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[良い点]
初心者だったので参考にさせて貰ってます。
丁寧な解説に、いつも目から鱗です。
これからも頑張って下さい!
応援していますヽ( ̄▽ ̄)ノ
[一言]
質問が三つあります。
自分はボキャブラリーが貧しく、いつも地の文の言い回しが似たようなものになってしまいます。難しいです……
今、『女子野球部を作って甲子園を目指す』っていうお話を書いているのですが、女の子のキャラクターが沢山出てくくるのでキャラの容姿が上手く言葉で表現出来ません!(T-T)この場合はどのように対処すればいいのですか?
色々な小説を小説家になろうで読んでいるのでが、行間?っていうのか、書き方が自由すぎてよくわかんないんです。確かに読みやすいとは思いますが、沢山の本を読んできたのですが、フリーダムすぎて戸惑っています。
自分は、話が大きく変わるまではなるべく白い空間(やたら行を空けるアレ)は作らないよいにしているんですが、確かに読みにくさはあるかもしれません。
書き方にルールはありますか?
言葉足らずで、伝わり難くてすいません(T^T)
何でも良いのでアドバイスをお願いしますm(。_。)m
初心者だったので参考にさせて貰ってます。
丁寧な解説に、いつも目から鱗です。
これからも頑張って下さい!
応援していますヽ( ̄▽ ̄)ノ
[一言]
質問が三つあります。
自分はボキャブラリーが貧しく、いつも地の文の言い回しが似たようなものになってしまいます。難しいです……
今、『女子野球部を作って甲子園を目指す』っていうお話を書いているのですが、女の子のキャラクターが沢山出てくくるのでキャラの容姿が上手く言葉で表現出来ません!(T-T)この場合はどのように対処すればいいのですか?
色々な小説を小説家になろうで読んでいるのでが、行間?っていうのか、書き方が自由すぎてよくわかんないんです。確かに読みやすいとは思いますが、沢山の本を読んできたのですが、フリーダムすぎて戸惑っています。
自分は、話が大きく変わるまではなるべく白い空間(やたら行を空けるアレ)は作らないよいにしているんですが、確かに読みにくさはあるかもしれません。
書き方にルールはありますか?
言葉足らずで、伝わり難くてすいません(T^T)
何でも良いのでアドバイスをお願いしますm(。_。)m
Mです。私はあまりなろう小説独自の(あるいはネット小説特有の)作法には詳しくないので、深くそちらに言及することは避けたいと思います。ですが小説全般における作法ではない以上、空行も作家の個性や表現技法の一つですので、無理に空行を開ける必要はないはずだと個人的には考えています。ご自分の作品の読者層を意識して、その方々が空行の多い小説・少ない小説のどちらが好きか、どちらが読みやすいかを考えつつ、最終的は作家の好みで決めていいんじゃないかな、というのが一人の書き手としての意見です。
さてさて。女子野球部の容姿書き分けについてのお悩みは、私もついお察ししてしまうと言いますか、おそらくプロでも悩んでしまうことだろうと思います。元々キャラクターが多く登場する話は個人個人の書き分けがとても難しいのですが、それが同年代の女子が同一シーンで9人ともなると、難易度はかなり跳ね上がることと存じます。
描写のコツはいくつか思いつきますが、共通して言えることは「設定段階から性格や容姿をインパクトの強いものにして、読み手の記憶と結びつけること」です。
みんながみんな普通の高校生にありがちな髪型にしてしまうと、本文でどう表現しても、読み手にはキャラの容姿の違いが明確にイメージし辛くなってしまうのが文章表現の欠点です。
ですが、黒髪8人の中に茶髪や金髪が1人交じっていると、それだけで強烈な差別化になりますよね。それを9人全員において行います。
たとえば、
・一人だけものすごいネクラで長い前髪で完全に目が隠れている、ですとか
