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[一言]
どもです。

没ネタ供養:
幸い花粉症はないのですが、辛いらしいですね。こればっかりは対処が難しいようなので。

ところで、ティッシュですが、ご存知かもしれませんが小ネタを。
江戸末期のヨーロッパに行った使節団ですが、日用品ですから当然ちり紙も持っていきました。
それで、そういう使い方をするものですから、当然懐から取り出して鼻をかんでポイ。
これがあちらの人には驚きだったようです。
まず、薄い紙にびっくり。
持ち歩いてるのにびっくり。
ポイにびっくり。
なんでも、拾ってもう一度驚いていた人もいたとか。
厚い紙はなんとかあったんですが。
ポイがやはり一番の衝撃だったらしいです。

ティッシュを作るのに適した植物を見つけたが、それが花粉症の元だったりしてもおもしろかもですね。
  • 投稿者: 宮沢弘
  • 2016年 03月18日 20時18分
宮沢弘様 いつもコメントありがとうございます。

>チリ紙

そういえば、見なくなりました。私が小さい頃はまだトイレットペーパーじゃなくって、チリ紙使っていたのになあ(年がばれます)

江戸期の古紙再生技術とか(回収業もふくめて)ってすごいですよねえ。
パリ万博のカンナくずの薄さとか、浮世絵を梱包に無造作に使ったりとか、日本人はゴミで西洋人をびっくりさせるエピソードがかなり多いですね。


>ティッシュを作るのに適した植物を見つけたが、それが花粉症の元

うわっ。それは、泣けますね。
面白いですけども。
[一言]
カクヨムは読者をまったく募集しませんでした。そのためなのか、読専にはとにかく使いづらい。

読者を募集しなかったことの弊害が出ているような感じですね。
運営は作者同士が善き読者として機能して欲しかったんでしょうが、なろうに鬱屈していた底辺作家の承認欲求を少し甘くみていたんじゃないでしょうか。
そこへ分野別のコンテストが油を注いで、狂乱を招いてしまったようにおもいます。

私はレーベルページが公式に発表されて、強い懸念を持ちました。仮にもプロ作家の作品が読める状態で、アマチュアの作品に手を伸ばすんだろうか?という疑念です。実際にカクヨムが開いてみたら、栞はないし、検索機能も、ブックマークもない。

読専としては静観。
公式レーベルページをゆっくり読みながら、少しずつ投稿作品を探しはじめたところです。

もっとも、なろうにだってまだ見ぬ良い作品はあるだろうし、私には一般書籍の積ん読が今でも100冊近くある…それなのに、昨日も3冊、今日も1冊買ってしまった。

そういえば、Twitterで百田尚樹さんの「カエルの楽園」が面白いって、流れてきたので、私一人がベストセラーを読まなくてもいいよね、的なことをつぶやいたら、百田尚樹さん本人から、縁があったら、お願いしますとリプライがありました。ベストセラー作家でも私みたいなもんに気遣って、大変だなぁと思います。本が売れない時代ですから。

ジャンルは作者の良心に任せるしか無いですし、なろうの現状からみても、変化があるのは2年位かかると思います。

私もなろうではSFを読んだ記憶がないですね。
スペオペですか。
私は作家で読んでますので、結構偏ってます。ハインラインは読んでいるのに、アシモフは一冊もないとか。ディックもヴォネガットもル=グィンも全部読んでるのに…ブラッドベリやティプトリーも全部読んでますね。
昨年末にハヤカワ文庫SF総解説2000という本が出たのですが…今、それを見ながら書いてるんです…読んだことがあるのは、本の半分より後ろに集中していますね。

  • 投稿者: Pero Perić
  • 2016年 03月17日 23時24分
橘高 湶さま コメントありがとうございます。

>カクヨム

私はオープン当日登録したミーハーでございますが(苦笑)読みにくさに閉口しました。読み専系の知人も、そうだったようです。
読者がいないのは、自作のPVで実感しております。今見てきたら累計PV13。
本当、致命傷だと思います。
いや、確かにつまんない作品ですけどね。
しかし……なろうなら登録当日に、これくらいのPV、新規でも稼げるのではないかなあと。(その後は全く見られないかもしれないけど)



