感想一覧
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[一言]
初めまして、いつも更新を楽しみにしています。
対になる存在では、鬼滅の刃の無惨が歴代のジャンプの悪役でもトップクラスだと思います。
愛される悪役というより、同情の余地が一切ない徹底して憎まれる存在として描かれています。
主人公達とのラストバトル直前の演説がネットで炎上したときは自分も「何様のつもりだ、てめえ!」と激怒しました。
カリスマ性のある悪役とは別に、こういう対になる存在もあるということでお勧めします。
銀英伝で好きな脇役はオーベルシュタインとシェーンコップです。
なろう小説が批判されるのは、主人公の周りにイエスマンしかいないことが理由の一つで、この二人は主人公の傍にいるからこその名脇役なのだと思います。
初めまして、いつも更新を楽しみにしています。
対になる存在では、鬼滅の刃の無惨が歴代のジャンプの悪役でもトップクラスだと思います。
愛される悪役というより、同情の余地が一切ない徹底して憎まれる存在として描かれています。
主人公達とのラストバトル直前の演説がネットで炎上したときは自分も「何様のつもりだ、てめえ!」と激怒しました。
カリスマ性のある悪役とは別に、こういう対になる存在もあるということでお勧めします。
銀英伝で好きな脇役はオーベルシュタインとシェーンコップです。
なろう小説が批判されるのは、主人公の周りにイエスマンしかいないことが理由の一つで、この二人は主人公の傍にいるからこその名脇役なのだと思います。
エピソード1198
別府様、ご感想ありがとうございます。
『鬼滅の刃』、実は完全ノーマークで、アニメ放送を見逃していました。
その後ブームが到来し『乗り遅れた!!』と思ったところでAT-Xが一挙放送してくれて、今少しずつ消化しています。
やはり「勧善懲悪」ものは強い求心力が働くんですよね。「悪」が目立つほど、主人公の正義が際立つ。たとえ主人公の「正義」を書かなくても「対になる存在」が「絶対悪」なら、それと対峙する主人公は「正義」が成り立ちますから、とてもわかりやすい。
『銀河英雄伝説』、オーベルシュタインとシェーンコップはいいですよね。
ラインハルトの陰として暗躍するオーベルシュタイン。ヤン個人に忠誠を誓う薔薇の騎士連隊体調。
どちらかが存在しないと勢力のバランスが悪くなるんですよね。こういうバランスのとり方が絶妙な作品でした。
俗に言う「なろう小説」は、「脇役」が弱いんですよね。力量というより存在感として。ただそこにいるだけというキャラが多いような気がします。
またなにか気づいたことなどございましたら、ご感想なりメッセージなりを送っていただれればと存じます。
カイ.アルザードSSTMより
『鬼滅の刃』、実は完全ノーマークで、アニメ放送を見逃していました。
その後ブームが到来し『乗り遅れた!!』と思ったところでAT-Xが一挙放送してくれて、今少しずつ消化しています。
やはり「勧善懲悪」ものは強い求心力が働くんですよね。「悪」が目立つほど、主人公の正義が際立つ。たとえ主人公の「正義」を書かなくても「対になる存在」が「絶対悪」なら、それと対峙する主人公は「正義」が成り立ちますから、とてもわかりやすい。
『銀河英雄伝説』、オーベルシュタインとシェーンコップはいいですよね。
ラインハルトの陰として暗躍するオーベルシュタイン。ヤン個人に忠誠を誓う薔薇の騎士連隊体調。
どちらかが存在しないと勢力のバランスが悪くなるんですよね。こういうバランスのとり方が絶妙な作品でした。
俗に言う「なろう小説」は、「脇役」が弱いんですよね。力量というより存在感として。ただそこにいるだけというキャラが多いような気がします。
またなにか気づいたことなどございましたら、ご感想なりメッセージなりを送っていただれればと存じます。
カイ.アルザードSSTMより
- カイ.智水
- 2020年 05月26日 22時46分
[一言]
小説の構成はやはり重要ですよね。強調すべき場面、エピソードの順番を入れ替えるだけで同じストーリーでも印象はかなり違ってきますから。時系列順にエピソードを並べるだけだと小説が下手すれば単に主人公の日記、それも備忘録となってしまいますから当然ですよね。
そして気になるのは長編小説はどの程度の投稿回数で完結させる事が最適かという点です。文庫本サイズですと1頁当たり800字、200頁とすると大体16万字位になるでしょうか。投稿1回当たり3000字程度だとすると50回を超え100回に届かない程度の規模になるでしょうか。
おそらくこの文字数は出版業界が長年のみ経験を元にして算出した一つの解と思われます。
私が構成に疑問を感じ始めるのも50回分の投稿を読んだ後ぐらいですし。大抵、この小説まだ50回も投稿していて終わりが見えない?と不安になるわけです。
後は同一作者の他の作品をチェックしてどの程度で回数で完結させていいるかチェックすることになります。完結させている作品がいくつか存在し最終投稿日が1年以上前で未完のまま放置されている作品がなければ必ず完結させてくれるという保証が得られますから。
逆に未完のまま放置されている作品が多ければどの程度の投稿回数で放置するかある程度掴めます。200超えて完結出来ずに何ヶ月も放置された作品が多い作家さんは何かを最後までやり遂げる意欲に欠け現在執筆中の作品も完結させずに放置される可能性が高いかもしれません。
完結させた作品と放置した作品が混在している作家さんは気分屋で何かしらケチがついたと感じた作品は触れる事が嫌なようです。感想欄で賞賛以外の感想がない場合はほぼ確定でしょう。
趣味で書きたい物語を書き連ねる場合はともかく、プロを目指す方は文庫本1冊分で纏めるようにした方が良いのではないかと私は思います。
小説の構成はやはり重要ですよね。強調すべき場面、エピソードの順番を入れ替えるだけで同じストーリーでも印象はかなり違ってきますから。時系列順にエピソードを並べるだけだと小説が下手すれば単に主人公の日記、それも備忘録となってしまいますから当然ですよね。
そして気になるのは長編小説はどの程度の投稿回数で完結させる事が最適かという点です。文庫本サイズですと1頁当たり800字、200頁とすると大体16万字位になるでしょうか。投稿1回当たり3000字程度だとすると50回を超え100回に届かない程度の規模になるでしょうか。
おそらくこの文字数は出版業界が長年のみ経験を元にして算出した一つの解と思われます。
私が構成に疑問を感じ始めるのも50回分の投稿を読んだ後ぐらいですし。大抵、この小説まだ50回も投稿していて終わりが見えない?と不安になるわけです。
後は同一作者の他の作品をチェックしてどの程度で回数で完結させていいるかチェックすることになります。完結させている作品がいくつか存在し最終投稿日が1年以上前で未完のまま放置されている作品がなければ必ず完結させてくれるという保証が得られますから。
逆に未完のまま放置されている作品が多ければどの程度の投稿回数で放置するかある程度掴めます。200超えて完結出来ずに何ヶ月も放置された作品が多い作家さんは何かを最後までやり遂げる意欲に欠け現在執筆中の作品も完結させずに放置される可能性が高いかもしれません。
完結させた作品と放置した作品が混在している作家さんは気分屋で何かしらケチがついたと感じた作品は触れる事が嫌なようです。感想欄で賞賛以外の感想がない場合はほぼ確定でしょう。
趣味で書きたい物語を書き連ねる場合はともかく、プロを目指す方は文庫本1冊分で纏めるようにした方が良いのではないかと私は思います。
くろの介様、いつもご感想ありがとうございます。
