだエピソードなど他もあれば知りたいですね
裁判で地動説を否定しなければ死刑になると糾弾されて仕方無く自説を否定させられたガリレオのような
- 投稿者: 【自称】言霊の精練術師 (見習い) (*゜Д゜)ゞ
- 2018年 12月15日 18時21分
ありがとうございます。
同時代の人同士が、意外なところでつながっているんですよね。
正しい事を曲げさせられる人もいれば、正しくない考えを植え付けようとする人もいる。
歴史上、いろんな場面で目にする状況です。
思想に難癖をつけられて自死させられた哲学者のソクラテス、花の受粉の仕組みを市民に教えたことを卑猥だと非難された昆虫学者のファーブル。
同時代の人同士が、意外なところでつながっているんですよね。
正しい事を曲げさせられる人もいれば、正しくない考えを植え付けようとする人もいる。
歴史上、いろんな場面で目にする状況です。
思想に難癖をつけられて自死させられた哲学者のソクラテス、花の受粉の仕組みを市民に教えたことを卑猥だと非難された昆虫学者のファーブル。
- Kobito
- 2018年 12月15日 19時16分
[一言]
未完について、
私も考えたことありました。
なろうだと、なぜか「完結」に安心感が……
どうせなら完結してたほうがいいかな、程度のものなのかもしれませんが。
私は漫画はほとんど読まないけれど、長年連載中ってのもありますよね。ちょっと不謹慎だけど、ファンのほうが途中でなくなってしまうことだってあるし……
物語にもいろいろあって、ミステリのような完結してはじめてひとつの物語としてパッケージされるってものもあるけれど、そうでないなら未完でもいいような気はします。
特に、一話一話即興で書いているような連載物なんかそうかも。
ちなみに、私の書くものは「こういうの書きたい」から始まることが多いので、テーマとか結末はそれについてくるものであってあまり重要だと思っていなかったり(笑)
未完について、
私も考えたことありました。
なろうだと、なぜか「完結」に安心感が……
どうせなら完結してたほうがいいかな、程度のものなのかもしれませんが。
私は漫画はほとんど読まないけれど、長年連載中ってのもありますよね。ちょっと不謹慎だけど、ファンのほうが途中でなくなってしまうことだってあるし……
物語にもいろいろあって、ミステリのような完結してはじめてひとつの物語としてパッケージされるってものもあるけれど、そうでないなら未完でもいいような気はします。
特に、一話一話即興で書いているような連載物なんかそうかも。
ちなみに、私の書くものは「こういうの書きたい」から始まることが多いので、テーマとか結末はそれについてくるものであってあまり重要だと思っていなかったり(笑)
物語の結末って、実際はその世界の終了ではなくて、切り取られた一時期の末尾に来たに過ぎなくて、物語内の世界は作品の完結後も継続しているんですね。
だから、極端な話、どこで結末にするかは、作者の好き好きで、突拍子の無い終わり方になってはいけないというルールがあるわけではないんです。
ところが、「完結」を、一種の作品の質のように思う人も多くて、そういう人の中には、未完のまま長期休載していると分かると、読まない、という選択をする人もけっこう居るのではないかと思います。
檸檬さんは、漫画をほとんど読まないんですね。以前も聞いた気がするけど、今どきの若い人の中では、相当珍しい気がします。親が漫画嫌いなのかな。
月刊漫画誌で長期連載している作品の中には、10年とか20年とか経っている作品もけっこうありますからね。
ミステリが完結せずに終わるというのは、大衆小説としては不完全だけれど、工夫によっては未開拓の面白さが出せる余地もありますね。
手塚治虫の漫画も、未完成のものがいくつかあって、傑作も多いです。
小説の場合、文章の技巧を楽しめるようになると、評価の基準の幅が広がって、完結にこだわらなくなるのかもしれません。
私も、結末ありきでは書き出さないですね。
ある場面が思い浮かんだら、その前後の筋を広げて行く、というパターンが多いです。
だから、極端な話、どこで結末にするかは、作者の好き好きで、突拍子の無い終わり方になってはいけないというルールがあるわけではないんです。
ところが、「完結」を、一種の作品の質のように思う人も多くて、そういう人の中には、未完のまま長期休載していると分かると、読まない、という選択をする人もけっこう居るのではないかと思います。