コンテスト狙い登録ならありですが、『今より読まれたい』と思っては、読者の絶対数が少ない現状では、『なろう』で努力した方が効果があると、私は感じております。

最近、乱歩の版権が切れたので『青空文庫』で読めると、先日、こちらで知り合った方に教えていただきました。
乱歩が青空で無料……正直、無料とはいえ、素人小説を読む理由を見つけられなくなり、書き手として茫然と空を仰ぐ心境でございます。

ツイッターで作者さま本人と交流……すごいですねえ。
でも、たいへんだなあと。
ツイッターで疲れちゃう作家さんもいらっしゃるみたいで……つながることの良し悪しも、あるようで。
始めてしまうと、執筆の時間が取れなくなりそうな気がするので、やっておりませんが。

SFは、私は本当に、野田昌弘大元帥を尊敬しているただのスペオペ好きなファンなので、あまり胸を張ってSFファンとは言えないですね。

アシモフは科学エッセイを一番読んだかな?
(ファウンデーションは途中までしか読んでない)

ブラッドベリとかハミルトンが一番好きなひとですから、いわゆる本流から遠く離れた読者です(苦笑)

うちの旦那は、ディックとか好きで、ほぼハードSF派ですが、なぜか、あの『ローダン』を持っております。
ちなみに、旦那は私が『闇の左手』を持っていたことに一番驚いたらしいです(なんか失礼な奴)
[一言]
さっそくどもです。

カクヨムさんは、なんというかUIに一貫性がないんのが気になります。ブラウザ上であんなふうに書くUIとしてはむしろ後発組なのに、先行しているサービスのいいところが反映されてないところが気になります。
ランキングとかが話題になっているようですが、個人的には技術系としてそっちの方が気になります(笑。

ジャンル再編成について:
私もちょっと書きましたが。
「恋愛」-「異世界」ってユーザにどう解釈されるのかなぁと思います。
「乙女ゲーム」がおすすめキーワードになっており、これがキーワードに含まれると「恋愛」-「異世界」になってしまうかもしれないそうです。(相反するおすすめキーワードを書いたらどうなるんだろうという疑問はありますが。)
ここで思うのが「乙女ゲームだけ?」ということです。いわゆる転生ではなくても、戦闘系VRMMOで恋愛してたら、どういう解釈になるのかとか。

指輪は化物なので、アレ基準で考えるのもどうかという気もします。ファンタジーの極地として、旗として立ってるみたいな感じでいいんじゃないかと。

あと幻魔大戦ですが、年代が年代なので、現在のなろうのSFの書き手に直接影響を与えているとは考えにくいとも思うのです。
それでも似た匂いというか味はするので、どっかでつながっているのだろうとは思いますが。
ただ、問題は、現代のSFは(というか現代に限らないのですが)、文体は平易であるにもかかわらず、なろうなどでのSFは文体が面倒になっているということです。なぜこんなことが起こるのか。簡単な答えは、なろうのSFの書き手はSFを実は読んでいない、というものですが。それってありえなくね?と思いますし。
あとちょっと資料を見てみたのですが、SFは平易な文体で書かれ、なおかつ結構漢字も開いているのですが、いうならパルプ系は文体が面倒で、漢字も満載という傾向があるかもしれないと気づきました。
それでも、パルプ系って今に繋がるのか?という同じ疑問が残るのですが。
  • 投稿者: 宮沢弘
  • 2016年 03月17日 18時51分
宮沢弘様 いつもコメントありがとうございます。

戦闘系というのは、アクションに入れるのか、世界感に依存するのか、もう、これも感覚でしかないのかなと。
戦闘系VRMMOで恋愛 は、アクション、SF、恋愛の3ジャンル候補があるわけですが、何が主か、作者が判断するしかないってことじゃないかと。

