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[良い点]
朝廷に殴りこんだ時は逆転裁判みたいなことでもしでかすのではとも思いましたが、こういう時は逆に慇懃な態度はすごく「信長らしい」と思います。
正すべき時は正せる仮面優等生なところありますよね、あの人。
[一言]
一年間更新お疲れ様でした。いつも楽しく拝読させていただいております。

天下布武に代わる新たなスローガンが出て、これからどうなるのか楽しみです。
この「天下」に蝦夷や琉球は入ってくるのでしょうか?
戦国転生系だと、両者ともになんだかんだで含まれますが、続生記は転生系ではないですし、当時の価値観で行くなら普通に日ノ本からは除外でしょうか。琉球は防波堤という意味でも重要な立ち位置ですけど・・・。

あと直近では真っ黒かんべの動向も気になりますが、個人的には史実ではそろそろ譲位したい正親町天皇の後継問題で信長がどう動くのかが気になりますね。
後継者候補で信長と仲の良かった誠仁親王(そういえば復帰後顔合わせしてない?)がそろそろ亡くなりますし、すごくごたごたしそう。
信長たちも生き残ってますし、死なない可能性もあるでしょうけど・・・はてさて?
ご感想ありがとうございます。

信長公はすごく破天荒なイメージが先行しがちですが、文化的な要素もかなり持ち合わせた方でしたし、こういう時にはこういう態度取れるんじゃないかな、と。

あ、この場合の『天下』は当時の人間の『天下』の感覚でお考え頂ければ、と。
現代日本では北海道と沖縄という名称に変わり、完全に日本の一地方に入っております蝦夷と琉球ですが、当時はまだまだそういう認識はなかったでしょうから、あくまで陸奥から薩摩・大隅までが『日ノ本』ですね。 そこまでしっかり語らせれば良かった…

読む分には好きなんですが、拙作においては「転生」などには頼らない、当時の人間たちの感覚や知識で話を進めていく事を前提にしていこうと思いまして…そんな訳で北海道と沖縄の方には申し訳ありません。

天皇の後継問題もなんですが、秀吉が関白に就く時期も考えないと…そして黒田官兵衛はある日付で秀吉に接触を図ります、その日付がいつになるのか、どういう意味があるのかをどうぞお楽しみに。

話を描き続けていく中で、様々な感想を頂けて本当に励みになりました、来年も読んでいて面白いと思ってもらえるような話にしていきたいと思います。
拙作『信長続生記』、来年も何卒よろしくお願い致します。
良いお年を。
  • TY1981
  • 2015年 12月28日 19時32分
[一言]
更新乙でした。

帝には表面上丁寧に接するあたりは好きです。
破天荒で身分が高い人にタメ口を聞いて許される展開ってどうにも説得力が感じられないので嫌いなんで。
山科言継が生きていれば、前久以上に色々わかってたのでは?と思いますね。
公家でありながら庶民と入浴することもあったという彼。
信長との交渉役も行っているため、名が挙がればより面白かったかもしれませんね。
あと、一条家の皆さんは土佐に下向することも割りとよくあったので、少しはマシかも。
内基も内政の元服を行ったり色々してるから。
ちなみにこの人、本能寺の変の時の関白です。
今は二条昭実かな?
まぁ、実は鉄砲伝来より前に、大内家には鳥銃が存在していたんですけどね。
結局それを使うことはなかったんだからなかったも同然ですけど。
さぁて、朝廷編ももう終わりですかね。
この時代の公家は、正直存在意義が薄いですからねぇ。
文人としては名高い人物が多いのでない、とはいいませんが。
これからどうなるのか。
関白になる秀吉は官兵衛に取り込まれてしまうのか。

楽しみにしています。
  • 投稿者: PON
  • 2015年 12月23日 11時30分
ご感想ありがとうございます。

いくら信長公でも帝にはさすがに…という展開を気に入って頂けてホッとしました。
「信長らしくない」と言われてしまう可能性もあるかと思いましたが、そうしますと少々話が砕けすぎてしまうと思いまして、このような形にしました。

