感想一覧
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[良い点]
すばらしい記事です。ありがとうございます。
すばらしい記事です。ありがとうございます。
エピソード1500
[一言]
では死亡している原作者のトールキン氏から、現在も有効な権利を受け継いでいる方へ連絡してみてもらえませんか?
既に出版から5年経過していますので、貴方のような方が1回も各所へ連絡していないとは考えられません。
各所はそれらの連絡を受けた上で、変更の必要がないと判断したのではないでしょうか?
私はそこまで考えた上で、出版社と原作者から権利を引き継いだ方、両方がこの件を問題にしていないのでは?と判断し、さらその事について貴方に問いただしました。
なので貴方の返答は、求めている水準以下で非常に残念です。
それと損害賠償は、その損害と金額の計算式を証明しなければいけません。
あなたの論調は仕組みをよく理解せず、青天井と杞憂で文章を書いているだけに見えます。
そして、ミスリルもトールキン氏の作品が出典の金属で、他の原作や例外はありません。
これは完全にホビットと同じレベルで扱われる強度の単語となります。
あなたの主張の通りであれば、ミスリルを多用するなろうの小説はほぼ大半が削除され、トールキン財団は巨額の富を得る事になるでしょう。
では死亡している原作者のトールキン氏から、現在も有効な権利を受け継いでいる方へ連絡してみてもらえませんか?
既に出版から5年経過していますので、貴方のような方が1回も各所へ連絡していないとは考えられません。
各所はそれらの連絡を受けた上で、変更の必要がないと判断したのではないでしょうか?
私はそこまで考えた上で、出版社と原作者から権利を引き継いだ方、両方がこの件を問題にしていないのでは?と判断し、さらその事について貴方に問いただしました。
なので貴方の返答は、求めている水準以下で非常に残念です。
それと損害賠償は、その損害と金額の計算式を証明しなければいけません。
あなたの論調は仕組みをよく理解せず、青天井と杞憂で文章を書いているだけに見えます。
そして、ミスリルもトールキン氏の作品が出典の金属で、他の原作や例外はありません。
これは完全にホビットと同じレベルで扱われる強度の単語となります。
あなたの主張の通りであれば、ミスリルを多用するなろうの小説はほぼ大半が削除され、トールキン財団は巨額の富を得る事になるでしょう。
エピソード690
エッチな砂時計様、折返しのご感想ありがとうございます。
まず前提として、欧米の作品で「ホビット」、エッチな砂時計様によると「ミスリル」を含めて、そのまま使用されている作品はあるのでしょうか?
たとえばハリウッド映画で「ホビット」「ミスリル」をそのままの形で使った例があるのでしょうか。
作戦名で「ミスリル」というのは、範囲が異なるのでカウントしないでください。
背の低い亜人としての「ホビット」と、魔法銀としての「ミスリル」が使われているのかどうか。
私はまったく思い浮かばないんです。
「二次創作」天国である日本だからこそ、「ホビット」も「ミスリル」もそのままの使い方をしていても見逃されているのではありませんか?
しかも『小説家になろう』様は無料で小説を公開できますから「営利目的ではない」はずです。
日本での著作権法では、「営利目的」や「権利の侵害」などで訴えられますが、いずれも親告罪です。
権利者が自ら訴えない限り、法で裁かれることはありません。
ですが、そのような事情から、『小説家になろう』で「ホビット」や「ミスリル」が使われていても訴えられないから使ったやれ、では中国のパクリ文化となんら変わりはありません。
「ミスリル」は出典がトールキン氏とは知りませんでしたので、私も注意せねばなりません。
しかし「ホビット」はトールキン氏の出典なのは有名な話ですよね。
誰からも訴えられないのであれば、なぜグループSNEでは「ホビット」「ハーフリング」を「グラスランナー」と言い換えて『ソード・ワールドRPG』を作ったのでしょうか。訴えられる可能性がなければ変える必要はありません。
「訴える人がいないのだから、いくら使っても問題ない」という考え方は、「誰もが文句は言わないのだから、赤信号でも渡っていいや」という心構えとなんら異なりません。
将来の紛争のタネを抱えた作品が、一般商業に載れないのは明らかです。
もし『小説家になろう』様が「ホビット」名称の二次使用件を有しているのでなければ、本来は許される道理はないのです。
「現状「ホビット」であふれているのだから、なにが悪い」は言いがかりに近いと言わざるをえません。
少なくとも、一次創作を行っている方なら、避けるべきものであるのは間違いないでしょう。
あとは一次創作の作者様の良心次第でしょう。
エッチな砂時計様が、どんなことを言われるか許容しながら一次創作に「ホビット」を使うふんには「自己責任」ですからいくらでも書いてかまいませんよ、それがもとでどのようなも問題が発生しても「自己責任」を貫いてくださいませ。
私は「自己責任をとりたくない」多くの書き手に対して警鐘を鳴らしただけですので。
まず前提として、欧米の作品で「ホビット」、エッチな砂時計様によると「ミスリル」を含めて、そのまま使用されている作品はあるのでしょうか?
たとえばハリウッド映画で「ホビット」「ミスリル」をそのままの形で使った例があるのでしょうか。
作戦名で「ミスリル」というのは、範囲が異なるのでカウントしないでください。
背の低い亜人としての「ホビット」と、魔法銀としての「ミスリル」が使われているのかどうか。
私はまったく思い浮かばないんです。
「二次創作」天国である日本だからこそ、「ホビット」も「ミスリル」もそのままの使い方をしていても見逃されているのではありませんか?
しかも『小説家になろう』様は無料で小説を公開できますから「営利目的ではない」はずです。
日本での著作権法では、「営利目的」や「権利の侵害」などで訴えられますが、いずれも親告罪です。
権利者が自ら訴えない限り、法で裁かれることはありません。
ですが、そのような事情から、『小説家になろう』で「ホビット」や「ミスリル」が使われていても訴えられないから使ったやれ、では中国のパクリ文化となんら変わりはありません。
「ミスリル」は出典がトールキン氏とは知りませんでしたので、私も注意せねばなりません。
しかし「ホビット」はトールキン氏の出典なのは有名な話ですよね。
誰からも訴えられないのであれば、なぜグループSNEでは「ホビット」「ハーフリング」を「グラスランナー」と言い換えて『ソード・ワールドRPG』を作ったのでしょうか。訴えられる可能性がなければ変える必要はありません。
「訴える人がいないのだから、いくら使っても問題ない」という考え方は、「誰もが文句は言わないのだから、赤信号でも渡っていいや」という心構えとなんら異なりません。
将来の紛争のタネを抱えた作品が、一般商業に載れないのは明らかです。
もし『小説家になろう』様が「ホビット」名称の二次使用件を有しているのでなければ、本来は許される道理はないのです。
「現状「ホビット」であふれているのだから、なにが悪い」は言いがかりに近いと言わざるをえません。
少なくとも、一次創作を行っている方なら、避けるべきものであるのは間違いないでしょう。
あとは一次創作の作者様の良心次第でしょう。
エッチな砂時計様が、どんなことを言われるか許容しながら一次創作に「ホビット」を使うふんには「自己責任」ですからいくらでも書いてかまいませんよ、それがもとでどのようなも問題が発生しても「自己責任」を貫いてくださいませ。
私は「自己責任をとりたくない」多くの書き手に対して警鐘を鳴らしただけですので。
- カイ.智水
- 2023年 02月13日 11時21分
[気になる点]
なろう原作の幻想グルメの有料漫画にホビット族が普通に出ていますが、出典の記述もないし、問題にもなっていませんよ?
なろう原作の幻想グルメの有料漫画にホビット族が普通に出ていますが、出典の記述もないし、問題にもなっていませんよ?