・巻き毛にすごいこだわりをもっていてお蝶夫人のようになっている人がいる ですとか
・海外からの留学生で一人だけ金髪でスタイルが良い、ですとか
・反対に、茶道の名家で育ったために前髪横一直線でかんざしを挿している子がいる ですとか
・主人公だけなんの特徴もないことで逆に差別化になっている ですとか
これだけ極端に容姿に差をつけ、かつ性格との結び付けも同時に行えば、あまりボキャブラリーにも苦労しませんので書き手にとって描写が楽になるだけでなく、読み手も頭の中でイメージしやすくなり、混乱を避けることができるはずです。
しかし、作風によってはこのような極端な容姿や性格を設定できないこともあるかと思います。みんな普通の女子高生で、リアルな話を書きたいですとか、そういった書き手の熱意に反してまでお勧めする対処法ではありません。
ですがリアルな女子高生は校則や流行などで各自の髪型が似ていることが多く、その中で9人もの容姿の差別化をはかることは現実的には不可能に近いと感じます。そこを無理に差別化を図っても、かえって読者の混乱を招くというデメリットのほうが大きくなるからです。
そういった場合は、私でしたら容姿の描写そのものを諦めてしまいます。みんな同じような容姿をしているのでしたら、わざわざ個別に書く必要はありません。髪の色や大雑把な長さなどは書くかもしれませんが、描写上の差別化は諦めて、あとは読み手の想像力に任せてしまいます。発言や性格付けに個性が出ているのでしたら、描写しなくても読み手が自分で容姿を想像し、差別化してくれることが期待できるからです。そのような場合、下手にイメージに合わない容姿を(みんな同じなのに)書いてしまうと、かえって読み手が混乱してしまう可能性もあります。
なんだかこまごまとしたお話になってしまいましたが、部分部分だけでも何かのご参考になりましたら幸いです。 M
さてさて。女子野球部の容姿書き分けについてのお悩みは、私もついお察ししてしまうと言いますか、おそらくプロでも悩んでしまうことだろうと思います。元々キャラクターが多く登場する話は個人個人の書き分けがとても難しいのですが、それが同年代の女子が同一シーンで9人ともなると、難易度はかなり跳ね上がることと存じます。
描写のコツはいくつか思いつきますが、共通して言えることは「設定段階から性格や容姿をインパクトの強いものにして、読み手の記憶と結びつけること」です。
みんながみんな普通の高校生にありがちな髪型にしてしまうと、本文でどう表現しても、読み手にはキャラの容姿の違いが明確にイメージし辛くなってしまうのが文章表現の欠点です。
ですが、黒髪8人の中に茶髪や金髪が1人交じっていると、それだけで強烈な差別化になりますよね。それを9人全員において行います。
たとえば、
・一人だけものすごいネクラで長い前髪で完全に目が隠れている、ですとか
・巻き毛にすごいこだわりをもっていてお蝶夫人のようになっている人がいる ですとか
・海外からの留学生で一人だけ金髪でスタイルが良い、ですとか
・反対に、茶道の名家で育ったために前髪横一直線でかんざしを挿している子がいる ですとか
・主人公だけなんの特徴もないことで逆に差別化になっている ですとか
これだけ極端に容姿に差をつけ、かつ性格との結び付けも同時に行えば、あまりボキャブラリーにも苦労しませんので書き手にとって描写が楽になるだけでなく、読み手も頭の中でイメージしやすくなり、混乱を避けることができるはずです。
しかし、作風によってはこのような極端な容姿や性格を設定できないこともあるかと思います。みんな普通の女子高生で、リアルな話を書きたいですとか、そういった書き手の熱意に反してまでお勧めする対処法ではありません。
ですがリアルな女子高生は校則や流行などで各自の髪型が似ていることが多く、その中で9人もの容姿の差別化をはかることは現実的には不可能に近いと感じます。そこを無理に差別化を図っても、かえって読者の混乱を招くというデメリットのほうが大きくなるからです。
