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[良い点]
 ようやく勝頼が重い腰を上げました。
[気になる点]
 「まるで成長していない」というのが率直な感想です。氏政にはガッカリしました。史実では勝算のある戦いだったが、今回は勝ち目のない戦いをして滅亡しそうになっています。
[一言]
 生・・・〇 死・・・☓ 生死不明・・・△
【幕府・将軍家】
 〇足利義輝 △足利義昭(流罪)〇細川藤孝 〇柳生宗厳
【土岐家】〇土岐光秀(現土岐家当主) 〇斎藤利三 〇黒田官兵衛(小寺家元家臣)
【織田家】※形式上幕臣だが、幕府と違った行動をとっているため
 〇織田信長 〇濃姫 〇前田利家 ☓森可成 〇柴田勝家
 〇佐久間信盛
(羽柴家)〇羽柴秀吉(北近江) 〇蜂須賀小六 〇竹中半兵衛 △おね
【大友家】
〇大友宗麟 〇立花道雪 〇道意(松永久秀)〇道薫
【その他の大名】 
〇諏訪勝頼(信濃大名) 〇長尾景勝(越後長尾家) 〇今川氏真(足利一門から勘当、駿河一国のみ)
☓毛利元就(病死)☓北条氏康(病死)〇佐竹義重(常陸)
☓浅井長政(越前) 
【家臣】
☓馬場信春 ☓北条綱成
という感じでよろしいでしょうか?


 
  • 投稿者: ジェイカー
  • 2016年 08月29日 22時06分
返信が遅くなり申し訳ありません。

勝頼に至っては信玄に従って転戦を繰り広げていますが、氏政については成長する要素がありません。史実とほぼ変わらない経験しかしていないので、無理もないのです。北条という家は、関東に拘り過ぎた。故に関東から出ないので、架空戦記であっても史実との変化をもたらせるのは難しい。そういう意味では、信濃や甲斐に出て行った氏直の方が将来性はあったかと思います。

また武将たちの生死総まとめありがとうございます。主な面子については筆者も覚えておりますが、家臣の一人一人になると正直忘れていることも。笑

一箇所だけ訂正をするとすれば、浅井長政ですかね。越前一国に加賀二郡の大名として彼は生存しています。
  • やま次郎
  • 2016年 09月16日 19時33分
[一言]
勝頼が一皮剥けましたね。場合によっては、武田家当主の道も開けたわけですか。勝頼に対して、義輝と信長が抱く印象にも注目です。
  • 投稿者: 永倉筑前守
  • 2016年 08月13日 05時52分
返信が遅くなり申し訳ありません。

拙作では史実と違って義信が武田当主となりました。義信は自刃して果てたと伝わっていますので、拙作でもそれなりの年齢までは生きる予定です。ただ子供は娘しかいません。年齢が年齢なので、跡継ぎを作ってもよいのですが、確実に架空の人物となります。主人公である義輝は、その物語上で已むなしとしましたが、他の人物については出来るだけ架空の人物は創りたくありません。その中での選択肢が、今回の話です。お家存続を重んじる義信らしい選択でもありますし、信玄の考えにも通じることになりますので、あり得ると思って採用しました。
  • やま次郎
  • 2016年 09月16日 19時24分
[良い点]
家康は戦国大名としてはすでに完成した人だったんですね。だから島左近を通して義輝が摺るが駿河切り取りを中止の命令をしたにも関わらず、強気な態度を取れたんですね。
[気になる点]
作者さんの返信をみる限りだと家康はこれ以上「心の成長」を見ることは無さそうですね。史実では世界でも類を見ない泰平の世を築いた人と、同一人物とは思えません。残念なことですけど
[一言]
八月も暑い中お疲れ様です。まず家康に対しても厳しい言い方をして申し訳ありません。やはり戦絡みでしょうね。この時期になると(太平洋)戦争の話がでてきます。大坂の陣が終わったのも夏でしたから、時代が違っても「夏に戦が終わって平和になった」と長い目で見れば、同じですね。
  • 投稿者: ジェイカー
  • 2016年 08月09日 17時40分
返信が遅くなり申し訳ありません。