山科言継が生きていれば間違いなく出す所だったんですが、その人この時点(天正十二年)には既に亡くなってますので、どうしても出せずに…名前くらいは出せば良かったかもしれませんね…
正直に言うと前久とタッグを組んで朝廷内の裏工作をさせるのに、これほど向いた人もいないと思っていたんですが調べてみたら亡くなってるじゃないですか、ヤダー! で、結局前久が主に一人で頑張る事に。

少し先をバラしますと、一条内基さんはこの次の話で出てきます、というか現在書いてます。 この時点ではまだ二条昭実になっておりませんので現関白はこの方です。

全国レベルで広がったのが火縄銃ですので、説得力の関係も含めて本文中の形でご理解の程を。 そして信長もおそらく遠く離れた大名家ではこういうのもありました、までは把握していなかった、という事でご勘弁を…

公家は正直無視しても良いかな、と思う一方で帝を含めた朝廷ガン無視はさすがに色々マズイ、という事で再臨して根回し終了した途端に、朝廷に殴り込みさせました。
堺から巻き上げた金をチラつかされては、朝廷も断れないという信長らしいやり方を選んで頂きました。

官兵衛の再登場まではもう少しお待ち下さい、タイミングは決めているのですが、そこに行くまでにまだ話が足りない…(汗)

なんとかせめてもう一話、と思いつつ少しずつではありますが書き進めております、何卒これからも拙作『信長続生記』をよろしくお願いいたします。
  • TY1981
  • 2015年 12月23日 15時51分
[一言]
冒頭で言及されていた公家衆の口調よりも、のぶりんが臣下の礼を取っていることにびっくりしました。
いや、史実でも多分取ってることもあったんでしょうけど、なかなかそういうシーンの描写って見かけませんからねえ。
ご感想ありがとうございます。

信長公とて、相手が帝なら臣下の礼は取らなきゃやっぱりおかしいかな、と思いその辺りの描写にも気を付けたつもりなので、読み取って頂けて嬉しいです。

誰に対しても傲岸不遜、くらいのイメージがある信長公ですが、文化人としての側面も持っていますし、相手が公家衆ならともかく帝相手に無茶は出来ないと思いまして…なるべく丁寧に描いたつもりです、ハイ。

にしても「のぶりん」という呼び名に私はびっくり…

速攻でのご感想ありがとうございます、まだ次の話が書き上がっておりませんので何とも言えませんが、なんとか次回投稿時に「良いお年を」のフレーズが使えるよう頑張ります。

当初の予定より一話一話の話が長くなってしまっておりますが、今後とも拙作「信長続生記」をお楽しみ頂ければ幸いです。
  • TY1981
  • 2015年 12月22日 16時02分
[一言]
信長は陣頭指揮ではなく人に任せるのが上手なタイプだと思うので、統治システムが崩壊した現状はかなりの負担でしょうね
ガラガラポンやっちゃって織田政権というか中央政府を一から作るつもりみたいなのでどうなるのでしょうね

まあ個人的に信長は進行性の病魔よりも、脳溢血でポックリの謙信タイプのイメージですけどねw
  • 投稿者: ぐー
  • 2015年 12月11日 20時36分
ご感想ありがとうございます。

信長は若い頃は陣頭指揮も行いましたが、安土城を築いて以降は主に方面軍の指揮を各将に委ね、自分は君臨したまま中央に居続けておりましたし…
まあそのあたりは京を抑える、という政策の方針がありましたのでしょうがない事と言えるんですが…

