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[一言]
更新乙です。
久しぶりに続きが見れてよかった。
なるほど、2人の考えの違いは背景性格その他を考えると納得いくものでした。
まぁ、この2人がズッ友になるとはとても思えませんので妥当じゃないかな、と思います。
短気で、キレたらやらかしちゃう、という所は共通点ですがだから意気投合するというわけではないでしょうし。
謙信は藤孝とか光秀とかその辺りと語り合った方がいいんじゃないかなw
多分彼らならその心根は近いものがあると思う。
光秀なら自力で気付くだろうし、藤孝なら義輝の近くにいれば気付くだろうし。
まぁ、藤孝は今国主になっちゃったから説明がいるかもしれないけど。
長政はどうだろうな。
史実では滅んじゃったから器量、力量はある程度独自解釈が許されると思うけれども。
あと謙信さん、景勝に任せると、それはそれで大きすぎる大名誕生だと思うんだけど。
というか、北条の領地はだれが差配することになるんだろうか。
その辺りが気になりますね。
さて、大友楽勝ムードで行ってるけどあっちには爆弾正がいるからなぁ…。
どうなるやら。
次回も更新楽しみにしています。
更新乙です。
久しぶりに続きが見れてよかった。
なるほど、2人の考えの違いは背景性格その他を考えると納得いくものでした。
まぁ、この2人がズッ友になるとはとても思えませんので妥当じゃないかな、と思います。
短気で、キレたらやらかしちゃう、という所は共通点ですがだから意気投合するというわけではないでしょうし。
謙信は藤孝とか光秀とかその辺りと語り合った方がいいんじゃないかなw
多分彼らならその心根は近いものがあると思う。
光秀なら自力で気付くだろうし、藤孝なら義輝の近くにいれば気付くだろうし。
まぁ、藤孝は今国主になっちゃったから説明がいるかもしれないけど。
長政はどうだろうな。
史実では滅んじゃったから器量、力量はある程度独自解釈が許されると思うけれども。
あと謙信さん、景勝に任せると、それはそれで大きすぎる大名誕生だと思うんだけど。
というか、北条の領地はだれが差配することになるんだろうか。
その辺りが気になりますね。
さて、大友楽勝ムードで行ってるけどあっちには爆弾正がいるからなぁ…。
どうなるやら。
次回も更新楽しみにしています。
ご感想有難うございます。また返信が遅れて申し訳ないです。
謙信と信長は水と油ほどではないとは思いますが、見ている先は違うと感じています。あくまで義輝がいるからこそ共闘できているわけであって、いなければ史実と同じく戦いへの道しかないと思います。
天下一統が近づき大大名の存在も少なからず残っています。戦国時代が長すぎた結果、豊臣政権を考えても仕方のないことなのかと感じるところであります。もし信長が本能寺で倒れずいても、軍団長クラスは百万石ほどの大大名として残ったであるでしょうしね。家康の時代に少なかったのは、織田が突き、羽柴がこねし天下餅を食らったからだと思います。
さて時期的に九州征伐の始まっている頃合ですが、情報が東国まで届くのに時間がかかります。ただ演出上の問題で、情報開示は最低限に抑えようと思っていますので、詳細は西国編で描く事になります。
もちろん爆弾正の活躍(笑)もですが。
謙信と信長は水と油ほどではないとは思いますが、見ている先は違うと感じています。あくまで義輝がいるからこそ共闘できているわけであって、いなければ史実と同じく戦いへの道しかないと思います。
天下一統が近づき大大名の存在も少なからず残っています。戦国時代が長すぎた結果、豊臣政権を考えても仕方のないことなのかと感じるところであります。もし信長が本能寺で倒れずいても、軍団長クラスは百万石ほどの大大名として残ったであるでしょうしね。家康の時代に少なかったのは、織田が突き、羽柴がこねし天下餅を食らったからだと思います。
さて時期的に九州征伐の始まっている頃合ですが、情報が東国まで届くのに時間がかかります。ただ演出上の問題で、情報開示は最低限に抑えようと思っていますので、詳細は西国編で描く事になります。
もちろん爆弾正の活躍(笑)もですが。
- やま次郎
- 2017年 06月20日 01時40分
[良い点]
更新お疲れ様です。
信長と謙信の対話、興味深かったです。
読んでいてなるほど、と思いました。
私自身の見解としては、史実において謙信は、関東管領の名目で関東に遠征した際にも普通に乱取りを行っていますので、謙信の語る「義」は同じ武士に対してのもので、民のことは歯牙にもかけてなかったというイメージを持っています。一方で信長は民との逸話も残っていて民を大切にしていたと思っています。
今回の話ではそのイメージが対話での微妙な食い違いに出ていたなと思いました。
いつかこの食い違いが対立に進まなければと思いますが、それはそれで面白いかもなどと思ってしまいます。
ただ、著者さんの見解が信長の認識に出ているのかとも思いますが、この時代でも北条家以外にも民のことを考えていた領主はいると思っています。
少なくとも同じ時代の民に慕われていたと伝わっている領主は、それなりに民のことを考えた領地経営を行っていたのではと思います。逆に後生に英雄視された人物は後付けで慕われていたように伝わっている可能性もあるので、判断が難しい人物も多いと思いますが。
