感想一覧
▽感想を書く感想絞り込み
[一言]
青春モノが受ける為には読者の夢と憧憬を何処まで刺激できるかですね。実際、青春モノをヤル場合は授業と勉強、部活、食事と恋愛そして睡眠、それらに掛かった時間を全て加算すると多分1日24時間では足りませんから。
実際、プロの音楽家になるために音大目指す学生さんは実技の練習で部活やら恋愛やらに掛けている時間は殆どありませんし偏差値も50を切るのが普通です。
現実は物語のように上手くはいかないことが分かっていても読者を夢中にさせる程の筆力が必要かもしれませんね。
青春モノが受ける為には読者の夢と憧憬を何処まで刺激できるかですね。実際、青春モノをヤル場合は授業と勉強、部活、食事と恋愛そして睡眠、それらに掛かった時間を全て加算すると多分1日24時間では足りませんから。
実際、プロの音楽家になるために音大目指す学生さんは実技の練習で部活やら恋愛やらに掛けている時間は殆どありませんし偏差値も50を切るのが普通です。
現実は物語のように上手くはいかないことが分かっていても読者を夢中にさせる程の筆力が必要かもしれませんね。
くろの介様、ご感想ありがとうございます。
音楽はギターを少しかじったくらいですが、ある程度弾けるようになるまでにかなりの時間を費やしましたね。
もし一流を目指すなら、寝る間も惜しいのが正直なところだと思います。
近くに音大があるのですが、そこはそれなりに格のあるところなので、結構しっかりした方が多い印象を受けていました。まぁ人によりけりということなのかもしれませんね。
物語のようにうまくいかないけど「成功したい」と思ったら物語を読むしかないんですよね。
そこが悩ましいところです。
音楽はギターを少しかじったくらいですが、ある程度弾けるようになるまでにかなりの時間を費やしましたね。
もし一流を目指すなら、寝る間も惜しいのが正直なところだと思います。
近くに音大があるのですが、そこはそれなりに格のあるところなので、結構しっかりした方が多い印象を受けていました。まぁ人によりけりということなのかもしれませんね。
物語のようにうまくいかないけど「成功したい」と思ったら物語を読むしかないんですよね。
そこが悩ましいところです。
- カイ.智水
- 2020年 08月15日 20時14分
[一言]
確かに負けらしい負けの殆どないカエサルの後継者オクタヴィアヌスやローマ帝国の五賢帝、モンゴルのチンギス・ハンやフランク王国のカール大帝、オスマントルコの壮麗帝、征服帝なんかは世界史の教科書の有名所は余り主人公にならないですね。中国のテンプレート名君の唐の太宗は幾らか見た記憶がありますが、後漢の光武帝、清の康煕帝なんかは生涯殆ど負けなしで教科書上のインパクトは凄いですが小説の主人公にはなっていないようですね。
銀河英雄伝説は初出版当時の風潮であれば「世界平和実現の為の天下統一」に抵抗し「強敵を撃破」すると云う筋書きのヤン・ウェンリーを主人公にした作品の方が自然でしたけどね。
ラインハルトがメイン主人公だと知って衝撃を受けた記憶があります。
スポーツモノは必殺技が楽しいですよね。小説で表現するのは非常に難しいですけど。逆に剣豪小説の秘剣は何故か漫画で描写されることはニーズの問題か実際に描いてみて見栄えがしないのか殆どありませんが。
確かに負けらしい負けの殆どないカエサルの後継者オクタヴィアヌスやローマ帝国の五賢帝、モンゴルのチンギス・ハンやフランク王国のカール大帝、オスマントルコの壮麗帝、征服帝なんかは世界史の教科書の有名所は余り主人公にならないですね。中国のテンプレート名君の唐の太宗は幾らか見た記憶がありますが、後漢の光武帝、清の康煕帝なんかは生涯殆ど負けなしで教科書上のインパクトは凄いですが小説の主人公にはなっていないようですね。
銀河英雄伝説は初出版当時の風潮であれば「世界平和実現の為の天下統一」に抵抗し「強敵を撃破」すると云う筋書きのヤン・ウェンリーを主人公にした作品の方が自然でしたけどね。
ラインハルトがメイン主人公だと知って衝撃を受けた記憶があります。
スポーツモノは必殺技が楽しいですよね。小説で表現するのは非常に難しいですけど。逆に剣豪小説の秘剣は何故か漫画で描写されることはニーズの問題か実際に描いてみて見栄えがしないのか殆どありませんが。
くろの介様、ご感想ありがとうございます。
おっしゃるとおりです。最後に負けていないで物語の題材になった歴史上の人物は、と考えて「いたっけな?」という状態になりました。個人の武であれば剣聖・宮本武蔵氏は六十余の決闘すべてに勝利し、『五輪書』を書き終えて穏やかに亡くなったというのはあるのですけど。
スポーツものはやはり必殺技ですよね。確かに小説だとなかなか表現しきれませんが、剣豪小説では柳生十兵衛氏とか維新志士とか「流派そのもの」が必殺技と化した戦い方だったように思えます。
おっしゃるとおりです。最後に負けていないで物語の題材になった歴史上の人物は、と考えて「いたっけな?」という状態になりました。個人の武であれば剣聖・宮本武蔵氏は六十余の決闘すべてに勝利し、『五輪書』を書き終えて穏やかに亡くなったというのはあるのですけど。
スポーツものはやはり必殺技ですよね。確かに小説だとなかなか表現しきれませんが、剣豪小説では柳生十兵衛氏とか維新志士とか「流派そのもの」が必殺技と化した戦い方だったように思えます。
- カイ.智水
- 2020年 08月13日 20時18分
[一言]
「驕慢と天罰」この言葉を見て私は横山光輝の「マーズ」という作品を思い出します。
地球人を滅ぼそうとする異星人から主人公は命懸けで地球を守ったにも関わらず、最後は感謝されることなく石をもって追われた事がきっかけで自らの手で地球を破壊する。なんとも身も蓋もない話でした。
此処まで来ると教訓もヘッタクレもありませんね。