檸檬さんは、漫画をほとんど読まないんですね。以前も聞いた気がするけど、今どきの若い人の中では、相当珍しい気がします。親が漫画嫌いなのかな。
月刊漫画誌で長期連載している作品の中には、10年とか20年とか経っている作品もけっこうありますからね。
ミステリが完結せずに終わるというのは、大衆小説としては不完全だけれど、工夫によっては未開拓の面白さが出せる余地もありますね。
手塚治虫の漫画も、未完成のものがいくつかあって、傑作も多いです。
小説の場合、文章の技巧を楽しめるようになると、評価の基準の幅が広がって、完結にこだわらなくなるのかもしれません。
私も、結末ありきでは書き出さないですね。
ある場面が思い浮かんだら、その前後の筋を広げて行く、というパターンが多いです。
- Kobito
- 2018年 12月01日 19時23分
[一言]
言葉は難しい
実際に会って話をしてると気にならない事でも
文章だけでやり取りするネットのような状況だと
時に誤解を生じ易いように感じます
だからこそ、時には一期一会のような意識を持って相手に接する気持ちも必要かと思います
言葉は難しい
実際に会って話をしてると気にならない事でも
文章だけでやり取りするネットのような状況だと
時に誤解を生じ易いように感じます
だからこそ、時には一期一会のような意識を持って相手に接する気持ちも必要かと思います
- 投稿者: 【自称】言霊の精練術師 (見習い) (*゜Д゜)ゞ
- 2018年 11月09日 21時53分
文章での会話は、文章力によって印象が大きく変わってしまうという、問題点があります。
面と向かって話せば、表情やしぐさや声の調子など、言葉以外の色んな情報を総合して気持ちを判断できますが、文章だけだと、感情を判断しづらいですから、誤解が生じる事もけっこうありますね。
私も、誤解されて拒絶されやすい性格だから、同じように交流の難しさを感じていそうな人には、親切にするように心がけています。
trxzさんも、そんなタイプではないかな。
面と向かって話せば、表情やしぐさや声の調子など、言葉以外の色んな情報を総合して気持ちを判断できますが、文章だけだと、感情を判断しづらいですから、誤解が生じる事もけっこうありますね。
私も、誤解されて拒絶されやすい性格だから、同じように交流の難しさを感じていそうな人には、親切にするように心がけています。
trxzさんも、そんなタイプではないかな。
- Kobito
- 2018年 11月09日 23時12分
[良い点]
「楽しむことが執筆の主目的なのであれば、子供の頃のごっこ遊びのように、自由に、奔放ほんぽうに、物語を生み出すだけで、良いと思います。」
そのとおりだと思います。
物語のネタを考る。
物語を書く。
それだけで楽しい。
もちろんそれでいて、良い作品が書ければいいのですが……。楽しく書いていているなかで、たまたまできばえの良い物語ができたらと思っています。
とにかく楽しくなくては。
「楽しむことが執筆の主目的なのであれば、子供の頃のごっこ遊びのように、自由に、奔放ほんぽうに、物語を生み出すだけで、良いと思います。」
そのとおりだと思います。
物語のネタを考る。
物語を書く。
それだけで楽しい。
もちろんそれでいて、良い作品が書ければいいのですが……。楽しく書いていているなかで、たまたまできばえの良い物語ができたらと思っています。
とにかく楽しくなくては。
楽しむことが執筆の主目的な人の中には、高い水準の作品を作るよりも、物語を作るという行為自体を楽しんでいる場合がありますからね。
楽しみ方も人それぞれだから、特に読み手の側が、評価の基準を色々持つ事も必要なのではないかな、と思います。
物語の世界に入り込んで、心を込めて書かれた作品なら、たいていどこか光るところがあります。
その光は、手を加えすぎると、消えてしまったりもするから、その純粋な部分を、愛でるという鑑賞の姿勢も、あって良いと思います。
楽しみ方も人それぞれだから、特に読み手の側が、評価の基準を色々持つ事も必要なのではないかな、と思います。
物語の世界に入り込んで、心を込めて書かれた作品なら、たいていどこか光るところがあります。
その光は、手を加えすぎると、消えてしまったりもするから、その純粋な部分を、愛でるという鑑賞の姿勢も、あって良いと思います。
- Kobito
- 2018年 08月02日 17時12分
[一言]
いまさらですが、悲劇について……