幻魔大戦に関係なく……文体が平易でない理由は少し、心当たりがなくもなく。

いわゆるマニア層の小説というのは、『平易』にする努力より、『難解』にする努力こそ尊ぶ傾向があります。

ほかっておくと、漢字が増えたり、普段絶対使わない比喩とか熟語とか使いたがる、これ、マニアな傾向であります。
昔、同人誌にすごくよく見られた現象です。
何か考察のご参考になれば。
[一言]
どもです。

SFの小難しさについてですが。
>SFで読みにくいのは、専門用語のせいもありますが、

これはなかなか避けにくいものかと思います。ただ、これによって概念の把握に少し難しさが出たとしても、文体としての小難しさとは違うように思います。

>素人の場合は翻訳ものに慣れきってしまっている面もあるかなあと。

翻訳も翻訳のうまい下手はありますが、なろうSFの小難しさとは質が違うように思えます。

なろうSFの小難しさと同じ質の古いものを考えると、幻魔大戦を思い出します。
仮に実際にそれらが同質だとすると、なろうSFは1970年代前後のSFを参照モデルとしているのかもしれません。
主人公とかが不思議な力で(VRMMOでも同じく)活躍という形も共通するのかもしれません。もっともこちらについては菊池秀行の影響も見えるのかもしれません。
これらが成り立つとするなら、つまりは「なろうSFは古く偏っている」と言えるのかもしれません。

当時だって御三家はわかりやすい表現をしていたのですが……
  • 投稿者: 宮沢弘
  • 2016年 03月16日 15時52分
宮沢弘様 いつもコメントありがとうございます。

実は私、なろうではSF読んだことがほぼないです。
申し訳ございませんっ!

なんでしょう、私、スペオペ好きなんですが、なろうで古典風のスペオペ探すのが大変でして。

菊池秀行先生は文章は難解ではありませんが、時々構成が難解な作品があるように思います。(大ファンではありますが!)
平井和正先生の『幻魔大戦』。うーん、未だにそれほど影響があるのですか。
確かに、あれより後にあれ程のスケールの超能力もので大ヒット作品ってありませんからねえ。

[一言]
どもです。

笑い:
コメディーについても、どういう方向のものかは見ておいた方がいいかと思います。
コメディーは実のところ内部にいろいろなものがあり、コメディーとだけまとめてしまうのも実は難しいかと思います。項目だけでよければwikipediaのコメディーの項でだいたい一覧できます。ジャンルというか舞台とかではない、性質のようなものだとファルス、スラップスティック、スケッチあたりがあるかと思いますが、これでも方向がかなり違います。これらに対してさらに色とか味とかがつくのでちょっと面倒です。
ファルス、スラップスティック、スケッチ以外にホームコメディやラブコメなどもありますが、これはスケッチに対するシチュエーションにおいて、そのさらに細分化したものかなと思います。スケッチとシチュエーションが混ざったものもありますが。

橘高 湶さまの感想への秋月 忍によるコメントに対する感想という面倒な話になりますが。

>実はSFとかのほうが、小難しい文章は多いように思われますね。

なろうでのSFを読むと、そうかなと思います。
おそらく「SFの文体はこういうもの」というイメージがあって書かれているのだろうと思います。
商業作家で面倒な文体を書く人もいないわけではありませんが、では、「SFの文体はそういうもの」なのかと言われると、実はそんなことなかったりします。
そのような文体はイメージ先行で、もしかしたらなろうにおいて形作られたものかもしれません。
加えていうなら、古いSFの文体には共通する面があります。すると、それらが現在のなろうのSFの文体にどういう影響を与えているのかなど、きちんと分析すると面白いのかもしれません(面倒くさいですが)。あるいは、なろうのSFだけでなく、SF人以外がSFにどういうイメージを持っているのかの手がかりになるかもしれません。

  • 投稿者: 宮沢弘
  • 2016年 03月15日 14時30分
宮沢弘様いつもコメントありがとうございます。

コメディはたしかに勉強はしてないかもです。ダメですね。

SFで読みにくいのは、専門用語のせいもありますが、素人の場合は翻訳ものに慣れきってしまっている面もあるかなあと。翻訳は上手い人は上手いけど、変わった言い回しの日本語もあり、原文にクセがあると 非常に読みにくいものになる気がします。ブラッドベリの小説は本当にそんな気がします。
[一言]
好きと書けるは別ですね。
読書は好きですが、書くのは……ね。