謙信の乱取りについて批判的なこと書きましたが、この当時乱取りを禁止することの方が異常で、当時としては当然の行為であったことは理解しています。実際、大坂の陣でも普通に行われていましたし。
ただ関東管領として乗り込んだ関東で行ったことに疑問を持っているだけです。
作中では数話前に乱取り禁止を謙信も同意しましたが、実は謙信が同意したことに驚いていました。
[気になる点]
誤字報告。
なんか毎回しつこいと思われそうですが、気づいてしまうと気になってしまう性格なので。
×襟銭令→○撰銭令
[一言]
前回書いた感想について一つ。
信重の結婚についての信長の反応については作中においての信長について予想しました。(実際にそうした場面が描かれるかは別として)
なんだか紛らわしい書き方で申し訳ないです。
史実において信長がどういうつもりがあったかは謎だなと思っています。
お忙しいということですが、くれぐれもご無理はなさいませんよう。
読者として更新は楽しみにしていますが、生活をきちんとした上での執筆だと考えていますので、仕方のないことだと思っています。
更新お疲れ様です。
信長と謙信の対話、興味深かったです。
読んでいてなるほど、と思いました。
私自身の見解としては、史実において謙信は、関東管領の名目で関東に遠征した際にも普通に乱取りを行っていますので、謙信の語る「義」は同じ武士に対してのもので、民のことは歯牙にもかけてなかったというイメージを持っています。一方で信長は民との逸話も残っていて民を大切にしていたと思っています。
今回の話ではそのイメージが対話での微妙な食い違いに出ていたなと思いました。
いつかこの食い違いが対立に進まなければと思いますが、それはそれで面白いかもなどと思ってしまいます。
ただ、著者さんの見解が信長の認識に出ているのかとも思いますが、この時代でも北条家以外にも民のことを考えていた領主はいると思っています。
少なくとも同じ時代の民に慕われていたと伝わっている領主は、それなりに民のことを考えた領地経営を行っていたのではと思います。逆に後生に英雄視された人物は後付けで慕われていたように伝わっている可能性もあるので、判断が難しい人物も多いと思いますが。
謙信の乱取りについて批判的なこと書きましたが、この当時乱取りを禁止することの方が異常で、当時としては当然の行為であったことは理解しています。実際、大坂の陣でも普通に行われていましたし。
ただ関東管領として乗り込んだ関東で行ったことに疑問を持っているだけです。
作中では数話前に乱取り禁止を謙信も同意しましたが、実は謙信が同意したことに驚いていました。
[気になる点]
誤字報告。
なんか毎回しつこいと思われそうですが、気づいてしまうと気になってしまう性格なので。
×襟銭令→○撰銭令
[一言]
前回書いた感想について一つ。
信重の結婚についての信長の反応については作中においての信長について予想しました。(実際にそうした場面が描かれるかは別として)
なんだか紛らわしい書き方で申し訳ないです。
史実において信長がどういうつもりがあったかは謎だなと思っています。
お忙しいということですが、くれぐれもご無理はなさいませんよう。
読者として更新は楽しみにしていますが、生活をきちんとした上での執筆だと考えていますので、仕方のないことだと思っています。
- 投稿者: ゆう
- 2017年 05月04日 10時19分
ご感想ありがとうございます。返信が遅れてしまい申し訳ないです。まずは誤字の件ありがとうございます。修整しております。
謙信も含めなのですが、名将言行録などに記されている各エピソードに武将の傾向が表れていると感じています。謙信や信玄など多くの武将が、家臣たちなど同じ“武士”とのエピソードが多いにも関わらず、信長は“民衆”だったりとか所謂“下々”と呼ばれる人たちとの話が多いのです。実際に信長が行っている政策などを照らし合わせると、民衆に優しい(恩恵がある)面が非常に強く感じます。
乱捕り禁止について謙信が同意したことは、偏に義輝のためです。信長も謙信を御するには義輝の名を出す方が効果的だと知っており、“天下に上様の恥を晒すな”と言う事で、同意を誘ったのです。
信重(信忠)の正室について信長の考えは非常に興味を抱くところです。嫡男の結婚は側室は別として基本的には親が取り仕切るものです。実際に信忠と松姫の婚儀は信長と信玄によって取り決められています。ただ史実では享年26歳で死ぬ時まで信忠に正室はおらず、初婚の年齢を考えれば有り得ないことであり、織田家の立場を考慮すれば縁談の一つや二つは当たり前のようにあったと思われます。それを信長が無視するとは思えず、信忠が武田征伐後に松姫を呼び寄せる意向であったことを踏まえれば、信忠の意向を尊重していたのではないかと推察できます。実際に武田領を治めていたのは信忠であり、武田の血を継ぐ嫡男が誕生すれば、甲信の統治に大きな成果を齎す事は、想像に難くありません。
三法師とて側室の子であるので、長男であっても嫡男ではなく、故に清洲会議で後継者問題に揉めたのだと考えられます。
とはいえ真実は信長と信忠の死によって謎に包まれています。
謙信も含めなのですが、名将言行録などに記されている各エピソードに武将の傾向が表れていると感じています。謙信や信玄など多くの武将が、家臣たちなど同じ“武士”とのエピソードが多いにも関わらず、信長は“民衆”だったりとか所謂“下々”と呼ばれる人たちとの話が多いのです。実際に信長が行っている政策などを照らし合わせると、民衆に優しい(恩恵がある)面が非常に強く感じます。