エピソード690
エッチな砂時計様、ご感想ありがとうございます。
「ホビット賊が普通に出ていますが、出典の記述もないし、問題にもなっていません」についでてすね。
これは権利者が見逃しているだけです。
権利者が知れば、確実に著作権侵害と損害賠償を請求されます。
商業出版されていれば出版社も同罪です。
権利者の「見逃し」を、さも「問題にならないのでは?」と勘違いしないようにしてください。
有名になればなるほど、賠償額は桁が増えていきますので。
「ホビット賊が普通に出ていますが、出典の記述もないし、問題にもなっていません」についでてすね。
これは権利者が見逃しているだけです。
権利者が知れば、確実に著作権侵害と損害賠償を請求されます。
商業出版されていれば出版社も同罪です。
権利者の「見逃し」を、さも「問題にならないのでは?」と勘違いしないようにしてください。
有名になればなるほど、賠償額は桁が増えていきますので。
- カイ.智水
- 2023年 01月31日 09時54分
[一言]
小説を書いてて、私は書くのが非常に遅い方(1日1000字かけたらいい方) です。どうしたら早く書けるのかな、って悩んでたらこのページに当たりました。
『実況』しながら、書く。
どうしても体よく書こう書こう、と思って結局書けずじまいだったんだなって事に気付かされました。
いいヒントになりました。
ありがとうございます。
小説を書いてて、私は書くのが非常に遅い方(1日1000字かけたらいい方) です。どうしたら早く書けるのかな、って悩んでたらこのページに当たりました。
『実況』しながら、書く。
どうしても体よく書こう書こう、と思って結局書けずじまいだったんだなって事に気付かされました。
いいヒントになりました。
ありがとうございます。
エピソード607
夜道に桜様、ご感想ありがとうございます。
1日1,000字だと確かに少ないかもしれません。
まず物語の雛形を書く。
人によっては「会話文の往復」で骨組みを作って、そこに表現の肉付けをしていきますね。
この方法だと、会話文だけで1,000字書けたら、そこへさらに1,000字や2,000字をプラスしていけますので、1日2,000字や3,000字も書けるようになります。
他にも手段はあるのですが、分量を書けないうちは、あまり体裁の良い文章表現を追い求めないようにしましょう。
まずはどんな方法でもよいので、1日2,500字〜3,500字書けるところまでもっていくとよいですよ。
そこまで書けてから「表現をもっと良くするにはどうすればよいのか」を考えてください。
分量が書けないうちからテクニックにこだわると、途端に書けなくなるのが人間です。
まずは書きやすい方法で分量に慣れることを優先しましょう。
またお気づきになったことがございましたら、コメントなり感想なりをいただければと存じます。
1日1,000字だと確かに少ないかもしれません。
まず物語の雛形を書く。
人によっては「会話文の往復」で骨組みを作って、そこに表現の肉付けをしていきますね。
この方法だと、会話文だけで1,000字書けたら、そこへさらに1,000字や2,000字をプラスしていけますので、1日2,000字や3,000字も書けるようになります。
他にも手段はあるのですが、分量を書けないうちは、あまり体裁の良い文章表現を追い求めないようにしましょう。
まずはどんな方法でもよいので、1日2,500字〜3,500字書けるところまでもっていくとよいですよ。
そこまで書けてから「表現をもっと良くするにはどうすればよいのか」を考えてください。
分量が書けないうちからテクニックにこだわると、途端に書けなくなるのが人間です。
まずは書きやすい方法で分量に慣れることを優先しましょう。
またお気づきになったことがございましたら、コメントなり感想なりをいただければと存じます。
- カイ.智水
- 2022年 02月11日 13時47分
[良い点]
小説執筆に関する事が一つ一つ詳しく書かれていて、興味深くて読む手が止まりませんでした。
[一言]
本当に本当に、面白かったです。
非常に為になりました。ありがとうございます。
小説執筆に関する事が一つ一つ詳しく書かれていて、興味深くて読む手が止まりませんでした。
[一言]
本当に本当に、面白かったです。
非常に為になりました。ありがとうございます。
- 投稿者: 柴野いずみ@『公爵閣下』一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞!
- 2021年 11月28日 05時44分
柴野いずみ様、ご感想ありがとうございます。
少しでも柴野いずみ様の創作活動にプラスに働けば幸いに存じます。
ただ読むだけより、なにかを生み出そうとする意欲もお持ちくださいませ。
このたびはお読みいただきまして誠にありがとうございました。
カイ.アルザードSSTMより
少しでも柴野いずみ様の創作活動にプラスに働けば幸いに存じます。
ただ読むだけより、なにかを生み出そうとする意欲もお持ちくださいませ。
このたびはお読みいただきまして誠にありがとうございました。
カイ.アルザードSSTMより
- カイ.智水
- 2021年 11月28日 12時49分
[一言]
1500回にわたる連載、お疲れ様でした。
下手な国語の教科書よりも教科書らしい素晴らしコラムをありがとうございます。
世間では報道ステーションで偉い人が「原発の問題は若者の問題だからお前たちが何とかしろ」と云う趣旨の発言をしたことを境に、コロナが再拡大しております。
若者にすれば老人たちがが蒔いた種の尻拭いを押し付けられたと感じる発言です。
「老い先短い老人がほんの少しだけ長生きするためになぜ我々が我慢しなければならない?」と憤りを感じた若者も多い事でしょう。
こうなってしまうとコロナに限らずウィルスの性質上、コロナの感染に耐えられない人々が死に絶えるまで感染の拡大は止まりません。
裏を返せば感染に耐えられない人が全て死に絶えれば感染は確実に止まると云う事なんですけどね。
おそらくコロナ禍は我々の先祖の責任なんですね。
誰かが仮説を出していると考えているとやはり出ていました。
リチャード・ランガムと云う人が人の家畜化、相対的に劣性の個体が集団暴力で相対的に優性の個体を抹殺する事を覚えたことによる集団による同調圧力を強化する事により高度な社会性を身に着ける事に繋がり、最終的に「人類は見知らぬ敵を殺して楽しむように進化した」と云う仮説を提唱しています。
この事により、猿山のハーレムにより劣性個体が子孫を残すことを制限する事により種の進化を促進するシステムが崩壊し劣性個体でも多くの子孫が残せるようになったわけです。
この弱者の集団暴力による強者の抹殺とも呼ぶべき行動様式はネアンデルタール人と云った異人類を絶滅させた原動力にもなったようです。
そして其れを最も強く推進した集団が一神教です。これはナチスはユダヤ人を絶滅させようという考えに至った理由でもあるのでしょう。ユダヤ人はナチスが主張するような劣等種ではなく寧ろ、優性種に分類されるような人々です。世間一般で云う劣った遺伝子を人類に撒き散らす存在として扱うには無理があります。しかし自分たちより優秀な存在を抹殺しようとする存在として認識したのでれば話は別です。弱者による集団暴力で強者の抹殺を推進するカルト宗教である一神教を世に送り出したのはユダヤ人です。世界で一番優秀なドイツ人が絶滅されまいとしてユダヤ人の根絶に乗り出すのは当然でしょう。
そして此れは新型コロナによる死者が一神教圏が多神教圏よりも圧倒的に多いという説明にもなります。
きっと新型コロナに強い個体を一神教圏では徹底的に抹殺した結果がこのような結果に反映されたのでしょうね。
「なろう」で良く書かれている「異世界モノ」、最底辺として虐げられていた主人公が成り上がって、ざまぁしてハーレムを築くという話は無自覚の優性個体である主人公が劣性個体の集団暴力に反発して猿山のボスとして君臨する物語とも捉える事が出来ます。
であるなら弱者の集団暴力を現在進行形で推進する一神教圏では彼らの価値観を根底的に否定する「なーろっぱ」作品が受け入れられることは絶対にないのですね。
最近でも欧米人は「中国人は病原を媒介する存在だから来るな!」と云う事、今更、中国の人権問題を今更のように持ち出してもっともらしい言葉で主張しています。
このことは中国自身も自国民を「生物兵器のキャリアー」仕立て上げて全世界に新型コロナによる全面攻撃を現在進行形で仕掛けていると解釈されても仕方がない行動を取っているため、やむを得ない措置でもあります。
しかし日本は暢気なのものです。医療従事者に対するコロナ差別は明らかに日本の医療を崩壊を企てている隣国の謀略としか思えません。東京オリンピックもトップが男性から女性に変わった意味はいかなる混乱が発生しようとも意地でも「オリンピックを開催する」という意思表明に他ならないのです。もし開催中止を表明しようものなら「女性だから開催できなかった」というあらかじめ準備されているレッテル張りが行わ女性の社会進出にブレーキが掛かるの明らかなのですね。
この期に及んで、オリンピック中止を主張する存在は間違いなく女性差別主義者でしょう。でなければそのような理屈もわからない残念な人物となってしまいますからね。
最後に、連載しながらも私の戯言に真摯に付き合って頂き大変ありがとうございました。
1500回にわたる連載、お疲れ様でした。
下手な国語の教科書よりも教科書らしい素晴らしコラムをありがとうございます。
世間では報道ステーションで偉い人が「原発の問題は若者の問題だからお前たちが何とかしろ」と云う趣旨の発言をしたことを境に、コロナが再拡大しております。
若者にすれば老人たちがが蒔いた種の尻拭いを押し付けられたと感じる発言です。
「老い先短い老人がほんの少しだけ長生きするためになぜ我々が我慢しなければならない?」と憤りを感じた若者も多い事でしょう。
こうなってしまうとコロナに限らずウィルスの性質上、コロナの感染に耐えられない人々が死に絶えるまで感染の拡大は止まりません。
裏を返せば感染に耐えられない人が全て死に絶えれば感染は確実に止まると云う事なんですけどね。
おそらくコロナ禍は我々の先祖の責任なんですね。
誰かが仮説を出していると考えているとやはり出ていました。
リチャード・ランガムと云う人が人の家畜化、相対的に劣性の個体が集団暴力で相対的に優性の個体を抹殺する事を覚えたことによる集団による同調圧力を強化する事により高度な社会性を身に着ける事に繋がり、最終的に「人類は見知らぬ敵を殺して楽しむように進化した」と云う仮説を提唱しています。