相棒の存在は重要ですね。よく考えれば、当初単独登場と思えた主人公も最初の冒険での成果は大抵、相棒(ヒロイン)の発見ですし。
そして主人公が最強の場合はどうも相棒は異性になる傾向が強いようですね。
「驕慢と天罰」この言葉を見て私は横山光輝の「マーズ」という作品を思い出します。
地球人を滅ぼそうとする異星人から主人公は命懸けで地球を守ったにも関わらず、最後は感謝されることなく石をもって追われた事がきっかけで自らの手で地球を破壊する。なんとも身も蓋もない話でした。
此処まで来ると教訓もヘッタクレもありませんね。
相棒の存在は重要ですね。よく考えれば、当初単独登場と思えた主人公も最初の冒険での成果は大抵、相棒(ヒロイン)の発見ですし。
そして主人公が最強の場合はどうも相棒は異性になる傾向が強いようですね。
くろの介様、ご感想ありがとうございます。
『マーズ』は人々が異星人から地球を守ったというより異星人が地球にいるから狙われるんだ、という論法でしたね。地球人側が守られていたという事実が忘れ去られて厄介者扱いしたのですから、天罰も下ろうというものです。そういう意味では教訓というより警句となっていますね。
相棒はやはり物語の早いうちに手に入れるものが多いですね。初ミッションが相棒探しになるパターンもおっしゃるように多々ありますからね。
主人公最強ものは物語がテンプレートで進みがちなので、異性を相棒にして心模様を題材にしたくなるのかもしれませんね、
『マーズ』は人々が異星人から地球を守ったというより異星人が地球にいるから狙われるんだ、という論法でしたね。地球人側が守られていたという事実が忘れ去られて厄介者扱いしたのですから、天罰も下ろうというものです。そういう意味では教訓というより警句となっていますね。
相棒はやはり物語の早いうちに手に入れるものが多いですね。初ミッションが相棒探しになるパターンもおっしゃるように多々ありますからね。
主人公最強ものは物語がテンプレートで進みがちなので、異性を相棒にして心模様を題材にしたくなるのかもしれませんね、
- カイ.智水
- 2020年 08月11日 07時48分
[一言]
この世界は傑出した人物の残した業績に一般の人々が寄生する事で成立しています。王侯貴族と云うのは一般の人々が傑出した人々を崇め奉り機嫌をとる事でより多くの利益を引き出す事を目的としています。根本的には神仏を敬う事と根本は同じなのですね。傑出した人物は自分よりも高位の存在であると考えないとプライドが保てないとも考えられます。ノーブレスオブリージュなんて言葉で妙な正当化までされています。そして、此処で問題になるのはやはり傑出していない普通以下の人物が王侯貴族になることです。彼らは一般人と同じ様に過去の偉人の業績に寄生しその結果、リソースが不足し寄生虫同士が共食いを始めます。それが歴史的には革命と呼ばれる現象です。
しかしそもそも、傑出した人物は自分よりも劣るその他大勢の面倒を見る必要があるのでしょうか。偉人という存在は見返りには殆ど興味を持っていないのも事実です。そういう意味ではカルロス・ゴーンという存在は能力という点ではともかく偉人ではないのでしょう。
一般人はその事に甘えがちです。登極当初は名君と呼ばれながら晩年は暴君となるのは途中で気付いてはいけないことに気付き心が耐えられなかった事もあるのでしょう。
近年では現在の日本国総理大臣がその様な心理になっていると云われています。国のために頑張っているのにナニをしても常に文句を言われてますから当然ですね。
何者かの保護を必要とする存在は保護してくれる存在に対して見返りを用意する必要があります。それが王侯貴族のもつ権利であり貢ぎ物である訳です。子供に至っては可愛らしさです。哺乳類の子供というのは絶世の不細工同士の子供でも例外なく可愛く感じるのはそのためです。親の保護欲を刺激する必要がありますから当然ですね。
異世界モノは基本的に個の能力で有象無象の集団を圧倒します。それがイレギュラー要素でなく常態要素であるなら異世界の社会システムは現実の社会システムとは大きく異なるでしょう。ある種の動物の群のように強い雄が自分の気に入った雌の集団と群を成す事が考えられます。そして年をとって弱くなると群のボスを交代するという形になるかもしれません。逆ハーは多分、考える必要はないです。逆ハー女性生む子供はハーレム男性が生ませた子供よりも障害率が高く個体性能も劣ることが証明されているそうなの最終的に種が滅ぶそうです。実際にリアルで逆ハー作った事で有名なエカテリーナ2世、武則天の子供は大したことがない事で有名です。
そして物語で市民革命を成立させるには個の能力で集団を圧倒させるような世界ではない。その他大勢の人間が特殊な訓練を長期間に渡って受けなくても特殊な訓練を受けた人々を簡単に人を殺すことが出来る。という二点が必要となります。
現実世界を例に取れば近代民主主義は銃の存在が無ければ成立はしませんでした。銃なら子供でも簡単に大人を殺せます。日本ではGUNと書いて「じゆう」と読みFREEDOMと書いて「じゅう」と読む人もいます。何せ「見えない自由を求めて見えない銃を撃ちまくる。」 フレーズの歌があるぐらいですから。
そしてアメリカの銃社会の根底理念でもあります。
私がアメリカに自由の女神をデザインするなら右手に松明ではなくピースメーカー左手に聖書ではなく札束を持たせ、頭にはカウボーイハット、口には葉巻胸と尻のサイズは三倍にしてマリリンモンローのような衣装とポーズを取らせるでしょう。きっとアメリカ人は顔を真っ赤にし頭から湯気を出して目に涙を浮かべて喜んでくれるかもしれません。
アル戦は私も買い直しました。ラノベの場合は長期ブランクがあるとイラストレーターの変更や出版社も変わります。印象的には別物感が強くなりますね。