乱捕り禁止について謙信が同意したことは、偏に義輝のためです。信長も謙信を御するには義輝の名を出す方が効果的だと知っており、“天下に上様の恥を晒すな”と言う事で、同意を誘ったのです。
信重(信忠)の正室について信長の考えは非常に興味を抱くところです。嫡男の結婚は側室は別として基本的には親が取り仕切るものです。実際に信忠と松姫の婚儀は信長と信玄によって取り決められています。ただ史実では享年26歳で死ぬ時まで信忠に正室はおらず、初婚の年齢を考えれば有り得ないことであり、織田家の立場を考慮すれば縁談の一つや二つは当たり前のようにあったと思われます。それを信長が無視するとは思えず、信忠が武田征伐後に松姫を呼び寄せる意向であったことを踏まえれば、信忠の意向を尊重していたのではないかと推察できます。実際に武田領を治めていたのは信忠であり、武田の血を継ぐ嫡男が誕生すれば、甲信の統治に大きな成果を齎す事は、想像に難くありません。
三法師とて側室の子であるので、長男であっても嫡男ではなく、故に清洲会議で後継者問題に揉めたのだと考えられます。
とはいえ真実は信長と信忠の死によって謎に包まれています。
- やま次郎
- 2017年 06月19日 19時28分
[良い点]
今回は信長と謙信の考え方の違いが書かれていましたね。この話では特に信長の考えがよく出ていました。
誰に対しても容赦が無いのはイメージ通りでした。
[気になる点]
何か信長の「俺様」ぶりに拍車がかかってきましたね。でもドラマを見る限り「怠け者」より「小賢しい人間」が嫌いなところがありました。しかし役に立つ人間は「小賢しく」ても登用してましたからある意味でドラマ通りとも言えます。
それと今までの流れだと信長は誰も怖れてない事になりますけど作者さんにとって怖いもの知らずなんですか彼は?
[一言]
待ったかいがありましたね。やっぱり信長の方が迫力ありますね。謙信相手に歯牙にもかけていない感じですもん。
ただやっぱり先人たちの悪口を言うのは人間としては感心しないですね。死んだ親父に茶香をぶっかる人物だからここまで言えるんでしょうか?
今回は信長と謙信の考え方の違いが書かれていましたね。この話では特に信長の考えがよく出ていました。
誰に対しても容赦が無いのはイメージ通りでした。
[気になる点]
何か信長の「俺様」ぶりに拍車がかかってきましたね。でもドラマを見る限り「怠け者」より「小賢しい人間」が嫌いなところがありました。しかし役に立つ人間は「小賢しく」ても登用してましたからある意味でドラマ通りとも言えます。
それと今までの流れだと信長は誰も怖れてない事になりますけど作者さんにとって怖いもの知らずなんですか彼は?
[一言]
待ったかいがありましたね。やっぱり信長の方が迫力ありますね。謙信相手に歯牙にもかけていない感じですもん。
ただやっぱり先人たちの悪口を言うのは人間としては感心しないですね。死んだ親父に茶香をぶっかる人物だからここまで言えるんでしょうか?
- 投稿者: ジェイカー
- 2017年 05月03日 21時08分
毎度のことながら返信が遅れて申し訳ありません。
信長は人に対して恐れはありません。史実でも信玄や謙信に最初は低姿勢でしたし、朝倉義景にすら頭を下げています。
信長は“必要ならば行う”だけの合理主義者。外聞に気を遣う一面もありますが、それも好印象を抱かれている方が都合がよいというもので、自分個人の尊厳に関わるものではないと考えています。
そして信長が嫌うのが怠慢で、無能なものや役に立たないものを排除され、小賢しくても一芸にでも秀でていれば鬼武蔵のように可愛がっています。
先人たちの事は、悪口というよりは、現状を認識して過去を照らし合わせているようなもので、今はこういう問題が発生しているから何をしなくてはならない。そう考えているだけです。まあ乱世を生んだ原因みたいなものは過去にありますので、その辺りに対する感情が含まれているのは人間である以上あると考えています。ただ英雄的な人物であっても“無条件”に評価はしないというのは信長らしさだったりはしています。
信長は人に対して恐れはありません。史実でも信玄や謙信に最初は低姿勢でしたし、朝倉義景にすら頭を下げています。
信長は“必要ならば行う”だけの合理主義者。外聞に気を遣う一面もありますが、それも好印象を抱かれている方が都合がよいというもので、自分個人の尊厳に関わるものではないと考えています。
そして信長が嫌うのが怠慢で、無能なものや役に立たないものを排除され、小賢しくても一芸にでも秀でていれば鬼武蔵のように可愛がっています。
先人たちの事は、悪口というよりは、現状を認識して過去を照らし合わせているようなもので、今はこういう問題が発生しているから何をしなくてはならない。そう考えているだけです。まあ乱世を生んだ原因みたいなものは過去にありますので、その辺りに対する感情が含まれているのは人間である以上あると考えています。ただ英雄的な人物であっても“無条件”に評価はしないというのは信長らしさだったりはしています。
- やま次郎
- 2017年 06月19日 19時15分
[気になる点]
北条攻め辺りから奇妙丸の元服後の諱が「信忠」ではなく「信重」になっているのは、誤字ではなく意図したものでしょうか?