とりあえず一から作る、というのは確かにその通りです、ただその「一」から三段飛ばし位で作り上げていこうとしてますので、結構無理無茶を重ねる事になるでしょう…

謙信の様なぽっくりタイプですと、作品的に「いきなり倒れた、実は最終回でした」みたいな打ち切りマンガのような終わり方になってしまいますし…そこはそれ、物語としては進行性の病気になった所はお察し下さい、という奴ですね(汗)

いわゆる『もしも』の話ですから、実際そうだったらこうなりそう、という所を攻める一方で物語的な都合も考えなきゃ、という面倒臭い設定にしてしまった私の自業自得です。

こんな奴が描く拙作『信長続生記』ですが、今後もお楽しみ頂ければ幸いです。
  • TY1981
  • 2015年 12月12日 15時20分
[一言]
うーん…信長が病気、ですか。考えたことがありませんでしたwとはいえ、あれだけ天に愛されていた(もしくはそうとしか言いようがない)信長が易々病気で死ぬとは思えないんですよね。これからは信長自身が戦に出ることはなさそうなので、やはり暗殺……?になるのでしょうか。そこら辺を考えてしまうのも歴史小説を読む楽しみでもあるので。更新お待ちしております。
ご感想ありがとうございます。

はい、信長公には病魔という名のタイムリミットが科せられました。
というのも実は他の方からのご感想や、そのお返事でも少々書いてあるのですが、織田信長の生活を現代で当てはめてみると、そして若い頃からあれだけの暴れっぷりを考えると、身体のどこかしらを悪くしていても全くおかしくない、と思うのです。

家督相続から桶狭間くらいまでは、自ら戦場で槍を振るったという話もありますし、鉄砲の狙撃による負傷も確認されております。
当時は鉄砲の破傷風による死者もバカにならない数に上りましたし、信長も五体満足・健康体でいるのは正直難しいだろう、という事で病名不明、とにかく何らかの病あり、現状明かせる事はこんな所でございます。

今の所は信長公も戦以上にやらなければならない事が山積みで、それを一つ一つ片付けている状態ですね。 官兵衛はもちろん殺る気満々ですので、機会があれば暗殺も視野に入れております。
影に潜みつつ腕利きの忍びを味方につけた官兵衛の暗躍に、どうぞご期待下さい…ってハードル上げる必要はないですね、お手隙の時間潰しにでもご覧下さいませ。

予想外の忙しさに少々更新が遅れがちで大変申し訳ありませんが、気長に更新をお待ち頂けましたら幸いでございます、今後も拙作『信長続生記』をよろしくお願いいたします。、
  • TY1981
  • 2015年 12月05日 02時06分
[一言]
なるほど、えろいな官兵衛!!
でも正直2~3年じゃくたばらないと思うんです信長公は
  • 投稿者: 白井鈴
  • 2015年 11月30日 16時40分
ご感想ありがとうございます。

はい、普通に考えれば2~3年ですぐに死んだりはしないでしょう。
ですが「ひたすら嫌がらせして、ストレスで病状を悪化させてやろう」という思惑がありますので、本当に2~3年でストレスで過労死に追い込んでやろうという、現代人から見ても非常に嫌な方法を取ろうとしてます。

そして「早ければ2~3年で死ぬのか?」というのは、官兵衛の希望が多分に入っております、ですので百地丹波も「そこまでは分からねえよ、医者でも無けりゃ診察した訳でもないんだから」という意図の言葉を返させました。