ネット小説で長期ブランクを出すとやっぱりこの人は思い付き書いているんだと云う事になりますから。最悪、コンスタントに出版することが要求されるラノベ業界ではビジネスパートナーとしては失格の烙印を押されるような気がするのですけどね。
この世界は傑出した人物の残した業績に一般の人々が寄生する事で成立しています。王侯貴族と云うのは一般の人々が傑出した人々を崇め奉り機嫌をとる事でより多くの利益を引き出す事を目的としています。根本的には神仏を敬う事と根本は同じなのですね。傑出した人物は自分よりも高位の存在であると考えないとプライドが保てないとも考えられます。ノーブレスオブリージュなんて言葉で妙な正当化までされています。そして、此処で問題になるのはやはり傑出していない普通以下の人物が王侯貴族になることです。彼らは一般人と同じ様に過去の偉人の業績に寄生しその結果、リソースが不足し寄生虫同士が共食いを始めます。それが歴史的には革命と呼ばれる現象です。
しかしそもそも、傑出した人物は自分よりも劣るその他大勢の面倒を見る必要があるのでしょうか。偉人という存在は見返りには殆ど興味を持っていないのも事実です。そういう意味ではカルロス・ゴーンという存在は能力という点ではともかく偉人ではないのでしょう。
一般人はその事に甘えがちです。登極当初は名君と呼ばれながら晩年は暴君となるのは途中で気付いてはいけないことに気付き心が耐えられなかった事もあるのでしょう。
近年では現在の日本国総理大臣がその様な心理になっていると云われています。国のために頑張っているのにナニをしても常に文句を言われてますから当然ですね。
何者かの保護を必要とする存在は保護してくれる存在に対して見返りを用意する必要があります。それが王侯貴族のもつ権利であり貢ぎ物である訳です。子供に至っては可愛らしさです。哺乳類の子供というのは絶世の不細工同士の子供でも例外なく可愛く感じるのはそのためです。親の保護欲を刺激する必要がありますから当然ですね。
異世界モノは基本的に個の能力で有象無象の集団を圧倒します。それがイレギュラー要素でなく常態要素であるなら異世界の社会システムは現実の社会システムとは大きく異なるでしょう。ある種の動物の群のように強い雄が自分の気に入った雌の集団と群を成す事が考えられます。そして年をとって弱くなると群のボスを交代するという形になるかもしれません。逆ハーは多分、考える必要はないです。逆ハー女性生む子供はハーレム男性が生ませた子供よりも障害率が高く個体性能も劣ることが証明されているそうなの最終的に種が滅ぶそうです。実際にリアルで逆ハー作った事で有名なエカテリーナ2世、武則天の子供は大したことがない事で有名です。
そして物語で市民革命を成立させるには個の能力で集団を圧倒させるような世界ではない。その他大勢の人間が特殊な訓練を長期間に渡って受けなくても特殊な訓練を受けた人々を簡単に人を殺すことが出来る。という二点が必要となります。
現実世界を例に取れば近代民主主義は銃の存在が無ければ成立はしませんでした。銃なら子供でも簡単に大人を殺せます。日本ではGUNと書いて「じゆう」と読みFREEDOMと書いて「じゅう」と読む人もいます。何せ「見えない自由を求めて見えない銃を撃ちまくる。」 フレーズの歌があるぐらいですから。
そしてアメリカの銃社会の根底理念でもあります。
私がアメリカに自由の女神をデザインするなら右手に松明ではなくピースメーカー左手に聖書ではなく札束を持たせ、頭にはカウボーイハット、口には葉巻胸と尻のサイズは三倍にしてマリリンモンローのような衣装とポーズを取らせるでしょう。きっとアメリカ人は顔を真っ赤にし頭から湯気を出して目に涙を浮かべて喜んでくれるかもしれません。
アル戦は私も買い直しました。ラノベの場合は長期ブランクがあるとイラストレーターの変更や出版社も変わります。印象的には別物感が強くなりますね。
ネット小説で長期ブランクを出すとやっぱりこの人は思い付き書いているんだと云う事になりますから。最悪、コンスタントに出版することが要求されるラノベ業界ではビジネスパートナーとしては失格の烙印を押されるような気がするのですけどね。
くろの介様、ご感想ありがとうございます。
カルロス・ゴーン被告は、日産に来てリストラを断行しましたが、本来リストラとは「リストラクション」つまり「再配置」であって「首を切る」ではなかったはずです。しかしゴーン被告はクビを切ってしまいました。この一点だけでも偉人と呼べる存在ではありませんね。
実はAooleの創業者のスティーブ・ジョブズ氏も気に食わない、役に立たない人間は容赦なく切り捨てていました。しかし一度追放されて再びAppleに復権した際、当時の取締役を全員解雇した以外は「首を切らない」で本来のリストラを行ない「iMac」「iPod」「iPhone」と立て続けヒット作を生み出し、Appleが時価総額世界一になる基礎を作った、まさに「偉人」です。
人は心境の変化があれば「暴君」にも「偉人」にもなれる表れかもしれません。
THE BLUE HEARTSの歌詞は絶品ですよね。これぞ「ロック」と呼ぶべき現代風刺がきいた歌詞が多い。私などは小説のアイデアがひらめくときすらあります。
『アルスラーン戦記』はとにかく時間がかかりすぎですね。多くの人が忘れていた頃、見捨ててしまった後に続刊が出るとは思いもしませんでした。
ライトノベルはどうしても出版社が店じまいしていたりイラストレーターが変更になったりしますよね。水野良氏『ロードス島戦記』も出渕裕氏から美樹本晴彦氏へバトンタッチしていましたし。『魔法戦士リウイ』も士貴智志氏から横田守氏に変わっています。連載が長く続くと、イラストレーターの変更によるイメージの変化は避けられませんね。とくに『魔法戦士リウイ ファーラムの剣』は先行2巻が士貴智志氏だったのがそこで休止、『魔法戦士リウイ』から横田守氏に変わり、連載が『ファーラムの剣』に戻ってから先行2巻も横田守氏バージョンで再販売されて絵柄を統一するなんてこともありました。