また、天下「統一」も「一統」になっているもの同じでしょうか?
一統に関しては意味としてはおかしくないのですが、よく耳にするのが「統一」なので、少し気になりました。
[一言]
織田の地元として幼い頃から信長を始めとした三英傑の話は刷り込まれるように聞かされてきました。
今では彼が主役であれ脇役であれ、どう描かれるかによって作品の好悪までもが変わってくる立派な信長フリークです。
その自分から見ても、義輝が生きて采配を振るうとすれば、なるほどと得心の行く話の流れになっているかと思いました。
信長と謙信の会談、何がどこまで語られるのか、注目しています。
北条攻め辺りから奇妙丸の元服後の諱が「信忠」ではなく「信重」になっているのは、誤字ではなく意図したものでしょうか?
また、天下「統一」も「一統」になっているもの同じでしょうか?
一統に関しては意味としてはおかしくないのですが、よく耳にするのが「統一」なので、少し気になりました。
[一言]
織田の地元として幼い頃から信長を始めとした三英傑の話は刷り込まれるように聞かされてきました。
今では彼が主役であれ脇役であれ、どう描かれるかによって作品の好悪までもが変わってくる立派な信長フリークです。
その自分から見ても、義輝が生きて采配を振るうとすれば、なるほどと得心の行く話の流れになっているかと思いました。
信長と謙信の会談、何がどこまで語られるのか、注目しています。
ご感想ありがとうございます。
信忠については、最初の元服の名乗りが信重であったために、初名をそのまま使用しています。改名した理由は定かではありませんが、拙作で改名するかどうかはこの場にて回答は控えさせて頂きます。また天下統一ではなく一統であることは、当時で使われていた言葉は一統であったからです、統一という言葉は江戸期に入ってからのようですので、こちらを宛がわせて頂いています。まあその理屈だと幕府と呼称するのも時代錯誤な話となるのですが、読者への分かりやすさとして、こちらは敢えて幕府という呼称を用いさせて頂いています。
信長については筆者もかなりのフリークと自認しています。であるからこそ、筆者も義輝が生きていた時代の信長は後世に語り継がれているものとは違いがあると感じております。
その信長と謙信二人の話がどうなるかはようやくの更新となりましたので、ご覧下さいませ。
信忠については、最初の元服の名乗りが信重であったために、初名をそのまま使用しています。改名した理由は定かではありませんが、拙作で改名するかどうかはこの場にて回答は控えさせて頂きます。また天下統一ではなく一統であることは、当時で使われていた言葉は一統であったからです、統一という言葉は江戸期に入ってからのようですので、こちらを宛がわせて頂いています。まあその理屈だと幕府と呼称するのも時代錯誤な話となるのですが、読者への分かりやすさとして、こちらは敢えて幕府という呼称を用いさせて頂いています。
信長については筆者もかなりのフリークと自認しています。であるからこそ、筆者も義輝が生きていた時代の信長は後世に語り継がれているものとは違いがあると感じております。
その信長と謙信二人の話がどうなるかはようやくの更新となりましたので、ご覧下さいませ。
- やま次郎
- 2017年 05月02日 20時16分
[良い点]
なんか意思疎通ができてきたんじゃないですか謙信と信長?最初は不安でしたけどこれなら足並みをそろえていきそうですね。
「南蛮の脅威に気付いたのが信長の他には、謙信や家康など」ここが気になりますね。この3者以外に気付いたのは誰か?このことが今後に影響するんでしょうか?
[気になる点]
前回の感想の悪い点で頼朝が生きるために何でもやると思ったのはどちらかといえば、泣いて命乞いしたことです。
「曲りにも」ではなく「曲がりなりにも」でしたすみません
[一言]
こんばんわ
挨拶が遅れてしまい、すみません。
なんか意思疎通ができてきたんじゃないですか謙信と信長?最初は不安でしたけどこれなら足並みをそろえていきそうですね。
「南蛮の脅威に気付いたのが信長の他には、謙信や家康など」ここが気になりますね。この3者以外に気付いたのは誰か?このことが今後に影響するんでしょうか?