そういった場合は、私でしたら容姿の描写そのものを諦めてしまいます。みんな同じような容姿をしているのでしたら、わざわざ個別に書く必要はありません。髪の色や大雑把な長さなどは書くかもしれませんが、描写上の差別化は諦めて、あとは読み手の想像力に任せてしまいます。発言や性格付けに個性が出ているのでしたら、描写しなくても読み手が自分で容姿を想像し、差別化してくれることが期待できるからです。そのような場合、下手にイメージに合わない容姿を(みんな同じなのに)書いてしまうと、かえって読み手が混乱してしまう可能性もあります。
なんだかこまごまとしたお話になってしまいましたが、部分部分だけでも何かのご参考になりましたら幸いです。 M
- N.M.ぺんくらぶ
- 2014年 10月27日 15時56分
[一言]
聞きたいことがあるのですが、私は今二作同時執筆をしています。
そこで問題がありました。
二つの作品に"契約"という要素が被ってしまいました。
一つ目
主人公を助けるためにヒロインが主人公と契約。
二つ目
ヒロインを助けるために主人公がヒロインと契約
のような感じです。
これって駄目ですかね
聞きたいことがあるのですが、私は今二作同時執筆をしています。
そこで問題がありました。
二つの作品に"契約"という要素が被ってしまいました。
一つ目
主人公を助けるためにヒロインが主人公と契約。
二つ目
ヒロインを助けるために主人公がヒロインと契約
のような感じです。
これって駄目ですかね
習作として物語のレパートリーを増やしたいということでしたら、同じネタ、同じ要素を無意識に使ってしまうことは単なる反復練習になってしまいがちですので、広く経験と積むためには、たしかにあまり良いことではないのかもしれません。
ですが「違う物語なのにいつも必ず鉄道旅行中に殺人事件が起きる推理小説シリーズ」などを書くために、その要素に特化した実力を付けたいのでしたら、あえて同一の要素を使って書き、その中で差別化する方法を試行錯誤することも重要なことです。
また、諸事情から必ず特定の要素を入れ込むようにするという要求が自ずと生じることもあります。同じ作品で同じネタばかり使ってしまうのは良いことではありませんが、別作品なら同じ要素が入っていても決して悪いことではないと思いました。王道を嫌って面白い要素を使わないほうが問題がありそうです。 M
ですが「違う物語なのにいつも必ず鉄道旅行中に殺人事件が起きる推理小説シリーズ」などを書くために、その要素に特化した実力を付けたいのでしたら、あえて同一の要素を使って書き、その中で差別化する方法を試行錯誤することも重要なことです。
また、諸事情から必ず特定の要素を入れ込むようにするという要求が自ずと生じることもあります。同じ作品で同じネタばかり使ってしまうのは良いことではありませんが、別作品なら同じ要素が入っていても決して悪いことではないと思いました。王道を嫌って面白い要素を使わないほうが問題がありそうです。 M
- N.M.ぺんくらぶ
- 2014年 10月27日 15時12分
[良い点]
始めまして、一人称が俺な蝋燭と申す者です
読ませていただきましたが俺自身、凄いなと思うばかりでした。俺は中学校2年の時ぐらいから小説を書いてます、
100均の原稿用紙にでしたが………
質問しても、宜しいでしょうか?
俺の書く小説は、キャラの個性を出すのにこだわってしまい、どうしても話がながったらしくなってしまいます、
どうしたら程好く話をまとめられますか?
[一言]
始めまして、
始めまして、一人称が俺な蝋燭と申す者です
読ませていただきましたが俺自身、凄いなと思うばかりでした。俺は中学校2年の時ぐらいから小説を書いてます、
100均の原稿用紙にでしたが………
質問しても、宜しいでしょうか?
俺の書く小説は、キャラの個性を出すのにこだわってしまい、どうしても話がながったらしくなってしまいます、
どうしたら程好く話をまとめられますか?