暑い夏も九月に入り、そろそろ夜の暑さが落ち着いて参りました。先月は忙しすぎて楽しい番組を全て見逃した私です。涙

個人的に家康については作中で触れたとおりと筆者は思っています。もちろん信長や秀吉、信玄などから学んだことはあるでしょうが、本質は変わらなかった。これが家康かと。

また私は泰平を築いた功労者は家康ではなく秀忠と思っています。家康の時代は豊臣家がおり、幕府の整備は完全ではありませんでした。これが家光の時代には、ほぼ形が出来上がっております。では、その整備を行った人物は誰か?

秀忠です。

秀忠という人物がいなければ、徳川幕府はもっと早くに潰れていたのではないでしょうか。そういう意味では、その器量を見抜き、関が原に遅参したにも関わらず二代目に選んだ家康の眼力はすさまじいものがあると感じます。
  • やま次郎
  • 2016年 09月16日 19時14分
[一言]
勝頼は国を失ったことから評価を落としていますが、史実では信玄すら落とし得なかった高天神城を攻め落とすなどしており、敵方の徳川からも「勝頼公は神将なり」と称えられる程の人物であるわけです。
故に、当作品における勝頼の描写に異論はございませぬ
返信が遅くなり申し訳ありません。

勝頼に至ってははやり“強すぎる大将”との評価は間違いでないと思います。何故なら史実でも家康相手には十分な戦いを行っておりますし、上杉や北条など周辺国への対応もしっかり出来ております。運が悪い...いえ、相手が悪かったのです。織田信長という強大な力を前に意地を見せるのが精一杯です。あの家康とて戦力差が違えば秀吉に屈するのです。

家を滅ぼした=暗愚というイメージを持たれている。(持たれていた)武将にもっとスポットを当てていきたいと思っています。
  • やま次郎
  • 2016年 09月16日 19時06分
[一言]
更新乙です。

私は、氏政も、信忠も、景勝も、勝頼も、輝元も、さすがに少し劣るでしょうが氏真も、みんな似たようなもんだと思っています。
愚将ではない、かといって名将でもない。
受け継いだ自家の力が大きく、「化け物」にぶち当たらない限り、戦力差通りの結果を齎す、そういう意味で二代目に相応しい連中である、と。
氏政が北条最大の版図を築いたことを持って名将とか抜かす人がいますが、結局上記の通りであって彼自身が優れていたわけではない、
しかし圧倒的戦力がありながら敗北するような愚将でもない。
それだけのことで、彼では川越夜戦は越えられなかったでしょう。
しかし、この中で唯一大名として生き残った景勝はやはりひとかどのものですし、勝頼は確かに高天神城を落とすなど、戦方面でも、外交、内政方面でも功績がないわけではない。
彼の場合は、氏真同様、家を継いだ時の状況が悪すぎた、これにつきると思います。
上に上げた6人の中で、一番期待できるのはやはり勝頼だったでしょう。
信忠は語れるほどの功績はまだ残してませんでしたのでどうとでも解釈できますが。
とにかく、そういう意味で、戦術を見せた勝頼に違和感は全くありませんでした。
少々感情的っぽいところも含めて、正に私のイメージどおりと言えます。

さて、次回も更新楽しみに待っております。
  • 投稿者: PON
  • 2016年 08月05日 00時12分
返信が遅くなり申し訳ありません。

二代目については可能性を大きく感じます。勝頼は名将であり、時代が違えば手腕を見せて家を大きく発展させたのではないかと思います。しかし、彼が対峙するのは上方を制覇した織田信長という英傑、正直に言って信玄であっても抗うことは不可能だったと思います。