この事により、猿山のハーレムにより劣性個体が子孫を残すことを制限する事により種の進化を促進するシステムが崩壊し劣性個体でも多くの子孫が残せるようになったわけです。
この弱者の集団暴力による強者の抹殺とも呼ぶべき行動様式はネアンデルタール人と云った異人類を絶滅させた原動力にもなったようです。
そして其れを最も強く推進した集団が一神教です。これはナチスはユダヤ人を絶滅させようという考えに至った理由でもあるのでしょう。ユダヤ人はナチスが主張するような劣等種ではなく寧ろ、優性種に分類されるような人々です。世間一般で云う劣った遺伝子を人類に撒き散らす存在として扱うには無理があります。しかし自分たちより優秀な存在を抹殺しようとする存在として認識したのでれば話は別です。弱者による集団暴力で強者の抹殺を推進するカルト宗教である一神教を世に送り出したのはユダヤ人です。世界で一番優秀なドイツ人が絶滅されまいとしてユダヤ人の根絶に乗り出すのは当然でしょう。
そして此れは新型コロナによる死者が一神教圏が多神教圏よりも圧倒的に多いという説明にもなります。
きっと新型コロナに強い個体を一神教圏では徹底的に抹殺した結果がこのような結果に反映されたのでしょうね。
「なろう」で良く書かれている「異世界モノ」、最底辺として虐げられていた主人公が成り上がって、ざまぁしてハーレムを築くという話は無自覚の優性個体である主人公が劣性個体の集団暴力に反発して猿山のボスとして君臨する物語とも捉える事が出来ます。
であるなら弱者の集団暴力を現在進行形で推進する一神教圏では彼らの価値観を根底的に否定する「なーろっぱ」作品が受け入れられることは絶対にないのですね。
最近でも欧米人は「中国人は病原を媒介する存在だから来るな!」と云う事、今更、中国の人権問題を今更のように持ち出してもっともらしい言葉で主張しています。
このことは中国自身も自国民を「生物兵器のキャリアー」仕立て上げて全世界に新型コロナによる全面攻撃を現在進行形で仕掛けていると解釈されても仕方がない行動を取っているため、やむを得ない措置でもあります。
しかし日本は暢気なのものです。医療従事者に対するコロナ差別は明らかに日本の医療を崩壊を企てている隣国の謀略としか思えません。東京オリンピックもトップが男性から女性に変わった意味はいかなる混乱が発生しようとも意地でも「オリンピックを開催する」という意思表明に他ならないのです。もし開催中止を表明しようものなら「女性だから開催できなかった」というあらかじめ準備されているレッテル張りが行わ女性の社会進出にブレーキが掛かるの明らかなのですね。
この期に及んで、オリンピック中止を主張する存在は間違いなく女性差別主義者でしょう。でなければそのような理屈もわからない残念な人物となってしまいますからね。
最後に、連載しながらも私の戯言に真摯に付き合って頂き大変ありがとうございました。
くろの介様、ご感想ありがとうございます。
おかげさまを持ちまして、なんとか連載を終えられました。
1,500回は狙っておらず、質問を募ったところちょうど1,500話までの質問がきたんですよね。縁は不思議なものですね。
サル山のボス的な「ナーロッパ」ライトノベルが一神教圏でウケない理由は興味深い考察です。
確かに新型コロナウイルスの蔓延はイスラエルというユダヤ教独裁政権が、キリスト教最大勢力であるアメリカ合衆国のファイザーと、ドイツのビオンテックが開発したワクチンによって当時世界最速で接種が進み、感染者が劇的に減ったと伝えられています。
またとくにファイザーがEU域内に生産拠点を持っているため、その域外への輸出を許可制にして、EU域内でワクチンを独占しようと画策している。
かと思えば、EU諸国は日本が東京五輪・パラリンを開催するのに、ワクチン接種の進捗状況が芳しくないので応援できない、とか言っていますよね。
そもそもEUが日本へファイザーのワクチンを優先的に融通してくれれば、東京五輪・パラリン選手・関係者のぶんのワクチンも確保できる、という判断ができないのでしょうか。だから一神教圏は「唯我独尊」に走りがちなんですよね。「唯我独尊」のブッダだって一神教ですからね。のちにインド神話や日本神話が組み込まれて多神化しますけど。
ちなみに私はC国にかなり不信感を持っています。まずパンデミックの発信地であること。それ自体は仕方のない面もありそうに映ります。
しかし弱毒化に成功するのに数年かかり、それを安定的にダチョウの卵で培養するのにも数年の技術の蓄積が必要な「不活化ワクチン」。それがなぜか「昨年内」に完成し「他国へ無償供与」できるほど大量に保有していた。
これはどう考えても、死の商人が「致死毒と薬」を両手に持っているとしか思えません。いや「Cの商人」や「C近平」と言いたくなります。
C国やそのトップの「C近平」が「致死毒と薬」を操って、世界制覇に乗り出した、と考えても現状を的確に説明できそうです。
おそらく彼の構想が半分失敗したのは、まさかアメリカのファイザーとドイツのビオンテックの連合による「mRNAワクチン」が昨年内に製剤化してしまったからでしょう。しかもアメリカのモデルナも「mRNAワクチン」に成功し、イギリスのアストラゼネカも「ウイルスベクターワクチン」に成功。これにより、先進国に「C国製不活化ワクチン」を売り込んで恩に着せようとはできなくなったのです。
そこで「東京五輪・パラリンの選手・関係者のぶんのワクチンを我が国が融通しますよ」とIOCのバッハ会長へ売り込んだ。おそらく先進国の中でも宣伝効果が高い五輪・パラリンの参加者に恩を着せれば、その国がC国に感謝するようになり、以後の外交でも優位に立てるとの皮算用でしょう。とくに2022年冬に北京五輪・パラリンがありますからね。今のうちに恩に着せないと効果が限られてしまうのです。
相手国を弱らせて、その弱みにつけこんで他国を操ろうというのは、春秋時代・斉の桓公の宰相を務めた管仲夷吾の戦略そのものですからね。
1,400日以上の毎日連載と、通算1,500回の大容量を書ききるのに、くろの介様との感想のやりとりはカンフル剤となって執筆の後押しとなりました。
この場をお借りして「ありがとうございました」とお伝えできるのはとても光栄です。
今度は長編小説を数本書いて、売れっ子になったら「売れる秘訣」を連載したいと考えております。
それには私自身が結果を出さないといけないんですよね。ハードルが高いなぁと。
それでは1,500話をお付き合いいただきまして誠にありがとうございました。
またの機会、あるいは全1,500話のいずれかの感想でお会い致しましょう。
それまで、しばしのお別れとなりますね。お元気でいてくださいませ。
お互いに新型コロナウイルスとの戦いで負けませんように。
カイ.アルザードSSTMより
おかげさまを持ちまして、なんとか連載を終えられました。
1,500回は狙っておらず、質問を募ったところちょうど1,500話までの質問がきたんですよね。縁は不思議なものですね。
サル山のボス的な「ナーロッパ」ライトノベルが一神教圏でウケない理由は興味深い考察です。
確かに新型コロナウイルスの蔓延はイスラエルというユダヤ教独裁政権が、キリスト教最大勢力であるアメリカ合衆国のファイザーと、ドイツのビオンテックが開発したワクチンによって当時世界最速で接種が進み、感染者が劇的に減ったと伝えられています。
またとくにファイザーがEU域内に生産拠点を持っているため、その域外への輸出を許可制にして、EU域内でワクチンを独占しようと画策している。
かと思えば、EU諸国は日本が東京五輪・パラリンを開催するのに、ワクチン接種の進捗状況が芳しくないので応援できない、とか言っていますよね。
そもそもEUが日本へファイザーのワクチンを優先的に融通してくれれば、東京五輪・パラリン選手・関係者のぶんのワクチンも確保できる、という判断ができないのでしょうか。だから一神教圏は「唯我独尊」に走りがちなんですよね。「唯我独尊」のブッダだって一神教ですからね。のちにインド神話や日本神話が組み込まれて多神化しますけど。
ちなみに私はC国にかなり不信感を持っています。まずパンデミックの発信地であること。それ自体は仕方のない面もありそうに映ります。
しかし弱毒化に成功するのに数年かかり、それを安定的にダチョウの卵で培養するのにも数年の技術の蓄積が必要な「不活化ワクチン」。それがなぜか「昨年内」に完成し「他国へ無償供与」できるほど大量に保有していた。
これはどう考えても、死の商人が「致死毒と薬」を両手に持っているとしか思えません。いや「Cの商人」や「C近平」と言いたくなります。
C国やそのトップの「C近平」が「致死毒と薬」を操って、世界制覇に乗り出した、と考えても現状を的確に説明できそうです。
おそらく彼の構想が半分失敗したのは、まさかアメリカのファイザーとドイツのビオンテックの連合による「mRNAワクチン」が昨年内に製剤化してしまったからでしょう。しかもアメリカのモデルナも「mRNAワクチン」に成功し、イギリスのアストラゼネカも「ウイルスベクターワクチン」に成功。これにより、先進国に「C国製不活化ワクチン」を売り込んで恩に着せようとはできなくなったのです。
そこで「東京五輪・パラリンの選手・関係者のぶんのワクチンを我が国が融通しますよ」とIOCのバッハ会長へ売り込んだ。おそらく先進国の中でも宣伝効果が高い五輪・パラリンの参加者に恩を着せれば、その国がC国に感謝するようになり、以後の外交でも優位に立てるとの皮算用でしょう。とくに2022年冬に北京五輪・パラリンがありますからね。今のうちに恩に着せないと効果が限られてしまうのです。
相手国を弱らせて、その弱みにつけこんで他国を操ろうというのは、春秋時代・斉の桓公の宰相を務めた管仲夷吾の戦略そのものですからね。
1,400日以上の毎日連載と、通算1,500回の大容量を書ききるのに、くろの介様との感想のやりとりはカンフル剤となって執筆の後押しとなりました。
この場をお借りして「ありがとうございました」とお伝えできるのはとても光栄です。
今度は長編小説を数本書いて、売れっ子になったら「売れる秘訣」を連載したいと考えております。
それには私自身が結果を出さないといけないんですよね。ハードルが高いなぁと。
それでは1,500話をお付き合いいただきまして誠にありがとうございました。
またの機会、あるいは全1,500話のいずれかの感想でお会い致しましょう。
それまで、しばしのお別れとなりますね。お元気でいてくださいませ。
お互いに新型コロナウイルスとの戦いで負けませんように。
カイ.アルザードSSTMより
- カイ.智水
- 2021年 03月29日 21時29分
[一言]
長期にわたる連続連載お疲れ様でした!