[一言]
始めまして、
はじめまして。Mです。個性を出すために長くなってしまう、とおっしゃっているのがそういう意図のある専用シーンを書いてしまうためなのか、はたまた会話文などでのやり取りが何度も脱線して長くなってしまうせいなのかで少々勝手が違ってくるように思います。けれど、どちらの場合でもプロットに従って作ることである程度は解決できるかもしれませんね。
筆に任せて書くのもいいことだと思いますが、その場合でもプロットと照らし合わせながらやっていると、今の自分がどのくらい脱線した内容でページを増やしているのかが自覚できるようになると思います。
個性を出す場合にも「このシーン、この台詞で個性を出す!」とプロット段階で決めておき、あとの脱線は禁止するか、地の文でさっさと省略するように書くとページ数が増えず、描写もダレないで書けるかもしれません。
全体的な脱線具合が適度になると思いますので、よろしければお試しください。 M
筆に任せて書くのもいいことだと思いますが、その場合でもプロットと照らし合わせながらやっていると、今の自分がどのくらい脱線した内容でページを増やしているのかが自覚できるようになると思います。
個性を出す場合にも「このシーン、この台詞で個性を出す!」とプロット段階で決めておき、あとの脱線は禁止するか、地の文でさっさと省略するように書くとページ数が増えず、描写もダレないで書けるかもしれません。
全体的な脱線具合が適度になると思いますので、よろしければお試しください。 M
- N.M.ぺんくらぶ
- 2014年 09月29日 12時54分
[一言]
まだ全てを読ませて頂いたわけではありませんが、参考にさせて頂いた部分――特に視点・人称――に関しては突っ込んだところまで書かれていた為、とても有難かったです。まだ理解し切れていない部分もありますので、今後もお世話になろうと思っております。
申し訳ないのですが以下は質問になります。
ここでN.M.ぺんくらぶ様にお尋ねするのは場違いかなとも思いました。もしそうであればお手数ですがこの感想ごと削除して下さい。ご面倒を掛けます。
【質問】
ダッシュを補足説明の際に利用する場合の作法を教えて頂きたいのです。
補足説明の時は、その補足説明の文章をダッシュで、挟む、と説明されているサイトがあったのですが。挟まないといけないのでしょうか。
例えば。
1.りんご――今年は出来が良くない、は私の好物だ。
2.りんご――今年は出来が良くない――は私の好物だ。
上の例文ですと1.のような使い方は間違いということになるのでしょうか。
お手が空いた時にでもお答え頂けると有難いです。
よろしくお願い致します。
まだ全てを読ませて頂いたわけではありませんが、参考にさせて頂いた部分――特に視点・人称――に関しては突っ込んだところまで書かれていた為、とても有難かったです。まだ理解し切れていない部分もありますので、今後もお世話になろうと思っております。
申し訳ないのですが以下は質問になります。
ここでN.M.ぺんくらぶ様にお尋ねするのは場違いかなとも思いました。もしそうであればお手数ですがこの感想ごと削除して下さい。ご面倒を掛けます。
【質問】
ダッシュを補足説明の際に利用する場合の作法を教えて頂きたいのです。
補足説明の時は、その補足説明の文章をダッシュで、挟む、と説明されているサイトがあったのですが。挟まないといけないのでしょうか。
例えば。
1.りんご――今年は出来が良くない、は私の好物だ。
2.りんご――今年は出来が良くない――は私の好物だ。
上の例文ですと1.のような使い方は間違いということになるのでしょうか。
お手が空いた時にでもお答え頂けると有難いです。
よろしくお願い致します。
ご感想コメントをありがとうございます。Mです。
ご質問の件は――――うーん、ちょっとはっきりお答えするのは難しいですね。
>補足説明の時は、その補足説明の文章をダッシュで、挟む
という文章の使い方はたしかに慣例的に使われている作法ですので、そのサイトに書かれていた内容は正しいと思います。ですがこれがルールで、そうでなくてはいけないのかと問われると、決してそういうわけではないといいますか。似たような補足的な文章でも、「――」で囲わないのが自然な例外はいくらでもあるようにも思えますね。
なので、なぜ「――」で補足文に移行して、再び「――」で補足文を挟むことが作法のようになっているのかを、改めて考えてみました。「作法だから」ではなく「なぜそうしているのか」で捉えると、ダッシュで挟むことが慣例化している事実やその例外についても、柔軟に受け止めることができるのではないかと思います。
まず、この返信文の二行目に私は「――」を使っていますが、次に来る文章が補足文ではないので挟んではいません。ではなぜ「――」を使っているのかというと、いったん「――」で溜めを作ることで、言葉にしかけた話の流れを途中で区切って、話題転換させているためです。
(「ご質問の件はAです。」となるべき流れを、
「ご質問の件は」キャンセル「うーん。難しいです」としています)
ダッシュの持つ溜めと転換の役割。これらを踏まえて以下を考えます。
例に挙げて頂いた文章
1.りんご――今年は出来が良くない、は私の好物だ。
2.りんご――今年は出来が良くない――は私の好物だ。
こちらは文意として、間違いなく補足文になっていますね。