[気になる点]
前回の感想の悪い点で頼朝が生きるために何でもやると思ったのはどちらかといえば、泣いて命乞いしたことです。
「曲りにも」ではなく「曲がりなりにも」でしたすみません
[一言]
こんばんわ
挨拶が遅れてしまい、すみません。
- 投稿者: ジェイカー
- 2017年 02月09日 19時27分
返信が遅れて申し訳ありません。
南蛮の脅威に気が付いた者については、一応は作中で列記しております。あとは既に大名クラスになっている織田家臣団も含まれて参ります。流石に家中ですので、当主の影響力が強いです。もちろん今後に影響はしていきます。
こんばんわ、私も挨拶がえらい遅れました。申し訳ありません。
南蛮の脅威に気が付いた者については、一応は作中で列記しております。あとは既に大名クラスになっている織田家臣団も含まれて参ります。流石に家中ですので、当主の影響力が強いです。もちろん今後に影響はしていきます。
こんばんわ、私も挨拶がえらい遅れました。申し訳ありません。
- やま次郎
- 2017年 05月02日 19時41分
[良い点]
更新お疲れ様です。
面白く読ませていただきました。
2話分あわせての感想になります。
北条家の結束の固さがよく出ていたなと思いました。そして氏政の最期はとてもよく描かれていました。
そして信長が北条家の滅亡にこだわった理由がわかり、なるほどと思いました。
内政に優れた北条家は、信長が諸大名の中でもっとも評価しそうなのにと思っていたので、評価しているからこその北条家の滅亡なのかと納得です。
[気になる点]
ついでに誤字報告。
第七幕 鎌倉軍議 -過去からの教訓-
南蛮の驚異に気が付いた者は
×驚異→○脅威
所領を得られることになる大名すれば、
大名の後ろに「に」か「から」といった言葉が入ったほうが自然です。
同時期に義信の が解け誠心誠意で
文脈から判断すると「が」の前に「蟄居」「幽閉」あたりが入るのではないでしょうか。
松は十三歳であり
×十三歳→○十二歳
松姫は永禄4年(1561年)の生まれなので、12歳なります。
鎮撫の大評定が行われたのが元亀三年(一五七二)とあり、作中で年が変わっていないと思いましたので。
私の読み落しで、実は既に元亀4年(1573年)に変わっていたら申し訳ないですが、氏政が享年・三十五とあるので、やはり1572年のままでは?
[一言]
武田家の家督は、武田家に残っている弟がいるなら、本来は他家から養子を迎えるより弟を養子にして跡継ぎに据える方が当時としては自然ですね。武王丸を養子にするということは諏訪家の跡継ぎを横取りすることになりますし。
この辺は吉川元長の死後に他家を継いでいた次弟ではなく広家が吉川を継いだのがよい例ではないかと思います。
それと武王丸を養子にするとしても、年齢的にも義信から直接武王丸に家督を譲って問題ないのですから勝頼をわざわざ後見に据えることはないと思います。また、後見させることは諏訪家に武田家のことに干渉を許すことになるので、一族や家臣団は受け入れないのでは?
勝頼が諏訪家を離れて武田家に入ることを想定しての考えだとしたら、諏訪家というひとつの家を軽んじすぎだと思います。
他家からの視点で武田の後継を誰にするかということを考えると、信玄の謀反に同心していた勝頼の息子を養子にするよりも、いずれ大大名の織田家正室・長尾家正室になる(予定)の松姫・菊姫の同母兄に当たる六郎の方が、見た目はよさそうですけどね。
こうした他家の考えなんかは考慮に入れてなさそうなところが、本作で描かれる義信の限界なのかなとも感じます。
ちなみにこの時代は三親等でも普通に結婚していますので、六郎が義信の娘を娶っても問題ないです。
むしろ義信の娘は義信の結婚時期や幽閉なんかを考えると、松姫より年上くらいだと思うので、武王丸より六郎の方が年齢は合いそうです。
六郎にしろ武王丸にしろ、義信の跡を継ぐなら義信の娘を娶るのが自然ですが。
この辺は長兄の長宗我部信親の死後に跡継ぎになった盛親が信親の娘を娶っているのと同じですね。
信長は嫡男の結婚については、信重の希望をあっさり受け入れそうだなと思いました。
信長からしてみれば今更信重の政略結婚を別に用意する必要なんて感じてなさそうですから。
信長は嫡男の結婚問題にしろ、義信が干渉を心配した武田の後継問題といった他家の事情にしろ、既に瑣末なこととしてまったく別の問題(この場合南蛮のこと)に目を向けている印象です。
この印象が悪いというわけではないです。むしろ足元のことよりも大きな問題に目を向けている信長という姿は私の信長に対して抱いているイメージともあいます。
織田信長が頼朝よりも清盛の方を評価していることは私も賛成です。織田家は平氏を自称していますし、そうなると当然清盛の方が上でしょうね。
また、武田家も鎌倉府のことは評価していても、頼朝のことは祀ってはいないだろうなと思いました。
甲斐源氏は頼朝に散々痛い目に合わされましたから。
次話で信長と謙信がどんな会話をするのか楽しみにしています。
更新お疲れ様です。
面白く読ませていただきました。
2話分あわせての感想になります。
北条家の結束の固さがよく出ていたなと思いました。そして氏政の最期はとてもよく描かれていました。
そして信長が北条家の滅亡にこだわった理由がわかり、なるほどと思いました。
内政に優れた北条家は、信長が諸大名の中でもっとも評価しそうなのにと思っていたので、評価しているからこその北条家の滅亡なのかと納得です。
[気になる点]
ついでに誤字報告。
第七幕 鎌倉軍議 -過去からの教訓-
南蛮の驚異に気が付いた者は
×驚異→○脅威
所領を得られることになる大名すれば、
大名の後ろに「に」か「から」といった言葉が入ったほうが自然です。
同時期に義信の が解け誠心誠意で
文脈から判断すると「が」の前に「蟄居」「幽閉」あたりが入るのではないでしょうか。
松は十三歳であり
×十三歳→○十二歳
松姫は永禄4年(1561年)の生まれなので、12歳なります。
鎮撫の大評定が行われたのが元亀三年(一五七二)とあり、作中で年が変わっていないと思いましたので。
私の読み落しで、実は既に元亀4年(1573年)に変わっていたら申し訳ないですが、氏政が享年・三十五とあるので、やはり1572年のままでは?