今後とも参考にさせていただきたいと思います!
読む予定の項目がまだまだ一杯です(笑)
長期にわたる連続連載お疲れ様でした!
今後とも参考にさせていただきたいと思います!
読む予定の項目がまだまだ一杯です(笑)
- 投稿者: 馬場和子(た~にぃ)
- 2021年 03月28日 00時54分
エピソード1500
馬場和子(た〜にぃ)様、ご感想ありがとうございます。
さすがに1,400日以上連続投稿は疲れましたね。
あまりに長いので、辞書のように気になる項目を引きながら使っていただければと存じます。
それでも項目数が山ほどあるのですが(苦笑)
まぁ逃げませんので、ちょこちょこと読んでいただければ幸いです。
カイ.アルザードSSTMより
さすがに1,400日以上連続投稿は疲れましたね。
あまりに長いので、辞書のように気になる項目を引きながら使っていただければと存じます。
それでも項目数が山ほどあるのですが(苦笑)
まぁ逃げませんので、ちょこちょこと読んでいただければ幸いです。
カイ.アルザードSSTMより
- カイ.智水
- 2021年 03月28日 12時40分
[一言]
連載お疲れ様でした。
自分が考える良い作品、それは上辺の面白さではなく、作者の価値観に基づいて一本筋が入った作品が良い作品だと思います。
ライトノベルと言うからには、軽く読めるのは大切。
――でも、軽いだけでは軽滑りです。
其処に重たいテーマと言う芯を入れる事で、心の奥に響く作品になるのでしょうね。
師と仰ぐ人の受け売りですけど、真理だと思います。
連載お疲れ様でした。
自分が考える良い作品、それは上辺の面白さではなく、作者の価値観に基づいて一本筋が入った作品が良い作品だと思います。
ライトノベルと言うからには、軽く読めるのは大切。
――でも、軽いだけでは軽滑りです。
其処に重たいテーマと言う芯を入れる事で、心の奥に響く作品になるのでしょうね。
師と仰ぐ人の受け売りですけど、真理だと思います。
エピソード1500
くろねこ様、ご感想ありがとうございます。
確かに「重いテーマ」を内包すると物語に一本筋が通りますよね。
それが「何度読んでも楽しめる小説」に必要なものかもしれません。
人それぞれ、好みの作品は違っても、読後でも「また読みたいな」と終わせられたら。
きっと、素晴らしい小説になっていますよね。
そういう小説を書きたいと思います。
確かに「重いテーマ」を内包すると物語に一本筋が通りますよね。
それが「何度読んでも楽しめる小説」に必要なものかもしれません。
人それぞれ、好みの作品は違っても、読後でも「また読みたいな」と終わせられたら。
きっと、素晴らしい小説になっていますよね。
そういう小説を書きたいと思います。
- カイ.智水
- 2021年 03月24日 13時44分
[一言]
「褒める事で伸ばす」「厳しくする事で伸ばす」
人を指導する上でどちらも誤りではありませんが、実践する人間の立場と目的は異なります。
「褒める事で伸ばす」ことを主体として指導する立場の者は多くは民間の何かしらのスクールのインストラクターです。目的は勿論、生徒を増やすことです。スポーツ、特にテニスやフットサルなんかは競技人口を増やすこと事を目的として積極的にスクールを開設し子供や一般の大人たちを生徒に勧誘しています。右も左もわからない子供を指導する場合はまず教えている習い事を好きになってもらう必要があります。そして大人も上達する事とは別に健康や日々のストレスの解消の為といった様々な目的で通ってきます。その為、嫌われ折角教えているスポーツそのものが嫌いになる様な教え方はできません。
そんなことをすれば下手すれば口コミで生徒が減ることになります。最悪、ネット上で悪評が拡散しビジネスとして成立しなくなりますから当然ですね。
それは競技人口ないしは生徒数を増やすことを目的としている団体としても看過できない事です。
公務員としての学校の教員たちの多くがこのメカニズムを全く理解できていないのは残念ですが。
「厳しくする事で伸ばす」はこれは純粋にプロになる、つまり「指導を受ける何か」で生活する事を決めた人に対して行う指導方法です。
前提としては教える対象が既に「教えている何か」が大好きな状態であると云う事です。そして厳しくする目的は「本気度」の確認です。才能商売であるプロの世界は一般では天才と呼ばれるような人物の集まりです。厳しく指導された程度で負の感情に侵されるような弱い人物では余程の天賦の才に恵まれない限り生き残ることは不可能です。
スポーツの世界では特に顕著で実力が拮抗した相手との対戦で勝つのは肉体的、精神的に最も苦しい状況にほんの僅かだけ長く耐える事が出来た方です。
この苦痛に対するストレス耐性は褒めて伸ばす事はできませんから。
それ故に厳しい指導は「もし耐えられないので貴方はプロには向いていないから他に生きる道を見つけなさい」と云うメッセージも含んでいるのです。
可哀そうではありますがプロで生き抜くことが出来ない事が最初から分かっているのであれば軌道修正ができるうちにその道を諦めさせてあげる事も必要なのです。
尤も、全国大会に出場して優勝する事を目的として学校の部活なら兎も角、其処まで考えていないような学校の部活動で厳しく指導することは無意味どころが有害ですけどね。
但し、何れも指導方法も「教える側」「教えられる側」の双方に一定水準以上の信頼関係が必要です。不信感しかない関係であれば何を指導しても無駄です。
逆に云うと信頼関係が極限であれば体罰さえ称賛されます。故星野仙一氏は拳骨で選手を鍛えたと云われています。それは選手の家族、両親や奥さん子供、そして彼の行動を見ているスタッフや記者の家族にまで誕生日等の特別な日に贈り物を欠かさず、ある種の口封じともいえる信頼関係を築いていたからと云われています。
信頼関係を得るためにはどうするかとなると偉い人がこう言っています。
「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。」
この言葉は、民間人が言ったのであれば、人の上に立つ者の心得にしかなりません。
しかし言った人物は「山本五十六」というロンメルと並んで有名な大戦中の軍人です。
創作モノでは日本では「源義経」と並んで異様に美化されることの多い、美化され具合では「劉備」や「諸葛亮」にも匹敵し、一部では神格化さえされている軍人です。本人が知れば自身の不甲斐なさを悔いて号泣しかねないですけど。
そんな軍人の言葉ですから、此れ位できなければ、号令一つで何万の将兵を死地に赴かせるほどの信頼が得られない云う意味になります。
裏の意味も勿論あります。
其処までやっても「育たない人物は育たない。」「育つどころか在ってはならない方向に育つ」と云う人物も僅かながら存在します。そう云った人物は一人一人は大したことなくても数が揃えば、往々にして組織や社会を腐らせる毒となります。そういった個性と直面した場合、どうするかという問い掛けも含んでいます。
言った本人も結論は出していないようですけど。出ていれば、少なくともブーゲンビルの上空で戦死する事はなかったでしょう。
この言葉は上辺だけ見ても、人を育てるにはとにかく辛抱、我慢、相手の失敗の責任は自分が取るという気構えが重要だと云う事が伝わります。
これは、「褒める事で伸ばす」、「厳しくする事で伸ばす」どちらが良いかを悩む以前に人を指導する上では一番、理解しておかなければない大事な事です。
そしてこの名言の真意とは別に重要な事はこの言葉の逆で接すれば、余程の傑物でもない限り、殆どの人がダメになってしまうという事です。
試したいと魔が差すこともあるかもしれませんが、別に止めはしませんが親の仇に匹敵するほど憎い相手に対してでもなければ実践する事はお勧めしませんので。
「褒める事で伸ばす」「厳しくする事で伸ばす」
人を指導する上でどちらも誤りではありませんが、実践する人間の立場と目的は異なります。
「褒める事で伸ばす」ことを主体として指導する立場の者は多くは民間の何かしらのスクールのインストラクターです。目的は勿論、生徒を増やすことです。スポーツ、特にテニスやフットサルなんかは競技人口を増やすこと事を目的として積極的にスクールを開設し子供や一般の大人たちを生徒に勧誘しています。右も左もわからない子供を指導する場合はまず教えている習い事を好きになってもらう必要があります。そして大人も上達する事とは別に健康や日々のストレスの解消の為といった様々な目的で通ってきます。その為、嫌われ折角教えているスポーツそのものが嫌いになる様な教え方はできません。
そんなことをすれば下手すれば口コミで生徒が減ることになります。最悪、ネット上で悪評が拡散しビジネスとして成立しなくなりますから当然ですね。
それは競技人口ないしは生徒数を増やすことを目的としている団体としても看過できない事です。
公務員としての学校の教員たちの多くがこのメカニズムを全く理解できていないのは残念ですが。