小説はまず全体の文量の目安をつけて、それをいくつのエピソードに分けて物語の展開・流れを決めなければ、規定文字数には届かないか超えてしまうかしてしまいます。
昔は原稿用紙三百枚のように原稿用紙枚数で募集していましたが、今小説投稿サイトで流行っているのは、一文改行ですぐ空白行が入るスタイルなので、ページが薄くなるんですよね。これを「紙の書籍」化した場合、どうしても中身がすかすかになってしまします。
だがらいつの間にか何万文字以上のように文字数制限に切り替えた出版社レーベルが増えたのだと思います。
基本的に長編小説一本で終わる連載なら問題はないのです。上限や引き際を見誤って連載をずるずると続けているからエタるのでしょう。
その点では、くろの介様のおっしゃる「プロを目指す方は文庫本一冊でまとめるようにしたほうがよい」は説得力があります、
小説はまず全体の文量の目安をつけて、それをいくつのエピソードに分けて物語の展開・流れを決めなければ、規定文字数には届かないか超えてしまうかしてしまいます。
昔は原稿用紙三百枚のように原稿用紙枚数で募集していましたが、今小説投稿サイトで流行っているのは、一文改行ですぐ空白行が入るスタイルなので、ページが薄くなるんですよね。これを「紙の書籍」化した場合、どうしても中身がすかすかになってしまします。
だがらいつの間にか何万文字以上のように文字数制限に切り替えた出版社レーベルが増えたのだと思います。
基本的に長編小説一本で終わる連載なら問題はないのです。上限や引き際を見誤って連載をずるずると続けているからエタるのでしょう。
その点では、くろの介様のおっしゃる「プロを目指す方は文庫本一冊でまとめるようにしたほうがよい」は説得力があります、
- カイ.智水
- 2020年 05月23日 23時25分
[一言]
こんばんは。
古代中国の英雄像って不思議ですよね。
水滸伝の宋江しかり、三國志の劉備しかり、楚漢戦争の劉邦しかり。
どれも皆、知勇兼備でも勇猛果敢でも無いんですよね。
一言で表すなら、人徳。または器の大きさでしょうか。
小説でこそ面白い群像劇ですが、ここ「なろう」でそういった主人公の物語を書いてもきっとウケは悪いでしょうね。
逆輸入と言えば、蒼天航路のヒットにより中国でも曹操を見直す機運が持ち上がっていたみたいですよね、あの頃。
曹操の頭蓋骨に踏みつけられた跡があったり、魏延の墓は鉄道だか何かの工事に邪魔だからと排除されたりしたみたいですが、中国人はもっと歴史的遺物を大切にして欲しいものです。
まぁ……焚書と言う文化のある国なので、然もありなんと言ったところでしょうけと。
……と、すみません。
大好き三國志の話題につい、食いついてしまいました。
毎日更新、お疲れ様です。
この継続力は本当に、尊敬に値します。
こんばんは。
古代中国の英雄像って不思議ですよね。
水滸伝の宋江しかり、三國志の劉備しかり、楚漢戦争の劉邦しかり。
どれも皆、知勇兼備でも勇猛果敢でも無いんですよね。
一言で表すなら、人徳。または器の大きさでしょうか。
小説でこそ面白い群像劇ですが、ここ「なろう」でそういった主人公の物語を書いてもきっとウケは悪いでしょうね。
逆輸入と言えば、蒼天航路のヒットにより中国でも曹操を見直す機運が持ち上がっていたみたいですよね、あの頃。
曹操の頭蓋骨に踏みつけられた跡があったり、魏延の墓は鉄道だか何かの工事に邪魔だからと排除されたりしたみたいですが、中国人はもっと歴史的遺物を大切にして欲しいものです。
まぁ……焚書と言う文化のある国なので、然もありなんと言ったところでしょうけと。
……と、すみません。
大好き三國志の話題につい、食いついてしまいました。
毎日更新、お疲れ様です。
この継続力は本当に、尊敬に値します。
- 投稿者: 退会済み
- 男性
- 2020年 05月20日 23時05分
管理
エピソード1193
猫屋敷たまる様、ご感想ありがとうございます。
中国の群像劇は、漢代以降に国教を儒学にしたところから始まっていますね。
儒学ではなにより「徳の高さ」が至尊の地位には必要不可欠という立場なので、大酒飲みで単細胞な劉邦が智勇兼備の項羽を倒したのは「徳が高かったから」と身も蓋もない理由で解決させていますからね。
実際は後方支援の蕭何、実践参謀の張良、前線指揮官の韓信の力量で勝てたようなものです。
『蒼天航路』は間違いなく曹操の地位を高めましたが、元から正史の陳寿氏『三国志』を読んでいた中国人からみれば、曹操こそが正義で、逆賊は孫権と劉備だったんですよね。
『三国志演義』で劉備と諸葛亮が正義となったのは著者の羅貫中氏が蜀の地出身だったからと言われています。まぁかなり個性的な陣容だったので、主役にしやすかったというのもあると思います。
中国人はほぼ唯一の文化遺産とされる万里の長城の積石すらかっぱらって売りさばくくらいですから、歴史に頓着しないのでしょう。共産主義で共産党万歳な国民からすれば、共産党以前の歴史は取るに足らないのかもしれませんけどね。
中国の群像劇は、漢代以降に国教を儒学にしたところから始まっていますね。
儒学ではなにより「徳の高さ」が至尊の地位には必要不可欠という立場なので、大酒飲みで単細胞な劉邦が智勇兼備の項羽を倒したのは「徳が高かったから」と身も蓋もない理由で解決させていますからね。
実際は後方支援の蕭何、実践参謀の張良、前線指揮官の韓信の力量で勝てたようなものです。
『蒼天航路』は間違いなく曹操の地位を高めましたが、元から正史の陳寿氏『三国志』を読んでいた中国人からみれば、曹操こそが正義で、逆賊は孫権と劉備だったんですよね。
『三国志演義』で劉備と諸葛亮が正義となったのは著者の羅貫中氏が蜀の地出身だったからと言われています。まぁかなり個性的な陣容だったので、主役にしやすかったというのもあると思います。
中国人はほぼ唯一の文化遺産とされる万里の長城の積石すらかっぱらって売りさばくくらいですから、歴史に頓着しないのでしょう。共産主義で共産党万歳な国民からすれば、共産党以前の歴史は取るに足らないのかもしれませんけどね。
- カイ.智水
- 2020年 05月21日 22時05分
[一言]
群像劇では対立軸は2つまで。やはり、そう思いますよね。田中芳樹氏のアルスラーン戦記は2部に入ってから対立軸が3つ所か一時的に5つ位まで拡大して作品がカオスと化していました。最終的には蛇王との決戦のみに絞ってようやく完結しました。タイタニアに至っては本来主軸と思われていたファン・ヒューリック陣営を添え物にする事で完結させました。
どちらもかなりのインターバルを挟んでの完結でしたから色々、葛藤があったのでしょう。
群像劇なんかで勢力を複数出す場合は章立てを工夫する事で主人公が対決する相手は常に1つという状態で残りは添え物にししておかないときっと上手く纏まらないのかもしれません。
似たような事を孫子も述べているのできっとこの考えで正しいのでしょう。最後に欲張りすぎてはいけないとも言っていましたし。
群像劇では対立軸は2つまで。やはり、そう思いますよね。田中芳樹氏のアルスラーン戦記は2部に入ってから対立軸が3つ所か一時的に5つ位まで拡大して作品がカオスと化していました。最終的には蛇王との決戦のみに絞ってようやく完結しました。タイタニアに至っては本来主軸と思われていたファン・ヒューリック陣営を添え物にする事で完結させました。
どちらもかなりのインターバルを挟んでの完結でしたから色々、葛藤があったのでしょう。
群像劇なんかで勢力を複数出す場合は章立てを工夫する事で主人公が対決する相手は常に1つという状態で残りは添え物にししておかないときっと上手く纏まらないのかもしれません。
似たような事を孫子も述べているのできっとこの考えで正しいのでしょう。最後に欲張りすぎてはいけないとも言っていましたし。
