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[一言]
灌漑の概念は縄文時代後期には既にあったようですし、水車も829年頃には普及を進めていたそうです。作中の徴税重視から勧農重視に方針を戻した感じです。
藤原氏の凋落と皇朝十二銭の終焉が同じ位の時期です。自分は唐、渡来人がどうこうより流通貨幣を外国貨幣に切り替えたら、交易を担っていた西日本豪族の平氏に台頭され取って代わられたが近いと思います。
ヤマトの場合は楽浪、後漢などの中原勢力との交易で勢力を拡大した豪族が東征して行ったと取る事も出来ます。金印やヒスイや黒曜石、アスファルトの例を取るとかなり古い時代から広域交易が行われていたらしいです。
  • 投稿者: 粗笊
  • 2016年 06月05日 09時31分
水車の話を聞くと李氏朝鮮の水車の文献を思い出してちょっと笑ってしまいました。
この辺の荘園の話は人口が少ないので十分な治水工事が行われていないと言うことにしておきます。

もう作中の時代から中央集権が崩壊を始めて貴族が荘園で自治をしだして朝廷の権威が落ちて来ますからね。
貴族と朝廷の二重課税から自警団を雇い始めて武士が起こり、次第に台頭を始める頃ですがその辺まで話はいかないと思うので詳しく考察はしないつもりです。

天皇の東征も色々な説がありますし、中々ルーツを探っていくと日本史って面白いですね。
高校の社会化では地理Bを選択していたので、歴史といっても中学レベルしか無いですし、気になって調べていたのも戦国期だけだったのですが、古代日本もドロドロしてて楽しいです。

この話はもう畳んで今後新しくやっていきたいとも思っているのですが、次回考えているのは全く違うジャンルなので扱えるのはいつの日になるかわかりませんが、ネタとして温存しておきます。

でも、天皇家は万世一系では無いとか、天智天皇と天武天皇は親子では無かったのではないかとか言い出したら……おっとすみません誰か来たみたいです
[一言]
>藤原家の団結

日本は単民族国家という幻想を排除し科学的に考察すると
藤原家の隆盛は唐との繋がりが強い大陸移民の一族であったからだという説があります

確かに色々と客観的に考えると納得のいく説で

唐の滅亡と同時に朝廷を牛耳っていた藤原家の貴族勢力が
武士などの地方勢力を圧さえられなくなったのが

公家から武家への権力の移譲であったというのがその歴史観で

唐が滅んだ後も
中国を長く唐(から)と呼んでいたのも
そういった文化的影響の証拠だそうです

和合政策により大和朝廷がアメリカ合衆国のように暴力主体でなくにしろ
狩猟原住民の縄文文化を駆逐しながら農民文化を広めて弥生文化を広めたのなら

当然、大陸から多数の民族が入植して来たのは間違いないでしょう

それは
ユダヤやペルシャやインドネシアなどからの渡来民で
鉄の伝来や建築技術の伝来や農業の伝来に関与した人々で
平安以前の大和は彼等移民の一族の連合だったようです

それが
古代日本で新羅と日本の対立に対して
白村江の戦いで唐に屈した大和朝廷では
親唐派による大化の改新が起こりその流れの中で唐からの移民であった藤原氏が政治の中枢に君臨して

京に都を立てたのが平安時代の始まりと考え
当時の公式文書は全て漢文であった事を考えれば

当時の上位の平安貴族が唐か新羅系であった事は
確かに明白でしょう

対して地方豪族や下級貴族は他の渡来民族で
農業を伝播されて文化侵略された縄文系や南洋系の渡来民族が民衆

そういった人々は
民族問題などもあって対立と和合を繰り返していたと考えられます

そして
そういったものが神話となったのが
国津神と天津神の対立や融和
大和タケルなどの東征なのでしょう

そういった世界観で見ると
この平安貴族は少し純朴すぎる気がしますが
あまりリアルで殺伐とした話だとこのサイトではウケないだろうから
仕方ないんでしょうねぇ


  • 投稿者: OLDTELLER
  • 2016年 06月04日 20時27分
この辺の歴史は日本書紀に委ねられてるので信憑性に乏しいところはありますが、藤原の姓をもらう前の中臣家は神代の頃からの重臣だったと思いますよ。