「厳しくする事で伸ばす」はこれは純粋にプロになる、つまり「指導を受ける何か」で生活する事を決めた人に対して行う指導方法です。
前提としては教える対象が既に「教えている何か」が大好きな状態であると云う事です。そして厳しくする目的は「本気度」の確認です。才能商売であるプロの世界は一般では天才と呼ばれるような人物の集まりです。厳しく指導された程度で負の感情に侵されるような弱い人物では余程の天賦の才に恵まれない限り生き残ることは不可能です。
スポーツの世界では特に顕著で実力が拮抗した相手との対戦で勝つのは肉体的、精神的に最も苦しい状況にほんの僅かだけ長く耐える事が出来た方です。
この苦痛に対するストレス耐性は褒めて伸ばす事はできませんから。
それ故に厳しい指導は「もし耐えられないので貴方はプロには向いていないから他に生きる道を見つけなさい」と云うメッセージも含んでいるのです。
可哀そうではありますがプロで生き抜くことが出来ない事が最初から分かっているのであれば軌道修正ができるうちにその道を諦めさせてあげる事も必要なのです。
尤も、全国大会に出場して優勝する事を目的として学校の部活なら兎も角、其処まで考えていないような学校の部活動で厳しく指導することは無意味どころが有害ですけどね。
但し、何れも指導方法も「教える側」「教えられる側」の双方に一定水準以上の信頼関係が必要です。不信感しかない関係であれば何を指導しても無駄です。
逆に云うと信頼関係が極限であれば体罰さえ称賛されます。故星野仙一氏は拳骨で選手を鍛えたと云われています。それは選手の家族、両親や奥さん子供、そして彼の行動を見ているスタッフや記者の家族にまで誕生日等の特別な日に贈り物を欠かさず、ある種の口封じともいえる信頼関係を築いていたからと云われています。
信頼関係を得るためにはどうするかとなると偉い人がこう言っています。
「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。」
この言葉は、民間人が言ったのであれば、人の上に立つ者の心得にしかなりません。
しかし言った人物は「山本五十六」というロンメルと並んで有名な大戦中の軍人です。
創作モノでは日本では「源義経」と並んで異様に美化されることの多い、美化され具合では「劉備」や「諸葛亮」にも匹敵し、一部では神格化さえされている軍人です。本人が知れば自身の不甲斐なさを悔いて号泣しかねないですけど。
そんな軍人の言葉ですから、此れ位できなければ、号令一つで何万の将兵を死地に赴かせるほどの信頼が得られない云う意味になります。
裏の意味も勿論あります。
其処までやっても「育たない人物は育たない。」「育つどころか在ってはならない方向に育つ」と云う人物も僅かながら存在します。そう云った人物は一人一人は大したことなくても数が揃えば、往々にして組織や社会を腐らせる毒となります。そういった個性と直面した場合、どうするかという問い掛けも含んでいます。
言った本人も結論は出していないようですけど。出ていれば、少なくともブーゲンビルの上空で戦死する事はなかったでしょう。
この言葉は上辺だけ見ても、人を育てるにはとにかく辛抱、我慢、相手の失敗の責任は自分が取るという気構えが重要だと云う事が伝わります。
これは、「褒める事で伸ばす」、「厳しくする事で伸ばす」どちらが良いかを悩む以前に人を指導する上では一番、理解しておかなければない大事な事です。
そしてこの名言の真意とは別に重要な事はこの言葉の逆で接すれば、余程の傑物でもない限り、殆どの人がダメになってしまうという事です。
試したいと魔が差すこともあるかもしれませんが、別に止めはしませんが親の仇に匹敵するほど憎い相手に対してでもなければ実践する事はお勧めしませんので。
くろの介様、ご感想ありがとうございます。
古代中国では昔から「信賞必罰」が説かれています。
司馬遷氏『史記』において呉へ仕官に来た孫武が、王の寵姫を斬って軍律を徹底させた逸話があります。
これによる三万の兵で呉王闔閭を中原の覇者へと押し立てました。
また『史記』によると魏の呉起は一兵卒の膿を自ら吸い出して手厚くもてなし、兵の母が息子は次の戦いで死んでしまうと泣いた話がありますね。
これにより五万の兵で祇王は中原の覇者たりえたのです。
『孫子』『呉子』などの「武経七書」では、「まずよかった点を賞し、のちに罪を罰する」をよしとしています。部下が上司に愛着を覚えなければ、部下は命令に従おうとしないのです。
孫武のような恐怖政治を布くとそのうち必ず部下が不満を爆発させます。それでも孫武が闔閭を中原の覇者まで導いたのは「連戦連勝、向かうところ敵なし」だったからです。戦で命を落とすかもしれないが、すべての戦いで勝利するのですから、手柄を立てれば恩賞は思いのまま。どうせ軍律に反したら殺されるのですから、結果を出すしかなかったのですね。
呉起がなぜ「まず兵を愛し兵に愛される」「そのうえで軍律に厳しくなければ誰もついてこない」と考えていたのか。呉起は元々兵法家ではなく法律家つまり「兵家」ではなく「法家」の人だったのです。実際呉起が政治を司った魏と楚は国力を飛躍的に高めています。まぁ内政で強制的に富国強兵・信賞必罰を徹底しすぎたせいから仕えていた楚王が亡くなった際「車裂きの刑」に処せられました。既得権を奪い取るのは、春秋戦国時代でもそれだけ難しかったのですね。
私は中国古典式の人材育成方法をとっているので、まずは親しんで、のち厳罰が多いですね。
「もう馴れ合いの時間は終わった」と明確に区切って、罪があれば確実に罰する。もちろんよければ恩賞を出したり表彰したり。
「信賞必罰」のやり方はさまざまですが、飴と鞭を揃えて持たないと意味がないんですよね。
古代中国では昔から「信賞必罰」が説かれています。
司馬遷氏『史記』において呉へ仕官に来た孫武が、王の寵姫を斬って軍律を徹底させた逸話があります。
これによる三万の兵で呉王闔閭を中原の覇者へと押し立てました。
また『史記』によると魏の呉起は一兵卒の膿を自ら吸い出して手厚くもてなし、兵の母が息子は次の戦いで死んでしまうと泣いた話がありますね。
これにより五万の兵で祇王は中原の覇者たりえたのです。
『孫子』『呉子』などの「武経七書」では、「まずよかった点を賞し、のちに罪を罰する」をよしとしています。部下が上司に愛着を覚えなければ、部下は命令に従おうとしないのです。
孫武のような恐怖政治を布くとそのうち必ず部下が不満を爆発させます。それでも孫武が闔閭を中原の覇者まで導いたのは「連戦連勝、向かうところ敵なし」だったからです。戦で命を落とすかもしれないが、すべての戦いで勝利するのですから、手柄を立てれば恩賞は思いのまま。どうせ軍律に反したら殺されるのですから、結果を出すしかなかったのですね。
呉起がなぜ「まず兵を愛し兵に愛される」「そのうえで軍律に厳しくなければ誰もついてこない」と考えていたのか。呉起は元々兵法家ではなく法律家つまり「兵家」ではなく「法家」の人だったのです。実際呉起が政治を司った魏と楚は国力を飛躍的に高めています。まぁ内政で強制的に富国強兵・信賞必罰を徹底しすぎたせいから仕えていた楚王が亡くなった際「車裂きの刑」に処せられました。既得権を奪い取るのは、春秋戦国時代でもそれだけ難しかったのですね。
私は中国古典式の人材育成方法をとっているので、まずは親しんで、のち厳罰が多いですね。
「もう馴れ合いの時間は終わった」と明確に区切って、罪があれば確実に罰する。もちろんよければ恩賞を出したり表彰したり。
「信賞必罰」のやり方はさまざまですが、飴と鞭を揃えて持たないと意味がないんですよね。
- カイ.智水
- 2021年 03月06日 21時09分
[一言]
トールキン氏の「指輪物語」。
世界的には近代ファンタジー小説の魁と評されている作品。しかし日本人のウケはあまり良くない作品。
物語は「北欧神話」、「ニーベルングの指輪」が原点。氏は「ニーベルングの指輪」があまりにも悲劇色が強いのが気に入らなかったのかもしれません。そこからキーアイテムである指輪を抽出し核としてエルフやらホビットといった部品を組み上げて悲劇色を排して物語を構築していったのでしょう。
どちらかと云うとなぜか悲劇色の強く耽美的な作品を好む傾向にある日本人には少し受けが良くないかもしれません。
「ロードス島戦記」も「指輪物語」を日本人受けするように組み直す試みが原点かもしれません。
結局の所、ファンタジーの原点はご存じの通り「アーサー王」です。そして最終的には「ギルガメッシュ叙事詩」に辿り着きます。
「指輪物語」も結局の所、「ユグドラシル」のない北欧神話の世界を舞台にしているとも云え、太古から受け継がれてきた世界のオマージュの一つなのですね。
そのため、日本の異世界ファンタジーにオリジナリティーがないという訳ではなく少々乱暴ではありますが世界のファンタジー全体がオリジナリティーがないと結論付けることもできます。