くろの介様、いつも的確なご感想ありがとうございます。
田中芳樹氏作品は、基本的な対立軸はあるのですが、そこに横槍が何本も突き刺さってくるのが厄介ですよね。
『銀河英雄伝説』に限っても、ゴールデンバウム朝銀河帝国とローエングラム朝銀河帝国の覇権争い、自由惑星同盟とヤン艦隊との主導権争い(といってもヤン・ウェンリー自身は政治的な対立を嫌って引退従っていましたが)、それが整理されてラインハルトとヤン・ウェンリーの対立軸に、フェザーン自治領&地球教とそれを利用するヨブ・トリューニヒトが横槍を刺してくる。まぁここまでならなんとかなりそうですが、自由惑星同盟が降伏しヤン艦隊がイゼルローン要塞で民主運動の旗頭となる。そして地球教の暗殺者にヤンが殺害されて、養子のユリアン・ミンツが軍事指導者、妻のフレデリカ・グリーンヒル・ヤンが政治指導者となって八月の新政府の樹立。ここまででラインハルト対ヤンの対立軸が解消。
地球教がロイエンタール謀反を演出し、ミッターマイヤーとの双璧の戦いを仕向け、最終的に新首都惑星フェザーンでラインハルトを殺害しようと策動する。ラインハルト陣営対地球教の対立軸で最終的に幕切れとなりました。
こうなるとローエングラム朝銀河帝国と八月の新政府との関係性、対立軸が気になってしまうんですよね。だから続編の要望がいまだにあるのだと思います。
『アルスラーン戦記』は一時期周辺国のほとんどを敵に回していますし、中国戦国時代の様相を呈していましたね。舞台は南アジアから中東にかけての地域なんですけど。
『タイタニア』はヒューリックの存在感が……。まぁ長期休載すると思い入れも変わってきますから仕方がないのかもしれませんが。
そこでおっしゃるように、章ごとに対立軸を明確にするという手法があります。この手法なら読み手も「今どことどこが対立している」とすぐに認識できますからね。
『孫子』の「敵を分けてこちらは団結する」という戦略は、小説でもかなり有効に機能すると思いますね。
田中芳樹氏作品は、基本的な対立軸はあるのですが、そこに横槍が何本も突き刺さってくるのが厄介ですよね。
『銀河英雄伝説』に限っても、ゴールデンバウム朝銀河帝国とローエングラム朝銀河帝国の覇権争い、自由惑星同盟とヤン艦隊との主導権争い(といってもヤン・ウェンリー自身は政治的な対立を嫌って引退従っていましたが)、それが整理されてラインハルトとヤン・ウェンリーの対立軸に、フェザーン自治領&地球教とそれを利用するヨブ・トリューニヒトが横槍を刺してくる。まぁここまでならなんとかなりそうですが、自由惑星同盟が降伏しヤン艦隊がイゼルローン要塞で民主運動の旗頭となる。そして地球教の暗殺者にヤンが殺害されて、養子のユリアン・ミンツが軍事指導者、妻のフレデリカ・グリーンヒル・ヤンが政治指導者となって八月の新政府の樹立。ここまででラインハルト対ヤンの対立軸が解消。
地球教がロイエンタール謀反を演出し、ミッターマイヤーとの双璧の戦いを仕向け、最終的に新首都惑星フェザーンでラインハルトを殺害しようと策動する。ラインハルト陣営対地球教の対立軸で最終的に幕切れとなりました。
こうなるとローエングラム朝銀河帝国と八月の新政府との関係性、対立軸が気になってしまうんですよね。だから続編の要望がいまだにあるのだと思います。
『アルスラーン戦記』は一時期周辺国のほとんどを敵に回していますし、中国戦国時代の様相を呈していましたね。舞台は南アジアから中東にかけての地域なんですけど。
『タイタニア』はヒューリックの存在感が……。まぁ長期休載すると思い入れも変わってきますから仕方がないのかもしれませんが。
そこでおっしゃるように、章ごとに対立軸を明確にするという手法があります。この手法なら読み手も「今どことどこが対立している」とすぐに認識できますからね。
『孫子』の「敵を分けてこちらは団結する」という戦略は、小説でもかなり有効に機能すると思いますね。
- カイ.智水
- 2020年 05月21日 21時56分
[一言]
面白い小説とつまらない小説。おそらく、その時の風潮によって正答が変化する類の問題ですね。
文学史に登場するような作品の殆どは現在、書かれたとして、面白いという評価を得たり文学史に同じ様に名を連ねるとは思えないですし。
私自身、なろうの小説を読む基準はその時点の気分にかなり影響されます。大体、知的好奇心が刺激されるか軽い癒やしを求めて読み始めることが多いですね。
面白いかつまらないかはその時点では決めません。読み進めていくうちに続きがどうでも良くなる時があります。私の場合、結果としてそうなった作品はつまらないと云うことになるのでしょう。
要因は様々です。主人公が当初、未熟なのは仕方ないにしてもいつまでも成長しない。同じパターンの話がループする。当初、主人公は年齢を重ねていくのにある時期から年齢を重ねなくなる。一体、主人公は現在、幾つなのか?といったつまらない疑問が累積し知的好奇心も刺激されなくなった場合、急に興醒めします。連載は続いていても完結までのロードマップが見えない。または何回もゴールが変わりいつの間にか消失している。この場合は読んでいて疲れます。主人公の性格設定が個性的過ぎる場合、そして語り部も兼任している場合は読み進めるのは辛いですね。
結局は読み始めは多分、その作品の事を読む人は誰もが面白いと思っているのだと思います。ただ完結までの展開と組み立ての不味さがつまらなく感じさせるのでしょう。章立てが1からの連番で短編の集合体の場合は投稿間隔は1週間以内、展開もワンパターン化すると飽きて読むのが嫌になりますね。
ストーリー毎に章立てしている場合は可能な限り章の終わりまでストックを貯めて連続投稿すべきでしょう。章の半ばで更新がストップした場合1ヶ月以上更新がストップすると続きなんてどうでも良くなります。
今後どの様な作品が流行するのかは分かりませんが世相的には強いリーダーシップを発揮する系の主人公が常時リーダーシップを発揮している指導者と間違った事ばかり主張して足を引っ張る自称識者にザマァして所属している組織から追放し社会的に抹殺する話が受けるかもしれません。
面白い小説とつまらない小説。おそらく、その時の風潮によって正答が変化する類の問題ですね。
文学史に登場するような作品の殆どは現在、書かれたとして、面白いという評価を得たり文学史に同じ様に名を連ねるとは思えないですし。
私自身、なろうの小説を読む基準はその時点の気分にかなり影響されます。大体、知的好奇心が刺激されるか軽い癒やしを求めて読み始めることが多いですね。
面白いかつまらないかはその時点では決めません。読み進めていくうちに続きがどうでも良くなる時があります。私の場合、結果としてそうなった作品はつまらないと云うことになるのでしょう。
要因は様々です。主人公が当初、未熟なのは仕方ないにしてもいつまでも成長しない。同じパターンの話がループする。当初、主人公は年齢を重ねていくのにある時期から年齢を重ねなくなる。一体、主人公は現在、幾つなのか?といったつまらない疑問が累積し知的好奇心も刺激されなくなった場合、急に興醒めします。連載は続いていても完結までのロードマップが見えない。または何回もゴールが変わりいつの間にか消失している。この場合は読んでいて疲れます。主人公の性格設定が個性的過ぎる場合、そして語り部も兼任している場合は読み進めるのは辛いですね。
結局は読み始めは多分、その作品の事を読む人は誰もが面白いと思っているのだと思います。ただ完結までの展開と組み立ての不味さがつまらなく感じさせるのでしょう。章立てが1からの連番で短編の集合体の場合は投稿間隔は1週間以内、展開もワンパターン化すると飽きて読むのが嫌になりますね。