氏政も同じで、豊臣秀吉を相手によく頑張った方というのが正しい評価ではないでしょうか。拙作に至っても上杉謙信+武田義信を相手によく戦っていると思います。これに景勝が加わるのですから、分が悪いのはしょうがないです。

この景勝も仰られるとおり唯一、家康を相手にして家を残した器量は評価に値すると思います。

拙作では義信が武田の棟梁として生き残っておりますが、未来が変わった勝頼の生き様も少しはスポットを当てて参りたいと思い描いております。
  • やま次郎
  • 2016年 09月16日 19時02分
[一言]
 作者様返信ありがとうございます。
返信で作者様は、義輝が北条氏規を伊勢の本流に据えるのは不思議ではないと思っておられるようですが、これはやはり室町時代の武家の慣習や道理(法理)から見て明らかに無理があると思われます。

上杉謙信を例に出しておられますが、謙信の場合は先代の当主である上杉憲政の意向や山内上杉家臣団の同意もあったでしょう。
しかし今回の氏規の場合は、伊勢宗家の養子だったわけでもなく、前当主に家督禅譲の意向があったわけでもありません。
また伊勢家という家は、室町幕府において有職故実や礼法を司ってきた家であり、その学識と足利家の譜代家臣としての立場から歴代将軍の「御父」――いわゆる教育係を務めてきた家でもあります(伊勢家は事実上、将軍家の家宰でした)。
いくら有能といっても、伊勢家にとっての「家学」である有職故実や「伊勢流礼法」も体得していない氏規を伊勢の本流に据えるのは非常識にすぎますし、足利将軍としてありえない沙汰です。

そして伊勢家臣団は将軍義輝に表立って文句は言えないだろうとお考えのようですが、これも考えが甘いと思われます。
室町時代の歴史というのは、家督争いが泥沼化し頻発する時代です。
当時の武士たちはたとえ将軍の意向であってもそれが道理に反してる、正しくないと感じたら、容赦なく反発します。
特に今回の義輝の沙汰は、伊勢家の「累代の忠功」を無視してただ自分のお気に入りを伊勢家の本流に据えようという横暴な沙汰ですから、伊勢貞為や貞興、家臣団が納得するとは思えませんし、最悪氏規は暗殺され、伊勢家が滅亡覚悟で謀反してもおかしくないと思います。

  それと作者様が室町時代や室町幕府のことをもっと知りたいのならば、『戦国黎明記』(http://sengokureimeiki.com/index.html)というサイトが参考になるかと思います。
取り扱っているのは主に観応の擾乱や応仁の乱期で、サイトもまだ作成途中のようですが室町時代を学ぶ上で参考にはなります。
  • 投稿者: 埋木舎
  • 男性
  • 2016年 07月18日 00時31分
ご感想ありがとうございます。お返事が遅くなり申し訳ありません。またサイトのご紹介ありがとうございます。時間があるときにちょくちょく見ていこうと思います。少しだけ拝見しましたが、非常に噛み砕いた書き方をされており、当時のことに理解の深い方が書かれたものだということは推察できました。ありがとうございます。

当時の状況、状勢については筆者の想像が多分に含まれています。正直なところ上杉家中であれ、他の武家であれどれほどの調整が行われていたかは確かなことは分かりません。慣例、慣習が軽いものではないということは理解していますし、同時に力を持った秀吉が近衛家の猶子となって関白職に就くという事例も存在します。当時の秀吉は四国や北陸、甲信越も制していなかったので、拙作の幕府以下の勢力でした。

正直、この辺りは非常に難しい判断と思われます。

一つの歴史観を有すものとして、“今”の筆者の捉え方は拙作で描かれている通りです。それが絶対不変のものとは思いませんし、埋木舎様のように異論のある方もおられるでしょう。ご紹介いただいたサイトを見て、私の歴史観も変化するかもしれません。筆者の歴史観を押し付ける気も毛頭ありません。