オリジナリティーを言い出したらディズニーはどうなるのでしょうね。
オリジナリティーの点だけならディズニーはジブリに完敗です。
結局は古代人の作ってくれたテンプレート上で物語を構築しているだけなのですから。
文明発祥の時点を起源としている以上、完成度では例え天才が構築した世界観も1代限りでは及びようがありません。
日本の異世界ファンタジーの、おかしな点は欧米の異世界ファンタジーと異なりキリスト教的価値観が全く入っていない点です。例えば、日本人は気軽に主人公をハーレム環境に置きたがりますが欧米人は官能小説でもない限りハーレム的要素を作品に取り入れることはありません。ましてや未成年も対象にするようなものは特に。「007シリーズ」ですら一作品につきヒロインは一人です。複数のヒロインが登場することはないのです。
物語の象徴、「アーサー王」以前から、王権の象徴である「剣」が用いられてきました。それに付随する形で富と栄光の象徴である「指輪」といった装飾品が、神秘の象徴としての「聖杯」といった謎のアイテムが用いられました。
それは非常に人のロマンを刺激するという共通点があります。
天皇家が保有する三種の神器、「天叢雲剣」、「八尺瓊勾玉」、「八咫鏡」は全ての条件を満たし、流石、天皇家は日本人の総元締、「よくわかっていらっしゃる」と平伏するばかりです。
昔の子供向けのテレビアニメ、特に一世を風靡するような作品には必ず、物語の象徴とも云えるモノが必ずありました。「宇宙戦艦ヤマト」と云えば「波動砲」、「魔法使いサリー」と云えば「魔法のコンパクト」といった具合ですね。
ラピュタの「飛行石」なんかは正に王道の一言ですね。
しかも単に富や栄光、王権の象徴としてだけでなく「エクスカリバー」や「ニーベルングの指輪」が暗黙的に共通に保有している「破滅」の象徴すら所持していますから。
シンボルとしては理想的で非の打ちどころがありません。
まぁ、人気が出る作品には大抵、象徴するようなモノは存在しているのですが、「ガンダム」ぐらいからでしょうか物語の象徴とも云える存在が曖昧なものが増えてきました。
以前コラムにも取り上げられていましたが「ガンダム」は本来、象徴とすべき「ニュータイプ」が物語も佳境を迎え後半から終盤に掛けて登場したこともあり兵器としてのロボット「モビルスーツ」という唯一無二のものではなくその言葉のカテゴリーに分類される不特定多数を指すモノ、そして結局の所、「ニュータイプ」も不特定多数を示す曖昧な概念を象徴する言葉です。以降、徐々にそんな作品が増えてきました。
実は「銀河英雄伝説」なんかも結局、決定的な物語の象徴は存在していません。「イゼルローン要塞」の攻略成功から物語が動き出すことから、本来であれば「イゼルローン要塞」がその役割を担うべきなのですが主人公の2人が数ある要塞の一つとして扱った事で象徴とはなりえませんでした。「イゼルローン要塞」を「北欧神話」のヴァルハラのように派手に破壊すれば象徴となりえたかもしれませんけどね。
ラインハルトの座乗艦、「ブリュンヒルト」は旗艦と云う関係上、戦場で活躍させるわけもいきません。松本零士氏あたりなら「トールのハンマー」の同型砲を艦載砲に魔改造して北欧神話の最後に伏線どころか何の脈絡もなしに突然登場し、これまでの話の経緯も因縁も関係なしとばかりに焼き尽くす炎の巨人「スルト」が保有するとされる魔剣「レヴァーテイン」をでも付けて大活躍させ象徴化したかもしれませんが。。
その代わりと云っては何ですが「銀河英雄伝説」では「銀河の歴史」と云う言葉が象徴の代わりとなっています。唯この言葉はアニメ化された時に作られた言葉なので微妙ですが。
少し嫌な話をしますが「銀河英雄伝説」を象徴する言葉には「銀河の歴史」以外にも一つあります。それもアニメ化された時に作られた言葉とは違い作中に頻出する言葉後してです。それは「無能」という言葉です。
確かに「ラインハルト」に「無能」という言葉を言わせる事で彼自身が精神的に何かが欠けた人物であることを印象付けるには非常に効果的な言葉ではあります。
しかし日本では戦前から人間は誰にでも一つは取り柄があるという教育がされています。その為、下手をすれば「生まれてきた事」すら否定しかねないニュアンスを「無能」という言葉は含んでいます。そして「銀河英雄伝説」以前に存在する小説からは殆ど見かけないはずです。
もしかすると田中芳樹氏は日常的に言われてきた言葉なのかもしれません。
そのような勘繰りすら受ける程、現実では使いにくい言葉です。
田中芳樹氏自身、「銀河英雄伝説」以降の作品からはその言葉を使うことは少なくなりました。
しかし「銀河英雄伝説」以降、普通に作中で使用する作家さんが増えました。故佐藤大輔氏は「無能」と云う言葉は指定する範囲が広すぎるため特定の対象に限定する為か「頭の良い馬鹿」という言葉さえ作っています。
その事は「なろう」で連載されている「異世界ファンタジー」についても云えます。
やたら「バカ」という言葉が使われているのです。一人称小説の語調から設定年齢と妙に釣り合っていない主人公がこれまたあまり頭が良いとは云えない脇役と戦って勝利する事を繰り返します。
象徴が「バカ」と云うのは少し寂しいですが、主人公最強、無双の路線を進めるのであれば致し方ありません。
孫氏の云う「敵を知り己を知れば百戦危うからず」の真意は「自分よりもバカを相手にして戦えば負けない。」ですから。敵を知るのは当然として何故、己を知る必要にあるのか。その答えは「誰よりも自分自身を主観抜きに客観的に評価できなければ相手が自分よりもバカであるかわからない。」と云うモノです。
孫氏自身は外聞を気にするような性質には思えませんが流石に率直にそのまま書くには字面が悪過ぎ身も蓋もなさ過ぎて気が引けたのでしょう。
「なろう」の作家さんたちは誰に説明されるまでもなく「孫氏」の神髄を理解しているようで結構なことです。
私、個人としては所詮は「天界」「地上界」「冥界」の単純な三階層しかない欧米の世界観よりもインドや中国の世界観も取り込み更に進化させ「無色界」「色界」「欲界」というカテゴリー分けされた上に個々でさらに階層分けされた仏教の世界観で異世界ファンタジーに挑戦して貰いたいのものです。
第六天の魔王様が実は欲界の頂点に位置し実は神々の上位者なんて一神教の世界観で生きている人には想像もできない事ですから。
異世界ファンタジーの世界観以上にに何とかする必要があるのは「魔法」でしょう。「なろう」で執筆されている作家さんの多くがRPGの世界で使用されている魔法から脱却できていないのが非常に残念です。
トールキン氏の「指輪物語」。
世界的には近代ファンタジー小説の魁と評されている作品。しかし日本人のウケはあまり良くない作品。
物語は「北欧神話」、「ニーベルングの指輪」が原点。氏は「ニーベルングの指輪」があまりにも悲劇色が強いのが気に入らなかったのかもしれません。そこからキーアイテムである指輪を抽出し核としてエルフやらホビットといった部品を組み上げて悲劇色を排して物語を構築していったのでしょう。
どちらかと云うとなぜか悲劇色の強く耽美的な作品を好む傾向にある日本人には少し受けが良くないかもしれません。
「ロードス島戦記」も「指輪物語」を日本人受けするように組み直す試みが原点かもしれません。
結局の所、ファンタジーの原点はご存じの通り「アーサー王」です。そして最終的には「ギルガメッシュ叙事詩」に辿り着きます。
「指輪物語」も結局の所、「ユグドラシル」のない北欧神話の世界を舞台にしているとも云え、太古から受け継がれてきた世界のオマージュの一つなのですね。
そのため、日本の異世界ファンタジーにオリジナリティーがないという訳ではなく少々乱暴ではありますが世界のファンタジー全体がオリジナリティーがないと結論付けることもできます。
オリジナリティーを言い出したらディズニーはどうなるのでしょうね。
オリジナリティーの点だけならディズニーはジブリに完敗です。
結局は古代人の作ってくれたテンプレート上で物語を構築しているだけなのですから。
文明発祥の時点を起源としている以上、完成度では例え天才が構築した世界観も1代限りでは及びようがありません。
日本の異世界ファンタジーの、おかしな点は欧米の異世界ファンタジーと異なりキリスト教的価値観が全く入っていない点です。例えば、日本人は気軽に主人公をハーレム環境に置きたがりますが欧米人は官能小説でもない限りハーレム的要素を作品に取り入れることはありません。ましてや未成年も対象にするようなものは特に。「007シリーズ」ですら一作品につきヒロインは一人です。複数のヒロインが登場することはないのです。
物語の象徴、「アーサー王」以前から、王権の象徴である「剣」が用いられてきました。それに付随する形で富と栄光の象徴である「指輪」といった装飾品が、神秘の象徴としての「聖杯」といった謎のアイテムが用いられました。
それは非常に人のロマンを刺激するという共通点があります。