ストーリー毎に章立てしている場合は可能な限り章の終わりまでストックを貯めて連続投稿すべきでしょう。章の半ばで更新がストップした場合1ヶ月以上更新がストップすると続きなんてどうでも良くなります。
今後どの様な作品が流行するのかは分かりませんが世相的には強いリーダーシップを発揮する系の主人公が常時リーダーシップを発揮している指導者と間違った事ばかり主張して足を引っ張る自称識者にザマァして所属している組織から追放し社会的に抹殺する話が受けるかもしれません。
くろの介様、いつもご感想ありがとうございます。
おっしゃるように、連載を読み進めていって「どうでもよくなる」のが「つまらない小説」の分岐点かもしれません。面白ければ疑いもなく続きを読みますからね。
展開をうまく構築できていない作品も、違和感を覚えやすい。
短編連作は投稿間隔がやはり鍵ですね。忘れられないうちに次話が投稿されていないと、せっかく面白くても忘れられてしまいます。毎日連載がベストですが、少なくとも毎週一回はきちんと続きが読めるのが面白さを担保する。
これは今期アニメが放送途中でベストセレクションだったり振り返りホウ素うだったりと、いつまで経っても続きが観られない状況に似ているように思えます。『キングダム』が『未来少年コナン』に置き換えられてしまいましたが、このくらい振り切ってくれたほうが、ファンは観やすいように思えます。『キングダム』は始まってすぐに切り替わりましたが、『MAJOR 2nd』は振り返り放送しているんですよね。しかも今週で振り返りも終えてしまい、来週からどうするのだろうと不安にもなります。
今後の流行を予測するのは難しいですね。世の中がなにを求めているのか。この場合の「世の中」は小説投稿サイトの読み手に限ってよいでしょう。彼ら彼女らが今なにを必要としているのかを考えると、案外正解に近づけるかもしれません。
ただ「マスクが欲しい」「消毒液が欲しい」といったところからはなかなか物語は思い浮かびませんが。「タイガーマスク」がいいのか? とか「バイキンマンが死ぬ話がいいのか?」とか。
昔アニメで『ウイルスバスター・サージ』というのがありましたが、あれはコンピュータウイルスでしたからね。『ナースウィッチ小麦ちゃんR』というアニメもあったし、なぜかタイムリーに今のプリキュアが『ヒーリングっとプリキュア』というのもなんともはや。
ドラマの再放送で『仁』をやったりスカパー!ですが『DOCTERS〜最強の名医』や『医龍 Team Medical Dragon』をやったりしているので、医療ものには一定の需要はあるようです。
しかし小説で医療ものを書くのは相当難しいですね。生半可な知識だと読み手に喝破されて不評を買うだけですし、間違った知識を読み手に与えがちです。単に「SARS-CoV-2を浄化する異能を持つ主人公」が活躍する「現代ファンタジー」としてなら需要はあるのかな、とも思います。この際振り切ってフィクションで行くしかないかと。
おっしゃるように、連載を読み進めていって「どうでもよくなる」のが「つまらない小説」の分岐点かもしれません。面白ければ疑いもなく続きを読みますからね。
展開をうまく構築できていない作品も、違和感を覚えやすい。
短編連作は投稿間隔がやはり鍵ですね。忘れられないうちに次話が投稿されていないと、せっかく面白くても忘れられてしまいます。毎日連載がベストですが、少なくとも毎週一回はきちんと続きが読めるのが面白さを担保する。
これは今期アニメが放送途中でベストセレクションだったり振り返りホウ素うだったりと、いつまで経っても続きが観られない状況に似ているように思えます。『キングダム』が『未来少年コナン』に置き換えられてしまいましたが、このくらい振り切ってくれたほうが、ファンは観やすいように思えます。『キングダム』は始まってすぐに切り替わりましたが、『MAJOR 2nd』は振り返り放送しているんですよね。しかも今週で振り返りも終えてしまい、来週からどうするのだろうと不安にもなります。
今後の流行を予測するのは難しいですね。世の中がなにを求めているのか。この場合の「世の中」は小説投稿サイトの読み手に限ってよいでしょう。彼ら彼女らが今なにを必要としているのかを考えると、案外正解に近づけるかもしれません。
ただ「マスクが欲しい」「消毒液が欲しい」といったところからはなかなか物語は思い浮かびませんが。「タイガーマスク」がいいのか? とか「バイキンマンが死ぬ話がいいのか?」とか。
昔アニメで『ウイルスバスター・サージ』というのがありましたが、あれはコンピュータウイルスでしたからね。『ナースウィッチ小麦ちゃんR』というアニメもあったし、なぜかタイムリーに今のプリキュアが『ヒーリングっとプリキュア』というのもなんともはや。
ドラマの再放送で『仁』をやったりスカパー!ですが『DOCTERS〜最強の名医』や『医龍 Team Medical Dragon』をやったりしているので、医療ものには一定の需要はあるようです。
しかし小説で医療ものを書くのは相当難しいですね。生半可な知識だと読み手に喝破されて不評を買うだけですし、間違った知識を読み手に与えがちです。単に「SARS-CoV-2を浄化する異能を持つ主人公」が活躍する「現代ファンタジー」としてなら需要はあるのかな、とも思います。この際振り切ってフィクションで行くしかないかと。
- カイ.智水
- 2020年 05月20日 16時36分
[一言]
正規の日本語と変則的日本語をストレートとスライダーに例えた事は非常に秀逸です。スライダーという球種は正しくは縦回転のストレートと同じ要領でボールの重心を少しだけズラして投げる変化球です。原理はカットボールと同じですが重心のズラしがカットボールよりも大きいため変化の幅がカットボールよりも大きくなる事が特徴です。
重心をズラしてストレートと同じ握りと要領で投げるためバッターは変化するまで気付けない事が利点となります。
文章も途中までは正統派の文章と思わせておいて最後に意表を付く。素晴らしいです。そして投げ損ねたスライダーは只の打ち頃のストレートでしかないという点も外した変則的表現は間抜けなだけという事がわかり易くて良いですね。それ以外の変化球だと効果的に使うためには読者に対して巧みな心理誘導やいー隠蔽工作が必要だと感じられますから。カーブの場合は腕の捻りが大きくなるため予めバッターの意識をカーブよりも速い速度に調整させることで緩いカーブよりも早いタイミングで振らせる工夫が必要になりますしフォークの場合は振りかぶった瞬間にバッターがストレートにタイミングを合わせるように誘導するテクニックとキャッチャーにはノーサインで受けて貰えるぐらいの準備が必要となりますので。ナックルに至っては投げ方が他の変化球と大きく異なる為、例えにすらなりませんので。
正しい日本語に限らず野球でも真に正しいストレートを投げることは非常に難しいです。そしてベーブ・ルースも「私が対戦した真に打ち難いボールとは如何なる変化球でもなく愚直なまで速く生きの良いストレートである。」とも言っています。きっと小説も日本語も同じようなものなのでしょうね。
正規の日本語と変則的日本語をストレートとスライダーに例えた事は非常に秀逸です。スライダーという球種は正しくは縦回転のストレートと同じ要領でボールの重心を少しだけズラして投げる変化球です。原理はカットボールと同じですが重心のズラしがカットボールよりも大きいため変化の幅がカットボールよりも大きくなる事が特徴です。
重心をズラしてストレートと同じ握りと要領で投げるためバッターは変化するまで気付けない事が利点となります。