それは今年のりんごの出来と、自分の好物であることが論理的に繋がっていないためです。本来「りんごは私の好物だ。今年は出来がよくないけど」という、二つの意味の繋がらない並列した文章を、一文の中に押し込んだものといえます。
そのため
「りんごが好物という話 → 今年の出来の話 → りんごが好物という話」
のように、話が二度転換を迎えています。
前述したように、この「話の転換」こそがダッシュを使う理由です。
補足説明の場合は、本来の話の中に余計な話を混ぜ込む構造上、一度転換させた話をもとの軌道に戻してあげなくてはなりません。そのためにもう一度転換を意味する「――」を使い、話の軌道が戻ったことを読み手にわからせている、というわけです。
よって、例文の1がベストな表現だとするのであれば、「りんごの出来」と「自分が好物であること」が論理的な繋がりを持っているかのように見えてしまいます。ともすれば、「出来がよくないから今年のりんごだけ特別に好きである」かのようにさえ捉えることが可能な文章です。
でも表現したかったのは「私がりんごが好物」であることであり、たまたま今年の出来が悪かっただけでしょう。それを示すために、補足文章は「――」で挟むような使い方がされています。
ダッシュで挟まない補足文の例外としましては、
3.りんご――今年は出来が良くない、雨が多かったからだ。
だが、私の好物である。
上記の例文でも、使われているダッシュは補足文に繋がっています。
しかし直後に補足文と論理的な繋がりのある文章へ移行し、そのまま「。」で一文を終えていますので、話の転換にダッシュをもう一度使う理由がありません。
ゆえに結局はケースバイケース――――こんなところで、いかがでしょう? M
ご質問の件は――――うーん、ちょっとはっきりお答えするのは難しいですね。
>補足説明の時は、その補足説明の文章をダッシュで、挟む
という文章の使い方はたしかに慣例的に使われている作法ですので、そのサイトに書かれていた内容は正しいと思います。ですがこれがルールで、そうでなくてはいけないのかと問われると、決してそういうわけではないといいますか。似たような補足的な文章でも、「――」で囲わないのが自然な例外はいくらでもあるようにも思えますね。
なので、なぜ「――」で補足文に移行して、再び「――」で補足文を挟むことが作法のようになっているのかを、改めて考えてみました。「作法だから」ではなく「なぜそうしているのか」で捉えると、ダッシュで挟むことが慣例化している事実やその例外についても、柔軟に受け止めることができるのではないかと思います。
まず、この返信文の二行目に私は「――」を使っていますが、次に来る文章が補足文ではないので挟んではいません。ではなぜ「――」を使っているのかというと、いったん「――」で溜めを作ることで、言葉にしかけた話の流れを途中で区切って、話題転換させているためです。
(「ご質問の件はAです。」となるべき流れを、
「ご質問の件は」キャンセル「うーん。難しいです」としています)
ダッシュの持つ溜めと転換の役割。これらを踏まえて以下を考えます。
例に挙げて頂いた文章
1.りんご――今年は出来が良くない、は私の好物だ。
2.りんご――今年は出来が良くない――は私の好物だ。
こちらは文意として、間違いなく補足文になっていますね。
それは今年のりんごの出来と、自分の好物であることが論理的に繋がっていないためです。本来「りんごは私の好物だ。今年は出来がよくないけど」という、二つの意味の繋がらない並列した文章を、一文の中に押し込んだものといえます。
そのため
「りんごが好物という話 → 今年の出来の話 → りんごが好物という話」
のように、話が二度転換を迎えています。
前述したように、この「話の転換」こそがダッシュを使う理由です。
補足説明の場合は、本来の話の中に余計な話を混ぜ込む構造上、一度転換させた話をもとの軌道に戻してあげなくてはなりません。そのためにもう一度転換を意味する「――」を使い、話の軌道が戻ったことを読み手にわからせている、というわけです。
よって、例文の1がベストな表現だとするのであれば、「りんごの出来」と「自分が好物であること」が論理的な繋がりを持っているかのように見えてしまいます。ともすれば、「出来がよくないから今年のりんごだけ特別に好きである」かのようにさえ捉えることが可能な文章です。
でも表現したかったのは「私がりんごが好物」であることであり、たまたま今年の出来が悪かっただけでしょう。それを示すために、補足文章は「――」で挟むような使い方がされています。
ダッシュで挟まない補足文の例外としましては、
3.りんご――今年は出来が良くない、雨が多かったからだ。
だが、私の好物である。
上記の例文でも、使われているダッシュは補足文に繋がっています。
しかし直後に補足文と論理的な繋がりのある文章へ移行し、そのまま「。」で一文を終えていますので、話の転換にダッシュをもう一度使う理由がありません。
ゆえに結局はケースバイケース――――こんなところで、いかがでしょう? M
- N.M.ぺんくらぶ
- 2014年 09月09日 02時05分
[一言]
質問なんですが、書きたい小説が二つあり、どちらも合わせることができるような内容ではないので同時執筆をしようと思うのですが、同時執筆はあまり良いことではないのでしょうか?