[一言]
武田家の家督は、武田家に残っている弟がいるなら、本来は他家から養子を迎えるより弟を養子にして跡継ぎに据える方が当時としては自然ですね。武王丸を養子にするということは諏訪家の跡継ぎを横取りすることになりますし。
この辺は吉川元長の死後に他家を継いでいた次弟ではなく広家が吉川を継いだのがよい例ではないかと思います。
それと武王丸を養子にするとしても、年齢的にも義信から直接武王丸に家督を譲って問題ないのですから勝頼をわざわざ後見に据えることはないと思います。また、後見させることは諏訪家に武田家のことに干渉を許すことになるので、一族や家臣団は受け入れないのでは?
勝頼が諏訪家を離れて武田家に入ることを想定しての考えだとしたら、諏訪家というひとつの家を軽んじすぎだと思います。
他家からの視点で武田の後継を誰にするかということを考えると、信玄の謀反に同心していた勝頼の息子を養子にするよりも、いずれ大大名の織田家正室・長尾家正室になる(予定)の松姫・菊姫の同母兄に当たる六郎の方が、見た目はよさそうですけどね。
こうした他家の考えなんかは考慮に入れてなさそうなところが、本作で描かれる義信の限界なのかなとも感じます。
ちなみにこの時代は三親等でも普通に結婚していますので、六郎が義信の娘を娶っても問題ないです。
むしろ義信の娘は義信の結婚時期や幽閉なんかを考えると、松姫より年上くらいだと思うので、武王丸より六郎の方が年齢は合いそうです。
六郎にしろ武王丸にしろ、義信の跡を継ぐなら義信の娘を娶るのが自然ですが。
この辺は長兄の長宗我部信親の死後に跡継ぎになった盛親が信親の娘を娶っているのと同じですね。
信長は嫡男の結婚については、信重の希望をあっさり受け入れそうだなと思いました。
信長からしてみれば今更信重の政略結婚を別に用意する必要なんて感じてなさそうですから。
信長は嫡男の結婚問題にしろ、義信が干渉を心配した武田の後継問題といった他家の事情にしろ、既に瑣末なこととしてまったく別の問題(この場合南蛮のこと)に目を向けている印象です。
この印象が悪いというわけではないです。むしろ足元のことよりも大きな問題に目を向けている信長という姿は私の信長に対して抱いているイメージともあいます。
織田信長が頼朝よりも清盛の方を評価していることは私も賛成です。織田家は平氏を自称していますし、そうなると当然清盛の方が上でしょうね。
また、武田家も鎌倉府のことは評価していても、頼朝のことは祀ってはいないだろうなと思いました。
甲斐源氏は頼朝に散々痛い目に合わされましたから。
次話で信長と謙信がどんな会話をするのか楽しみにしています。
- 投稿者: ゆう
- 2017年 02月08日 21時07分
返信が遅れて申し訳ありません。まずは誤字脱字に関してお礼を。修正しております。ありがとうございました。
また北条の結束については史実を見ても凄いものだと思います。普通、あれだけの軍勢に攻められたら身内から一人や二人裏切り者が出そうなものですが、誰一人として出していません。これは素直に評価できるところです。
また武田の跡継ぎについては描くかどうかは未定です。一応は選択肢として義信が考えているだけで、どちらにするにも可能性の範囲でしかありません。描いている内容は、あくまで義信が兄として弟の事を考えているからであり、決定ではありません。
信重(史実の信忠)については筆者も正直に疑問があります。史実でも信忠は二十六歳で死を迎えていますが、正室がおりません。天下の織田家なのですから、嫁の貰い手がなかったとは思えません。現に側室はいるわけですし。信長が嫡男の正室について何も考えなかったとも思いません。考えているからこそ、武田との縁組があったわけですし。その武田と断交して十年も信忠は正室を娶らなかったのは、信長にではなく信忠に原因があると筆者は考えています。実際に信忠は親父の信長に絶対服従する従順な武将ではありませんでしたので、我を通した部分があるのではないかと。