文章も途中までは正統派の文章と思わせておいて最後に意表を付く。素晴らしいです。そして投げ損ねたスライダーは只の打ち頃のストレートでしかないという点も外した変則的表現は間抜けなだけという事がわかり易くて良いですね。それ以外の変化球だと効果的に使うためには読者に対して巧みな心理誘導やいー隠蔽工作が必要だと感じられますから。カーブの場合は腕の捻りが大きくなるため予めバッターの意識をカーブよりも速い速度に調整させることで緩いカーブよりも早いタイミングで振らせる工夫が必要になりますしフォークの場合は振りかぶった瞬間にバッターがストレートにタイミングを合わせるように誘導するテクニックとキャッチャーにはノーサインで受けて貰えるぐらいの準備が必要となりますので。ナックルに至っては投げ方が他の変化球と大きく異なる為、例えにすらなりませんので。
正しい日本語に限らず野球でも真に正しいストレートを投げることは非常に難しいです。そしてベーブ・ルースも「私が対戦した真に打ち難いボールとは如何なる変化球でもなく愚直なまで速く生きの良いストレートである。」とも言っています。きっと小説も日本語も同じようなものなのでしょうね。
くろの介様、ご感想ありがとうございます。
伝えたいことが伝わったようで安堵致しました。
伝えたいことを「比喩」で正しく伝える。
これが「日本語力」の根本だと思います。
日本語にはわざわざ「まさに〜のような」という「比喩」に用いる文型があります。
そして「語彙」が幅広いのも特徴ですね。
英語ではかなりのものを「take」「have」で表せるという利点と欠点があります。
汎用性が高すぎて、なんでも「take」「have」で書いてしまいがちです。
日本語にもなんでも「言う」「聞く」「見る」のような万能な動詞はありますが、「日本語力」からすれば「語彙」が足りないので魅力がなくなります。
私もまだまだ「比喩」も「語彙」も豊かではないので、日々勉強しながらコラムを書いております。
正しい日本語と野球には相通じるものがあると思います。
投手側から書いていますが、打者側をバッターに見立てて、書き手がどんな球種を投げてきても対応できる人もいますからね。
伝えたいことが伝わったようで安堵致しました。
伝えたいことを「比喩」で正しく伝える。
これが「日本語力」の根本だと思います。
日本語にはわざわざ「まさに〜のような」という「比喩」に用いる文型があります。
そして「語彙」が幅広いのも特徴ですね。
英語ではかなりのものを「take」「have」で表せるという利点と欠点があります。
汎用性が高すぎて、なんでも「take」「have」で書いてしまいがちです。
日本語にもなんでも「言う」「聞く」「見る」のような万能な動詞はありますが、「日本語力」からすれば「語彙」が足りないので魅力がなくなります。
私もまだまだ「比喩」も「語彙」も豊かではないので、日々勉強しながらコラムを書いております。
正しい日本語と野球には相通じるものがあると思います。
投手側から書いていますが、打者側をバッターに見立てて、書き手がどんな球種を投げてきても対応できる人もいますからね。
- カイ.智水
- 2020年 05月11日 18時44分
[一言]
小説内の矛盾は大体、筆者が書いたと思っていることが実際は書かれていなかった事が起因になるモノが多いですね。例としては内面と外面のギャップの激しい人物、その事がわかるエピソードを挿入し忘れた状態で視点人物とした場合、読者は矛盾と捉えます。
面白い矛盾は表向き王女と従兄弟、実は兄弟、という複雑な血縁関係の女性を登場させたのは良いのですが、王女の表向きの父親として彼女の父親の弟とした事により、舞台となっている国の王の性別が急に男性から女性に変化するという愉快な現象を経験したことがあります。しかも同腹の姉妹で双子としていた事から彼女の父親は女王と不倫?という解釈になります。文脈では恐らく父親と王妃との間に出来た子供としたかったようです。その場合は王妃は彼女の母親か父親のどちらかと兄弟姉妹としなければなりません。確認すると王の性別を明記しはいませんが女王とするならその旨を書かなければ忘れていたと見なされます。王家の家族構成と有力貴族との血縁関係が事前に説明されていなければ訳が分かりません。発見したのが主人公の鑑定能力によるものなので思い付きで書いた印象が強かったですね。因みに書籍化作品で紙の方でも修正が入っていないので気づいてなさそうですね。
厄介な作中の矛盾の発生源は書いてないことを書いた気になったか、複雑にしすぎて作者自身がで正しいと思うことが論理的な正しさで伝わらないことでしょうか。特に主人公に便利な能力を持たせ過ぎの完璧超人の場合は特に顕著になりますね。しかも主人公視点の独り言形式の場合は何気ない事で伏線は張り難いですし。
小説内の矛盾は大体、筆者が書いたと思っていることが実際は書かれていなかった事が起因になるモノが多いですね。例としては内面と外面のギャップの激しい人物、その事がわかるエピソードを挿入し忘れた状態で視点人物とした場合、読者は矛盾と捉えます。
面白い矛盾は表向き王女と従兄弟、実は兄弟、という複雑な血縁関係の女性を登場させたのは良いのですが、王女の表向きの父親として彼女の父親の弟とした事により、舞台となっている国の王の性別が急に男性から女性に変化するという愉快な現象を経験したことがあります。しかも同腹の姉妹で双子としていた事から彼女の父親は女王と不倫?という解釈になります。文脈では恐らく父親と王妃との間に出来た子供としたかったようです。その場合は王妃は彼女の母親か父親のどちらかと兄弟姉妹としなければなりません。確認すると王の性別を明記しはいませんが女王とするならその旨を書かなければ忘れていたと見なされます。王家の家族構成と有力貴族との血縁関係が事前に説明されていなければ訳が分かりません。発見したのが主人公の鑑定能力によるものなので思い付きで書いた印象が強かったですね。因みに書籍化作品で紙の方でも修正が入っていないので気づいてなさそうですね。
厄介な作中の矛盾の発生源は書いてないことを書いた気になったか、複雑にしすぎて作者自身がで正しいと思うことが論理的な正しさで伝わらないことでしょうか。特に主人公に便利な能力を持たせ過ぎの完璧超人の場合は特に顕著になりますね。しかも主人公視点の独り言形式の場合は何気ない事で伏線は張り難いですし。
くろの介様、いつも貴重なご感想ありがとうございます。
今日書いていたコラムで言及したことなのですが、小説は書き手のものではなく「読み手のもの」なんですよね。
読み手にどう伝わっているのか。書き手が考えていたことと、読み手が受け取ったこととの差が生じた際、基準となるのは「読み手が受け取ったこと」です。書き手はひとり、読み手は複数人。勝てるはずがないのです。
おっしゃるとおり、書き手が「書いた」と思い込んでしまうと、見抜けない間違いは必ず起こりますね。
その見抜けない間違いが妙な面白さを生んでしまいます。書き手は真面目でも、読み手はどうしてもウケてしまう。漫談のボケを見守っている観客の気持ちですね。誰かがツッコんでくれないかなと思いながらも、いつまでボケるんだろうと。まぁそのうち誰もツッコまないことに気づいて冷めてしまうんですけどね。
主人公を完璧超人にして、「伏線」を隠したままにはできませんね。そのくらい読めるでしょう。と思ってしまいます。
「普段は完璧超人だけど、動揺すると凡人以下」にする手もありますが、その場合でも普段の心境に戻れば「伏線」に気づくはずですからね。
今日書いていたコラムで言及したことなのですが、小説は書き手のものではなく「読み手のもの」なんですよね。
読み手にどう伝わっているのか。書き手が考えていたことと、読み手が受け取ったこととの差が生じた際、基準となるのは「読み手が受け取ったこと」です。書き手はひとり、読み手は複数人。勝てるはずがないのです。