小説投稿サイトで長期休載をしている作品は、どんなに内容がよくても「紙の書籍」にはならないと思っています。理由はくろの介様と同様「コンスタントに連載できないのでは」と出版社が疑念を抱くからです。
ここ『小説家になろう』というサイト名なのに、近年「小説家」になれた人が少ないのも、人気はあれど連載が続かない作品が多いからかもしれませんね。まぁ格出版社が独自の小説投稿サイトを立ち上げたせいもあるのですが。
元書店店長の意見ですが、やはり売れる作品は定期的に販売したいんですよね。売れる作品の販売月は営業成績もよくなりますからね。店舗経営としてそうなので、出版社も安定した売上は確保したいところでしょう。
何度か出版社の方とお話しした経験からすると、やはり「売りたい」という熱意が伝わってきます。とくにイチオシ作品は多めに配本してくれるので、「この作品に社運がかかっているんだろうな」とわかるのです。
もし売れっ子が三か月に一回のペースで新刊を書いてくれれば、それだけで経営が安定化するのですから。
ライトノベルの出版社はいつも「安定して売れる」シリーズを求めていますね。単発で終わってしまうと販促しても効果が限定的だからです。
結局、読み手も出版社も書き手も、全員が特をする「三方一両得」なのは定期的な連載だけなのだと思います。
カルロス・ゴーン被告は、日産に来てリストラを断行しましたが、本来リストラとは「リストラクション」つまり「再配置」であって「首を切る」ではなかったはずです。しかしゴーン被告はクビを切ってしまいました。この一点だけでも偉人と呼べる存在ではありませんね。
実はAooleの創業者のスティーブ・ジョブズ氏も気に食わない、役に立たない人間は容赦なく切り捨てていました。しかし一度追放されて再びAppleに復権した際、当時の取締役を全員解雇した以外は「首を切らない」で本来のリストラを行ない「iMac」「iPod」「iPhone」と立て続けヒット作を生み出し、Appleが時価総額世界一になる基礎を作った、まさに「偉人」です。
人は心境の変化があれば「暴君」にも「偉人」にもなれる表れかもしれません。
THE BLUE HEARTSの歌詞は絶品ですよね。これぞ「ロック」と呼ぶべき現代風刺がきいた歌詞が多い。私などは小説のアイデアがひらめくときすらあります。
『アルスラーン戦記』はとにかく時間がかかりすぎですね。多くの人が忘れていた頃、見捨ててしまった後に続刊が出るとは思いもしませんでした。
ライトノベルはどうしても出版社が店じまいしていたりイラストレーターが変更になったりしますよね。水野良氏『ロードス島戦記』も出渕裕氏から美樹本晴彦氏へバトンタッチしていましたし。『魔法戦士リウイ』も士貴智志氏から横田守氏に変わっています。連載が長く続くと、イラストレーターの変更によるイメージの変化は避けられませんね。とくに『魔法戦士リウイ ファーラムの剣』は先行2巻が士貴智志氏だったのがそこで休止、『魔法戦士リウイ』から横田守氏に変わり、連載が『ファーラムの剣』に戻ってから先行2巻も横田守氏バージョンで再販売されて絵柄を統一するなんてこともありました。
小説投稿サイトで長期休載をしている作品は、どんなに内容がよくても「紙の書籍」にはならないと思っています。理由はくろの介様と同様「コンスタントに連載できないのでは」と出版社が疑念を抱くからです。
ここ『小説家になろう』というサイト名なのに、近年「小説家」になれた人が少ないのも、人気はあれど連載が続かない作品が多いからかもしれませんね。まぁ格出版社が独自の小説投稿サイトを立ち上げたせいもあるのですが。
元書店店長の意見ですが、やはり売れる作品は定期的に販売したいんですよね。売れる作品の販売月は営業成績もよくなりますからね。店舗経営としてそうなので、出版社も安定した売上は確保したいところでしょう。
何度か出版社の方とお話しした経験からすると、やはり「売りたい」という熱意が伝わってきます。とくにイチオシ作品は多めに配本してくれるので、「この作品に社運がかかっているんだろうな」とわかるのです。
もし売れっ子が三か月に一回のペースで新刊を書いてくれれば、それだけで経営が安定化するのですから。
ライトノベルの出版社はいつも「安定して売れる」シリーズを求めていますね。単発で終わってしまうと販促しても効果が限定的だからです。
結局、読み手も出版社も書き手も、全員が特をする「三方一両得」なのは定期的な連載だけなのだと思います。
- カイ.智水
- 2020年 08月10日 10時50分
[一言]
「一寸の虫にも五分の魂」。含蓄の深い言葉です。
私はその後ろに「されど、人の魂もまた五分」と付けてしまいます。単に全て生き物の命の価値その大きさ、種によらず全て等価である。ただ付いてる値段、経済的価値が違うだけ。そして命を奪う行為は人であろうが無視であろうがその理由の如何に関わらず受ける刑罰の違いはあれど背負う罪の重さは等しいと言いたいだけですけどね。
これは六道輪廻の仏教的価値観の影響を受けてますけどね。
異種族を登場させる場合は私はある程度の異種族間の差別は必要かなと思います。理由は「なろう」の作家さんに限らず多くの作家さんが異種族間の交配による混雑種の誕生を容認しているからです。もし種族間差別がなくなければどうなるか。おそらくエルフやらドワーフといった区別は混血によって消滅し時折、先祖帰りといった形で出現するといった形になるでしょう。それ故に異種族の集団を残すにはどうしても差別が必要となります。現に地球上では一時代を築いた多くの征服民族は雑種混成で消滅していますし。