それが今回の話となっています。
また北条の結束については史実を見ても凄いものだと思います。普通、あれだけの軍勢に攻められたら身内から一人や二人裏切り者が出そうなものですが、誰一人として出していません。これは素直に評価できるところです。
また武田の跡継ぎについては描くかどうかは未定です。一応は選択肢として義信が考えているだけで、どちらにするにも可能性の範囲でしかありません。描いている内容は、あくまで義信が兄として弟の事を考えているからであり、決定ではありません。
信重(史実の信忠)については筆者も正直に疑問があります。史実でも信忠は二十六歳で死を迎えていますが、正室がおりません。天下の織田家なのですから、嫁の貰い手がなかったとは思えません。現に側室はいるわけですし。信長が嫡男の正室について何も考えなかったとも思いません。考えているからこそ、武田との縁組があったわけですし。その武田と断交して十年も信忠は正室を娶らなかったのは、信長にではなく信忠に原因があると筆者は考えています。実際に信忠は親父の信長に絶対服従する従順な武将ではありませんでしたので、我を通した部分があるのではないかと。
それが今回の話となっています。
- やま次郎
- 2017年 05月02日 19時39分
[気になる点]
元寇に対する認識が大分古いですね、神風関係なくまともに上陸出来ずに元軍は撤退していたってのが現在の主流ですから。
小学校の教科書では未だに神風のおかげなんて嘘を載せてるみたいですが。
元寇に対する認識が大分古いですね、神風関係なくまともに上陸出来ずに元軍は撤退していたってのが現在の主流ですから。
小学校の教科書では未だに神風のおかげなんて嘘を載せてるみたいですが。
返信が遅くなり申し訳ないです。
まあ認識が古いのが戦国時代ですから眼をつぶって頂けると助かります。元寇当時ですら神風と言われていたくらいですので、当時の文献の写しや伝承のみの戦国の世では、まだまだ神風という説が主流だったと筆者は勝手に想像しています。
まあ認識が古いのが戦国時代ですから眼をつぶって頂けると助かります。元寇当時ですら神風と言われていたくらいですので、当時の文献の写しや伝承のみの戦国の世では、まだまだ神風という説が主流だったと筆者は勝手に想像しています。
- やま次郎
- 2017年 05月02日 19時30分
[良い点]
ようやく更新が来ました。待ちくたびれました。
[気になる点]
信長が頼朝を嫌うのは意外でしたし、筋違いだと思います。生き残るために何でもやるのは戦国でも頼朝の時代でも同じだと思います。(事実、朝廷に認められなければ鎌倉幕府はなかったでしょう)
あと妻の北条政子について全く触れてないのは盲点だったと思います。彼女がいなかったら幕府はもっと早く滅んでいたと思います。寿桂尼の事を認めたのですから、もう少し評価が高くてもいいと思います。
元寇もそうですが北条時宗が執権でなかったら日本は元の使い走りになっていたんじゃないですかね?
彼の判断も幕府という組織ではなく、日本という国を救ったと思います。
よって信長が彼らを非難する謂れは無いのです。
むしろ武士の形が烏合の衆に近い状態で曲がりにも武士を纏めあげた鎌倉幕府を評価するべきです。
ようやく更新が来ました。待ちくたびれました。
[気になる点]
信長が頼朝を嫌うのは意外でしたし、筋違いだと思います。生き残るために何でもやるのは戦国でも頼朝の時代でも同じだと思います。(事実、朝廷に認められなければ鎌倉幕府はなかったでしょう)
あと妻の北条政子について全く触れてないのは盲点だったと思います。彼女がいなかったら幕府はもっと早く滅んでいたと思います。寿桂尼の事を認めたのですから、もう少し評価が高くてもいいと思います。
元寇もそうですが北条時宗が執権でなかったら日本は元の使い走りになっていたんじゃないですかね?