おっしゃるとおり、書き手が「書いた」と思い込んでしまうと、見抜けない間違いは必ず起こりますね。
その見抜けない間違いが妙な面白さを生んでしまいます。書き手は真面目でも、読み手はどうしてもウケてしまう。漫談のボケを見守っている観客の気持ちですね。誰かがツッコんでくれないかなと思いながらも、いつまでボケるんだろうと。まぁそのうち誰もツッコまないことに気づいて冷めてしまうんですけどね。
主人公を完璧超人にして、「伏線」を隠したままにはできませんね。そのくらい読めるでしょう。と思ってしまいます。
「普段は完璧超人だけど、動揺すると凡人以下」にする手もありますが、その場合でも普段の心境に戻れば「伏線」に気づくはずですからね。
- カイ.智水
- 2020年 05月10日 20時25分
[一言]
こんばんは、毎日ためになる話を読ませていただいております。
数日前に投稿された異世界にスマートフォンの回を読んで、感銘を受けました。
私も、それまで書いてきたファンタジーは、確かにトールキン氏の影響を受けていました(影響を受けた作品を読んできたため)。
最近、新しい作品を書こうとして、何か新しい要素を……と考えていた時、スマホの回を読んで、スマホを出してみようと思い、実際そのような作品を書いています。
とはいえ、便利な機能のあるスマホではなく、通話のみを行える携帯電話だけですが……それでも、人類を襲う脅威が跋扈する中、どうやって舞台となる連合国家は連合を維持しているか、などの理由付けになっています。
もう一つ、その作品のことでアドバイスを頂きたいのですが……舞台は剣と魔法のファンタジー世界ですが、魔法はなく、剣ではなく光線銃が普及し。敵も魔物ではなく、殺戮機械といった世界なのですが、果たして新鮮さがあるかどうか、また、受け入れられるか少し不安です。ストーリーは戦闘と、サブに恋愛としています。
よろしければ、アドバイスを頂けないでしょうか。
これからもコラムを楽しく読ませていただきます。
こんばんは、毎日ためになる話を読ませていただいております。
数日前に投稿された異世界にスマートフォンの回を読んで、感銘を受けました。
私も、それまで書いてきたファンタジーは、確かにトールキン氏の影響を受けていました(影響を受けた作品を読んできたため)。
最近、新しい作品を書こうとして、何か新しい要素を……と考えていた時、スマホの回を読んで、スマホを出してみようと思い、実際そのような作品を書いています。
とはいえ、便利な機能のあるスマホではなく、通話のみを行える携帯電話だけですが……それでも、人類を襲う脅威が跋扈する中、どうやって舞台となる連合国家は連合を維持しているか、などの理由付けになっています。
もう一つ、その作品のことでアドバイスを頂きたいのですが……舞台は剣と魔法のファンタジー世界ですが、魔法はなく、剣ではなく光線銃が普及し。敵も魔物ではなく、殺戮機械といった世界なのですが、果たして新鮮さがあるかどうか、また、受け入れられるか少し不安です。ストーリーは戦闘と、サブに恋愛としています。
よろしければ、アドバイスを頂けないでしょうか。
これからもコラムを楽しく読ませていただきます。
- 投稿者: 退会済み
- 2020年 05月09日 21時58分
管理
冬犬こたつ様、勇気を持ってご感想いただき誠にありがとうございます。
まずスマートフォンの是非ですが、この作品世界ならあったほうが普通ですね。
「剣と魔法のファンタジー」世界観で、「剣も魔法もなしでモンスターも殺戮機械ということなので、若干「SF」のほうが表現しやすそうですね、と思いました。
しかしこれを「剣と魔法のファンタジー」「ハイファンタジー」で書くところに、本作の醍醐味がありますね。
新鮮さについては「SF」要素の強いものを、あえて「剣と魔法のファンタジー」世界で表現してしまおうという点で斬新です。たいていの書き手は、逆に「SF」ジャンルに「剣と魔法のファンタジー」を持ち込んでしまいますからね。本作はその逆を行く発想ですから、うまく書ければかなり目立てますよ。
ストーリーは戦闘メインに恋愛要素付き。これは「剣と魔法のファンタジー」では王道ですので、こちらは斬新さで無茶をしたぶん物語に安定感をもたらしてくれます。
アドバイスがあるとすれば「剣と魔法のファンタジー」世界だけど「魔法」なし「剣」は「光線銃」になったいきさつを序盤で読み手へ丁寧に説明することですね。読み手は「剣と魔法のファンタジー」だと思って読み始めたら、魔物ではなく殺戮機械が出てきて、人々は剣や魔法ではなく光線銃で戦っているさまを見て「これってSFじゃん」と思われたら負けです。
そこで「過去に魔法文明や高度な機械文明が存在し、剣と魔法の時代があったこと。それが時代を経て光線銃が普及し、スマートフォンを基盤とした社会システムが構築されるに至った」という歴史を、できれば第一話でさらっと触れられるかどうか。
第一話で「これってSFじゃん」と思わせないように配慮していれば、「剣と魔法のファンタジー」「ハイファンタジー」で通ります。また過去に「魔法文明」があった設定なら、最終決戦に「魔法」を使うことだってできます。光線銃があるくらいなら、「ライトセーバー」があってもよい。そしてある出来事がきっかけでレーザーが使えなくなって、光線銃もライトセーバーも使い物にならなくなる。そこで太古の「魔法」と「ライトセーバー」の元となっている「実体剣」で戦う。なんていうクライマックスを迎えれば「やっぱりこの作品は剣と魔法のファンタジーに違いない」と誰もが思います。
「剣と魔法のファンタジー」から遠く離れた設定が、最終的に綺麗に「剣と魔法のファンタジー」に帰着する。
これなら読み手の期待を維持したまま、クライマックスの大決戦まで読み手を連れていけますし、評価だって高まるはずですよ。
もう少し助力が欲しい場合は、再度ご感想なりメッセージなりをお送りくださいませ。
いつでもアドバイス致しますので。
また今は中断していますが、添削や講評なども行なっておりますので、募集を再開した際にご利用いただければと存じます。とくに第一話だけでも徹底的に推敲すれば、この物語の良さを引き出せると思います。
それではまずは「企画書」「あらすじ」を作ってみてください。
どんな主人公がどんな目標を持っていて、それをどう達成するのか。そのためにはどんなエピソードをどの順番で起こそうか。「対になる存在」やライバル、脇役たちをいつ登場させて、どんな人間関係にするのか。
小説の醍醐味は「戦闘シーンの派手さ」ではなく「人間関係の変化」にあることを肝に銘じてくださいね。
カイ.アルザードSSTMより
まずスマートフォンの是非ですが、この作品世界ならあったほうが普通ですね。
「剣と魔法のファンタジー」世界観で、「剣も魔法もなしでモンスターも殺戮機械ということなので、若干「SF」のほうが表現しやすそうですね、と思いました。
しかしこれを「剣と魔法のファンタジー」「ハイファンタジー」で書くところに、本作の醍醐味がありますね。
新鮮さについては「SF」要素の強いものを、あえて「剣と魔法のファンタジー」世界で表現してしまおうという点で斬新です。たいていの書き手は、逆に「SF」ジャンルに「剣と魔法のファンタジー」を持ち込んでしまいますからね。本作はその逆を行く発想ですから、うまく書ければかなり目立てますよ。
ストーリーは戦闘メインに恋愛要素付き。これは「剣と魔法のファンタジー」では王道ですので、こちらは斬新さで無茶をしたぶん物語に安定感をもたらしてくれます。
アドバイスがあるとすれば「剣と魔法のファンタジー」世界だけど「魔法」なし「剣」は「光線銃」になったいきさつを序盤で読み手へ丁寧に説明することですね。読み手は「剣と魔法のファンタジー」だと思って読み始めたら、魔物ではなく殺戮機械が出てきて、人々は剣や魔法ではなく光線銃で戦っているさまを見て「これってSFじゃん」と思われたら負けです。