私は、悲劇は楽しんで観られますが、絶叫系のアトラクションは駄目ですね。ホラーが苦手、という人に近いかな。
この違いって、その対象と客である私たちが、どれくらいの距離にいるか、ってことのような気もします。
芝居でいうと、チェーホフなんかは人物に感情移入して観てもおもしろくなくて、逆に外側から眺めるとこれほどおもしろいものってないのです。チェーホフ劇を「悲しい」としか思えない人は、おそらく劇の人物に入り込んでしまっている人で……、離れてみると明らかに喜劇なのに。
あとは、ブレヒトの叙事的演劇というのもありますね。こちらは私は最近知ったのですけど。
ちなみに、現代劇にかぎらず、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』なんかも、見方によっては喜劇です。二人の子供の刹那的な情熱は、離れてみると滑稽にも、またほほえましくも思えます。
悲劇が苦手、という人って、もしかしたらこの「感情移入」とか、劇世界に入り込みすぎているというのが原因なのかもしれません。
いまさらですが、悲劇について……
私は、悲劇は楽しんで観られますが、絶叫系のアトラクションは駄目ですね。ホラーが苦手、という人に近いかな。
この違いって、その対象と客である私たちが、どれくらいの距離にいるか、ってことのような気もします。
芝居でいうと、チェーホフなんかは人物に感情移入して観てもおもしろくなくて、逆に外側から眺めるとこれほどおもしろいものってないのです。チェーホフ劇を「悲しい」としか思えない人は、おそらく劇の人物に入り込んでしまっている人で……、離れてみると明らかに喜劇なのに。
あとは、ブレヒトの叙事的演劇というのもありますね。こちらは私は最近知ったのですけど。
ちなみに、現代劇にかぎらず、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』なんかも、見方によっては喜劇です。二人の子供の刹那的な情熱は、離れてみると滑稽にも、またほほえましくも思えます。
悲劇が苦手、という人って、もしかしたらこの「感情移入」とか、劇世界に入り込みすぎているというのが原因なのかもしれません。
悲劇を敬遠する心理がある一方で、見たがる、という心理もあるのが、不思議ですよね。
悲劇を生み出すのは、人の虚栄心や自尊心、嗜虐心や憎しみや差別や誤解やすれ違いだけれど、他人から見ればどうでもいい事が多いです。
それを逆手にとって、観客を笑わせる手法もありますね。
充実した劇というのは、悲劇も喜劇も内包している劇ではないかとも思います。
何時間も、暗くみじめな内容ばかり見せられるのは、客も疲れるだけだろうし、反対に、何時間も滑稽な騒動ばかり見せられても、飽きるだろうから、適度に、悲喜こもごもにして、最後まで客の集中力を持続させる。
ワーグナーの歌劇などは、長大な悲劇で、笑いの要素が少なそうだから、全部見通すのは、よほど音楽や劇の内容が好きじゃないと至難の業ですね。
悲劇を生み出すのは、人の虚栄心や自尊心、嗜虐心や憎しみや差別や誤解やすれ違いだけれど、他人から見ればどうでもいい事が多いです。
それを逆手にとって、観客を笑わせる手法もありますね。
充実した劇というのは、悲劇も喜劇も内包している劇ではないかとも思います。
何時間も、暗くみじめな内容ばかり見せられるのは、客も疲れるだけだろうし、反対に、何時間も滑稽な騒動ばかり見せられても、飽きるだろうから、適度に、悲喜こもごもにして、最後まで客の集中力を持続させる。
ワーグナーの歌劇などは、長大な悲劇で、笑いの要素が少なそうだから、全部見通すのは、よほど音楽や劇の内容が好きじゃないと至難の業ですね。
- Kobito
- 2018年 07月17日 06時18分
[一言]
ヒーローさまは確かに違和感がありますが、
ドラクエやファイナルファンタジーなどのゲームの場合、
勇者○○と、勇者は肩書きで○○の部分は最初に名前を付けることができます。自分がなんの役になりたいかを選ぶ肩書きを仮に勇者・賢者とかついてるだけですよ?
そして、架空のファンタジーの世界で活躍する勇者を選んだ場合、付ける名前に、自分の名前を付けたり、かっこいい名前を考えたりするのです。
架空の世界で、村人の宿屋のオヤジが「勇者さま、ご宿泊ありがとうございました。」と言っても、違和感は感じませんが、どうでしょう?お客様に対して樣をつけても普通に聞こえるのですが(私、おかしいのでしょうか?)