といっても天皇家ですら渡来人説もありますから純日本人とは言えないでしょうが。

当時のトップだった物部氏が蘇我氏に滅ぼされ、中大兄皇子と結託して馬子を切って少しずつ地位を高めていったのだとおもいます。

平安時代の宮廷は唐風の建物だったみたいなので、大陸の知識は多分に流れ込んではいるでしょうね
[一言]
遥晃が目指す理想が今現実になりつつある・・・!
その日を生きるだけでも苦しい思いをしてた遥晃も、ここまで上り詰めることができました。
[一言]
貴族を手玉に取り操る遥晃の術の凄さは、術の対象から外れ冷静に判断できる立ち位置に居た事も有り機微を読んで人を騙して来た道秦なら十分に理解できるでしょう。
弟子入りはワンクッション無しでも遥晃の術を目の当たりにしたからで十分だと思います。考えを纏めたり、落ち着く為の時間が必要だったでも違和感は無いです。
  • 投稿者: 粗笊
  • 2016年 06月04日 13時28分
どの辺まで話を広げて、誰を使って終盤に行くのかを迷っているのです。
ちらっとは弟子入りみたいな話が出るかも知れませんが、ガッツリやり取りすることは無いかも知れないんです。
[一言]
実際、大した権力も富も無い庶民でさえ纏まれないのが現実。伊尹に頼忠の術策に掛かっている事と不安の肥大化の自覚が有った事が遥晃の術に掛かる隙になった。(洗脳)術によって兄弟を和解させ、遥晃の霊力は更に高まり言霊に逆らえる貴族はほぼ消えた感じがします。陰陽寮や寺社関係で囲い込み、勧誘合戦が始まりそう。
藤原三兄弟を篭絡した術を目の当たりにすれば、道秦に限らず弟子入りを希望しますね。
  • 投稿者: 粗笊
  • 2016年 06月03日 18時56分
やっぱりワンクッション師弟関係を結んだ方がいいですね。
ちょっと周りとのからみも少なくなりそうだけど、あまりごちゃごちゃしても大変になりそうなのでどの辺まで書いていいのかわからなくなります。
[一言]
史実にはなかった藤原三兄弟が一つになった!
頼忠のつまらない策も跳ね返した。
遥晃の理想が一歩だが前進したようで何よりです。
こんな形ですが藤原家をまとめてみようとおもいます。
平安の歴史を知らないですからね。好き勝手出来るのが強みです
[一言]
前の出世を希望して、伊尹の推挙や指導を断ったのは策を見破られたと解釈しましたか。蹴鞠や歌は国政の足しにならないとの労働者発想だった事は貴族の伊尹には思い至れなかった。
伊尹からすれば思い通りになる兼家と兼通を操り右京に基盤を作り宮廷に入って藤原に取って代わろうとしているとも見えますね。荘園の件は伊尹が陰で手を回し消火に回らざる得ませんでした。兼家の発想が普通で皇族の名を借りていたら、兼家を唆し好き勝手やる佞臣の排除の名目で遥晃は伊尹に潰されていた可能性が有った。しかし、伊尹は策の不発より事前に親王の前例を出して皇族名義のヒントを与えて思い付かなかった弟に眩暈がしたと思う。
  • 投稿者: 粗笊
  • 2016年 06月02日 20時42分
2部のじょばんですが、中納言を蹴ってトイレ作りしてた話を、中納言になるき満々だったけど兼通に邪魔をされた(風に装われた)話に差し替えました。
それのせいで遥晃がより兼通を嫌悪するようにしました。

感想欄にも何度か指摘をもらいましたが、政治に携わるって決意をした数話後にやっぱり位よりもできることだよねーって言っちゃうともやっとすると思ったので。

今回は5人をそれぞれ動かさないといけないので大変です
[一言]
どうも藤原三兄弟がギクシャクし始めたのは、親戚の頼忠の諌言みたいだな。
となるとすべての元凶は頼忠ということに・・・!
そうですね。四人のおとしどころを作ってみたいと思います
[良い点]
兄様、兼通の兼家に対する嫉妬心で目立たないだけで、転がされてるとはいえ真っ当なこと考えてますね。
[一言]
(遥晃基準で)美人な嫁と優秀な息子達が居る遥晃からすれば、自分達も含めて庶民が飢えず凍えない生活が出来れば、政治に陰陽道等と嘯いて介入する意味無いんですよね。

九条も藤原も、自分達が取り得る手段の中に乗っ取りがあるから遥晃を警戒してますが、生活改善がスムーズに出来れば満足な遥晃からすれば、わざわざ九条を乗っ取って詠めない歌に苦労しながら、妬み嫉みの中で権力を求める必要が……
  • 投稿者: 大湊
  • 2016年 06月02日 16時47分
ありがとうございます。
伊尹のこの結果が小物臭を与えてしまうのではないかと心配してました。

最初は、災害が起きても祈祷に頼って対処をしようとしない貴族を変えたいと思ってました。
そして、右京に住まわされて最低限自分の周りを改善しようとしたら兼通に邪魔をされ始めて、それとやりあっていくうちに話が大きくなってってる感じですね。

いつのまにか巻き込まれてます。しかし、この遥晃ノリノリである
[一言]
役者と舞台は整った!あとは開幕、と思ったら、何やら妙な具合に・・・
遥晃はこの開幕直前のアクシデントにどう対処するのでしょう。
もう下級役人じゃ無くなりましたからね。夢もチボーもあるんだよ!
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