彼の判断も幕府という組織ではなく、日本という国を救ったと思います。
よって信長が彼らを非難する謂れは無いのです。
むしろ武士の形が烏合の衆に近い状態で曲がりにも武士を纏めあげた鎌倉幕府を評価するべきです。
- 投稿者: ジェイカー
- 2017年 02月08日 07時33分
返信が遅れに遅れ申し訳ないです。待たせた挙句、もっと待たせてしまいました。
信長観はちょっと難しいところがあります。筆者が書いている信長も正直に“偉そう”です。上位の存在である主人公の義輝に対しても時折で上から目線であったりしますし、世の中や過去へ対しても同じだったりします。現代での非難とは少し違うのかと筆者は思っています。
それはなぜかといえば、過去を認めてしまうことの危険性が孕んでいるからです。下手に過去を認めてしまえば、現状を甘んじてしまうかもしれず、必要なことを行えない可能性もあります。当時は現代の日本でも色濃く残る先例主義の時代です。先人を認めることは、その路線の踏襲にもなります。頼朝など過去の偉人が選んできた道をあくまでも一つの選択肢、一つの例として認識し、捉える。その上で現状を鑑み、最善の道を模索していたりします。
結果を出せていないが故に実は信長は自分自身に対する評価も低かったりします。それでも信念を揺るがさずにいれるのが偉人の凄いところかと。まあ実際に当時の人間が過去の人間をどう考えていたのか難しいですよね。秀吉なんて頼朝を認めたのは自分の実績をより誇るためであったりしますので。
信長観はちょっと難しいところがあります。筆者が書いている信長も正直に“偉そう”です。上位の存在である主人公の義輝に対しても時折で上から目線であったりしますし、世の中や過去へ対しても同じだったりします。現代での非難とは少し違うのかと筆者は思っています。
それはなぜかといえば、過去を認めてしまうことの危険性が孕んでいるからです。下手に過去を認めてしまえば、現状を甘んじてしまうかもしれず、必要なことを行えない可能性もあります。当時は現代の日本でも色濃く残る先例主義の時代です。先人を認めることは、その路線の踏襲にもなります。頼朝など過去の偉人が選んできた道をあくまでも一つの選択肢、一つの例として認識し、捉える。その上で現状を鑑み、最善の道を模索していたりします。
結果を出せていないが故に実は信長は自分自身に対する評価も低かったりします。それでも信念を揺るがさずにいれるのが偉人の凄いところかと。まあ実際に当時の人間が過去の人間をどう考えていたのか難しいですよね。秀吉なんて頼朝を認めたのは自分の実績をより誇るためであったりしますので。
- やま次郎
- 2017年 05月02日 19時28分
[一言]
いつも楽しみに、楽しく読ませて頂いております。
信長が発言する度、緊張感やこの先どうなるかのわくわく感がたまりません!
続きも期待して待ってます。
いつも楽しみに、楽しく読ませて頂いております。
信長が発言する度、緊張感やこの先どうなるかのわくわく感がたまりません!
続きも期待して待ってます。
返信が遅くなってしまい申し訳ありません。ようやく次話も投稿しましたので、よかったら見てください。しっかりと完結まではやっていくつもりです!
- やま次郎
- 2017年 05月02日 19時18分
[良い点]
いつも楽しみに読ませていただいています
[気になる点]
作者様の歴史観で語られる物語をいつも楽しませてもらっていますので、私個人との歴史観との違いもそういうものと思っています
ただ一点気になったのですが、事実として多く残る鎌倉の御家人たちの活躍をないものにし神風のみに元寇の勝因を求める発想が果たして戦国時代の信長に生まれるものか疑問に思いました
皇族寺社仏閣によりすぎた戦前期の考証に近いものを合理主義者として書かれている信長が果たして抱くでしょうか
頼朝、ひいては彼が作った鎌倉幕府を清盛より評価してなくともそういったところで不当に彼らを貶める発想には至らないのではというのが少し引っかかった点です
いつも楽しみに読ませていただいています
[気になる点]
作者様の歴史観で語られる物語をいつも楽しませてもらっていますので、私個人との歴史観との違いもそういうものと思っています
ただ一点気になったのですが、事実として多く残る鎌倉の御家人たちの活躍をないものにし神風のみに元寇の勝因を求める発想が果たして戦国時代の信長に生まれるものか疑問に思いました
皇族寺社仏閣によりすぎた戦前期の考証に近いものを合理主義者として書かれている信長が果たして抱くでしょうか
頼朝、ひいては彼が作った鎌倉幕府を清盛より評価してなくともそういったところで不当に彼らを貶める発想には至らないのではというのが少し引っかかった点です
返信が送れて申し訳ありません。
筆者も他者の歴史観を尊重するようにしています。ただ事実だけを述べても真実とも限らず、互いに過去の知らない時代のことを語るのですから、喧嘩してもしょうがありません。まあそれだけ愛情があるってことなのかもしれませんが、他者の歴史観は本当に勉強になります。
なお元寇についてですが、もちろんあの場で描いた事が全てではありませんが、正直に言って当時の人間がどういう認識であったかは知る術がありません。ただ資料に乏しく、僅かに残った文献の写しや伝承によって知るしかなかったと思われます。神風については元寇当時からそういう話があったようなので、今回のような記述とさせてもらっています。ただ貶めるというよりは、敵を知らなかったことを問題視しており、その結果について触れています。信長にすれば、もっと自分たちから外へ出て行けば事前に知れた事は多いはずだという考えです。
筆者も他者の歴史観を尊重するようにしています。ただ事実だけを述べても真実とも限らず、互いに過去の知らない時代のことを語るのですから、喧嘩してもしょうがありません。まあそれだけ愛情があるってことなのかもしれませんが、他者の歴史観は本当に勉強になります。
なお元寇についてですが、もちろんあの場で描いた事が全てではありませんが、正直に言って当時の人間がどういう認識であったかは知る術がありません。ただ資料に乏しく、僅かに残った文献の写しや伝承によって知るしかなかったと思われます。神風については元寇当時からそういう話があったようなので、今回のような記述とさせてもらっています。ただ貶めるというよりは、敵を知らなかったことを問題視しており、その結果について触れています。信長にすれば、もっと自分たちから外へ出て行けば事前に知れた事は多いはずだという考えです。
- やま次郎
- 2017年 05月02日 19時17分
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