それなら、日本人のオジサマたちが、可愛いお姉ちゃんのいる店で社長じゃないのに社長とか、先生じゃないのに先生とか呼ばれて喜ぶほうが滑稽だと思うのですが、
肩書きで偉くなった気がして楽しいのなら別に誰にも迷惑はかけていませんし臨機応変、その時にふさわしい名前ならいいんじゃないでしょうか。
社長さんと、呼ばれて気持ちがいいのなら、それでも一夜の夢を買うのですから。
支離滅裂になりました。
すみません。
ヒーローさまは確かに違和感がありますが、
ドラクエやファイナルファンタジーなどのゲームの場合、
勇者○○と、勇者は肩書きで○○の部分は最初に名前を付けることができます。自分がなんの役になりたいかを選ぶ肩書きを仮に勇者・賢者とかついてるだけですよ?
そして、架空のファンタジーの世界で活躍する勇者を選んだ場合、付ける名前に、自分の名前を付けたり、かっこいい名前を考えたりするのです。
架空の世界で、村人の宿屋のオヤジが「勇者さま、ご宿泊ありがとうございました。」と言っても、違和感は感じませんが、どうでしょう?お客様に対して樣をつけても普通に聞こえるのですが(私、おかしいのでしょうか?)
それなら、日本人のオジサマたちが、可愛いお姉ちゃんのいる店で社長じゃないのに社長とか、先生じゃないのに先生とか呼ばれて喜ぶほうが滑稽だと思うのですが、
肩書きで偉くなった気がして楽しいのなら別に誰にも迷惑はかけていませんし臨機応変、その時にふさわしい名前ならいいんじゃないでしょうか。
社長さんと、呼ばれて気持ちがいいのなら、それでも一夜の夢を買うのですから。
支離滅裂になりました。
すみません。
『様』が付いているかどうかは、全く関係がありません。付けても付けなくても、どちらでもいいです。
今回のコラムは、『勇者』に『様』を付けるとおかしいね、という話ではなくて、『勇者』という言葉その物の、性質について論じています。
『勇者』は、『勇気のある人』という、人の性質を表わす言葉だから、リアリティのある世界で呼び名として用いると、奇妙に感じる、という事です。
リアリティのない世界なら、違和感はないでしょう。
ファンタジーにも、リアリティを追求した世界や、そうでない世界があります。
リアリティを追求して行くと、『勇者』と言う呼び名がおかしい事に気が付きます。
例えば、現実世界にモンスターがたくさん現れて、それを私が退治して回った時に、森ノ宮さんは、私を『勇者さん』とか、『勇者Kobitoさん』なんて、呼ばないでしょう?
他の人も、たぶんそんな風には呼びません。『勇者』という言葉で呼ぶのが、おかしいからです。
それが、ファンタジーの世界では、通用しているから、変だね、というのが、今回のコラムの要点です。
多分、肩書で偉くなった気がして楽しいから『勇者』という言葉を用いている、という、森ノ宮さんの見立てで、合ってると思います。
ただ、リアリティの観点で言うと、『勇者』という言葉は、安易なファンタジーの中でしか通用しないという問題をはらんでいる、という事です。
今回のコラムは、『勇者』に『様』を付けるとおかしいね、という話ではなくて、『勇者』という言葉その物の、性質について論じています。
『勇者』は、『勇気のある人』という、人の性質を表わす言葉だから、リアリティのある世界で呼び名として用いると、奇妙に感じる、という事です。
リアリティのない世界なら、違和感はないでしょう。
ファンタジーにも、リアリティを追求した世界や、そうでない世界があります。
リアリティを追求して行くと、『勇者』と言う呼び名がおかしい事に気が付きます。
例えば、現実世界にモンスターがたくさん現れて、それを私が退治して回った時に、森ノ宮さんは、私を『勇者さん』とか、『勇者Kobitoさん』なんて、呼ばないでしょう?