ただ言えることとしては、拙作の義輝に修正を加えることはないということです。一つの歴史小説として、面白おかしく、そして楽しく最後までお付き合い願えればと存じます。

ですが、様々なご意見は私も非常に刺激になります。これからもドシドシ御感想でお言葉を賜れればと思います。

  • やま次郎
  • 2016年 08月04日 22時34分
[良い点]
史実では死んで活躍できなかった義輝や没落して表舞台から消えた氏真などが出てきて面白いです。
[気になる点]
ストーリー上、仕方ないとは思いますが誰がいて(生きて)誰がいないのか(死んでいるか)わかりにくいです。
[一言]
お久しぶりです。今でも続きが気になりながら見てます。次回のコメントで主な武将の消息を自分なりにまとめようと思います。

  • 投稿者: ジェイカー
  • 2016年 07月12日 10時46分
架空戦記だからこそ、史実で埋もれてしまった武将を輝かせるのだと思います。実際、この時代も今と同じで、スポットライトが当たっている連中とそうでない人たちとの間に、それほど大きな差がないのではないかと思っています。

まあそれ故に死んでいる連中とそうでないものも分かりにくくなっていますね。史実なら死んでいて、拙作で生きている代表的な人物は義輝ですが、実弟の晴藤、和田惟政、武田義信などが史実の没年より長く生きており、信玄や一部の武田家臣、朝倉義景、宇喜多直家などが史実より早く亡くなっています。例えば寿慶尼なども史実との差で少々早めに寿命を迎えていますね。
  • やま次郎
  • 2016年 08月04日 22時17分
[良い点]
軍神の名誉挽回と言ったところでしょうか?今回は
律儀なぶん、責任感じてますもんね。
[気になる点]
昨日は小田原に行ってきました。正直、氏政がいなかったら少なくとも江戸時代まで存続してた気がしてなります。武士の意地といえば聞こえはいいでしょうけど、通説で見る限り「体裁」でしょう。
しかもこの作品ではそれに加えて父親に対する反抗で、幕府のことを一度没落した家と見てるところがありますから余計に小物に見えます。
[一言]
おはようございます。いつも楽しく読んでいます。作者さんの返事を見ましたが、家康はすでに20代で狡猾さを持ってたことになりますね。そこへ行くと義輝は(性格的に)戦国時代に相応しくないということになりませんか?
  • 投稿者: ジェイカー
  • 2016年 06月18日 09時52分
ご感想ありがとうございます。返信が遅くなり申し訳ないです。

今まで拙作の謙信は損な役回りが多かったですからね。そろそろ明るい兆しがあってもよいかと。笑。

小田原は以前に一度だけ行ったことがあります。城内と城下周辺をかなり歩きましたが、いや広いですね。あれだけの大きな城と版図を持ち、泰平を実現した江戸幕府が模範する統治機構を備えていた北条家が滅びる。本当に何が起こるか判らない時代ですね。

氏政が小物に見えるのも、拙作では特に氏康を描かなければならなかったので、仕方のない面もあったりします。もし少し後の時代を描くとすれば、氏直と比較してもう少しマシな人物として描けたのかもしれませんね。

また家康の狡猾さについては、私は20代の頃から変わらずあったと思っています。その逸話が三河一向一揆との和議にあります。

家康は一向一揆との和議を「寺は以前のままとする」という内容で結びます。一揆側は当然ながら寺領安堵と捉えますが、家康は「寺は以前、野原であった」とし、寺院を破却してしまいます。後に大坂の陣で家康は惣掘(外堀)=総掘と断じて内堀まで埋めてしまっています。この話を聞いて、家康は昔から何も変わっていないと筆者は思うようになりました。