天皇家が保有する三種の神器、「天叢雲剣」、「八尺瓊勾玉」、「八咫鏡」は全ての条件を満たし、流石、天皇家は日本人の総元締、「よくわかっていらっしゃる」と平伏するばかりです。
昔の子供向けのテレビアニメ、特に一世を風靡するような作品には必ず、物語の象徴とも云えるモノが必ずありました。「宇宙戦艦ヤマト」と云えば「波動砲」、「魔法使いサリー」と云えば「魔法のコンパクト」といった具合ですね。
ラピュタの「飛行石」なんかは正に王道の一言ですね。
しかも単に富や栄光、王権の象徴としてだけでなく「エクスカリバー」や「ニーベルングの指輪」が暗黙的に共通に保有している「破滅」の象徴すら所持していますから。
シンボルとしては理想的で非の打ちどころがありません。
まぁ、人気が出る作品には大抵、象徴するようなモノは存在しているのですが、「ガンダム」ぐらいからでしょうか物語の象徴とも云える存在が曖昧なものが増えてきました。
以前コラムにも取り上げられていましたが「ガンダム」は本来、象徴とすべき「ニュータイプ」が物語も佳境を迎え後半から終盤に掛けて登場したこともあり兵器としてのロボット「モビルスーツ」という唯一無二のものではなくその言葉のカテゴリーに分類される不特定多数を指すモノ、そして結局の所、「ニュータイプ」も不特定多数を示す曖昧な概念を象徴する言葉です。以降、徐々にそんな作品が増えてきました。
実は「銀河英雄伝説」なんかも結局、決定的な物語の象徴は存在していません。「イゼルローン要塞」の攻略成功から物語が動き出すことから、本来であれば「イゼルローン要塞」がその役割を担うべきなのですが主人公の2人が数ある要塞の一つとして扱った事で象徴とはなりえませんでした。「イゼルローン要塞」を「北欧神話」のヴァルハラのように派手に破壊すれば象徴となりえたかもしれませんけどね。
ラインハルトの座乗艦、「ブリュンヒルト」は旗艦と云う関係上、戦場で活躍させるわけもいきません。松本零士氏あたりなら「トールのハンマー」の同型砲を艦載砲に魔改造して北欧神話の最後に伏線どころか何の脈絡もなしに突然登場し、これまでの話の経緯も因縁も関係なしとばかりに焼き尽くす炎の巨人「スルト」が保有するとされる魔剣「レヴァーテイン」をでも付けて大活躍させ象徴化したかもしれませんが。。
その代わりと云っては何ですが「銀河英雄伝説」では「銀河の歴史」と云う言葉が象徴の代わりとなっています。唯この言葉はアニメ化された時に作られた言葉なので微妙ですが。
少し嫌な話をしますが「銀河英雄伝説」を象徴する言葉には「銀河の歴史」以外にも一つあります。それもアニメ化された時に作られた言葉とは違い作中に頻出する言葉後してです。それは「無能」という言葉です。
確かに「ラインハルト」に「無能」という言葉を言わせる事で彼自身が精神的に何かが欠けた人物であることを印象付けるには非常に効果的な言葉ではあります。
しかし日本では戦前から人間は誰にでも一つは取り柄があるという教育がされています。その為、下手をすれば「生まれてきた事」すら否定しかねないニュアンスを「無能」という言葉は含んでいます。そして「銀河英雄伝説」以前に存在する小説からは殆ど見かけないはずです。
もしかすると田中芳樹氏は日常的に言われてきた言葉なのかもしれません。
そのような勘繰りすら受ける程、現実では使いにくい言葉です。
田中芳樹氏自身、「銀河英雄伝説」以降の作品からはその言葉を使うことは少なくなりました。
しかし「銀河英雄伝説」以降、普通に作中で使用する作家さんが増えました。故佐藤大輔氏は「無能」と云う言葉は指定する範囲が広すぎるため特定の対象に限定する為か「頭の良い馬鹿」という言葉さえ作っています。
その事は「なろう」で連載されている「異世界ファンタジー」についても云えます。
やたら「バカ」という言葉が使われているのです。一人称小説の語調から設定年齢と妙に釣り合っていない主人公がこれまたあまり頭が良いとは云えない脇役と戦って勝利する事を繰り返します。
象徴が「バカ」と云うのは少し寂しいですが、主人公最強、無双の路線を進めるのであれば致し方ありません。
孫氏の云う「敵を知り己を知れば百戦危うからず」の真意は「自分よりもバカを相手にして戦えば負けない。」ですから。敵を知るのは当然として何故、己を知る必要にあるのか。その答えは「誰よりも自分自身を主観抜きに客観的に評価できなければ相手が自分よりもバカであるかわからない。」と云うモノです。
孫氏自身は外聞を気にするような性質には思えませんが流石に率直にそのまま書くには字面が悪過ぎ身も蓋もなさ過ぎて気が引けたのでしょう。
「なろう」の作家さんたちは誰に説明されるまでもなく「孫氏」の神髄を理解しているようで結構なことです。
私、個人としては所詮は「天界」「地上界」「冥界」の単純な三階層しかない欧米の世界観よりもインドや中国の世界観も取り込み更に進化させ「無色界」「色界」「欲界」というカテゴリー分けされた上に個々でさらに階層分けされた仏教の世界観で異世界ファンタジーに挑戦して貰いたいのものです。
第六天の魔王様が実は欲界の頂点に位置し実は神々の上位者なんて一神教の世界観で生きている人には想像もできない事ですから。
異世界ファンタジーの世界観以上にに何とかする必要があるのは「魔法」でしょう。「なろう」で執筆されている作家さんの多くがRPGの世界で使用されている魔法から脱却できていないのが非常に残念です。
くろの介様、お久しぶりですね。ここのところ過去投稿ぶんの整理をしていたので、あまりお話になる内容がなかったせいでもありますね。
『アーサー王伝説』はブリテンの土着宗教『ケルト神話』を下敷きに、キリスト教的倫理観を混ぜた「騎士」という存在を生み出した功績が大ですね。おそらく『アーサー王伝説』の前に騎士はいなかったと思います。『ギリシャ・ローマ神話』でも勇者は登場しますが騎士は出てきませんからね。
後に十字軍が編成されますが、それまではヨーロッパに騎士はいなかったのではないでしょうか。
なにがしか宗教などのバックボーンがなければ騎士が仕える意義がなかったのかもしれませんね。
日本も仏教や神道に従事する僧兵や武士などを生み出しました。
騎士にしろ僧兵にしろ武士にしろ。宗教こそが「象徴するもの」だったのでしょう。
『STAR WARS』のジェダイの騎士も、フォースの存在を信じる「信徒」の側面もありましたし。
ディズニーに関しては、おそらくウォルト・ディズニー氏はひじょうに創作意欲のある気骨あふれる人だったと思います。彼の資産を管理する財団が、新しい作品を作って儲けようとするも、ウォルト・ディズニー氏のような才覚もなく、よその国の物語をパクって作品を作っては著作権を主張する悪辣ぶりです。
手塚治虫氏はウォルト・ディズニー氏の心の弟子だったのかもしれません。ウォルト・ディズニー氏が子どもたちに託した思いを、アメリカ人よりも忠実に継承したように感じられます。だからこそ『ジャングル大帝』がパクられて『ライオン・キング』が制作されても、ディズニー社側はオリジナルだと強弁したのかもしれません。
スタジオジブリは宮崎駿氏の初期作はオリジナリティーがあったのですが、『火垂るの墓』『耳をすませば』『海がきこえる』など、原作を借りてきて映画化するディズニー社の悪いところを真似てしまった。宮崎吾朗氏の『ゲド戦記』なんて原作者がまったくの別物と言い切るくらいひどい有様でした。そんな体たらくを見せられたら、七度引退宣言した宮崎駿氏が、七度復帰する事態を招くのでしょう。
『銀河英雄伝説』を「象徴するもの」を探すのは難しいですね。ブリュンヒルトは新型艦なのでレーザーコーティングなども施されて防御力が高かった。だから弐番艦がナイトハルト・ミュラーに下賜されたのでしょうけど。無傷のブリュンヒルト唯一の傷であるユリアン特攻によって物語の主人公交代を印象づける役割は果たしましたね。でも物語はそこで終わらず、フェザーンで地球教残党の掃滅をもって物語が終わった。考えてみれば、序盤でジェシカ・エドワーズを襲った憂国騎士団も地球教の手先でしたからね。そういう意味では「地球教」を「象徴するもの」とする向きもありそうです。
人にはひとつでも取り柄はある。この思想は文学では顕著で、芥川龍之介『蜘蛛の糸』でも極悪人カンダタが生涯唯一の善行である蜘蛛を助けたものが因果で天国に行けるチャンスを手にしたんですよね。
『小説家になろう』の書き手とくにトップランカーは主人公最強、無双、チートなど「結局主人公がいちばん強い」と規定して、読み手に「爽快感を味わえますよ」とアピールしているにすぎないのでしょう。普通なら知識が世界一とか武術が世界一とか料理が世界一とか、その分野の世界一を書くにふさわしい経験が書き手にあればよいのでしょう。『小説家になろう』の書き手さんたちは、あくまでも妄想上での「主人公最強」なので、主人公を高めるよりも、その他を低めるほうを選んでいるのが残念ですね。