ライトノベルは、あまり詳しくないのですが、確かにWeb小説は、ほんのりコメディよりのほうが読むにはいいですね。

一般小説やSFでも、難しい教養よりの文体より、気軽な文体がいいですね。大上段に構えるより、ほんの小さなことを大切にする小説のほうが好きです。津村記久子とか、柴崎友香とか、西加奈子とか。
  • 投稿者: Pero Perić
  • 2016年 03月14日 23時00分
橘高 湶さま コメントありがとうございます。

>Web小説は、ほんのりコメディ

そうなんですよね。自分が読むのも、けっこうコミカルもしくは、ほのぼのした作品が多く……自分の作風、違うじゃん的な(苦笑)
郷に入っては郷に従う主義ですが、なかなか、自分にないものは書けません(泣)

>難しい教養よりの文体より、気軽な文体

そうですね。思うに、大衆小説の大御所というのは、意外と気軽な文体が多いです。松本清張先生なんかも、内容は社会派でも、文章はさらっとしています。
実はSFとかのほうが、小難しい文章は多いように思われますね。

すみません。作家さん。西加奈子さんだけお名前を辛うじて知っておりましたが全員未読です。女性作家作品、ホント弱いです。

というか最近、本、読んでないかも……

[一言]
どもです。

>私の場合、ファンタジーもそんな風に思えます。

ファンタジーも確かに。ミドル・アースとアース・シーやナルニアあたりが有名だと思いますが、共通点と言われても結構困る。ナルニアはフェアリーテイルに近いのかもしれませんが。
おそらく、どのジャンルも同じように個別の作品の集まりだろうと思います。
ファンタジーは魔法、SFは科学技術がキーワードになるのかもしれませんが、キーワードになりそうなものがあることで、それに引っ張られて中身が見えにくくなっているのかもしれません。
  • 投稿者: 宮沢弘
  • 2016年 03月13日 17時25分
宮沢弘様 いつもコメントありがとうございます。

>共通点

うーん。まあ、ないでしょうね。

そもそも世界構築が本来ファンタジーの醍醐味ですから、ない方が正しいと思います。
まあ、あんまり独自性が強いと、作者の力量によっては読みたくない難解さにつながりますが。
[一言]
どもです。

持ち込み品:
持ち込み品、持ち込み知識は難しいですね。

夏への扉は、あれって戻ってきたときからはチートですかね。

SFのタイムトラベルものだと、"REPLAY"という作があります。これは過程は変わっても結果はかわらないというタイプのものでしたが。
このあたり、ある程度の過程、ある程度の結果、そして結果以降の未来が変わるのかどうかという見方ができるのかもしれません。

現在、「過去へのタイムトラベルができたとしても、その時点から別の時間軸」という仮説が物理においてあります。これで、「なら好き勝手する」かどうかも難しい問題かもしれません。どうあがいても元の時間軸には戻れないので、好き勝手をしていいという人もいるでしょうし、そうでない人もいるかと思います。

また、持ち込み知識はなおさらやっかいで、行った先でちょっとメモった知識が、どれほどの影響を及ぼすのかわからないという怖さがあります。メモの一枚が、メモが残されてから数十年後、数百年後にどんな影響を及ぼすのか。科学技術が「あと一歩」となった時に、そのメモによって「あと一歩」に必要な十年や数十年がひとっ飛びになったりするかもしれません。すると、ひとっ飛びをもたらした「そのメモはどこから来たのか」というネタもあるかと思います。個人的には「そのメモはどこから来たのか」という感じは好きです。

ロボットものの感想がありますが、便乗して。
SF人は、結構「個別の作品にSF感を感じるか」という見方をするのではないかと思います。こういう要素があるから、誰が書いたからSFだという見方はしないのではないかと。この点が、他のジャンルを愛好されている方からすればSFというジャンルのわかりにくさの要素なのかもしれません。