他の人も、たぶんそんな風には呼びません。『勇者』という言葉で呼ぶのが、おかしいからです。
それが、ファンタジーの世界では、通用しているから、変だね、というのが、今回のコラムの要点です。
多分、肩書で偉くなった気がして楽しいから『勇者』という言葉を用いている、という、森ノ宮さんの見立てで、合ってると思います。
ただ、リアリティの観点で言うと、『勇者』という言葉は、安易なファンタジーの中でしか通用しないという問題をはらんでいる、という事です。
- Kobito
- 2018年 07月09日 23時49分
[一言]
多種多様な文章が出回っていても 全部を読める訳ではありませんが
心地よい文章である。と感じるその要素は やはり波長だと思います。
聴いて心地よい音質があるように文章も読みやすい響きがあるように思います。
好きな作家が偏るのは こんな感じかもしれませんね
宮沢賢治を嫌いだと言った人がいました。
彼は よく知りもしないで嫌いだと言う人ではないので 彼は 賢治の作品と波長が合わなかったのだと思いました。
万人が万人 同じじゃなくとも良いのだ、と その時思いました。
わたしみたいな者も 生きていても善いのかもしれないと…
横路に反れましたね
最初の文章からは これから向かう場所への夢や希望が垣間見え劇的な印象をうけました。
そうなると読者も一緒に冒険へ旅発つ訳で
出張へ行くのとは だいぶ期待感が違いますね。
kobitoさんのエッセイは 私的な感情を抑えつつ冷静に分析するところが凄いと いつも思います。
感情に流されず物事を見ることができるのも作家にとっては 一つの才能だと思います。
多種多様な文章が出回っていても 全部を読める訳ではありませんが
心地よい文章である。と感じるその要素は やはり波長だと思います。
聴いて心地よい音質があるように文章も読みやすい響きがあるように思います。
好きな作家が偏るのは こんな感じかもしれませんね
宮沢賢治を嫌いだと言った人がいました。
彼は よく知りもしないで嫌いだと言う人ではないので 彼は 賢治の作品と波長が合わなかったのだと思いました。
万人が万人 同じじゃなくとも良いのだ、と その時思いました。
わたしみたいな者も 生きていても善いのかもしれないと…
横路に反れましたね
最初の文章からは これから向かう場所への夢や希望が垣間見え劇的な印象をうけました。
そうなると読者も一緒に冒険へ旅発つ訳で
出張へ行くのとは だいぶ期待感が違いますね。
kobitoさんのエッセイは 私的な感情を抑えつつ冷静に分析するところが凄いと いつも思います。
感情に流されず物事を見ることができるのも作家にとっては 一つの才能だと思います。
文章の好みは、人によって、大きく異なるよね。
私が苦手な文章を、大好きだという人もいるし、私が大好きな文章を、苦手だという人もいる。
一方で、年月を経て好みが変化することもある。
宮沢賢治は、私も子供のころは読みにくさを感じて苦手だったけれど、だんだん良さが分かって来て、今では最も好きな童話作家です。
好きな作家の作品は、他の人にも良さを分かってもらいたくなるけど、やっぱり、人それぞれの好みの違いがあるから、好きになってもらうのが、難しい場合も多いね。
森ノ宮さんが例に挙げた人は、賢治の文章が嫌いなのかな。作品の内容が嫌いなのかな。
私は、賢治の人生を知った時に、「わたしみたいな者も 生きていても善いのかもしれない 」と思ったよ。
悩みながら苦しみながら、不器用に生きていいんだって、そう思えた。
エジンバラへの出発は、出張ではなくて、もっと冒険的な要素のある旅なのかもしれないね。
そういう期待感を抱かせるのも、小説的な文章に求められる部分なのかも。
今回のエッセイは、自分の感覚を、他の人にも分かってもらう事に努めた分、小難しい感じが出てしまった気がするから、きちんと読んでもらえたことが、まず嬉しいです。
感情を抑えるって、とても難しい。
でも、森ノ宮さんのように、感情豊かに書く事も、大事だと思う。
熱、大丈夫?
早く下がりますように。
私が苦手な文章を、大好きだという人もいるし、私が大好きな文章を、苦手だという人もいる。
一方で、年月を経て好みが変化することもある。
宮沢賢治は、私も子供のころは読みにくさを感じて苦手だったけれど、だんだん良さが分かって来て、今では最も好きな童話作家です。
好きな作家の作品は、他の人にも良さを分かってもらいたくなるけど、やっぱり、人それぞれの好みの違いがあるから、好きになってもらうのが、難しい場合も多いね。
森ノ宮さんが例に挙げた人は、賢治の文章が嫌いなのかな。作品の内容が嫌いなのかな。
私は、賢治の人生を知った時に、「わたしみたいな者も 生きていても善いのかもしれない 」と思ったよ。
悩みながら苦しみながら、不器用に生きていいんだって、そう思えた。
エジンバラへの出発は、出張ではなくて、もっと冒険的な要素のある旅なのかもしれないね。
そういう期待感を抱かせるのも、小説的な文章に求められる部分なのかも。
今回のエッセイは、自分の感覚を、他の人にも分かってもらう事に努めた分、小難しい感じが出てしまった気がするから、きちんと読んでもらえたことが、まず嬉しいです。
感情を抑えるって、とても難しい。
でも、森ノ宮さんのように、感情豊かに書く事も、大事だと思う。
熱、大丈夫?