質問なんですが、書きたい小説が二つあり、どちらも合わせることができるような内容ではないので同時執筆をしようと思うのですが、同時執筆はあまり良いことではないのでしょうか?
私個人は文体の切り替えが大変なのであまり好きではないのですが、仕事柄やらなければならない場面も多々出てきますし、知り合いの作家さんにはかえって気分転換になるとおっしゃっている方が多かったような気がします。
おそらく、小説を書き慣れている方であれば内容的にも問題は起きないのではないでしょうか。執筆には多くの時間と体力が必要ですので、意欲と時間が分散して両方とも未完成に終わってしまうですとか、私のように集中してやれないのが好きでないとかでなければ、同時執筆もなんら悪いことでもないかな、と思います。個人差があるはずなので、試しに一度やってみる、くらいのつもりでいかがでしょう。 M
おそらく、小説を書き慣れている方であれば内容的にも問題は起きないのではないでしょうか。執筆には多くの時間と体力が必要ですので、意欲と時間が分散して両方とも未完成に終わってしまうですとか、私のように集中してやれないのが好きでないとかでなければ、同時執筆もなんら悪いことでもないかな、と思います。個人差があるはずなので、試しに一度やってみる、くらいのつもりでいかがでしょう。 M
- N.M.ぺんくらぶ
- 2014年 08月22日 11時08分
[一言]
大変参考になります!
質問なのですが、数字をアラビア数字にする場合、
「一応」や「一体」なども「1応」「1体」とするのでしょうか?
それとも、普段の数字を漢数字にする方がいいのでしょうか?
大変参考になります!
質問なのですが、数字をアラビア数字にする場合、
「一応」や「一体」なども「1応」「1体」とするのでしょうか?
それとも、普段の数字を漢数字にする方がいいのでしょうか?
- 投稿者: 退会済み
- 2014年 08月06日 12時52分
管理
数字の統一や書き分けに関しては最近フリーダムな気配もなくはないですが、基本的に、数値以外の日本語に含まれている「一」や「二」をアラビア数字にすることはありません。そういった場合には本文全体で漢数字とアラビア数字の両方が混じっていても大丈夫です。
ちなみに、
「7キロメートル北へ行くと一応、大きな屋敷があります」
「七キロメートル北へ行くと一応、大きな屋敷があります」
どちらもダメだということはないと思いますが、私は上を選びます。
ですが和風な雰囲気を出したいのであれば漢数字を用いたりもしますね。
「7キロメートル北へ行くと1応、大きな屋敷があります」
これはさすがに変換ミスではないか、と校正時に指摘されてしまうと思います。
書き分けに関しては出版されている小説をいくつも読んで、どういう使い方が一般的なのかを感覚的に覚えておくのがいいと思います。100聞は1見にしかずですね。 M
ちなみに、
「7キロメートル北へ行くと一応、大きな屋敷があります」
「七キロメートル北へ行くと一応、大きな屋敷があります」
どちらもダメだということはないと思いますが、私は上を選びます。
ですが和風な雰囲気を出したいのであれば漢数字を用いたりもしますね。
「7キロメートル北へ行くと1応、大きな屋敷があります」
これはさすがに変換ミスではないか、と校正時に指摘されてしまうと思います。
書き分けに関しては出版されている小説をいくつも読んで、どういう使い方が一般的なのかを感覚的に覚えておくのがいいと思います。100聞は1見にしかずですね。 M
- N.M.ぺんくらぶ
- 2014年 08月08日 12時10分
[一言]
大変勉強になりました。
自分の書きたいことを書きたいように書き連ねる。そんな垂れ流し状態で、しかもそれをよしとしていた私ですが、こちらを読んで少し向上心のようなものが芽生えた気がします。
大変勉強になりました。
自分の書きたいことを書きたいように書き連ねる。そんな垂れ流し状態で、しかもそれをよしとしていた私ですが、こちらを読んで少し向上心のようなものが芽生えた気がします。
理論だけでできている小説講座ですが、勢いのままに面白いものを書くことも忘れないようにしたいと常々思っています。バランスよく頑張りたいところですね! M
- N.M.ぺんくらぶ
- 2014年 08月08日 11時57分
[一言]
お世話になっております。
執筆中の物がどこが良くてどこが悪いかすら分からず彷徨っている悪い状況なのですが、少しずつ拝見させてもらいながら頑張ってます。
ひたすら感謝です!