  • 投稿者: 宮沢弘
  • 2016年 03月13日 16時19分
宮沢弘様 いつもコメントありがとうございます。

>持ち込み知識はなおさらやっかいで

そうなんですよね。
なろうファンタジーの持ち込み知識、SFファン的には、結構脅威であります(笑)
まあ、SF的に考えてはいけないことなのでしょうが。

>個別の作品にSF感

何となく納得ですが。
私の場合、ファンタジーもそんな風に思えます。
(いや、好きな作家がSFもファンタジーも書いているという点がありますが)

>夏への扉

どう見ても元祖チートですね!
カミサマが与えてないケド、俺は天才思考(苦笑)
ハインラインは、なんとなくチート系ヒーローな気がします。
[一言]
異世界転移を歴史的観点で見ますと。

そもそも、人一人、突然に現れる訳です。

人一人分の質量増加、酸素消費に二酸化炭素増加、食料消費、さらにはまったく新しい遺伝子(笑)…等々。

ほんの些細なことのようですが、本来なら有り得ない変化が起きる訳です。

バタフライ効果を考えれば、百年後、千年後、一万年後。

惑星レベル、場合によっては宇宙レベルの変化になっているかもですね(笑)

  • 投稿者: 綾小路
  • 2016年 03月12日 20時13分
綾小路さまコメントありがとうございます。

異世界転移でバタフライ効果。ちょっと怖いです。

召喚系の場合は、意図した世界変革かも?

[一言]
持ち込み品って微妙ですよね。
SFの場合だと、けっこう条件付けがあります。ファンタジーでもあるかな。
かなり前のハヤカワファンタジー文庫でディ・キャンプ&プラット「ハロルド・シェイ」シリーズというものがありました。これなんかは、持てるものに限定した形で物語の世界に転移できました…広い意味でのSSの走りです…論理方程式を使うんですけど、数字や記号を意味を持たせることによって、物語世界へ転移できるんですが、主人公が持っていた(たまたま持っていた)マッチとかは使用できなかったような記憶があります。そこが物語の肝だったような記憶。

コニー・ウィリスのドゥームズデイ・ブックでは、タイムトラベル技術が確立されたものの限られた学術研究にのみ、解放されていて、そのため、歴史改変に関わるあらゆるものの持ち込みが禁止されるとかの縛りがあります。

SFやファンタジーのタイムスリップものはそのような制約がストレスになり、物語が喜劇になったり、悲劇になったりするわけですよね。

なろうやライトノベルは、その制約が緩いですが、コニー・ウィリスのドゥームズデイ・ブックもそうですが、歴史改変は物語の綾というか、狂言回しというか、舞台装置であって、物語の主とすることは、別だと思います。

SF的にいえば、「センス・オブ・ワンダーがあるか」だと思います。

また聞きなので、詳細は知りませんが、ガンダムが登場したころ、SF作家の方が「しょせん、ロボットアニメじゃないか、SFとは認めない」と批判したということがあったそうですが、エヴァンゲリオン、パトレイバーを経た現在、ガンダムを「SFではない」と批評する人はいないんじゃないでしょうか?

ちなみにコニー・ウィリスのドゥームズデイ・ブック(ハヤカワSF文庫)はおすすめです。私は、とても感動しました。泣けるSFです。私は大泣きしました。
  • 投稿者: Pero Perić
  • 2016年 03月12日 17時51分
橘高 湶さま いつもコメントありがとうございます。

>制約がストレスになり、物語が喜劇になったり、悲劇になったりするわけですよね

そうなんですよね。まあ、なんというかハインラインの『夏への扉』のように、大胆な作品もありますが。
人口純金身体に巻いてタイムマシン……ある意味極悪(笑)

>コニー・ウィリスのドゥームズデイ・ブック

未読です。まず、夫の蔵書にあるかどうか調べなければ(笑)
夫婦でお互いが何読んでいるかいまいちわかっていなかったりします。
他人から見るとほぼ同じジャンルなんですけど、微妙に違うんです。
結婚した時、大量にお互いに早川があったのですが、被ったタイトルが有名どころだけだったという(苦笑)

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