早く下がりますように。
- Kobito
- 2018年 07月02日 02時18分
[一言]
47回分読んだ感想です
「、」が無い文章は読み難いと率直に感じました
宮沢賢治の文章で無ければ、試験や通常の仕事の範囲でも即効で駄目出しされるでしょうねw
聴き言葉としては、音の強弱等アクセントが付くので文字文章に付加された情報がある分理解しやすく思います
恐らく宮沢賢治は敢えて「、」を使わずに読者を試すような真似をしたように感じました
言葉の精練士さんwはどう捉えますか?
47回分読んだ感想です
「、」が無い文章は読み難いと率直に感じました
宮沢賢治の文章で無ければ、試験や通常の仕事の範囲でも即効で駄目出しされるでしょうねw
聴き言葉としては、音の強弱等アクセントが付くので文字文章に付加された情報がある分理解しやすく思います
恐らく宮沢賢治は敢えて「、」を使わずに読者を試すような真似をしたように感じました
言葉の精練士さんwはどう捉えますか?
- 投稿者: 【自称】言霊の精練術師 (見習い) (*゜Д゜)ゞ
- 2018年 07月01日 16時08分
「、」が無い長い文章をスムーズに読むためには、文章に備わったリズムや流れを感じて、それに乗る必要があります。
リズムや流れに乗れないと、文章全体がひとかたまりの言葉の羅列のように感じられてしまい、読みづらいという印象になってしまいます。
賢治は、読み手に、「リズムや流れ」に乗って読むことを求めています。
そういう点では、読者を試していますね。
そして、「リズムや流れ」に乗れた読み手は、賢治の想像しためくるめく世界と同じものを観、同じ時間の流れを感じるという、至福の体験をする事ができます。
読みやすさというのは、読み手の能力によって変化する、という事ですね。
リズムや流れに乗れないと、文章全体がひとかたまりの言葉の羅列のように感じられてしまい、読みづらいという印象になってしまいます。
賢治は、読み手に、「リズムや流れ」に乗って読むことを求めています。
そういう点では、読者を試していますね。
そして、「リズムや流れ」に乗れた読み手は、賢治の想像しためくるめく世界と同じものを観、同じ時間の流れを感じるという、至福の体験をする事ができます。
読みやすさというのは、読み手の能力によって変化する、という事ですね。
- Kobito
- 2018年 07月01日 16時22分
[良い点]
店先で猫が油を売る花屋
(絶対、行く!)
王様が遊んで食べて爪研いで
[一言]
あとがきに猫子さんかkobitoさんの御挨拶が欲しいところですが、どうでしょう?
店先で猫が油を売る花屋
(絶対、行く!)
王様が遊んで食べて爪研いで
[一言]
あとがきに猫子さんかkobitoさんの御挨拶が欲しいところですが、どうでしょう?
ほんとにね、そういう花屋が、あるんだよ~。
店先の、鉢植えの花がたくさん並べられた場所に、小さな椅子が置いてあって、そこに猫が座って店番してる。
最初、置物かと思ったけど、本物の猫だった。見事な看板猫。
王様は、ムーさんかな。猫は気ままで良いよね。
「気ままなもんか。ちゃんとモップがけの仕事してるんだぜ。」って言うかな。
句だけでスパッと終わってるよね。おしゃべりな猫子さんが珍しい。
眠たくなって寝ちゃったのかも。
それか、最後の句を読んだ後の余韻を楽しんでもらおうと思ったのかな。
私も、語り過ぎるよりは、あっさり句で終わった方が、潔いと思う。
店先の、鉢植えの花がたくさん並べられた場所に、小さな椅子が置いてあって、そこに猫が座って店番してる。
最初、置物かと思ったけど、本物の猫だった。見事な看板猫。
王様は、ムーさんかな。猫は気ままで良いよね。
「気ままなもんか。ちゃんとモップがけの仕事してるんだぜ。」って言うかな。
句だけでスパッと終わってるよね。おしゃべりな猫子さんが珍しい。
眠たくなって寝ちゃったのかも。
それか、最後の句を読んだ後の余韻を楽しんでもらおうと思ったのかな。
私も、語り過ぎるよりは、あっさり句で終わった方が、潔いと思う。
- Kobito
- 2018年 06月25日 22時34分
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