巻の七をどのあたりで区切ろうか、未だに決めかねている現状ですが拙作『信長続生記』を今後ともよろしくお願いいたします。
  • TY1981
  • 2015年 12月01日 11時54分
[一言]
へぇー、私としては、だから吉川広家が嫌いなんですけどね。
そんなんで毛利家を維持できると思ってた愚かさが嫌いですね。
小早川秀秋みたいに裏切って西軍に襲い掛かったならともかく、傍観しただけで名ばかりとは言え、総大将を努めた家の勢力を維持できるわけねーだろと。
というか、家康がそんなスキを見逃すはずがないだろうにと。
まぁ、それでも二ヶ国を維持できたと考えることもできるかもしれませんが、やはりそこは西軍贔屓ですから。
しかも、うろ覚えですが、家康は改易しようとしていて、二ヶ国は広家に与えられるところを必死に輝元にしてもらった。
そういう意味では、毛利家に対する忠誠心は評価できるところだと思います。
まぁ、それで二ヶ国得たとしても、部下がついてこないと考えたからという可能性もありますが。
こういう、見通しの甘さという意味では、福島正則とか加藤清正とかも気に入らない部分ですね。
家康が豊臣家を見逃すと思っていたのかよ、と。
まぁ、それもこれも、神の視点だからこそいえることですが。
  • 投稿者: PON
  • 2015年 11月20日 14時58分
ご意見ありがとうございます。

まあその辺りはやはり海千山千の古狸の恐ろしさでしょう。
実際に家康は吉川と小早川を優遇し、毛利本家を潰そうと画策もしたらしいですが、ご存知の通り広家がそれを辞退、代わりに毛利家存続に尽力したという…

毛利家存続を第一、と考えて起こした行動が、結果として悪質な詐欺に引っかかったというか…仮にも「内大臣」の職にある天下の実力者が、思いっきり嘘を吐くとは思わなかったのかと…

そして「部下が付いてこない」というよりも。

「毛利本家改易、吉川と小早川が台頭」 →
「毛利家の旧家臣団、吉川と小早川に不満を持つ」 →
「結果として吉川・小早川 対 旧毛利家の構図」 →
「せっかく治まった天下を不穏にさせた、という罪でも擦り付けて両家を改易に」 →
「結局西国の最大勢力は完全消滅」

という所まで徳川方は狙っていたのかな、と。
数年はかかっても、それで毛利家の勢力を完全消滅させられるのならこれほど美味しい話は無く、また石見銀山も直轄地にしたかったので、是が非でも毛利は消しておきたかったのでは、と。

そしてもし広家が二ヵ国を与えられたとして、潰された毛利の旧臣の受け皿になったとしても、毛利家の旧臣にしてみれば秀吉から押し付けられた小早川秀秋よりも、吉川元春の息子である広家の裏切りの方が怒りの矛先としては向くだろうし、それで吉川家がおかしくなれば万々歳、秀秋はまだ若いし、どうとでもなるという計算くらいは多分していたでしょう。

あくまで私の個人的な予想ですが、もし物語として書くのならこの辺りも描写したかったです。

家康も秀吉生前までは『律義者』という評判もありましたし、その評判と地盤固めに力を入れ、秀吉の死後は一気に恥も外聞も捨てて天下取りに動き出したという、ここら辺は上手い事やった家康の勝利だったのでしょう。

先程の『毛利家の関ヶ原(仮)』では、そこらへんも書いてみたかったのですが、ここで全部書いちゃいましたね。
うん、確実に後味悪くなる話です、やはり書き出さなくて正解だったかも。


それでは、長々と失礼しました。
  • TY1981
  • 2015年 11月20日 15時55分
[一言]
更新乙です。

西軍贔屓の身としては、吉川広家は、思うところがありますね。
お前がアホな考えで中途半端に東軍の味方するから西国の雄毛利家は二国に減封されたんだろうが、と。
まぁ、輝元が動かなかった以上関が原の毛利家が動いてもあまり意味はなかったような気もしますが。
それもこれも、三成の人望の薄さもありますし。
お手紙将軍は、たぶん…(ごにょごにょ)

さて、次回も更新楽しみに待っています。
  • 投稿者: PON
  • 2015年 11月20日 07時14分
ご感想ありがとうございます。

西軍贔屓ですか、実はそのお気持ちはよく分かります。
石田三成、島左近、大谷吉継、吉川広家といったあたりは、私も好きな武将たちです、最後の一人だけ毛色が違うじゃないか、と言われそうですが…それについては以前にとある方とお話しまして…


三成と恵瓊が組んで輝元説得、その気になっちゃった輝元が大坂へ

「いや、三成じゃ家康には勝てねえよ、それ以前に天下狙うなって言った爺ちゃんの遺言無視かよ」で、焦った広家は朝鮮の役の時に誼を通じた東軍方の武将の伝手で家康と裏取引、「輝元の関ヶ原出馬が無ければ毛利家所領安堵」の言質獲得!