そこで「過去に魔法文明や高度な機械文明が存在し、剣と魔法の時代があったこと。それが時代を経て光線銃が普及し、スマートフォンを基盤とした社会システムが構築されるに至った」という歴史を、できれば第一話でさらっと触れられるかどうか。
第一話で「これってSFじゃん」と思わせないように配慮していれば、「剣と魔法のファンタジー」「ハイファンタジー」で通ります。また過去に「魔法文明」があった設定なら、最終決戦に「魔法」を使うことだってできます。光線銃があるくらいなら、「ライトセーバー」があってもよい。そしてある出来事がきっかけでレーザーが使えなくなって、光線銃もライトセーバーも使い物にならなくなる。そこで太古の「魔法」と「ライトセーバー」の元となっている「実体剣」で戦う。なんていうクライマックスを迎えれば「やっぱりこの作品は剣と魔法のファンタジーに違いない」と誰もが思います。
「剣と魔法のファンタジー」から遠く離れた設定が、最終的に綺麗に「剣と魔法のファンタジー」に帰着する。
これなら読み手の期待を維持したまま、クライマックスの大決戦まで読み手を連れていけますし、評価だって高まるはずですよ。
もう少し助力が欲しい場合は、再度ご感想なりメッセージなりをお送りくださいませ。
いつでもアドバイス致しますので。
また今は中断していますが、添削や講評なども行なっておりますので、募集を再開した際にご利用いただければと存じます。とくに第一話だけでも徹底的に推敲すれば、この物語の良さを引き出せると思います。
それではまずは「企画書」「あらすじ」を作ってみてください。
どんな主人公がどんな目標を持っていて、それをどう達成するのか。そのためにはどんなエピソードをどの順番で起こそうか。「対になる存在」やライバル、脇役たちをいつ登場させて、どんな人間関係にするのか。
小説の醍醐味は「戦闘シーンの派手さ」ではなく「人間関係の変化」にあることを肝に銘じてくださいね。
カイ.アルザードSSTMより
- カイ.智水
- 2020年 05月10日 20時48分
[一言]
ちょっと気になったのですが、最近は宇宙を舞台にしたラノベを扱っている所がないような気がします。今回のコラムで例に出されたKADOKAWA系は最近、どのレーベルも新刊に宇宙モノは出版していないような気がします。昔はスニーカーや電撃、富士見ファンタジアでも時折、見かけたのですが。現在でも見かけるのは早川SFと田中芳樹氏限定で講談社ぐらいでしょうか。
いつの間にか宇宙モノはラノベのジャンルからは外れてしまったのでしょうか。
ちょっと気になったのですが、最近は宇宙を舞台にしたラノベを扱っている所がないような気がします。今回のコラムで例に出されたKADOKAWA系は最近、どのレーベルも新刊に宇宙モノは出版していないような気がします。昔はスニーカーや電撃、富士見ファンタジアでも時折、見かけたのですが。現在でも見かけるのは早川SFと田中芳樹氏限定で講談社ぐらいでしょうか。
いつの間にか宇宙モノはラノベのジャンルからは外れてしまったのでしょうか。
くろの介様、ご感想ありがとうございます。
確かに「宇宙」もののライトノベルは最近見かけませんね。
昔は吉岡平氏『無責任シリーズ』や水野良氏『ギャラクシー・エンジェル』などがありましたが。
今でも続いているのは梶島正樹氏『天地無用!GXP』シリーズくらいですかね。
『天地無用! GXP』を考えると完全に需要がないわけでもないのですが、同作は「スペースファンタジー」に分類される、いちおう「ファンタジー」ものなんですよね。純粋な「SF」のライトノベルは見ませんね。
「SF」はとっつきにくい、知識が要求されるから敬遠されているのでしょうか。
確かに「宇宙」もののライトノベルは最近見かけませんね。
昔は吉岡平氏『無責任シリーズ』や水野良氏『ギャラクシー・エンジェル』などがありましたが。
今でも続いているのは梶島正樹氏『天地無用!GXP』シリーズくらいですかね。
『天地無用! GXP』を考えると完全に需要がないわけでもないのですが、同作は「スペースファンタジー」に分類される、いちおう「ファンタジー」ものなんですよね。純粋な「SF」のライトノベルは見ませんね。
「SF」はとっつきにくい、知識が要求されるから敬遠されているのでしょうか。
- カイ.智水
- 2020年 05月08日 07時45分
[一言]
随分、無茶をやったものです。アスファルトに叩きつけた上級生は巧みに頭頂部の急所を外したか体重が軽かったのでしょうか。柔道の技術体系では殺傷力を落とすために腕や袖を掴んだまま離さずに投げますからそれを忠実に守って技を掛けたのであればそんな事もあるかもしれません。
尤も後日、自業自得とはいえ後遺症が残ってないと良いのですが。
でも良かったですね。後ろに手が回る様なことにならなくて。
リアルで意識を刈る場合は理論上、顎を弾くように衝撃を入れることで脳震盪を誘発させることが最も効果的なようです。後は内蔵に衝撃を与えダメージを蓄積させることで下半身に力が入らなくさせる方法もあるようです。
実際に意識を刈る事は漫画のように簡単にはいかないものです。そして前述の方法は多分、試さない方が良いです。ある程度鍛えた成人男性がウッカリ人のボディを殴ろうものなら相手にも因りますが殴られた時の力の入れ方を知らない人だと確実に内臓を破裂させてしまいますから。自分で自分の腹を殴れば衝撃の伝わり方で結果が想定できます。頭部の場合は説明するまでもなく確実に後遺症が残ります。
純粋に人を殺害するための技術体系に則った格闘技はおそらく小説映えしません。宮本武蔵なんかは佐々木小次郎と対に登場させない主人公として機能しない事からもわかります。剣豪小説なんかは大体、サーカス芸のような秘剣を出さないと面白さが半減しますし。
最強の武術家を確実に殺害する方法は満員電車の中で匕首で刺す事だそうですからし実際にそんな描写入れられても面白くも何ともありませんし。
スポーツもあまり面白くないと思います。小説で文字にするような事を悠長に考えている暇はありませんから。サッカーなんかだとプロの下部組織のセレクションを受けるような子供は技術的には甲乙が付けがたいそうです。受かる子と落ちる子何が違うかというと次のプレーでどのようなプレーをするか、最適解を選択する速度だそうです。受かる子は際立って早いそうです。
スポーツのスピード感と刹那の判断を小説、文字で表現する技術を確立している方は現時点では居ないのではないでしょうか?
小説としては日大のアメフト部が起こしたの反則タックルの様なシーンを加害者の選手を主人公にその葛藤を走れメロス風か金閣寺風に描くぐらいでしょうか?
剣道は正直、メンを避けるために袈裟で受けたのに一本にならないのが、安全上の問題でしょうが、不思議で仕方ありませんでした。刀は袈裟懸けに切らずにメンなんか切れば刃毀れして仕方ないだろうとつい考えてしまいます。
格闘技は私も色々齧っては居ますが小説で注意すべきは段位の規定ぐらいでしょうか?
高校生で3段以上の段位を所有している事は協会の取得できる段位の年齢規定上、明らかにおかしいので。
体験は確かにあった方が良いと思いますがリアルに書けた方が面白くなる体験とリアルに書くと部分とファンタジーを混ぜた方が良さそうな体験と2種類が有りそうですね。
確かに孫子は素晴らしい書です。私も下手な思想書よりも孫子こそが人間の本質理解してた書物ではないかと考えているぐらいです。
敢えて孫子で抜けている箇所を補足すると相手も孫子に精通している可能性を全く考慮していない点でしょうか?