インドのカースト制度はイロイロ、避難されていますが本来の目的は各カースト間の婚姻を制限する事により異民族間の混血を防ぎ民族の純血を保つことにあったと考えています。
異種族の扱いは正直、主人公サイドをヒューマンに設定すると難しいなと思います。ヒューマンはおそらく古代において化石で発見されているされていない異種族を生存競争の果てに絶滅させてきたと節がありますし。さらに近代まで奴隷のブリーディングもやっていましたし。
小説の全ての登場人物は例外なく作者自身の人格の一面を分離させ濃縮したものです。故に余り現代的価値観からかけ離れたムチャな人格を必要とする人物は書けないですから。
台詞のない村人Aに命を吹き込む。それが出来れば大賞も夢ではないかもしれませんね。
「一寸の虫にも五分の魂」。含蓄の深い言葉です。
私はその後ろに「されど、人の魂もまた五分」と付けてしまいます。単に全て生き物の命の価値その大きさ、種によらず全て等価である。ただ付いてる値段、経済的価値が違うだけ。そして命を奪う行為は人であろうが無視であろうがその理由の如何に関わらず受ける刑罰の違いはあれど背負う罪の重さは等しいと言いたいだけですけどね。
これは六道輪廻の仏教的価値観の影響を受けてますけどね。
異種族を登場させる場合は私はある程度の異種族間の差別は必要かなと思います。理由は「なろう」の作家さんに限らず多くの作家さんが異種族間の交配による混雑種の誕生を容認しているからです。もし種族間差別がなくなければどうなるか。おそらくエルフやらドワーフといった区別は混血によって消滅し時折、先祖帰りといった形で出現するといった形になるでしょう。それ故に異種族の集団を残すにはどうしても差別が必要となります。現に地球上では一時代を築いた多くの征服民族は雑種混成で消滅していますし。
インドのカースト制度はイロイロ、避難されていますが本来の目的は各カースト間の婚姻を制限する事により異民族間の混血を防ぎ民族の純血を保つことにあったと考えています。
異種族の扱いは正直、主人公サイドをヒューマンに設定すると難しいなと思います。ヒューマンはおそらく古代において化石で発見されているされていない異種族を生存競争の果てに絶滅させてきたと節がありますし。さらに近代まで奴隷のブリーディングもやっていましたし。
小説の全ての登場人物は例外なく作者自身の人格の一面を分離させ濃縮したものです。故に余り現代的価値観からかけ離れたムチャな人格を必要とする人物は書けないですから。
台詞のない村人Aに命を吹き込む。それが出来れば大賞も夢ではないかもしれませんね。
くろの介様、ご感想ありがとうございます。
「剣と魔法のファンタジー」で異種族はほとんどの場合純血で、いてもハーフエルフくらいなんですよね。
しかもハーフエルフはヒューマンからもエルフからも差別されてしまう存在。
おっしゃるとおり混血が進むと純血が少なくなり、結果的に消滅していまう可能性が高いですね。
日本では琉球民族はまだ生き残っているようですが、アイヌ民族はほとんど見られなくなりました。明治政府の北海道開墾で混血が進んだのも一因なのでしょうか。
主人公をヒューマンにして成功した「種族と格差」は少ないかもしれませんね。
異種族ものの代表格は栗本薫氏『グイン・サーガ』ですが、あれも主人公は豹頭でしたから。
登場人物はすべて書き手の人格の一部、というのは納得ですね。
私も、自分が経験していないことをキャラに付与できるほど人間が出来ていませんから、どうしても自分の価値観の切り売りにしかなりません。もっと増悪なキャラを登場させたくても、どうしても根っからの悪人が書けないんですよね。どこかに良心を残してしまいます。そのほうが深みがあっていいか、と割り切ることにしていますが。
セリフがなくても、物語に登場する人物は、登場するに足る理由があるはずです。それをきちんと書けるかどうか。ただの設定スピーカーになってはいないか。そこを考える必要がありますね。
「剣と魔法のファンタジー」で異種族はほとんどの場合純血で、いてもハーフエルフくらいなんですよね。
しかもハーフエルフはヒューマンからもエルフからも差別されてしまう存在。
おっしゃるとおり混血が進むと純血が少なくなり、結果的に消滅していまう可能性が高いですね。
日本では琉球民族はまだ生き残っているようですが、アイヌ民族はほとんど見られなくなりました。明治政府の北海道開墾で混血が進んだのも一因なのでしょうか。
主人公をヒューマンにして成功した「種族と格差」は少ないかもしれませんね。
異種族ものの代表格は栗本薫氏『グイン・サーガ』ですが、あれも主人公は豹頭でしたから。
登場人物はすべて書き手の人格の一部、というのは納得ですね。
私も、自分が経験していないことをキャラに付与できるほど人間が出来ていませんから、どうしても自分の価値観の切り売りにしかなりません。もっと増悪なキャラを登場させたくても、どうしても根っからの悪人が書けないんですよね。どこかに良心を残してしまいます。そのほうが深みがあっていいか、と割り切ることにしていますが。
セリフがなくても、物語に登場する人物は、登場するに足る理由があるはずです。それをきちんと書けるかどうか。ただの設定スピーカーになってはいないか。そこを考える必要がありますね。
- カイ.智水
- 2020年 08月07日 17時58分
[一言]
臆病な主人公、マンガの世界やラノベの世界では需要が少ない或いは掲載する雑誌やレーベルの特色にそぐわない為か基本的にヒット作品の中には存在しないようです。尤も文学史の名作には「人間失格」や「若きウェルテルの悩み」といった主人公が最後に自殺する作品の主人公は大抵、臆病です。最後になけなしの勇気を振り絞って自殺するのですが。