また義輝は確かに時代に即していない性格なのかもしれません。しかし、これは高貴な血筋ゆえのこととして拙作は描いています。
  • やま次郎
  • 2016年 08月04日 22時08分
[一言]
遅まきながらもやり方を合理的にするという成長を見せた謙信と、周りを見きれず悪い方向に流れていく氏政が対照的でした。
  • 投稿者: 永倉筑前守
  • 2016年 06月17日 19時42分
ご感想ありがとうございます。返信が毎度のことながら遅れてしまい申し訳ないです。

拙作の謙信は史実とは一風違う考え方をしています。これは経験が人の人格を形成するのと同じで、史実と違う人生を歩んだ結果と考えております。

一方で氏政は余り史実と大きく変わるような点はなく、史実でも豊臣政権との対立を歩んだ人物としては、仕方ない結果となっています。
  • やま次郎
  • 2016年 08月04日 21時54分
[良い点]
 この物語の信長は諦めが早すぎると思います。ろくに話合いもせず長島で領民を皆殺しにしたり、同盟者である浅井長政と協力できたかもしれないのに領地を奪った挙句、家臣のように改易同然に越前送りにしたり、結果を出さない謙信を酷評(口外してない)、主君である義輝を勝てないからと見捨て勝手に戦線離脱とキリがありません。
 しかし言い換えれば、これが信長らしいとも言えます。
[気になる点]
 この前、作者さんが輝元は家康に騙されて減俸されたことを書いていましたが、調べてみれば輝元も悪いところがあり西軍の総大将として行動(出馬、東軍武将の領地の侵入)をし、約束した相手が家康本人ではなかったから本来は領地を全て没収されても仕方なかったそうです。
 権謀術数の戦国で騙された方が悪いので責任は輝元にあります。
[一言]
 良い点でも悪い点でも人の悪口ばかりになってしまいましたが大名としての能力差を感じます。
 信長は基本的に人を敬いませんし、頭を下げたとしても心服したことにはなりません。(史実の義昭よりはマシですが)そういえば家康ですが遠江争奪で義輝を利用した節が見られます。家康にとって1番は信長であり、義輝は都合のいい相手で、将軍かはどうでもいいのでしょうか?
  • 投稿者: ジェイカー
  • 2016年 06月05日 11時11分
お返事が遅くなり申し訳ありません。

決断力に富むというのが筆者の信長観であります。信長らしさを描いているつもりでもありますが、違和感を持たれるのは史実の信長と筆者が違うように書いているからかもしれません。筆者は筆者なりに信長にはターニングポイントがいくつかあると思っています。我々が知っている信長像は、恐らく全てのターニングポイントを経てきた後の信長である可能性が高いです。しかし、筆者は敢えてターニングポイントを超えていない信長を描いています。

拙作の信長は室町幕府の滅亡も見ていませんし、金ヶ崎で長政に裏切られていません。史実ほど家臣に裏切られてもおらず、義輝がいるので天下人にも成っていません。故に史実の信長とちょっと違うのです。

また輝元ですが、以前に大関ヶ原展を見に行った際に関ヶ原に至るまでの両者のやりとりを見たことがあります。その後を知っている者としては、平然と人を騙している戦国武将の冷酷さを怖く感じました。現代では嘘をつくだけで罪悪感を持つのに、あの時代では当たり前のように勢力のトップが人を騙す。恐ろしい時代だと改めて感じた次第です。

ちなみに筆者は信長は人を敬う人間だと思っています。ただ怠惰や筋の通らないことを嫌う。弱者に優しく強者に厳しいという認識です。一芸に秀でている者は不得手があっても重宝される。ある意味で判りやすい人間なのではないでしょうか。

また家康は隣接している信長と同調することで義輝の権威権力に対抗している節が見えられますが、これは御家存続のためです。義輝がどうでもいいとは思っておりません。もし徳川単独の場合は黙って従うしかありませんからね。家康にすれば織田派の一人と見られている方が都合がよいのです。御家存続にはどのような手段も用いる。それが家康だと思っています。
  • やま次郎
  • 2016年 06月17日 03時01分
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