お世話になっております。
執筆中の物がどこが良くてどこが悪いかすら分からず彷徨っている悪い状況なのですが、少しずつ拝見させてもらいながら頑張ってます。
ひたすら感謝です!
ちょっとでも参考になれば幸いです。
編集部の選考では「今感」というのが重要になるため、鮮度を失ってしまった助言もあるかと思いますが、創作技術に関してはいつの時代も共通ですから、その辺りをきっちり落とし込んでいきたいと考えています。
あくまで個人的な感想になってしまいますが、本当の名場面というのは、時代を問わず愛されるものです。そのセンスを直に伝えることはできませんが、ボツ案の排除は編集者や作家は心得ています。ですので技術的に「やらないほうがいい」ことは、やはり「やらないほうがいい」が正解だと確信しています。 N
編集部の選考では「今感」というのが重要になるため、鮮度を失ってしまった助言もあるかと思いますが、創作技術に関してはいつの時代も共通ですから、その辺りをきっちり落とし込んでいきたいと考えています。
あくまで個人的な感想になってしまいますが、本当の名場面というのは、時代を問わず愛されるものです。そのセンスを直に伝えることはできませんが、ボツ案の排除は編集者や作家は心得ています。ですので技術的に「やらないほうがいい」ことは、やはり「やらないほうがいい」が正解だと確信しています。 N
- N.M.ぺんくらぶ
- 2014年 07月18日 21時19分
[一言]
初めまして。
底辺を彷徨っている作者の一人です。
ここまで独学でやって来ましたが、限界を感じてフラフラしていた所で、こちらを見つけて読ませて頂きました。
共感する部分も多々ありましたし、参考になる部分も同様でした。
勉強になりました。ありがとうございます。
初めまして。
底辺を彷徨っている作者の一人です。
ここまで独学でやって来ましたが、限界を感じてフラフラしていた所で、こちらを見つけて読ませて頂きました。
共感する部分も多々ありましたし、参考になる部分も同様でした。
勉強になりました。ありがとうございます。
小説には完全な正解というものがないので、どうしても一人だと限界があるんですよね。基礎(やらないほうがいいこと)の整理や経験から感じたことを記事にしていますが、編集者に評価されやすい考え方の一つとして、原点回帰するときなどに利用して頂ければ幸いです。 N
- N.M.ぺんくらぶ
- 2014年 06月20日 03時03分
[一言]
まだ途中までしか拝見させてもらっていないのですが色々と参考にさせていただいています。 思うままに書いていたのですけど、自分の中ではお世辞にも小説いえるようなものだったので四苦八苦してるところを作品に出合えて、よかったと思います。 これからも参考にさせていただきます。
まだ途中までしか拝見させてもらっていないのですが色々と参考にさせていただいています。 思うままに書いていたのですけど、自分の中ではお世辞にも小説いえるようなものだったので四苦八苦してるところを作品に出合えて、よかったと思います。 これからも参考にさせていただきます。
プロットの重要性を理解したのは編集者の方と話すようになってからでした。
WEB小説には関係ないと考えず「こういう魅力」があり「こういう起承転結」で「こういう読者層」をターゲットにしていて、ゆえに「こういう作品群」が好きな方々に刺さり「こういう面白さ」が評価される可能性があります――のような説得力のある企画はプロとしてやっていくには欠かせませんからね。なにかしら参考になったのあれば幸いです。 N
WEB小説には関係ないと考えず「こういう魅力」があり「こういう起承転結」で「こういう読者層」をターゲットにしていて、ゆえに「こういう作品群」が好きな方々に刺さり「こういう面白さ」が評価される可能性があります――のような説得力のある企画はプロとしてやっていくには欠かせませんからね。なにかしら参考になったのあれば幸いです。 N
- N.M.ぺんくらぶ
- 2014年 05月15日 05時06分
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