臆病と云うには少し違いますが「あだち充」氏の「タッチ」以降の作品の主人公は大体ネガティブです。ヒロインが懸命に主人公を支え時には叱咤する事で何とか物語を動かします。主人公にとってはヒロインはなくてはならない存在ですが、ヒロインにとっては主人公は最低基準さえ満たしていれば誰でも良いのです。碇シンジは別に誰がヒロインで物語は動きますが、「あだち充」氏の作品はこの娘がヒロインでないと物語は梃子でも動かないのという主人公がヒロインに完全に依存する特殊な世界を構築しています。
ドラえもん、ドラえもんの四次元ポケットには何故、ヤバそうなモノも含めてイロイロなモノが入っているのでしょう。最近、思うのですねモノを片付けるときドラえもんが一台あればすぐに片付くのにと。四次元ポケットに手当たり次第に放り込めば良いのですから。ドラえもんは未来の世界でそうやってイロイロな所を回って道具を集めたのでしょうか。
臆病な主人公、マンガの世界やラノベの世界では需要が少ない或いは掲載する雑誌やレーベルの特色にそぐわない為か基本的にヒット作品の中には存在しないようです。尤も文学史の名作には「人間失格」や「若きウェルテルの悩み」といった主人公が最後に自殺する作品の主人公は大抵、臆病です。最後になけなしの勇気を振り絞って自殺するのですが。
臆病と云うには少し違いますが「あだち充」氏の「タッチ」以降の作品の主人公は大体ネガティブです。ヒロインが懸命に主人公を支え時には叱咤する事で何とか物語を動かします。主人公にとってはヒロインはなくてはならない存在ですが、ヒロインにとっては主人公は最低基準さえ満たしていれば誰でも良いのです。碇シンジは別に誰がヒロインで物語は動きますが、「あだち充」氏の作品はこの娘がヒロインでないと物語は梃子でも動かないのという主人公がヒロインに完全に依存する特殊な世界を構築しています。
ドラえもん、ドラえもんの四次元ポケットには何故、ヤバそうなモノも含めてイロイロなモノが入っているのでしょう。最近、思うのですねモノを片付けるときドラえもんが一台あればすぐに片付くのにと。四次元ポケットに手当たり次第に放り込めば良いのですから。ドラえもんは未来の世界でそうやってイロイロな所を回って道具を集めたのでしょうか。
くろの介様、ご感想ありがとうございます。
最後に自殺するような主人公は、そう考えれば臆病ですよね。
『TOUCH』以降のあだち充氏の作品。けっこう読んでいますね。
才能はあるけどやる気がない主人公が多い印象です。まぁスポーツ漫画に見せかけたラブコメですから、スポーツに励まなくても物語は進んでしまいます。それでもスポーツを一生懸命やらせるにはヒロインの存在が欠かせない。臆病というよりはやる気の問題ですね。
『ドラえもん』は確かのび太の子孫・せわしの家がけっこう裕福で、いろんな道具をドラえもんに渡していたんじゃなかったかな、と記憶しています。家は裕福でもジャイ子の子孫というのが嫌で、ドラえもんを遣わしてしずかちゃんと結婚させようとしていたはずです。まぁタイムパラドックスを考えれば、ドラえもんを遣わした段階で未来が変わってしまいますから、その時点ですでに有能なのび太の子孫として暮らしているのかもしれませんね。
最後に自殺するような主人公は、そう考えれば臆病ですよね。
『TOUCH』以降のあだち充氏の作品。けっこう読んでいますね。
才能はあるけどやる気がない主人公が多い印象です。まぁスポーツ漫画に見せかけたラブコメですから、スポーツに励まなくても物語は進んでしまいます。それでもスポーツを一生懸命やらせるにはヒロインの存在が欠かせない。臆病というよりはやる気の問題ですね。
『ドラえもん』は確かのび太の子孫・せわしの家がけっこう裕福で、いろんな道具をドラえもんに渡していたんじゃなかったかな、と記憶しています。家は裕福でもジャイ子の子孫というのが嫌で、ドラえもんを遣わしてしずかちゃんと結婚させようとしていたはずです。まぁタイムパラドックスを考えれば、ドラえもんを遣わした段階で未来が変わってしまいますから、その時点ですでに有能なのび太の子孫として暮らしているのかもしれませんね。
- カイ.智水
- 2020年 08月04日 18時55分
[一言]
連続投稿、失礼します。
臆病とは少し違うかもしれませんが「ヒカルの碁」は典型的な逃避と帰着の物語でした。
最初、主人公のヒカルは幽霊の佐為に碁を打つ様に頼まれても簡単には引き受けません。
その後、佐為がヒカルに神の一手を託して消えたとき、ヒカルは秀策の耳赤の一手を見て佐為の強さを改めて思い知り、囲碁を辞めてしまいます。
それからヒカルは立ち直って、佐為の神の一手を極めたいという意思を継ぐのですが、これは逃避と帰着の物語そのものだったと思います。
サンデーの漫画ですが、あだち充先生のタッチも、上杉達也は甲子園の前に逃げてますし、その前に弟が生きている間は野球や幼馴染みの朝倉南から逃げていました。
逃避と帰着の物語は、スポーツにゲームや恋愛など様々なジャンルで使われるようです。
連続投稿、失礼します。
臆病とは少し違うかもしれませんが「ヒカルの碁」は典型的な逃避と帰着の物語でした。
最初、主人公のヒカルは幽霊の佐為に碁を打つ様に頼まれても簡単には引き受けません。
その後、佐為がヒカルに神の一手を託して消えたとき、ヒカルは秀策の耳赤の一手を見て佐為の強さを改めて思い知り、囲碁を辞めてしまいます。
それからヒカルは立ち直って、佐為の神の一手を極めたいという意思を継ぐのですが、これは逃避と帰着の物語そのものだったと思います。
サンデーの漫画ですが、あだち充先生のタッチも、上杉達也は甲子園の前に逃げてますし、その前に弟が生きている間は野球や幼馴染みの朝倉南から逃げていました。
逃避と帰着の物語は、スポーツにゲームや恋愛など様々なジャンルで使われるようです。