意図して書かなかったか或いは後世で再編集した際、意図的に省かれた可能性はありますが。
私は双方共に攻め口をなくすことで結果的に戦争がなくなる事を狙ったのではないかと解釈しております。故に敢えて書かなかったのではないかと思っています。
随分、無茶をやったものです。アスファルトに叩きつけた上級生は巧みに頭頂部の急所を外したか体重が軽かったのでしょうか。柔道の技術体系では殺傷力を落とすために腕や袖を掴んだまま離さずに投げますからそれを忠実に守って技を掛けたのであればそんな事もあるかもしれません。
尤も後日、自業自得とはいえ後遺症が残ってないと良いのですが。
でも良かったですね。後ろに手が回る様なことにならなくて。
リアルで意識を刈る場合は理論上、顎を弾くように衝撃を入れることで脳震盪を誘発させることが最も効果的なようです。後は内蔵に衝撃を与えダメージを蓄積させることで下半身に力が入らなくさせる方法もあるようです。
実際に意識を刈る事は漫画のように簡単にはいかないものです。そして前述の方法は多分、試さない方が良いです。ある程度鍛えた成人男性がウッカリ人のボディを殴ろうものなら相手にも因りますが殴られた時の力の入れ方を知らない人だと確実に内臓を破裂させてしまいますから。自分で自分の腹を殴れば衝撃の伝わり方で結果が想定できます。頭部の場合は説明するまでもなく確実に後遺症が残ります。
純粋に人を殺害するための技術体系に則った格闘技はおそらく小説映えしません。宮本武蔵なんかは佐々木小次郎と対に登場させない主人公として機能しない事からもわかります。剣豪小説なんかは大体、サーカス芸のような秘剣を出さないと面白さが半減しますし。
最強の武術家を確実に殺害する方法は満員電車の中で匕首で刺す事だそうですからし実際にそんな描写入れられても面白くも何ともありませんし。
スポーツもあまり面白くないと思います。小説で文字にするような事を悠長に考えている暇はありませんから。サッカーなんかだとプロの下部組織のセレクションを受けるような子供は技術的には甲乙が付けがたいそうです。受かる子と落ちる子何が違うかというと次のプレーでどのようなプレーをするか、最適解を選択する速度だそうです。受かる子は際立って早いそうです。
スポーツのスピード感と刹那の判断を小説、文字で表現する技術を確立している方は現時点では居ないのではないでしょうか?
小説としては日大のアメフト部が起こしたの反則タックルの様なシーンを加害者の選手を主人公にその葛藤を走れメロス風か金閣寺風に描くぐらいでしょうか?
剣道は正直、メンを避けるために袈裟で受けたのに一本にならないのが、安全上の問題でしょうが、不思議で仕方ありませんでした。刀は袈裟懸けに切らずにメンなんか切れば刃毀れして仕方ないだろうとつい考えてしまいます。
格闘技は私も色々齧っては居ますが小説で注意すべきは段位の規定ぐらいでしょうか?
高校生で3段以上の段位を所有している事は協会の取得できる段位の年齢規定上、明らかにおかしいので。
体験は確かにあった方が良いと思いますがリアルに書けた方が面白くなる体験とリアルに書くと部分とファンタジーを混ぜた方が良さそうな体験と2種類が有りそうですね。
確かに孫子は素晴らしい書です。私も下手な思想書よりも孫子こそが人間の本質理解してた書物ではないかと考えているぐらいです。
敢えて孫子で抜けている箇所を補足すると相手も孫子に精通している可能性を全く考慮していない点でしょうか?
意図して書かなかったか或いは後世で再編集した際、意図的に省かれた可能性はありますが。
私は双方共に攻め口をなくすことで結果的に戦争がなくなる事を狙ったのではないかと解釈しております。故に敢えて書かなかったのではないかと思っています。
くろの介様、耳の痛くなるご指導ありがとうございます。
「脳天逆落とし」は危険ですからね。だから相手も怯むかと思ったのですが。
下級生をカモとしか見ていないと、反撃されたときに逆上して痛みを忘れているのでしょうか。
「スポーツを小説で書く」は以前私自身が「うまく表現できないよ」と書いているのですが、わかりやすい例としてあえて引いています。野球とサッカーを例示したのも、ルールを知っている方が多いだろうという点からです。
小説でサッカーは表現が難しいですね。おっしゃるとおり「瞬時の判断」と「先読み」が求められますから、それを文字にしてもなかなか伝わるものではない。
その点野球は投手&捕手と打者の駆け引きが主なので、心理戦としては表現しやすいと思います。
リアルとファンタジー混じりで面白さが変わってくるジャンルは確かにありますね。たとえば麻雀なんて、四暗刻とか国士無双とか、滅多に出ない役満が、マンガやアニメでは頻繁にでますからね。あれも確率どおりに書くよりも面白さ重視の面がありそうです。
『孫子』は道家『老子』に影響を受けて、『韓非子』などの法家に影響を与えています。
『孫子』でなぜ「対『孫子』」が想定されていないのか。おそらくですが『孫子』の思想は『管子』の富国強兵と負けない体制づくりを重視しているからだと思います。戦いはこちらが充実してスキを見せず、相手が態勢を崩したところを一瞬で刈り取ることを是としていますから。
つまり『孫子』に精通した者同士の戦いは、くろの介様のおっしゃるとおり「戦わずに対峙する」状態に陥って時機を見て双方撤退するだけになります。これは『三国志』で諸葛亮が北伐して際の司馬懿との戦いを見ても明らかです。司馬懿は蜀の北伐に応じて兵を出しますが、武力衝突は徹底的に避けています。先に動いて「態勢が崩れる」ことを嫌っていたのは明らかです。
曹操が『魏武註孫子』として『孫子』を現在の形に整えたときは、対戦相手が『孫子』を知らなかったため部下の育成に役立った面があります。しかし「対『孫子』」は組み入れていませんから、あくまでも「拡大期の上昇戦略」として見ていた面もありそうです。それが「赤壁の戦い」での大敗につながったのかもしれません。まぁ郭嘉という右腕とたのんだ軍事の天才が急逝し、曹操の戦略がブレてしまった可能性もありますけれども。
「脳天逆落とし」は危険ですからね。だから相手も怯むかと思ったのですが。
下級生をカモとしか見ていないと、反撃されたときに逆上して痛みを忘れているのでしょうか。
「スポーツを小説で書く」は以前私自身が「うまく表現できないよ」と書いているのですが、わかりやすい例としてあえて引いています。野球とサッカーを例示したのも、ルールを知っている方が多いだろうという点からです。
小説でサッカーは表現が難しいですね。おっしゃるとおり「瞬時の判断」と「先読み」が求められますから、それを文字にしてもなかなか伝わるものではない。
その点野球は投手&捕手と打者の駆け引きが主なので、心理戦としては表現しやすいと思います。
リアルとファンタジー混じりで面白さが変わってくるジャンルは確かにありますね。たとえば麻雀なんて、四暗刻とか国士無双とか、滅多に出ない役満が、マンガやアニメでは頻繁にでますからね。あれも確率どおりに書くよりも面白さ重視の面がありそうです。
『孫子』は道家『老子』に影響を受けて、『韓非子』などの法家に影響を与えています。
『孫子』でなぜ「対『孫子』」が想定されていないのか。おそらくですが『孫子』の思想は『管子』の富国強兵と負けない体制づくりを重視しているからだと思います。戦いはこちらが充実してスキを見せず、相手が態勢を崩したところを一瞬で刈り取ることを是としていますから。
つまり『孫子』に精通した者同士の戦いは、くろの介様のおっしゃるとおり「戦わずに対峙する」状態に陥って時機を見て双方撤退するだけになります。これは『三国志』で諸葛亮が北伐して際の司馬懿との戦いを見ても明らかです。司馬懿は蜀の北伐に応じて兵を出しますが、武力衝突は徹底的に避けています。先に動いて「態勢が崩れる」ことを嫌っていたのは明らかです。
曹操が『魏武註孫子』として『孫子』を現在の形に整えたときは、対戦相手が『孫子』を知らなかったため部下の育成に役立った面があります。しかし「対『孫子』」は組み入れていませんから、あくまでも「拡大期の上昇戦略」として見ていた面もありそうです。それが「赤壁の戦い」での大敗につながったのかもしれません。まぁ郭嘉という右腕とたのんだ軍事の天才が急逝し、曹操の戦略がブレてしまった可能性もありますけれども。
- カイ.智水
- 2020年 05月06日 13時05分
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