関ヶ原当日は約束通り傍観。
しかし家康は「輝元いなくても秀元とかが、毛利家の軍勢引き連れて来てたよな?」で約束を反故に、結果として広家泣き寝入り。

この辺りの話を色々と…なので、私としては広家に対する同情もあり、嫌いになれない武将なのです。

いや、可能であれば「毛利家の関ヶ原:吉川広家 VS 安国寺恵瓊」で一本書きたいんですが、現在の拙作も集中して書く時間が確保できていない現状では夢のまた夢ですね…
しかも最後の後味が絶対悪いモノになることが目に見えている訳ですから、確実に読む人を選ぶ内容になりそうです。

そんな奴が書いている拙作『信長続生記』ですが、次の話までもうしばらくお待ち下さいませ。
  • TY1981
  • 2015年 11月20日 14時25分
[一言]
小早川隆景の後継者と言えば秀秋ちゃん。
と言うことは信長が生きてると
まかり間違えば小早川信雄という可能性が…!
ご感想ありがとうございます。

折角書いて頂いたのですが…それだけは無いです。
むしろ私も全く予想の埒外からの一言です。

作品によっては小早川秀秋を良い様に描いたりもするでしょうけども、それだけは個人的に納得出来ない物の一つですね、そんな器じゃなかったと思うなぁ…なんて。

日本史の教科書とかでは『徳川家康と石田三成が関ヶ原で争い、小早川秀秋らの裏切りにより家康が勝利した(関ヶ原の戦い)』

とか書かれていたりしますから、名将と名高い隆景よりも、あの秀秋の方が歴史に名前が残っていたりするんですよね…
しょうがないとはいえ、なんか釈然としない歴史オタの一人です。

かなり個人的な意見にまみれてしまいましたが、楽しんで読んで頂けましたら何よりでございます、今後も拙作『信長続生記』をよろしくお願いいたします。
  • TY1981
  • 2015年 11月20日 02時15分
[一言]
吉川広家は確かに化けそうだ。
頭が悪いわけでも回転が遅いわけでもないしね。

輝元を苦手としてるのなら、きっと他家に行ってからが本領発揮なのかもしれない
  • 投稿者: 白井鈴
  • 2015年 11月19日 23時08分
ご感想ありがとうございます。

毛利輝元と吉川広家、史実においても絶対仲良くなかったんじゃないかな、と思い最初からこういう扱いにしました。
吉川広家が傾奇者になっているのは完全に趣味ですが、基本的に父や兄への一定の敬意はあるので、結構言いたい放題にやっておりますがいざという時には、という男にさせたい……させたいなぁ…

吉川元春と小早川隆景という二大巨頭存命時には、立場的にもどうやっても目立てない広家ですので、史実においても彼の本領発揮は朝鮮出兵時でした。
その後毛利本家存続を第一に考えたため関ヶ原では傍観に徹し、その為後年高い評価を受けられなかった、というのが私個人の印象です。
拙作においては父も兄も存命中であり、また秀吉による九州征伐が起きませんので、果たしてどうしたものだか…

巻の七は物語の展開上、話の風呂敷を広げ続けてしまうために、描いててすごくヒヤヒヤしながらなので、どうしてもおっかなびっくり進行です。
こんな話ではございますが、今後も『信長続生記』を楽しんで頂けましたら幸いです。
  • TY1981
  • 2015年 11月20日 01時58分
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