別府様、続けてのご感想ありがとうございます。
連続投稿もいくらでもしてくださいませ。皆様からの貴重なご意見がコラムをよりよいものにしてくれると信じています。
『ヒカルの碁』は漫然と生活していた進藤ヒカルが、たまたまじいちゃん家の倉で秀策の碁盤を見つけるところから始まりますね。
私としてはヒカルはただの面倒くさがりだったと思っています。
ですが、藤原佐為が自分の元を去ったところから、伊角慎一郎との再戦に至るまでは明確に「逃避と帰着」が描けていたと思います。
『週刊少年サンデー』の『TOUCH』もおっしゃるように、上杉達也は弟の和也が生きているときは意識的に野球から「逃避」していましたね。高校ではボクシング部に入らされてしまいますが、そこから逃げ出して野球をやろうとしなかった。原田正平にハメられてボクシングをやるハメになってもボクシングからは逃げず、野球から「逃避」し続けた。しかし和也が死に、その遺志となった「南を甲子園に連れて行く」を叶えるのが自分の役割だと悟ったとき、彼は野球へと「帰着」しました。
甲子園の入場行進に参加しなかったのは、私の解釈だと「南を甲子園に連れて行く」が和也の目標であって、達也の目標ではなかったから。つまり和也として「南を甲子園に連れて行く」を成し遂げたあと、達也としてするべきことが見出だせなかった。そこで達也としての目標を見つけるために南を呼び出した。そうして達也が見つけた答えが「甲子園優勝」なのだと思っています。ここもおっしゃるように「逃避と帰着」かもしれません。
こうして見てくると「逃避と帰着」の物語は名作に多い印象を受けますね。
このたびはたくさんの名作を思い出せました。すべて別府様のご感想のおかげです。
ありがとうございました。
連続投稿もいくらでもしてくださいませ。皆様からの貴重なご意見がコラムをよりよいものにしてくれると信じています。
『ヒカルの碁』は漫然と生活していた進藤ヒカルが、たまたまじいちゃん家の倉で秀策の碁盤を見つけるところから始まりますね。
私としてはヒカルはただの面倒くさがりだったと思っています。
ですが、藤原佐為が自分の元を去ったところから、伊角慎一郎との再戦に至るまでは明確に「逃避と帰着」が描けていたと思います。
『週刊少年サンデー』の『TOUCH』もおっしゃるように、上杉達也は弟の和也が生きているときは意識的に野球から「逃避」していましたね。高校ではボクシング部に入らされてしまいますが、そこから逃げ出して野球をやろうとしなかった。原田正平にハメられてボクシングをやるハメになってもボクシングからは逃げず、野球から「逃避」し続けた。しかし和也が死に、その遺志となった「南を甲子園に連れて行く」を叶えるのが自分の役割だと悟ったとき、彼は野球へと「帰着」しました。
甲子園の入場行進に参加しなかったのは、私の解釈だと「南を甲子園に連れて行く」が和也の目標であって、達也の目標ではなかったから。つまり和也として「南を甲子園に連れて行く」を成し遂げたあと、達也としてするべきことが見出だせなかった。そこで達也としての目標を見つけるために南を呼び出した。そうして達也が見つけた答えが「甲子園優勝」なのだと思っています。ここもおっしゃるように「逃避と帰着」かもしれません。
こうして見てくると「逃避と帰着」の物語は名作に多い印象を受けますね。
このたびはたくさんの名作を思い出せました。すべて別府様のご感想のおかげです。
ありがとうございました。
- カイ.智水
- 2020年 08月03日 18時30分
[良い点]
一応、アイシールド21のセナは臆病な主人公でした。
特技の足の早さも、パシリに使われているうちに鍛えられたという後ろ向きな理由です。
それに目を付けられて無理矢理アメフトをやらされるのは、いきなりエヴァに乗って使徒を倒せという無茶振りに近いかもしれません。
とはいっても、セナは早い段階でアメフトを受け入れたので臆病なのは最初だけかもしれません。
一応、アイシールド21のセナは臆病な主人公でした。
特技の足の早さも、パシリに使われているうちに鍛えられたという後ろ向きな理由です。
それに目を付けられて無理矢理アメフトをやらされるのは、いきなりエヴァに乗って使徒を倒せという無茶振りに近いかもしれません。
とはいっても、セナは早い段階でアメフトを受け入れたので臆病なのは最初だけかもしれません。
エピソード1267
別府様、初めてのご感想ありがとうございます。
『アイシールド21』の小早川瀬那は確かに登場時に使いっぱしりをさせられていた臆病な性格でしたね。
これは盲点でした。
私はアメフトを通じて精神的な強さを備えていくところを読んでいたせいか、初出のときに臆病だったことをすっかり忘れていました。
『アイシールド21』の小早川瀬那は確かに登場時に使いっぱしりをさせられていた臆病な性格でしたね。
これは盲点でした。
私はアメフトを通じて精神的な強さを備えていくところを読んでいたせいか、初出のときに臆病だったことをすっかり忘れていました。
- カイ.智水
- 2020年 08月03日 18時17分
[一言]
1200日連続投稿達成おめでとうございます。
私の知る限り数名しか達成できていない偉業ですよ。
その上は本編を800日連続投稿で完結させた後、後日譚を1500日連続投稿達成している方が1人、作中時間は200日ほどにも関わらず連続投稿日数は1500日越えておられる方が1人、2000越えされ書籍化もされている方が2人程いる程度でしょうか。健やかな体と精神を維持した上で直接の影響がでるような距離の近い身内に大きな不幸が訪れないという幸運にも恵まれてはじめて達成出来る偉業ですね。
此からも健やかな毎日が送れるよう応援させていただきます。
1200日連続投稿達成おめでとうございます。
私の知る限り数名しか達成できていない偉業ですよ。