たとえばタイムスリップもので織田信長に桶狭間の戦いを進言する主人公がいてもよいはずです。それがどんなに困難な状況でも、策を用いて一発逆転するから面白いのだと思います。問題は書き手に兵法の心得がない点です。兵法家はカッコいいとだけしか見ておらず、実現不可能な策を提起するのです。大河ドラマの『軍師官兵衛』なんかも兵法家カッコいいだけで作られたように見えます。軍師を主人公にするなら、その軍師に匹敵する兵法家になるくらい勉強してこい、と言いたいところです。
おっしゃるとおり天界、地上界、冥界の三層はギリシャ・ローマ神話からつながる欧米の思想そのものですね。キリスト教だってデウスと言いながらギリシャ神話を下敷きにしているわけですから。デウスの子、神の子イエスの世界観としてギリシャ・ローマ神話が選ばれたのでしょう。
ユグドラシルがあっても三層構造の『北欧神話』もありますけど。まぁ北欧神話は一層の中に三つの世界が混在しているのでキリスト教よりも多様性に富んでいますが。だからこそ『指輪物語』などの舞台「中つ国」は『北欧神話』をベースにしたのでしょうね。
「六道輪廻」の世界観で小説が書けたら、アジア地域で人気が出そうですね。ギリシャ神話ベースの『聖闘士星矢』が欧米でウケたように、アジアウケするかもしれない。まぁ『天空戦記シュラト』という仏教ベースの『星矢』ものアニメもあったのですが。日本人にはあまりウケませんでしたね。
どうも日本人は宗教を物語にされても受け入れられない面があります。もともと無宗教が多いからか、宗教に嫌悪感すら覚えている。にもかかわらず、生まれたら神道で名前が決まり、成長したら七五三。合格祈願で神社やお寺詣でをし、結構はキリスト教、断食はイスラム教、死んだら仏教ですから、ある意味無節操さは世界一です。だから欧米人が思いもつかない物語が生まれるのかもしれませんが。
「異世界ファンタジー」で「魔法」はなんとかしたほうがいいですね。「魔法」を「超能力」に置き換えた「現実世界ファンタジー」はあるのですが、「異世界ファンタジー」ではあまり見かけないんですよね。
なぜかどの世界にもマナがあり、神への祈りで奇跡が起こる。それこそ『D&D』の魔法がそのまま使われている作品すらあります。まぁマンガの萩原一至氏『BASTARD!』なんかもそのまま使ったら担当編集さんが土下座する事態に陥ったのですが。それでもライトノベルでは『D&D』『ソード・ワールド』あたりの魔法が幅を利かせているんですよね。
これは早急になんとかしなければならない課題ですね。
魔法についてコラムで一項設けたいと思います。
またお気づきの点がございましたら、遠慮なくコメントやメッセージ、感想をお寄せいただければと存じます。
カイ.アルザードSSTMより
『アーサー王伝説』はブリテンの土着宗教『ケルト神話』を下敷きに、キリスト教的倫理観を混ぜた「騎士」という存在を生み出した功績が大ですね。おそらく『アーサー王伝説』の前に騎士はいなかったと思います。『ギリシャ・ローマ神話』でも勇者は登場しますが騎士は出てきませんからね。
後に十字軍が編成されますが、それまではヨーロッパに騎士はいなかったのではないでしょうか。
なにがしか宗教などのバックボーンがなければ騎士が仕える意義がなかったのかもしれませんね。
日本も仏教や神道に従事する僧兵や武士などを生み出しました。
騎士にしろ僧兵にしろ武士にしろ。宗教こそが「象徴するもの」だったのでしょう。
『STAR WARS』のジェダイの騎士も、フォースの存在を信じる「信徒」の側面もありましたし。
ディズニーに関しては、おそらくウォルト・ディズニー氏はひじょうに創作意欲のある気骨あふれる人だったと思います。彼の資産を管理する財団が、新しい作品を作って儲けようとするも、ウォルト・ディズニー氏のような才覚もなく、よその国の物語をパクって作品を作っては著作権を主張する悪辣ぶりです。
手塚治虫氏はウォルト・ディズニー氏の心の弟子だったのかもしれません。ウォルト・ディズニー氏が子どもたちに託した思いを、アメリカ人よりも忠実に継承したように感じられます。だからこそ『ジャングル大帝』がパクられて『ライオン・キング』が制作されても、ディズニー社側はオリジナルだと強弁したのかもしれません。
スタジオジブリは宮崎駿氏の初期作はオリジナリティーがあったのですが、『火垂るの墓』『耳をすませば』『海がきこえる』など、原作を借りてきて映画化するディズニー社の悪いところを真似てしまった。宮崎吾朗氏の『ゲド戦記』なんて原作者がまったくの別物と言い切るくらいひどい有様でした。そんな体たらくを見せられたら、七度引退宣言した宮崎駿氏が、七度復帰する事態を招くのでしょう。
『銀河英雄伝説』を「象徴するもの」を探すのは難しいですね。ブリュンヒルトは新型艦なのでレーザーコーティングなども施されて防御力が高かった。だから弐番艦がナイトハルト・ミュラーに下賜されたのでしょうけど。無傷のブリュンヒルト唯一の傷であるユリアン特攻によって物語の主人公交代を印象づける役割は果たしましたね。でも物語はそこで終わらず、フェザーンで地球教残党の掃滅をもって物語が終わった。考えてみれば、序盤でジェシカ・エドワーズを襲った憂国騎士団も地球教の手先でしたからね。そういう意味では「地球教」を「象徴するもの」とする向きもありそうです。
人にはひとつでも取り柄はある。この思想は文学では顕著で、芥川龍之介『蜘蛛の糸』でも極悪人カンダタが生涯唯一の善行である蜘蛛を助けたものが因果で天国に行けるチャンスを手にしたんですよね。
『小説家になろう』の書き手とくにトップランカーは主人公最強、無双、チートなど「結局主人公がいちばん強い」と規定して、読み手に「爽快感を味わえますよ」とアピールしているにすぎないのでしょう。普通なら知識が世界一とか武術が世界一とか料理が世界一とか、その分野の世界一を書くにふさわしい経験が書き手にあればよいのでしょう。『小説家になろう』の書き手さんたちは、あくまでも妄想上での「主人公最強」なので、主人公を高めるよりも、その他を低めるほうを選んでいるのが残念ですね。
たとえばタイムスリップもので織田信長に桶狭間の戦いを進言する主人公がいてもよいはずです。それがどんなに困難な状況でも、策を用いて一発逆転するから面白いのだと思います。問題は書き手に兵法の心得がない点です。兵法家はカッコいいとだけしか見ておらず、実現不可能な策を提起するのです。大河ドラマの『軍師官兵衛』なんかも兵法家カッコいいだけで作られたように見えます。軍師を主人公にするなら、その軍師に匹敵する兵法家になるくらい勉強してこい、と言いたいところです。
おっしゃるとおり天界、地上界、冥界の三層はギリシャ・ローマ神話からつながる欧米の思想そのものですね。キリスト教だってデウスと言いながらギリシャ神話を下敷きにしているわけですから。デウスの子、神の子イエスの世界観としてギリシャ・ローマ神話が選ばれたのでしょう。
ユグドラシルがあっても三層構造の『北欧神話』もありますけど。まぁ北欧神話は一層の中に三つの世界が混在しているのでキリスト教よりも多様性に富んでいますが。だからこそ『指輪物語』などの舞台「中つ国」は『北欧神話』をベースにしたのでしょうね。
「六道輪廻」の世界観で小説が書けたら、アジア地域で人気が出そうですね。ギリシャ神話ベースの『聖闘士星矢』が欧米でウケたように、アジアウケするかもしれない。まぁ『天空戦記シュラト』という仏教ベースの『星矢』ものアニメもあったのですが。日本人にはあまりウケませんでしたね。
どうも日本人は宗教を物語にされても受け入れられない面があります。もともと無宗教が多いからか、宗教に嫌悪感すら覚えている。にもかかわらず、生まれたら神道で名前が決まり、成長したら七五三。合格祈願で神社やお寺詣でをし、結構はキリスト教、断食はイスラム教、死んだら仏教ですから、ある意味無節操さは世界一です。だから欧米人が思いもつかない物語が生まれるのかもしれませんが。
「異世界ファンタジー」で「魔法」はなんとかしたほうがいいですね。「魔法」を「超能力」に置き換えた「現実世界ファンタジー」はあるのですが、「異世界ファンタジー」ではあまり見かけないんですよね。
なぜかどの世界にもマナがあり、神への祈りで奇跡が起こる。それこそ『D&D』の魔法がそのまま使われている作品すらあります。まぁマンガの萩原一至氏『BASTARD!』なんかもそのまま使ったら担当編集さんが土下座する事態に陥ったのですが。それでもライトノベルでは『D&D』『ソード・ワールド』あたりの魔法が幅を利かせているんですよね。
これは早急になんとかしなければならない課題ですね。
魔法についてコラムで一項設けたいと思います。
またお気づきの点がございましたら、遠慮なくコメントやメッセージ、感想をお寄せいただければと存じます。
カイ.アルザードSSTMより
- カイ.智水
- 2021年 02月21日 13時49分
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