その上は本編を800日連続投稿で完結させた後、後日譚を1500日連続投稿達成している方が1人、作中時間は200日ほどにも関わらず連続投稿日数は1500日越えておられる方が1人、2000越えされ書籍化もされている方が2人程いる程度でしょうか。健やかな体と精神を維持した上で直接の影響がでるような距離の近い身内に大きな不幸が訪れないという幸運にも恵まれてはじめて達成出来る偉業ですね。
此からも健やかな毎日が送れるよう応援させていただきます。
くろの介様、ご感想ありがとうございます。
おかげさまを持ちまして、1,201日連続投稿を達生できました。
途中で引っ越しがあったり、インフルエンザでダウンしたりと順調な旅ではなかったですね。
それでも意地だけで継続していたところもあります。
現在ストックをほとんど持たずに、インスピレーションだけで物語のパターンを考察しているので、このあたりが連載の限界かもしれません。連続投稿1,234日までは頑張りたいところですが。そんなに物語の種類ってあるのかな? と思ったり。
とりあえず健康と周囲の人々の安全を祈って、行けるところまで毎日連載を続けたいと思います。
連載を始めた当初はここまで長くなるとは、まったく思っていませんでした。
それだけ「小説を書く」「文章を書く」のは奥が深いということですね。
おかげさまを持ちまして、1,201日連続投稿を達生できました。
途中で引っ越しがあったり、インフルエンザでダウンしたりと順調な旅ではなかったですね。
それでも意地だけで継続していたところもあります。
現在ストックをほとんど持たずに、インスピレーションだけで物語のパターンを考察しているので、このあたりが連載の限界かもしれません。連続投稿1,234日までは頑張りたいところですが。そんなに物語の種類ってあるのかな? と思ったり。
とりあえず健康と周囲の人々の安全を祈って、行けるところまで毎日連載を続けたいと思います。
連載を始めた当初はここまで長くなるとは、まったく思っていませんでした。
それだけ「小説を書く」「文章を書く」のは奥が深いということですね。
- カイ.智水
- 2020年 08月01日 06時03分
[一言]
孫子は人を自分の意志で戦争に赴かせるには大儀が必要といっています。そして人が自発的に人の命を奪うには怒りが必要だと述べています。アメリカでは最低限の訓練を受けただけの新兵で初陣で普通に人を狙って銃を撃てる人間全体の一割に届くか届かないかぐらいだという統計があるそうです。
喪失と復讐は正にその両方の条件を説得力を持って揃える要素となり得ますね。喪失だけなら自分探しを目的としたの旅立ちと帰還の物語になるのでしょう。流石に復讐だけでは小説は成立しませんね。享楽的殺人者の手記という設定なら何とかなるでしょうか。世の中には「理由なき反抗」というモノは確かに存在し小説に登場するサイコパス系のシリアルキラーは大体それに該当します。現実でのシリアルキラーの殆どが幼児虐待経験者なのだそうですけど小説で理由付けに採用する人は少ないですね。幼児虐待経験者は長ずれば我が子を虐待する鬼となり血統が絶えるまで因果が繰り返される事実も小説に取り入れる人は少ないですね。読んでいて楽しいものでもありませんから仕方ありませんね。
孫子は人を自分の意志で戦争に赴かせるには大儀が必要といっています。そして人が自発的に人の命を奪うには怒りが必要だと述べています。アメリカでは最低限の訓練を受けただけの新兵で初陣で普通に人を狙って銃を撃てる人間全体の一割に届くか届かないかぐらいだという統計があるそうです。
喪失と復讐は正にその両方の条件を説得力を持って揃える要素となり得ますね。喪失だけなら自分探しを目的としたの旅立ちと帰還の物語になるのでしょう。流石に復讐だけでは小説は成立しませんね。享楽的殺人者の手記という設定なら何とかなるでしょうか。世の中には「理由なき反抗」というモノは確かに存在し小説に登場するサイコパス系のシリアルキラーは大体それに該当します。現実でのシリアルキラーの殆どが幼児虐待経験者なのだそうですけど小説で理由付けに採用する人は少ないですね。幼児虐待経験者は長ずれば我が子を虐待する鬼となり血統が絶えるまで因果が繰り返される事実も小説に取り入れる人は少ないですね。読んでいて楽しいものでもありませんから仕方ありませんね。
くろの介様、ご感想ありがとうございます。
『孫子』はさまざまなことを私たちに伝えてくれますよね。
当時戦乱の渦中でしたから、人の行動心理を読み解かなければ兵は動かせい、と気づいた点も素晴らしい。
「復讐」だけの物語はさすがにあまりないですね。例にも挙げましたが『カチカチ山』くらいしか思い浮かばないんですよね。ウサギは直接なにかを失ってはいませんから。
「復讐」ものを書きたければ、やはり「喪失」あってこそだと思います。「喪失」は自然と「復讐」心を駆り立てます。
あと気づいたのですが、昨日の第1264回で毎日連載1,200日を達成していました。のちほどサブタイトルを書き換えたいと思います。
『孫子』はさまざまなことを私たちに伝えてくれますよね。
当時戦乱の渦中でしたから、人の行動心理を読み解かなければ兵は動かせい、と気づいた点も素晴らしい。
「復讐」だけの物語はさすがにあまりないですね。例にも挙げましたが『カチカチ山』くらいしか思い浮かばないんですよね。ウサギは直接なにかを失ってはいませんから。
「復讐」ものを書きたければ、やはり「喪失」あってこそだと思います。「喪失」は自然と「復讐」心を駆り立てます。
あと気づいたのですが、昨日の第1264回で毎日連載1,200日を達成していました。のちほどサブタイトルを書き換えたいと思います。
- カイ.智水
- 2020年 07月31日 15時51分
― 感想を書く ―